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2004年5月18日 (火)

言葉の神、ウェブの神、ネットの神、そして、約束の知

■私が経験した協力関係

ここのところ、ウェブ(*1)における人の関係の大事さを感じている。

m_um_uさんからJill Walkerさんの記事を紹介していただき、「[書評]リンクと力:ウェブ上リンクすることの政治経済学」を書いた。ここのところ、考えている「ネットの上の認知通貨の可能性」についての重大なヒントがあった。ほかにもいろいろな情報をいただいている。

また、山口浩さんからもいろいろな示唆を与えつづけていただいている。お互いに関心の分野がかさなりあうところ、違う所が交差しあうのが、楽しい。

それに、miyakodaさんが、大変興味深い記事をいくつも書いておられた。miyakodaさんとは、なぜかいつも見ているものが共通のことが多い。不思議な共時性のようなものを感じさせていただいている。

また、自分が追い求めていることについて、同時多発的にいろいろな方が興味をもっておられ、コメント、リンク、トラックバック、あるいは、メールなどで、それぞれの見解がゆるくつながっているという状況自体が、ウェブの上での人間関係のあり様を百万言をついやすより、鮮明に示している。

ウェブの上で、あるいは現実の人間関係の中で、いろいろな方にお世話になっていることを、ほんとうに感謝の念で思い浮かべている。

私は、私のウェブ上のどの言葉ひとつをとっても、いろいろな方とつながっているから、初めて命を与えられて、常に動き出す事ができるのだと感じる。これは、もしかすると自分の言葉に命の側面のひとつくらいはあるので、ウェブの上で動きが生まれるのだと、感じている。

言葉は命だ。命は言葉とともにあった。

■ウェブ上の言説の変化

ウェブの上で、ひとつの言葉が、どのサイトとつながっているか、グーグルのPageRankでどのように評定されるか、どのようなコメントが付けられるか、などの「つながり」方はそのまま、言葉のウェブにおける場所だ。検索エンジンの評価や、リンクやトラックバックは、つねに変化しているから、ウェブに存在する言葉というのは、ウェブにおける場所を常に動いているといっていい。

例えば、私のサイトがniftyのホームページに存在している時には、ほんとうにアクセスがないサイトだった。たしか、6年間で6,000アクセスくらい(ああ、恥ずかしい。でも、ほんとうのこと。)。ブログという場所に移動してきて半年にならないし、ココログのアクセス解析をつけはじめて、3ヶ月くらだと思うが、1万ページビューくらいにはなる。

私には、この体験は言葉の場所が変わったことにより生じたと思われる。なによりブログはグーグルに愛されているから、検索で有利だし、コメントもリンクもはるかにやりやすい場所にいることになるが、書いている本人は変わっていないことは確かだ。しかし、この数ヶ月でブログを通して受けた知的刺激は比較にならない。まあ、1万PVなんて決して多くないし、PVがすべてではないが、この3ヶ月が私の6年分のウェブ上の体験に匹敵するとも感じる。なにより、同じような興味を持つ方々と交流させていただく機会、つながりを得た事は、ほんとうに私にとって、貴重な宝島を発見した思いだ。

■あなたにここにいてほしい

これまたm_um_uさんに紹介いただいた國領二郎さんの論文を読みながら、ふと、ネットワークにおける知というものは、まさにあなたがこの記事を読んでいるいまこの瞬間に、ここにあるのだということを感じた。いまあなたが読み進んでいるということには、多くの条件がある。あなたは、いまネットにつながっている。あなたは、いまウェブを閲覧できる環境にある。あなたは、ウェブを見る時間と場所を持っている。あなたは、検索エンジンか、ブックマークか、リンクか、なんらかのつながりによりこの記事にたどり着いた(たどり着いてくださり、読み進んでくださり、ありがとうございます)。

あなたがいま体験していることは、普通の印刷された記事での体験とはまったく違う。この言葉も、このウェブも、そして、この言葉の位置も常に変化しているし、あなた自身がこの言葉に参加することができる、つながることができる。これがウェブの命なのだ。

ウェブでは、「つながっている」ことを感じられる機能がいくつかある。この記事自体もネットにつながっている。つながっているからこそ生命がある。リンクやら、コメントやら、トラックバックやら、参照リンクやら、ウェブの上でいろいろな単位、言葉、人とつながっているから、この記事が存在している。

