« 二極化 〜白いコートと黒いコート〜 | トップページ | 二極化 〜南の国の穏やかな独裁制〜 »

2004年2月 8日 (日)

リアルタイム

ネットにあげられているエッセイや論考のスタイルは、みなにているように私には思える。社会問題や政治問題、書評や商品解説などの文章は、どこか抽象的、説明的でみな同じ人間が書いているのではないだろうかとすら感じることがある。もちろん、自分自身の文章を含めていっている。決して自分でルールにしていたわけではないが、私の文章にも体験やら経験に関する話題がきわめて少ない。

ココログをやり初めてわかったのは、これだけ気軽にアクセスできると、自分の経験や日常について語りたくなるという衝動だ。たとえば、いまタイ出張の帰りの飛行機に載ったところだが、いまシグマリオンで書き上げてしまえば日本にかえって空港についたとたんに送信して ココログにアップすることができる。自分さえその気ならタイ滞在中のホテルでも、ネットカフェでもアップすることはできただろう。自分の行動とリアルタイムに直結するココログの可能性についてもっと考えてみたい。

追記 「論考」なんて言葉を使ってしまったので、ついでに。どうしてこれだけインターネットが普及しているのに、学術論文の類の公開がされないんだろうか?公開されるということでは、学術誌にだすのもネットで公開するのも同様だから、公開することに特に問題があるとはおもえないのだけれど。アメリカの図書館にはかならず備えられている論文のシソーラスや、論文の引用のインデックス作成にかかわるエネルギーを思えば、大したことではないのだろうが....

|

« 二極化 〜白いコートと黒いコート〜 | トップページ | 二極化 〜南の国の穏やかな独裁制〜 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: リアルタイム:

« 二極化 〜白いコートと黒いコート〜 | トップページ | 二極化 〜南の国の穏やかな独裁制〜 »