見えない自由がほしくて、見えない銃をうちまくる -ネット上の貨幣としての認知にインフレーションは来るのか?-
■認知への欲求
十分に貧困から解放され、自分が自由だと感じられる社会において、ネット上の認知関係のやりとりは貨幣の意味を持つようになる。なぜなら、基本的な生存に対する欲求を満たされると、人間は元々認知を求める欲求をもっているから、次は認知を強く求めるようになる。ネット上で表現される自分に対する認知、信頼がネットにつながる人々の原動力になっているという仮説については既に述べた。ネット上での認知は、以下のような行動によって支払われ、受け取り手はその対価に満足する(あるいは不足を感じる)。
表1 ネット上の認知貨幣の例
(支払い行動) | (結果の表現と受け取り手の認知欲求満足) |
着歌を送る。 | 自分にあった着歌をもらい、相手が自分を認知してくれていることを確認する。 *1 |
ネットゲームの仮想通貨を払う。 | ゲーム上の他のアイテムとの交換、場合によってはリアルの貨幣との交換。*2 |
はてなのポイントをはらう。 | 質問が相手を満足させた確認、ポイントと交換できるネット上のサービスの享受。 |
相手のサイトをブックマーク、ブログピープルに登録する。 | リファラによりリピータを確認する。継続的にアクセスが増える。 |
相手の記事を検索しクリックする、ページ、記事を読む。 | ページヴュー、アクセス数の確認、リファラによる確認によって満足する。 |
相手に個人的なメールを書く。 | メールを読む。 |
アマゾン書評に「はい」ボタンをおす。 | アマゾンのレビュワラーランキングがあがって満足する。 |
相手の記事にコメントをつける。 | コメントの数、最新のコメントの日付、肯定的な内容等の尺度で満足する。 |
以前書いた記事を相手の記事にトラックバックする。 | トラックバックの数、最新のトラックバックの日付(新しい方が価値が高い)、肯定あるいは同様の主張の記事にとどりついて満足する。 |
相手の記事に関連する記事を書いてトラックバックする。 | 深く満足する。さらに記事を書く。 |
まだまだ、私が認識していないネット上の通貨は存在するだろう。ちなみに、上から下に向かって私の主観的な貨幣の価値=認知欲求の満足は高い(よろしくお願いしま~す!)。
■貨幣としての形式要件
貨幣は、例えば以下のように定義される。
[大辞泉]
【貨幣】 : 商品の価値尺度や交換手段として社会に流通し、またそれ自体が富として価値蓄蔵を図られるもの。鋳貨・紙幣のほかに、当座預金などの信用貨幣を含めていう場合が多い。
貨幣の定義 by 志摩有俊さんら
私が考える貨幣は、価値の交換の媒体であり、交換、貯蔵、流通可能であることが特徴である。また、「信頼」を一番物質的に表現した媒体である。すべての商品の価値を一次元的な尺度で比較できることがまた大きな特徴である。異なる貨幣の体系は平行存在可能であろう。これがために為替や貨幣の市場が存在する。
表1にあげたいくつかの例は、残念ながら必ずしも直線的、一元的に交換可能ではない。クリックしてもらう行為は、必ずしも他のサイトのクリックを生むわけではない。特にこれまでのホームページの閲覧という行為においては、せいぜい心理学的にはストロークと呼ばれる相手に対する肯定的な態度、行動といったところで終わることが多かった。情報交換の場としてのネットが、ブログまで進化してきて、お互いのブログへの訪問、コメント、トラックバックを通して相手に一定の行為を期待することができ、交換に近い形の流通が可能になったと私は感じている。
■貨幣としての実質要件
この認知通貨の価値は、個々人にあたえる満足度によって決まる。上にあげた例でもひとつひとつ満足度、価値が異なる。私にとって、関連する記事を書いてもらい、トラックバックをつけたもらったり、肯定的なコメントをもらうことが一番満足度が高い。じゃあ、否定的な場合はどうなるか、は後で分析する。
この順位は、その人、その人によって、順番が違うだろう。つまり、極端なことを言えば、6000万人の日本人がネットにつながっているのなら、6000万通りの為替交換レートが存在することになる。たとえば、ひでき認知貨幣もあれば、Fさん認知貨幣も、はなこさん認知貨幣も、存在する。携帯でつながっていようが、FTTHでつながっていようが、一定の認知行動が相手への貨幣として働くという機能ではおなじ。ただ、いくつかのパターンにわかれることが予想される。また、今後同様の価値体系を持つグループにネットが細分化していくことが予想される。なぜなら認知通貨の価値体系が近い者同士の方が、流通が順調にいくと考えられるからだ。
こうした価値体系は、商業サイトにおいてはリアルの行動もしくはリアルな(つまりはリアルの貨幣を払う義務を生じる)注文につながる。ここで初めて、ネット上の認知通貨は、リアル通貨と交換される。ここで、ネット上の貨幣はリアル貨幣との交換を生む。アフィリエイトはあらたな認知通貨とリアル通貨の交換所がうまれたことを意味する。オール・アバウト・ジャパンなど、ネット上のソムリエ、エクスパートが、商品価値をあきらかに高めているというサイトはマーケティング上、大変興味深い。が、これはちょっと別な問題。
■インフレか?デフレか?