■場所とことばの命

くりかえしになるが、この言葉、この記事は、書いている私がいて、読んでくださっているあなたがいて、命があたえられる。そして、私とつながってくださっているすべての方々と、この記事とつながっているすべての記事と、この言葉、この記事自体とで、ウェブの上の知を形成している。そんな、感覚が私にある。

六次の隔たりではないが、言葉は、すべての人、すべてのネット、すべての知、とつながっているということにはならないか?逆説めくが、単につながっているというのと、本記事が命をもつための場所、領域、セグメントは、確定している、境界がそこにある、私はそう感じる。

表現としてつながっているから、というだけでなく、このサイトで発想されたことの多くは、私をひとつのノードとして含むネットワークにおいて発想され、修正され、議論として深まっていっている。ここでいうネットワークとは、私を含む様々な人の人間関係をも、コンピューター同士のつながりとしてのネットワークをも、含んで存在している。

また、目を転じれば、こうした活動、記事の命の根っこには、人と人との信頼関係があることに気づく。信頼が協力を生む。では、信頼をどこまで人間はウェブの上で築くことができるのだろうか?

蛇足だが、こうした領域内での協力関係を問題にするときに、必ず著作権の問題はさけることができない。ただ、私見だが、このウェブの上の協力関係まで含めて、ウェブの言葉の命を、書籍などに表現しうるのか、疑問だ。本には、本の体裁、形式にあった内容、表現があり、本の言葉には、本の言葉の命がある。その命は、ウェブの上の言葉の命とは、動き方が違う。

■人と人とのつながり方

miyakodaさんのご指摘のように、人とのつながり方にもいくつかのパターンがあるのだろう。どうしても、私は以前心理学の徒だったので、その発想から逃れられないのだが、認知心理学的な研究から、人間の認知の仕方には、一定のパターン、有限の数のチャンネルがあることが知られている。有名なところでは、「マジカルナンバー7プラスマイナス2」というのがある。手のひらにひろげられたコインの数の把握、記憶しやすい電話番号、ランダムな色の順番の記憶、など、短い時間の中で処理される人間の情報処理の数は、あんがい少ない。長期的な人間の情報処理で発揮される認知的な側面とは、大きな隔たりがある。もっとも、長期的な情報処理でも、「創発」などで指摘されているように、人間関係の可能な数というのも限界があるようだ。ローマの昔から小隊、中隊、大隊への単位組織の中の人数がかわらないというのも、この辺に事情すると考えている。

そして、ウェブの上で形成される人間関係、相互的リンクの数、いっしょに知的な生産性を生む仲間の数というのは、案外限られているのではないか、というのが私の発想である。まず、小隊クラスということであれば、ほぼ常時情報を交換し、意見しあい、お互いに仲間だと思える人数の、7~8人ということになる。あなたが自分でサイトを運営しているとすれば、「常連さん」と言える人数を勘定してみて欲しい。次は、中隊のクラスということで、昔のローマだと百人隊長といった人数だ。これは、多分リンクを常時見ている数の限界ではないか?もし、あなたがはてなアンテナをやっていれば、その登録の数を、ブックマークをしていれば、ブックマークの数を確かめて欲しい。ほとんど見ない数をぬけば、100を超えることは少ないはずだ。50から70くらいが限界ではないだろうか。ちなみに、私はちょうどいま71本の登録がある。このうち20本くらいの登録は、ほとんど死にすじでみない。大隊、連隊、師団と、組織が大きくなってくると認知心理学では、チャンクとよばれる(ああ、年がばれるな...)レベルの下の単位組織を1単位として、また7~8とつなげて感じ取る事になる。

「ティッピングポイント」という私の大好きな本では、150人になるたびに、分裂させて新しい工場あるいは分社にしてしまうというユニークな組織の話があった。そうそう、そういえばアクセス向上会議でも、サイト運営のプロの方たちが、スレッドが多くなった時に、どうカテゴリーなどを切っていくかが、自然に参加者が内容を投稿してくれる形のサイトにおいてとても大事だといっていた。この「きり方」のシステムにおいては、2chがとてもすばらしいと口々に言っておられた。

miyakodaさんが、150という数と人間の大脳皮質の関連について書いていらっしゃった。とても興味ふかい。認知的、神経生理学的な側面からのアプローチは、人の個としての性質が全体としての挙動とどう相互作用をおこすかのヒントを与えてくれているように感じる。

