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2004年6月30日 (水)

「負け犬の遠吠え」

■はじめに

がらにもなく、「負け犬の遠吠え」について書く。実は、まだ酒井順子さんのこの本をまだ読んでいない。だから、正確に言えば、これから書くことは瀬戸智子さんの記事を読んで感じたことだ。

・「シャロット姫からノーラまで」 by 瀬戸智子さん

なかなか「負け犬」の話しが出てこないが、最後にわりとまとまって出てくるので、ご辛抱を!

■問題ってなに?

まずは、自分の問題意識から開陳する。問題意識とは、今の日本でいくつかの深刻な問題が野放しにされているように感じることだ。

・人口減少
・三権分立のゆがみ = 行政府、官僚の強大な力
・選挙に対する関心の低さ = デモクラシーへの低い理解

人口減少についてはあとで書くとして、三権分立のゆがみについて代表的な例は、公的年金の積立金だ。いい悪いの判断は置くとして、国民年金、厚生年金などを合わせた公的年金の積立金の総額は230兆円を超える。しかし、この莫大な資金の運用や使途は、国会への財政報告の範囲からはずれた存在だ。毎年の年金の収支報告を読む限り、年金の収入と支出はいまのところバランスしているので、このうちのかなりの部分は税金からの繰入額を平成7年以降に積み立てたものだ。

・「積立金」 @ Yomiuri on-line 「変る年金」 
年金財政ホームページ 厚生年金 @ 厚生労働省年金局
年金財政ホームページ 国民年金 @ 厚生労働省年金局

ちなみに日本のメガバンクの預金量あわせても215兆円しかない。郵便貯金の預金量239兆円でやっと、公的年金の積立金総額に匹敵する。「しか」とか書いたが、あまりに桁が大きすぎるので、私の理解を超えている。1兆円って一万円札で何枚だっけ?積み上げると富士山の何倍だっけ?

<預金量>
・東京三菱銀行:56兆円(平成16年3月期)
・三井住友銀行:60兆円(平成16年3月期)
・UFJ銀行:49兆円(平成16年3月期)
・みずほ銀行:50兆円(平成16年3月期)
<郵便貯金>
・239兆円(平成13年)

ああ、そうそう国家予算ってたしか80兆円くらいだよね。さすがに、230兆円をむやみやたらとは使えないはずだが、国家予算を超える規模の資金をたぶん厚生労働省の一部局で担当している。私の想像の範囲のはるか先にある力だ。とにかく、厚生官僚だけをとっても我々の感覚をはるかに超える力をもっている。公的年金という、官僚の力のほんの一端を調べてみただけでも、私にとっては天文学的に思える資金にぶちあたる。全省庁の握る力とはどれほどのものなのだろうか?

■ばかな男の子どもは産みたくない!

話しは一転して、人口減少の問題について書く。人口減少というときに、私に浮かぶのがしばらく前にみた衝撃的な発言だ。「人口減少とかいってもしょうがないじゃない。ばかな男の子どもなんて産みたくない。」というコメントだ。

ああ、どうしてもこのコメントが見つからない。確かにどこかで見たのに!なぜ?

人口問題は、ほんとうに根の深い問題だ。小学校の頃に、社会科の副教本にドイツの若い夫婦のインタビューが載っていた。インタビューであるドイツ人女性は、「子ども?子どもは移民たちが生むものなのじゃないの?」と応えていた。子ども心にこの答えが焼きついてしまった。セックスすらろくろく知らない小学生がなぜこんなことで悩んだのかいまとなっては私もわからないが、日本でこういうことが言われるようになったらそうとうやばいだろうなと感じたことは忘れない。ちなみに、この傾向は副教本から30年近くたって今でも、ドイツでは深刻な問題になっているようだ。

ドイツの人口問題と移民政策 by 田中信世さん

負け犬の遠吠え」の酒井順子さんのホンネもこの辺にあるのだろうか?

・「少子」 by 酒井順子 (アマゾンの書評参照)


瀬戸さんの記事を読ませていただいてから、少子化ということについてあちこちのサイトを読ませていただいた。実際、かなりの複合問題だと思う。この問題を、「産む性」という役割を、女性の側だけにおしつけてしまってはいけないとは思う。

・「少子化問題についてのひとりごと」 by 武蔵健さん

しかし、どうしても頭から離れないのは、しばらく前に読んだ「America's Role in Nation-Building: From Germany to Iraq」というランド研究所の出した戦後の占領政策に関する分析レポートだ。

America's Role in Nation-Building: From Germany to Iraq @ Rand

このレポートには、米軍の指示による日本における「女性解放」が日本を弱体化させ、二度と戦争を起こせない国にするために行われたと書いてあるように理解した。憲法をはじめいまの日本の形は戦争中の「挙国一致体制」の中でできた機構と、敗戦後の米軍が明確な意図のもとで行った政策によって見事に運命づけられているように感じる。

これらの政策が見事にあたり、フェミニズムは見事に日本に根付き、酒井 順子さん風にいえば「負け犬」の方たちが非常にいごこちがよい社会が実現し、誰も気概のないくだらない男どもの子どもは産みたくなくなり、60年先には人口が半減してしまうような国になっている。

人口、世代、そして闘争へ (HPO)


■ぼくらはみんな負け犬なのか?

そして、最初の3つの問題にもどる。

・人口減少
・三権分立のゆがみ = 行政府、官僚の強大な力
・選挙に対する関心の低さ = デモクラシーへの低い理解

私には、そう私自身を含めて、誰もこれらの問題を解決しようとしていないように思われてならない。フェミニズムの問題も、年金の問題も、過大な国の債務の問題も、すべて先の世代へ、先の世代へと問題を先送りにしているのがいまの日本の現状なのではないか?いまここで解決しようとせずに次の世代へ先送りすることが、全体的な了解事項となっているような停滞感がただよっている。

なぜか?

それは、いまの国民全体が負け犬だからだ。

戦争に負けた。

お役人に負けた。

自分の所属する組織の重みに負た。

負けた男の子どもなんて、女は産みたくない。

そして、そんな負け犬だから、問題を解決する力などないのだと、簡単に自己規定してしまう。だから、無駄な選挙になんかもいかない。デモクラシーなど理解しない。その父祖が流した血の重みが分からない、負け犬だから。

瀬戸さんが書かれていた「シャロット姫」は、いまの日本人の姿なのかもしれない。豪奢な部屋に住んでいても、そとを見ることがゆるされず、足には糸がまきつきいている。ようやく外の世界を見たときには、死んでしまう。


(ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス画、Arts at Dorianからリンク)

つまりは、今現在日本の国民でいるということをフランシス・フクヤマ風にいえば、原初の戦いに敗れ命乞いをしてようやく生き延びている負け犬である、ということなのだ。そう、しかも飼いならされた負け犬だ...私がここで書いていることも負け犬の遠吠えにすぎない。

それでもまだ、これらの問題点を解決しないまでも克服する力をいまの日本の国民ならまだもっている。まだ、我々の子どもたちに対して残すべきものがある。しかし、なぜその力を行使しようとしないのだろうか?あるいは、この問題を早くから自覚して、まだ解決しうる時に力を持っていたにもかかわらず何もしなかった人たちというのはなんなのだろうか?自分の保身がそんなに大事なのか?その人たちに子どもはいないのだろうか?その人たちは自分の墓場になにをもちこもうというのか?

あまりの無力感に立ちすくんでしまう。

■参照リンク

「手抜き」と御叱りをいただくかもしれないが、ここのところいただいたトラックバックの一覧+αを「ブロガー補完計画」から転載させていただく。くりかえすが、トラックバックをいただいた方々には志を同じくする方、いない方があるが、関心をもつという一歩において共通点を見出させていただいたと感じている。

(順不同)
ブログつながり、下呂・余市 from ネットde監視、地方議会
ふじすえさんを飲もう!に参加 from バサラの精神をもつ知的体育会系
ネットの可能性と民主主義 from 奇兵隊.blog
そうだ、選挙、行こう。7・11 from くりおね あくえりあむ
【Column】『公(おおやけ)』という心。 from ::: nims :::
たったひとつの スマートな抵抗 from 瀬戸智子の枕草子
「日本の選挙を退屈にしたのは誰なんだ?」 from 愛のまぜご飯
そろそろ変えようか from 闘うリベラルのチャンネル
そうだ、選挙に行こう(1) from あれ、これって青春?
★参院選の正しい選び方?(2) from あざらしサラダ
内閣不支持42%、支持は40%に急落 from 若旦那の独り言2004 Ver.3
★参院選の正しい選び方?(3) from あざらしサラダ
明日から更新をストップせねばりません from 民主党 参議院 比例区 第46総支部長 ふじすえ健三 blog
寅さんとバカボンパパ from くびったけじゃないもん!
ポスター掲示中止と「公正」の後ろめたさ from dailywatch
国会がもし民主主義的だったら ラスト  from たまごの距離
[ニュース]参議院選挙 from 小烏丸の日記
選挙と戦争は繋がってる from もげきゃっち
投票に行く理由、行かない理由 2 from blog JUNXION
投票に行く理由、行かない理由 1 from blog JUNXION
選挙制度を知らなかった私--凍結したblog from Think negative, act positive
参議院選挙関係2 from blog JUNXION
小市民のための選挙だよ全員集合 from 藤沢生活
選挙に行くということ from Passing Strangers
「ブログで広がる、新しい草の根政治運動」 (m_um_uさんに教えていただいたwiredの記事)
厚生労働省に対して情報公開請求第2弾を発射しました! by 木村剛さん (をっと、かめはめ波来襲!)
フォスタープラン by どろんじょさん (また、稿をあらためてこの関連について書きたいです。どろんじょさんありがとう。
参院選、小事の終り、大事の始まり(改) by にせ藤沢人
世界は変えられる (HPO)
ふじすえブログ by ふじすえ健三さん
視聴感想 負け犬の遠吠え。 by 麗さん

■追記 (平成16年7月3日)

まだ書き足らず、少々補足的な意味も込めて、続きの記事を書いてしまった。いろいろ書いていると気づくこともある...