認知行動を貨幣としてとらえたときに、この認知貨幣全体が持つ価値が、インフレにむかうのか、デフレにむかうのかが、私の一番の関心事だ。
基本的には、ネットにつながる人々の時間の総量によって、最大のネット通貨の流通量が決まることになる。ネット上のコストとは、ネットを構成する人々が負担する接続費用とそこで消費する時間だということだ。その意味では、価値をふくらませるコストは極めて安いが、常に人力を要求するため認知貨幣は、貨幣としては極めて流通コストが高いという問題がある*3。この意味で、生産効率にあたるものが、どれだけネット上で漫然とページを見ている人たちが通貨行動をしてくれるかにあたる。
ここで、相手を不満に陥れるコメント等について問題にしたい。実は、ネット認知貨幣の最大の効用は、貯蔵する、多くを受け取ることによってネット上のステータス、信頼性を生むということだ。いわば、ネット認知通貨資本家の誕生だ。この効用は莫大だ。ブログになって、個人サイト数十万ものアクセスを受けていると聞く(うらやましい限りだ)。このうわさがうわさを呼び、サクセス数に対してコメント、トラックバックなどがつくネット認知貨幣発生効率が高まるのだとすれば、今後インフレーション状態を呼ぶことになるだろう。逆のパターンである、ネガティブなコメント、トラックバック、ストローク等により、フレームを呼び、ネットにおけるポジティブな認知を生む認知貨幣が駆逐される事態がおこれば、限りなくデフレのネット世間になっていくだろう。ちょっと、ネット認知貨幣資本主義の発生が、インフレに向かい、よく知らないのでこういっていいのかどうかわからないが2ch的な匿名性ネット認知貨幣プロレタリアート状態に向かえば、デフレに向かうのではないだろう。
■注
*1 実は私自身は着歌をもらった経験がない。ただ、この記事を電車で書いていたとき、隣にすわっていた中学生のグループが友達から着歌らしきものを受けたらしく喜んでいるのを見て、これも立派なネット貨幣だと思った。
*2 例えば、ウルティマオンラインのゴールドポイント。リアルでの仮想アイテムの売買市場が存在し、レアアイテムがリアルの現金で売買されているそうな。
*3 では、ウェブ上のロボット等はどうなるのか、と言われそうだが、ここで問題にしているのは、認知の欲求が満たされるかどうかである。支払われる側が、明らかにコメントしたり、ポイントに対して反応しているのは、スクリプトであり、ロボットであるということを認識している限り、認知されたという喜びは生まれない。
■参考リンク
- ズバッと!認知願望! by it1127さん
- 『歴史の終わり』メモ by (仮称)メモ置き場さん
- 「点・空・縁 主体(個)と社会とネットワーク」 by m_um_uさん
- 「木村剛氏はいかがわしい」とも思われていることにも留意すべき by 切込隊長さん (トラックバックいただきありがとうございます。)
- ネット通貨としての「認知」 by 山口浩さん (本記事に対して一連のご意見をいただいた。ありがとうございます。)
- そこ、そこをクリックしてくれ! (HPO)
- [書評]オンラインゲームの中の仮想通貨の分析 (HPO)
- 始まりの戦いと歴史の終り (HPO)
- 「トリップ for Blog」コメント @ 「FantasticMetaphors!」
■追記 (平成16年5月11日)
自分の不明をはじる。上述したような信頼性を前提にした仮想通貨の試みが実在しているのだそうだ。しかも、- 世界に広がる人力分散システム by
梅田望夫さん川野俊充さん - PICSYは何を目指すのか @ www.picsy.org
■追記 (平成16年5月27日)
「真のネット世代」再考(by 岡田正大さん)を読ませていただいた。なにか、まだ私の中でもやもやしているのだが、ここのところのネット、ウェブ上での偶然とは思えない出会いや、ネットワーキングを考えると、非常に示唆されるものがあるような気がする。少なくとも、私の世間へのかかわり方は、ブログを始めてから変ったように感じている。自分というものが、いかに人とのかかわりの中で、出来上がっているのか。インフレーションという言葉は適切でなかったかもしれないが、ハイパー認知(物々)交換フリーマーケットが出来上がっていくのを感じる。
■追記 (平成17年5月24日)
1年ぶりの追記!馬車馬さんから、非常に示唆に富むコメントをいただく。なんというか、ここで展開した論を見事に経済学の言葉に置き換え、かつコメント、アクセス等の「認知通貨」のインフレ、デフレ現象を分析してくださった。感動!
