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2004年2月19日 (木)

現成公案

以下、ただたんに現成公案を自分で打っただけです。
誤字脱字等ありましたら、ぜひ教えてください。
いま、これを暗記しようとしています。

2004.02.19


区切り方、改行位置を変えました。「たきぎ(は)」と修正しました。

2004.05.04


finalventさんからいただいたコメントを参考に、修正しました。

2005.02.14


誤字脱字を修正。

2008.8.3



2010.10.10 「諸法」の「諸方」になっていたのを修正。



2013.1.6 Macのスピーチ機能を使って読み合わせを実施。主に漢字とひらがな異同を岩波文庫版「正法眼蔵」に従って修正した。例えば、一部の「薪」を「たき木」など。

正法眼蔵 現成公案 第一

諸法の仏法なる時節 
すなわち迷悟あり 修行あり 
生あり 死あり 諸仏あり 衆生あり

万法ともに われにあらざる時節 
まどいなくさとりなく 
諸仏なく 衆生なく 生なく 滅なし

仏道もとより豊倹より跳出せるゆゑに 
正滅あり 迷悟あり 生仏あり

しかもかくのごとくなりといえども 
華は愛惜にちり 草は棄嫌におふるのみなり

自己をはこびて 万法を修証するを 迷とす
万法すすみて 自己を修証するは さとりなり
迷を大悟するは諸仏なり
悟に大迷なるは衆生なり

さらに
悟上に得悟する漢あり
迷中又迷の漢あり

諸仏のまさしく 諸仏なるときは
自己は諸仏なりと 覚知することをもちゐず
しかあれども証仏なり
仏を証しもてゆく

身心を挙して色を見取し
身心を挙して声を聴取するに
したしく会取すれども
かがみにかげをやどすがごとくにあらず
水と月とのごとくにあらず
一方を証するときは 一方はくらし

仏道をならふというふは
自己をならふなり
自己をならふといふは
自己をわするるなり
自己をわするるといふは
万法に証せらるるなり
万法に証せらるるといふは
自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり
悟迹の休歇なるあり
休歇なる悟跡を長長出ならしむ

人はじめて法をもとむるとき
はるかに法の辺際を離却せり
法 すでにおのれに正伝するとき
すみやかに本分人なり

人 舟にのりてゆくに
めをめぐらして 岸をみれば
きしのうつるとあやまる
目をしたしく舟につくれば
ふねのすすむをしるがごとく
身心を乱想して 万法を弁肯するには
自心自性は常住なるかとあやまる
もし行李をしたしくして 箇裏に帰すれば
万法のわれにあらぬ道理あきらけし

たき木 はひとなる
さらにかへりて たき木となるべきにあらず
しかあるを
灰はのち 薪はさきと 見取すべからず
しるべし 薪は薪の法位に住して
さきあり のちあり
前後ありといへども 前後際断せり
灰は灰の法位にありて
のちあり さきあり
かのたき木 はひとなりぬるのち
さらに薪とならざるがごとく
人のしぬるのち さらに生とならず
しかあるを
生の死になるといはざるは
仏法のさだまれるならひなり
このゆゑに不生といふ
死の生にならざる
法輪のさだまれる仏転なり
このゆゑに不滅といふ
生も一時のくらいなり
死も一時のくらいなり
たとへば
冬と春とのごとし
冬の春となるとおもはず
春の夏となるといはぬなり

人のさとりをうる 水に月のやどるがごとし
月ぬれず 水やぶれず
ひろくおほきなる光にてあれど
尺寸の水にやどり
全月も弥天も
くさの露にもやどり 一滴の水にもやどる
さとりの人をやぶらざる事
月の水をうがたざるがごとし
人のさとりを罣礙(けいげ)せざること
滴露の天月を罣礙(けいげ)せざるがごとし
ふかきことは たかき分量なるべし
時節の長短は 大水小水を検点し
天月の広狭を弁取すべし

身心に法いまだ参飽せざるには
法すでにたれりとおぼゆ
法もし身心に充足すれば
ひとかたは たらずとおぼゆるなり
たとへば 船にのりて
山なき海中にいでて 四方をみるに
ただまろにのみみゆ
さらにことなる相 みゆることなし
しかあれど この大海
まろなるにあらず 方なるにあらず
のこれる海徳 つくすべからざるなり
宮殿のごとし 瓔珞のごとし
ただ わがまなこのおよぶところ
しばらく まろにみゆるのみなり
かれがごとく 万法もまたしかあり
塵中格外
おほく様子を帯せりといへども
参学眼力のおよぶばかりを
見取会取するなり

万法の家風をきかんには
方円とみゆるよりほかに
のこりの海徳山徳 おほく きはまりなく
よもの世界あることをしるべし
かたはらのみ かくのごとくあるにあらず
直下も一滴も しかあるとしるべし

うを水を行くに
ゆけども水のきはなく
鳥そらをとぶに
とぶといえども そらのきはなし
しかあれども
うをとり いまだむかしより
みづそらをはなれず
只用大のときは使大なり
要小のときは 使小なり

