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2004年3月 9日 (火)

政治不信

nimさんから「景気、消費税、そして生活の楽しみに関するメモ」について、コメントをいただいた。私の政治家への不信感についてきちんとまとめるべきだと思い、この記事を書き始めた。

これまで、日本国憲法の問題、公務員の問題等について、私見を明らかにしてきたが、政治家については、書かなかった。ああ、これ以上敵を作りたくないし、ひとつまちがうと、ひとつまちがってしまうからだ。でも、ここでまとめておかないと自分の意志を表明する機会を失ってしまいそうなので書いてしまおう。そうそう、それにちょうど極東ブログさんが地方の行政について書いていらっしゃるのにも勇気づけられたし...

私はどちらかというと「地方」に属する地域に住んでいる。すると、なにかと周りが選挙だの、その後の仕事の分配などでさわがしい。要は、政治にかかわる利権があまりにあからさまなのだ。選挙の結果が意味するのは、地方政治家の政策に関わる公共事業や、公共財のやりとりばかりでない、たとえば地方の役所はありとあらゆる物品やサービスの購入者であり、需要家であり、地域の大きな雇用者でもある。結構、町や村で最大の雇用者は役場という地域も少なくないのではないだろうか?いずれにせよ、地方自治体の首長の選挙というものは、個人商店の明日の売上から商店主の息子の就職先までを左右するものなのだ。

そういう環境にならされていると、どうも政治家というのが生臭くみえて仕方がない。政治家を尊敬しようという気にもなれない。ある政治家が私に語った。「選挙をやって負けたことがないのが自分の自慢だ。」私は、彼がいい意味でも悪い意味でも面倒見がよく、ありとあらゆる会合でのあいさつがうまく、ぬけめなく常に状況の変化に対応してきたのを見てきた。しかし、彼の政治のポリシーというのをそういえば聞いたことは一度もない、ないと思う。日本をこう変えたい、地方をこうしたい、という話を利権のバックグラウンドとの関連なしで発表しているのを知らない。

本当に、日本はまだちょんまげをゆって、「大黒屋、おぬしもわるよのぉ」、「いやいや、御代官さまこそ...」などとやっていた時代から全く変っていない!「公共の福祉」に対して一人一人がコミットメントするという意思なぞ存在しない。地方の政治家も、そこに住んでいる人全体のための政治というのは全く行っていない。特定の個人、特定の団体のための政治家、政治というのはあるかもしれない。自分と自分の支持者の利益が常に優先されるというのが、いまも昔も地方の政治の形であると身にしみて感じている。

ああ、なんかこれ以上かくと本当に槍が飛んできそうなんだけどな...ああ、ああ、ほんとーにここまで書いたこともこれから書くことも私に関係する団体とも私以外のいかなる個人とも全く関係のないことだと、改めて注記しておかねればならないのだろうか...

政治家は政治家でいろいろな言い分があるのだろう。常に選挙で成功をおさめていなければいけない状況にあるというものわかる。一度でも選挙に落選したら、二度と立ち上がれない状況にある政治家も多いのだろう。特にこの国では、政治家から一般人までこまねずみのように常にぐるぐる忙しく車輪をまわしつづけなければいけない状況にはめられている。このような社会の中では、人々はひとつのことだけをじっくり地道にやり続けるというとこができない。地道な活動というのは、現代では多数派から脱落を意味するように感じる、感じざるを得ない。寄らば大樹の陰というこの国では、大樹の陰から脱落してしまうかもしれないという恐怖心がすべてを支配している。政治家もとにかく忙しくしていなければ、輪をまわしつづけていなければ、明日同じ席にすわりつづけることができないという恐怖心にかられているのだろう。

そういえば、またどこかの党の政治家が公設秘書の給与の流用疑惑が出ていた。これもまたこまねずみの輪なのだと思う。

ああ、もうひとつだけ。地方の政治も、地方の政治すらも、もうバックグランドがなければ、選挙に勝てない状況にあるように感じる。正確な額は知らないが、市議会議員だといくらかかる、首長選だといくらかかるという相場があるそうだ。いずれも少なくとも我々の世代の個人で負担することはかなり難しい金額だ。自分の貯金はそんなにないし、借入するにもなけなしの資産はローンの抵当だのでいっぱいいっぱいだ、どこかの誰かのように応援してくれる団体もあるわけでない...そんな感じだろう。