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コメント
これは・・けっこうおもしろいですね
たしかにblogやってる人間にとっては、コメントやトラバが財になってる面はあると思います
(っていうか、一番いいのはコメント/トラバ関係によってひとつの共有財のようなものがつくられていったときなんだろうけど・・それはちょっと置いといて)
ただ、認知という言葉には少し違和感がありますが・・
・・なんでしょうね...
情報財ってことなんでしょうけど・・
(ちょっといま、情報財の定義忘れちゃったので、びみょーですが....申し訳ない)
よく、「アフィリエイト使ったらblogger稼げてラッキーじゃん♪」、ってのがあって、
同様な文脈で、
「なんで0円なのに、こんなこと書いてるのか?」
ってのがあると思うんですが・・
blogやってる人間からすると、たしかにあるんですよね
お金じゃないなにかが・・
日記感覚だけでやってる人とか、コミュニティの形成を楽しんでる人もいるみたいだけど・・
ぼくの場合は、「情報の交換」ということがここに加わります
自分が知ってる情報(もしくは消化し切れてない情報)をblogにしたときに、それに呼応するようにどこかの誰かがいい感じのblogを挙げてくれること・・
そういうのの相乗効果でどんどんblogsphereが面白くなっていくこと・・
こういうことは起こっているような気がします(実感として)
ちょうど圏外のひともこれ関連のことを言ってて・・
「生産性」ってことで結んでおられましたが・・
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20040429#p01
そういう共有財を目指した、(あるいは個人間の情報交換による価値創造を目指した)、情報財の交換ということは起こっているっている気がする..
そういうのは「市場」ともいえるのではないか、とちょっと思っていますが...
この辺りはびみょーかもしれないですね
(「これ出したら、これが還って来る」とかいうちゃんとした決まりもないですしね。あと、需給関係もびみょー・・かな)
でも、こういうのを実感として感じるのは面白いな、と思っています
投稿: m_um_u | 2004年5月 3日 (月) 22時38分
m_um_uさん、こんばんわ、
さっそくのコメントありがとうございます。それこそ、プラスの認知貨幣をいただき、ありがとうございます(笑)。
そうですね、「認知」という言葉をもう少し解説する必要があるかもしれないですね。貨幣の定義も中途半端なままだし。
もう、きちんとネットにアクセスできる環境にいますので、あせらず少し補足します。ちょっと中途半端なままアップしてしまったことを反省しております。
まあ、あらかじめネタを明かしておけば、実はフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」を今日読了したので、彼のいう「認知への欲求」を現在のネット社会に応用したらどうなるかな、というのが発想のもとです。もっと正確にいえば、「優越願望を満たす他者からの認知」といったことになるのでしょうか?(こう日本語で「優越」とか書くとすんごくいやらしい感じがしますが、一応訳文の言葉なので。フクヤマ自身は自分でギリシア語っぽい語感の「メガロサミア」という言葉を使っているようです。)
いただいた言葉、いただいたリンクもまず自分の中に入れてからはきだしたいと思っています。いずれにせよ、もうすこしお時間をくださいませ...
