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2004年3月13日 (土)

人口、世代、そして闘争へ

普通、「人口問題」というと国連などで議論される分には、人口が増えすぎて貧困や文盲を生んで困るという問題であろう。日本の場合は逆。減っていく人口の中でどう生きて行くべきなのだろうかという問題。もしかすると贅沢な悩みなのかもしれない。

この問題を、「未来への希望」という記事で考えてみた。日本の人口の推移の予想を、かなり稚拙であるが、年齢別の死亡率、年齢別の出生率をかなり仮定したが、シュミレーションしてみた。2002年推計ではあるが、年齢階層別の男女の人口データはきちんとした統計に準じている。エクセルの計算式だけでだらだら作ったので、きちんとしたわかりやすいプログラムにそのうちしたいと思っている。

このシュミレーションをながめてみて、ふと気づいたのだが、年齢別の人口分布を数えると大体今の40歳才の階層がちょうど中央値になっている。平均ではなく、上から数えても下から数えてもちょうど同数になる年齢階層だということだ。私は、昭和41年生まれで今年38歳になるので、常に上の世代からへいこら使われる立場にたたされているような気がしてならない。数少ない例外をのぞけば、少し年齢が上の先輩の話を聞いていても、少し年齢が下の後輩の話を聞いていても、同様の感想をもっているように思われる。

ぼくらよりちょっと上の、そう昭和30年代生まれくらいの、団塊の世代の下の世代、がよくいうのは、「ぼくらはおいて行かれた世代だ」ということだ。彼は、1960年代のサイケデリックでモーレツな時代を知らず、安保闘争も1970年で下火になってしまい、それ以後の世代は、「祭り」を知らない村民みたいなものなのだと思っているのだろう。一方、団塊の世代といわれる現在50歳代前後の人たちは、リストラと介護への恐怖に縛られ全然元気がない。

私が見るに、今60歳代の世代〜昭和ヒトケタから昭和10年代前半生まれの人たち〜が、戦後常に日本のトップランナーでありつづけてきたように思う。1960年代のモーレツ時代を、20歳代の青春時代にエンジョイし、途中の中だるみの不確実性の時代をだらだらと経験したが、トップの指導者あるいはそれに準じた地位で「バブル」といわれる昭和の終わりから平成のごく初期の資産拡大の時代の恩恵を得てきた。そして、失われたこの10年には既にフルにもらえる年金で、悠々自適に趣味にあけくれて暮らしていられる。

残念ながら、いまだにこの世代が日本の個人部門の金融資産のかなりの部分を保有していて、消費のキャスティングボードも握っている。この世代の中でいまだに政治や経営の分野で現役でいる人たちは、その下の世代にとってちょっと恐ろしい存在だ。化け物みたいな人も結構いたりする。

決して、この世代がうらやましいというのでない。戦争の影響もかなり受けているし、日本の貧困な時代に子供時代を送っている。今はその努力の正当な成果を受けているだけだともいえる。ただ、問題なのは、戦後形成されたいわば1955年体制を支えてきて、いまもその体制を守るべく過去の成功体験に固執しているのがこの世代だということだ。まあ、もっと問題なのはこの後に続く世代が現実的な解決能力や交渉力にとぼしかったりするという、ごくごくなさけない問題も、日々実感さざるを得ないのだが...能力の問題は、いたって本質的な問題ではあるが、今ここでこれ以上探求しない。

この現在60歳代が象徴するのは、戦中から戦後の初期に形成された指導体制がいまも連綿と続いているという事実だ。これには米軍に当初許容された左翼系の勢力も含まれる。必要があって以前ある会社の戦後の組織図を時系列でながめたことがあった。そこで発見したのは、30年前の部長−課長−係長−担当というピラミッドが社長−専務−常務−取締役部長といった具合に拡大していっただけだとい事実だ。戦後まもなく形成された指導者階層の構造がそのまま昭和後期、平成の安定期の中で拡大再生産を続け、バトンタッチされていっていないという構図が私の頭から離れない。たぶん、この失われた10年の間もその状況は本質的に変化していない。

社会の安定期にはあまり順列をとびこえての出世もなく、下克上もクーデターもない。リーダーは常にリーダーであり、フォロワーは常にフォロワーにならざるを得ない。戦争の前後という不安定な時代には、さまざまな怪人異人が活躍する場があった。しかし、それは戦争、国家総動員体制で固められたままいまだにその呪縛が解けないでいる。

ただ、常に例外はいる。恵まれない環境の中でも、元気のない世代でも、事業を起こし、選挙に常勝し、売上を拡大し、権力を拡大し、大きな組織や派閥を形成していく、非常にまれな才能のある人たちは存在してきた。しかし、全体として本当にリーダーは育ってきたのだろうか?ああ、どうしても個人の指導力の問題はさけてとおれない。しかし、ふたたび表明して置くが、この問題を今回は扱わない。

いままでの日本の国の主役はこの黄金の60歳代の世代とその上の世代に占領されていたように思う。存外、日本の現在の市民の政治への関心のなさというのもこの60歳代というゴールデン世代が政治を独り占めしてきたため、その下の世代が常に無力感をあじわってきたからかもしれない。

本来、私としては、ここで世代間の権力や資産の移譲や、指導権をめぐる世代間の闘争をあおるような発言をしたいのだが、まだ材料が足りないことを、ここまで書いてきて気がついた。

本記事では、こうしたゴールデン世代の支配は、彼らと彼らに追随する団塊の世代の人口の主力を占めているうちには正当性があったが、人口の重心が我々の年代の前後までおりてきている今日においては確実に別の世代間の構造を構築しなければならない、というはなはだ抽象的な結論で一旦閉じたいと思う。

■参照リンク
社会保障審議会年金部会(第26回)
出生率推計の誤り、なぜ? by  アクエリアンさん
ひともすなる年金といふもの (HPO)
年金改悪 (HPO)

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