2006年6月 8日 (木)

ブログを書かないということ with or without you

けじめをつけなければいけないとい思いながら、日々がただすぎていく。

あれだけブログの記事を書くことが楽しかったのに、自然だったのに、書くネタも無くなり、書くという行為自体が自分の生活習慣から遠いものになる日がくるとは思っていもいなかった。

ブログを書かなくなると、日々の事件やら社会の変動に対して関心が薄くなっていくのを確かに感じる。不思議なものだ。やはり、世の情報や人の思考というものには、通貨的な性質があるというか、出しただけ自分に入って来るものなのかも知れない。

また、何年も本も新聞も読まない年月が再び始まったのかもしれない。そう、ブログの日々の前には、長いこと虫のように目の前の生活だけの行き方が続いていた。めくるめくブログ界隈の展開にこころときめいた日々も終わってしまった。

なんというかブログの日々を想うとき、自分の求める答えは外にあるのではなく、自分の日々の生活、日々の仕事の中にあるのだと気づかざるを得ない。自分が答えを外に求める限りどこまで行っても、答えは外へ外へ遠のいてしまうだけなのだ。幸せの蒼い鳥はやはりあなたの家にこそいる。

There is no place like home....

しかし、それは私の一方的な想い込みかもしれないが、ブログを書くことによって生じた絆は、消滅しないだろうと信じている。いや、消滅させはしない、反転させもしないと誓う。

正直に言えば、ブログを書くことは、いやブログを書くことによって生じた友愛と連体は、この半年あまりの予測もしなかった動乱の中で、私を救ったともいえる。深く深く、感謝したい。

みなさん、本当にありがとうございました。

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2006年4月18日 (火)

[書評]自己組織化の経済学 番外編 アイドルへの投資は日本経済を上昇させるか? Nantettatte Idle!

やまぐちひろしさんは、アイドル投資で儲けているのだそうだ。

アイドルファンドでもうかったらしい話 by やまぐちひろしさん

アイドルを売り出す時に、みんなでお金を投資しようという、アイドルファンド、第1号の話なのだそうだ。これって、アイドルを売り出す初期にたくさんお金を使ってDVDを作るとか、宣伝を打つとかすると、リスクは高いけど、売れるアイドルを作れる可能性があるからみんな投資するんだよね?

とすると、先日のクルーグマン先生のDVDとVHSの話が応用できるのではないだろうか?

[書評]自己組織化の経済学 その1 ~ 断続平衡 ~ (HPO)

つまりこんな感じ。

Ideldanzoku01

「idle-heikou01.pdf」をダウンロード

これってわかりにくいかもしれないけど、世界には青山愛子さんと青山愛子さん以外のアイドルしかいないとしよう。このときに、青山愛子さんを応援する愛好家のシェア、数が与えられたとき、青山愛子さんの写真集とかDVDを置くショップのシェアを曲線Rとする。逆に、青山愛子さん商品を置いているショップのシェア、数が与えられた時の愛好家のシェアを曲線Hとする。この曲線Rと曲線Hが交わる点で均衡となり、アイドル愛好家とDVDなどを置いてくれるショップのシェアが決まるわけだ。

しかし、赤字覚悟で初期にファンドが入り宣伝活動をばんばん行うことによりショップなどでのシェアがあがり、普通C1あたりの低いシェアからアイドル活動を始めなければいけないところが、うまくすると一気に点L3あたりの高いシェアまであがることがありうる。そして、一旦上がると高いシェアでの均衡が持続する可能性が高いことが曲線の均衡点から分かると想う。

この辺をシグモイド曲線で近似したエクセルのファイルを作ってあるので、興味のある方は投資額の部分をいじってみてほしい。実際の投資額とか、投資効果とはまったくちぐはぐなので、投資の参考には一切ならない。あ、またこの記事は投資を推奨するものではないので、万一青山愛子さんにはまってしまったり、アイドルファンドに投資したとしても、私は結果に一切関知しないので、よろしく。

