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2004年5月29日 (土)

[書評] 都市経済、 テクノロジー、 クラスタ、 そして、 べき乗則

情報通信分野への都市経済学の応用 by 宮尾 尊弘さん

■はじめに

山口浩さんから、とても「そそる」論文をご紹介いただいた(いいつもありがとうございます。)。ここのところの「麗しい澤」、「約束の知」、「愛に空間を」などの議論がたてにつながりそうな論文である。これを「距離、時間、そして統治と戦争」にあてはめるとヴィリリオが出てくるか、ということろにチャレンジしたいのだが、その前に、これは産業論、技術経営などでよく言われる地域クラスターの基礎概念につながっていると気づいたので、ちょっとだけメモを残したい。

■ネットと都市

この論文は、ネットの上でのつながり方を、都市とのアナロジーで考察を加えている。私は、どうしても経済学がわからないので、グラフなどを使った分析にはまったくついていけなかったことをあらかじめ告白しておく。経済学におけるノードとしての人間の定義に異議があるのだが、いまはおく。都市における交通機関、アクセスから集積があがっていくということと、ウェブのアクセス、つながりのアナロジーは、なんとか理解できたように思う。利便性なり、興味なりの、個人における動機が、都市においても、ウェブにおいても、集積の原動力になっているようだ。

おもしろいのは、経済学的な見地からいうと「個々人の動機に基づく集積は、都市全体の利益を最大にする集積程度に決して達しない」のだそうだ。ウェブでいけば、個々人が勝手につながっていく集積の仕方では、ウェブ全体の利益を最大化するところまで集積しないのだという。ここは経済学的なグラフを使っての検証だったので、私には理解できなかった。ここについては、山口浩さんにご登場いただけたりすると、とてもうれしい(参照)。一方、特に都市の場合では、物理的に集積していく限界があるので、集積する力と、分散しなければならなくなく斥力の両方のバランスで都市の集積度合いがきまるという。

ウェブでも、m_um_uさんからご紹介いただいた「津波....」の記事にあるように、あるいは以前どこかで切込隊長さんが指摘していらっしゃったように、あまりにアクセスが集中してしまうとウェブでのつながり、ウェブの領域性が混乱し、サイトを閉じなければいけない事態まで引き起こしているのだという。本論分においても、私個人としても、なにがウェブの引力で、なにがウェブの斥力であるか、ウェブの上での集積とはなにを意味するのか、本来明確にする必要があるように感じる。

私のいま立っている観点からみると、この論文に欠けているのは、都市の領域、「澤」をどのように見るか、ということだと感じる。これは後述する。

■マイケル・ポーター

ずいぶん以前に、「競争の戦略」などで有名なマイケル・ポーターの講演を聞きにいった。このとき、ポーターはおもに日本の競争戦略について話していたのだが、そのとき買った著作に地域クラスターという概念が書いてあって奇異に感じた。クラスターというのは、競争にはつながらないものだと理解していた。ちなみに、私の理解では、クラスターというのは、たとえばハリウッドのような映画なら映画に関する関係者、資金、特殊技術、資源などがすべて集積していて、特殊な競争力をもっている地域のことだ。これまで、さんざん国家までも巻き込んだ企業の戦略について書いてきた人が、なぜいまさら地域性というような問題を扱うのか、理解に苦しんでいた。

今回、この論文で都市について、そして、ここのところのべき乗則SNSの分析を通じて感じたのは、一つの目的が明確に定義されていれば、その達成にかかわる資源というものは、おのずと集積するものだし、集積した方が生産性が上がるということだ。映画という産業も、映画という産業の魂がすべてを引き込むのだと考える。念のため、付言すればここでいう魂とは、関係者の思い入れのことではない。産業論、技術経営の言葉からいえばコアテクノロジー、事業ドメインの定義、などという言葉に近い。魂というべきコアな技術と、事業領域が一体不可分であるように、ハリウッドの魂は映画であり、映画の魂はハリウッドにある、ということなのだろう。また、誰もが映画の魂がハリウッドにある、と知っていることが、とても重要だし、ハリウッドの利便性をますます高めている。

■そして、拡散へ、周辺へ、

話がすこしずれるが、私が心から尊敬している哲学者であられる中埜肇先生(*1)の授業でなにかの質問を私がさせていただいたとき、「ミネルヴァのフクロウは黄昏に飛び立つ」とお答えいただいた。自分なりに解釈すると、昼間のうちはあまりに目先のことに忙しくて、日々の活動におわれているので、哲学している余裕がなくなってしまう、ということだと思う。私も昼間はめいっぱいはたらき、夜ブログを書いている(うーん、いまは電車の中だなぁ...しかも昼間だ...)。

この言葉は、よく歴史的に解釈される。ギリシア哲学のソクラテス、プラトン、そして、アリストテレスと続く哲学の系譜は、アテネとしてみれば、すでに最盛期をすぎてからの出来事だ。しかし、その後の2000年に及ぶ西欧哲学の基礎であり、いまだに超えがたい行動と一体化した哲学を示しているように、私は感じる。

これをもし空間的に解釈すれば、あたらしい技術や知恵というものは、必ずしも中心から生まれないということを暗示しているように感じる。そもそも、周辺があるから中心があるのだし、最近の映画産業を見ていればわかるようにハリウッド映画が周落しつつあり、オーストラリア、ニュージーランドなどのこれまでの周辺で映画がつくられ、あらたな映画のクラスターが形成されつつあるように感じる。この周辺のよさといったものが、斥力につながっているのではないだろうか?

■さて、べき乗へ...