投稿: ひでき | 2004年5月 3日 (月) 23時13分
はい、焦らず待ちます
(楽しみにしてます (*^-^*))
投稿: m_um_u | 2004年5月 4日 (火) 09時23分
ひできさん、m_um_uさん、おはようございます。
言葉=貨幣の喩えは面白いです
肯定的、褒め言葉=自分にとっての良貨、逆は悪貨
そして、ひできさんのいう、個人が特定の個人に向けて発行した認知貨幣が一般性を帯びれば、m_um_uさんのいう共有財として認知、いわゆる通貨として認知されるということだと思います。
つまり、どれだけ多くの人から価値のある貨幣として欲しがられるかが、個人的な認知貨幣が一般的な認知貨幣(通貨=通説)の性質を帯びるかの分かれ目になると思います。
頭がボ~ッとしているので、雰囲気だけを捉えてコメントしました。
投稿: it1127 | 2004年5月 4日 (火) 10時31分
it1127さん、
ほんとうにお体大丈夫ですか?ほんとうにご無理なさらずにご自愛くださいね。(私もお酒を控えております)
貴重なヒントをありがとうございます。その辺のつながり(一般性を帯びるか否か)をもうすこし精密に見る必要があると私も感じております。決して物質にはならないですしね。
それにしても、「歴史の終わり」を読了できて、ちょっとうれしいです。
投稿: ひでき | 2004年5月 4日 (火) 10時36分
あ・すみません、ひできさん
思い出しました
これって「無償供与サービスの原理」ってことで、けっこう研究進んでるとこでした..
えーと・・
詳しくはいいませんが、ピーター・ブラウです
(「社会的交換の理論」)
あとは、ケネス・ポールディングとからしいっす
投稿: m_um_u | 2004年5月 5日 (水) 18時34分
m_um_uさん、こんばんわ、
貴重な情報をありがとうございます。また、娘に電気をまもなく消されてしまいそうなので、手短に行きます。下記を読みました。
大変興味深い議論がなされていました。とても、自分の考えに近いと思います。ネット上で情報提供、情報受け取りのコスト、変動費がとにかく安いという特徴はとても大事です。ある意味、これにリアルタイムに近いということを加えれば、従来の交換手段、あるいは情報媒体と、ネットとの特質の差を説明できてしまうように思います。
実は私は、あまりにもこうした議論に明るくないのです。告白してしまうと、私は心理学バックグラウンドです(もっと正確に言えば認知心理学の感覚知覚心理学よりの視覚情報処理が卒業論文です)。その上で、今回は、自分のうちにある動機に焦点をあてている、またその動機に近い心理的な側面を貨幣に近い特性をもったひとつの「喜び」として流通できるのではないか、説明できるのではないか、というのが私が今回立てたかった仮説です。もしかすると、Blauなり、國領さんがこうした側面についても分析しているのかもしれません。
ですから、ぜひぜひ今後ともこうしたアカデミックな動き、バックグランドについて教えてください。私はあまりにもアカデミックなことに無知なままこのブログを書いております。
投稿: ひでき | 2004年5月 5日 (水) 23時17分
あ・告白しちゃうと、國領さんの本にかなり影響受けてます。
この人は面白いですよ
ぼくは元々、経営系は明るくないのですが、このひとのおかげでかなり短時間で分かるようになりました(それは商学のほうの人と話してて確認済み)
あと、bibliographyみても分かるように、経営だけじゃないんですよ、この人
http://www.jkokuryo.com/literature/index.html
とりあえず、この本が面白いです
http://www.ecrp.org/topic-s/bs/review/doctor2002/kokuryo-isagai.htm
(ちなみに、今期の授業用blogはここです↓)
http://jkokuryo.sfc.keio.ac.jp/nindustry2004/
投稿: m_um_u | 2004年5月 6日 (木) 04時52分
あ・こんなの見つけたからいちおお報せしときます↓
※The Middle East awaits its Martin Luther, says Francis Fukuyama. Liberal Arab and Muslim voices are so far being drowned out...
