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2004年5月 6日 (木)

米兵は「最後の人間」か?

■米軍には「最後の人間」達しかいない

本を読むのが遅いので、3週間あまりかけてようやく「歴史の終わり」を読了した。この3週間の間にリアルは当然動いているわけだ。平成16年5月6日現在の「今」の様子をみて感じるのは現在の米軍の兵士達は、まさしくフランシス・フクヤマヘーゲルの言う「最後の人間」達なのではないかということだ。フクヤマは、「歴史の終わり」でこう書いている。

歴史の始点にいた奴隷は、本能的に臆病であったため、血なまぐさい戦いにみずからの生命を賭けることを辞退した。歴史の終点にいる最後の人間は、歴史が無目的な戦争に満ち、そのなかで人々がキリスト教徒とイスラム教徒の、プロテスタントとカトリックの、あるいはドイツ人とフランス人のどちらかにつくのかをめぐって争ってきたことに気づいているため、ある大儀に生命を賭けるような愚かな振る舞いはしない。

いまさら、フクヤマとヘーゲルをひきあいに出して説明するほどのことではないが、米軍の兵士は「戦う」という一点だけからみれば確実に質はおちている。あるいは、国につくすという概念は彼らにはほとんどない。彼らの大半はせいぜい、金のために戦うという程度だ(*1)。あまりそれを悪くいうつもりもない。本国で住む家があり、職があり、家庭があり、多分借金もあれば、最前線で働く気がしなくなるのが当然だろう。米軍の上層部からして、金や経済的な利益で動いているのなら、一番最前線の兵士の動機も金、利益だろう。

■リアルの戦争、ネットの情報戦

戦争は、必ずも物量だけで決まる訳ではない。物理的な戦争でいったら、今回の騒乱において反乱ゲリラ側に勝ち目はない。もし、勝ち目があるとすれば、情報戦においてだ。十分に組織化され、極端な貧困層のない、「リベラルな民主主義」国家が国際社会の大勢をしめる現代のような状況にあれば、極めて人道的な「大儀」が国際社会を動かしうる。あたりまえだが、もう帝国主義は通じない。こういう状況では、もし「大儀」が破れたときには、戦争を起こした側の内政に極めて大きな衝撃をあたえることになる。「大儀」を国際社会にも、国内の市民にも説明できる戦争でなければならない。

今回のようなあとからあとから米国に不利な情報が出てくる状況においては、米国の国政を担当する指導者達はその最終的な目的を達成するのは困難だといえる。彼らにとって、ごくごく短い時間のうちに、国際的な情報戦、広報戦を抑えることがなにより大事になる。「大儀」といっても、当然道義的な「大儀」ではなく、この戦争に勝った時にどう国民の利益につなげられるか、どう国際的に非難されずにすむかといった、ごく功利的な「大儀」が必要とされるのであろう。

ここにおいて、十分に経済的にも、情報インフラとしても、つながった現代の国際社会において、極めてコストが安くリアルタイムで全世界にアピールできるネットの存在が脚光をあびうるのだろう。今、私はにとって、CPAの発表だろうと、全世界の新聞の発表だろうと、日本のごくローカルな地域にいながらにしてアクセス可能だ。アクセス可能なばかりではなく、ごく簡単に、翻訳され、要点を強調され、背景の説明を加えられた情報を検索できる。逆の立場から見れば、十分に民主的な(ああ、日本語の民主主義だとなんかニュアンス違う。*2)「最後の人間」達が主権を握っている国々で構成される国際世論に対してアピールしうるネタがあれば、簡単に全世界にアピールすることができる、ネタを武器として使える。こう考えるときに、今回の捕虜虐待、各国人を人質にとったイラク人、といったイラクにおける反抗、反米の動きが理解できる。ネットがリアルに影響力をもちつつある。ネットのコストの安さと早さが驚異的だからだ。うまい情報が流れればたちまちネット上のヒット商品になる。

■国づくり: Nation Building

なぜ情報戦、広報戦になるかの理由は、まだいくつかある。

たとえば、すでに米国兵士も、米国民もすでにデモクラシーを生得のものとして享受していて、大儀に鈍感に、自分たちの痛みに敏感になっている。昨日、たまたまCNNを見ていたら、米国の誰かからの投稿で、「なぜイラクにおいて米兵が戦わなければならないのか?こんな戦いは無意味じゃないか?一体、イラクを制圧して米国のなんの利益になるというのか?」という意見が流れていた。米国のいまの市民の気持ちの少なくとも一端を伝えるものであろう。現代の政治においては、外交と内政は複雑に入り組んでいると感じる。