ここから先へは、まだ試論の段階だが、べき乗則からこのことを考えたい。以前、ラスヴェガスを作った男(*2)がいるのだとどこかで読んだ。ラスヴェガスのように、ギャンブル産業ということでは立派なクラスターであっても、最初の石を砂漠の真ん中においた人間がいる。この石のまわりにすこしずつ、すこしずつ、他にないものが集まり、いまのようなラスヴェガスが作られた。ラスヴェガスというクラスターの魂も、最初は石一つだけだったのだ。

このことを考えるときに、これから実証していきたいのは、べき乗則の乗数が時間的にどのように変化していくかということだ(*3)。ウェブならウェブの集積があがることは、きっと乗数、指数があがっていくことだと思う。この前検証したようにSNSで現在1.7程度の乗数であった。来年は2になっているかもしれない。でも、最初はきっとコンマいくつかの乗数にすぎなかったのに違いない。

そして、産業論におけるクラスターが技術を集積していくさまをべき乗則で記述可能であるとすれば、時間的にその乗数は変化しったのに違いない。たとえば、シリコン・アイランドといわれた九州における半導体のクラスター形成というのは、べき乗則があてはまるかどうかを検証するには、ちょうどよいのではないだろうか。

ただし、技術のクラスターというものは、あまりにも壊れやすい。「シリコン・アイランド」も過去のものだし、日本がテレビ輸出大幅超過国から輸入国になってしまったというのも、象徴的である。また、米国もきがついてみたら、政府と結びついた巨大技術、軍事技術以外にめぼしいものは、みあたらなくなってきているのではないか。

■ではどうすればよいか?

ここまで記述してきたことでは、あまりにも自動的、自然的に集積がすすんでしまという印象をもたれただろう。ますます、日本の東京一極集中が進むような話であった。しかし、クラスターというのは特定の魂、事業目的、事業ドメインがあってはじめて成立するものであるといことを忘れてはならない。そこには必ず斥力があり、周辺があり、領域がある。ラスヴェガスの最初の石も、ギャンブルという領域があった。

思い出してほしい、この論文でネットのアナロジーとして論じられている都市には、必ず境があることを。世界にひとつだけしか都市がないわけじゃない。あれだけ中央集権的だと言われているフランスでも、南フランスに先日行って来た人に聞いたら、田舎は田舎で実に快適に暮らしているという。どこに魂の境界を見出すかがとても大事だ。

中学の日本史の先生が教えてくれた。「喧嘩をするなら自分の土俵でとれ。」クラスターを形成するということは、非常に大きなことだが、それでも自分の魂で自分の土俵で相撲をとれ、ということを教えてくれている。魂のない地域クラスターなんてナンセンスだ。べき乗則なんざ期待しているようでは、決してクラスターを自分の意思の基に形成することはできないだろうが、そこにはかならず人間本来の力が働いて、集積を生みだし、独自の競争力を生む。そう信じて、行動することが、あなたに新たな地を、そして新たな知を、見せてくれる。

この論文を読んで、以上のようなことを感じた。

■注
*1

実は、この記事を書くにあたって、あらためて中埜先生の著作リストをあたって、はじめて日本におけるヘーゲル研究の第1人者であられたことを知った。そもそも「ミネルヴァのふくろう」ということばもヘーゲルの言葉であったらしい。例によって6次のつながりでないが、ヘーゲル=フクヤマに多大な影響をうけてここで私は記事を書いてきた。しかし、私の哲学へのかかわりの最初からヘーゲルの影響下にあったのかもしれないと妄想してしまった。
ほんとうにたかだか一般教養の1年生もとるような哲学概論の授業でもすこしも手を抜かれなかった中埜先生にあらためて深く感謝したい。

*2

昨日、夜中に帰ってきたら「ゴッドファーザー II」をやっていた。思わず朝まで見てしまったのだが、その中で「ラスヴェガスを作った男」という話があった。ゴッド・ファザーの中では、モー・グリーンという男だそうだ。実際には、三人の男が作ったらしい(参照)。「ゴッドファーザー I」を見たくなった。

*3

svnseedさんに、べき乗則とシグモイド関数とが関係あるのではないか、というご意見をいただいた。まったく初めて聞いた関数の名前だったが、どうも分布と関係あるらしい。つまりは、べき乗則も、正規分布なのか、特殊な分布なのかわからないが、なんらかの密度を表現した分布の仕方を、別の見方で見たのが、べき乗則なのではないか、という気がした。多分、svnseedさんが示唆されていたのは、分布のことだと思う。(あれ、ちがうかな?今度ご本人に聞いてみよう。

■参照リンク

中国のインキュベーション能力:1大学で日本全体と同等 by ふじすえさん
・「遺伝子vsミーム―教育・環境・民族対立」 by 橋本大也さん
愛に空間を (HPO)

■追記 (平成16年6月1日

it1127さんが「ベキ法則って?」という記事をかかれ、丸田一さんという方の「新しい地域発展論-ベキ法則下での地域の生き方」という記事を紹介されている。ちょっとショックなくらい、ここで記述したかったことが明確に述べられている。ここまで読んでいただいた方には「must」な記事だ。

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コメント

お呼びでしょうか。
「個々人が勝手につながっていく集積の仕方では、ウェブ全体の利益を最大化するところまで集積しない」というのは、ネットワークの外部効果のことを言っていますね。ネットワークというのは、全体がつながっていること自体に意味があって、ある人がネットワークに入ることは、その人にとってメリットがあるだけでなく、その人にネットワークを介してアクセスする可能性があるすべての人(つまりネットワークにつながったすべての人)にとってもメリットがある、ということです。(ここでいう「外部」とは、意思決定を行う個人の利害関係の外側という意味での「外部」です)

