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2004年7月 2日 (金)

ぼくたちは本当に負け犬なのか?

■負け犬の遠吠え 再び

「負け犬の遠吠え」という記事を書いた。瀬戸さんの記事からはじまり、現代の日本社会では日本人はみんな負け犬になりはてているのではないか、という問題にたどりついた。人口減少は負け犬精神のひとつのあらわれなのだ。思考を先へ進める前に、なぜ負け犬になってしまったか、いや、本当に我々は負け犬なのかを、太平洋戦争と戦後の歴史から考えてみるというのが今回の記事の主旨である。

「負け犬の遠吠え」(HPO)

■太平洋戦争をふりかえる

この負け犬という問題意識からというわけでもないのだが、ちょうどタイミングよく「太平洋戦争」(児島襄著)を読了した。本書を読むのは、確か、2度目、もしかすると3度目だ。ブログで書くのも二度目。以下、本書に基づき太平洋戦争の敗戦について書きたい。

[書評]太平洋戦争 (HPO)

このブログの記事は2月26日付けだから、書いてからまだ半年もたっていない。しかし、私の読み方がこの間に変ってしまったように感じる。以前この本を読んだときは、その戦いの壮絶さにただ飲み込まれた。果敢に戦い死んでゆく父祖の姿にただただ涙していた。今回、改めて太平洋戦争をひもといてみると、いわゆる日本人のいい面、悪い面が自然に浮き上がって見えた。

ごくおおざっぱに言えば、緒戦では日本の勢いに乗りやすい面がうまくでて、米軍の出鼻をくじき戦果をあげた。そして、多分史上最大規模まで日本の版図をひろげた。南はオーストラリア境界からほとんどアラスカの側まで、インドに近いビルマから、中国、満州のソビエト国境まで、文字道理アジア太平洋地域ほぼ全域にまで勢いにのって防衛線を一端は確保したと感じる。よく奮戦したと思う。

しかし、勢いに乗れたのはごく緒戦だけだった。その後は、ガダルカナル島の攻防あたりから日本のマイナス面が噴出した。

ガダルカナル撤収 by 松原望さん

あきれてしまうのは、1944年に至りサイパンが陥落し米国の新兵器であった長距離爆撃機B29の活動内に日本の本土が入りほぼ事実上の敗戦が確定した時点においても、政府は軍を掌握していなかったという事実だ。「統帥権」を独立させたという言葉のマジックは、戦争指導の最高決定機関から、首相をはじきとばしていたのだという。つまりは、日本政府は軍に対する人事権も、指揮権もなかったといことだ。当然東条英機のように、首相で、陸相で、参謀総長という多分外国からみたら戦争の独裁者としかみえない人物ですら軍という巨大な組織をコントロールできていなかったように私には思われる。この戦争を終わらすには、政府とは別の種類の力が必要であった。

東条英機 @ 地球旅行研究所

そもそも、陸軍と海軍の統合参謀本部が存在しない日本ってなんだったのだろうか。「太平洋戦争」のたんたんとした記述の中でも、海軍と陸軍の用兵思想の差が、戦闘に影響を及ぼした例が数々うかがえる。ちょっとその辺でシュミレーションゲームでもやってみればわかるように、一点集中と機動戦というのが戦略の基本だと感じるが、「決戦」といいながら、常に戦力を小出しにしていた。

その他、軍略上の決定をあげつらえばいくらでもでてきそうだ。海軍でいえば、戦争準備段階から航空兵力を軽視し、艦隊を機動力をもって運用するよりも艦隊決戦にとらわれた参謀の責任大であろう。石原莞爾のような人物だっていたにもかかわらずだ。陸軍にしたって、資源の確保と移送を最優先すべきであったのに、インパール作戦に代表されるような不要不急の戦線に過大な資源を投入した。最後の最後までの海軍との足のとりあいがあった。サイパン島の防衛計画など愚の骨頂であった。