また、一国、あるいは数国の連合軍が、武力である国を制圧したとしても、戦争の目的の半分も達成したことにはならない。武力で制圧できても、その国を自分の領土に加えるということは、いくら米国であっても他国の協力、承認を得られないであろう。一方、現代の経済社会において、十分に自国に経済的な利益(それが破壊から自国が守られると言うことも含めて)をあげうるものでなければ、戦争を起こすこと自体を正当化することができない。別な記事で輪郭をなぞったように、現代においては、戦争も自由主義経済体制に組み込まれている。私は、CPAの予算の支出項目の70%を「finance」という費用項目でしめられているのをみてからずっと、米国のイラク侵略において、巨大金融機関が一番利益をあげていると感じている。

つまりは、戦後の体制をどうするかというところまで、あるいはビジネス戦略でよく言われる出口戦略(Exit Strategy)がとても大事になるということだと、私は理解している。

このことをフランシス・フクヤマもいっているようだ。あえて、孫引きしたい。下手な翻訳なので、できれば原文にあたることをおすすめする。記事自体も大変興味深い内容だった。

(アトランティック・オンライン「国づくり("Nation Building 101")」)

The chief threats to us and to world order come from weak, collapsed, or failed states. Learning how to fix such states and building necessary political support at home will be a defining issue for America in the century ahead.

by Francis Fukuyama

以下、私の翻訳。保証のほどではない。

我々(アメリカ)に対する、あるいは世界秩序に対する主要な脅威は、政府権力のない、崩壊した、あるいは、失政状態の国々から起こってくる。いかにしてこのような国家の状態を修正し、当該国内における必要な政治的援助を形成することを学ぶことが、来るべき世紀におけるアメリカの明確になりつつある主要な課題となるだろう。(*3

■一応、議論をしめないといけない。

そして、そして、...この記事の一応の結論にたどり着きたい。私が不慣れな国際情勢を語っても、所詮は素人の見たものにすぎない。私が検証したかったのは、多分日本の指導者が選択した外交政策でいま内政にも及ぶ「揺れ」を経験しているように、米国も米国の指導者が選択した方針の結果にゆれていて、決して一枚岩ではないといことだ。パワーでいけば、超一極の米国も、一皮めくれば、ラップを聞いたり、ナイキの靴を履いたりしている、ごくごく我々から見て普通な国民で構成されている、ということだ。米国であっても、日本の指導者であっても、米国のどんなに強力な指導者であったとしても、気概を持たないくせに情報源だけはいっぱいもっているそれぞれの「最後の人間」である国民達はてごわい相手に違いない。一体、この外交問題、国防問題が一応の収束を見たときに、どんな内政の問題や選挙結果がそれぞれの国で待っているかということの方が興味深いのかもしれない。

■注
*1
 当然どんな集団にも例外はいる。私は直接接触はなかったが私が信頼申し上げている方が米軍のトップに近い人物に公式にあった感想を教えてくれた。「後光が差していた」、という。その人物は今回のイラクへの侵攻にも疑問を投げかけたと聞いている。すべて気概の「最後の人間」であると主張することできない。

むなぐるまさんやnobuさんが、米国の兵士が米国の貧困層出身が多いということについて書いていらっしゃる。このことは、そのまま最後の人間であることにはつながらないが、米国の政策の一端が垣間見られるように感じる。

*2
 デモクラシーと民主主義の違いを述べれば、それだけでいくつも記事が書けてしまうだろう。ここでは、自分の一番印象的なエピソードだけを披露したい。「ビジネスと社会」とかいう授業で米国の女の子が、「デモクラシーのない世界なんて考えられない。デモクラシーのない社会では、誰も顔をあげて通りをあるけない。」と言っていた。米国でデモクラシーといういうとき、単に主権が人民にあるということをこえて極めて情緒的な、極めて道義的な、要素を含んでいるように感じた瞬間であった。道義的というものには、「寛容」という要素をも含むと思われる。

*3
 こうして、なぜ今ごろフランシス・フクヤマが、「State-Building: Governance and World Order in the 21st Century」なんて本をだすかが自分で理解できた。ウニさんm_um_uさんに教えていただいた、イラクと「state-building」に関して、アラブ系の新聞にフクヤマが応えたインタビュー記事もある。