私が興味あるのは、この限られた人間のリソースの中で、数限りない参加者がいるウェブの中で、どう自分自身が場所を構築できるのかということだ。

■そして、ウェブの上の麗しい谷へ、物々交換へ、

言葉の命、言葉の場所、そして、命から生まれる、人と人とが自然につながり、一定の領域を形成していく、そんな幻想が私から離れない。言葉や、リンクや、情報、見解、意見、コメント、そして、表現される情緒的なやりとり、そんなもので、このウェブ上の領域というのはできている。こうしたやりとりは、一人一人にとって価値が違う。時間が違えば、価値が違う。ただ、ウェブでは、常に表層的な形式で、人と人との深いやりとりが記録されていくので、人は常にそのやりとりを追体験することができる。これは多分山口浩さんが指摘される、あるいはJill Walkerさんが指摘される、物々交換の世界なのだろう。

PageRankにさまざまな疑問が出されているように、こうしたウェブ上のやり取りを定量化することは、やりとりするプレーヤー自体が、定量化の定式を理解し、対応することができるので、常に相互作用が生じてしまう。相互作用が生じたものは、熱力学的なウェブを既述するものとしては非常に雑駁な定式化しか出来なくなってしまうだろう。非常に繊細で微妙な人と人との交流の構造を含むながら、全体を既述する事はできるのだろうか?

そして、一番すばらしいことは、この領域なり、谷なりがあるのだとすれば、それはとても壊れやすいものだということだ。「ファウスト」第二部のファウスト自身の最期の科白を参照されたい。

■注
*1
 ネットというと、スパムメールから、ウィルスから、あまりにも対象が大きくなってしまう。本論では、あくまでウェブということに限定したい。


■参照リンク

・"Links and Power: The Political Economy of Linking on the Web" by Jill Walkerさん
師団、軍団、旅団、大隊、中隊、小隊の構成人数
ネット通貨としての「認知」:さらに修正 by 山口浩さん
[書評]リンクと力:ウェブ上リンクすることの政治経済学 (HPO)
麗しい澤 (HPO)

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コメント

すごいですね、ひできさん
これは、バラバシの「新ネットワーク思考」で出てきた話ときわめて近いです
(ex.ローマの兵団の数:100人編成ってやつの例)

おそらく、ひできさんは未だこの本をご覧になっていないと思うのですが...

いや、すごいな..

んで、認知ってことに関して言えば、やはりおっしゃるように人間の認知には限界があって..
で、限定合理性ということに繋がってくるんですが
(古典経済学では完全合理性が基調になってて、んで、需要と供給の「完全市場」ってのがドグマになってたと思います。でも、いまは「限定合理性」が基本)

そういう限定合理性の中では「情報の非対称性が克服されたとしてもムリがある」(ユーザーがいくら自由に情報を獲得できるようになっても、合理的判断はできない)ってのが基本としてあるんだけど..

経営情報システムってのはこれをなんとかしよう、って感じの学問領域のようです

で、
ひできさんの論とつなげると.....


あ、なんか答えが出ませんね


まぁ、とりあえず、
情報と人間(あるいは認知に基づいた意思決定)についてはこんな感じみたいです

投稿: m_um_u | 2004年5月18日 (火) 09時29分

通貨でも物々交換でも、定量化なり定式化に伴って失うものがあるという点、まことにごもっとも。さてそこでですが、そもそも定量化、定式化は何のために行いたいのか?というのが問題になるのではないでしょうか。

私が「通貨」だの「物々交換」だのという定量化指向の考えに固執しているのは、それ(ある種のインセンティブですね)によって「認知」などの交換活動がスムーズ、活発になり、結果として私たちの生活なり社会なりがより「豊か」(金銭的なり精神的なりに)になるのではないか、という考えからです。失うものはあっても、それに勝るメリットがあればいい。というより、そうした量的概念に情緒面まで求める必要はない、ということです。ふだん使う100円玉などの貨幣に表情がついていて、ニコニコしてたり怒ってたり、果ては「君の人生観はまちがってる」などと説教をされたりしたらいやでしょう?それは「交換の媒体」に求めるべき機能ではないと思います。

定量化、定式化によって失われるものは、それらを指向しない価値観に基づいて考えればいいのでは。そうした価値観は、定量化・定式化を求める価値観と等しく人間にとって重要なものだと思います。