「Open-ended history」
http://weekly.ahram.org.eg/2004/688/intrvw.htm
投稿: m_um_u | 2004年5月 6日 (木) 13時17分
m_um_uさん、
ありがとうございます。「ネットワーク情報産業論」おもしろそうですね。最近、授業と連携したブログを開く人が結構いるようですね。私の友人で大学で教えているのも、そんなことをいっていました。
AlAhramの記事ですね。ウニさんの「壊れる前に…」からのリンクで読ませていただきました。アラブ系の新聞に応えているというのも、なかなかユニークなシチュエーションですよね。
http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2004/05/post_1.html">http://eunheui.cocolog-nifty.com/blog/2004/05/post_1.html
フクヤマとイラクについては、このインタビューも含めて結構書きたいことがあります。
投稿: ひでき | 2004年5月 6日 (木) 14時02分
こちらでははじめまして。
onoさんのところではどうもでした。
ネット上に新しい何かが(ちゃんとこれまでの延長線として)生まれるような予感がするエントリーですね。
思わずコメントしてしまいました(^^;
投稿: Yoc | 2004年5月 9日 (日) 16時00分
Yocさん、こんにちわ、
ほんとに「地球幼年期の終わり」の到来かもしれませんよ。
ほんとは、次の次の記事あたり関連なんですが、最近こんなところにも出没して、もっと無責任なこと書いています。(Dainさんにはご迷惑かな?)
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/04/post_8.html#c232777">http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/04/post_8.html#c232777
Yocさんのご意見をいただきたいところです(笑)。
投稿: ひでき | 2004年5月 9日 (日) 16時10分
(え・と細かい突っ込みですが・・CNETの記事は梅田さんのじゃないです。この回は代打だったので、川野俊充 ってひとです...いちおお報せ)
投稿: m_um_u | 2004年5月15日 (土) 07時13分
m_um_uさん、
いやあ、恥じの上塗りでしたね。ははは...(笑ってもごまかせませんやね。)
修正させていただきました。ありがとうございます。
投稿: ひでき | 2004年5月15日 (土) 07時19分
失礼 m(_ _)m
っつーかたぶんタイトルが違います
(「世界に広がる人力分散システム」のほうですね?)
そして、この回はちょうどぼくがケチをつけた回ですが...
まぁ、それは置いときます (笑)
(基本理念としては賛成なんですがね)
投稿: m_um_u | 2004年5月15日 (土) 07時28分
m_um_uさん、
は、は、は、は、...はぁ...
恥じの上塗りすぎてはじぬりの漆器ができてしまいそうですね。
ありがとうございます。
サイト読ませていただいております。この論をいっしょにすすめさせてください。
投稿: ひでき | 2004年5月15日 (土) 08時33分
忘れてたんだけど、山口さんとこでお話してるうちに思い出したのでいちお貼っておきます
「Links and Power: The Political Economy of Linking on the Web」
http://huminf.uib.no/~jill/txt/linksandpower.html
※山口さんによると、ひできさんの考えに近いそうですよ
ってか、ここでお話してたのでいらしてみますか?
http://hyamaguti.cocolog-nifty.com/virtualworlds/2004/03/post.html
投稿: m_um_u | 2004年5月16日 (日) 10時56分
m_um_uさん、こんにちわ、
山口浩さんとのコメントのやりとりを読ませていただきました。
しかし、このJill Walkerって大気にいリです。山口さんのご指摘の通り、"Links and Power"は非常に自分の考えと近いです。ただ、少々流れを追っていくのが、私には難しくて、まだ理解しきれていません。
GoogleのPageRankってリンクを元に計算されているって知ってましたか?彼女の論文によると、Google以降の世界では、リンクがPageRankのポイントにつながり、一定の条件のもとでリアルの通貨に「交換」しうるということです。すばらしき物々交換の世界の到来かもしれません。
その他の彼女の論文もタイトルくらいしか見ていませんが、非常に興味をそそられております。
彼女のWeblogも見つけました。ああ、どうしようごあいさつしちゃおうかな...
http://huminf.uib.no/~jill/">http://huminf.uib.no/~jill/
投稿: ひでき | 2004年5月16日 (日) 14時28分
m_um_uさん、
ありました。ご存知かもしれませんね、これは。
Google の秘密 - PageRank 徹底解説
http://www.kusastro.kyoto-u.ac.jp/~baba/wais/pagerank.html">http://www.kusastro.kyoto-u.ac.jp/~baba/wais/pagerank.html
エルゴート性とか、少々懐かしいことばが出てきていますが、行列とかは私には理解不可能です。
これで、山口さんや、miyakodaさんや、私の考えていることとかは、かなりつながりそうです。おもしろい!
