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2004年3月30日 (火)

[書評]バガー・ヴァンスの伝説 小説版

先日、この映画版についてコメントした。映画を見て本当に感動した。自分のもとめているなにかが語られているのだと感じた。しかし、映画とネットでちょこっと調べただけでは、どうも十分に理解できなかったので、翻訳本だが映画の原作を読んだ。

本書「バガー・ヴァンスの伝説」を読んでみて、これは映画と小説が全く別物であるという好例であることがわかった。以前、「ナインス・ゲート」を読んで、映画では物語の半分しか語られていなかったということを発見したときも驚愕したが、今回はそれ以上の驚きがあった。映画はどこまで行ってもゴルフの映画だが、小説の方は精神世界に深く分け入っている内容だった。

実は、小説版はもうそのまま「バガヴァット・ギータ」だったのだ。冒頭に引用されているとか、ネットで見かけてことを前回そのまま書いてしまったが、とんでもない。全体のストーリー構成から、名前までみんな「ギータ」だ。ウィル・スミス演じるバガー・ヴァンスという名前も多分バガヴァットのもじり、ギータの中でクリシュナが語りかけるアルジュナ王子から多分マット・デイモン演じるジュナの名前がきている。映画のセリフで"field"という言葉が、ゴルフコースのことだとして翻訳されていたが、これは「フィールド」という完全に独立の言葉として語られる、小説版のとても大事なキーワードだ。

ストーリーとしても、映画では最初と最後しか姿を見せないジャック・レモンの演じた老年時代のハーディが小説版では大活躍する部分がとてもいい。映画で語られた部分と語られなかった部分のつなぎ役であり、彼なしではそもそもこの物語が成立しない。

では、小説版では一体なにがメッセージとなっているのか?これはかなり難しい問いだ。多分、ギータは何を言おうとしているのかという問いに答えられなければならないのだろう。あくまで自分に残った言葉で語りたい。それは、人生で一番大切なのは、グリップであるということだ。本書を読んで、頭でなく、自分の手こそが考え、語り、行動するのだ、と感じた。

<参照>
「バガヴァッド・ギーター」 in インド哲学へのいざない
・映画版「バガー・ヴァンスの伝説」

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コメント

バガー・ヴァンス、まだ観てもいないし読んでもいないんです。
ちょうど手持ちの本も読み終えたので、映画を観た後に読んでみますね。
映画と言えば、今日、ドックヴィルという映画を観てきました。友人曰く壮大な心理学の実験と評していたこの映画、正直、非常にショックな映画です。人間の嫌な行動や心理をまざまざと見せ付けられてとても嫌な気分になります。しかし、映画として非常に良く出来ていて3時間と言う長編にも関わらず途中から息もつけずに画面を観入っていました。とても嫌な気分になるという事を前置きしながら勧めるのもどうかと思いますが、映画好きとして是非お勧めします。
文句無くここ数年で一番衝撃を受けた映画です。

投稿: nim | 2004年3月31日 (水) 00時31分

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バガー・ヴァンスの伝説〈特別編〉 ジュナ(マット・デイモン)は地元ジョージア州サバナで名を馳せた天才ゴルファーだったが、第一次世界大戦で心に傷を受け、酒に浸り堕落した隠居生活を送るようになっていた。大恐慌が訪れた1931年、もと富豪でジュナのかつての恋人アデール(シャーリズ・セロン)は、町の利益のためトップ・ゴルファーのジョーンズ(ジョエル・グレッチ)とヘーゲン(ブルース・マックギル)をサバナに招いてのエキジビジョン・マッチを企画する。町の有力者から地元の選手も出場させたほうが盛り上がる...... [続きを読む]

受信: 2005年10月16日 (日) 19時52分

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