インパール作戦 ~父が語る戦争体験記~ by 窪田やよいさん

こういう状況下で、ほんとうに同情にたえないのが一般兵士の死に様だ。書き出すといきどおりを感じて止まらなくなりそうなので、詳しくは書かない。戦闘での苛烈な戦死よりも、自決の徹底さに驚きを覚える。特攻、肉弾などという概念は戦争という特殊な環境で生じたとのだろうが、自決ということに個人よりも組織が重くなりすぎていたことの証左を感じる。

■戦後、そして現代へもどる

そして、またまたランド研究所のレポートにもどる。どうも戦後の米軍の統治政策の中で、官僚たちの有用さが米軍に理解されてしまい、官僚たちがかなりの部分の戦後政策を米軍の看板を使って実行していったというのが、実は日本の不幸かもしれないと感じる。戦争でも崩壊しなかった日本の官僚機構は、実は戦争中の軍や挙国体制の色彩をいまだに残しているのかもしれない。この辺は、具体的には判断つくほど材料がない。

America's Role in Nation-Building: From Germany to Iraq @ Rand

どこかで、シャウプ勧告も実際は日本の官僚の作文を米国の指示にすりかえたという話しもある。ちなみに、共産党や労働組合が力を得たのも米軍の統治下においてだということを忘れてはならない。米軍の力を背景にした、吉田茂以来の米国とのバランスにおいて成り立ってきた保守本流の政治手法も含めて考えると、戦後すぐには見事にはたらいていかもしれない体制がそのまま60年以上も続いてしまい現在の閉塞感をうんでいるようなどこにでもあるような結論に到達する。

[書評]歴史劇画大宰相 (HPO)

くりかえすが、米軍の日本統治は日本を二度と再び立ち上がらせないためにおこなわれた。これは現在のイラクの統治を見ていても、米国が日本の官僚を利用したのと似た手を使っていることを見ていても理解できる。そもそも、このレポートは、イラク統治政策立案の参考にされたと聞いている。この意味では、確実に日本は負けたのだ。日本国民は、負け犬になりはてたのだ。

父親からいくつか口伝えで戦争と戦後に関する話しを聞いたことがある。「戦争末期にいたって、食料が欠乏している中でも、国内で軍人は宴会をくりかえしていた」という話しは忘れられない。これって、どこな現代的な風景のような気がするのだが、これ以上ふれない。ああ、でも太平洋戦争末期の自決ではないが、最近会社員や官僚の自殺が多いとも聞く。

平成11年度国家公務員死因調査結果概要 @ 人事院


■本当に、本当に負けてしまったのか?

最後に、今村均さんを紹介したい。いや、どのような方だったかは、伊勢雅臣さんのすばらしい記述をお読みいただきたい。私の浅学では付け加えるべき言葉をもたない。

人物探訪:「責任の人」今村均将軍 上
人物探訪:「責任の人」今村均将軍 下

今村均さんの行動を見て、日本は負けても日本人は負け尽くしたわけではなかったのだなと感じた。今村均さんの生き方をあらためて学びなおし、自分の責任を全うする、自分の部下と寝食と運命をともにする、ということは人にとって子どもを産むことと等価だと思った。なぜなら、その人が行動することにより、いっしょに働いた、いっしょに運命をともにした人たちに目にみえない遺伝子を残したのだから。

昔風にいえば「ああ、あの人はいい人だったな。あのひとは部下思いの人だった。おれもみならおう。」と、人に語り継がれることは、自分を後世に伝えてもらうことだ。あるいは、現代風にいえば、人は活動することにより確実に自分のミームを残していくのだ。たとえば草薙素子のように。