■参照リンク
「大中東イニシアティブ」(The Greater Middle East Initiative、略称GMEI)とは?
日本の将来を妄想する by Miyakodaさん
イラクでの日系米軍兵士の死  by MAOさん
A prisoner recalls the abuse by Ian Fisher/NYT @ The IHT online
Le Monde 社説「ブッシュとカオス」  by 余丁町散人さん
当たり前だけどふざけた現実だ。<イラク戦争>死亡米兵の45%は貧しい小さな町の若者 by nobuさん
ビジネスとしてのイラク統治 (HPO)
占領とレジスタンス (HPO)
[書評]フランシス・フクヤマ的国生み ~ State Building ~  (HPO)
戦死する若者 by 藤沢久美さん

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コメント

米軍の兵士が金の為に戦っているは、言い過ぎだと思います。
イラクで戦っている米軍の兵士の中に永住権の獲得のために(ブッシュがさげたにんじんのために)戦っている人は沢山いるとは思いますが。

投稿: BLUEPIXY | 2004年5月 6日 (木) 19時31分

BLUEPIXYさん、

さっそくコメントありがとうございます。もうそれだけでうれしいです。
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/04/post_18.html

確かに、彼らが命をかけて戦っているのは、お金のためばかりではないのかもしれません。もうちょっと、彼らがなんのために戦っているのか様子をみさせてください。

今後、米兵の士気如何でイラク情勢とか、米国の外交政策が変ってきそうな気がしています。言葉をかえれば、ボロがますます出てきそうな気がしています。

あ、ただ確実にある一定レベル以上の米軍の将校の方たちの中には、すんごく愛国心にあふれ、教養も知性もある方がいらっしゃるのはちょっと実感しています。それこそ、後光が差している人がいるそうです。でも、全体としてはどうなんだろう?というのが、私の問題意識の一端です。

とにかく、いまの日本は米国の追随をしようとしすぎて、自爆していますよね。米国においても、日本においても、フツーの人たちを置いて政治家、官僚たちはどこまでいっちゃうんだろう、ってごくごくフツーに私は感じております。

投稿: ひでき | 2004年5月 6日 (木) 19時49分

 米国にいる、いまメッセージを発していない人々がとても気になります。その人たちは確かにそこに居て、「言論の自由」の中で息をひそめています。そんな中、口を開いた人は、かつてはワイン・モース議員だろうし、最近だとバーバラ・リー議員でしょうか …氷山の一角でしょう、もっとたくさんの「発信しない人々」がいるんだと、信じています。

 彼の地で戦う米兵の気持ちは、写真集「ぼくの見た戦争」から引用します。フロントにいる彼らに共通する気持ちでしょう

--ここから--
 ぼくが話をした若い兵士たちの多くは、「早く、家に帰りたい」といっていた。戦争は、彼らにとっては、仕事であって、「とっとと仕事(戦争)を終わらせて、家に帰ろう」という気持ちなのだ。
--ここまで--

リンク先はこの本の感想記事です

投稿: Dain | 2004年5月 6日 (木) 21時34分

Dainさん、はじめまして、こんばんわ、

コメントいただきありがとうございます。自分が何を書いているのか、方向性を感じることが出来ました。そんなの、わかって書いてなきゃいけないんですけどね。

勉強不足なので、バーバラ・リー議員のことを知りませんでした。

「たった一人の報復反対の議会演説」
http://www.yorozubp.com/0110/011025.htm">http://www.yorozubp.com/0110/011025.htm

非常に勇気のある行為だと思います、まさに、兵士の気持ち、国民の気持ちをくんだ演説であったと。

また、一方こういうページも見つけました。さすが、米国の議員です。

Support our Troops!
http://www.house.gov/lee/support.troops.htm">http://www.house.gov/lee/support.troops.htm

想像のし過ぎかもしれませんが、米軍におけるminorityの比率とか確かめたくなりました。

話しは変りますが、私も開高さん大好きでした。「闇」の三部作とか、読みふけりました。高橋邦典さんといい、やはり現場でにおいまで感じてきた人には迫力があります。

投稿: ひでき | 2004年5月 6日 (木) 22時19分

 素早いレスありがとうございます。極東ブログ経由なので初対面という気がしませんが、はじめまして。

 マイノリティは大昔のベトナム戦争映画"PLATOON"で言及されたときと変わってなさそうです(つまり現実はご想像のとおりいうことです)。

ひとつ提案があります。
以下の方法で検索サイトgoogleのフィルタリングが外れます(リミッターカットのようなもの)。

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/04/google_1.html">http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/04/google_1.html