ぼくたちは本当に負け犬なのか?

■追記 平成17年1月5日

日本は国の財政だけでなく、家計も破綻しるのかもしれない。これじゃあ、国全体、国民全体が負け犬状態になっているのかもしれない。少子化などをめぐる問題でほとんど掲示板状態になっているのに注目!

ライフプランの破綻 life plan? (HPO)

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2004年6月26日 (土)

「Blogを書くということ」

山口浩さんから、私の記事にトラックバックをいただいた。これは、「例のネタ、カミングアウトしちゃえ!」という示唆だと受け取られせていただいた。以下、多少脚色をしてあるが、実際に起こった事件である。ちなみに、会社とは私が常勤の取締役を務めている会社を指す。

続きを読む "「Blogを書くということ」"

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2004年6月25日 (金)

国生み ~がらんどうがあった~

ぶんぶんさんのところへお邪魔して、ミーヤさんとコメントを交わして、ひさびさに昔のラボの活動について思い出した。

いま、「国生み」のビデオをみながら、この記事を書いている。私が真剣に演じていた頃をビデオの中の彼らは思い出させてくれる。このビデオは、ラボの黒姫で演じられたと書いてあった。私が「国生み」に会ったのも黒姫だった。

ううん、いま見るとちょっとひけちゃうかな?

「国生み」は、C.W.ニコルさんやらくだこぶにさんが、古事記を現代の日本と英語におこしなおしたいくつかの物語のうちのひとつだ。イザナキとイザナミの美しい物語だ。これを「素語り」といって、ごく子供のころに一人で暗唱した。まだ英語をよく理解していない時期だったので、英語をそのまま音で覚えた。ずいぶんたってから暗唱しなおしてみて、初めて自分が英語の意味をとれることを発見してびっくりした。言葉はやはり音だ。

ラボをご存知でない方が多いと思う。これは、ごく幼児から高校生くらいまでを対象にした語学教育プログラムだ。いまではCDになってしまったようだが、以前は特殊な8トラックのような英語や日本語などの科白がはいっているテープを使っていた。このテープを繰り返し繰り返し聞いて、繰り返し繰り返し自分で話して、集団で芝居のような形で表現する。英語やフランス語などを語学としてでなく、マザータングというのだろうか、ネイティブの子供が習い覚えるようにまねることで習う。

私は、このプログラムで、英国のナーサリーライムや、米国のフォークソング、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」、マーク・トウェインの「トム・ソーヤー」などを覚えた。ああ、なによりも芝居する、パフォーマンスする喜びを初めて感じた。これが、後に高校で芝居にはまるきっかけとなった。

演じる喜びというのがある。その瞬間にしか存在しないパフォーマンス。決まった形をまねをしながら、かぎりなく自分を表現する。おさえた動作で、深い怒りをあらわす。熱狂しながら冷静に計算する。観客と一体となりながら、かぎりなく孤独に演じる。異なる要素をそのままかけねなしで、一切ディスカウントしないで、一体とする。それが、芝居のすばらしさだと感じる。

もとに戻るが、なにも切り捨てることなく、言葉を伝えようとするラボの努力がいまも好きだ。

■参照リンク
・ラボ公式サイト
ぶんぶんの落とし穴 by ぶんぶんさん

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ブログー補完計画

我らがココログが先日深夜に障害でて、コメントがつけられなかったり、更新できなくなったりしたようだ。これは、反面、アクセスが急速に増えているということで喜ぶべきことなのかもしれない。山口浩さんが指摘していらっしゃるように、ベキ乗の法則ではないが、アクセスの大幅な不均衡が生じているのと、リンクが固定化しつつあるように感じる。

また、ここへ来て私のブログ、HPOにまで、政治的な記事へのトラックバックをたくさんいただいている。やはり、日頃の議論で鍛えぬかれたブロガー達は、政治的な関心がたかいのだなぁと、改めて感じている。でもまぁ、トラックバックをいただいている私の記事と関係があるようなないようなトラックバックもあるようなので、みなさんきっとアクセスなり注目を集める努力をされている一環なのかもしれない。

こうした流れを見ていると、ブログが社会的な力を持つことを企図するなら、現在のブロガーあるいはブログでつながっている人々だけでは十分でないことが明らかになってきていることに気づく。このままでは、もしかするとブログの世界はネットの上だけで力をもつ自己充足的な世界になってしまいかねない。これを打破するには、ブログの外の力をどう取り込むかが問題になってくる。山口浩さんに教えてもらった言葉をなまはんかな理解のまま使えば、ネットワークの「外部経済」を縮小する努力をする必要がある。普通の言葉でいえば、ブログにつなっている人を増やして、ブログをもっと有益なもの、もっと力をもったものににすることが大事だということだ。つながっていてくれるととてもブログの力が高まるであろう人たちがブログの外側にまだまだいっぱいいる。

祭りだ。祭りを起こして、外へむかってひろがっていくことが肝要だ。

例として引くことに抵抗を覚えるのだが、昨年来なだいなだ氏の「老人党」運動がひろがっている。なだいなだ氏は作家であり、マスコミなどのメディアの利用に長けていらっしゃる。老人党の広報でも、新聞などのメディアを非常に上手につかっていたのが印象的だった。「老人党宣言」という本も発行し、各界の有名人から推薦文を寄せられ、あれよあれよというまに数百万の「党員」の登録が行われたと聞く。

いまでは立場が逆転しているのかもしれないが、ソフトバンクがYahoo!を買収したとき、雑誌を発行したのは、妙手だった。ネットですでにある程度の認知度を獲得していたYahoo!を、雑誌というネットに関心はあってもスキルの低い層への浸透性の高いメディアを使って、話題性や使用方法の解説などをおこんった(と、思う)。これは、ネットの外でネットの広報活動を行って、利用者の拡大を図ると同時に、利用者が広がった現在では雑誌販売という収益も確保したということになり、一挙両得なマーケティング活動だったに違いない。

この流れにそって考えれば、既存のメディアを巻き込んだブログの広報活動が注目されることになるだろう。木村剛さんが「月刊!木村剛」計画を実現されようと努力しておられたり、「公的年金タスクフォース」を立ち上げたりされているのは、この意味でとても重要だ。「公的年金タスクフォース」も、ブログやウェブの上で発表するだけでなく、新聞などの従来のメディアを活用することが、逆にブログの有効性を確認することになるだろう。ブログで積み上げた議論が、よりはばのひろい国民層にはたらきかけられるようになってこそ、真の力を生む。そうそう、山口浩さんの「政治のオープンソース化」ではないが「広報」をおこなうことで、よりひろい協力者があらわれるかもしれない。

私のお恥ずかしいほどわずかな広報に関する経験では、新聞の記事などにとりあげてもらうには、いくつかのポイントがあるように思う。ひとつは、「話題性」であろう。現在の政治経済的な状況、日本の国の関心の高まりの中で、公的年金に関するタスクフォースなどは、かなり話題性が高いだろう。これが「月刊!木村剛」などで取り上げられば、ひるがえって「週刊!木村剛」へのアクセスも、認知も増えるのだろう。一方で広報されるからには、その話題の提供者が、法人や個人などしっかりしていることが必要になる。残念(?)ながら、匿名ではメディアで取り上げられるのは、難しいだろう。

実は、私には少し前から離れないヴィジョンがある。木村剛さんとふじすえ健三さんがトークセッションをして、従来のメディアで大々的にブログの重要性がアピールすることだ。リアルの世界で十分に力をもっておられる木村剛さんが、ブログの世界に入ってこられ、どんどんブログの世界を活性化された。ふじすえさんは、逆に徒手空拳でブログからリアルの世界の権力の中枢へなぐりこみをかけようとされている。かなり、対極をいっているお二方がブログをリアルの世界へむすびつけるそれぞれの努力を語り合う図は、主体性、話題性ともに十分だと私には写る。