ところが、ネットワーク化を指向するのが個々人の利潤動機であったとすると、中にはネットワークにつながりたくない人もいたりして、ネットワークが完成せず、全体にとってのメリットが享受できない部分が生じる、ということでしょう。環境経済学で、共有地の資源が過剰に収奪されることを「共有地の悲劇」と呼びますが、これは逆に開発が過少になるわけですから、いってみれば「逆『共有地の悲劇』」とでもいえますかね。いずれにしてもこれは一種の「市場の失敗」なので、この理屈を進めていくと、政府の役割なんていうのが出てきたりします。

なんだか、道路族の議員とか、郵政族の議員とかが言いそうな理屈で、後ろ向きな印象を受けるかもしれませんが、クラスター話とつなげると、要は、なんらかビジョンをもって求心力を作る存在が必要だということなのではないでしょうか。道路族の場合は、ネットワークで結ばれた先が空疎なので効果が薄いわけですね。郵政族の場合は、ネットワークが単一の組織で形成されている必要は必ずしもないのに単一組織にこだわっている、というところでしょうか。いずれの場合も、本来の趣旨とは違った動機だということです。

ちなみに、まったく関係ありませんが、宮尾先生は昔筑波大の教授だったのですが、ご存知でしたか?確か80年代だと思ったので、ひょっとしたらひできさんの在学されていたころとダブっていやしないかと。

投稿: 山口 浩 | 2004年5月29日 (土) 23時36分

山口浩さん、おはようございます、

わざわざお越しいただきありがとうございます。はじめてすっきりした「外部性」の解説に触れました。実は経済学音痴であることは、自分のトラウマに近い状態なのです、はい。

ちなみに、都市経済で常に外部性が存在するということがそもそも全体の利益を損ねるという仮定であるなら、最初から全てが都市につながる、都市に集中するということを前提の議論をしているように感じます。多分、インドの昔から、ギリシアの昔から、王城、ポリス、都市国家といったものは、ごくごく初期の、産業論でいうところの地域クラスターの性質をもっていたのではないでしょうか。いや、人類史上、はじめて人が大量に一つの都市に集積することで競争力を生んでいたということの延長線に、地域クラスターの概念があるといったほうが正しいのかもしれません。都市の集中ということの方が問題視される現代では、どちらかというと外部性が存在することの利益といった仮定からスタートすべきでないか、と感じております。

あ、この辺の仮定を変えたのが、環境経済学なのでしょうか?

それから、ヴィジョンの話ですが、実は昨晩遅くに帰ってきて朝まで「ゴッドファーザー II」を見てしまいました。いいわるいは別にして実にガッツ、気概にあふれた男達が登場していました。ラスヴェガスをご指摘のようなヴィジョンによって作られた地域であるという例えはあながち見当外れでなかったかな、と感じております。あ、でも族議員さんたちではないですが、日本におけるクラスター政策といい、昔から地域開発といったものは、実に昔から利害関係の塊だったのでしょうね。

宮尾先生ですが、非常に勿体無い事にあまり学部生のころ社会科学関係、経営関係の講座をとらなかったので、接触させていただく機会がありませんでした。どちらかと言うと、主専攻の心理学、興味を持っていた宗教学、社会教育学などの講座に参加しておりました。実学を学ぶ機会の大事さ、貴重さにまだ目覚めていなかったんですね。一旦社会にでてから学びなおしたのですが、実に楽しかったです。

投稿: ひでき | 2004年5月30日 (日) 09時23分

こんばんは。
べき乗の法則に興味を持ったのは、都市の発展要因についてずっと関心があり、ひょんなことからバラバシの本に出会って、北海道をネタに調べてみてびっくり、だったわけです。
べき乗の法則(ジップ法則Zipf's Law)は、
・壁にぶつけたセトモノの破片の大きさの分布
・ある直径を超える隕石が地球に衝突する確率
・地震の頻度とマグニチュードの関係
・都市の規模と順位の関係
など、一見無関係のものに見られるそうです。
べき乗の法則の成り立つ要件は、要素が時間の経過とともに確実に成長し、しかも成長率はランダムで、もともとの規模とは無関係である、ということです。発展途上の自由主義経済下の十分大きい都市群にはあてはまりそうです。
ランダムでカオスに見えるものが秩序性をもつ・・・これは複雑系=自己組織化の概念です。
こんな視点を切り口に経済学へ複雑系の概念を持ち込んだのがポール・クルーグマンです。彼の書いたhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4492312404/qid=1086088667/sr=1-8/ref=sr_1_10_8/250-3795148-7322624>「自己組織化の経済学」は(経済学についてシロウトの私にも)ところどころ大変興味深かった本です。
ひできさんの頭の中で、知識を「自己組織化」させて、どんどん発展しているように感じます。

投稿: akiller | 2004年6月 1日 (火) 20時20分

akillerさん、こんばんわ、

そうなんですか!一応、そんなに間違った方向にすすんでいるわけではないんですね。

最近、本を読むだけが知識を増やす方法ではないんだなと感じています。必要なものは、かなりひとりひとりの中にあって、それを「自己組織化」ではないですが、結晶化というか、きちんとあるべきところに自分の力でおいてやるみたいのが、大事なんだと感じています。

ま、私のは、ブログでみたり、どこかでちょっと読んだりしていたものが頭に残っているだけかもしれません(笑)。

ちなみに、さっきit1127さんのところではふれましたので、akillerさんはもうご覧になっているかもしれませんが、ネットの上での集中化現象のシュミレーションをつくりつつあります。エクセルのファイルでつくりました。ようは、上限のないライフゲームみたいなものです。誕生か、生存か、死滅か、の代わりに数であらわし、周辺の数の合計の一定の%で増加したり、減少したりするというモデルです。

http://homepage2.nifty.com/hhirayama/concentration_sims.xls">http://homepage2.nifty.com/hhirayama/concentration_sims.xls