その次に、以下の方法で彼の地で何が行われていて、何が報道されていないのかが分かります。CPAも発表できません。例として、私が見つけた場所を提示します。

方法:http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/04/iraqgoogle.html">http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/04/iraqgoogle.html
一例:http://www.unitedforpeacenanaimo.org/warimages.htm">http://www.unitedforpeacenanaimo.org/warimages.htm

 この情報はネット経由で得ていることについて注意を促しておきます。信じる/信じないはまさに「自己責任」です。リンク先がご不快ならこのコメントそのものを抹消していただいて結構です。私の記事でも反響がかなりあったので、「知っておくべき知らなかった出来事」として扱っていただきたいなぁ、と思っています

--
開高健さんは親以外で最も影響を受けました。そして親以外の訃報で号泣したのは開高さんでした。あつかましくてもいいからお会いしておきたかった…

投稿: Dain | 2004年5月 7日 (金) 02時38分

あ・いいもの教えてもらっちゃった♪


そして・・
この問題ってcensorshipとInvisible webですね

ちょうど、これ系の戦争報道とか・・
アメリカの報道姿勢についてはまとめようかと思っていたので、こんどちょっとがんばってみようかと...(予定は未定)

でも、ちょっとだけ..

今回の報道に関して

アメリカの内部にいる人(一般の視聴者)の中には、「左に偏りすぎじゃねぇか?」、って意見もあるみたいですが(前に極東ブログでみた)、この辺り・・びみょーな温度差を感じます(自分的には)

マスメディアとしては「liberal」ってのをやりたいわけだけど、一般の人の中には「それは反戦しすぎだろ?」って思う人もいるみたいで..

ぼくはこういうのは「一般人がバカ」とかそういうのではなくて、日本におけるイラク人質問題の捉え方(と外国メディアによる無理解)と似てる気がしています

外国メディア(特にNYT)の中には、「あれはお上にたてつくのがイヤだったんだよ」、で済ますひともいるみたいだけど..
・・もっと複雑な事情があるのになぁ、って感じで
(※ぼくは人質だった人をこれ以上責めませんがね。事実関係は明らかにされるべきだけど)

そういう温度差があるような気がします

そういうのはこの辺りをみても感じられるんですが..↓

http://joi.ito.com/archives/2004/05/03/article_in_guardian_about_why_the_us_should_be_forced_out_of_iraq.html


伊藤穣一さんとこで、Guardianの「イラク派遣ってすべきだったの?」系記事を引いただけで、「なにぃ!じゃあ、世界の安全はどうすんだよ? 日本なんか石油どこからもらってると思うんだよ!?勇気とかどこいったんだよ!?(神道スピリッツはよぅ)」って反応が返ってきてるんです(んで、「アメリカのメディアも近頃変」って言ってる)

同様のことはこちらでもあって・・
http://mie.egoism.jp/mtbook/mt/archives/000172.html

あるアーティストがライブでちょっとそういうことやっただけで、非難の声が出ている(でも、このときは一人だけど)


そういう気持ちってけっこうくすぶってるように思うんです


でも、それを沈黙の螺旋よろしく底に沈めておくのも、社会的に不健康な感じがする...

なので表出して、ギロンして分かり合ったほうがいいと思うけど....
・・例の壁が・・(cf.養老猛司)


まぁ、そんなこんなで・・


あ・しまった言いたかったこととずれてしまったので、いそいで補足です


で、censorship(検閲、およびマスメディアによる自己検閲)ですが..

ロイターにそれ系の記事が出てたんですけど・・
(「U.S. Media More Skeptical of Iraq Policy」)
http://www.reuters.co.uk/newsPackageArticle.jhtml?type=worldNews&storyID=497327§ion=news

なんか・・アクセスできないなぁ...

ちょっとこんどまた..