てなことをだらだらと書いているうちに、現実に先をこされてしまったようだ。

Let's go to 年金公開討論会」 @ くりおね あくえりあむ

さすが、木村剛さん!7月26日は、なにをおいても参加させていただきます。

■注

*1 いただいたトラックバック
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★参院選の正しい選び方?(3) from あざらしサラダ
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寅さんとバカボンパパ from くびったけじゃないもん!
ポスター掲示中止と「公正」の後ろめたさ from dailywatch

■追記 (平成16年6月27日)

続いて、トラックバックをいただいている。志をおなじくする方、しない方いらっしゃるにしても、議論が高まること自体がうれしい。

国会がもし民主主義的だったら ラスト  from たまごの距離
[ニュース]参議院選挙 from 小烏丸の日記
選挙と戦争は繋がってる from もげきゃっち
投票に行く理由、行かない理由 2 from blog JUNXION
投票に行く理由、行かない理由 1 from blog JUNXION
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世界は変えられる (HPO)
Bloggerの社会的責任 by 山口浩さん

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2004年6月21日 (月)

[書評]イギリス式月収20万円の暮らし

イギリス式月収20万円の暮らし方 by 井形慶子さん

著者の井形慶子さんとは一度お会いしたことがある。仕事の場だったので、当然なのだが雑誌編集者、ラジオのパーソナリティー、会社の社長と、多くの役割をてきぱきとこなされていてほんとうにお忙しそうだった。きゃしゃなお身体なのに、あれだけ元気よく、はきはきと活躍されているお姿に圧倒された。

実は、この本をいただいたあとも、正直ぺらぺらとめくったあと、なかなか読み進められなかった。斜め読みで、読んだような気になっていた。あれだけお忙しい方が、イギリス式のゆったりとした生活について書かれるというのは、少々矛盾じゃないかなとか、感じていたからかもしれない。

しかし、それはとんでもない思い違いだった。「こころをなくす」忙しさという病にかかっていたのは、私の方だった。私の気持ちが忙しいかったから、この本の真の価値をよみとれなかっただけだったのだ。

最近、なにか憑き物が落ちたように、気持ちにゆとりができてきた。仕事はあいかわらずなのだが、気の持ちようだけで随分違うものだ。この本を今日だけで、2回も読みかえした。これは、書物や文章をざっと読んで分かった気になっている私には本当にめずらしいことだ。ちょうど、いま私が読むべき本にだったのだろう。

さぁ、どこから書き始めようか、やはり自分の体験から語り始めるのが一番説得力があるだろう。

2回目読むうちに、自分のイギリスでの体験が思い出された。ひと夏をデヴォンシャー州のトーキーという街で過ごしたことがある。楽しく語学学校に通った、お芝居を見た、英国風のお茶も楽しんだ、映画のマチネーも見た、ヨットも乗った、ウマにも乗った、バスにも乗った、ディスコも通った。40の声をまもなく聞こうとしている現在にいたるまであれだけ楽しんだ夏の記憶はない。ヨットに乗ったときにごつごつした岩をガイドが「あれは、サッチャーロックだ。」と揶揄していたから、きっとまだかなりイギリスが経済的には厳しい時期だったろう。それでも、ホストファミリーのご夫妻も実に生活を楽しんでいた。デタッチド・ハウスと呼ばれる、イギリス風の続き長屋に、我々のような海外からの居候を数名泊めて世話をしながら、自分たちはほぼ毎晩パブへ通っていた。

下世話な話しかもしれないが、これだけ楽しんでもひと夏で10万円までは使わなかったように記憶している。もちろん、宿泊費用も、昼間通っていた語学学校も日本で払込済みだったから純粋な生活費はほとんどいらない生活だった。しかし、同じことを日本でしようとしたら、10倍くらいかかってもおかしくないように感じる。

この「質素だけど楽しかった」というのが私のイギリスの印象だ。井形さんは、見事にこの感覚を実際の生活の中で楽しんで展開していらっしゃることがこの本を読んでよく伝わってきた。洋服の着方、スーパーの買い物の仕方、ハウスキーパーの使い方、イギリス人がうまくお金をつかっている様子がよくわかった。日本の広告やら、目先のニュースやらにふりまわされている私達とは違う、落ち着いた伝統と常識が生活の中に根付いているようだ。イギリス人にいわせると「人間はもともと何もしなくとも元気できれいでいられるようにできているのよ。」、化粧をすればするほど、肌があれ化粧をしなければならなくなる、という話しが面白かった。

ただ、この本を読んでいまやばいなと思っているのは、「お金がなくとも、経済的に成長していなくとも、楽しめるじゃないか、もうなにもいらないな。」と自分が感じてしまっていることだ。野望も、野心も、物欲も、私から消えてしまったら、日本で社会生活をしていけなくなりそうで怖い。

「持つものは、より多くを持ちたくなる」

ほとんど余談だが、今朝出掛けに妻とこの本の話しをした。妻はこういう話しをしてくれた。

「この前とても欲しかったバッグを買ってもらったんだけど、自分の手にしたとたんに興味がなくなっちゃった。ものってむなしいわよね。ほんとうの満足はないよね。」

涙が出そうだった。

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2004年6月19日 (土)

篠塚さん

jun19_21450.jpg
本人の希望により目線をいれました。

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ベキ乗の法則とプロ野球1リーグ制

プロ野球で、オリックスと近鉄が合併することを軸に、1リーグ制に移行する可能性があると聞いた。私は、実は野球が全然わからない。正直、朝のニュースでイチローさんが活躍しているのを少し見るくらいで、日本のプロ野球に誰がいて、どこの球団が今勝っているのかもしらない。ただ、興行的に見ると巨人がダントツで成績をあげており、日本テレビと読売新聞の業績もかなり巨人軍の人気によるところがあることは知っている。長島前監督が辞任する前に、「長島をやめさせたら新聞も読売をとらない。テレビも日本テレビを見ない。これはおれだけじゃない。」と言い切っていた知人がいる。

これは、外部「不」経済が存在するとすれば顕著な例なのであえて書く。

話はベキ乗の法則なのだが、プロ野球もこの法則で興行成績を記述することができるのではないだろうか?これはあくまで仮定だが、結構自信がある。セ・パ併せて12球団ある中で、ざっと「20:80の法則」を仮定すれば、2球団ないし3球団がプロ野球関連の売上のかなりの部分をしめることが予想される。そして、最近の近鉄の収益確保をめぐる迷走ぶりをみれば、各球団を保持するだけで相当額が必要になり、まして勝ちにいくためには、さらに多くの契約金などを選手に払わなければならないというコスト高の体質にあるように思う。しかも、固定費としてかなりの金額がかかっているのであれば、最大80%を3球団がもっていって、残りの20%を9球団がとるということでは、上位3球団と下位9球団では、平均で(80%÷3)÷(20%÷9)=平均12倍もの売上の差が生じることになる。上位3球団で、固定比率が売上の仮に10%(>1/12)を超えるということであれば、これだけでたぶん下位9球団は赤字体質であるということになる。しかも、下位にいけばいくほどこの傾向はひどくなっていくはずだ。

たぶん、プロ野球選手は「霊能者より貴重な才能」なのだろうが、その非常に少ない割合でしか存在しないトップスターが大リーグに日本の1球団の年間運営費に匹敵するかもしれない契約金でひっぱられていくとしたら、客をひける選手を下位球団が陣容に加えることは不可能だといってよいのではないだろうか?バブル以前であれば、親会社がブランド価値をあげるという名目で、投資したのだろうが、現在の功利主義的な世の中でそんなことに大きな金額を使えば、そのまた投資家達からそっぽをむかれる。

全く門外漢なので、見当はずれかもしれないが、私には、こうしたベキ乗の法則に準じたようなじり貧な状況におかれているのが、いまの球団経営であろうと推測する。そして、私が「外部不経済」だと呼びたいのは、上位と下位とで大きな差が開く構造にある市場においては、運営あるいは生存に必要な費用すら下位の球団が得られないような状況だ。この構造は、1リーグになっても、それぞれの特色が地方フランチャイズということ以上に差別化できるのでなければ、巨人1球団だけが生き残るまで続く。そして、地方にも支える力はない。また、いうまでもなく巨人1球団だけではリーグは存在しえないだろう。

どうしたらよいのかは、私にもわからない。もしかすると、私はあまり好きでないが、何らかの規制、申し合わせというものが必要なのかもしれない。あるいは、差異を作るマーケティング努力なのかもしれない。