[書評] 攻殻機動隊 Ghost in the Shell

今更無責任のそしりをうけることになるかもしれないが、前回の記事でかいた「子どもを産む」ということは、実は比喩だととっていただきたい、と今感じている。そして、ひとつだけ告白しておく。「攻殻機動隊」と「負け犬の遠吠え」を書いてはじめてなぜ自分が子をなすことに深い意味を感じていたかを初めて理解した。「十月十日」も「迷い」という種をかかえつづけたわではないが、これもひとつの出産だったのかもしれない。

そして、あらためてここまでつきあってくださったあなたに問いたい。日本人は負け犬なのかと?あえて、ここで答えを記さない。この問題をただただ私は自分の中に抱えつづけていきたい。

■参照リンク
コンパクト「太平洋戦争史」 by 松原望さん
文明が衰亡するとき by 松原望さん (敗戦の問題、少子化の問題等非常に似た問題意識で書かれている。)
太平洋戦争 @ 日本富士
今日の日本人の誇りは日露戦争にある by finalventさん @ 極東ブログ
「覚悟」ということ--若い日系兵士の戦死 by miyakodaさん
・勝ち組と負け組 あなたはどっち? by eightさん
終わりの始まり.. by m_um_uさん
4991枚に関する妄想(2)---「帝国官僚」、さすがである by miyakodaさん
7月8日(木)午後6時-新橋に何かが起こる!(再掲) by 尾花さん
「負け犬の遠吠え」 (HPO)
「日本海軍 失敗の研究」(鳥巣建之助著)を読んで by ふじすえ健三さん

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コメント

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ひできさんへのコメントでも残したように、
「勝ち」「負け」っていう議論は、私の個人的な感想としては
ナンセンスじゃないかな~?と。

「勝っている!!」と思っていても、
最後の最期で「あ~負けちゃった」と思う人もいれば、
「負けてるな~(涙)」と思っていたとしても、
最後の最期で「よっしゃ!勝った!」と思う人もいると思います。

まぁ、変人Bのコメントなので、スルーということで(苦笑)

投稿: Jack | 2004年7月 3日 (土) 01時20分

Nation Building(randレポート)は、アメリカのイラク占領経営の基本アイデアになったものですが、これを読むと、日本占領経営がいかに安上がりだったかがよくわかります。

http://www.rand.org/publications/MR/MR1753/
http://miyakoda.jugem.cc/?eid=15

官僚制度はほぼ無傷で継承されたという話、大学の一年のころ、政治学の先生に聞かされ、びっくりしたことを思い出します。安上がりの秘密は、「旧体制の温存」にあった、ということ。

政治の掌握外のところで官僚立案による政策が計画/実施される例が多々みられる点においては、戦前/戦後とも、あまり極端な差がないように感じられます(現場では異論があるでしょうが)。

省庁間の連携が必須となるような政策はどうしてもあげにくい。政治の側が複数省庁をコントロールする意志を示さないと省庁ベースでは動きにくい。省庁の担当の立場になると、計画から実施、評価まで、個々の省庁の掌握範囲の中に納めないといけない、ということでしょうか。

今度の選挙では、組織(官僚)を動かせないような人を政治家にしなければいいのですが。それ以前に、一般人にも政治的教養、ってのが必要なんだと思ったりします。

投稿: miyakoda | 2004年7月 3日 (土) 16時06分

miyakodaさん、こんばんわ、

ありがとうございます。ナイスフォローでございます。そういえば、ちゃんと「レポート」から引用してなかったなと反省しておりました。"Lessons Learned"からすこしだけ、自己フォローします。

• Co-opting existing institutions can facilitate nation-building better than building new ones from scratch.

「残存していた社会制度と協力することは、新しい制度を0から作り直すよりも「国づくり」(占領政策)をより容易に促進する。」

• Delegating implementation of economic policy decisions to local governing elites, with their own priorities, can significantly dilute the effectiveness of changes.