ええと、見にくいけどエクセルのスナップショットだ。真ん中のグラフが2つの曲線をシグモイド曲線で近似した様子を示している。

Idleheikou01

こういう低いシェアの均衡状態が、ちょっとした投資で次のように変わるのかもしれない。

Idleheikou02

「idle-heikou060418.xls」をダウンロード

んな!アイドルを売り出すのに、初期投資したからって長い目で見たとき関係ないじゃん!」と想ったあなた!するどい!そういうごく常識的な直観こそがが、私が興味を持っている部分なのだ。

十字の時:公共投資で日本は救えるか? by クルーグマン先生 (山形浩生さん訳)

■追記

コメント欄を斜め読みさせていただき、大変興味深かった。

そうなのである「セット販売商品」の場合は、バラ売りのときの「お得感」がそのまま販売者の売り上げにばけてしまうのである。 ([アイドルの経済学]モーニング娘。の経済学 )

今更感があるのだけれど、ではファンドでアイドルを買いあさってセット販売というのはいかが?って、最近アイドルファンドの話を聞かないけど、どうなってるんだろう?

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2006年4月15日 (土)

[書評]自己組織化の経済学 その2 ~動学マクロから履歴減衰~ Hamiltonian to Economics

全然まとまらないのだが、経済学と構造力学って似ているなって話を書きたい。

クルーグマンの「自己組織化の経済学」に出てくる景気循環のグラフを見て結構びっくりした。耐震ダンパーについての本に出てくるグラフとよく似ていたからだ。

クルーグマンが本書で非線形景気循環論を説明するために引き合いに出したグラフは、生産量と資本ストックについての関係を述べたものだった。

Hamiltonian06041501

建築の構造計算では、建物の振動をバネについた錘の振動のように扱うのだが、建物の変形角度とポテンシャルエネルギーとの関係のグラフがよく出てくる。塑性状態になった建物は、非線形、カオスとしかいいようのないような揺れ方をするのだが、そのエネルギーと変形についてのグラフがよくこの手の話に出てくる。

地震動応答解析のおはなし 第19話 「減衰について(その2)」 @ 構造ソフト

この辺を分かりやすく説明することは、私の力を大幅に上回ることなのだが、ハミルトニアンとかラグラジアンとか言われる動学の表現の仕方なのだというくらい単純化してしまえば、同様の関係についてクルーグマンと建物の振動の分析が同じ形式をしているといえる。

ま、とにかく非線形の現象を記述しているという程度のことなんだけどね。

ハミルトニアン @ wikipedia

手詰まりだし、数式をどうのこうのいじるだけのテクもないので、漫然とこの辺の話題をぐぐってみた。なぜかかなり高度な経済学のスレが見つかる。

2ch ハミルトニアンヲ文系ニ教えるスレ @ 2ch

押込隠居が必要な経済学者たち @ いちごえびす経済板

あまりに高度なので、私にはほとんど理解できないのだが、通常普通に経済学で教えられ、経済政策の基礎になっていると一般に想われている(少なくとも私はそうなのだと想っていた)ISLMへの批判から、ハミルトニアン、ラグラジアンを使った経済学の展開に関するヒントがいっぱいでてきた。その中でも、「動学マクロ」という考え方が面白かった。要は、「時間の矢」のようなミクロの粒子の力学法則、動学からマクロの現象を説明しようということらしい。

動学マクロ @ フィナンシャル・レビュー

福田慎一さんの説明によると人は「期待」を持つから、ますます解析が難しいらしい。期待は期待でも、期待と完全気体では扱いがずいぶん違うらしい。クルーグマン先生も、人々の期待が持つ役割から「日本のはまった流動性の罠」について書いていた気がする。

日本の不況と流動性トラップの逆襲 (PDF) by ポール・クルーグマン先生、山形浩生さん訳

どうも「経済は期待だ」という懐かしいセリフを言いたくなる流れになってきた。

でもまだ経済と期待について理解できていないので、まとまらないままキーボードを休める。「経済と期待」の関係についてもう少し理解が進んだら、またこの話題の展開についてトライしたい。

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2006年4月14日 (金)