■用語の対比

ちなみに、べき乗則とかいたからには、適用条件があてはまるか検証してみなければならない。概念として、どのように対応するかの試案を下の表に示す。

<表1. プロ野球の構成要素 vs ネットワーク構成要素>

球団 vs ノード
試合 vs リンク
シーズン vs レイヤー
巨人 vs ハブ
観客 vs トラフィック
リーグ vs ネットワーク
球界 vs ネットワークのきわ

■追記 (平成16年6月26日)

用語の対比に、「リーグ」と「球界」を加えた。野球というゲームの魂が決まれば、リーグの形も球界の形もおのずと決まるのだと思う。これは、公理系がきまれば可能な命題、可能な真偽が全て決まるということと相関関係なのかどうかをいま考えている。

■参照リンク
[スポーツ]はてなプロ野球’04 by 小烏丸さん
組織の魅力と働くワタシのモチベーション・意欲 by onoさん
関西私鉄陣のユーウツ by akillerさん
[書評] べき乗則、ウェブログ、そして、不公平さ (HPO)

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2004年6月18日 (金)

おもかげの国 うつろいの国

NHK講座のテキスト「おもかげの国 うつろいの国」にハマってしまった。で、おもわずこれを軸にすこし日本の歴史と文学について勉強する気になった。どうせやるなら、一人ではさみしいので、「はてなグループ」というのを作ってやってみることにした。

http://omokage.g.hatena.ne.jp/

まだ使い方もよく分かっていないが、ひまをみつけてキーワード定義とか、リンクさがしとかチャレンジしてみたい。

あ、あ、なんかいっぱい既に存在するんですね。み、みのほど知らずかも...恥じをさらす前に大学1年の時に中西進先生の授業でCを付けられて以来文学系統は苦手分野だということを告白しておこう...

この稿続く

■関連リンク
うんちく日本史XYZ by 松岡正剛さん
it1127の日記 : おもかげの国うつろいの国(一) by it1127さん
it1127の日記 : おもかげの国うつろいの国(ニ) by it1127さん

おもかげの国 うつろいの国 by しし丸先生
ふじすえさん (HPO)
私的キーワードリスト (HPO)

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2004年6月15日 (火)

べき乗則と首都圏経済白書

つい先日、政府から平成15年度の「首都圏白書」が発表された。おもわず、「べき乗則」があてはなるか、データを少々分析してしまった。やっぱり、あてはまるんですね、これが。そもそも、分析したのは「首都圏業務核都市」に認定されているそれぞれの地方でそれなりの存在感のある市であるはず。それでも、東京をトップにみごとに式にあてはまった。(それぞれの近似式は、グラフの右下に入っています。みにくい場合は、クリックしていただくと拡大します。

エクセル ファイル

<グラフ:S55>

<グラフ:h15>

実は、これが意味するところは大きい。たしかに、首都圏の中では東京の人口増加が鈍化しているのは事実だ。これは、さすがの化け物のような都市、東京も人口密集の限界にきているということであろう。ただし、最近のマンションばやりでミクロでいうと東京の区部の一部は人口が増加しているはずだ。東京都内の区別等の人口動態をこの辺あたる必要がある。白書が指摘するように中位の都市の増加が、東京と比べると率でいえば高いが、ほぼ東京と一体化している横浜、川崎などが純増の人口の大きさでいったら中位の都市の1つや2つを飲み込むほど増えている。この辺は、東京圏が拡大したと見る方が正しいのではないだろうか。

<グラフ:都市人口動態>

これらのグラフの暗示することは大きい。

土地の価格形成について、山口さんがコメントしてくださっていたが、やはり人口の密集度合いと地価とは関係が深い。経済的価値、土地の収益性でいあば、圧倒的な差がつきつつあるとういことだ。以前、「べき乗則」が当てはまるケースの推測される条件をあげたが、「ネットワーク」とい「レイヤー」という条件があるように感じる。街の場合に「レイヤー」の概念を、模擬的にあてはめれば、人口の集積が土地の収益性に影響し、土地の収益性が土地の利便性、魅力につながる。土地の魅力は、人口に影響する。そして、人口が...といった具合に永遠に影響の輪がきれない状態になる。ほんとうはそのまま連続している過程なのだが、人口、収益性、魅力といったレベルで便宜的にきればレイヤーが見えてくる。

しかも、山口さんの経済の外部経済、外部不経済のようなことを仮定するならば、たぶん80%以上の都市、地域において、その地域で経済をまわしていくだけの地価、土地の魅力、人口を保つことができない、ということだ。かくして、都市にあてはまる「べき乗則」はごく狭い地域だけの発展、それ以外の都市の衛星化を生むことになる。

うそかほんとか知らないが、「社会生物学のあり」という話がある。社会生物学者がありの巣の観察をしたという。よく動くありとうごかないありがいることに気づき、色づけをして獲得するエサの量と関連ずけた。この結果、20%のありが80%の獲物を巣にもちかえるということを発見したのだという。ところが、それでは働き者のこの20%のありだけで巣をつくれば、さぞかし生産性の高い巣になるだろうと実験したところ、見事に20%の働きものありからなまけものありがでて、20%:80%という法則がまた適用されたのだという。

あるいは、私の知人が温泉ホテルの話をしていた。昔は、温泉街でどこもすべてを自分でかけこむことなしに、不完全ながらもあるていど役割をわけて街として栄えていた。ところが、超大型温泉ホテルが建設され、温泉も、食事も、そのあとのお楽しみも、すべて自前でまかなうようになった。この温泉ホテルは一時は栄えたが、周りの温泉街は次第にすたれていった。そして、気がつくと温泉街が荒廃し、その温泉自体の地名度もうすれ、次第に当のホテルも苦境に陥っていった。温泉街については、バブル崩壊が原因だといわれているが、実は九州のいくつかの温泉のように街全体で活性化をめざし、集客力をとりもどしたところもあるという。私が大好きな滋賀の長浜もこうした例に加えてもいいのかもしれない。

どこかでろんさんじんの作った長浜のはなれへリンクをはったような?

首都圏白書からスタートしたが、どうもいろいろめぐりめぐって、首都圏にいるとみえないものがある、という結論にちかづきそうだ。

■参照リンク
東京は今年も世界で一番生活コストの高い都市 by finalventさん@極東ブログ
縮み時代の始まり--歴史の変曲点にきた日本を考える by miyakodaさん
ブログ人の「日本沈没地図」はしゃれになりづらい企画 by miyakodaさん (いまごろこの記事の重要さが実感できました。
[書評] べき乗則、ウェブログ、そして、不公平さ  (HPO)
25年後 @ 波乱万丈いわた書店日記

■追記 (平成16年6月19日)

SHINTAKKINさんの「「観光立国」が電通にぼられる以外に今すべきこと」で、本記事に触れていただいた。多分、周知の事実なのだろうが、「まちおこし」、「地域開発」などに電通はかなり首をつっこんでいる。各地の名所の開発、祭りの実行などに、各自治体がかなりの金額を電通につぎこんでいる。広告媒体などの関連、そもそも委託する先がないなどの事情で、こうなっているらしい。そうすると、「観光立国」政策は、外に向けての広告を電通がとり、内の各自治体の政策を電通がとりと、電通のための政策になりはててしまう可能性があるということだろうか。

本来「麗しい澤」ではないが、各地域の差をあきらかにする各地の観光政策が必要なのだろうが、その政策すらも中央に依存しなければならない、この日本の状況はいったいどうなっているのだろうか?

■追記 平成17年7月11日

1年ぶりの追記。先日、「インフレーションの形」という記事を書いた。また、清水千弘さんのご著書に関する書評も書かせていただいた。あらためてべき乗則(正確に言えばこの記事で扱ったのはzipf則というべきだが)と都市との関係は深いのだと実感している。シミュレーションで作った形は、首都部にいくに従って高まっていく土地の価格形成の集積だととらえることもできる。清水さんのような説明力の高い要因をどんどん特定化していっても、最後に残る首都部での土地の高さというのは残差(residual)というよりも、土地価格への期待の形そのもののように思える。そして、それらはLV方程式のように高い山を作るように思える。

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2004年6月12日 (土)

ふじすえ健三さん

「ふじすえさんを飲む!」オフ会 リローデッド へ続く


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飲み会はじまりました。

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フォロー 翌朝11:50

無事、「無職(色)の男としがない3人のおやじの飲み会」が開催された。ほんとうに多くの方のご協力で、本当に多くの方に参加いただき、多くの方に楽しんでいただけたとしたら、これぐらいうれしいことはない。ありがとうございます!