「増加」、「減少」、「死滅」のパラメーターにすきな数字をいれて、F9で再計算させると「(積算)12世代目グラフ」の形が大きく変わります。リソースが有限だという仮定をいれたらどうなるかとか、セルの数をもっとふやすかとか、まだ全然結果に結びついていないです。

でも、自分の中にあるもので知識を再構築する試みとしてトライしてきたいと思います。

実は、まだ肝心のべき法則が適用されるかどうか検証できていません。

投稿: ひでき | 2004年6月 1日 (火) 22時46分

また、ピントがずれているかも知れません。
インターネットなかりし頃を思い出せば、怠惰なわたしの性格かも知れませんが、あることについて考え始めたときに、わからないことがあると、考えが続きませんでした。
ネットのスピードが遅く、検索エンジンが非力だった頃を思い出せば、やはり、怠惰な方に・・・。
頭は悪いが、思いつくこと(脳のはたらき)は、ネットスピードより断然速く、ダイアルアップの9600では、待ち切れねえ!本をめくる方が早いぜとあきらめていたテーマもあったかも(もう忘れていますが)。
BLOGの評価は今のところ賛否あるようですが、とにかく興味にあかせて、自由に書き、自由にトラックバックし、発展すれば対話もつづけてネットワークしてみる、そんなことがわーっとブームになると、何か「創発」するものはあるのか、わたしは、今のところ、まだわくわくしています。

>リソースが有限だという仮定をいれたらどうなるかとか、セルの数を
>もっとふやすかとか、まだ全然結果に結びついていないです。

楽しいワークシートですね。リソースが有限だとべき乗にはのらないかな?セルを増やすとたぶんのるだろうな?とか、勝手に仮説を立てて遊ばせていただきます。ありがとうございます。

投稿: akiller | 2004年6月 2日 (水) 12時00分

akillerさん、こんばんわ、

コメントありがとうございます。

いま、昔の卒論について書いているのですが、網膜のはたらきって案外べき乗の法則に関係しているのかもしれないと、気づきました。なぁんかなぁって感じですが...一応、網膜パターンというのをワークシートに追加してアップしてあります。なんとなくべき法則に従いそうな感じになってきました。

投稿: ひでき | 2004年6月 2日 (水) 19時28分

ひできさん、こんにちは。
経済学での外部性は、メリットとなる外部経済とデメリットとなる外部不経済があります。どちらも、ある個人が自らの満足を最大化しようとしている行動の外側に起きる影響をさします。外部であるがゆえにその個人の行動には影響を与えられず、したがって市場を通じた行動の調整が行われないことになります。

都市にあてはめれば、集積は外部経済を生むので効果があるが、度を越すと外部不経済が大きくなってデメリットが増える。そのちょうどよいところが最適規模、ということなのでしょう。

ちなみに都市経済学のmonocentric cityの地価(というか本来賃料の)モデルは、都心からの距離が増えるにつれ、土地の用途が変わっていく、そのそれぞれの用途の土地の地価の距離に対する弾力性(一定距離遠くなるといくら安くなるか)がちがうため、右下がりの曲線になるというわけです。

たとえば中心部の商業地は中心から少し離れるだけでだいぶ地価が下がるので曲線の傾きは急ですが、それをとりまく住宅地は距離に対してそれほど敏感ではないため傾きがゆるくなり、もっと遠い農地や工業用地はもっと弾力性が低い、といった具合です。

つまり、べき乗の法則にしたがってというより、たまたまそういうかたちになっている、というほうが近いと思います。

べき乗の法則でかねてから思っているのは、なぜこんなに多様な領域であてはまるといわれているのか、です。確かにそれぞれの分野で、ああこれは、と思うようなグラフを描くことができます。でもなんでそうなるの?という部分がわかっているのは、ごく一部ではないでしょうか。

で、ここから先はとても大胆な仮説ですが、べき乗の法則がよくあてはまるのは、それが自然界のさまざまな事象を司る「万能の法則」だからというよりも、ひょっとしたらこの法則をあらわす数式がきわめて柔軟性に富んでいて、いろいろなかたちにあわせられるから、ということはないですか?

先日経済物理学の権威の講演を聞いて、やはり株価収益率の分布がべき乗の法則に従っているという内容だったので、なぜそうなる必然性があるのかと質問しようとしたのですが、質問の順番待ちのうちに時間が来てしまって聞けませんでした。

このへん、どうなのでしょう?このサイト近辺にはべき乗の理論にお詳しい方々がそろっているようですので、ぜひご教授いただきたく。

投稿: 山口 浩 | 2004年6月12日 (土) 21時47分

山口さん、おはようございます、

お返事が遅くなり失礼致しました。私もべき乗の法則の下で働いているなんらかのメカニズムがあるのか、ないのか、非常に興味をもっております。まだ、いまのところ結論はでません。ただ、ノード、ネットワーク、相互作用、レイヤー...といった適用されるケースに共通する要素がなにかあるようには感じます。

試みに首都圏業務核都市の人口に適用してみました。経済学的にあやしげなところがあればぜひご指摘くださいね。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/06/shuto_white_pap.html

投稿: ひでき | 2004年6月15日 (火) 06時19分

・・たぶんですが・・ネットワークです

まだ、仮説に過ぎませんが・・・

一般に社会資本とされるものはネットワークだと思うんです
なんのこっちゃ分からないだろうから説明すると、(以下罵倒を食らうかもしれませんが・・)

経済学ってたしか・・社会資本の完全な統制をマスターしていないはずです

社会資本と呼ばれるもの(社会的インフラ)を構築することによって、社会全体の効率(生産性)が上がるのは分かっているみたいなんですが..その統制が完全ではないはず

なので、外部性とかいう問題になってくると思うんですが..

