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2004年7月30日 (金)

PDAとしての携帯電話

この前記事で書いたようにPDAから携帯電話へ乗り換えた。その後、実務で使ってみた顛末を書きたい。少々、メーカー名等でてくるが、私はこれらのメーカーの回し者でもないし、広告費をもらっているわけでもないことを書いておく。まあ、もし万々一そういう申し出があればありがたく受け取る(笑)。

日常の業務で議事録をつくったり、記事をアップしたりすることに先日の携帯電話用キーボードを使い始めた。携帯で入力できる文字とキーボード側の設定の問題がときどきおこる。また、文字切り替えで入力していない文字が出力されることもある。それでも、概ね具合はいい。携帯電話の候補の先読み機能と、漢字変換の進歩に目を見張った。

Rboard for Keitai紹介記事一覧 こんなリンクはると、ほんとにメーカーの回し者と勘違いされそう...
W21H @ AU by KDDI

あれから、NTTコミュニケーションのinternetFAXサービスのメールアドレスを変更し、携帯電話から直接ファックスが送れるようにした。以前から使っていたが結構便利なサービスだ。出先で作った書類を出力するのに、喫茶室のファックスを借りて出力したなんて記憶もある。お取引さんのところへうかがったときに、出力して確認を求めるなんてこともしょっちゅうだった。iFAXでは、ワードやエクセルのファイルも本来出力可能なのだが、残念ながら私の携帯電話ではまだこれらのファイルを編集することはできない。一部で、閲覧はできるタイプがあるとは聞いている。どうしてもやりたければテキストファイルを一旦Yahoo!等のウェブでみれるメールかなにかに送って、そこでワードファイルに落としまた携帯に添付でおくりiFaxに送るという手は考えられるが、ネットカフェやKinko'sなどでの出力サービスを使ったほうがこれは早いだろう。

internetFAX by NTTコミュニケーションズ

そして、いまこの原稿を書くのと同時に処理がすすんでいるのが、予告したOutlookと携帯電話との連動だ。これはなかなかスムーズのようだ。ただ、なぜか誕生日が100年くらい先に化けてしまう現象があるように感じる。なぜだろうか?会社名や付加的な情報もまだ連動が上手くいっていない。もう少し調整の必要がある。それでも、PDAと同じかそれより楽にかつすばやく携帯電話にOutlookのアドレスデータ、スケジュールデータ、そして必要ならタスクまでシンクロ(共有化)できるのがうれしい。携帯電話側の入力も、PC側の入力もきちんとシンクロさせられていく。すばらしい。

マイシンク・ビズ by CASIO

写真もすこし使ってみている。ココログのモブログのメールアドレスも変更した「諸岡さん」の写真も携帯電話でとったものだ。まだ、つかいなれていなくてフラッシュなしで撮ってしまったので、かなりくらくなってしまった。しかし、解像度はかなりのものだ。あえてここに掲載しないが、携帯電話だけで画像の編集までできてしまう。果ては、携帯のサイトに掲示板風に自分のとった写真を掲載し、果てはその写真の現像まで依頼できるらしい。残念ながら、携帯からだけ共有して見れるようでPCからはアルバム自体にはアクセスできない。Yahoo Photoのがよいのかもしれない。

EZメモリーポケットサービス

そして、これらの機能が電話で話している最中でも使えるのがよい。イヤホンマイクでしゃべりながら携帯電話でスケジュールを入力するのが普通になりそうだ。道路交通法の改正にともない携帯電話をイヤホンマイクで使用するようになったし、ちょうどよいかもしれない。

しかし、PHSから携帯電話に乗り換えて一番違和感があるのが、音声通話の明瞭さだ。PHSを使っていたときは、固定電話とほとんど変らない音質だった。しかし、いまは明確に携帯電話の音だとわかる。携帯電話でみれるウェブのサービスもADSLなみの数メガbpsのスピードが出ているにもかかわらず、音声側の帯域を増やし音質をあげるなどの努力が行われないのが最大の疑問となった。

■余談

携帯電話のサブディスプレイに大きく「WIN」という文字がでている。これを手前に折りたたむ瞬間文字が逆になり、「NIM」と読めてしまう。この文字を見るたびに、あるかたの顔写真が....

■参照リンク

携帯電話の進化 (HPO)

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2004年7月28日 (水)

諸岡さん

040728_1947001.jpg

またしても、飲んでます。諸岡さんと諸岡さんの奥さんと大竹さんとごいっしょしてます。


フォロー 平成16年7月29日

新たなる我が愛機、w21hをまだつかいこなせずくらい写真になってしまたので、修正版をつくった。諸岡さんいい男を台無しにしていてごめんなさい。

しかし、メガピクセルを誇るだけでなく、編集機能からGPS付与まで機能があると下手なデジタルカメラは売れなくなるのではないかという気がしてくる。

040728_1947001.jpg

■参照リンク
携帯電話の進化 (HPO)

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2004年7月26日 (月)

夏休みの100冊 ~teenager books~

昨晩、妻と新潮文庫の100冊のリストをネットでみているうちにあきたらなくなって自分たちでリストを作り始めた。原則は、まがりなりにも自分たちどちらかが読んだことがある本、二人が中学になった子どもに読ませたいと合意できる本、という二点から選択した。気が付いたらちょうど日本の作品と海外の作品が同じ数になった。順番もめちゃくちゃだし、選択の好みもおもいっきり偏っている。また、「プロレゴメナ」などといわず「14歳からの哲学」の方がいいかなとか、もう幼稚と子どもが感じるかもしれないものもあるな、とかすでに迷っていたりする。それでも、みなさんがどうされているかネタをふるためにも(?)ブログに載せる。

1 古事記 → 古事記物語(鈴木 三重吉)[青空] (現代語訳 古事記 河出文庫 福永 武彦 (編集)
2 源氏物語 紫式部 全文 (全訳源氏物語 (上巻) 角川文庫 与謝野 晶子
3 枕草子 清少納言 全文 (枕草子 岩波文庫 池田 亀鑑
4 こころ 夏目漱石 [青空] (こころ 新潮文庫 夏目 漱石
5 それから 夏目漱石 → 「それから」予告 [青空] (それから 新潮文庫
6 草枕 夏目漱石 [青空] (草枕 新潮文庫
7 夢十夜 夏目漱石 [青空] (文鳥・夢十夜 新潮文庫
8 坊っちゃん 夏目漱石 [青空] (坊っちゃん 新潮文庫
9 吾輩は猫である 夏目漱石 [青空] (吾輩は猫である 新潮文庫
10 羅生門・鼻 芥川龍之介 [青空] 、 [青空] (羅生門・鼻 新潮文庫
11 蜘蛛の糸・杜子春 芥川龍之介 [青空] 、 [青空] (蜘蛛の糸・杜子春 新潮文庫
12 雪国 川端康成 (雪国 新潮文庫
13 友情 武者小路実篤 (友情 新潮文庫
14 武士道 新渡戸稲造 (武士道 岩波文庫
15 金閣寺 三島由紀夫 (金閣寺 新潮文庫
16 豊饒の海4部作 三島由紀夫 (春の雪奔馬暁の寺天人五衰 新潮文庫)
17 檸檬 梶井基次郎 [青空] (檸檬 新潮文庫
18 小川未明童話集 小川未明 (小川未明童話集 新潮文庫
19 みだれ髪 与謝野晶子 [青空] (みだれ髪 新潮文庫
20 王陽明研究 安岡正篤 (王陽明研究 明徳出版社
21 銀河鉄道の夜 宮沢賢治 [青空] (新編銀河鉄道の夜 新潮文庫
22 注文の多い料理店 宮沢賢治 [青空] (注文の多い料理店 新潮文庫
23 春と修羅 宮沢賢治 [青空] (新編宮沢賢治詩集 新潮文庫
24 沈黙 遠藤周作 (沈黙 新潮文庫
25 海と毒薬 遠藤周作 (海と毒薬 新潮文庫
26 敦煌 井上靖 (敦煌 新潮文庫
27 孔子 井上靖 (孔子 新潮文庫
28 おろしや国酔夢譚 井上靖 (おろしや国酔夢譚 文春文庫
29 砂の器 松本清張 (砂の器〈上〉砂の器(下) 新潮文庫)
30 点と線 松本清張 (点と線 新潮文庫
31 生きがいについて 神谷美恵子 (生きがいについて みすず書房
32 燃えよ剣 司馬遼太郎 (燃えよ剣 (上巻)(下巻) 新潮文庫)
33 坂の上の雲 司馬遼太郎 (坂の上の雲〈1〉 文春文庫
34 竜馬がゆく 司馬遼太郎 (竜馬がゆく〈1〉 文春文庫
35 峠 司馬遼太郎 (峠 (上巻) 、 (中巻) 、 (下巻) 新潮文庫)
36 塩狩峠 三浦綾子
37 氷点 三浦綾子
38 思い出トランプ 向田邦子
39 三国志 吉川英治
40 宮本武蔵 吉川英治
41 親鸞 吉川英治
42 ボッコちゃん 星新一
43 風の歌を聴け 村上春樹
44 輝ける闇 開高健
45 夏の闇 開高健
46 チェーザレ・ボルジア あるいは華麗なる冷酷 塩野七生
47 ローマ人の物語 塩野七生
48 深夜急行 沢木耕太郎
49 火の鳥 手塚治虫
50 太平洋戦争 児島 襄
51 新約聖書
52 旧約聖書
53 ギリシア神話 呉茂一
54 千夜一夜物語
55 ロミオとジュリエット W.シェークスピア [青空]
56 リア王 W.シェークスピア
57 ハムレット W.シェークスピア
58 オセロ W.シェークスピア
59 ドンキホーテ セルバンテス
60 方法序説 デカルト
61 カラマーゾフの兄弟 ドストエフスキー
62 戦争と平和 トルストイ
63 ファウスト 第1部・第2部 ゲーテ [青空]
64 若きウェルテルの悩み ゲーテ
65 プロレゴーメナ I.カント
66 初恋 ツルゲーネフ
67 車輪の下 H.ヘッセ
68 あしながおじさん J.ウェブスター
69 赤毛のアン モンゴメリー
70 人間とは何か マーク・トウェイン
71 武器よさらば ヘミングウェイ
72 老人と海 ヘミングウェイ
73 ナイン・ストーリーズ J.D.サリンジャー
74 ライ麦畑でつかまえて J.D.サリンジャー
75 かもめのジョナサン リチャード・バック
76 大地 パールバック
77 異邦人 カミュ
78 悲しみよこんにちは F.サガン
79 星の王子さま A・サン=テグジュペリ
80 初めに行動があった A.モーロア
81 点子ちゃんとアントン E.ケストナー
82 二人のロッテ E.ケストナー
83 ファーブル昆虫記 ファーブル
84 最後のユニコーン P.S.ビーグル
85 アクロイド殺し アガサ・クリスティ
86 オリエント急行の殺人 アガサ・クリスティ
87 そして誰もいなくなった アガサ・クリスティ
88 なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか? アガサ・クリスティ
89 Yの悲劇 エラリー・クイーン
90 ソフィーの世界 Y.ゴルデル
91 はてしない物語 M.エンデ
92 モモ M.エンデ
93 ナルニア国ものがたり C.S.ルイス
94 19本の薔薇 M.エリアーデ
95 指輪物語 J.R.R.トールキン
96 ゲド戦記 ル=グイン
97 論語 孔子
98 荘子 荘子
99 菜根譚 洪自誠
100 ジョイ・ラック・クラブ A.タン