と、いいつつ一番楽しんでいたのは、miyakodaさん、nimさん、そして私の幹事団3人だったかもしれない。

「飲み会」に向かう途中、松岡正剛さんの「NHK人間講座 おもかげの国 うつろいの国」というテキストを読んだ。ふと、ブログで人とつながることは、茶道でお客様をお迎えすること、連歌を遊ぶことと、感覚的に近いではなかろうかと感じた。私たちは、ある意味最先端の技術をつかって「つなが」っているわけだが、ここに日本の文化を見出したい。あるいは、日本の文化の特性を感じていただけるようなブログとネットワークを作りたいと思った。茶の湯の世界も、初期には「闘茶」などかなり荒っぽいイベントであったらしいが、昨晩の「飲み会」もふじすえさんをお正客としてお迎えした「闘茶」にみたたてられたらうれしい。

お茶では、亭主と客のかけあいというか、呼応というか、やりとりに息があうことが大事なのだと思うのだが、「飲み会」に参加してくださったみなさんは、ほんとうに200%以上亭主たち(幹事団)の「おもわく」にこたえてくださった。ふじすえさんも書いていらっしゃったが、「自己紹介」コンテストでは、「シュニポニ」あり、「ホーミー」あり、「腹話術」あり、非常に楽しかった。質問を通しての議論も大変にもりあがった。お一人お一人が、「飲み会」に持ってきてくださったモノが、美しく響きあっていたと感じているのは、私だけだろうか。

また、お茶においては、いらないものをどんどん切り捨てていく。四畳半が二畳台目になるように、どんどんシンプルになっていく。人がなにかを選ぶことは、あったかもしれない他の選択肢を捨てることだ。ふじすえさんの生き方に触れさせていただいて、人の生き方というのも、いらないものを捨てていくことで自分を磨いていくことだと強く感じた。

みなさん、ほんとうにありがとうございました。

また、やりしょうね!

■参照リンク
波瀾万丈のblogオフ会 by ふじすえさん (お忙しい中、ありがとうございました!
Blogの普及は人の行動を変えるか? by PINAさん (熱いロックをぜひまた!
ふじすえさんオフ会 by hegeさん (なんか語り尽くせぬ思いが残っています。飲みましょうね!
ふじすえさんを飲もうの会  by りょう (DHだったんですね。お疲れ様でした。
ふじすえさんを飲むに出席して by maida01さん (今度は音楽のお話をぜひ!
ふじすえ健三:「日本の笑顔」の「場.ぁ:Ba.r」づくり事務局始動! & ふじすえさんを飲もう!に参加  by キルゴア中佐さん (さっきお茶とバサラって関係深いって知りました
ふじすえさんを飲む by 聞きかじりさん (真剣な質問のやりとりなど、感じるところが多かったです。ありがとうございます。
【Diary】無職のおとことオヤジ達。  by nimさん (ほんとうにお疲れ様でした。うふ、寝顔かわいかったです。
「ふじすえさんを飲もう!」に行ってきました。 by Hiroetteさん (お歌が忘れられません。ありがとうございました。
blogで政治を変えることができるか--Change the world by Miyakodaさん (昨晩は、お疲れ様でした!このタイトル泣きそうです。
(If I can) Change the World by くりおねさん @  あくえりあむ  (また、「チェンジ・ザ・ワールド」聞かせてください)

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世界は変えられる

もしいまの日本の政治がゆがんでるとしたら、ゆがんだ選挙をしているからだ。ゆがんだ選挙をしているのは、ゆがんだ投票ばかりだからだ。

日本の民主主義体制とは、国民、政治家、官僚の三すくみ状態を作り出して、権力を集中させないことだ。国民は、政治家を選べる。政治家は、ある程度官僚を制御できる。官僚は、国民の生活をある程度規定できる。官僚体制は、税金を徴収し、年金制度を運用し、交通違反切符を切り、私の仕事と関連する法規、規制を実行することによって、私の生活に直接かかわっている。ああ、あとありとあらゆる形の公共投資を通して、私達の生活に影響している。

最近、ブログの上であるいはウェブの上で表明されているようにこの日本でなにかが歪んでいる感じあなたがもっているとしたら、この3すくみのどこかが肥大化しているということだろう。あるいは、一人一人が「まあ、いいや」とゆがんだ現実になれあいになるがあまり、誰もが幸せを感じられない状態を放置しつづけているということだ。

実は、リベラルな民主主義国家においてこの3すくみを変える誰でも行使できる権利がある。ブログをどれだけ書いても、直接世界は変えられないが、この権利はWinnyを使わなくとも匿名性を保ったままで世界を変えられる。

それは、選挙権だ。

今の我々にはあまりにもあたりまえの、生まれる前から与えられているこの権利も、文字道理血みどろの歴史の中から生まれた。リベラルな民主主義体制と選挙権は、我々の政治的な父祖が戦って勝ち取った権利なのだ。人民主権とは自分達が自分たちの主人でいられるということだ。そして、人民主権を確立する一番明確な手段が選挙権であり、選挙制度だ。

政治をめぐる血みどろの闘いの代替行為である選挙で勝てるかどうかが、政治家という職業の最大の関心事だ。だから、既存の権益集団でなく、ウェブが選挙に確実に影響を与えていることが証明できれば、この国の3すくみバランスは変わりうる。既得権益をもつ集団だけが選挙で票を集められるのでなく、ウェブにおいて示される理性と善意と人のつながりが個々の利害を超えうることを証明できれば、この国は変わる。

あまりにナイーブな発言ととられてもかまわない。nimさんとのちょうど3ヶ月前の意見交換からうまれ、私をはなさなかったテーマの私なりの現在における帰結点がこの記事だ。私は、私の信じる行動をする。今日は、その小さな一歩だ。

■参照リンク
そうだ、選挙、行こう。7・11 by くりおねさん (ありがとうございます!同じことを感じて下さる方がいてすごくうれしいです。
ブログつながり、下呂・余市 by 聞きかじりさん
ふじすえさんを飲もう!に参加 by キルゴアさん
ネットの可能性と民主主義 by 奇兵隊さん
たったひとつの スマートな抵抗 by 瀬戸智子さん
【Column】『公(おおやけ)』という心。 by  nimsさん
無関心党 (これはおもしろい企画です!)
必要と稼ぎは違う-既得権益を排除し無駄を減らすがいずれ自分に向かうと知る人たちへのメッセージ by onoさん
「あなたの一票には力がある」か?―投票のススメ by 山口浩さん

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2004年6月 8日 (火)

[書評] 攻殻機動隊 Ghost in the Shell

[書評] Ghost in the Shell 「攻殻機動隊」(*1)

cover


西暦2029年 ---
企業のネットが星を被い
電子や光が駆け巡っても、
国家や民族が消えてなくなるほど
情報化されていない近未来

1995年に発表された「攻殻機動隊」の冒頭シーンに興奮してから10年余り、改めてこの映画の価値と先見性を実感できる2029年の未来から逆算された過去の地点に、私達は立っている。今、あらたな視点で「攻殻機動隊」を体験することが可能なのは、私達が過去10年間以上にわたってネットとつながった生活を経験してきたからだろう。1995年以前のネットワークといえばまだ単純なパソコン通信しか日常にはなかった。パソツーは、スター型のネットワークにしかすぎず、現在のインターネットのように中心のないネットワークは、まだ一般には体験されていなかった。こうした時代に、今日私達が問題とするようなネットワークの分散と集中の問題、ネット上の自己同一性の問題(現在の問題で言えば例えば匿名の問題)、国際的な民族的混乱と対立の問題、などを予見した「攻殻機動隊」を作った知性たちというのは一体なんなのか、感嘆するばかりだ。

「攻殻機動隊」にはあまりにキーワードが多すぎて、どこから始めたらよいのかわからない。いまさらネタバレでもないので、いっそ最後の草薙素子と2501との融合からはじめるべきなのかもしれない。例えば、情報生命体2501を作った公安6課と、公安9課の激しい戦闘があった旧い博物館で進化の系統樹をマシンガンで打ち抜くシーンはかなり示唆にみちている。これは、草薙素子と2501の融合が地球上の生命体の人類の新しい進化である、という意味でもあろうし、人間がすでに進化の袋小路に達しているということを示しているようにも思える。

「攻殻機動隊」以前に描かれてきた単体でしか存在してないサイボーグや、ロボットのSFと比べて、ネットがすでにそこに存在していることが「攻殻機動隊」の世界ではあたりまえになっている。ネットの存在は私達に、「攻殻機動隊」の冒頭の義体の製造工程の映像で暗示されるような電子顕微鏡の微細な視点から、個体の輪切り画像のような対象内部の視点、そして、神のごとき高見の視点まで、自由にどこへでも焦点を結ぶことを可能にした。地表の細部の構造を見ながら、衛星軌道上からの画像を眺め、発想することすら、ネットを駆使すれば既に可能だ。「攻殻機動隊」は、すでにそうした情報の自由さが自明のものとなっている社会で、次はどこへ進むのかという方向性を示している。

「攻殻機動隊」の中で、くりかえし語られるキーワードの一つは、集中化による多様性の喪失だ。大量生産により生み出された自分と全く同じ身体を持つ別人格との出会い、たぶんグーグルのごとく単体で十分にネットを覆い尽くしてしまう力をもつネット生命体2501、自分の魂の領域までハックされ妻も娘も過去の記憶も人形使いにより偽造されてしまう清掃局員...「攻殻機動隊」には、個性、多様性を喪失するエピソードが重層的に語られている。これらのエピソードは、いまのままの技術では不可能なこともあるが、2chの匿名問題のように表現された自分が自分であることが証明不可能な現代のネット社会に棲息する私達なら、十分この混乱の深さを実感できるのではないだろうか。

本ブログにおいて繰り返し分析してきたように、一体化された社会、グローバルな市場、緊密なネットワークにおいては、個体個体の違いは、正規分布ではなくベキ乗分布(*2)により表現される。個人の所得、企業の規模、国家のGDP、ネットのリンク、SNSの地域分布などが、恐ろしいくらいに偏って集中し、存在することになる。いわば、ネットワーク社会とは、真っ平らな、境界のない社会であることが実感されつつある。これは、フランシス・フクヤマのいう「歴史の終わり」の後の社会なのだろう。「攻殻機動隊」で描かれる世界は、こんな世界ではなかろうか?