(宮澤健一さんあたりがその辺(外部性って呼ばれる理由)は言っていたような気がする・・本の名前は忘れました)


んで、以下仮説ですが・・

社会資本ってライフラインだからネットワークなんですよね
水道とか道路とかインターネットもそうだけど・・

そういうの作るといろいろな便益が高まって爆発的な効果があるみたいなんだけど、そこの統制がうまくいってない気がする

(たぶんなんですが・・そういうネットワークを作った後の「流入」に関する場面で、「ベキ法則」が当てはまるような気がします)

投稿: m_um_u | 2004年6月15日 (火) 19時21分

あ・そだ
ぼくが言ってもあまり信用ないでしょうから
ネットワーク経済については依田高典の本みるといいですよ

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4535552487/ref=sr_aps_b_/250-1452197-6710641

(※社会資本のあたりはぼくの仮説ですけどね)

投稿: m_um_u | 2004年6月15日 (火) 19時27分

あ・すみません

より正確に言うと、各ネットワークにおける「ハブ」の部分でベキ法則が働く感じです

ex.
ネットワーク:道路
ハブ:都市

って感じ

投稿: m_um_u | 2004年6月15日 (火) 19時32分

m_um_uさん、こんばんわ、

私の中でも、結構社会的なネットワークって塩野さんが何度も書いていたローマ帝国の道路のネットワークなんですよね。以前どっかで書きましたが、ローマ帝国の道路って最大の「武器」なんですよね。軍事道路が整備されていたので、西へ東へ軍団を移動させ、世界を支配できたということだと理解しております。そして、暗黒時代があれだけながく続いてしまったのは、道路をもうメンテナンスできなくなってしまったからではないかと感じております。

http://iwao.pekori.to/shiono/roma/roma10.html">http://iwao.pekori.to/shiono/roma/roma10.html

http://www.mks.or.jp/~genki/roman-empire/map.html">http://www.mks.or.jp/~genki/roman-empire/map.html

え、あ、私はなんの話しをしているのでしょう...ローマの話しになると理性がふっとびますね。失礼いたしました。

そうですね、まさに道路は、ノードとノードをつなぐネットワークそのものです。そして、時間の経過を横軸にとれば、各年度、年度がレイヤーのように見えるはずです。網膜から、ネット、そして、都市、あるいは所得、株式まで、どうもネットワークを描いているものには、べき乗の法則が見出されることが多いようです。山口さんも書いていらっしゃいましたが、この底で動いているメカニズムがなにかをシュミレーション的な方法や、数学的な解析により普遍化できたら結構すごいことだと思います。

話はちょっと横にずれますが、今日、記事で首都圏白書というのをちょっとなでましたが、この白書の正式名称は、「首都圏整備に関する年次報告」といいます。

http://www.mlit.go.jp/hakusyo/syutoken_hakusyo/h16/h16syutoken_.html">http://www.mlit.go.jp/hakusyo/syutoken_hakusyo/h16/h16syutoken_.html

実は私は、ほんとにうわっつらをなでたにすぎないのですが、ここに書いてあるのは基本的には道路の整備計画だと私は思います。特に「第3章 首都圏整備の推進 第1節 首都圏整備計画の推進」あたりを読んでいただくと、「分散型ネットワーク」という言葉や、「将来推計」などが出てきます。もし、ネットワークでべき乗の法則が生じるのであれば、最大の矛盾は各ノードがそれぞれで「繁栄」することを目論んで整備した交通網ネットワークが、実は最大の東京圏への一極集中を、業務核都市ネットワーク内で生む、関東平野の中で生む、日本全体の中で生む、ということになります。

今日、miyakodaさんが書いていらっしゃいましたが、結構これはえらいことです。

http://miyakoda.jugem.cc/?eid=46">http://miyakoda.jugem.cc/?eid=46

投稿: ひでき | 2004年6月15日 (火) 20時46分

おはようございます

そして、「東京一極化」、ですね

ちょっと思っただけですが、やはり複雑性が高まっていったらそれをシステム(あるいはネットワーク)全体で分散するようにしないとダメな気がします

「地域経済の発展」というのも重要なんですが・・
その理由は、「地域の住民にお金が入る」、ってことだけじゃなくて、そういった各ノード(あるいはハブ)の利益の総和が全体の公益に繋がるからだと思うんです

情報技術(ICT)の特徴に「インターフェースの共通化」「即時性」なんかがあります

これを活用すれば、各地方都市(ハブ)を連結させて、いままで以上の生産性を挙げることは可能なはず(・・なんだけどな)

つまり、現在、産業単位で行われている「モジュール化」の応用なんですが・・

(全体のシステムを、機能ごとに区切って、適時適時で連結したり分散したりする)

でも、そうなると「なにをもって全体のシステム」とし「それぞれの機能」ってのは具体的になんなのか?、って問題が出てくるけど・・
(この辺りは浅学なためまだ・・・・・・(^^;))

いちお、地域経済関連だと「クラスター戦略」ってのがあるみたいです

投稿: m_um_u | 2004年6月16日 (水) 06時31分

あ・すみません・・
「クラスター戦略」はこのエントリーの前提でしたね(..こっぱずかしい)

・・でも、いちおこんなんとか
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4641280754/ref=sr_aps_b_1/250-1452197-6710641

でも、芸がないので言うと
産業組織論のミクロ(ってか、現場レベル)で起こってる変化ってけっこう応用きくような気がして期待してます

あと、ネットワーク分析をそこに応用させていくとかね
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4788505843/ref=sr_aps_b_/250-1452197-6710641

投稿: m_um_u | 2004年6月16日 (水) 06時36分

m_um_uさん、おはようございます、

そーなんですよ!それこそ、本記事の「クラスター」なんですね!んで、このクラスター戦略を成功させるためには、現在行われているような上っ面を撫でるような政策でなく、「魂」の入った運用、競争力の核となる技術や経営が必要なのだろう、というのが私が最大に主張したいところです。それは、道路整備でもないし、広すぎる官製クラスターの定義でもないと考えます。

http://www.smepolicy.jp/cluster.htm">http://www.smepolicy.jp/cluster.htm

あのちなみに、さっき山口浩さん@出張中からメールがあったんですが、m_um_uさんに「べき乗の法則」以外に都市への集中、20対80の法則、などにあてはまりそうなモデルはないか、聞いてみろという指令でした。なにか思い当たるものありますか?