■追記 1 平成16年7月28日

ネット上でどこまで全文が読めるかすこし作業してみた。やはり、青空文庫は偉大だ。海外文学はもしかすると、グーテンベルグプロジェクトのようなものがあるのかもしれない。

追記 2 平成16年7月28日

調子にのって、大人として読んでおくべき本はどんなものか勝手に考えてみた。いそがしい大人でも読める最低限10冊のひでき版とする。あとで、変えるかもしれないことを事前に断っておく。

・7つの習慣 S.R.コヴィー
・職業としての政治 マックス ヴェーバー
・ザ・ワーク・オブ・ネーションズ R.B・ライシュ
・大国の興亡 ポール・ケネディ
・歴史の終わり フランシス・フクヤマ
・Language/30 Latin テープ付
・世界の終わり・ハードボイルドワンダーランド 村上 春樹
・帰還 ~ゲド戦記最後の書~ A.ル=グイン
・バガー・ヴァンスの伝説 S.プレスフィールド
・正法眼蔵 道元

■トラックバックいただいた方々

みなさん、とても楽しげなのがうれしい。同様の企画があったことも教えていただいた。

何を読む?読ませる? by rararapocariさん
 あはは、昔から夏休みの宿題と課題図書の感想文というのは夏休み中におわらないものと、相場がきまっていますよね。

「夏に読みたいこの一冊」関連メモ・気になる本と夏休みの100冊リスト by yukattiさん すばらしい読書体験をシェアしてくださってありがとうございます。山下達郎が「夏への扉」を歌ったのはご存知ですか?

夏休みの100冊っ  by Shuさん やっぱり、こういうリストって作る楽しみがありますよね。お互いの読書歴とかよくわかりますしね?御疲れ様でした。

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2004年7月24日 (土)

携帯電話の進化

シグマリオンがこわれてしまってから結構難儀していた。スケジュールがなんどか破綻しかけ、みるにみかねた同僚から、「俺がお前だったら、すぐにシグマリオン買いに行くぜ。」とまで言われてしまった。スケジュール管理の悪さでこれ以上迷惑をかけるわけにもいかず、さすがに真剣になった。

ブログの上でも、D-mateさんやmaida01さんにご心配いただいた。(ありがとうございました。)ほかの要因もあるのだが、ブログの更新も極端に少なくなってしまった。

いや、先日の記事を書いてからなにもしなかったわけではない。一応、NTT-DOCOMOの販売店へいってみてシグマリオンIIIの価格を聞いてみたりもした。なんと5万7千円もするのだという。だいぶ前に、生産中止が決まっていたらしく、以前は電気屋で4万円台で売っていたのが値上がりしてしまったらしい。ほかの家電店もいってみたのだが、シグマリオンの価格はかわらないし、さりとてほかに気にいったPDAもない。いっそラップトップにしようかとも思ったのだが、シグマリオンに馴れた私にはどうも重量と落として壊すリスクが気になって買う気になれなかった。なにより、今のラップトップで魅力的な機種がない。企業の商品開発力はいまはみな携帯電話にいってしまっているらしい。

そう、気になるのは携帯電話なのだ。家電店を回っているうちに携帯電話がかなりすぐれたPDAにすでになっていることを発見した。携帯できる端末でアドレスとスケジュール管理ができればほとんど私の用は足りる。

ただ、問題は、キーボードなのだ。実は文字ヲタクの私は、ある程度のスピードで入力することができないと、気持ちが悪くて仕方がない。「草とり」という記事は、実はPHSだけで書いたものだ。しかし、あれぐらいの長さがせいいっぱいだった。

そこで、下の写真の状態になる。REUDOというメーカーから携帯向けの折り畳み式キーボードがでているのを、有楽町のビッグカメラで昨晩発見した。もうすぐその場で携帯とキーボードを買った(担当いただいた方、親切な対応ありがとうございました。)。かくして、いまこの記事は、携帯用キーボードで書いている。なかなか快適だ。心持ちシグマリオンのキーピッチより広い。ストロークの深さも悪くない。画面の編集もかなりやりやすい。気に入った。

この記事続く。ただいま新幹線内。

jul24_1039.jpg

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2004年7月22日 (木)

草とり

子どものころ草とりを手伝わされるのがいやだった。鎌を使いながら、なんと非合理的な仕事かと思った。

高校の現代国語で草とりと間引きを関連づけて論じた文章をならった。伸び過ぎた草や稲が引き抜かれるというような内容だった。日本のいやな部分と草とりが私のなかで結び付いた。

妻と暮らすようになってから芝生の手入れは私の仕事になった。炎天下に頭をやかれながら草刈り機を使った。草とりは、家庭をたもつためのほんのすこしの労働であった。

今、毎朝職場まわりのごみひろいと草とりをしている。道具はつかわない。ごみぶくろがあれば十分だ。草も茎の根元からつまむと根から小気味良いほどきれいにとれる。

草とりは、ここで言葉にするのもはばかれるほどの毎日のちいさな習慣になった。それだけだ。

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2004年7月19日 (月)

参議院選挙とはなんだったのか?

参議院選挙が終わった。それなりの思い入れのあった選挙であった。めずらしく自らかかわった選挙であった。しかし、自分の中に思いが残ってしまった。これを外にはきださないと、パンクしてしまいそうだったので、思いつくままに選挙を思い起こしてみた。

■選挙でネットを使うことのどこがわるいの?

先日、妻が橋本派に対する1億円の献金が計上されていなかったというニュースを見てこう言った。
「なぜこういうお金って税金がかからないの?普通、人にお金あげると60万円以上だと税金がかかるんでしょ?」
「あ、いまは110万ね。」
「でも、かかることには違いないじゃないの!なぜ?私達がお金を人からもらえば税金が確実にかかるのでしょう?」
と聞かれて、答えられなかった。

1億円小切手、橋本派は領収書出さず @ Yomiuriオンライン

多分、「選挙には金がかかるから」というのが、政治献金が無税である根拠なのだと思う。まして、前回の政治資金規正法の施行以来、各政党には税金が投入されていると聞く。ならば、なぜ選挙にお金がかからなくする工夫をまず先にしないのだろうか?

政治資金規正法 @ 法庫

この記事を読んでくださっている奇特な方々には自明のことだが、お金をかけないで、自分の言いたいことをアピールするということでは、ウェブは絶好の手段だと思う。もっと若年層にむけて選挙のメッセージを送りたいなら、携帯サイトだっていい。なぜウェブで候補者が自分をアピールすることが公職選挙法にふれるのだろうか?

