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2004年3月30日 (火)

[書評]「河野太郎の国会攻略本」 既に日本の40才以下の人口は半分を占めるんだぞ!

実は半分しかこの本、「河野太郎の国会攻略本」を読んでいない。それで書評を書いてしまっていいのか!と思うのだが、書いてしまう。あと残りの半分を今日の帰りの電車の中で読んでしまおうと思っていたのだが、同行していた若い友人に渡してしまった。その時の彼のセリフがよかった。

「国会攻略...ぼくあまり政治に感心がないんですよ。」
「まあ、そういわずに読んでみなよ。」
「やっぱり、日本ってもう成熟してしまっている国だと思うんですね。もう誰が政治家になっても日常の生活はかわらないところまできてしまっています。成熟の途上にある国だと政治はとても影響力をもつし、誰がリーダーになるかがとても重要なのでしょうけど。」
「...」
「でも、選挙は一回もかかしたことはないんですよ。」

いつわらざる感覚だと思う。ある意味、確かな論理なのだと思う。私も正直日本の政治が今の状態からどちからの方向に変ったときに、本当に日本がよい国に変身できるのかどうか結構疑問だ。それに、日本人のすごく正直な生活感覚って信頼していたりする。一般に禅的な精神の影響をうけたと考えられている武士道がまだその音の響きを国中に残しているのか、日本人は、自分の目の前にある課題や技術に対してとても真剣だし、対応が早く確実だと思う。(私には、それはとても誤解された禅なのではないかと思うのだが、それはまた別の話だ。)それでも、どうも一人一人の日本人はあまり幸せそうでない。電車に乗っていると、きっと自分もそうなのかもしれないが、疲れきった、飼いならされた目をした人をよく見る。

ここで、今の不況や、いままでの意味での道徳的、倫理的な価値観の崩壊を前に、「だから、日本は変らなくてはならない。だから、戦略的、論理的な思考を日本人は身に付けなければならない。」というのも、また問題が違うような気がする。そもそも、西欧的な思考自体がぐらついているし、アメリカの資本主義社会というのも、どこかうさんくさい。社会的にも本当に尊敬できるものなのか、ものすごく疑問だ。時々、アメリカは独裁主義国家なのではないかという疑問にかられるが、これもまた別の話題。

じゃあ、どうすればいいのか!というのが今現在の私の問題意識なのだと思う。なんとなくこのネットとかブログののりというのは、とても日本人に合っているような気がしてならない。これがもっともっと影響力をもつようになると日本は、変りそうな気もする。まだそんな程度である。また、距離と時間の喪失という問題にもつながるのだが、またまたこれは別の問題。

前置きがながくなったが、河野太郎さんの本はなかなかおもしろかった。「ああ、日本にもこんなに戦っている代議士がいるんだ!」というのが実感。多分、河野太郎さんと私とは年齢もあまり変らない。米国で行っていた大学も、私の大学のすぐそばだ。でも、今の立場は全然ちがう。いや、そんな問題じゃない。大切なことは、河野太郎さんは、政治に専門家としてとりくんでいて、私はここにすわってただキーボードを打っているにすぎないということだ。

だからといって、私が明日から代議士になれるというものではないし、それが社会のためになるというものでもない。ただ、ブログを書きながらひしひしと感じているのは、なにをしていても政治とは無関係でいられない。この国で生活しているからには、この国で父祖から伝統をひきつぎ、そして、子供を育てているからには、この国のあり方に積極的にかかわっていかなくてはならない。半分までだが、この本を、読んでつくづくそう感じた。

また、先日もどこかで書いたことの繰り返しだが、すでに40才以下の日本の人口は過半に達する。もう若いといっても誰にも遠慮する必要はない。これまでがこうだった、これはこう決まっている、これはこういう慣習だ、といわれて萎縮する必要などない。そりゃ、あんたがたの時代の常識だったかもしれないが、これからは常識といわれていることを、どうしても再構築する必要がある。あたりまえだ、こうでなければならない、ということを変えなければならない。それは、政治の場でも、商売の場でもいっしょだ。この本を読みながら、そんなことを感じた。ちょっと一冊(あ、半分か...)本を読んだからといってなれなれしいかもしれないが、河野太郎さんには、そんな40才以下の日本人の変革の尖兵であってほしい。したたかに、たくましく生きる40歳以下のモデルであってほしい。

<参照>
「政治への参加」
「 【Misc】政治家のWEBサイト 」 by nimさん

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コメント

政治的コミットの問題について..

ぼくもちょっと前まではこの若者と同じ位置にいた感じでしたが・・なんか変わってきましてね...

たしかに、一人の発言では変わらないし、どうせ首がすげ変わるだけなのかもしれないけど...
でも、なにもしなければほんとになにも変わらないんですよね

この人は「成熟社会」ということを言っているけれど、そういう意味では日本なんか未だヒヨッコです
(ヨーロッパが老人でアメリカが成人(青年)って感じ?)

そして、アメリカなんかも放っておいたからあんな感じになってるし...
あれはアメリカ社会の経済的問題に絡んだ中産階級の保守主義が一番の要因だと思うのですが・・
(税金払うのがイヤで郊外に逃げたり・・んで、城塞都市作って、「自分たちのことだけでいいや♪」って思ったり..)

前に極東さん言ってたけど、そういう流れが日本にも来るみたいですね..

<経済の困窮化 ⇒ 政治的保守化(右傾化)>ってのは黄金パターンですから...

それは政治的なことだけに限らず、社会全体への意識ってことにもかかわってくるみたいですが...