投稿: 山口 浩 | 2004年5月18日 (火) 13時48分

ひできさん、こんにちは。
m_um_uさんのコメントを見て思い出したのでコメントします。議論の立脚点がちと違うかも知れませんが、バラバシの「新ネットワーク思考」を読んで以来、スケールフリーネットワークについての様々な話題は大変興味があり、わたしも色々考えていたところです。私が興味を持ったポイントは後述します。
バラバシの本などを見ると、「認知度」をページビューで計測した場合、インターネットのホームページは極めて「不平等性」が大きいべき乗分布にきれいに従うことがわかっているそうですね。(これをどうとらえるか、について私は結論を持ってないんですが・・・)。
一方、私は、地域(都市・都市群)の盛衰みたいなことに興味があり、試してみたところ、同様のことが都市への人口にもよく合致しました。
■べき乗分布。
http://akiller.cocolog-nifty.com/blog_of_akiller/2004/04/post_10.html

GLOCOMの主幹研究員丸田一さんは、以下のような興味深い視点を提示しておられます。
■GLOCOM Review
「ベキ指数を用いたインターネットバックボーンのネットワーク構造分布」
http://www.glocom.ac.jp/top/review.j.html
■CAN FORUM ONLINE
http://www.can.or.jp/archives/articles/20030527-01/

投稿: akiller | 2004年5月18日 (火) 14時11分

m_um_uさん、

パラバシって誰だか知りませんが、百人隊長と現代の組織まで並べたのは、たしか「ティッピングポイント」だったような、自分で発想したような...定かでありません。あ、もしかすると塩野七生かもしれません。

限定合理性については、確かこのまえウニさんに教えていただいたフクヤマが書いたハイエクについての論文にそんなことがかいてありましたね。いまでは、あたりまえになってしまったので、そのことでハイエクを賞賛するやつはいないけど、ハイエクの真の偉大さは、全く合理的であるやつなんかいない、ということを初めて唱えたことだ、と。

http://wwics.si.edu/index.cfm?fuseaction=wq.essay&essay_id=72344

(ウニさんありがとうございます。ちゃんと読みましたよ!)

うーん、やっぱりこの辺は、私の手には負えません。あ、でも、一応経営ということにも、情報ということにも、かかわっちゃいるはずなんですけどね。逆に、表面的な情報に私はまどわされているのかもしれません。もうちょっと、自分自身に問います。

投稿: ひでき | 2004年5月18日 (火) 19時43分

山口浩さん、

そうですね。私も同感です。

私は、なんか混乱しつるあるようなので、もうちょっと考えます。

混乱している一方のきわは、認知に対する欲求というのが、情緒的なものなのか、食欲などとおなじ人間の本源にゆらいするものなのか、ということ。フクヤマの認知欲求は、明確に、命をかけてでも戦いとるものだ、と定義されています。では、私が書いている認知欲求というものは、情緒的なものなのか、それとも人間本来からゆらいするものまで肉薄できているのか、それが非常にこころもとない。命ということばを使ってまで、そこにたどり着けない、自分はなんなんだろうか、と。

もう一方は、切込隊長さんの記事を読んで感じていることです。これこそ、認知通貨といったものを考案すれば解決しうる問題かもしれない、あるいは、全然違うのかもしれない、と悩んでいます。レッシグの発想と極めて近いのだと思います。

http://kiri.jblog.org/archives/000707.html

レッシグは、通貨ということは考えていないと、おっしゃっていましたよね。やっぱり、これは認知通貨とは別の問題なのかな?

悩めるおじさんをしております。

投稿: ひでき | 2004年5月18日 (火) 19時54分

akillerさん、こんばんわ、

ありがとうございます。これは、私の知っているうちでは「20:80の法則」あるいは「ティッピングポイント」という言葉に近いようですね。まさに、この現象こそが私がウェブの上で「領域」が発生する原因なのかもしれません。

投稿: ひでき | 2004年5月18日 (火) 19時59分

akillerさんへ

これ・・面白そうですね
(「ベキ法則」とネットワーク分布)

私見ではこれにクリティカル・マスポイント(@ネットワーク経済学)とか関わってくると思うんです

クリティカルマスポイントとはバラバシが閾値と呼んでいたやつです
(えっと、ちょっと長くなっちゃうんですが、ご容赦ください m(_ _)m)