寿命が長くなると絶滅しやすくなる? Population Simulator II

前回頭痛のために途中でなげだしてしまったシミュレーターに手を入れた。シミュレーションの設定パラメーターのせいだとは想うのだが、個体が生きられるセル(場所)が限られているとすると、子を産める期間に比べて寿命が長い条件設定の方が長期的には絶滅の可能性が高くなるという結果になった。また、これはあたりまえだが、あまり突然変異が起こりにくい十世代程度の短い時間間隔で考えると、潜在的に高い出産確率を持った個体の子孫が支配的になる。

「generation-sim060413.xls」をダウンロード

例によってエクセルで作ったということが特徴かもしれない。VBですら使っていない。

以前まじめな日本の人口の推移のシミュレーションを作るのに、統計を調べていてわかったのだが、今の日本の状況を想定して考えるとほとんど平均寿命近くまで人は死なない。交通事故だの自殺だのあったとしても、全体の人口の比で言えば1%満たない確率でしか年代別には死なない。また、特殊出生率というのは、結局年齢に応じて変化する出産確率の積分値なのだ。

この前提を考えながら、シミュレーションでは、個体の寿命と出産可能年齢の下限と上限を設け、年間出産確率を一定とした。男女の別を想定するとかなり複雑になってしまうので、単性生殖または1セルには必ず男女1つがいが入いるものとした。

Gene01

シミュレーション中の数値の意味は上の図のとおりだ。結果、実際のシミュレーションは、ひたすら長いエクセルの表となる。

Gene02

やはり、図では見にくいので、ぜひエクセルの表を直接見て欲しい

全体を俯瞰しやすくするために、個体数の変化と時系列の特殊出生率の変化をグラフにした。

Gene03

実は隣合うセルにしか「出産」できないので、子が「成熟」するまでの間に自分自身は出産上限年齢を超えてしまうから、2以上の特殊出生率はあまり意味がないはずなのだが、異常に高い数字がたまに出る。計算をなにか間違えているような気がしてならないのだが、私にはエラーを見つけることはできなかった。

上の画像の青いグラフが個体数の変化を示している。グラフ中で、途中で0になっていることが分かる。想定寿命を80歳に想定するとかなりの確率で500年の間に絶滅してしまう。たまたま寿命を60歳に設定してみたら、かなり絶滅を避けることができた。80歳寿命と60歳寿命で20回づつの試行を行い、t検定、F検定をしてみた。詳しくはPDFファイルを見て欲しいのだが、有意な平均値の差が出た。

Gene05

「generation-sim060413-01.pdf」をダウンロード

もしかすると、左右2個体より多くの子を産めるように設定すれば、それだけ済む問題なのかもしれない。最大の個体数を決めてしまっているのが間違っているのかもしれない。それでも、今回の設定で言えば99%以上有意に年寄りは若い本来出産可能な個体が子をなすことを邪魔している。寿命を長く設定した試行では、年寄りばかりの集団になってしまえば、全体が絶滅する確率が高い。

次に、当初の個体の出生率の差がどうなるかを調べるために、特殊出生率の平均が1.3程度の集団と、突出して高い出生率の個体がある場合とでシミュレーションしてみた。

Gene04

分かりにくいとは想うのだが、徐々に突出して高い出生率を持つ個体の子孫の占有率が高まり、平均出産率が高くなっていく。当然だが、全体として個体数が増え、そして減っていくという通常のパターンの後に、高い年間生存個体数が対象期間を通じて続く試行が多かった。

Gene06

こうしたシミュレーションにおいて、試行を重ねると分布が正規分布に近似していくと仮定するのは危険ではあるのだが、寿命の問題と同様にt検定、F検定を行った。

「generation-sim060413-02.pdf」をダウンロード

Gene07

ま、これはあくまでも私が勝手に条件設定をしたシミュレーションの話だ。現実とどれだけ適合性があるのかは、保証のほどではない。ただ、もし現実に敷衍することが許されるのならば、現在進行している少子化の原因は、高齢者がのさばっていて若年層が子をなす余裕と空間を持たないということに起因しているということだ。また、子を産まないことがどんどんあたりまえになって行っているが、40歳を超えた出産でも、逆に10代の出産でも特殊出生率をなんとしてもあげることが大事だというあたりまえの結論に達する。逆を言えば、子をなさない個体の遺伝子、ミームは将来消滅し、子を多く持つ能力を持つ個体の遺伝子とミームが将来支配的になる可能性が高いということだ。

