[書評] 運命、死、そして滅び 「風の谷のナウシカ」
風の谷のナウシカ by 宮崎 駿さん
このシリーズを読み直す度に自分のこころの奥底にあるなにかが反応する。自分でも言語化しえないこころの底と、今ここで薄汚く貪欲に自分が生きているという現実がこれだけ交叉しあう物語をしらない。まさしく汚濁をも、悪をもとりこみながら生きつづけるナウシカに自分のからだもこころも共鳴する。
この長いナウシカの物語の進化=深化は、作者のこころの変化をそのままに映しているのではないだろうか。最初に世に出たナウシカは、映画で描かれた内にパワーを秘めながらも、族長の娘としての役目を十分に果たそうと必死にもがき苦しむする女の子だった。それが、この物語の中で、腐海の底、酸の海での争い、人々の生きているがゆえの悪、そして憎悪、あるいは、自分自身の死をも通り越し、善悪の彼岸を超えた境地へ到達する。特に滅びと死を経験するナウシカに、作者のこの世界への絶望を読み取るのは深読みなのだろうか?
また、この物語の中に指導者の様々な形を読み取ることもできる。自分の統べる民を迫害する王、滅ぼす王、自分を犠牲にしてまでも同朋を生かそうとする長、国も民も捨て隠棲する王族、民が滅びても王としてのプライドを捨てない王子、そしてすべてを抱きしめ、すべてを包括し、そしてすべてを超越するナウシカ。王と民の在り方は、神話、民話からはじまる長い物語の伝統の基本をなしている。これも、この汚濁の世で誠実に生きようとする作者の姿を見出すのは見当違いなのだろうか?
21世紀の今、作者自身にぜひこの全てを映像化し、昇華しきってほしい!
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