世の中狭い
世の中、せまい。最近、実感している。
この前打ち合わせをしていた金融機関の方が、同じ小学校、中学校だった。しかも、いまの私の同僚と同学年で友達だった。
この前乗っていた電車が駅に停まって扉があいたら、高校、大学の同級生が子供2人の手を引いてたっていた。10数年ぶりだった。
その電車のホームであった同級生と、連絡先を交換して別れた。その後、予定を打ち合わせてもうひとりの高校、大学の同級生と3人で食事会をした。その時、同じ学部のある先輩の話になってもりあがった。その2週間後、地下鉄の乗り換えでホームを歩いているとその先輩がたっていた。「○○○さん!」と思わず叫んでしまった。
また、別な機会に電車にのっていて、最初はその車両が混んでいて気がつかなかったのだが、終点近くですいてきて気がついたら、隣に座っていらっしゃったのは知人のご両親で、私もよく存じ上げている方だった。ごあいさつして話し始めて、その時の会話で初めてその息子である知人と、私の会社の同僚の奥さんがおさななじみだということが判明した。
もいっこくらい話しても槍はとんでこないかな。ある仕事を大学の友人に依頼した。その友人は、私の依頼とは全く無関係に、ちょうど同時に日本の全然反対側に近いところの方の紹介で、私の依頼と似たような依頼を受けた。しかし、その依頼をしたのが、私といっしょに仕事をしている人間だとわかったときは、びっくりした。友人からのメールで、その人間のことの問い合わせがいきなりきたときは、よく理解できず、私が友人にその人間をいつのまにか紹介していたのかなくらいに思っていたら、大間違い。偶然というのは恐ろしい。
こういうとりとめもないことばかりなのだが、きっと世の中狭い。あ、そうそう米国にいたときにワシントンD.C.で知り合ったタイ人にディズニーワールドの売店であったりもした。これは昔の話だが。こういう類の現象を仮に「友達の友達は友達だ現象」と名づけよう。なぜか知らないが、この類の話は私の周りで枚挙にいとまがない。しかし、これは決して私の顔がひろからとかではない。
大学の授業で、世間の狭さという話題があった。アメリカの東海岸に住むある一人の人にむけて、無作為に選んだ西海岸に住む3000人の人たちから、「その人を知っていそうな人に手紙を出してください。」とやった。そのまた手紙を受け取る人に同様の依頼をしてもらった。かなりの手紙は、到達しなかったが、到着した手紙はだいたい4人から6人の知り合いのつながりでつながったいう。これの実験をパクった、チェーンメールが発生したので、ご存じの方も多いのだろう。でも、これは最初はれっきとした社会心理学の実験だった。
たぶん、多い少ないはあっても生涯で学校から職場から家庭のつながりから、考えればきっと一人ずつ少なくとも1000人はつながりがある人がいると思う。義務教育から高校までの、12年間で1年40人ずつ新しい人間と知り合ったとして480人、就職してからいま30代として15年間に40人で600人、合わせればかるく1000人を越す。当然いろいろな集団でおつきあいしているので、お互いに知り合いでない知人を100人自分の生涯の知人の中から選べたと仮定する。小学校の各学年で一人とか、学生時代の倶楽部活動から一人、職場の代表でひとり、よく話をする飲み屋のお姉さんからひとり...などなど、お互いに多分知らないであろう知人たちがいたと仮定する。そしてまた、選んだ同級生から同僚、友達とかそれぞれが、またお互いに知り合いでない知人を100人ずつもっていると仮定する。そうすると知り合いの知り合いで100人×100人で1万人、そのまた友達の友達だとすると100人×100人×100人×100人でちょうど1億人になる。実際は、人の流動性というのはそんなに多くないし、日本全国をまたにかけて動いているわけでもないから、もうすこしタブっているだろう。でも、感覚的に人口が2億6千万人あまりのアメリカでも、西海岸から東海岸への手紙のつながりではないが、4人か5人くらいでつながる理由がイメージできる。*1
これは本当に思考実験にすぎないが、かなりの確率で友達の友達は友達だ!ということが数学的に説明できるに違いない。実際には、日本の人口の流動性はあまり高くないので、関東地方とか、関西とかでもっと小さく閉じてしまうに違いない。逆に1000人の知り合いのうち、お互いに知らない100人なんて選べないとするなら、きっともっともっと人間関係が密だということなので、ぐっと「友達の友達は友達だ現象」が頻繁に起こりやすい地域社会の中で暮らしているということに違いない。
まして、このネット時代!ブログですでに何万人もの人がサイトをひらいているという。この前はてなアンテナをつかってみたら、よく巡回させていただいている個人の方を数えただけでも、30人くらいはいた。ネット上での知り合いというのをどう定義するかという問題はあるが、そもそもブログをやっていたり、頻繁にネットで発言する人は少ないはずなので、もっともっと人間関係は密になっているといっていいのではないか?