投稿: ひでき | 2004年6月16日 (水) 06時41分

m_um_uさん、

とんでもないです!

私のブログでは、正直私の記事よかみなさんのコメントの方が充実しているなと感じております。これだけ、延々とコメントでのディスカッションが続いて「やっぱりクラスターだ!」というのは、方向性が間違っていなかったということで、とてもうれしい話です。

いま数えたら、本記事だけで15のコメント、HPO全部だと440を超えたようです。ありがとうございます。

投稿: ひでき | 2004年6月16日 (水) 06時55分

あ・じゃあ、調子に乗って(笑)

山口さんからのご質問ですが・・
ピンポイントのものはないんですが、ネットワーク分析における「ネットワーク中心性」関連が応用可能かと思います(長いので、文の最後にくっつけときます↓※1)

これは、主に人間関係の中でのハブ(権力)ができていく様子を記述した感じなんですが・・
この辺りが応用可能かなぁ、と

(まだ、都市とかそういうところには応用されてないみたい)

経済への応用としてはバラバシ辺りがなにか言っていた気がしますが・・
具体的なことはなんとも..

・・まぁ、そのうち...

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※1:

▽ネットワーク中心性

--
(安田雪, 1997, 「ネットワーク分析 何が行為を決定するか」, 新曜社)

(82-83)
 集団のなかで中心的な人物は誰かという問いは、誰が権力を握っているかという問題と密接な関係があります。政治家の派閥、クラブやサークルの人間関係、ボランティア活動の中心人物など、さまざまな場面においてリーダーが誰であり、中心的な人物は、どのような関係を他者ともっているのかは、興味深いところです。「中心人物は誰だ」という疑問は、視点を変えれば、その活動の場であるネットワークで、どのような位置を占めている人が中心的なのかを特定することとも考えられます。ネットワークのなかで、ある行為者一人が唯一の中心的な存在である存在である場合もあります。一つのネットワークで中心的な存在である人は一人とはとは限りません。
 それぞれの行為者はネットワークのなかでそれぞれ、どの程度に中心的であり、どの程度に末端の存在なのかといった、位置に応じた中心性の度合いをもっています。これを計るための指標が、中心性(centrality)です。密度の場合は、ネットワーク全体が一つの分析単位でしたから、ネットワーク一つについて一つの密度の値が出てきたわけですが、中心性の場合には、ネットワークを構成しているそれぞれの行為者ごとに値を求めることができます。

(83)
 ネットワークのノードの中心性を計測する基準は、大きく分けて三種類あります。ネットワークにおいて、(1)ノードのもつ紐帯の数、(2)ノードのあいだの距離、(3)ノードのもつ媒介性、の三種類です。



(1)それぞれのノードが、ネットワークのなかでいくつのノードと直接つながっているのか、その数が多いほど中心性が高いとする中心性の計り方

(2)ノード間の距離から中心性を計る指標。この場合には、ネットワークのそれぞれのノードから他のノードへの距離をパス長(path length)で計ります。パス長とは、特定のノードが別のノードに届くまで、いくつのノードを経由していくのか、そのときに渡っていく紐帯の数を意味しています。ネットワーク内のすべてのノードについて、何ステップのパスの長さでつながっているのかを計算し、それを合計すると、それぞれのノードが、何パスでネットワークの他のノードにつながっているのかがわかるようになります。中心性は、各点からの距離が短いほど、高くなります。ネットワークの中にいるどの人にも、最短経路でメッセージを伝達しうる人が、もっとも中心的な人である、と解釈する場合には、このような操作定義を与えることができます。

cf.6次の隔たり

(3)ノードが他のノードとの関係をどのように媒介しているのか、ノードのもつ媒介性(betweeness)にもとづいて中心性を定義する方法を、フリーマン(Freeman, Linton)が提唱しています。媒介性という用語は聞きなれない言葉かもしれませんので、ネットワークのなかの、仲介者(ブローカー)のような立場を考えてみてください。ネットワークのなかで誰か一人、この人がいなければ情報が伝わらない、といった「核」となるような人間がいた場合に、その人がもっとも中心的であるとする考え方です。

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(安田雪, 2001, 「実践ネットワーク分析」, 新曜社)