ウェブの閲覧という形式であるなら、投票権を持っている人たちが自分の意志で候補者を選べるに違いない。さすがに、メールで選挙活動をされるとうっとおしいだろうが、POPFILEのようなフィルターソフトがいまは普及しているので、どうせうざいメールはごみ箱直送になるから、解禁したってかまわないのかもしれない。

それに、公職選挙法の条文を読むと「ネット、ウェブ、メールをつかっちゃだめ。」とは明確に書いてないことに気づく。ネットを使うことが文書の配布にあたるというのは総務省の解釈にすぎない。早く明確にすべきだ。

...と思ったら、民主党が改正案をだしている!知らなかった。

・「ホームページ等を用いた選挙運動の解禁に関する考え方」 @ 民主党
・「公職選挙法の一部を改正する法律案」 @ 民主党

このほかにも、結構地道なことを民主党が発表している。

■民主党が過半各党得票総数の38%あまりを取っているのに、議席で半分4割をとれないのはなぜ?(「お詫び」参照)

これは、実は参議院選挙の放置されている問題点が背景にある。

現在、衆議院の選挙では1票の格差が「2.628倍から2.124倍に縮小」したにもかかわらず、今回の参議院選挙では、以前より格差が広がり「5.02倍」もの開きがある。衆議院選挙では3倍の格差で違憲の判断が出たと聞くが、参議院の5倍という格差は憲法違反ではないのだろうか?衆議院でいつ次の選挙があるかは必ずしも固定ではないが、参議院には解散がないので次の選挙の日程が確定しているはずだ。このような状況で、格差が広がるということは政治的怠慢以外のなにものでもないように思う。なぜこのようなことが放置されているのか理解に苦しむ。

・「一票の格差を考える会

議員一人あたりの有権者数
[ 参議院 ]
東京都選挙区:1,216,607人
島根県選挙区 : 242,448人
一票の格差= 5.02倍 !

結果として、今回得票数でいえば民主党に50%以上38%余りの人が投票したにもかかわらず、改選議席の半分4割も民主党がとれなかったのは、この異常さをものが原因なのだろう。よっぽど、各選挙区別の分析でもやってやろうかと思った。ちなみに獲得議席でいえば、民主党は改選議席の約3割をとったそうだ。

・「参院選2004の結果とアルバム」 by 松本純さん(自民党)

■参議院の存在意義を問うな参議院らしい選挙の仕方にかえるべきではないのか?

既に一部では参議院をなくせという議論があるようにも聞くが、参議院の任期が長いという属性は実は大事なことだ。ある意味、いつ選挙が行われるか必ずしも明確でない衆議院において選挙を意識するがために短期指向、選挙指向になっている面というのは否めない事実であろう。選挙が政策をゆがめている部分があるというのも、実は消せない事実であるともブログでいろいろな方のお話しを目にして感じている。長期安定の参議院の座を生かした政治的特性というものをもっとアピールできないものだろうか?

・「問われる参議院の存在意義」 by 山口二郎さん:
・「参議院の存在意義について」 @ 権丈ゼミのホームページ

米国のように、下院が各州の利益、上院が連邦の利益という観点で議論するという立場をとるなら、参議院をいつまでも衆議院のカーボンコピーだなどといわせずに、参議院の選挙の構造をきちんと変え、憲法に定められた方法で衆議院、参議院のそれぞれの性格を明確にすべきだ。繰り返すが、長期的かつ国全体の立場から議論するというのが、参議院の存在意義であるべきではないか?そうであるならば、民主主義の原理である「多数決と少数意見の尊重」を重んじ、参議院は全国区かせいぜい日本全国を8~10程度のブロック制に分割した選挙区とし、かつドント方式のように少数政党でも議席を確保しうるような選挙制度にすべきだと思う。1名選挙区があるというのは、参議院に似つかわしくないのではないか?

参院選の仕組み @ Yahooニュース:
民主党の公約は一つでいい @ 霞が関官僚日記
the weather by  イノガミさん

■どの政党も、票ととるために手をひろげすぎでているのではないか?

「無党派層」などというばかげた言葉をつかわずに、もっと「普通」の人に訴える選挙がなぜできないのだろうか?私は、「無党派層」という言葉が存在すること自体、政治の怠慢だと考える。政治ということの基本に対立する利害をどう調整するかということがあるのは理解できる。その利害に敏感な層と敏感でない層があるというのもわかる。その比較的敏感でない層に対しても十分にアピールできることが大事だ。各政党が、その目論見や将来への日本の設計図を描けていないということが、特に強く支持する政党がない人を多く生むという現状を生んでいるように感じる。

その一方、各政党は最近の選挙をみていると政治的利害に非常に敏感な層の集合体である支持団体にあまりにも頼りすぎていないだろうか?しかも、それらの支持団体がかなりマイナーな利害に立脚している。さすがにあまり明確に書くと仕事を失いそうなので、どのような支持団体がどのような政党を支持しているか、利害に立脚しているかは書かない。想像していただきたい。

大体もう、この辺は私がどうのこうの書くよりたくさん的確な記事がネットにあがっている。

・「参院選を振り返る」 by 田村謙治さん
集票 支持団体の動向が左右 @ アサヒ.コム
質問:選挙でのある宗教団体のこと @ 教えてGoo
参院選関連1:思ったこと 色々。 by nobuさん

ちなみに、nobuさんがかかれているように「ネット上において風は吹いていなかった」というのは、悲しいけれど事実だと感じる。あーあ、って感じ。それでも、これだけネットにつながっている人々が増えているのだから、将来的にはきっとなんらかの屈曲点を経て大きな力になると、私は信じている。

■それにしても、投票率わるすぎ!あんたら、ほんとに文明社会の野蛮人なんかいな?今だけここちよく暮らせればそれだけでいいの?

フクヤマ=ヘーゲルの最後の人類を引き合いに出すまでもなく、ちょっと電車にでも乗ってみれば、これだけ豊かな社会にあって人々がどんどん無知で、無礼で、無教養で、気概がなく、哲学もない、言葉もろくろくしゃべれない、そして、なにより生きていく生命力のような力がなくなってきている、ということをひしひしと感じる。いや、決して自分がそういう人々と一線を画しているなんていうつもりはさらさらない。自分がいかにろくでなしで人間かは日々の生活で身にしてみて感じている。私もきっと生命力がどんどん失われていっている世代の一員にすぎないのだ。だからこそ、危機感を強めている。

一方で、いつぞや写真をはらせていただたように、まじめに生きていらっしゃる方が年配の方に多くいらっしゃるようにも感じる。杖をつきながら、投票に向かわれる姿にありがたさを感じた。

参議院選挙に行かれる方の後ろ姿 (HPO)

今回の参議院選挙で多少おっかけめいたことをしてみてしみじみ感じたのは、さっきのnobuさんの記事ではないが、総体として今の40才以下の世代から政治に対する熱意が感じられない、ということだ。どこへ行っても選挙で熱心に動いていらっしゃったり、街頭演説でヤジをとばすくらいの気概がある方は、50歳以上の方々だったとお見受けする。

矛盾するようだが、一方でごくごく少数の熱心に選挙活動されている20代の方が確実に存在することも分かった。もう30才前にして選挙のプロという方が男性でも女性でもいらっしゃった。どうも選挙に関心があるか、ないか格差はほんとうにプロスポーツとアマチュアスポーツ以上に大きいようだ。これが、今後どのような結果を生むのか大変興味深い。順当にいけば、若き選挙のプロが政治的利害の調整にたけた地位を占め、選挙に無関心で利害感覚のにぶい層がそれなりの地位を占めるという結果になるだろう。それでも、いいの?投票に行かなかった人に聞きたい。

■「開票1%で決まるから、おれはいかない」とは如何?

こんなこといってるやつは、こえだめにおちて死んでしまえ、と思う。まして、それをネットで公然と書いているやつは、特殊な利害があって書いているのではないかと疑いたくなる。

なぜ開票率1%で答えが出てしまうからといって、選挙にいかないなんてことをするのだろうか?そういう人は、自分がどこで生まれて、どうやって育ってきたかをわすれてしまっているような人だと私は思う。

ちなみに、理屈からいえばこういうことを言明するひとは基本的に統計の母集団という考え方を完全に間違っている。1%というのは、「投票した人」を全体=母集団と仮定した時の1%のサンプリングで統計的に推計できるということだ。そもそも「国民全部」を全体=母集団として仮定していない。今回開票率1%で決まってしまうから投票にいかなかったといっている方に聞きたい、あなたは選挙権を放棄することにより、統計的にカウントされない存在になっているといことを自覚しているのですか?、と。

実際に開票率1%という時点でなにが行われているかといえば、出口調査の結果を元に担当記者が「ヤマ読み」といわれる集計前の票をざっとみて、当選確実をだしているようだ。これもある意味、投票した人のサンプリングが行われた結果だといっていい。まあ、かなり誤差は大きいのだろ。この方式では決して国民全部を代表しているわけではない。また、確定した結果をその時点で明言できるといったものでもない。あなたがなにか思い違いして投票権があるにもかかわらず今回投票しなかったにもかかわらず、今回の結果を国民全体の意見を反映したものだと信じているのだとすれば、あなたは「国民全部」という母集団の一員でないと明言しているのと同じだと私は感じる。あなたは日本国民だったのではないか?