自分の環境も真っ平らな空間になりはて、自分自身も自分であることが証明できないような世界において、どのように自分が自分であることを証明したらよいのか?多様な解釈が可能な「攻殻機動隊」を改めて見て、私が感じたひとつの結論は、子供を生むということ以外ありえないということだった。「自分に自信がもてないのに子供なんて」ということばが聞かれる現代の少子社会に異を唱えたい。実は、自分が自分であるといことは極めて状況的なことだ。この状況、この偶然を、自分が自分であるという必然に変えることは、他者と交わり、あらたな人格、多様な子孫を自分で生み出していくということ以外にない。

もう少しマイルドな言い方をすれば、自分にしか作れない結果を残すということだろう。簡単に言えば、他者から信頼される、他者から自分が自分であると認められる、ということは約束を守るということだ、期待に応えるということだ。これ以外に、自分が自分であることを他者に証明する方法を私は知らない。顔を変えることも、名前を変えることも、別な人格になりすますこともできる高度なネットワークを実現した技術社会において、ネットワークの信頼されるノードでありつづけるということはノードの機能をきちんと果すということしかない。マンガ版の「攻殻機動隊」で草薙素子の価値を、「荒巻部長」が「草薙をすてるということは、膨大なネットワークを切り捨てるということだ。霊能者よりも貴重なのに!」と評価していた(記憶によるので、正確な引用でない。電脳が欲しい!)。

こうしてやっと記事の最後まで来て「攻殻機動隊」の最初のシーンにたどりつくのだが、子供を生む、結果を作るということを私の中にある別な言葉で表現すれば、自分でビルから飛びおりるというイメージにつながる。しばらく前に「電車男」のエピソードがネットの上で話題を読んだ。私は、この話は、「電車男」が新しい神話を、トゥルーストーリーを、ネット上に生み出した、ととらえている。誰かがどこかで書いていたかもしれないが、ネット以前、近代以前、歴史以前の社会においては、文化を人間社会に伝播するミームに相当するものは、物語しかなかった。私達の共同体の共有のトゥルーストーリーである神話も、強力な伝播力を持ったミームであった。構造主義で切っても、機能主義的社会学できっても、精神分析で切っても、神話は決して荒唐無稽な物語ではない、きちんと構造をもち、構成され、場合によっては人間の持つ深層心理、集合的無意識の論理をもった物語だ。ミームとは、「攻殻機動隊」の言葉をかりればゴースト障壁の複製だ。しかも、複製によって劣化することなく、常に共時的に「遺伝」していく。

原人プルシャが死ななければならなかったように、古事記のオオケツヒメの死体から穀物が生まれたように、トゥルーストーリーは、死と再生を語る。谷へ落ちて、そこからはいあがってはじめて人間は人間になる。ネットの上での、自己投機というものが、どのような形になるのか、明確には私にはわからない。ただ、ネットの上で真の行動を起こし、自分を投機した「電車男」は、ネットの上の信頼性、自己同一性、そして、リアルの女を得ることができた。「電車男」は、自分をいままで考えもしなかった行動へ追いやり、自分を再生させることができたのだと私はとらえる。それは、草薙素子の物語が超高層ビルから飛び降りるところから始まるように、死と再生は繰り返される。

飛び降りること、海に潜ること、は単純な死のシンボルということではない。死と同様の鮮烈さをもつのかもしれないが、自分が自分であるとおもっている自分を捨て去ること、自分の対象物への固執から離れること、などと等価なのかもしれない。

攻殻機動隊を9年ぶりに見て、そんなことを感じた。

■注記

*1
「攻殻機動隊」のDVDを買って夜中に見た。妻に「じゃあ、倹約なんていわないで私も洋服買っていいわよね。」といわれた...多分、今回の記事が自己ブログ史上最高の投資額になるのだろう。
私の誕生日を記念して、私の大好きな「攻殻機動隊」について語りたい。いつぞや書いたか記憶が定かでないが、私がいまここにあるというのは、間違いなく父祖をはじめとする私を取り巻くあらゆる方々のご恩があるということだ。ご恩というネットワークの結節点として、いま私がここにいる。深く、深く、感謝したい。

*2
例えば、
[書評] べき乗則、ウェブログ、そして、不公平さ
[書評] 都市経済、 テクノロジー、 クラスタ、 そして、 べき乗則
愛に空間を

これについては、たくさんの方からヒントをいただいている。例えば、
地形の輪廻と「麗しい澤」 by BigLoveさん
ベキ乗分布。 by akillerさん
ベキ法則って? by it1127さん
「アオイショウメイの連鎖」モデル by m_um_uさん
山口浩さんからの「そそる」論文のご紹介

■参照リンク
GHOST IN THE SHELL by akiさん (「ダイアローグ」を読ませていただき、あらためて自分がどれくらい攻殻機動隊にはまっているか自覚しました。自分の書き言葉ってめちゃくちゃ影響うけてますね。ありがとうございます。)
プロジェクト2501 by たりぽんっさん
グリゴリの捕縛
・『産霊山秘録』 by 松岡正剛さん (「草薙」って鎮護の意味があるんですね
距離、時間、そして統治と戦争 (HPO)
curated consumptionから連想するもの (HPO)
[書評] アップルシード 2巻 apple seed 2nd volume (HPO)

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2004年6月 6日 (日)

[書評] べき乗則、ウェブログ、そして、不公平さ

[書評] Power Laws, Weblogs, and Inequality by Clay Shirky

■べき法則とは?

It1127さんの記事からリンクをたどって標記の記事にたどりついた。オリジナルは2003年の2月に書かれたということなので、1年と少し前になる。米国において、いや英語圏というべきかもしれないが、ブログがどれぐらい日本よりも先行して流行していたのか知らないが、その成熟の過程において急速に追いつきつつあるという感触をもった。

「Power Laws」とは、日本語でいえば「べき乗則」といわれるものだ。本ブログや、it1127さん、山口浩さん、あるいはそれ以外のブログの記事で多く取り上げられているので、すでに知られている概念であろう。この記事の言葉を借りれば「勝者がすべてをとる」、「2位は1位の半分、3位は1位の3分の1しかアクセスやリンクが得られない」、といったことだ。これは、こまで議論してきたように、かなり広範囲の現象において観察される「法則」である。数学的には、パレートの法則も、ジップの法則も、20:80の法則も、同じ事をいっているという論文もある(*1)。ただ、気をつけなければならないのは、この法則は極めて経験則的な法則であり、その背景で動いている真のメカニズムは、常に別な力である可能性があることを留意すべきである。

本記事が指摘するように、この法則が観察されるケースにはいくつかの共通する背景がある。本記事ではウェブログに問題を限定して論じるで、できるだけ具体的に書くようにする。

・選択の自由:参加者には広く、かつ自分の意思に基づいた、アクセス、リンクの選択権がある。
・大数の法則:ある程度、すくなくとも数万以上の参加者の数が必要となる。数がすくないうちは、逆に局所的なバランスが観察されうる。
・時間の経過:何度かの選択が繰り返され、お互いに影響し合う過程が必要である。「ランダムドットステレオグラムとランダムドットキネマトグラムからの発想」でさわりを述べたが、私がシュミレーションした「網膜モデル」にm_um_uさんが名付けてくれた言葉でいえば、ノードとレイヤーが必要だということだろう。

■なぜべき法則か?