あとはほかのメディア批評系のとこでまとめてるはずなので、それを参照しますが...
(こんなのとか↓)
http://www.cjr.org/issues/2003/3/


そういうcensorshipに対して、こんなとこもあります↓

「入手困難な情報を収集するサイト――9.11の生々しい記録が明らかに」(@Wired)
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/20040407202.html


まぁ、とりあえずぼちぼち・・


※あと、情報化時代の戦争に関してはこういうのもあります↓
http://www.kanshin.com/index.php3?mode=keyword&id=244846


個人的にはやっぱクラウゼヴィッツやっとくべきだと思いますが..(未読)


投稿: m_um_u | 2004年5月 7日 (金) 04時42分

Dainさん、

リミッターはずしてみました。ご指定のサイトも見せていただきました。これが戦場なのだなと思います。開高さんもこういう状況をみたんでしょうかね?ほんとに、「戦場のにおいまで感じた」という実感が三部作の最後へつながっていくのだとちょっと理解いました。

映像のあまりの雄弁さに私はただただ言葉を失ってしまいます。

いまは、すっかりフクヤマ色にそまっているので、「最後の人間は身体的な痛みなどを非常に評価する」と書いてあったのを思い出してしまいました。もはや、重大な問題が目の前にない状態では、人々は自分たちの健康に異常に固執するようになり、すべての痛みを避けるようになる、と。

それでも、私自身も日本という国の中で、あるいは別の国で生きていくしかないので、こうした映像で表現された世界が他方にあるという現実をふみしめて、自分がどこへ向かうのか、どう行動するのか、十分に感じ取っていきたいと思いました。

独り善がりなコメントをお許しください。

一応、私も働いておりまして、コメントが遅くなったことをお詫びいたします。

投稿: ひでき | 2004年5月 7日 (金) 14時55分

m_um_uさん、こんにちわ、

いつもいつも貴重な情報をありがとうございます。実は、私は情報を探すのにとても時間がかかるほうなので、本当に助かっております。感謝申し上げます。(時間がかかりすぎると子供に部屋の電気を消されてしまいますしね。)

「情報化時代の戦争」を読ませていただきました。非常に興味深かったです。すでに米国はスーパーパワーとして確実に戦争に「勝てる」状態であるわけですね。ただ、これからはどう勝つかが大変重要になる、また、勝った後にその果実をどうもぎ取るか、がまた大変重要になるということだと理解しました。勝っただけでは、まだ道半ばであると言うことですね。多分、この段階がすぎると、いかに戦わずして勝つか、という世界へ行くのだと思います。

他方で、国としてのレベルでは「戦わないで勝つ」(あるいは、負ける)ところまで国際情勢は、いくつかの重要な例外を除いて、成熟してきているので、finalventさんがおっしゃっていたように、これからの戦争は、国対テロリストのような構図になるのかもしれません。

もうちょっと手前の話をすれば、私の中で「ブラックフォークダウン」の映像が抜けないのですが、この記事でも言及されていたようにいかに市街地戦を戦うのかということの技術革新がなされるかもしれないですね。

そして、フクヤマとヘーゲルの「最後の人間」パラドックスは、こうして一極にしろ多極にしろ、技術革新にしろ、外交のエクスパートたちの努力にしろ、平和な世界が達成されればされるほど、その中で生活する人間たちは気概を失っていく、失わざるを得ない状況におちいっていくということです。これが痛い。ここまで来て、このイラクと米国の問題が自分の問題として把握しうるように感じております。

投稿: ひでき | 2004年5月 7日 (金) 15時08分

うまく言葉で表現できないのですが、ニュースなどを見ていてると非常に憂鬱な感じがしてきます。この憂鬱さってのはどこから来るんだろう。うまく言えないけど、ひじょうに理不尽なもの、どうしようもなく愚かなもの、に囲まれているって感じ。あるいは、自分の中にも、こうした愚かさや理不尽さがしみこんでいるよね、という感じ。

たとえば、国家の損得勘定ってのがあるとします。端的なのは日本の損得勘定。アメリカに盲目的に付いていくと、ひょっとすると、損得勘定的には損をするかもしれない、ということが少しだけ見えてきています。この危険を誰も見ていなかったのか、という損得感情のなさ。

人質事件というものがあります。この人質事件をうまく利用してイスラム世界に日本の宣伝をして保険をかけておくということが私的には損得勘定なのですが、そういうことをだれも計算していないように見える。損得勘定のなさかな。私なんか、彼らがどう考えていようが、狂言だろうが、極端に言えばどうでもよろしい。

エネルギーというものをめぐる戦いの中に巻き込まれているので、戦後処理でいい位置に着けることを最優先で考えていくと、意外と自衛隊の動きもそう悪くないかもしれない、という読みがなかなか出てこない憂鬱。