「当選速報」の根拠は? @ 記者ウラ話

実際、このような社会調査において、本来ランダムサンプリング、サンプルの数、母集団の正規分布であることの証明、などがないと必ずしも有効でない。出口調査の統計処理方法まである程度あきらかにされないと、信頼性を検証することはできない。統計的にきちんと定義された母集団をたしかに代表するであろうランダムサンプリングによってえられたケースが、1300件もあれば統計的には1%以下の誤差で推計を行うことも可能だと証明されている。

繰り返しになるが、選挙の結果があなたなしでも決まるということをウェブなどで明言することは、基本的に国民としてあたりまえのことをあなたはしないということを公に言っていて、それを人にまで影響を及ぼしているということになる。あるいは、決まってしまってあたりまえだと思っているなら、あなたは自分が国民でないと明言しているのと同じなのではないだろうか?真剣に考えて欲しいと思う。

■かなりやばい未来が浮かんできた選挙だったと思う。

はぁはぁ...ちょっとすっきりした。

選挙について書くことは結構自分にとって勇気のいることだった。しかし、今回は少々腹に据えかねるものを感じている。ちなみに、いろいろなことを書いたが私は特にどこの政党に肩入れしているというわけではない。文中で、特定の政党の名前を出してしまっているが応援するとか、弁護するとかの意思はまったくない。

余談だが、さっきからほとんどなにも考えなくとも書きたいトピックをグーグルでしらべるだけで、自分の言いたいことを言っているサイトがぼこすかでてくる。これは、同様の感想を持っていらっしゃる方がかなりネットの上で存在するということではあるが、あまり人の意見ばかりで記事になってしまうということは、これはこれで危険なことだ。

今回の参議院選挙でトラックバックいただいた記事に、「その後いかがですか?」という意味をこめてトラックバック返しをさせていただく。もし、感想など新たな記事のトラックバックをいただけたら、必ず記事本文からリンクをはらせていただくことをお約束する。グーグルのPageRankがお互いに少しはあげられるのではないか?参議院選挙の感想関係が、検索サイトで少しでも上にあがるのだとすればかなり本望だ。そう、それになにより終わった後のことを虚心坦懐に反省しておくということは意味のあることだろう。

■お詫び

民主党の得票総数ですが、記憶を頼りに得票数が過半数と書いてしまいましたが、独自に集計しなおしたところ「38.44%」という数字を得ました。一応、手元の各選挙区、比例区のデータをエクセルに入力しなおしました。

house_of_councillris_2004.xls

タブの「選挙区」には、候補者名までいれた得票数が入っております。間違いをしてしまったお詫び代わりに分析等にお役立てください。(ファイル名のスペリングミスはお愛嬌ということでお許しください。)

■参議院選挙関連サイト
小泉自民党は、負けた。 @ Paisiblog = paisible + blog  統計は冷静にみつめるべきですよね。↑の参院1,00選の結果を収めたファイルをご活用いただければ幸いです。

党の存在意義 by FAIRNESSさん 「世間にも私の中にもにも、固定観念があふれてる。」っていい言葉ですね。「少数意見の尊重」が選挙制度からいつのまにか消えているのかもしれませんね。

通常選挙結果速報&雑感・1
通常選挙雑感・2
通常選挙雑感・3
通常選挙雑感・4 
   @ dailywatch  もう、文句なしのすばらしい分析、主張です。私の記事を読むより、ぜひこのすばらしい実証的な分析をお勧めします!

続・私が選挙について知っている二、三の事柄 by 真鶴さらさん 選挙、議会に関する俗説をみごとに解き課していらっしゃいます。非常に共鳴します。しかも、選挙結果の予想を報道機関なみの正確さで行われているのが、すばらしい!

これからのために 1 @ blog JUNXION 膨大な量のまとめをされていらっしゃいます。これだけアクティブな方がブログ上にいるのかと実感として感じました。ありがとうございます。

♪今回の参院選について振り返る by あざらしサラダさん 選挙期間前からいろいろな情報をいただきありがとうございました。ほんとに少しはブログやネットの力が出ていただとすれば、報われますよね。

セイカイの中心で愛をさけぶ by おやじじぃさん わ、わらわせていただきました。セイカイのすすだらけの話しと、セカイの美しい純愛の話しがなんともいえずつながっていますね。

とりあえずの政権交代 by nopoさん 今感じているのは、自民党の若手と民主党の現在の主流にほとんど政策上の差異がないということです。でも、現行の選挙制度の上では党としての性格上いっしょになることはないと感じます。選挙って大事ですよね。

■「政治家とカネ」 by 田村謙治さん へのトラックバックにあたって 平成16年9月5日

以前、トラックバックさせていただいた田村さんから記事のトラックバックのお返し(?)をいただきました。私のところのような暴論の多いブログに大変名誉なです。ありがとうございます。

先日の参議院選挙後のふじすえさんを囲むOFF会に集まったごく普通の方々の政治への関心のふかさと、その明るいノリを見ていてると、政治に関心があっても時間的、地理的な制約から参加できないだけという人が多いのではないかと思います。私も普通なら地元の政治関係の集まりなんて時間的に出れたことがありません。そうそう、OFF会にも中部方面から参加してくださった方までいらっしゃいました。

あるいは、先日金融政策をめぐるかなり高度に政治的、金融工学的な議論をネットの上で目にしたりもします。

こういう意見とか、OFF会とか、議論とか、ブログ関係の方のパワーとかは政治家にとってかなりプラスのものになるあろうと期待しております。政治とネットの加減のよい共存をこの目で見たいです。

田村さん、ぜひがんばってください。

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2004年7月16日 (金)

ふじすえさんを飲む! おかわり編

「ふじすえさんを飲む!」オフ会 リローデッド へ、続く...8月21日開催確定!


この記事をご覧いただいた皆様、

ほんとうにお恥ずかしい話しですが、以下に告知させていただきましたOFF会ですが、私の力不足で一旦中止延期とさせていただくことになりました。誠にもうしわけございません。関連する記事のトラックバック、参加の表明までいただいていてこのような事態を招いてしまったことを真から反省いたします。

それでも、あらためてふじすえさんのご予定をいただくようお願いしております。近々に改めて企画を発表させていただけるように、努力することが今回の私の不備を償う方法かと思います。本当にお恥ずかしい限りです。

平成16年7月17日19時



ピン、ポン、パンポーン~

お昼休み中ではございますが、お知らせいたしまぁ~す。

この度、ブログをステップボードに、去る7月11日の参議院選挙に当選され参議院議員となられたふじすえさんをお迎えして、「ふじすえさんを飲む! おかわり編」を開催させていただくことになりました。

・日時: 7月24日(土) 19:00~21:00頃
・場所: 未定(多分新橋周辺?)
・会費: 未定
・参加予定者:ふじすえさん、maida01さん、くりおねさん、nimさん、miyakodaさん、ひでき
*参加ご希望の方は、日付がせまっておりますので、どしどしコメント、トラックバック、メールにて手を挙げてください。
・幹事:nimさん、miyakodaさん、ひでき

まだ、未定事項ばかりですが、早急につめてご報告します。

いやあ、楽しみです。

なお、あえて「当選おめでとう」という言葉は公職選挙法の規定により控えさせていただきます(笑)。

■参照リンク
ふじすえブログ by ふじすえさん
波瀾万丈のblogオフ会 @ ふじすえブログ
ふじすえ健三さん、参議院当選、おめでとうございます by miyakodaさん (JUGEM復旧おめでとうございます)
【Diary】ふじすえさんの当選。 by nimさん
ふじすえ健三さん (HPO)

■おわび

以前のタイトルが、公職選挙法の規定に抵触する恐れがあるということですので、タイトルを変更させていただきました。ほんとうに申し訳ございませんでした。私の確認が不足しておりました。会の内容自体には、まったく変更がございませんので、よろしくお願いいたします。

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2004年7月14日 (水)

ブログの森で語りあう

偶然のようにさりげない、
人とのやりとりがすきだ。
偶然のなかの必然としか思えない、
人とのつながりを確認する行動だけが、
私を前にすすめてくれる。


■意味と価値の廃墟にたって..

この暑さにやられてしまったのか、参議院選挙の結果が腑に落ちないからか、どうにもやる気がでてこない。本来目の前にある仕事に自分をイコール記号がつくくらいくっつけて、自分は仕事だ、仕事は自分だと、他のことはふりむきもしないで目いっぱい取り組むべきなのだ。が、どうも力がでない。

エンデを20年ぶりくらいに読み直したのがいけなかったのだろうか?気持ちはすっかり学生にもどってしまったのだろうか?あの、恥じと無気力の中に立ち尽くすような学生時代に?