(76-77)※頻度・強弱・位置

 あるネットワークにおいて、他者との関わりあいが比較的に活発な行為者は、ネットワークの中心的な行為者であると解釈できる。中心的な行為者とは、ネットワーク内の他者に大きな影響力を与える行為者である。影響力の存在は、中心的な行為者が他者と活発に関わりあっていることを前提とする。他者との関わりが少ない行為者が、中心的であるということはありえない。この場合、「関わりが少ない」ということは、単にその行為者が保持する紐帯数が少ないということを意味するわけではない。紐帯数のみならず、他者との距離が大きいこと、情報伝達力の少なさ、紐帯の力の弱さなど、多くの視点から、「他者との関わりの多寡」をとらえることができる。
 関わりの多少がさまざまにとらえられる以上、「誰がネットワークの内部で中心的なのか」という問いに対しては、視点ごとに異なった行為者が特定される可能性がある。つまり、一つのネットワークにおいて、中心的な行為者とは一義的に決定されるものではなく、視点を変えることにより異なる行為者が特定されることに注意してほしい。具体的な例は、中心性の個々の指標の節において紹介する。
 ネットワークにおいては、ある1人の行為者だけが中心的な存在でその他すべての人が従属しているような、明確な中心 - 周辺関係が成立することは稀である。したがって、コミュニケーション、小集団、地域権力構造あるいは企業間関係などの分析において、一つの中心的な行為者とその他周辺的行為者とを二つに分けて特定するだけでは十分ではない。何らかの関係構造が存在する際には、最も中心的な行為者の特定だけではなく、ネットワーク内のすべての行為者の中心性を相対的に計量できることが望ましい。
 ネットワーク分析においては、特定の行為の発動をもってではなく、単純に行為者間に存在する関係パターンのみから、中心性を計測する。行為者の優越感情や法的・制度的に規定される名義的な雇用関係や権力関係を考慮するわけではない。行為者間の関係構造から、行為者が保持する位置により中心性の程度を決定するのである。具体的には、ネットワークにおける行為間の紐帯の分布、すなわち紐帯の数、強さ、方向、連結の型から中心性は定義される。
 

(77-78)※権力・威信・傑出

 中心性と密接に関わり、中心性指標ときわめて類似した指標に「権力」(power)、威信の高さ、集団内における傑出などの諸概念がある。ネットワーク分析では、支配・被支配関係や行為者の主観から、個々の行為者の保持する「権力」を特定するわけではない。行為者相互の関係構造において、各行為者がどの程度、他者から依存されているのかを特定し、他者との依存関係から権力を特定する(Cook et al., 1978)。権力論には二つの伝統がある。実体論的伝統と関係論的伝統のうち、ネットワーク分析の権力の把握のしかたがいずれにたつのかはいうまでもないことだろう。中心性の基礎も、行為者の持つ資源の差ではなく、相互行為の関係に求められる。関係の型を権力や中心性の基礎とする考え方には一つの長所がある。権力の概念が何らかの結果を生じさせる能力として定義されることによって、権力の発動が結果なしには確認されえなくなってしまうというルーマン(1997)の指摘を回避できることである。関係の型から権力を定義するネットワーク分析のとらえかたは、「権力を可能にするものは何か」と「権力により可能になるのは何か」という二つの主題(宮台, 1989)のうち、前者への答えともなる。関係に立脚して権力や中心性をとらえる強みである。
 しかし、権力の概念と中心的であるという概念は同義ではない。これらの概念の関係は、学術的に整理され一定の枠組みにおさめられているとはいいがたい。なぜならば、権力はヴェーバー, ルーマンらによって多様に論じられてきたが、中心性については既存の研究はそれほど進んでおらず、ましてや中心性と権力との関係を論じている研究は稀少である。
 わずかにバートらが中心性に関わる諸概念を整理するために、まず「傑出」(prominence)という上位概念をおき、その下位概念として、無向グラフにおいては「中心性」を、有向グラフにおいては「威信」(prestige)という概念を位置付けた研究がある(Burt & Knoke, 1983, p.200)。他者との相対性を問題とする「傑出」の概念は、関係の量と質の関数として定義される。直接的あるいは間接的な紐帯の数、関係の強さ、そして、関係する相手の傑出度という、紐帯の数と質、そして紐帯で結ばれている人の傑出度によって行為者の傑出の程度が決定される。無向グラフにおいては、強く親しい関係を多数もち、多くの関係に関わりあい、かつ中心的な行為者と関わっているほど中心性が高いものとみなす。有向グラフにおいては、多数の強く親しい関係に加えて、他者から関係を求められる程度および威信の高い行為者との強い関係があるほど、威信が高いものとみなす。
 最近では無向グラフのみならず、有向グラフにおいても中心性の概念を用いる研究の流れが優性であり、バートらの概念枠組みは必ずしも定着しているとはいいがたい。算出された中心性の値の相対的な差異を、権力者と従属者、高威信者と低威信者、あるいは中心と周辺と解釈すべきかについては、分析対象となる関係の質に依存する部分も多い。実際には、権力、中心、威信、傑出という四つの概念の位置付けについては多くの議論が必要な段階であり、概念間の関連についての理論的整合性の問題は残されたままである。

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※2:

▽標準モデル(およびその矛盾)


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(アルバート・ラズロ・バラバシ (著), 青木 薫 (翻訳) 、2002、「新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く」、NHK出版)
http://www.nd.edu/~alb/


※市場におけるハブの重要性
<(総体としての)市場>が経済を決めるのではなく、システムの構成要素(の部分集合)であるハブが経済を決める。

(297-298)
 経済にはこうした企業間協力関係が大きな役割を果たしている。ところが驚いたことに、経済理論はこれまでネットワークをほとんど考えてこなかった。経済学者は最近まで、自動的活匿名的な個人の手段が、価格システムのみを介して相互作用するものとして経済を捉えていたのである。それを経済学の標準モデルという。そのモデルでは、個々の会社や消費者の行動は、市場にはほとんど影響しないものと仮定されている。むしろ経済状況は、雇用、生産高、インフレーションといった総量で捉えるのが適切とされ、これら総量を生み出しているミクロな活動の絡み合いは無視されていたのだった。企業は他の企業と相互作用するのではなく、「市場」という、あらゆる経済活動を媒介する謎めいたものと相互作用するとされていたのである。
 しかし現実には、市場は向き付けされたネットワークにほかならない。会社、企業、財団、政府など経済活動を行いうるものはすべてノードであり、これらをつなぐ購買、販売、共同研究、マーケティング・プロジェクトなどさまざまな経済活動がリンクである。さらに取引の価値がリンクの「重み」となり、リンクは供給者から受取人へと向かう。このように重みと向き付けのあるネットワークの構造と進化が、あらゆるマクロな経済プロセスの帰趨を決しているのである。

※R.H.コース的には取引コストを解消する「企業」が市場経済におけるハブ的な役割を果たしていることになるんだろう

投稿: m_um_u | 2004年6月16日 (水) 12時09分

あ・そういやネットワーク経済学はネットワーク経済学で自立してるんだった(..忘れてた)

えっと..