と、いうことでながなが「友達の友達は友達現象」について書いてしまったが、実は書きたかったのは、日本はそんなに広くないよ、周りにいるのが他人ばかりだから、勝手なことばっかやって、他人ばかりの社会にかかわりをもたなくていいいよ、なんて考えないほうがいい、ということを言いたいばかりにこんなになってしまった。頭を使って記事を書くと、全然収束してこないという典型みたいな記事だね、こりゃ...
そうそう、もし私が人よりもこうした「友達の友達は友達現象」に会う機会が多いのだとすれば、それはきっと私がお会いした方々に根掘り葉掘りいろいろ聞いてしまうクセがあるからだろう。もし、いまあなたが明日会う初対面の人に根掘り葉掘り人間関係を聞いていけば、多分50%くらいの確立で共通の知人が出てくる、そういう結論だ。
■注
*1
数学的に考え始めるときっとどっかおかしいのだとは思う。今日の午後いっぱい、エクセルをながめながらこの問題を考えたが、答えがでない。一応、お互いに「素」というか「疎」というか、そういう100人を選べるという仮定に基づいて上記の計算は成り立っている。実際に自分の経験を思い返すと、人と知り合うときにその人と共有する集団単位で知り合うことのほうが多い。クラス全員とか、会社の同じ部の同僚とか、ある程度の集団単位で知り合うことのほうが多い。それに、ループバックと呼んだらよいのか、幾何級数的に増えていく前に、さかのぼって知り合いだったというケースがかなり増えていくように思う。日本の人口1億2千万人余りを超えるはるか手前で、「友達の友達は友達だ現象」が頻繁に起こるに違いない。お互いに「素」という仮定に反して、自分の知人の大半を知っているけど、自分とは知り合いでないという人もいるかもしれない。たぶん、フィボナッチ数みたいなことでこれはもっと厳密に計算可能なのではと思う。うさぎが一度に1つがい子ウサギを産むのでなく、50つがい生むとか仮定してフィボナッチ数の生成みたいなことをすれば、きっともうちょっと厳密に求められそうな気がする。
■参照リンク
・EPR相関は相対論に矛盾するか? by Nobuo YOSHIDAさん @ 「科学の回廊」
・「フィボナッチ数を極める」 honmaさん
・ソーシャルネットワーキング記念日 by kohさん
・インターネットは「狭い世界」を検証できるか @ hotwired (あんまり再実験はうまくいってないみたい。)
■追記 (平成16年5月10日)
グリーに入ってしまった。まだ、6次の隔たりは実感できない。しかし、おびただしい数の人がネットの上でつながりあっていることをヴィジュアルに感じられるのは大きいように感じる。グリーの語源が「6次のつながり」(Six Degrees of Separations)からきているということをはじめて知った。思うに、相互作用というものは、もともとリニアなものではないので、統計的に実証的ないものなのかもしれない。
グリーで今日現在のネットワークの状況というのがあった。平均すると、一人平均6.6人のリンクということだ。これを多いとみるのか、少ないと見るのかまだ判断がつかない。
・ネットワークへの参加者数 21,862人 ・参加者間のリンクの総数 145,834リンク
■追記 平成16年12月11日
「友達の友達は友達だ現象」の数学的証明をゴールドマインさんがやってくださった。すばらしい!
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コメント
あ・「ピンポーン!」って感じです。
「友達の友達・・」
これはネットワーク系では「6次の隔たり」と呼ばれているものです
内容としては、
<弱い関係線で結ばれているとしても、6次の隔たりまで辿れば、全部の人が繋がっている>
ってものです
※友達関係=一次の隔たり、友達の友達関係=2次の隔たり
バラバシの「新ネットワーク思考」を読むことをお薦めします m(_ _)m
投稿: m_um_u | 2004年3月22日 (月) 22時02分
「新ネットワーク思考」っていまアマゾンで見てきましたが、おもしろそうですね。とりあえずカートにいれてしまいました。
以前、「知識はいらない」とか書いたような記憶がありますが、最近ブログからみの読書が増えている...もんだいだぁ。
投稿: ひでき | 2004年3月22日 (月) 22時16分
ああ・・量が多くなってくると大変ですからねぇ・・。
そういうわけで、ひできさんも概念地図法、やってみますか?