日本の国益を意識した政策を実行しようと考える立場からすると、国民ってものはたぶん全部バカに見えていて、さらにまた、議員の多くもバカに見えていているだろう、ってこと。そして、なにしろ相手はバカなので、政策方針を、一種の薬のカプセルのように、中身が見えないもので覆って飲ませるしかないだろう、ということ。これが官僚の立場なのかもしれないと思うようになりました。

国益ってのは、政策立案者側からみると利権に関与した日本の特定企業の利益とほぼイコールでもあって、マスコミに代表される勢力のコントロール下にある一般国民ってのをいかに無視して、なおかつ向こうからは知られないように、国益=利権を実現していくか、というゲームに見えているのかもしれないと思いました。

なまじ、国益の仕組みが一般国民から見えてしまう、ということになると、「日本がうちの国の資源をねらっているぞ」ということが別の国の国民からはネガティブに理解されかねないし、「日本の大手資本主義が発展途上国の資源を搾取している」という日本人も出てきかねない。そこで、政策は常に、別の入れ物にいれて出すということを、政権も官僚も考えるようになる。バカだと思える人がいても、とりあえず放置しておく。別の入れ物に入れると見えなくなるから。

ところが、バカも、数が増えたり、声がでかかったりすると、そういう政策立案者がてんてこ舞いになっても対応できなくなったりするパワーを発揮して始末におえなくなり、非常に理不尽なことが始まる場合もある、という風に見えているんだろうなーと思うわけでした。


イラクで、テロリストだと思った捕虜(?)を裸にして、戦死した同郷の友人の仕返しに思い切りぶんなぐって恥ずかしい格好をさせたら少しだけすっきりしたとか、切羽詰まった将軍の命令で深夜の1時頃から朝までファルージャの上空を旋回しつつ、そこいらじゅう砲弾を打ち込んでやったら、翌朝、赤ん坊の無残な死体がテレビに映っていて、「あれは俺がやったんじゃない。おまえだろー、きっと」と仲間とジョークを言いながらコーンフレークに牛乳をかけて食べるとか、そういうことが起こっていそうなことも憂鬱です。

「人権」とか「平和」という言葉を口にするやつは全部「反日分子」と呼んでおいた方がなんかすっきりしてわかりやすい、と考える人はどこか拷問を平気でやってしまいそうな人間にも似ているような気がしてならない。私の目から見ると、損得勘定や法律を守らない、ということ。

今後もどんどんバカがはびこって、本当の意味の国益を阻害していきそうな勢いが、非常に憂鬱です。


社会の要所要所に、かなりの愚かな人間がいて、これがあまり影響力のないところにいればいいけど、変動期には、けっこう大事なところにも入り込む。そして、いろいろな仕組みを台無しにしていくのが一般的なシステムの混乱原因だろうと思いますが、こういうバカが顕在化したとき、すぐに再教育してバカを根絶やしにする仕組みが「そこそこある国」と「ほぼない国」。

ワシントンポストのリンクから飛んで、刑務所のMPの訓練状況についてまとめられている報告書をざっと見たのですが、捕虜の扱いについての教育なんか受けていないような連中がすごく適当にやっていたみたい。政治的な局面では、アメリカは相当な痛手を負いましたが、本件が最終的に改まるかどうかという点では、たぶん、正常化できそうな気がします。グァンタナモ基地に捕らえられている連中も、それなりに正当な扱いを受けることができるようになるでしょう。

というのも、「正義」というものを指導者が信じているからです。「正義であると見えることの重要性」を知っている、と言い換えてもいいかもしれません。正義の基準とは単純にいうと、合衆国憲法に則った法律であり、自由と民主主義の精神です。

残念ながら、日本は、本音で人を説得するロジックの中には「自由」と「民主主義」の国是はないので、国益と法律、ということになるのではないかと思います。しかし、なんか、これ、あんまり機能しないよねー、と最近、つくづく思うようになりました。

人々の価値観を支配しているのは、やや見当違いな金銭感覚のようにも見えるし、お上への従順さというか、「右に習え、特別は許さないぞ」の平準化意識、なのだろうか。いずれにしても、法律やルールや秩序に対する意識、ではないよね。保険金の問題を見ているとそれがよくわかる。

