始まりの戦いと歴史の終り
以下、物語である、おとぎ話である。でも、書きたい。書くことを止められない。
この数日、私の中でいろいろなものがつながりだしている。間違いなく、ブログで書いていることが原因だろう。書いてきた断片が重力をもって、ふりつもり、臨界状態に達しているのを感じる。これまでばらばらに自分の中にでふわふわとただよっていたかけらが、すこしずつすこしずつ、運動をはじめ、つながりだしている。そんな感じがする。
きっかけは何度も書いているようにiEditでマインドマップを作ったことに始まる自分の中の方向性の発見であり、それから、そう、映画版の「バガーヴァンスの伝説」だ。そして、なによりリアルにおいても、ネットにおいても、これらに触れるきっかけをくださった方達がくださったといえる。深く感謝したい。
前置きが長くなった。あつまったかけらの一側面だけでも書き留めておきたい。まずは、戦いの歴史について書きたい。
今、自分の中の核を見ようとすれば、それは、人間の最初の戦いと、戦いから始った人間の歴史が、つながろうとする力が原動力になって進化し、そしてまもなく終わる、という幻視だ。
この幻視をもたらしたのは、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」だ。本書は、本当に名著であるといえる。自分にとっての名著というのは、読んでいるだけで、自分に考えるヒントを与えてくれる本を指す。まだ、上巻しか読んでいなくてあまり知った口をたたいてもいけないが、上巻だけでもかなり広範囲にわたるヒントがあつまった。これらはおいおい書き留めていきたい。
フクヤマの叙述するヘーゲルは、人間の、そして歴史の最初を「認知を求める存在」だと規定する。認知を求める存在というのは、相手に自分を認めさせたいという欲求をもつ存在であるということだ。この認知を希求するこころ、気概というものは、人間が自分の所属する団体の名誉や人々をまとめあげる旗など、単純なものや物質に対する欲望の対象でないもののために、命をも捨てさせる力である。相手に自分を認めさせる、つながるこころである。ヘーゲル=フクヤマによれば、相手に自分を認めさせるということのひとつの形は、相手を支配することだという。支配者と奴隷という関係が認知への欲求のひとつの結果なのだという。従って、人間の歴史は最初は命をかけた戦いに始ったなのだ。
ここでどうしても頭がふわふわしている私が思い出してしまうのは、映画の原作小説の「バガーヴァンスの伝説」に出てくる歴史に先立つ戦いだ。その海岸沿いでの戦いは、神が加勢するほど激しい戦いだったという。その戦いを戦い直しているのが、映画で扱われた部分の1931年のジョージア州で行われたボビー・ジョーンズとウォルター・ヘーゲンと我等がラナルフ・ジョナのゴルフマッチなのだという。映画でゴルフの戦いだけが取り上げられているのは、原作の半分しか語っていないということになる。もっとも、その代わりに映画ではロマンスをすこし加えているが...「バガーヴァンス」がなぜ「バガヴァットギータ」につながるかは、既に書いたので、ここでは書かない。
かくのごくして、私の中で、「歴史の終り」は、「バガーヴァンスの伝説」に重なり、それは「バガヴァットギータ」につながる。そして、その流れはインド神秘主義につながり、仏教の禅につながり、日本に到達する。歴史の始まりから終りまで2万年かけて、私にひとつの風が届いたのを感じる。
■参照リンク
・『歴史の終わり』メモ by (仮称)メモ置き場さん
・仏教がつなぐ日本とインドの知られざる物語・・・「大アジア思想活劇」 by MAOさん
・距離、時間、そして統治と戦争 (HPO)
・「バガーヴァンスの伝説」 (HPO)
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コメント
ちょうど、フラシス・フクヤマの言葉が冒頭に来ている記事をよんでいたところでびっくりしました。
偶然というか、たぶん思考の方法あるいは考えるときのスタイルが非常に近いのかもしれませんね。
びっくりしました。
http://www.theatlantic.com/issues/2004/01/fukuyama.htm
投稿: miyakoda | 2004年4月22日 (木) 21時03分
ランド研究所レポートのリンク先は、あのPdfよりも少し上の方をあけたほうがいいです。ごめんなさい、間違えました。
なお、executive summaryがあるので、それを読むのがいいみたいです。仕事が終わったら私もよんでみます。
ではでは
http://www.rand.org/publications/MR/MR1753/
投稿: miyakoda | 2004年4月22日 (木) 21時28分
ラジャー!
ありがとうございます。今、Summaryと"National Building"の論文の印刷終わりました。これから夕食を食べてから読みます。いやあ、ほんとに楽しいですね。
投稿: ひでき | 2004年4月22日 (木) 21時36分
うぉぉぉぉぉ、こんなところでフクヤマ!
>従って、人間の歴史は最初は命をかけた戦いに始ったなのだ。
このあと、それこそ歴史の終わりという概念は、「認知させたい」という基本的な願望・欲望からどう変容していくのかを書いていますか?
もしできたら、記事にしてくださいませんかm(__)m
投稿: ono | 2004年4月24日 (土) 10時19分
onoさん、
御世話になっております。なんかonoさんのサイトのコメントを掲示板代わりに使わせていただいておりまして、少々恐縮しております。ありがとうございます。
さて、フクヤマですが、実は...まだ下巻を読んでいるところです。まさに、onoさんのご興味の対象が書いてあるあたりですね。もう少々お待ちください。
投稿: ひでき | 2004年4月24日 (土) 22時44分
ここのところ多忙でブログに集中できないのでTBのトレースが疎かになっていました。
この辺りの記事が非常に参考になるのではと勝手に思い込みご連絡いたします。
■日本人および日本の誕生
http://www.kcn.ne.jp/%7Etkia/mjf/mjf-43.html
■「ニッポン」への道---「中国」というものと「朝鮮」という回廊
http://www.kcn.ne.jp/%7Etkia/mjf/mjf-55.html
投稿: MAO | 2004年5月26日 (水) 18時38分
ひできさん、トラックバックありがとうございます。ブログ拝見しました。なんか難しそうです。でも少しずつかじりますので。のんびりお付き合い下さい。
とりあえず竹ちゃんには、ひできさんのコメントのこと、話しておきます。記事打ち出して渡しておこうかな?ところで岩崎さんとお知り合いなんですね?びっくり。
ブログ「ぶんぶんの落とし穴」をこれからもヨロシク!
投稿: ぶんぶんちゃん | 2004年6月18日 (金) 19時01分
ぶんぶんさん、おはようございます、
竹ちゃんがどんな顔するかとても興味があります。「このおじさんもガンダム好きなんだってよ。」と添えていただけるとグッドです。
自分の文章があまりにわかりにくいので、真剣にぶんぶんさんの作文教室に通わせてもらおうかと悩んでおります。わかりやすい文章ってどうかいたらよいのでしょうか?
ああ、それにしても世の中最近せますぎです。岩崎とは、すでに人生の半分以上友人関係しております。奥さんとも私は同級生でしたし...あ、こんな記事も書きました。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/03/post_12.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/03/post_12.html
投稿: ひでき | 2004年6月19日 (土) 08時43分