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2004年4月13日 (火)

平和を乱すもの

この前から気にかかっていることがある。どこのサイトか、雑誌かどうしても思い出せないのだが、昨年のいつかに「中東問題など諸々の問題を抱えながらも、いまほど世界が和平にむけて動き出したことはない。」という主旨の記事をどこかで読んだ。その時は、なにをこいつは勘違いしているんだくらいにしか思わなかった。しかし、ごくごくあたりまえに考えれば、すでに経済的なネットワークはこの地球を覆い、領土を広げるよりも、他国を侵略するよりも、戦争をするよりも、交易をするほうが自国の利益を高めることが出来る時代が到来している。大前健一ではないが、現在の経済状況では、富は土地そのものでもなく、地中の中に埋まっているのでもなく、その土地の上で行う事業にあり、そして、その市場に埋まっているものなのだ。

日本の失われた10年を見ていてすら、経済的な戦略の方が戦争よりも経済性が高い、国益につながることがよく分かる。明白な例では、海外の巨大金融機関による新生銀行などの企業買収事例は、1回あたり数千億、合計すると多分この10年間で数兆に及ぶ利益とキャッシュを巨大金融機関にもたらした。これは、実質的にこの10年間は巨大金融機関に日本が経済戦争で負けたことをそのまま意味する。ほとんどの日本の自動車メーカーなど実質的に「ガイシ」になってしまった日本の会社も多数ある。イラク戦争を見ていてすら、米国を含めてこの戦争で国としての利益をあげた参加国があるのか、国益とはなにか?、首をひねりたくなる。

ちょっと余談だが、巨大金融機関がなにを指すかについて少しだけ。私の勤める会社が以前長銀と取引があったのだが、新生銀行になったときに以前の担当者があいさつにきて、役員のリストを渡していった(参照)を見てかなりびっくりした。ちょうどそのとき読んでいた「赤い盾」のリストと外国人の役員の出身行がちょうどかさなるからだ。彼らは根っこのところでつながっているんだと深く感じた。陰謀説をとるのは、好きではないがあまりの偶然に背筋がさむくなった。

日本から世界に目を転じると、21世紀になってからの国際情勢の流れは、私の知る限りでも中東をはじめこれまで火薬庫のように言われていた地域でも対話路線をはじめていた。そう、どちらかというと9.11は全くイレギュラーな事件であったように私には思われる。

たとえば、EUの成立と地域通貨の実現、流通の開始は、平和路線の最たるものであると私は感じている。なんとなれば、ヨーロッパは、現代に至る数百年を最も激烈な戦争で彩っていた地域に他ならないからだ。地球上に遍く植民地支配をひろげながらなも、ヨーロッパ域内での激烈な闘争を終わらせることのできなかった諸国が、ひとつの通貨、ひとつの議会をもつようになるということは歴史開闢以来の最大規模の平和の証明である。これは、高速移動網やネットをはじめ様々な移動、通信手段により、地域内の距離が失われ、ひとつの政体の統治対象域内にヨーロッパ全体が網羅されてしまったことの結果であると私は考える。ある意味、産業革命以来、ローマ帝国成立以来くらい、通信と移動の手段が劇的に変わった時代であると私はとらえる。(参照

かなり粗い議論になっていて恐縮だが、EUに象徴されるように、21世紀は論理的に考えれば和平や世界平和がすすむべき状況にある。技術革新、経済ネットの発展、共産圏の崩壊、この10年を見通した様々なことがらは、戦争よりも平和の方向をむいているように思えてならない。ちなみに、付言しておけばこの路線は、景気が拡大している、拡大していないには関係ない。多分、明治以前で最も平和な時代であった江戸時代は、特に元禄期は、ある意味人工的な経済停滞期にあった。しかし、戦国の世とは対照的に長期の中央政府が日本全体を統治することが可能であった。また、世界に誇るべき日本の文化を生んだのもこの時期だ。経済的な発展だけが、国民の幸せをつくるのでもなく、国として尊敬される文化を創るのでもない。

しかし、世の常であはあるが、何事も理屈どうりにものごとはすすまない。理屈道理にすすまない原因をとらまいていくと、どうしても米国にたどりつくような気がしてならない。いや、多分国際政治というのは、そんなに単純なものではないのだろう。EUにしたって水面下の外交が外向きの統合と平和をもたらしているだけなのかもしれない。実際、もし万々一、米国が戦後の時代に存在しなかったら、多分時代の成り行きから行って全体主義が行き渡った「1984年」のような体制が世界中を覆っていた可能性すらありうる。それでも、2004年現在の時代の空気を乱す原因を作っているのは、米国であるように思われてならない。

では、我々になにができるのか?それは、つながることだと思う。米国も決して一枚板ではないし、外から来た才能のある人々に門戸がひらかれている社会であるという一面も決して否定できない。ネットであれ、街であう外国人であれ、つながることだ。そして、世界がひとつになる...つまりは、愛し合うことだ。

って、あれ、ジョン・レノンみたいになっちゃったね。

■追記 (平成16年6月16日)

ふじすえさんが、外交政策についてかかれていたので、少々前に書いた記事に手を加えてトラックバックさせていただく。「歴史の終わり」を読むうんぬん、という部分を割愛した。この本を読んだ後でも、外交政策については自分の考えに変化はなかった。むしろ、自信を持った。

4月から今日にかけてイラク戦争は、ますます泥沼化していくようにしか、私にはみえない。特にmiyakodaさんが以前指摘してたように、玉虫色な政策とはいえ多国籍軍に加わらない国際協力という姿勢でいた日本がなぜいまの時期に多国籍軍に加わらなければならないか、ということも疑問だ。

■参照リンク
ビジネスとしてのイラク統治 (HPO)
占領とレジスタンス (HPO)
距離、時間、そして統治と戦争 (HPO)
エージェントスミス的なもの、草薙素子的なもの、あるいは、ネットは世界をつなげるのか? (HPO)

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無事に人質が解放されて本当に良かったと思う。 兎に角、人が命を落とすこと以上の不幸はない。 ただ、課題は山積みである。 私も含め、日本はこれからの外交について十... [続きを読む]

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