昔学校でならった正規分布(平均点を真ん中にした逆にしたつりがねの形)になぜウェブログのアクセス、リンクなどがならないか?平均的なブログは、平均的なアクセス数をとり、非常にアクセスが多いあるいは、アクセスが極端にすくないブログは、少数しか存在しない、ということにならないのか?本記事はいくつかのポイントを指摘している。

主要なポイントとしては(*2)、バラバシの「新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く」、ワッツの「6次(の隔たり)」、フバーマンの「ウェブの法則」などによれば、社会的なシステムにおいて、多くの人が多くの選択肢に対して、自分好みを表明する場合、べき法則が観察されるという。当初、偏りが比較的すくなかったブログの普及期、創成期においては、リンク、アクセスの偏りは、比較的少なかった。しかし、ほんのすこし多くのブログがAというブログよりも、Bというブログに対してリンクを多くはったとすると、それを参照したCは、その「好み」に影響されてAよりもBのブログを選ぶ可能性が高い。この「積極的なフィードバック」が繰り返され、Bが非常に多くのリンクやアクセスを得るのに対し、Aがその数分の1のリンクやアクセスを得る、という結果になる。

Clayは、私は非常に米国人(ですよね?)らしいと思うのだが、この傾向が「公正か?(fairness)」という問いを立てている。そして、新しいブログを立てるコストの安さ、ブログが毎日の活動であることなどをあげ、これは公平なことなのだと結論づけている。

■そして、ブログはメディアになる

こうして、急速にアクセス数の「不平等」が形成される。これは極めて自然なことなのだ。基本的に、この傾向を止めることはウェブログの選択の自由をゆがめることになる(*3)。この傾向の先には、たぶん切込隊長さんのブログや木村さんのブログがそうであるように、もはやコメントやトラックバックのひとつひとつに対応する対話の機能を果たすブログというよりも、メディアに近い存在になる。ブログの作者が一方的に語り、それに対して読者層が勝手にコメントをつけていくという、書き手と読み手が大幅に不均衡な状態になる。

あるいは、たぶん、私のこのブログがそうであるように、本記事のClayの言葉を借りれば「夕食のテーブルの会話」のように少数のごく親しい仲間の間でお互いにお互いのブログで語りあうこじんまりしたブログ群を形成することになる。あるいは、この「メディア」となるブログと「会話的」なブログの間に、多くのブログが位置することになる。そして、ブログが普及し、ベキ法則が支配的に観察されるようになるにつれ、以前よりもアクセス、リンクなどが減っていく。

■ではどうすべきか?

たぶん、日本のブログの運営会社、はてなやココログなどは、こうした傾向をすでに熟知して、対応策をとっているのだろう。はてなが「おとなり」を強調する策も、ベキ法則的傾向を拡散するために有効だし、逆にココログがリアルでも非常に名前が売れている人のブログを設定することも、メディア的傾向を加速し、多くのアクセスを集めることになる。

私個人としては、この記事を読んだ後でも、以前からいろいろな記事で述べてきたように、自分のビジョンなり、魂なり、命なりによって形成される、「麗しい澤」を目指したいと感じている。それが、アクセス数の増加などにつながらないとしても、私にはこれが一番納得性が高い。

おまけとして、レイヤー、時間の経過、ノードの相互作用、といったことを視覚的にあらわすために、自分の作ったシュミレーションの生成過程について、連続する3Dのグラフをここにプレゼンしよう。これは、急速にブログにおいて、アクセス数やリンク数の「不平等」が生成されるさまをシュミレートしたものと解釈してもらってもかまわない。

<アニメーションGIF化画像>

<各レイヤー画像>
レイヤー0:初期設定
レイヤー1
レイヤー2
レイヤー3
レイヤー4
レイヤー5
レイヤー6
レイヤー7
レイヤー8
レイヤー9
レイヤー10
レイヤー11
レイヤー12

どのようなメカニズムでこのグラフが形成されたかは、↓のエクセルのファイルを紐解いて欲しい。ごく簡単な加減乗除しか使っていない。

集中化シュミレーションファイル

以上のグラフを、近傍で相互作用を持つリンクの時間的な変化の経過、とみるのが、一番納得性が高いと思われる。以前の記事で触れたように、私の経験した中でいえば、網膜から大脳皮質へつながる初期視覚処理の過程に一番近い。it1127さんがおっしゃっているように、「大脳はもともと複雑系がお好き」なのかもしれない。


■注記

*1
これを書いてから、ランチェスターの法則の大半も、この定義でいえば、べき法則の時間的な展開であると気が付いた。近いうちにべき法則のマーケティングへの応用について書きたい。

→ 約束通り書きました。「べき乗則とランチェスターの法則平成16年10月4日

*2
私はまだ、この辺の著作を読んでいない。読まないでいることを楽しんでいる。
「わーい、まだ読んでない癖にエラそうな口きくんじゃねぇ。」とネタバレにならない程度にからかってやってください。

*3
"Rank Hath Its Privileges "(階級は特権を持てり)とか、元記事はとても英語として成熟した表現が多かった。書き手の人柄が伺えるようだ。うれしい。

■参照リンク
Power Laws, Weblogs, and Inequality by Clay Shirky
ベキ法則って? by it1127さん
[書評] 都市経済、 テクノロジー、 クラスタ、 そして、 べき乗則 (HPO)
エージェントスミス的なもの、草薙素子的なもの、あるいは、ネットは世界をつなげるのか? (HPO)
curated consumptionから連想するもの (HPO)
「blogに関する中央と周縁」と改めて言われると  by MAOさん
ネットワークという視点で深まる世界観 を読んで。 by 徳力 基彦さん
[ITトレンド] MIT講義「Power Laws: Hype or Revelation?」 by 梅田さん

■ソーシャルブックマーク
http://del.icio.us/tag/power_laws

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2004年6月 3日 (木)

年金改悪

仕上げなければいけない仕事が山積みなのに、年金改正(改悪?)法案が参議院の委員会を通過したと聞き、思わず参議院のビデオをネットで見てしまった。さすがに全部は見切れないので、強行採決を含む部分だけをみた。が、あにはからんやいろいろと発見があった。

民主党の山本たかしさん、かっこいい。

山本氏は、今回の年金法案のみそである「マクロ経済スライド」について小泉首相が理解していないまま採決しようとしていたことや、明らかに強制加入であった時期に首相が年金に未加入であった事実を首相がみとめないことなどを、ぐいぐい明らかにしていった。すばらしい手腕、すばらしい調査力だと思った。薬害エイズ事件の時も厚生労働省を追い詰めるファイルを発見したのも山本さんらしい。

私は、これまで結構小泉首相というのは、すくなくともブルドーザーのように、現行のいきづまった官僚支配を打ち破る力を持った人だと信じてきたが、この中継ビデオを見て、その気持ちが風船から空気がぬけていくようにしぼんでいくのを感じた。これだけの事実をつきつけられても、反省の色をみせず言い負かそうとする人が、日本の首相だということに、正直がっかりした。西川きよしさんの最後の質問をきってまで強行採決をしてしまうことを許容する人が、はたして私たちの年金を払う痛みを感じてくれるのだろうかと、正直思った。

「マクロ経済スライド」というのは、ちなみに労働人口も、一人当り賃金も下がっていく局面では、全体の年金負担力がさがっていくために、最大年間0.9%年金の支給額を減額していくという仕組みだそうだ。まあ、これもまた自分の不明を恥じるしかないのだが、こういう改悪があまりマスコミに取り上げられなかったことが不思議だ。また、今ネットのニュース等で見る限り、今日のMVPをあげたいくらいの山本たかし氏の名前を出して、質疑の様子を伝えていないように感じる。なぜなのだろうか?

■追記 (平成16年6月10日

すでに年金の問題を超えて、すばらしいコメントをいただいています。この拙いアフォーな本文記事よりも、ぜひいただいたコメントをお読みください。

■参照リンク
参議院議員 山本たかしの国会アクション
同 メールマガジン「蝸牛のつぶやき」 6月6日(日)号
参議院インターネット中継
出生率が過去最低の1・29、年金改革法“誤算” by Yahoo!News
・「今日聞いたおとぎ話(習作)」 (HPO) (国会中継を見ながら調べなおし、自分で重大な間違いを犯していることに気づきました。反省します。)
ひともすなる年金といふもの (HPO)

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2004年6月 2日 (水)

ランダムドットキネマトグラムとランダムドットステレオグラムからの発想

■空間型コンピューター

山口浩さんが書いていらっしゃった「空間型コンピューター」という本を読んでびっくりした。この本のテーマの一部は、私が卒業論文でやったことの延長だ、と感じたからだ。当初、山口さんの記事にコメントしようかと思ったが、長くなりそうなので、ここに書いてトラックバックすることにした。当然、山口さんのすばらしい記事を読んでから、以下読み進まれることをおすすめする。

私は大学時代に感覚知覚心理学研究室で卒業論文を書かせてもらった。かなり入れ込んで書いた私の卒業論文のテーマは、「ランダムドットステレオグラムとランダムドットキネマトグラムの特性について」というごく地味なテーマだった。これは、形のてがかりのない点々で構成されるパターンを、交互に見せるか、左眼右眼別々に見せるかで、動きが見えたり、奥行きが見えたりする知覚現象の特性を、研究対象にした卒論だった。要は、コンピューターを使って、動きの感じ、立体感などを生むにはどうしたらいいか、という視覚の基礎研究のようなものだ。

