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2004年2月23日 (月)

[書評]バンバイヤ 手塚治虫

「バンパイヤ」 3巻 手塚治虫

ここのところ映画を見てもなにか気にさわる。昨日、たまたま続き物の映画の第三作を見て腑に落ちた。ご都合主義が鼻につくのだ。映画だから、ハッピーエンドで終わってほしいと思っていても、不自然にものごとがおさまっていくのが気にらない。現実は、こんなにもうまくいかないことばかりだし、問題をひとつ解決しても、いつのまにか次の問題が引き起こされ、そして、またそのまた次の問題も解決しなければならないはめになる。

一方で、手塚治虫の漫画のいくつかが結末がつかないまま終わっていたり、かなり悲劇的な終わり方をするのが、なぜなのか不思議でならなかった。「どろろ」しかり、「ガラスの城の記録」しかり、「人間どもあつまれ!」のエンディングもあまりにかなしすぎる終わり方だった。「バンパイヤ」の結末も「あーあ、二巻でやめておけばよかったのにな。」とずっと思っていた。ネタをほとんど未消化のままいったりきたりしながら描いてい構成が不自然だった。出版社との事情があって、無理やり続きをかかねばならなくなったのだろうが、三巻の終わりで中断されているのが悲しかった。

しかし、バンパイヤを改めて読み直してみて、案外この不条理さがよいのではないかという気持ちになった。世の中、そんなに合理的にかつご都合主義的に終わるものではないのだ。あるいは、永遠に終わらない自分の物語というのはある。永遠に解決つかないであろう問題というものも、悲しいことだが、ある。そう、あとは不条理がのこるだけ、とムーンライダースの曲が聞こえてきそうだ。

■追記 (平成16年6月17日

瀬戸さんから、「アドルフに告ぐ」の記事へのトラックバックをいただいた。この重みを受け止めたい。

手塚治虫が見つめたものは、広く、遠く、そして、深い。そのまなざしは、人を見つめながら、人を突き抜けていた。そして、そこまでいっても手塚の手には不条理だけが残るというのは、何故だったのだろうか?手塚の中に潜み、彼を動かし、彼をして不条理の縁までつれていったなにものか、なのだろう。私には、手塚が「ファウスト」にあれだけこだわりつづけた理由がそこになるような気がする。

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» アドルフに告ぐ [瀬戸智子の枕草子]
今、手塚治虫の漫画 「アドルフに告ぐ」を読み終えたところです。 この本は、昭和6 [続きを読む]

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