つまり・・なんというか・・・「自分のことだけでいい」っていうのを基本にしつつ、みょーな党派性(言説の固定)を着るんですね

そういうのの片鱗はいろんなところで表れているように見えます

たとえば、これ↓

http://ponky.blogtribe.org/entry-f6565ab11311a2b9c779c1cc99288cd2.html

回転ドア事件をめぐって、極東さんとどっかの人の争いを外部
から見てる人のようですが...

みずから「大衆」を着てるんですね

それはいいんですが・・・・・・なんつーか、「にごった水が好きな人もいるんだなぁ..」って感じです

あまり、「自分自身の責任」とか「自分ができること」とか考えたくない人なんでしょうけど...

とりあえず、そういうのがいまの社会(一部)の流れみたいな気がします

投稿: m_um_u | 2004年3月31日 (水) 11時12分

えっ、なんですか、これは!ああ、いかんここで私がぶちきれちゃいけないんしょうけど、このPONYさんと南無さんのコメントはいったいなんなんでしょう。ブログってそもそも二次情報じゃあないですか。事実またはニュースがあって、それを個人個人がどう受け止めるか解釈するかだと思います。何かいいたいことがあるならなぜちゃんとコメントなり、トラックバックなりして正面からfinalventさんにあたらないんでしょうか?マッチポンプのように無責任な記事を書き、横からにやにや眺めているのが許せません...て、ここでいきまいているなら、ご本人たちのところへいって議論してくるべきなのでしょうか。もうすこし時間おいて再度考えます。

投稿: ひでき | 2004年3月31日 (水) 12時10分

成熟社会についてどうも誤解を与えてしまっているようなので、補足します。私がその若者だと思います。
経済発展は技術が一定であるならば、資源の投入こそが大きな鍵になります。中国の経済成長が急激なのは新しい急激な資源投入の集中があるからです。
日本はすでに資源投入の集中をいくらしても、その労働投入量に対しての経済成長は微々たる物なのです。
私は決して安易に政治を批判しているわけでも落胆しているわけでもなく、何かを変えたくないと思っているわけでもないです。
政治が出来ることは大雑把に言ってしまうと配分であると考えています。成熟した国での配分の議論は配分で生じるコストに比べればそこから得られる経済成長は微々たる物であると考えています。
必要なのは先進国(敢えて成熟した国ですか)らしい技術革新であるというです。
成熟した国で技術革新を起こすことは並大抵のことではできないです。
何かを発言していればとか、政治に興味を持てば世の中が変わるなんていっていても、技術革新に直接にインパクトを与えうることが出来なければ、この国の根っこにある停滞を払拭することは出来ないと革新しています。
私はそのためリスクをとり、会社をやめ、技術革新にインパクトを与えられそうな経営者を支援しています。
もしかすると新しい雇用が生まれるかもしれないビジネスモデルを作り、100万人でも200万人でも僕が生み出したビジネスモデルで雇用が生み出せないものかと日々試行錯誤を繰り返している。もし、政治が十分に国の負債を返済しながら、雇用を生み出すような政策があったらやってくれという感じだ。そんなことが出来ないから、成熟した社会はどの国も政治はふらふらしているのだと思う。
あえて言うと、私は政治家や官僚と呼ばれる人たちに直接インパクトを与えられる立場でもあるので、別に政治にさめているわけでもない。僕が作ったビジネスモデルを邪魔しないで欲しいという思いで付き合っているし、私の話にはよく耳を傾けてくれている。
私も彼と昔は同じような感覚を持っていたなんて簡単に言わないでいただきたいと思う。
私は命を懸けてこの国の停滞感を払拭しようと思っている。

投稿: 樋口 | 2004年4月 7日 (水) 01時31分

樋口さん、

こんばんわ。そして、いらっしゃいませ。いつかここへきてくださると思っていました。樋口さんが行動していらっしゃることは、目の前にしているので、まったくそのとおりだと思います。経済的な因果、現象としては、技術的な移転のスピードがますます加速している今、資源の投入が経済成長を決めるという話もそのとおりだと思います。日本にたりないのも、実は広い意味での資源の投入が足りないからだと言うのも賛成です。まあただ純粋に経済学的な知見で、現在の国際競争力、経済成長の問題が切れるかと言うと100%そうとはいいきれず、生産力としての国民性とか国家の信用力といった問題は残るとは思います。そういう中で、日本らしい技術革新、あらたな企業と雇用の創出というのが多分再度日本らしい成長の路線に入る唯一の道だと思います、はい。

ただ、それでも申し上げておきたいのは、ここで政治への参加という時、まさに分配こそを問題にしており、いまこそいままでの戦後政治とは違う「分配」が必要なのに、それを変えることを主張すべき人たちが政治とあまりにかかわっていないということに、私は問題意識をもっています。このままでは、次の世代へつながる「分配」がなされずに、日本の持ついろいろな意味での基盤が失われてしまうことを恐れます。

そう、そうはいっても、最終的には自分の行動です。多分、自分が言いたかった政治への参加というのも、ここでキーボードを打っている事でなく、樋口さんといっしょにやらせていただいているような、新しい価値の創造を自分で行動していくことこそが、政治という「分配」の問題の解決に自分が参加し、変化を要求することだという結論は、まったく樋口さんといっしょだと思います。

そうそう、そういう意味でも今日とてもおもしろい人と会いました。また、それは別の機会にご報告しますね。

投稿: ひでき | 2004年4月 7日 (水) 03時43分

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