先日、「オリーブの森で語り合う」という対談集を読んだ。この本は、「モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語」や「はてしない物語」で有名なエンデと、ドイツのエプラーという政治家、テヒルという女性の演劇芸術家の3人がイタリアにある当時のエンデの家で1982年に語り合った記録だ。学生のころに耽読したといえるくらいくりかえし、くりかえし読んだ本だった。

・「哲学者としてのミヒャエル・エンデ 彼の哲学 オリーブの森で語り合う」 by Miguelさん

エンデは、1980年代の当時の政治経済の状況をメリーゴーランドにたとえていた。「メリーゴーランドは、どんどん加速していく。ちぎれとぶまで加速していく。誰もおりられない。」経済という市場の中でまわっていくためには、お金という数量ですべての価値がはかられる。実は、GDPの成長率というのも、この経済という市場においてまわっていくお金の速度がどれくらい加速したかということの指標なのだ。数量ではかれる価値観の中にいるかぎり、加速するメリーゴーランドからおりられないというのは、実はかなり透徹したアナーキズムだと感じる。エンデは、資本主義経済が根本的にまちがっていることを、マルクス主義に陥らずに直感的につかんでいた人なのだと感じた。

実際、この加速するメリーゴーランドによって伝統的な価値を残していた社会はみるみる壊されていっている。べき乗則を持ち出すまでもなく、参加している組織の事情も含めて経済的な事情により、人が一生のうちで引越しをする回数はどんどん増えている。人は、引越しを繰り返すうちに自分の生まれ故郷に愛着をもなくなり、愛着のなくなった故郷の田舎はシャッター通りといわれるように商店街が崩壊していく。故郷への愛着を失った人々は、自分がほんとうによって立つべき根っこも失いがちだ。

冷笑的なメディアと、仲間の批判的な言説と、誰にとっての価値なのかが失われてしまったすべてを量に変換する学校で教えられた思考で、人間が寄って立つべき存在の根拠は、その立場をうしなってしまった。そう、ちょうど「はてしない物語」でファンタージェンが「無」におかされて消えていくように。

縮み時代の始まり--歴史の変曲点にきた日本を考える @ miyakodaさん 

[書評] べき乗則、ウェブログ、そして、不公平さ

ああ、私はどうしてこんなに青臭いことを書いているのだろうか?こんな思考は学生のころに、思い出とともにとうに捨ててしまったはずなのに。

それでも、社会が成り立っていくためにはよって立つべき意味をもった規範が必要だ。ファッションという流行でもいい。人に後ろ指さされなければいい。目の前で「ああ、そんなことしちゃあんた損しちゃうよ。」、「いまこちらがお得になっております」という、耳障りがよかったり、わるかったりする忠告にながされるのでもいい。「あんたはお人よしだといわれるのだけは、ごめんだ。うまくたちまわらなきゃ。」とつぶやきながら、生きていく。大体生きていくだけで信じられないくらいお金はかかる。誰にも否定されない価値を誰も見出せないのなら、成り行きにまかせて生きればいいと、誰もが感じてしまう。

それでも、損得勘定というくらいお金ではかられる価値だけは、普遍的で絶対的だとみんあ感じている。ああ、私もそう感じている。なぜなら、お金だけは政府まで保証をしてくれる、だれもがその価値をみとめる、唯一の基準だからだ。誰もがお金をほしがっている。そして、そういう風に行動することをいまの文化と呼んでもいい、行動規範と呼んでもいい。

生きていくためにお金が必要だったのに、お金のために生きていく人生になってしまう。苦痛がいやで常に得すること選んできたのに、苦痛をさけるための苦痛がたえられない苦痛になってしまった。

■意味ってなに?価値ってなに?文化ってなに?

エンデは語りつづける。モモに出てくる時間の花がひとつ咲いては散り、ひとつ咲いては散るのは、「宇宙全体の働きかけでぼくらは一時間一時間をあたえられている」からなのだ、と。

この前finalventさんに「ベルの不等式」という言葉を教えていただいた。この言葉をネットで調べているうちに、量子力学の解釈においてひとつの粒子の状態というのは「全時空で状態が与えられている」という解釈が可能だという記述に行き当たった。

EPR相関は相対論に矛盾するか?  @ 科学の回廊

アインシュタインの相対性理論も、量子力学も私には十分に理解できていない。それにしても、この「科学の回廊」のEPR相関の解釈は魅惑的だ。物理学の前提からはじめて、「世界がつながっている」、「時間の花」のような詩的な解釈に帰結する可能性があるなんて、すばらしいことだ。ブログをはじめてから、いやその少し前から、ほんとうに日常生活において起る出来事が、この記事にあるようなひとつの「状態」からとびだしたAとBという「粒子」のペアなのではないかと感じることが多くあった。不思議なくらいに人とシンクロをはじめている。ほんとうに不思議だ。偶然がこれだけ続くと考えるより、これはひとつの必然を示しているのだと考える方が私にとって自然だ。

いま、明るく失望しつつある私にとって、必然としか感じられないような偶然がそこにあることだけが、意味を与えてくれるように感じる。神秘性を指向するわけではないが、自分が人とつながっていると感じる方が、自分がまったくの孤独であると感じる時よりも自分に意味を感じる。自分をかたちづくる物質もすべてとつながっていると感じる方が、自分が客観的ないしころからできていると信じるよりも、ずっと居心地よく生きていける。

■言葉と意味

言葉は、いつも身体に追いつかない。言葉は、世界においつけない。

いつぞやどこかでヘーゲルの「ミネルヴァのふくろうは夕暮れをまって飛び立つ」という言葉を引用したが、言葉が言葉を定義するのなら、人間の肉体はどこへいってしまうのだろうか?

はなはだナイーブで無知な議論なのだが、身体をともなわない言葉に意味はないと考えている。なぜなら、言葉をぐつぐつにつめていくと、すべての言葉を数式にすることができるだろう。薔薇のエッセンスのように純粋に数式にまで煮詰められ、表現された言葉は命題と呼ばれる。命題には、意味はないと私は感じる。つまり、定理が決まれば、全ての可能な命題はおのずと決定される。すべての言葉は固定されているといってもいい。同時に、全ての命題の真偽は確定されている。そこには、公理系という境界が必ず存在する。前提となる公理が決まった瞬間、すべての展開がすでに決定されてしまう。

だから、全てが決定され、固定されている世界には、人間は住めないのだと私は考える。なぜなら、人間は生まれた瞬間から死に向かって絶えず変化してく存在だからだ。硬く、固定した数式の世界には、あるいは数式を適当なあいまいさのオブラートでくるんだ言葉の世界には、変化はない。数式や言葉に、意味がある、変化が内包されている、そこ変化があると読み取るのは、変化する人間だけだ。数式も言葉も、いまあなたが読んでいるこの言葉にも、あなたが読む前にも読んだあとにも変化は生じない。言葉は、ほんとうに生きているのか?

命題はいったいどこになるのだろうか?ミネルヴァのふくろうはどこにむかってとびたっていったのだろうか?

それでも、不思議なことに、言葉によって人間は自分の生きる意味を確認するものだ。人は人の価値を言葉でつむぐものだ。たとえば、サイコロの目でなにがでるかは博打の問題で、これ自体に意味はない。しかし、私たちはえてしてサイコロの目の丁半に、自分の人生の方向を賭けたりする。意味のないサイコロの目に、意味を付与するのは人間の言葉だと思う。

このことを逆に言えば、サイコロをふること、バランスをくずすこと、自分を前のめりにかたむけることによって、私たちは次の一歩を踏み出せる。一瞬たりとも隙をみせない、バランスを崩さないという人は、あるくことも走ることもできない。私たちはサイコロの目に自分の人生をかけている、常に。そう、いまこの記事を書いているこの瞬間も、私は自分のバランスを崩しながら自分を傾けている。

それが、たとえ占いであれ、サイコロの目であれ、人間は人間をその身体のままで受け入れられない、残念なことに...。いつも言葉をお札のようにべたべたと身体にはりつけてしまう。生きているという現実だけを、生きているという身体だけを、みつけつづけられればいいのに、と感じる。生きているいまだけを感じ、生きている人間の身体だけを見つめられれば、そこにはじめて実感としての意味が生じるのだろう。

■文化、文化、文化

エンデの言葉は続く。

「政治家、労働組合、経営者の課題は、自由な空間をつくりだすことだ。一方、文学者や芸術家の課題はといえば、わかりきった話だが、その自由空間を満たすもののために、いろんなイメージをつくりあげることだ。」

そして、私の疑問はここに帰着する。これだけ価値が破壊尽くされた後に、人は生きるための価値を自覚的に再度作り出すことが出来るのだろうか、ということだ。

実は社会というのは、人々の集積体なのだし、もっといえばそこに集まる人たちがなにをよしとし、なにをわるいとするか、どう行動したら人から非難されないか、なにをその人が信じているか、というミクロな行動がマクロな社会の形をきめていく。人々がどのような文化的価値を基盤に行動しているかが、国をつくるのだと感じている。もっと目につくのは、自分がなにに価値を見出しているかがどんどん見えなくなってきていることだ。

脳内現象 by 橋本大也さん

ほんのちょっと前まで、人はごく普通に身体を使って生きていたのだと思う。そのころは、言葉がきちんと身体と結びついていて意味を持ちえたのかもしれない。言葉による意味は、私たちが身体の感覚を失ってしまえば、めっきがはがれるように失われてしまった。私たちは、貧困、空腹、鉄拳制裁が日常で、身体という感覚を失うことのなかった世代では問題にならなかったことを問題にしなければならない。

佐世保の事件、あるいはネットで飛びかう言葉、現代人の身体感覚、「いま」と「からだ」を感じる場をうしなったがために形がゆがんでしまったように感じられてならない。

「はてしない物語」のバスチアンは、全てをわすれなければ現実にもどってこれなかった。身体を感じるためには、言葉をすべて失わなければならないのか?