ちなみに、人様のグラフィックスを借用してよいのかわからないが、ランダムドットとは以下のような感じのものを言う。人間の眼は、ここから隠された形を認識してしまうのだから、たいしたものだ。

Fd5

余談であるが本書との関連でいえば、感覚知覚心理学のつながりで、本書に出てくるトロント大学の研究室に88年に行かせてもらった。NASAから援助を受けて宇宙酔いの研究として、周辺視の実験をやっている様子を見せてもらった。あ、周辺視というのは、中心視の反対をいう。中心視というのは、ごく普通に意識されているものの見方をいう。人間の目が、目の前にあるものをごく普通に見て、これはボールだとか、これはコップだとか、信号が赤だとか認識したり、文字を読んだりするときに使われる。認識する。これに対して、かならずしも意識的に見ていない視野のはじの方の知覚を周辺視という。

当然、解像度というか、細かいものを見るのに中心視の方が適しているのだが、おもしろいことに、運動に対する感覚としては、周辺視の方が敏感だったり、身体がどちらに向いているかという感覚につながっていたりするのだという。本書で、大きなシュレーターを組まなければならないというのは、実はこの辺の事情による。中心視と周辺視をうまくつかってやると、からだが動いている感覚を与えたりできる。つまりは、その場にいる感覚を生むには、中心視のしかカバーできない15インチ程度のモニターでは全然足りないのだ。

ちなみに、周辺視を意識すると不思議な感覚が生まれたりする。お試しになることをお勧めする。

■神経単位、計算理論、そして、べき乗則へ、

自分の卒論は、デイビッド・マーという夭折した天才的な認知科学者の「ビジョン―視覚の計算理論と脳内表現」という当時大変話題になった本に多大な刺激を受けて書いたものだった。私の理解がただしければ、ニューロン単位の網膜から始る知覚現象を、生理学的なレベルの解析とコンピューターシュミレーションを使ったアルゴリズムの研究とを計算理論という考え方で比較しながら、説明するという野心的なアプローチだった。

私が文字どおり卒論でフォーカスしていたのは、網膜から視神経レベルの初期視覚だった。この初期視覚のレベルで、エッジの検出や、ランダムドットキネネマトグラムのような動きの検出が行われているという仮説を検証したかった。この考え方のベースにあるのは、ごくごく隣あわせで存在している視神経細胞がお互いにごく簡単な連絡をとりあうことで、高度な視覚を実現できるという仮説だ。ごく単純な足し算、引き算、あるいは、周辺の細胞の一定のパーセンテージでの重み付けで、微分、積分、フーリエ解析に匹敵する演算を行える、ということをマーは証明していた。

コンピューターでイラストを描くといった画像処理にお詳しい方なら、ガウシアンフィルターとかご存知なのではないだろうか?ガウシアンフィルターのパラメーターを操作されたことはないだろうか?各種フィルターは、場合によってひとつのセルの周辺の重み付けにより、実現できる(らしい...)。

わけのわからんことを書いているようにしか思えないと自分で書いていても思うのだが、これアナロジーはこれまで本ブログにおいて問題にしてきたウェブのつながりや、miyakodaさんのSNSのつながり、果ては都市経済の問題などと、視神経、初期視覚の問題が、ほぼ同様のアルゴリズムで扱える可能性がある、といことを私に示唆していると、さっき気がついた。

この前から弄くっているべき法則をごく単純なノードの結びつきでシュミレーションしうよとする試みに、「網膜モデル」を追加してみたのは、このためだ(参照)。まだ、途中なのだが調子にのって、どんな感じの集中モデルが描けるか、シュミレーションの内容を説明する前に載せてしまう。以下の画像は、クリックすると大きくなる。

<足しあげフィルターによるシュミレーション結果>


<乗算フィルターによるシュミレーション結果>


<網膜型フィルターによるシュミレーション結果>

まだ、パラメーターの設定やら全然整合性がついていないのだが、グラフをかくと、どうにかべき法則的に対数で近似できそう感じだ。なんとなく卒論で書いた網膜の計算モデルと、べき法則を関連付けられそうな予感がある。もっと言ってしまえば、ブログが巨大な知覚装置になりうるということを示しているのかもしれない。集中と分散という考え方から、さらに先へ進めたいと感じている。

ええい、途中経過のまとまらない記事だが、あえてアップしてしまおう。自分でも、まだ先が全然読めない。

ああ、なんか空間コンピューターの話しが知りきれトンボだぁ!


■参照リンク
ランダムドットステレオグラム by 眼鏡かわら版さん
認知心理学 講義資料 by 上智大学 認知心理学研究室さん
中心視と周辺視 by @ SFC体育
脳の情報表現:発火周波数,時間パターンと細胞モデル by 銅谷賢治さん (うわっ、シグモイドが出てきた!)
初期視覚系の情報処理モデルと輪郭セグメント検出 by 新妻清三郎さんら(中心視、周辺視、クラスターなどキーワード多数!)
愛に空間を (HPO)
コップはなぜコップに見えるのか?~自発的認識論~ (HPO original、古い!!!)
マインド・ワイド・オープン―自らの脳を覗く by 橋本大也さん

■共有体験?

私のようなアカデミックでないものが感動を共有させていただいていると書くことすら不遜かもしれないがある方のブクマがつないでくれた金沢創さんのブログ記事に感動した。

『ビジョン』マー(産業図書)

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[書評] チェンジングレーン

チェンジングレーン 

たまたま見たが、かなり自分にこたえる内容の映画だった。この前、自分で自分のことをリスク・ジャンキーなどと無責任なことを書いたことを反省させられた。自分で自分が犯したリスクの始末ができて、初めてリスクジャンキーなどと言える...

この映画は、2人の男がたまたまハイウェイで接触事故を起こし、それぞれの人生を変えてしまうという物語だ。お互いにお互いの意図を勘違いして過激に走ってしまう。見知らぬ相手に不信感をいただいたり、敵意をいただくと、限りなく過激にはしってしまうことがある。たとえば、「いいことをした代償は、いいことをしたという満足感だけだ」と、どこかの小説で読んだようなセリフを同僚に言っているときに、そのいいことをしようとした相手から「お前をめちゃめちゃにしてやる」という脅迫の留守電を聞いたら、あなたはどう行動するか?

ベン・アフレック演じる若き将来を嘱望された弁護士と、AAの集会でようやく酒をやめたサミュエル・ジャクソン演じる離婚寸前のさえない男とが、交互に写されるために、我々は神のような視点で、この映画を楽しむ事になるのだが、あなたがもし一方だけの情報しかなかったら、どうこの状況に対応しただろうか?やはり、相手に対してもうれつに腹を立てて、復讐を誓うのではないだろうか?リアルであれ、ネットであれ、自分の人生においては、ごくごく限られた情報した手に入れられない。不完全な、限られた情報で起こる悲喜劇がある。究極の人間同士の争いである戦争にだって、そういう側面がある。

あれ、そういえば役割を交替して相手の視点でものを見て、お互いを理解する母娘なんて映画を機内でみたな。あれは、なんて映画だったかな。

なぜか人は、お互いに復讐することにより、お互いの価値を引き下げることにとても熱心だ。相手を破産させ、相手に事故を起こさせ、相手を離婚させ、相手から子供を奪い、相手を...破滅においやっても、案外自分自身が破滅の一歩手前にいたりする。確か、英語だとこういう動詞を「ディスカウント(discount)」という。お金を数えて価値をはかるの逆だね。相手の価値をどんどん下げていってしまう。

告白してしまえば、この映画を教訓的にとらえてしまったのは、どちらも相手の言い分が自分の本音とたいして違わないことに気付きながら、相手をおとしめるような口ケンカを、この映画を見た直後にしてしまった。私は本当に反省がない人間なのかもしれない。

この映画は、案外シナリオがよい。「人生は綱渡りの連続だ。」とか、「ちがう、人間はルールの中で生きているんだ。」とか、「あなたはいい人だけど、いつもトラブルを招き寄せるのよ。」私にはぐっとくるセリフが多くあった。これらのセリフは、交流分析シナリオとか、スクリプトといった、自分の人生の結末は、自分で書いてしまっている、という考え方につながるように思う。

と、ここまで書いて、交流分析の基本中の基本、自由な子供、適応した子供、批判的な親、養う親、そして、大人、にそれぞれ対応する登場人物がこの映画には登場していたことに気づいた。それぞれ、非常に個性的な俳優さんたちが演じ分けていたのが、印象的だった。いい映画だね。

■参照リンク
チェンジングレーン 公式サイト
交流分析 by 中澤博康さん
チェンジング・レーン @ (楽天広場 映画の小部屋)
[書評]太平洋戦争 (HPO)

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