--------------------------------------
▽閾値

※「適応度」が商品の性能(攻撃力)を表す値だとすると、「閾値」はその商品のミリョク(物欲)に対する防衛力

--
(アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 、2002、「新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く」、NHK出版)
http://www.nd.edu/~alb/

(189)
 流行やウィルスのなかには、広まらずに消滅するものと広がるものとがある。その理由を説明するために、社会科学者や疫学者は「閾値モデル」という非常に役立つ道具を作った。新機軸をどの程度積極的に受け入れるかは、人それぞれである。一般に、十分説得力のある証拠があれば、人は新しいアイディアを取り入れてみようと思うものだ。だが、どの程度の証言なら納得するかは一人ひとり違う。拡散モデルはその違いを取り入れ、個々人に閾値を設定し、新機軸に対する積極性を定量的に扱えるようにしたものである。

------------------------------------

で、これはネットワーク経済学的にはクリティカルマスポイントって呼ばれてるやつに当たると思うんです

ネットワーク経済的には、あるポイントを過ぎちゃうと一人勝ち現象が起ります
(cf.デファクトスタンダードによる一人がち ⇒ globalization、ex.MSのWin一人がち構造)

このポイントが閾値って呼ばれてるやつです


以下は箇条ですが...

-----------------
▽ネットワーク経済性(外部性)について

▽ネットワーク外部性


ネットワーク外部性:
ある製品(システム)をより多くの人が使うと、その製品の有用性が増加する
需要の側での規模の経済

--
(依田高典 2001 「ネットワーク・エコノミクス」 日本評論社)

(13)
ネットワーク外部性とは、「需要サイドの消費決定が、互換可能なネットワークの規模の大小を通じて、消費者相互の選好に直接的影響を与えるような技術的外部性」のことである。例えば、電話サービスはネットワークに加入する人の数が増えれば増えるほど利便性が高まるし、ハードウェアの効用はそれに対応するソフトウェアの充実度に依存している。ハードウェアの効用はそれに対応するソフトウェアの充実度に依存している。1950年代ライベンシュタイン(H.Leibenstein)が「バンドワゴン効果(Bandwagon Effect)」として提唱し、70年代ロールフズ(J.Rohlfs)が「通信サービスの相互需要」として定式化したが、80年代カッツとシャピロ(M.Katz and C.Shapiro)やファレルとサロナー(J.Farrell and G.Saloner)のゲーム理論的研究で一躍脚光を浴びた概念である。


--
林紘一郎 1998 「ネットワーキング 情報社会の経済学」NTT出版

(38)
 電話ネットワークの特性の1つは、私があるネットワークに加入することが、私の便益を向上させるのみならず、既存の加入者の通話機会を増やすことになり、他のメンバーの便益をも向上させることである。経済学では、市場取り引きの結果が、取引の当事者以外の第三者に影響を与えることを「外部性」があると呼んでいるが、このケースもその1つで、ネットワークに関連した特殊な例として「ネットワークの外部性」(Network Externality)といわれている。


--
(小野桂之介・根来龍之 2001 「経営戦略と企業革新」朝倉書店 )

(98)

「ネットワークの経済性」は、「製品(財やサービス)について、そのユーザーが多ければ多いほど、またネットワークのサイズが拡大すればするほど、その製品(財やサービス)からユーザーが得る『便宜』が高まること」と一般に定義されている。たとえば、普及したOS(オペレーティングシステム)は、そのOS自身が必ずしも使いやすくなくても、ユーザーはその「普及していること」からデータや習熟の交換が容易だという便宜を得る。いわゆるデファクトスタンダード(市場で最も普及した「事実上」の標準規格)をめぐる競争は、規格の技術的優位だけでなく「その規格を採用する企業を数多く獲得する」ことに焦点がおかれる。これは、「ネットワークの経済性」をめぐる競争だと言える。


(105-106)

「ネットワークの経済性」概念は,「階層連携による範囲の経済性」の外部効果の一部を指す概念である.あるインフラ(ネットワーク)を前提にした,顧客同士の相互作用における便宜の向上を意味しているからである。従来言われてきたネットワークの経済性概念では,規模の経済性との効果の分離が明確になされていない.「ユーザーが多ければ多いほど」というメカニズムは,規模の効果を現すものである.全体として規模がなくても「ある主体者間に限定された」効果が発生することもありうる.たとえば,一定の顧客層が受け入れるインフラを利用した企業連携(階層連携)では,その顧客層に属するユーザーの便宜性が高まる.従来の「ネットワークの経済性」は,「基盤の経済性」の外部効果部分を指す概念であると考えられる.