価値だの、意味だのを問うことは実は、昼の日中にちょうちんをもって神をさがすようなものだ。ちょうちんをけせば、実はそこにあるものなのかもしれない。ほんとうは、探すこと自体が意味ないくらいに自分にくっついているものなのだ。自分と切り離すことのできない血肉が自分の意味だ。

そう、きっといまそこにあるのは、ただ人間の身体だけ。

こうして、世界はうまれかわっていく。そんな気がしてならない。

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2004年7月11日 (日)

参議院選挙に行かれる方の後ろ姿

jul11_1128.jpg   感動しました。

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2004年7月10日 (土)

The Day ~ その日 あなたはなにをみるのか? ~

あとで思い起こしてみて、「ああ、あのときが転機だったんだなぁ」と思い起こすことになるかもしれない日というのがある。

その日、その日はただ漫然とすぎさていったしまうかもしれない。

その日、そこにかけてきた人の熱い戦いが報われるかもしれない。

その日、あなたのこれからの運命がきまるのかもしれない。

その日、あなたはなにを見るのだろうか?

その日、あなたはどう行動するのだろうか?


随分前から、参議院選挙の前に「The Day(その日)」というタイトルで記事を書こうと決めていた。いつのまにか、もう明日だ。

参議院選挙くらいたいしたことはない。これで、日本がどうなるということがないというのが一般常識であるとは私も承知している。それでも今回の選挙は、ブログやネットと選挙のからみ、暴走しているとしか私には見えない現政権の問題、年金問題でますます明確化してきた世代間の利害の対立、はっきり表面化してきた政治家と官僚のアンバランス、など案外キーワードが多い。記録的な参議院選挙の惨敗で起こった政権交代というのもある。まあ、それでも与党内の選挙交代でしかないのだが...それでも、あとで「その日」と語り継がれ、歴史になるかもしれない「The Day」にならないとは誰にもいえない。

しばらく前に、「世界は変えられる」と書いた。世界が変わるときでも、最初の兆候は目に見えない。見えてもかすかだ。枯葉が一枚散っても、なかなか冬支度など始めないものだ。しかし、ある日から突然誰もが冬だと気づく。「もう冬だ。寒さが身にしみる。」と誰もが口に出し始める。そして、雪がふり、世界が凍りつく。

ティッピング・ポイント」という本をしばらく前に読んだ。ものごとが傾く瞬間というものがある。ある時点から、流行のように、疫病のように、ものごとが一気呵成に進むポイントというのがある。9.11も、1945年8月15日も、起こった瞬間のインパクトはあっても、そのものごとの持つ意味を人は時間の中ではじめて理解していく。ああ、あの日から世界は変わったのだと、自分の実感の中で、自分の生活の中で、感じ始めるのはずいぶん時間がたってからだ。7.11も人に永く記憶される日となるかもしれない、ならないかもしれない。

そう、相変わらず世界は狭い。先日、木村剛さんの熱い演説を聞きにいった。そのあと、ある機会である本を手に入れた。その本の表紙にいきなり「The Day」とあった。頭をなぐられてような鈍い痛みが走った。「The Day, Japan Self-Destructed」。この本のタイトルが現実にならないことをこころから祈っている。

いずれにせよ、7月11日、私は投票に行く。行くしかない。

こんなこと書くつもりじゃなかったが、抑えられない。心から、いま私がおもっている方にエールを送りたい。「その日を掴み取れ!」

■参照リンク
ブログつながり、下呂・余市
ふじすえさんを飲もう!に参加
ネットの可能性と民主主義
そうだ、選挙、行こう。7・11
【Column】『公(おおやけ)』という心。
たったひとつの スマートな抵抗
「日本の選挙を退屈にしたのは誰なんだ?」
そろそろ変えようか
そうだ、選挙に行こう(1)
★参院選の正しい選び方?(2)
内閣不支持42%、支持は40%に急落
★参院選の正しい選び方?(3)
明日から更新をストップせねばりません
寅さんとバカボンパパ
ポスター掲示中止と「公正」の後ろめたさ
小市民のための選挙だよ全員集合
選挙に行くということ
参議院選挙関係2
選挙制度を知らなかった私--凍結したblog
投票に行く理由、行かない理由 1
投票に行く理由、行かない理由 2
選挙と戦争は繋がってる
国会がもし民主主義的だったら ラスト
アパシーを招く理由 1
非国民? パート2
参院選 私の選び方(3)
アパシーを招く理由 2
参議院選挙に行きましょう
低投票率は自民・創価学会の勝利
アパシーを招く理由 3 取り込まれる人々
棄権・白票投票はやめましょう!
アパシーを招く理由 4 取り込まれる人々2
選挙だホイ♪選挙だホイ♪選挙だホイホイホイ♪
なんと、もう投票日前日か。
明日は参院選
なぜ、選挙に行くか?

■HPO参照ページ
[書評]フランシス・フクヤマ的国生み ~ State Building ~
ぼくたちは本当に負け犬なのか?
ブログー補完計画

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2004年7月 8日 (木)

愛機の死

名称:シグマリオンII
認証番号:A01-0464JP
製造者:日本電気

jul08_1212.jpg

シグマリオンが死んだ。悲しい。

これまで幾多の戦闘(仕事)をかいくぐってきた忠実な戦友であり、昼も夜も仕事のときは常に私とともにあった。車の中、電車の中、事務所でも、出張でも、海外へでも、どこへでも私とともにあった。

私の秘書であり、私の知人の多くを知り、私のプライベートもパブリックもスケジュールの全てを把握し、互いに励ましあってきた愛機。プロジェクト収支予想をし、書類を作成し、メールを送り、ファックスを送り、情報を蓄えわすれない。アポイントに遅れそうなときはやさしく報せてくれた。

私のいくたの虐待にもめげず、階段から落とされても、つくえにたたきつけられても、雨にぬれても、いくたの修理に耐えてきたシグマリオン。

本ブログの記事のかなりもこのシグマリオンで書いてきた。

君のことはわすれない。ありがとう。

...

さぁって、じゃあ次はどのPDAにしよっかな!

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2004年7月 7日 (水)

[書評]フランシス・フクヤマ的国生み ~ State Building ~

■きっかけはぁ?

State Building by Francis Fukuyama

ハーデスさんからも、貴重なコメントをいただき、「擬藤岡屋日記」のflamandさんからも「Japanese bureaucracy」という記事のトラックバックをいただき、これはアップするしかないと少々まとまらないまま以下の書評をアップする。

フランシス・フクヤマは「歴史の終わりと最後の人間」の作者だ。まだ発刊されたばかりの本書において、このフクヤマは現代の国対国の問題の多くが国家の弱さから生まれているという問題意識から、いかにすればよい「国づくり」ができるかという考察を行っている。フクヤマの意識の中では、9.11は文化的な背景の対立以上に、きちんと統治されていない、「国づくり」が十分でない地域と米国との対立という象徴的な事件であった。ドイツ、日本の戦後の占領から復興、あるいはソビエト連邦解体、そしてアフガニスタン、イラクへと、国づくりの意味は広い。イラクの暫定統治機構から、暫定政府への統治委譲に象徴されるように、現代において実は一般的な枠組みとして議論されるべき話題である。

私は、これまでグローバリズムや、自由化の信奉者だった。市場の力に統制をとるために必要なすべては、内在されているように感じていた。ところが、べき乗則について、いくつかの記事を書いていて、どうもレッセ・フェールというか、自由化だけでは、ものごとはうまく流れていかないことに気づかされた。集中化を意味するべき乗則で記述される現象があまりにも多いというは、道路であれ、インターネットであれ、商流であれ、多分人間関係ですら、ネットワークに組み込まれれば組み込まれるほどべき乗の山が高くなっていく(つまりは集中化が進む)ということを意味する。やはり社会がきちんと運営されていくためには、政府、政治の力というものはどうしても必要なのだ。これは、flamandさんのご指摘のとおりだと感じる。

[書評] べき乗則、ウェブログ、そして、不公平さ (HPO)