かくのごとくして
頭頭に 辺際をつくさずといふ事なく
処処に 踏翻せずといふことなし
といへども
鳥もしそらをいづれば たちまちに死す
魚もし水をいづれば たちまちに死す
以水為命しりぬべし
以空為命しりぬべし
以鳥為命あり
以魚為命あり
以命為鳥なるべし
以命為魚なるべし
このほかさらに進歩あるべし 修証あり
その 寿者命者あること かくのごとし

しかあるを
水をきはめ そらをきはめてのち
水そらをいゆかんと擬する鳥魚あらんは
水にも そらにも
みちをうべからず
ところをうべからず
このところをうれば
この行李したがひて現成公案す
このみちをうれば
この行李したがひて現成公案なり
このみち このところ
大にあらず 小にあらず
自にあらず 他にあらず
さきよりあるにあらず
いま現ずるにあらざるがゆゑに
かくのごとくあるなり

しかあるがごとく
人もし仏道を修証するに
得一法 通一法なり
遇一行 修一行なり

これにところあり
みち通達せるによりて
しらるるきはの しるからざるは
このしることの
仏法の究尽と同生し同参するゆゑに しかあるなり
得処 かならず自己の知見となりて
慮知にしられんずると ならふことなかれ
証究 すみやかに現成すといえども
密有 かならずしも現成にあらず
見成 これ何必なり

麻谷山宝徹禅師 おふぎをつかふ
ちなみに 僧きたりてとふ
「風性常住 無処不周なり
なにをもてか さらに和尚 おふぎをつかふ」
師いはく
「なんぢただ風性常住をしれりとも
いまだところとして いたらず といふことなき
道理をしらず」と
僧いはく
「いかならんか これ無処不周底の道理」
ときに師おふぎをつかふのみなり
僧礼拝す
仏法の証験 正伝の活路 それかくのごとし
常住なれば おふぎをつかふべからず
つかはぬをりも かぜをきくべきといふは
常住をもしらず 風性をもしらぬなり
風性は常住なるがゆゑに 仏家の風は
大地の黄金なるを 現成せしめ
長河の酥酪を参熟せり

  これは天福元年中秋のころ 
  かきて鎮西の俗弟子楊光秀にあたふ 建長壬子拾勒

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コメント

こんにちは。

3点、誤記があるように思えます。

心身を挙して色を見取し
心身を挙して声を聴取するに
⇒身心

たきぎは はひとなる
⇒たき木、はひとなる

おそらく、このテキストは、田里亦無(このかたとはお会いしたことがあります)というかたの道元入門からとられたのではないでしょうか。表記の癖にそんな感じがします。

私も全文、暗記しているわけではないのですが、あらかたは口をついてを出ます。

 密有 かならずしも現成にあらず
 見成 これ可必なり

の意味が未だに解けません。

投稿: finalvent | 2004年2月20日 (金) 17時33分

finalventさん、

ありがとうございます。

さっそく、「身心」2個所を修正いたしました。重要なところを間違えていました。

「たき木」は、岩波文庫版でご指摘のとおりになっていることを確認いたしましたが、田里先生に敬意を表してこのままとさせていただきます。

しかし、もうfinalventさんにはなにもかも御見通しだという感じになってきました。びっくりしました。私自身は田里先生には、お会いしたことがありませんが、いま、田里先生の流れの参禅会に参加させていただいております。

投稿: ひでき | 2004年2月20日 (金) 17時58分

ひできーーさん、こんにちは。たくさんコメントありがとう。みだりにコメント大好きです。それで、↑参禅会ってなんですか?座禅するの?このまえ岩崎氏から、座禅の話を聞いて、ちょっと興味を持ったので聞いてみました。ではまた。

投稿: ぶんぶん | 2004年6月25日 (金) 13時51分

ぶんぶんさん、こんにちわ、

うわっ、びっくりしました。fainlaventさん以来誰もコメントをつける人がいなかったのに、現成公案にコメントするとはすばらしい言語センスを感じます。

そうです。参禅会というのは、各所であるようですが、ひたすら座る会のことです。

投稿: ひでき | 2004年6月25日 (金) 14時58分

読み直して気になったところです。ご参考まで。


すなわち迷悟あり 修行あり
⇒田里版では「修証」

正滅あり 迷悟あり 生仏あり
⇒「生滅」

悟跡の休歇なるあり
休歇なる悟跡を長長出ならしむ
⇒「跡」が異字
⇒「長々出」

この行李しがたひて現成公案なり
⇒「したがいひて」

見成 これ可必なり
⇒「何必」

つかはぬおりも 風を聞くべしといふは
⇒「べき」

長河の酥酪を参熟せり

⇒正法眼蔵現成公案第一

  これは天福元年中秋のころ かきて

投稿: finalvent | 2005年2月14日 (月) 21時34分

finalventさん、こんばんわ、

ありがとうございます。

少々悩んでおりますが、明々白々な間違いは修正しました。致命的な間違いにも気づかずにいたことを恥ずかしく思います。

「修証」のところは、あえて原典に忠実になおしてあります。

投稿: ひでき | 2005年2月14日 (月) 22時38分

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