「右に習え、特別は許さないぞ。でも、人が見ていなかったらどうでもいいよ」、かな。うーん、アジア的だな。そう、アジア的なんだ。

具体的なレベルでは、アメリカよりはるかにいろいろな面でよくできている国のはずだと思うのですけれど。

そんなことを考えたら、なんだか、憂鬱感覚が消えてきた。きっとアジア的なんだろう。

投稿: miyakoda | 2004年5月 7日 (金) 17時42分

あ、うまいことばがありました。

世間(せけん)ってやつですね。これの価値基準をきちんと書いていけば、日本のルールになるような気がする。世間の涙を誘ったり、世間の鼻つまみものになったり、世間様に恥ずかしいことをしたり、というときの「世間」という基準を入れて考えてみると、なんかすっきり理解はできます。

実体はこれといってはっきりしない、ゆらゆらしたものなのだけど。小泉内閣は、そういう意味でいうと、世間からかけ離れている、とは言えそうな感じ。この「世間感覚」がすぐれていれば、日本国内的にはうまくいくんだろうなと思う。

なんか一人で納得しました。

投稿: miyakoda | 2004年5月 7日 (金) 19時03分

Miyakodaさん、

お願いですから、私だけを憂鬱の中に取り残さないでください。

はぁ。でも、もうお休みなのでしょうね。

私ももう寝ます。おやすみなさい。

あ、メールちゃんと読んでますか?

投稿: ひでき | 2004年5月 8日 (土) 01時24分

あ・miyakodaさんが面白いこと言ってるからちょっとだけ割り込み(笑)

そうですね
「世間」と「社会」の分離だと思います
(そういうのはぼくも感じました)

「世間」ってのは(この言葉はあまり好きではないですが)「大衆」ってことで、目先の利益とかきになることにだけ執着する感じのものだと思います

たとえば、福田さんがやめたこととか・・
田中マキコムスメスクープ事件とか・・
年金問題に対する反応とか・・
消費税とか・・
家族と平和とか・・

そういうのですかね...

どれも心情的には分かるんだけど、それだけの論理で要求するとシステム的にムリじゃん、ってのでも押し切ろうとする..

で、そういうのが集団ヒステリーになって、ときどき力を発揮するんですが...
(まぁ、ぼくはそういうのも評価する立場なので..)

でも、盲目的に誰かに従ってる姿ってのはちょっとイヤですね
(マスコミとかね。んで、マスコミはほかに従う、と)

まぁ、そこまで単純なものでもないのかもしれないけど、基本構図としてはこんなのが見えて、ちょっとイヤです。。


あと、やはりおっしゃるように
アメリカと国連がコケはじめているので、うまくするとチャンスなのになぁ、ってのはぼくも思ってます
(そういう意味ではあのズッコケコストもそれなりに回収できるのにね)


あ、そういや面白いもの見つけたので貼っときます

例の・・
「文明の衝突」をめぐっての2つの見解です

「The clash of civilisations revisited」(@Al-Aham)
http://weekly.ahram.org.eg/2004/686/op5.htm

※一つは今回の一連のテロの流れも受けたアラブ圏からの見解(<アラブのテロは弱さの表れだ。強さではない>って感じの。そして「文明の衝突」的視点には批判的)


もうひとつは、御大ハンティントンさん登場
「Native Son: Samuel Huntington Defends the Homeland」(@Foreign Affairs)
http://www.foreignaffairs.org/20040501fareviewessay83311/alan-wolfe/native-son-samuel-huntington-defends-the-homeland.html

※たぶん、いつも通りの調子だと思います


・・両方ともまだ読んじゃいませんが....(^^;)

投稿: m_um_u | 2004年5月 8日 (土) 08時38分

あ・違った
もう一個のほうは、ハンティントン自身じゃなかったですね(すみません)

投稿: m_um_u | 2004年5月 8日 (土) 08時39分

fiance ではなくて finance ですか?

投稿: anonymous | 2004年5月 8日 (土) 17時05分

m_um_uさん、

いつもありがとうございます。記事すこし読みました。おもしろそうですね。ハンティントンはまだ全然分かっていません。勉強します。

ちなみに、今日、「America's Role in Nation-Building: From Germany to Iraq」の日本についての章を読了しました。

http://www.rand.org/publications/MR/MR1753/">http://www.rand.org/publications/MR/MR1753/

ついでに、「太平洋戦争」という本も平行して再読しております。戦争前後から現代をつなぐ動きにすごく興味を持っております。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/02/post_11.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/02/post_11.html

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122001048/ref=sr_aps_b_2/250-7326932-9728266">http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122001048/ref=sr_aps_b_2/250-7326932-9728266