※外部効果部分・・・消費者の利益になる部分
内部効果部分・・・企業側の利益になる部分(効率性の向上, コスト削減)

--
Shapiro, Carl and Varian, Hal R., "Information Rules," Harvard Business School Press, 1998.
(千本倖生・宮本喜一(訳)『ネットワーク経済の法則』IDGジャパン,1999年.)


(310) この基本的な価値の命題はさまざまな名称で表現されている。ネットワーク効果、ネットワーク外部性、そして需要側の規模の経済などである。これらはすべて基本的に同じポイントを衝いている。つまり他の条件が同じなら、小さなネットワークよりも大きなネットワークにつなぐ方がよい、ということだ。この‘大きいことはいいことだ‘というネットワークの考え方こそ、後述するように、今日の経済のもとで特によく見受けられるプラスのフィードバックなのである。


(319)供給側の規模の経済と違って、需要側の規模の経済は市場がそれなりに大きいときは消滅しない。もし他の誰もが皆マイクロソフトワードを使っているなら、それがますますワードを使う理由になるのである。


(324) 大きなネットワークの方が小さなネットワークよりもユーザーにとって魅力があるということはすでに触れた。経済学者はこの効果を説明するのに「ネットワーク外部性」(network externalities)という言葉を使う。


※「プラスのフィードバック」・・・「強者はますます強くなり、弱者はますます弱くなる」的な法則。これによりデファクトスタンダードをとったものの一人勝ち的な状況が生まれる ⇒ 市場独占
(「供給側の規模の経済」=従来の規模の経済のこと)

反対概念として「マイナスのフィードバック」がある。マイナスのフィードバックにおいては強者が弱体化し、弱者が逆に強くなって、両者ともに共存できるように作用する。
(ex.企業はある規模を超えると、組織体運営・維持の複雑さが増し、成長が鈍化する。大企業が巨大なコストに苦しむようになればなるほど、身軽で動きの早い企業が利益を稼げるニッチ市場を開拓する)


--
(山本孝/井上秀次郎編 『経営情報システム論を学ぶ人のために』)

(13)

規模の経済性は、生産規模による単位当たりコストの低下を意味し、高度成長期の量産効果をあらわしていた。しかし、安定成長期になると市場では多品種少量生産方式が求められ、複数の事業活動や製品・商品の多角化、豊富な品揃えなど範囲の拡大を進めることにより、共通費や総費用を抑制し、資本の節約効果が高まるという範囲の経済性が主張される。
 しかし、経済の低成長が長期化し、リストラ「合理化」がいっそう強化される90年代後半になってくると、規模の経済も範囲の経済も適合しなくなる。他方でインターネットを中心とした情報ネットワークの普及にともない、取引の連結や内部化によるメリットや利用者(消費者)の増大による便益の高まりなどを意味する、ネットワークの経済性が重要視されるようになってきた。


--
池田信夫 2001「インターネットによる情報通信産業の垂直非統合」(奥田正寛 池田信夫編著 『情報化と経済システムの転換』 東洋経済新報社)
http://red.glocom.ac.jp/johoka/wp.html
http://www.glocom.ac.jp/users/ikeda/johoka2001.PDF

※垂直非統合≠アンバンドリング

※「企業規模を大きくしてもネットワーク外部性は活かせない」っていうお話▽


情報通信産業で巨大買収・合併が流行したころ、これを「収穫逓増」によって正当化する議論が流行したが、実際には企業買収によって両者を合算した企業価値が高まる確率は半分以下である。攻撃的な企業買収を続けてきたAT&T(米国電話電信会社)やワールドコムの戦略も挫折し、あいついで企業分割を行った。情報通信部門全体としても集中度は低下しており、ハードウェア・ソフトウェア・通信部門の上位5 社のシェアは、1988 年から98 年にかけて15-30%縮小している(Ghemawat-Ghadar 2000)。
特定の規格のユーザーが増えることがその規格の価値を引き上げる「ネットワーク外部性」は需要側の問題であって、これを生産関数の問題である収穫逓増(費用逓減)と混同してはならない(*4)。この外部性はプラットフォームに対して働くのであって、企業の規模とは必ずしも対応しない。