理念としてはこんなので・・
http://www.hotwired.co.jp/news/news/technology/story/20010221303.html
ツールとしてはこんなのです(iEdit)
http://homepage3.nifty.com/kondoumh/software/index.html
利点として:
(1)わかんないことでも、区切って理解していける(分析できる)ので、分かり易くなる(感じがする)
(2)自分の認識マップを体系的に図示・再構成・保存などができる
(3)検索がかけれる(全文)―自分だけの辞書・事典ができる
いちお・・ご参考に m(_ _)m
投稿: m_um_u | 2004年3月23日 (火) 05時13分
ユングが「狂わないために曼荼羅を描いた」って言ってたように・・
http://www.kanshin.com/index.php3?mode=keyword&id=279265
ぼくもこれがあったので大丈夫だったような気がします..
投稿: m_um_u | 2004年3月23日 (火) 05時19分
ユングはユングでおもしろいですよね。どうもですねぇ、論文を読んでいる限りすけべ爺として思えないフロイトの方が実生活では、よき夫であり、よき父であったのに対して、ユングの方は、愛人が常にいて家庭もほとんど崩壊状態だったとか...マンダラを造ったり、建築をしたり、論文を書いたり、愛人とつきあったりと、出口がないとエネルギーのはけ口にこまるような方だったのでしょうね。ユング自伝はかなり楽しんで読みました。再読してみたいですね。
投稿: ひでき | 2004年3月23日 (火) 09時18分
こんばんは。
距離とか年代とか考えると、ひできさんとの共通の知人って発生率高そうですねぇ。(笑)
投稿: nim | 2004年3月25日 (木) 03時34分
いやあ、それはいえまくっていますね。じゃあ、さっそくリサーチしてみましょうか?(笑)
ぜひ、一度お会いした時にじっくり共通の知人探しをしてみましょう。
投稿: ひでき | 2004年3月25日 (木) 09時11分
m_um_uさん、
いやあ、やばいっす。はまっちゃいました、iEdit...今日半日大して仕事もせずに自分のサイトのまとめをhttp://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/hpodirectionsvg/hpo.svg">「HPOの方向性」という形で作りました。見れますか?
投稿: ひでき | 2004年3月25日 (木) 18時04分
あ・バッチりっすσ(^^;
それにしてもこれは・・いっぱいありますねぇ(笑)
あとは、それぞれのノード系(○・丸い四角・四角)に、それぞれ、自分なりの意味づけをしたりとか・・
色事に重要度をわけたりとか・・
太い線と太文字(でか文字)とか使いこなしたりするといい感じになると思いますよ
っつーか、やっぱ興味被りますねぇ...
ゲドとかハイぺリオンとか・・
あと、欧米のマーケとか・・
あと、blogの可能性・方向性などですね..
いや、楽しみです (*^-^*)
投稿: m_um_u | 2004年3月25日 (木) 20時49分
ちょっと、「iEditつながり」って感じでトラバってみました
(あまり意味ないけど・・(^^;))
投稿: m_um_u | 2004年3月25日 (木) 20時54分
えへ、...iEdit便利ですね。
一回、自分のブログの記事の総まとめをKJ法ライクに紙と模造紙でやろうかなと思っていたんですね。ちょうどよい時期に、よい道具をご紹介いただきました。
一応、さくっとGoogleあたりで「HPO」とあわせてキーワード検索でもしていただけると、それぞれのタグの題名の本ブログ内の記事がでてくるはずです。興味をもっていただいたところをお読みいただければうれしいです。
投稿: ひでき | 2004年3月25日 (木) 21時04分
ユングと曼荼羅がつながっていたとはびっくりしました。ユングってすごい人なんですね。
もともと心理学っぽいことと宗教って同じようなことを違う言葉で語っているんだなあとは思っていましたが。
私も偶然人間関係がつながっちゃうっていうのが続出でびっくりしてたのですが、世の中って同じ趣向、同じような価値観の人間が寄り集まるような感じにできてるから、そういう意味では世界が狭くなってるのかなと思ったりはしますが、同じ小学校とかはその限りではないので、やはり不思議ですね。
投稿: Hiroette | 2004年5月21日 (金) 14時33分
Hiroetteさん、こんにちわ、
ええ、ほんとうです。あまりの狭さにムンクの「叫び」状態です。ああ、本当に狭いですね。びっくりしています。
投稿: ひでき | 2004年5月21日 (金) 15時42分