こうした現象を見ていると、それこそ藩幕体制ではないが、強制的に藩と藩との間の人口流動をとどめたくなる気持ちが理解できるようになってきた。現代流にいえば、道州制を実現して州と州との間の垣根を高くするということだろうか?そうでもしないと中央への集中化という側面ひとつとっても解決できないだろう。


■社会制度、政府、そして国家性の必要性

本書の中で、フクヤマはフリードマンを引用している。私は経済学はほんとうに暗いが、フリードマンはシカゴ学派といわれる一派の中核で、ノーベル経済学賞受賞者であると理解している。かなり過激な自由化論者として有名だ。フクヤマによると、このフリードマンが「自由化、自由化、自由化」と自由化一辺倒であったのは間違っていたと発言したという。「法の秩序というものは、恐らく(国有企業の)民営化よりも(先に立つべき)基本的な問題であることがわかった。」(本書から引用、ひでき訳)つまりは、民営化が可能なのも先進国のような法の秩序が確立されているからうまくいのだ、ということだ。イラクの例を映像として見て見ても、案外我々が常識だと思っていることが、通じない地域というのは多い。

シカゴ学派 by 山形浩生さん訳

そういえば、イラク暫定統治機構が主権を持っていた頃、CPAのホームページにイラクへのビジネス進出を呼びかけるページがあったが、悪い冗談にしかとれなかった。

本書の指摘の中で興味深いのは、一人当りGDPとGDPに占める税収額の国別の割合に正の相関があるということだ。くやしいけれども、これは一人当りのGDPを国民の豊かさと捉えるなら、豊かな国になればなるほど大きな政府になっていくということだ。本書においてフクヤマはあまり詳しくこの現象について触れていないが、きっとかなり知られた現象なのだろうとは想像する。ちなみに、本題からははずれるが年金問題も日本独自のものではないことがわかった。先進国にはかなり共通する悩みが存在するようだ。

A Primer on the Social Security Crisis by Dr. Alexander Tabarrok

フクヤマは、社会制度、政府組織のマネジメントの重要さを強く本書の中でうたっている。戦後行われた米国の統治政策において、日本とドイツで戦後の占領と復興がうまくいったのは、それぞれの国に力をもった統治機構、社会制度のベースがあったからだと分析している。事実、米国の占領政策はこの2国以外で成功している例はない。

手間の掛からなかった日本占領 by miyakodaさん

フクヤマは、本書の随所で「国家性」(stateness)という言葉を、政府組織、社会制度の強さを表す言葉として使っている。この「国家性」と第二次世界大戦後の国別の経済成長には相関がある。フクヤマの指摘によれば、日本やドイツの戦後の復興、南アメリカ、アフリカ諸国、東南アジアなどの国における「国づくり」には、しっかりした政府組織があるかどうかが、運命のわかれみちであったということだ。

ただし、大前提として強い国家性を生むためには「内的需要」が必要だと書いている。つまりは、国家性は、外からの改革だけでは決して形成されない。その国に住む人々、その国のエリート層まで巻き込んだ広く熱い改革、国生みへの要求がなければうまくいかないのだという。なにか、耳が痛いものがあるのは、私だけではないだろう。

■公的組織づくり

フクヤマは、「国づくり」のための重要な要素として、以下の4つをあげている。

・組織デザインと組織マネジメント
・政治制度デザイン
・政治的正統性の基礎
・文化的、構造的な要因

この4つの要素それぞれに分析を加えているのだが、こうした要素の知識の移転をいかにすればよいのか、というのが後半の議論のメインテーマとなる。一見して分かるように、特に「組織デザインと組織マネジメント」と「政治制度デザイン」とが、どの国にも転移可能なので、詳細に分析が行われている。

このまま書いていると、本書を訳してしまうことになるので、多少脱線を加えながら「組織デザイン」の核をなす公的組織(public sector)について的をしぼって考えてみたい。

フクヤマを引くまでもなく、すでに「国家性」の確立した国家においては私的組織(private sector)の方が、構成員に動機付けの報奨がたかく、組織の目的にあいまいさが少ない。現代資本主義社会における私的組織の代表格である株式会社において、給与を通じ、株式を通じ、あるいは広く社会に認められた組織内での地位の獲得を通じ、構成員については上は社長、CEOから、管理職層、そして新入社員にいたるまで、自分が組織の構成員であるプライドを持ち、組織全体の利益を高めることにより受け取ることに対する報奨は大きい。

しかるに、公的組織においては、ハーデスさんがいつもなげかれるようにその構成員のご苦労が報われることは極めて少ない。組織全体の目的の設定がきわめてあいまいにならざるを得ない。こうした環境を思うと、(いつも故人を例にだしてもうしわけないが)年金積立金を厚生労働省の構成員の職場確保と同列にしてしまう精神的な構えが生まれることが理解できる。

4991枚との格闘・序章  by くりおねさん

フクヤマによると、こうした公的組織の成員が仲間を一番にするという考えはこれまた世界的にみられるものなのだという。こうした風潮の中で、公的組織を活性化させるためには、道州制などを導入し公的組織間で「競わせる」こともひとつの方策だ。あるいは、NGOのように政府機関などを看視する仕組みを作ることも一方だ。しかし、いずれも究極の解決策というは、見つかっていないのが現状だ、とフクヤマも語っている。

こうした中で、官僚組織でありながら構成員が命をなげうっても任務を完遂することがあたりまえの組織がある。そこでは、構成員は明確な任務遂行にむけて恒常的に訓練されている。その組織とは、軍隊のことだ。「一隊ありて一人なし」というのだろうか、小隊組織のように顔のみえる、仲間意識のつよい組織が軍隊においてとても重要だ。これは半ば非公式な人間的なつながりを含み、お互いがお互いのために犠牲になる、そこに命を懸けるという精神を組織的に訓練し、植え付けてしまう。今の日本だと、こう書くだけで拒絶反応が出そうだが、世界各国の軍隊で日常的に行われていることだ。

ここで、私が連想してしまうのは、江戸時代の幕藩体制だ。江戸時代の官僚である武士階級は、平和な時代にあっても戦士であることを忘れなかった。軍事的な訓練を行い、朱子学などにより「公」という精神を常に涵養していた。戦闘が全くなくなり、藩に関する官僚の仕事のみになっていても、つねに常住坐臥が戦場という生活を文化にまだ高めた。

いかに戦士でありつづけたかを示すエピソードに、薩摩藩に対する幕府の嫌がらせの中で、薩摩藩とはなんのかかわりもない川の堤を建設する仕事を請け負わされ、大赤字をつくり故郷に向かって切腹した武士達の例をあげよう。

「宝暦治水(ほうれきちすい)」ってなーに? @ 長島町

いまさら、「では現代の官僚は...」とかもういうつもりもうない。また、「だから昔の人はえらかった。昔へ戻ろう。」というつもりもない。それでも、現在の先進諸国(まだ、日本が先進諸国の一翼をになっているとすればだが...)における公的組織の問題を論じるときに、文化的な背景、人々の官僚への認知の問題、あるいは、官僚自身がなにに価値を見出すか、という問題をさけてとおれないのだと本書を読んで気がついた。

私は、社会が発展し、極端な貧困の状況を抜け出してしまったあとでは、つまり日々の生存が保証されれば、社会の中で一般的な損、一般的な得というものはないと信じている。誰にとってもあてはまる勝ち、だれにとってもあてはまる負けというのはない。あるのは、個々人が個々人の信条に応じた、立場に応じた損か得かだけだ。ここを勘違いしてしまって、とにかく成功する、とにかく失敗しない生活のみを送っているということは、生身の自分から目を離していることになるのではないだろうか。

中途半端ではあるが、本書の内容から大分離れてしまったので、この辺で一旦筆を置く。

■追記

あ、やっぱり、時期が時期だけに、選挙からみへのリンクをひとつくらいはおいておかねば...

世界は変えられる (HPO)

■追記 平成16年7月8日

タイトルを国生みとしたことの理由を書いておきたい。

本書、"State Building"は本来「国家構築」あるいはせいぜい「国づくり」と訳されるであろう。他でも使われている"nation building"としなかったのは、「人」という要素よりも「国家性」のようなシステムまチックなものに注目したフクヤマの思いなのだろうか?

しかし、私にとってどうしても「国」というものは「ある」ものである、あるいは「産む」、「生まれる」ものだ、という感覚がぬぐえない。先日書いたように、古事記のイザナギ、イザナミのくだりを「国生み」と名づけたニコルさんのセンスには脱帽するのだが、ひながかえるときに卵を親鳥がそっとわってやるような、十月十日の後に子どもが生まれるというような、感覚が「国」が成るときには必要だと感じてしまうのは、やはり自分が日本人だからだろうか?我々は、国がすでにそこにあるといことすら捨てて考えなければならないのだろうか?

自問する。

■参照リンク
官僚についてふと思ったこと  by Hiroetteさん (今日はおつかれさまでした。ありがとうございました。
ふじすえブログ by ふじすえ健三さん
グローバリズムは“帝国”か?(その1) by standpoint1989さん
金で買える平和 by やまぐちひろしさん

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2004年7月 2日 (金)

ぼくたちは本当に負け犬なのか?

