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2004年4月20日 (火)

まねぶ

たぶん、私の人生はこれまでひとまねの人生だった。こう書いている、このブログ自体がそうだ。失礼になるかもしれないので、あえて名前をあげないが、ほんとうにブログ上の何人かの方々のサイトから文体から、書き方から、スタイルまで、きっとまねをしている。あまりに下手なまねなので、たぶん、その方たちは、「へっ」とか思いながら、笑っていらっしゃるのだろう(ことを希望してます!よろしくお願いします!)。

こんなひとまねもある。最近、ある人の字をまねて書こうとした。漢字とひらがな大きさ、あるいはタテとヨコの線の傾き、文字の太さなど、懸命にまねしようとした。しかし、結果はほんとうにひどいまねになってしまった。一つ一つの線をまねようとすれば、全体のバランスがとれない。全体のながれ見れば、一つ一つの文字は全然似ていない。線をトレースすることで、なんとかその方の行動をトレースしたかったのだが、ものまねなんてそんな結果に終わることばかりだ。

今日、たまたま接することのあった文章で、人への気持ちというのがあった。自分が誰かに会えば、自分のこころに必ずその人が及ぼす感情の影がゆれる。肯定的な気持ちもあるだろう、こんちくしょうという気持ちになることもある、ああそう、その人に近づきたいと感じることもある。それらの感情を素直に認めようというのが、その文章の主題だった。この文章を読んで思い出したのは、エンカウンターグループでよく使われる技法だった。前段にいろいろなエクソサイズがあるのだが、エクソサイズで一定の信頼しあえる関係になって、二人一組になる。そして、一方がいすにすわる。立っている方の一人が、いすにすわっているパートナーを、自分に関係の深い特定のだれかだと思い、こころにあることを吐き出す。次に、逆に、いすに座っている人に自分自身の役になってもらい、自分は今度は自分の思いがある特定の誰かになり、自分に対してその人になったつもりで語りかける。これは、実は誘導の仕方で肯定的なことを引き出すことも、否定的なことを引き出すことも可能なのだが、時におどろくほどの量の感情が湧出される。そんあエクソサイズを思い出して、涙が出そうになった。

まねをするということは、このエンカウンターグループの技法のように、自分と縁のある、ある特定の人を表現することではないだろうか?その人自身になりきって、言葉をはく、こころをはく、行動する。ストレートにその人を、あるいは自分自身を、まねして表現しえたとき、自分はその人になれる、あるいは、自分自身になれる、そんな風に感じた。でも、どこまでいってもまねはまねなんだよね。

今日は、誰のまねをしようか?そう、今日は自分自身のまねをしたい。

■参照リンク
「自分とつながる」 by きいのさん
マネをすること by ゴロぉさん

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コメント

どうも、nimです。
【まねる】というのは、独創の基本なのでは無いかと思います。というのも、どんなに独創的なことをしてきた人でもどこかの時点で誰かに憧れ、最初はまねるという行為から物事は始まるのだと思うから。考えれば、人間は生まれた時から誰かのまねをして、それを変化させることで自身になっていくのです。
ただ、重要なのはまねる側の気持ちの問題なんじゃないでしょうか?純粋に憧れる人のエッセンスを自分に取り込みたいという気持ちと誰かを対象にその対象に対してウケたいという言わば正反対の気持ちのベクトル。これが前者であれば、それを続けるうちにいつかは独創が生まれ、後者であれば、何も自分に残す事無く次々と新しいスタイルを模倣するだけで気がつくと自分に何も残らないという事になるのでは無いかと思います。
じゃ、自分はどうなんだというと自信ないんですけどね。書き方自体も気の向くままだし、サイトのデザインも落ち着かないし。(笑)
ただ望むべくは、僕だけの僕になりたいと思います。

投稿: nim | 2004年4月22日 (木) 16時52分

nimさん、こんばんわ、

先日から一日一章くらいのペースで、「14歳からの哲学」を読んでいます。その中に「本物と偽者」という章がありました。なかなか感動してしまったのですが、本物を知るのは本物の人だけだというのです。でも、本物になるのは、難しくない、自分をからっぽにすればよいのだと、池田晶子さんが書いていました。

http://www.transview.co.jp/14/text.htm

自分も、いまはまったくのおおにせものですが、いつかは本物の自分になりたいです。いや、なります!

投稿: ひでき | 2004年4月22日 (木) 20時32分

ひできさん、はじめまして。
トラックバックありがとうございました。
「つながる・の・たまご」の きいのです。

「自分とつながる」って言葉も、実は、ある方が使われていた言葉を真似して、使わせてもらっているものです。
私も真似しながら学ぶことが多い気がします。
字もあったな~。憧れていた人の字を真似しようとしていたことがあったのを思い出しました(^-^)

ところで、ちょっと前に、onoさんのブログでコメントされているのを拝読しました。
池田晶子さんの哲学に仏教に近いものを感じると書かれていて、私は池田さんの著作は読んだことがないのですが、興味を持ちました。この上のコメントで、池田さんの「14歳からの哲学」のリンクを見つけて、喜んでしまいました。とりあえず、リンク先の記事を読んでみようと思います。ありがとうございました。

私は論理的に考えるのが苦手で、難しめの話になるとあまり理解できないことも多いかもしれないのですが、これからちょくちょく読みに来させていただこうと思います。
よろしくお願いします。

投稿: きいの | 2004年5月 5日 (水) 17時59分

きいのさん、

コメントありがとうございます。ようこそいらっしゃいました。

私はたまたまお寺の近くで育ちました。門前の小僧ではありませんが、本当に幼いころから仏教を近しいものと感じておりました。般若心経も小学校で習いました。最近、道元さんの正法眼蔵の現状公案というのも暗記しました。言葉を暗記するということは、ただそれだけのことですし、自分を形にはめるようなことです。それこそ、ただただ「まねる」ことです。しかし、私にとっては、仏教の言葉を素直に感じることは、それだけ自分を解放することにつながっているようです。

こんなことを書いてもいたしかたないことかもしれませんね(笑)。

きいのさんのサイトの言葉を読ませていただき、とてもこころやすまるものを感じております。論理的であることに、実は私はあまり価値を置いておりません。きいのさんのような方に「わかりやすい」と感じていただけるようなブログになるようにしたいです。

今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: ひでき | 2004年5月 5日 (水) 22時00分

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