こんなことを書き連ねていると現在の「個人の利権にさとく、公益にうとく、選挙にかつことだけを考えている地方の政治家」という姿が見えて来はしないか?しかも、彼らのまわりにはガラスの壁がはってあって、「志のみ持参」という人では入っていくことができない。

ただ、こうした政治家のていたらくの反対側には、大多数の日本国民の政治へのコミットメントのなさ、関心のなさがあるということはまた事実だろう。ああ、愚痴っているばかりでなく、すこし自分自身の地方政治へのかかわり方を考え直すべきなのかもしれない、と思えてきた。これがnimさんへの答えになるだろうか?

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コメント

久しぶりにこうしたじっくりとした文章を読みました。私は毎日これと似たようなことを考えているので、本当に興味深いです。

さて私はやはり国民が【自己中】なんだ、と感じます。政治家というのは国民の生活を運営するための代表者ですから、国民自身のものでしょう?だったら彼らが活動しやすいようにしてあげる。そして彼らをアイテムにする。「支援と利用」だとおもうんです。

具体的に言うと、例えば「選挙で金がかかる」⇒「企業献金などに頼って金を工面しながら、公約はさておいて必死に勝負する」という問題。政治家の「利権」と捉えるのではなく「苦肉の策」と考えるのです。国民はまず政治家の苦難を取り除き、その恩を返せよ、と更なる身近な問題を要求していく。そうすれば企業に有益な今の政策は、国民本意に転換されていく。

ところが我々は目の前のことしか考えないから、自分の生活のことしか文句を言わない。国民の政治における代表者の境遇は放置する。政治家達は頼れるものを探し、汚れてでも依存する。これが現状だと思います。

随分理想主義かもしれませんが、「政治家のためにしてやること」を考える必要もあると思います。

投稿: 喜多ロー | 2004年3月 9日 (火) 22時43分

nimです。

政治家に対する不信、心して読ませて頂きました。なにかこの文章を書かれるにあたっても、大分まわりへの影響がありそうな感じですが、それをおしてエントリーしてくださった事にまずはお礼申し上げます。(なんか、僕なんかの為にご迷惑かけちゃったりするととんでもないなぁと心配してます。)
さて、上で喜多ローさんも書かれていますが、私も政治家が自分の支援者の為の代弁者にならざるを得ないのは、ある程度致し方ないと考えています。政治に限らず、団体というものの代表は、その構成員の利益の代弁者であるのは変わらないと考えています。また、ひできさんが仰る様に政治に現実として金がかかる以上、ある程度白濁合わせて飲み込まざるを得ない実情もあるのでしょう。そうした中で代表である政治家が団体の利益の追求をしている限り、それはある部分の国民の声を政治に反映していると言えなくもない訳で、意見の異なるいくつかの団体の長である政治家が複数で物事を決めて行くのが政治という事なのでしょう。
ただ、これに対して自分の政治力を売り物に、資金だけ集める事を目的としている言わば政治屋的な存在というのも、事実として存在するのでしょうし、ひできさんが失望されているのは、政治屋があまりに生臭く目についてしまうという事では無いかと考えています。
反面、これに対する国民(私も含めて)の政治に対するコミットというのが希薄なのも確かで、これが最大の問題だというのも同認識ですが、結局、政治に関わる糸口というようなモノが個人からは見いだせないというのが、その最大の原因なのかもしれないと思います。
つまり、どの政治家をみても同じ様にしか見えないという現状のなかで政治とコミュニケーションを取る手段というものが無いという事が希薄な感情を助長しているのでは無いかと言う事なのですが、ここに来て、これももしかしたら変わって行くのかもしれないという微かな期待も持っています。
というのも、その中心になるのはやはりインターネットなのですが、ネットの発達によって、誰でもが発言者たりえ、また、世代や環境を超えてコミュニケーションが取れる世の中が現実になっている今、政治との垣根を取り除くものとしてのインターネットは非常に重要では無いかと思っているわけです。
現実に、政治家の中にもblogで発言される方も出て来ていますし、例えば経済界ではhttp://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/">木村 剛さんなどの様にコミュニケーションを取る方も増えて来ています。こうした所から、少しづつ政治や経済が変わって行くのでは無いかと思っているのですが、どう思われます?
すっごい長文になってしまいました。申し訳ありません。