■負け犬の遠吠え 再び

「負け犬の遠吠え」という記事を書いた。瀬戸さんの記事からはじまり、現代の日本社会では日本人はみんな負け犬になりはてているのではないか、という問題にたどりついた。人口減少は負け犬精神のひとつのあらわれなのだ。思考を先へ進める前に、なぜ負け犬になってしまったか、いや、本当に我々は負け犬なのかを、太平洋戦争と戦後の歴史から考えてみるというのが今回の記事の主旨である。

「負け犬の遠吠え」(HPO)

■太平洋戦争をふりかえる

この負け犬という問題意識からというわけでもないのだが、ちょうどタイミングよく「太平洋戦争」(児島襄著)を読了した。本書を読むのは、確か、2度目、もしかすると3度目だ。ブログで書くのも二度目。以下、本書に基づき太平洋戦争の敗戦について書きたい。

[書評]太平洋戦争 (HPO)

このブログの記事は2月26日付けだから、書いてからまだ半年もたっていない。しかし、私の読み方がこの間に変ってしまったように感じる。以前この本を読んだときは、その戦いの壮絶さにただ飲み込まれた。果敢に戦い死んでゆく父祖の姿にただただ涙していた。今回、改めて太平洋戦争をひもといてみると、いわゆる日本人のいい面、悪い面が自然に浮き上がって見えた。

ごくおおざっぱに言えば、緒戦では日本の勢いに乗りやすい面がうまくでて、米軍の出鼻をくじき戦果をあげた。そして、多分史上最大規模まで日本の版図をひろげた。南はオーストラリア境界からほとんどアラスカの側まで、インドに近いビルマから、中国、満州のソビエト国境まで、文字道理アジア太平洋地域ほぼ全域にまで勢いにのって防衛線を一端は確保したと感じる。よく奮戦したと思う。

しかし、勢いに乗れたのはごく緒戦だけだった。その後は、ガダルカナル島の攻防あたりから日本のマイナス面が噴出した。

ガダルカナル撤収 by 松原望さん

あきれてしまうのは、1944年に至りサイパンが陥落し米国の新兵器であった長距離爆撃機B29の活動内に日本の本土が入りほぼ事実上の敗戦が確定した時点においても、政府は軍を掌握していなかったという事実だ。「統帥権」を独立させたという言葉のマジックは、戦争指導の最高決定機関から、首相をはじきとばしていたのだという。つまりは、日本政府は軍に対する人事権も、指揮権もなかったといことだ。当然東条英機のように、首相で、陸相で、参謀総長という多分外国からみたら戦争の独裁者としかみえない人物ですら軍という巨大な組織をコントロールできていなかったように私には思われる。この戦争を終わらすには、政府とは別の種類の力が必要であった。

東条英機 @ 地球旅行研究所

そもそも、陸軍と海軍の統合参謀本部が存在しない日本ってなんだったのだろうか。「太平洋戦争」のたんたんとした記述の中でも、海軍と陸軍の用兵思想の差が、戦闘に影響を及ぼした例が数々うかがえる。ちょっとその辺でシュミレーションゲームでもやってみればわかるように、一点集中と機動戦というのが戦略の基本だと感じるが、「決戦」といいながら、常に戦力を小出しにしていた。

その他、軍略上の決定をあげつらえばいくらでもでてきそうだ。海軍でいえば、戦争準備段階から航空兵力を軽視し、艦隊を機動力をもって運用するよりも艦隊決戦にとらわれた参謀の責任大であろう。石原莞爾のような人物だっていたにもかかわらずだ。陸軍にしたって、資源の確保と移送を最優先すべきであったのに、インパール作戦に代表されるような不要不急の戦線に過大な資源を投入した。最後の最後までの海軍との足のとりあいがあった。サイパン島の防衛計画など愚の骨頂であった。

インパール作戦 ~父が語る戦争体験記~ by 窪田やよいさん

こういう状況下で、ほんとうに同情にたえないのが一般兵士の死に様だ。書き出すといきどおりを感じて止まらなくなりそうなので、詳しくは書かない。戦闘での苛烈な戦死よりも、自決の徹底さに驚きを覚える。特攻、肉弾などという概念は戦争という特殊な環境で生じたとのだろうが、自決ということに個人よりも組織が重くなりすぎていたことの証左を感じる。

■戦後、そして現代へもどる

そして、またまたランド研究所のレポートにもどる。どうも戦後の米軍の統治政策の中で、官僚たちの有用さが米軍に理解されてしまい、官僚たちがかなりの部分の戦後政策を米軍の看板を使って実行していったというのが、実は日本の不幸かもしれないと感じる。戦争でも崩壊しなかった日本の官僚機構は、実は戦争中の軍や挙国体制の色彩をいまだに残しているのかもしれない。この辺は、具体的には判断つくほど材料がない。

America's Role in Nation-Building: From Germany to Iraq @ Rand

どこかで、シャウプ勧告も実際は日本の官僚の作文を米国の指示にすりかえたという話しもある。ちなみに、共産党や労働組合が力を得たのも米軍の統治下においてだということを忘れてはならない。米軍の力を背景にした、吉田茂以来の米国とのバランスにおいて成り立ってきた保守本流の政治手法も含めて考えると、戦後すぐには見事にはたらいていかもしれない体制がそのまま60年以上も続いてしまい現在の閉塞感をうんでいるようなどこにでもあるような結論に到達する。

[書評]歴史劇画大宰相 (HPO)

くりかえすが、米軍の日本統治は日本を二度と再び立ち上がらせないためにおこなわれた。これは現在のイラクの統治を見ていても、米国が日本の官僚を利用したのと似た手を使っていることを見ていても理解できる。そもそも、このレポートは、イラク統治政策立案の参考にされたと聞いている。この意味では、確実に日本は負けたのだ。日本国民は、負け犬になりはてたのだ。

父親からいくつか口伝えで戦争と戦後に関する話しを聞いたことがある。「戦争末期にいたって、食料が欠乏している中でも、国内で軍人は宴会をくりかえしていた」という話しは忘れられない。これって、どこな現代的な風景のような気がするのだが、これ以上ふれない。ああ、でも太平洋戦争末期の自決ではないが、最近会社員や官僚の自殺が多いとも聞く。

平成11年度国家公務員死因調査結果概要 @ 人事院


■本当に、本当に負けてしまったのか?

最後に、今村均さんを紹介したい。いや、どのような方だったかは、伊勢雅臣さんのすばらしい記述をお読みいただきたい。私の浅学では付け加えるべき言葉をもたない。

人物探訪:「責任の人」今村均将軍 上
人物探訪:「責任の人」今村均将軍 下

今村均さんの行動を見て、日本は負けても日本人は負け尽くしたわけではなかったのだなと感じた。今村均さんの生き方をあらためて学びなおし、自分の責任を全うする、自分の部下と寝食と運命をともにする、ということは人にとって子どもを産むことと等価だと思った。なぜなら、その人が行動することにより、いっしょに働いた、いっしょに運命をともにした人たちに目にみえない遺伝子を残したのだから。

昔風にいえば「ああ、あの人はいい人だったな。あのひとは部下思いの人だった。おれもみならおう。」と、人に語り継がれることは、自分を後世に伝えてもらうことだ。あるいは、現代風にいえば、人は活動することにより確実に自分のミームを残していくのだ。たとえば草薙素子のように。

[書評] 攻殻機動隊 Ghost in the Shell

今更無責任のそしりをうけることになるかもしれないが、前回の記事でかいた「子どもを産む」ということは、実は比喩だととっていただきたい、と今感じている。そして、ひとつだけ告白しておく。「攻殻機動隊」と「負け犬の遠吠え」を書いてはじめてなぜ自分が子をなすことに深い意味を感じていたかを初めて理解した。「十月十日」も「迷い」という種をかかえつづけたわではないが、これもひとつの出産だったのかもしれない。

そして、あらためてここまでつきあってくださったあなたに問いたい。日本人は負け犬なのかと?あえて、ここで答えを記さない。この問題をただただ私は自分の中に抱えつづけていきたい。

■参照リンク
コンパクト「太平洋戦争史」 by 松原望さん
文明が衰亡するとき by 松原望さん (敗戦の問題、少子化の問題等非常に似た問題意識で書かれている。)
太平洋戦争 @ 日本富士
今日の日本人の誇りは日露戦争にある by finalventさん @ 極東ブログ
「覚悟」ということ--若い日系兵士の戦死 by miyakodaさん
・勝ち組と負け組 あなたはどっち? by eightさん
終わりの始まり.. by m_um_uさん
4991枚に関する妄想(2)---「帝国官僚」、さすがである by miyakodaさん
7月8日(木)午後6時-新橋に何かが起こる!(再掲) by 尾花さん
「負け犬の遠吠え」 (HPO)
「日本海軍 失敗の研究」(鳥巣建之助著)を読んで by ふじすえ健三さん

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