投稿: ひでき | 2004年5月16日 (日) 14時30分
m_um_uさん、
いやあ、いってきちゃいましよ、jill/txt!!!コメントしちゃいました。無謀なことしてますよね。もっとちゃんと読んでから行くべきだったんですけど、なんかタイトル読んでると、helloとかいいたくなっちゃって...どうも私はミーハーなところがありまして。
ほんとうにいつも見ている方向が同じというか、ここまで私のこころの琴線にふれまくる論文をおしえてくださっていて、ありがとうございます。どう感謝していいかわからない位です。
投稿: ひでき | 2004年5月16日 (日) 15時22分
あ・論文ピンポイントだったみたいで、よかったです(*^-^*)
(もっと早く思い出しとくんでしたね)
やはり、モノとか情報ってのはふさわしい人のところに行くのが一番いいですね。少なくとも、いまのぼくの関心ではピンポイントまではいかないので...(興味はあるんですがね)
では、今後のひできさんの思考の展開が楽しみですね♪
(できれば、ヴィリリオの思想体系との接続希望です・・ってどんなになっちゃうんでしょうね 笑)
投稿: m_um_u | 2004年5月16日 (日) 17時36分
ひできさん、TBありがとうございました。コメントが遅れてごめんなさい。
このエントリーは、ネット上のコンテンツを「消費」することの代価として何が支払われうるか、という点ですよね(違っていたらすいません)。大変興味深く拝見しました。私流の考え方をするなら、「読者からコンテンツの書き手へどのような形で『幸せ(経済学用語で言うなら効用utility)』を移動させるか」ということになります。
この問題の根本は、経済学の原則でもありますが、「効用(幸せ)は人から人へと移動できない」という問題にあると思います。「幸せを分け与える」などということは不可能なので、人間は普通幸せの源となるもの(各種財産など)を移動させることで、擬似的に他人に効用を譲り渡すわけですね。さて、現実社会ではこのような「幸せの源」となる財産がたくさんあるので問題ない(現金を財産と位置づけるのは微妙ですが、ここでは単純化のために財産と考えます)わけですが、現状ネット上にはそうなるものが存在しないという点が出発点となります。
まず重要なのは、書き手にどのような形で「幸せ」を感じてもらうか、という点にあります。ひできさんははてなポイントなど、いくつかの例を挙げられた上で、必ずしもそれら全てが書き手にとって幸せを約束するものではないこと、その基準は人によって違うこと、それでも普遍的な価値を持つものがあるならばそれはコンテンツの「評判」であること、を指摘されているように思います(私流のモノの考え方に変換を図っていますので、間違っていたらすいません)。これについては私も同感です。
では、評判を高めるようなもの、コメントやTB、またはアクセス数そのものがコンテンツ消費の「対価」として機能するかというと、これだけでは不十分です。「支払い」が完成するには、書き手の幸せが増えると同時に、読み手の幸せが減る必要があります。そうすることで、幸せを直接移動させなくても、事実上幸せが移動したように見える現象を作り出せるわけですね。ひできさんのおっしゃる認知貨幣のインフレは、この部分のメカニズムが機能しないときに起こるのだと思います。つまり、認知貨幣発行のコスト、ないしは評判を増減するシグナルを発するコストが(コンテンツの評判に与える影響に比べて)小さすぎると、みんながいい加減にシグナル(認知貨幣)を発するようになります。ひとつひとつのシグナルの価値は当然低下するので、これはインフレということになります。コメントスクラムはハイパーインフレかもしれませんね(笑)。これは、数行のコメントを残すコストが無視できるほど小さいために起こる現象であると考えるわけです。(つまり、発行コストの高い「認知貨幣(長いエントリーを書いてTBとか)」ほどインフレが起こりにくい)
なお、この考え方では、ネガティブなコメントが溢れかえる状態もインフレになります。個々のコメント(=シグナル・貨幣)の価値は低下しますから。そもそも、良い評判と悪い評判が同一次元上のプラスとマイナス方向を向いているということはおそらくまれで、「このブログの政治ネタ面白い」「でも書き方がむかつく」とか、まるで別次元のポジティブ・ネガティブコメントが衝突するのが実態ですよね。
この状況でデフレとは、ほとんどコメントが寄せられず、認知もされず、書き手もやる気を失って更にコメントが減る(←デフレスパイラル(笑))という状況になるのではないかと。・・・長すぎてすいません。自分のエントリーにするには芸風が違いすぎるのでコメントにしますが、近いうちにもう少し咀嚼して自分でも何かエントリーを起こして見ようと思います。(他のエントリーについてはまた後日ということで・・・すいません)
投稿: 馬車馬 | 2005年5月23日 (月) 00時13分
馬車馬さん、おはようございます、
