[書評]マンガ日本の歴史43巻 明治の一揆
マンガ日本の歴史43巻 「ざんぎり頭で文明開化」 石ノ森章太郎
書評というほどのものには、とてもなりそうにないが、感想を書きたい。
歴史を見る時、レンズをどこにあわせるかがとても大事だ。遠い過去のことほどいくら拡大しても、望遠鏡でみるように、概略的、概括的なものならざるを得ない。近くなればなるほど、レンズは近接の、それこそ顕微鏡のような、こまかい細部を見るようになりがちである。自分の不勉強をあきらかにするだけかもしれないが、石ノ森章太郎の明治政府のはじまりを書いたこの作品は、とてもちょうどよい倍率で、焦点を結んでいるように思われる。これまで読んだ明治をあつかったどの本よりも全体の流れをクリアーにイメージできた。
そもそも、倒幕から明治政府が確立している時期に、なにか新しい政策がうちだされるたびに、一揆がこれだけおこっていることと頭の中で連動できていなかった。そういえば、教科書で読んだような気がする程度だ。たかだが、100年前の我らの父祖がこれだけ血気盛んだったとはイメージできていなかった。本当に薄氷を踏む思いで、明治の元老は文明開化を進めたに違いない。日本も中央集権国家が定着するまでには、かなりの血がながされたのだと理解した。
大体、これだけ中央集権がすすんでしまった現代からは、とてもとても廃藩置県の重さとかは理解できない。実は、日本は事実上戦国大名以来明治維新まで地方分権国家あるいは小国乱立の国だった。だからこそ、ビスマルクのプロシアに共感をもったのだろう。ついこの間まで諸侯の乱立する後進国が、フランスをくだすまでの国に変化したのだから、日本もこれにならおうとするのは、心情的によくわかる。
それと、大久保にしろ西郷にしろ、あるいは後の伊藤博文にしろ、みな年齢が若い。いまの自分と対して変わらない。まだ、人生50年の時代だったのだろうか?現代の我々は、健康で40代をむかえられるにもかかわらずその成し遂げたこと、その意気の高低において、とてもとても比べものにならない。死ととなりあわせであった覚悟の違いなのか?
こうしたことをかなりのスピードをもって概観できる、マンガというのは実に便利だと改めて感じた。まあ、自分の無知をさらけだしているだけだという話でもあるが...
若干、問題意識として、藩籍奉還、廃藩置県と、今政府手動で行われている市町村合併、道州制が重なるように感じた。これはまた探求していきたい問題だ。
<参照記事>
・[書評]歴史劇画大宰相
・[書評]太平洋戦争
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