投稿: ひでき | 2004年5月 8日 (土) 19時28分

anonymousさん、

ご指摘ありがとうございます。前後してもうひとつ入力間違いをmiyakodaさんにご指摘いただきました。「味は愛、形は敬」という言葉をかみ締めます。

実は、ものすごくエネルギーをかけてようやく締め切りに間に合わせた卒論を提出した後に、院生から「お前指導教官の名前の漢字間違えただろう。先生怒ってたぞ。」と指摘されて以来、入力ミス、誤植、名前間違いにはこりているはずなんですが、まだやってしまっています。その先生には本当に御世話になったし、いまも御世話になっているのですが、本当に失礼なことをしたと今でも思っております。

いずれにせよ、御恥ずかしい限りです。今後とも、なにか間違いを発見されたらぜひぜひご指摘ください。

投稿: ひでき | 2004年5月 8日 (土) 19時32分

米兵は「最後の人間」か?、拝読しました。

先進国である日本において途上国の貧困を語り、理論的すぎる質問を学生が投げるときに、「そこでバタバタ死につつある人がある時に、君達はどういう態度をとるつもりなのか」という類の大きな(あるいはあいまいな)反応をしつつ、現場なき議論に終始しているのは自分自身であることに不安すら覚えるなかで、実はもっとも本質的であるはずの「語る」という営みそのものを忘れがちな官僚生活にあって、AUのベンチでコーヒーを飲みながら議論した日々、やっぱりあれば一番よかったですねえ、そう思います。

「情報」はそもそも、リークされるものだと思います。完全に隠しとおすことができる情報はありえない。いずれリークされるのです。そうであれば、どの情報から先に、どの段階でリークされるのか、報じられるのか、報じるのか、発表するのかという判断の問題だと思います(インターネットは、その手段だと思います)。「情報戦」「広報戦」があるとすれば、相対する複数以上の陣営それぞれがどのような「情報戦略」「広報戦略」を持っているがその本質だと思います。そして、クオリティの高い戦略であればあるほど、その政治的意図の中核部分(あるいはもっとも政治的決定に近いところ)はパブリックにならないのだと思います。

残念ながら日本はこれが一番弱いですね。専門分野化されていない。そして皮肉なことに、アメリカは極端にこれを重視する。今年の大統領選などは、この骨頂です。日本では「コミュニケーション」といっても、「意思伝達」くらいの訳語にしかならなくて、コミュニケーション学といっても言語学の類の亜種であるかの扱い(それから教えるほうも、そういう類の専門の人ばかり)を受ける破目になる。だからこそ、日本独特の広告代理店のような存在が幅を利かせることになり、きわめて皮肉ですが、この業界がもっとも古典的な、接待と人情と義理にうったえるような仕事の仕方をもっとも活発にやっている。

あ、何だか話がそれてきましたが、つまり、ああ、あのころの、AUのころはよかった、と言ったかったのです。

投稿: koh | 2004年5月 9日 (日) 20時03分

kohさん、

うーん、すごいですね。たった一日で、ここまで...すばらしいです。今日、なんども同じような事を書いていますが、ほんとうに感心しております。

ええと、Dainさんが「デカレンジャーと「戦争広告代理店」」とい記事をかいていらっしゃいます。

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/04/post_8.html">http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/04/post_8.html

政府御用達という感じなんですかね?それにしても、ボロボロと米軍はつぎからつぎへとなさけない情報が伝わってきています。米国の上層部もゆらぎがみえるようですね。あっちゃんにこの辺、ニューヨークとかでどう伝わっているか、聞いて見ますかね?

ブログにはいろいろな意見を持った方がいるので、kohさんがどういう印象をもたれるか、すごく興味があります。でも、ま、のんびりやりましょう、Dainさんではないですが...

投稿: ひでき | 2004年5月 9日 (日) 20時25分

(^-^ あう、宣伝していただいている …ものすごく嬉しいです、ひできさんありがとうございます … んで、koh さんのインテリジェンス論についてはこの記事が近いかもしれません

インテリジェンスを一匙
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/02/post.html">http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/02/post.html

インテリジェンスをもう一匙
http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/03/post_9.html">http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2004/03/post_9.html

これはとある雑誌の連載記事についてのレビューです。先月に本が刊行され、今猛烈に読んでいるところです。終わったらレビューしますね

投稿: Dain | 2004年5月 9日 (日) 22時46分

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