-----------------
▽CM (critical mass)

--
林紘一郎 1998 「ネットワーキング 情報社会の経済学」NTT出版

(40)
「ネットワークの外部性」があると、初期の立ち上がりはより急勾配となる。その結果、普及の初期に超えなければならないcritical mass(日本語では「閾値」あるいは「臨界点」、以下単にCMという)が存在するのが、一般的に観察されている。このレベルを早期に超えたネットワークは、その後は自己増殖的に発展するが、そうでないと自然消滅する。


(41)※CM点後もユーザが増えつづける理由
 一般的な(相互性のない)財またはサービスの普及については、先に採用した人は、その後の採用者についてのみ影響を与える。なぜなら後から決定する人にとっては、すでに採用した人が多いということが、その財またはサービスの利便性を証明してくれることになるからである。一方、相互性のある場合については、先の採用者が跡の採用者に影響を与えるばかりではなく、その逆の現象も起きる。この前者と後者の間の相互作用こそ、彼の言う`interactive innovation`の特質に他ならない。


-----------------
※閾値とった後の一人がち現象について↓

▽「プラスのフィードバック」

「強者はますます強くなり、弱者はますます弱くなる」的な法則。これによりデファクトスタンダードをとったものの一人勝ち的な状況が生まれる ⇒ 市場独占
(「供給側の規模の経済」=従来の規模の経済のこと)


※「プラスのフィードバック」・・・「強者はますます強くなり、弱者はますます弱くなる」的な法則。これによりデファクトスタンダードをとったものの一人勝ち的な状況が生まれる ⇒ 市場独占
(「供給側の規模の経済」=従来の規模の経済のこと)

反対概念として「マイナスのフィードバック」がある。マイナスのフィードバックにおいては強者が弱体化し、弱者が逆に強くなって、両者ともに共存できるように作用する。
(ex.企業はある規模を超えると、組織体運営・維持の複雑さが増し、成長が鈍化する。大企業が巨大なコストに苦しむようになればなるほど、身軽で動きの早い企業が利益を稼げるニッチ市場を開拓する)

--
林紘一郎 1998 「ネットワーキング 情報社会の経済学」NTT出版

(51)
 このような特性を持つネットワーク型の商品やサービスにおいては、通常期待されるような市場の自動調節機能は働かず、いったん勝ち始めるとどこまでも「一人勝ち」(winner-take-all)になりがちである。科学社会学者のR.K.マートンは、データベースに、このような規模の経済が存在することに気付き、これを「富める者はますます富み、貧する者はますます貧する」というマタイ伝の故事に因んで「マタイ効果」と名付けた(名和[1986])。

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ここにベキ法則も関わってきます


投稿: m_um_u | 2004年5月19日 (水) 08時27分

m_um_u、こんにちわ、

いまたまたまちょうど止まっているみたいですけど、ココログのアクセス解析(リファラですね)の「リンク元サイト」というのも、べき乗の法則、あるいは、20対80の法則、パレートの法則、などに従うように、私も感じます。

投稿: ひでき | 2004年5月19日 (水) 16時01分

あ・そうです

それでぼくも前にネットワーク外部性の誘因についてどうするかってのをアクセス解析ログから測るってのをやろうと思ったんですが...

ちょっといま止まってます

とりあえず、ハブとなるようなサイトにトラバとかコメントとかかけたらアクセス増えて、ちょっとしたら減りますよね

でも、たぶんいくつかのハブに同時にトラバとかコメントかけて、閾値突破しちゃうっ手もあると思います

(Yahooなんかは大手のハブだけど、あそこはまぁ、別として..)


まぁ、いまはアクセスとかそれほど気になってないので、ちょっとどうでもよくなってますが...

アクセス増えるとたまに自分と似た関心の人とか集まってきてくれて、そういうのは嬉しいですね (^-^)

投稿: m_um_u | 2004年5月19日 (水) 18時26分

m_um_uさん、こんばんわ、

私もネット、ウェブで、ここまで自分と感性やら、考えていることの似ている、発想の共時性をもっている、方々とお会いできると思っていませんでした。そういう方々と、やりとりをさせていただき、議論させていただき、お会いする機会が与えられたりするのが、ほんとうに、ウェブにつながっていて最高の財産であると、感じております。