ネットワーク経済学でも「集中」ってのは中心に取り上げるんですが、産業組織論の分派なので、対象は産業論的なものになってます
なので、主に「ボトルネック独占」を取り上げてます

で、そのときの法則ですが...

・・特に目新しいものはない感じです
・・マタイ効果とかプラスのフィードバックとかあるけど。あれはデファクトとった後の結果論ですしね。。


いちお、貼っときます↓


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▽「プラスのフィードバック」

「強者はますます強くなり、弱者はますます弱くなる」的な法則。これによりデファクトスタンダードをとったものの一人勝ち的な状況が生まれる ⇒ 市場独占
(「供給側の規模の経済」=従来の規模の経済のこと)


※「プラスのフィードバック」・・・「強者はますます強くなり、弱者はますます弱くなる」的な法則。これによりデファクトスタンダードをとったものの一人勝ち的な状況が生まれる ⇒ 市場独占
(「供給側の規模の経済」=従来の規模の経済のこと)

反対概念として「マイナスのフィードバック」がある。マイナスのフィードバックにおいては強者が弱体化し、弱者が逆に強くなって、両者ともに共存できるように作用する。
(ex.企業はある規模を超えると、組織体運営・維持の複雑さが増し、成長が鈍化する。大企業が巨大なコストに苦しむようになればなるほど、身軽で動きの早い企業が利益を稼げるニッチ市場を開拓する)

--
林紘一郎 1998 「ネットワーキング 情報社会の経済学」NTT出版

(51)
 このような特性を持つネットワーク型の商品やサービスにおいては、通常期待されるような市場の自動調節機能は働かず、いったん勝ち始めるとどこまでも「一人勝ち」(winner-take-all)になりがちである。科学社会学者のR.K.マートンは、データベースに、このような規模の経済が存在することに気付き、これを「富める者はますます富み、貧する者はますます貧する」というマタイ伝の故事に因んで「マタイ効果」と名付けた(名和[1986])。

投稿: m_um_u | 2004年6月16日 (水) 12時20分

m_um_uさん、おはようございます、

貴重な情報をありがとうございます。やっぱり、情報って「情けの報せ」って読むというのはほんとうですね。

コメントを印刷して移動中に読み返しました。ここで議論してきたことは、そうそうまとはずれでないのだなと感じました。そして、網膜モデルや積算モデルから作ったネットワークのごく簡単なシュミレーションが中心に集中する傾向をしめるのは、こうした知見の帰結であるようにますます感じました。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/06/unto_the_random.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/06/unto_the_random.html

前にも書きましたが、ここで↑使ったモデルの初期条件にランダムな数値を入れても積算モデルと網膜モデルでは、大きな一つの「山」に収束していくのです。まあ、小さなモデルなので、周辺が切れているということがシュミレーション側の問題ではありますが、ある意味この条件はネットワークの形成で不利のある「周辺」の特徴をあらわしているかもしれません。この条件を含めて、「プラスのフィードバック」等により「ハブ」が形成されていくさまをうまくシュミレートしているのかもしれません。

http://homepage2.nifty.com/hhirayama/concentration_sims.xls

もし、このシュミレーションと教えてくださった方々のネットワーク、ハブなどの定義が一致するなら、べき乗の法則の少なくとも一側面は、ネットワークであるという性質から帰結するということを類推できそうな感じがします。慎重に考えます。

投稿: ひでき | 2004年6月17日 (木) 06時15分

プラスのフィードバックは山口さんがおっしゃってた、外部性の正の効果、ってやつだと思います
だからマイナスのフィードバックもあるはずだけど・・そこが取り上げられてるのは見たことないな。。
とりあえず、blogのアクセスなんかから類推すると、
トラバを有名どころに打ったときに、良いエントリだと信頼が増えて、アホなエントリだと減る(反面広告になる)って感じですかねぇ

(そういう意味で、アクセス関連とかもこれに絡んでくると思うけど・・)

それにしてもシミュレーションって面白いですね
モコモコと山が形成されていく様子が、なんか子供が育っていく感じみたいで(子供の体は同じフォルムだけど、それが積み重なって段々大きくなるみたいなの)

もしくはフラクタルなのかなぁ..

投稿: m_um_u | 2004年6月17日 (木) 09時05分

m_um_uさん、

「頼られるとうれしい小鹿」(?)なので、つい作ってしまいました。

http://homepage2.nifty.com/hhirayama/sim_concentration_randam.gif">http://homepage2.nifty.com/hhirayama/sim_concentration_randam.gif

なんてことないアニメgifですけど、例のシュミレーションファイルの網膜モデルで、ランダムなデータから発展させているパターンをアニメ化しました。ご存知のように、これは全体を制御させているわけでなく、ひとつひとつのセルをひとつのノードと仮定して、周辺のノードを見て足したり引いたりして次のレイヤーに渡しているだけで、全体としてこういう山ができるということが大事なポイントです。ひとつひとつが勝手な振る舞いをしていても、いくつかの条件を満たしてやれば、べき乗の法則に近い(そのものの曲線ではないようです)振る舞いをするということを自分なりにシュミレーションしました。

http://homepage2.nifty.com/hhirayama/concentration_sims.xls">http://homepage2.nifty.com/hhirayama/concentration_sims.xls

投稿: ひでき | 2004年6月17日 (木) 14時21分

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