コメント、ほんとうにありがとうございます。自分がつらつら思いついたままに書いたことを、見事に経済学的な観点からまとめてくださり、かつ、私が「認知通貨」と置いたコメント等に関する「効用」と「価値」(で、いいのでしょうか?)を分析してくださり、感謝もうしあげます。
いただいたコメントで、現在ごちゃごちゃとトライしているシュミレーションの持つ意味がわかってきたように思います。それは、「シグナル」と「価値」ということです。「蛍の光」の同期現象をまねたプログラムでは(なかなか同期しないのでこまっているのですが)、ほかのノードに与えているのは、シグナルに過ぎないのだろうと思いました。なぜなら、ほかのノードに一定の値を与えることと自分の持つ値が増減することが原則無関係にパラメーターを与えているからです。それに対して、「インフレーション」(まあ、デフレもできますが)モデルでは、自分のノードの値を減らしながら、ほかのノードに値を「与える」という条件設定のときに、一定の恒常状態ができました。これは、まさにおっしゃっている「「支払い」が完成するには、書き手の幸せが増えると同時に、読み手の幸せが減る必要が」あるということに対応するのかもしれません。
「[書評]SYNC」(蛍の光シュミレーション)
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2005/05/sync_d3a1.html
「インフレーションの形」
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2005/05/post_2aa1.html
私ももっと考えてみたり、シュミレーションを組んでみたりします。本当にありがとうございました。
投稿: ひでき | 2005年5月24日 (火) 06時10分
なお、この考え方では、ネガティブなコメントが溢れかえる状態もインフレになります。個々のコメント(=シグナル・貨幣)の価値は低下しますから。そもそも、良い評判と悪い評判が同一次元上のプラスとマイナス方向を向いているということはおそらくまれで、「このブログの政治ネタ面白い」「でも書き方がむかつく」とか、まるで別次元のポジティブ・ネガティブコメントが衝突するのが実態ですよね。
投稿: SWG Credits | 2005年7月22日 (金) 06時45分
SWG Creditsさん、こんばんわ、はじめまして、
おっしゃる通りだと思います。どうもこの記事を書いた時点よりも人を信じられなくなっている私がいます(笑)。ちなみにネガティブ、ポジティブについては、ゲーム理論的な分析を含めたエージェントモデルのシミュレーションを最近レビューさせていただいた富安さんの「貨幣の複雑性」であつかわれていて、信頼性ということについて考えさせられました。
投稿: ひでき | 2005年7月23日 (土) 23時36分
まあ、あらかじめネタを明かしておけば、実はフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」を今日読了したので、彼のいう「認知への欲求」を現在のネット社会に応用したらどうなるかな、というのが発想のもとです。もっと正確にいえば、「優越願望を満たす他者からの認知」といったことになるのでしょうか?(こう日本語で「優越」とか書くとすんごくいやらしい感じがしますが、一応訳文の言葉なので。フクヤマ自身は自分でギリシア語っぽい語感の「メガロサミア」という言葉を使っているようです。)
投稿: cheap watches | 2010年2月26日 (金) 18時58分
個々のコメント(=シグナル・貨幣)の価値は低下しますから。そもそも、良い評判と悪い評判が同一次元上のプラスとマイナス方向を向いているということはおそらくまれで、「このブログの政治ネタ面白い」「でも書き方がむかつく」とか、まるで別次元のポジティブ・ネガティブコメントが衝突するのが実態ですよね。
投稿: replica watches | 2010年2月26日 (金) 19時00分
cheap watch 、 replica watchさん、おはようございます、
はじめまして、
フクシマには、ニーチェの影響もあるのですね。
http://bit.ly/8XMOpz
経済物理学の方面でも、為替などの変動をみると、べき分布を示すことがわかっているのですが、関連性が認められるのは、変動の幅と取引の回数だそうです。プラスに触れるのも、マイナスにふれるのも、変動のはばの中というか、変動すること自体がひとつのポイントなのでしょうね。
すみません、文章になってないですね。
投稿: ひでき | 2010年2月27日 (土) 06時53分
投稿: 煤气发生炉 | 2010年8月26日 (木) 15時48分
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投稿: flywowgold | 2011年3月 3日 (木) 18時14分