もし、誰かが私の発言が偏見に基く差別発言であり、不愉快であると言うのなら、自分の遺伝子、ミームを将来に残したいのか、残したくないのか、今の人生をただ楽しく生きれればいいというだけなのか、自分に問うて欲しい。それでも、自分は子孫を残すことに興味がないというのであるなら、私を非難してもらってかまわない。

■追記 平成18年4月17日

hiraxさん、お取り上げ頂きありがとうございます。なんかしゃれにならなくなってきたので、フォローを少し。

誰のための今日なのか? (HPO)

なんというか、お年寄りは大事にすべきなのだとほんとは想っています。「子ども叱るな、来た道ぢゃ。年寄り叱るな、行く道ぢゃ。」という言葉は、本当に身にしみます。私自身は、論語を暗唱させられるとかかなり儒教的伝統の中で育ったので、こういう記事を書くこと自体抵抗があるのですが、今の日本の閉塞感ってものすごいものがあって、その閉塞感のひとつの結実が少子化なのだという気がしてなりません。他にもいろいろ言いたいことはあるのですが、その辺はまたこのブログの中で少しずつ書きます。

■参照リンク
3年ではなく3世代必要な議論 by Danさん 

もはや犯人探しすらする余裕を、我々は失いつつあるのだから。

■追記 平成20年4月2日

なるほどぉ。やっぱり、そういう理論があるんだね。

家内:「Kに属する動物はケンカさせたら r より強いわよ。」

僕:「だろうね。」

家内:「だから限られた食物を奪い合うような状況では K は強いわ。でも K の弱点というのは例えば地球に隕石がぶち当たったりして気象が変化したりすると駄目なの。それは生命体の寿命が長いから急激に変わる外部環境に対して進化することで対応できないからね。」
参照

K

が日本の年寄りで、rが本来の若者たちなのかな。わびしい限りだ。

■追記 平成21年9月23日

「年よりが増えると若者が減る」ということを体得された方なのですね。

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2006年4月13日 (木)

テレビってなに? politocal correctness vs. politeness

うーむ、ページランクがぐんぐんさがっている。「HPO」で検索しても、英語版のHPOよりランクが下で、結果の2ページ目だというのはやばい。たまにはわかりやすいことを書かないといけないようだ。

今年は交通媒体にテレビ番組の広告がやたら多いような気がするのは、私だけだろうか?番組の改編時期とはいえ、某JRのホームの広告はすべてテレビ番組であった。これはテレビが広報機能を放棄しているとはいえないだろうか?言うまでもなくCMのクライアントは、広報、広告の一環としてテレビであれば十分に視聴され、認識されると信じてお金を払っているわけだ。そのお金が番宣のために交通広告に使われているのだとしたらいささか不本意なのではないだろうか?

もう少し深読みしてしまえば、新聞雑誌広告も反応が悪くなってきていることをテレビ局はよくわかっているのだと思う。「R25」や無料アルバイト情報誌が、新聞に織り込まれているのではなく、駅におかれているというのも理由があるわけであろう。もっといってしまえば、末端の新聞店が本当に折り込み広告を入れているか最近は疑問であると複数のメディア関連の方から聞いた。ネットの時代であるのに折り込み広告も、宅配の新聞代も値段が下げられないジレンマを感じているのではないだろうか?

しかし、某局のディレクターが私に「真実や事件の背後にある原因を報道することが大事なのではなく、視聴者がみたいと思う映像が撮れればいいんです」と断言したが、実際駅の広告を見ていてテレビとは結局報道ではなく娯楽なのだなと感じた。ま、某ディレクターさんは「politicaly correct」でもなく、「politely correct」でもなかったということで終わりにしてしまおう。

■追記 翌日

こんな記事を見つけた。

最も視聴する広告はテレビ CM 、新聞・PC 上のバナーが続く  @ japan.internet.com

やはり、テレビ優勢は続くのか?それとも、バナー広告の健闘をたたえるべきなのか?

PC 上のバナー広告(9.7%)は3位にとどまっているものの、雑誌(2.7%)やラジオ(1.9%)、駅の広告(4.6%)、DM やチラシ広告(3.7%)などを上回った。

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