投稿: nim | 2004年3月10日 (水) 08時19分

喜多ローさん、

コメントありがとうございます。とてもうれしいです。私も「こういうことを毎日考えている」タイプの人間です。

政治家の姿勢についてですが、あんまり仕組みで解決するものでもないかなというのが、私の感想です。どんなによいシステムでも必ず悪用する人はいますので、virtueという英語の単語があります。「美徳」とか日本語で訳される単語ですが、この元はラテン語のvirtusが語源で、「勇敢な行為」とか「力」とか訳される単語だそうです。政治家のもっていなければならないのは、このラテン語の方の徳=力なのかなと感じております。ああ...まとまりません。稿をあらためます...

投稿: ひでき | 2004年3月10日 (水) 17時42分

nimさん、

ありがとうございます。まあ...大丈夫です。ご本人以外には、誰がいったか分からないと思いますので...

もっといろいろ書きたいのですが、いまは出かけなければならないので、まずはコメントへの御礼まで!これは結構掘り下げたくなる内容ですね!

投稿: ひでき | 2004年3月10日 (水) 17時45分

nimさん、

あんまりまとまらないので恥ずかしいですが、少し書きました。文中でコメントを引用させていただいたり、nimさんのサイトへのリンクを張っていたりします。もしご不快ならいつでも削除します。

ひでき

投稿: ひでき | 2004年3月13日 (土) 19時55分

いえいえ、不快なんてとんでも無いです。こちらこそ、コメントとはとても呼べない大量の書き込みを素材にしていただいて恐縮しちゃっております。ひできさんのところからうちのblogに飛んで来た人は、あんまりに気の抜けたサイトなんで拍子抜けしちゃってるんじゃ無いかと内心申し訳ない思いがしきり。
さて、今回のインターネットと政治ですが、今度のレス(?)は、そんな事もあって当blog上にエントリしようと思っております。エントリしたらご一報しますね。

投稿: nim | 2004年3月15日 (月) 18時01分

政治家えの不信というより、日本が、国家として、体をなしていない。幕末へ帰ってもう一度やり直そう。いやー、江戸幕府のほうが、よかった。平民は、いつの世も,代わりばいせず。官僚は、所詮腐るもの。廃藩置県がそもそも間違いのもと。廃県置州を、急がねば。これで、議員も、公務員も、一気に減らせる。税収48兆の3分の2が人件費に消えるなんて、馬鹿のすること。みんなで、真剣に、考えよう。州政府にすると、県議会廃止で、県の職員もいらなくなる。12-13州の案が出ているが、九州、北海道、本州は、5州に割って、計7州で十分。東京は、青森と、大阪は、四国と、組ませる。州政府議員は50人程度。7州で計350人。国会議員は、1院政にして、議員数150人。職業議員計500人。市議会、町議会はボランティアで行う。自衛隊は、軍隊でもないのに、25万も抱えてどうするのか?オーストラリアは、軍隊で5万、軍事費約9千億。日本はその6倍近い5兆円。大バカだよ。正真正銘の、改革を、せな。みんなでかんがえよう。

投稿: ジャンゴ | 2008年10月 3日 (金) 00時09分

ジャンゴさん、おはようございます、

コメントありがとうございます。

かなり同感なんですが、最近もし州に分けたらいままでの地方公務員の方々が職員としてはメインになられるのかなとか思い、ほんとうに州にしたときに実情に応じた機動的な動きを行政ができるようになるのかなと思っています。

木下敏之さんという若くして佐賀市長をされた方からお聞きしたのですが、市役所では勤務評定、人事評価ってされていないのだそうです。要は労働組合がそれをゆるさないのだそうで、人を評価しないで組織の生産性を高める方向には絶対に行かないのではないかと思いました。

投稿: ひでき | 2008年10月 3日 (金) 08時19分

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