投稿: ひでき | 2004年5月19日 (水) 22時59分

■m_um_uさん
おおくの情報源をアップして頂きありがとうございます。自分の専門でない「知」がとても刺激的。Blogがない時代に検索しまくって出会ったときにもうれしかったけど、それよりすごいなぁと思います。
せっかく出会った「知」を紡いで何ができるか、が私の課題です。
■ひできさん
発想の共時性という言葉、いいですね。シンクロニシティ@ネットワーク。ところで、都市群のベキ乗分布についての丸田さんのコメントに、「平均的な都市というものはない」という文があり、ハっとしました。平均的なホームページやBlogというものもないですね(笑)。

投稿: akiller | 2004年5月20日 (木) 08時11分

a-killerさん、おはようございます、

私も、「平均的なブログはない」という言葉に、ハッとさせられました。

投稿: ひでき | 2004年5月20日 (木) 08時25分

akillerさん、m_um_uさん、

いまやっと気が付きました。おふたりがおっしゃっていたののは、人間関係も、ウェブの関係も、べき乗の法則に従うだろうということですね。べき乗の法則に従うということは、私が本文に書いた「谷」が存在するということだ感じます。非常にいま私の腑に落ちました。

たしかphilosopchicalさんのサイトが、リンク元とそのリンクから飛んできたPVの回数を記録されていたので、その辺のデータとか、このサイトでもリファラのデータを分析すれば、実証できるかもしれませんね。自分の「アンテナ」も分析できれば、きっとよく行くサイトの閲覧回数もべき乗の法則に従うような気がします。

ありがとうございます。

投稿: ひでき | 2004年5月20日 (木) 16時41分

リンク関連で、こんなの出てたのでいちおお報せしときます↓


「Blogs, newspapers, and link authority」(@J.D's New Medi Musing)
http://www.newmediamusings.com/blog/2004/05/blogs_newspaper.html

アメリカのblog界でリンクが高いものリストって感じみたいです(よくみてないけど)

blogって基本的に「日記」的なものと、「社会的発信」的なものに分かれるみたいで..
後者の場合、ネタ元としてnews siteへのリンクが多くなるんです
んで、newsをいくつか繋いでその関係を要約する感じなのが基本(なのでHyper-journalismとかいわれたりすることもあったみたいなんですが..)

でも、日本のblogは日記形式が多いのかもしれませんね(つっても、木村タケシさんがいってたみたいに年齢層が上がっていくと変わっていくのかもしれないけど..)

投稿: m_um_u | 2004年5月21日 (金) 13時21分

m_um_uさん、こんにちわ、

このグラフこそ、私の求めるものです!今書きかけていますが、この通りです。これこそがブログのべき乗の法則であり、ウェブで麗しい澤ができるというひとつの証左です。ありがとうございます。

投稿: ひでき | 2004年5月21日 (金) 16時07分

そのグラフを横にすると都市の人口順位のグラフにも似てきますね。
っていうか、すごいページになってきました。トラックバックを忘れていました。

投稿: akiller | 2004年5月21日 (金) 16時26分

あ、ちょっと訂正です。すみません、このグラフは、ブログ空間(sphere)から、メディアサイトへのリンクの数ですね。さっき、コメントしたときは、逆かと思っていました。

うん?いや、これでいいのかな???いろいろなブログ「から」のリンクですから、いいのか!コミュニティーになっているかどうかは、検証できないけれども、つながりはやっぱりべき乗分布なんですね。

NYTとか、CNNかなり有名なメディアからはじまっています。でも、BoingBoingとか、Instapunditとか、私はよく知りませんが、米国のブログでメジャーどころもランクインしている模様。salon.comというのもたしかどなたかがコメントされていたような気がしますが、新興のメディアですね。

いずれにせよ、アクセスがべき乗していることには変りありません。ブログの住人から信頼される人気も、べき乗分布。うーん、どこを向いてもべき乗分布ですね。

http://www.newmediamusings.com/photos/technorati/chart.html

投稿: ひでき | 2004年5月21日 (金) 17時35分

Boing Boingはイギリスのよもやま面白話blogです

(こんなの↓)
http://boingboing.net/


けっこうメジャーです


Instapunditは個人のblogなんですが、政治・社会関連のnews blogの中でも人気が高いところです

ちなみに、アメリカの政治的blogの話題についてはこんな感じ↓
http://tis.goringe.net/wmb/latest.html

投稿: m_um_u | 2004年5月22日 (土) 06時15分

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