「彼ら自身の優先順位に従って、経済政策の施行をその国のエリート統治者たちに、委ねることは、(占領政策という)変化の効果を希釈してしまう。」

逆にいえば、日本の場合は「経済政策」についての意思決定が、日本の経済官僚にゆだねられていたということ、かつ、必ずしも米国の意思を反映したものでなかったことを示しています。

こんどは、ドイツの占領政策あたりを読もうかなとか思っております。今は、「大国の興亡」の下巻を読んでおります。

投稿: ひでき | 2004年7月 3日 (土) 23時26分

Jackさん、こんばんわ、

コメントありがとうございます、って、今更ですかね(笑)。勝ち負けにこだわるというのも、男の悪いところかもしれませんね。

投稿: ひでき | 2004年7月 3日 (土) 23時27分

勘違いしているかもしれませんが、石原って陸軍じゃなかったですか。
当時の陸軍と海軍が巧く連携がとれなかったのは、大本営というのがあったとしても、それぞれの軍が直接天皇の配下にあるという考えからですよね。
直接関係ないコメントですみません。

投稿: BLUEPIXY | 2004年7月 4日 (日) 02時55分

BULYPIXYさん、おはようございます、

石原莞爾は陸軍ですね。

石原莞爾のホーム・ページ : http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yatsu8hd/Ishiwara/">http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yatsu8hd/Ishiwara/

優秀すぎたのか、組織からははみだしてしまっていた特殊な人だったのかもしれません。たしか、いまどこかのマンガで出てきたような気がしますが...

優秀である、先が見えるということと、組織の中で力を持つということは、明らかに違うということの見本みたいな人かもしれません。それでも、没後半世紀たってもこれだけ名が残るのですから、一流の人物といえば一流の人物なのでしょうね。

投稿: ひでき | 2004年7月 4日 (日) 10時46分


ひできさん、本音直球で書きます。

旧日本陸軍ほどアフォな連中はいません。

僕は、1930年代に若かった連中を軽蔑しています。

最悪の敵は、日本内部にいたのにそれにひきづられ

戦争を起こし、国体護持(軍の既得権維持)のため

一億玉砕などに洗脳された隷属民などには350万人

死んでも自業自得です。市民精神あらば、辻正信が戦後

参議院議員になったりしません。牟田口のような鬼畜が

軍人恩給でノウノウと生きる事を許さなかったはずです。

70年後の若者に「臆病者・卑怯者」といわれたくないから

今様々な動きをしています。

自分の栄耀栄華しか考えない、

下劣な奴らに対して一矢報いねば、

男が廃ると考えています。

過激ですが、司馬遼太郎が小説を書く動機は

おもちゃのような戦車で米軍と闘わされる

寸前だった怒りが駆り立てているといいます。

おかしい事をおかしいといえない、

言葉を奪った国の当然の帰結です。

「変えられなかったのは、変えようという意志がなかった」


投稿: キルゴア中佐 | 2004年7月 4日 (日) 23時11分

キルゴア中佐さん、こんばんわ、

私も、以下の二人の人物は嫌いです。

辻正信
http://www.c20.jp/p/tmasanob.html">http://www.c20.jp/p/tmasanob.html

牟田口廉也
http://www9.plala.or.jp/kikujiroh/char/r_mutaguchi.html">http://www9.plala.or.jp/kikujiroh/char/r_mutaguchi.html

ガダルカナルも、インパールも真正面から責任をとるという姿勢がかけらも見られません。まして、牟田口廉也がインパール作戦をはじめるにあたって「大東亜戦争はいわばわしの責任だ。盧溝橋で第一発を撃って戦争を起こしたのはわしだから、わしがこの戦争のかたをつけねばならんと思うておる。まあ、見ておれ。」などと語ったと聞くにつけ、じゃあなんでそこで腹をかっさばかななったのか!といいたくなります。まして、そのインパールがますます無用の血を流した事を思い、牟田口廉也がそれを生き延びてのうのうとしていたことを想像すると、私まで頭に血が上ってきます。

キルゴア中佐さんも私以上に自覚していらっしゃるのでしょうが、現代に至っても牟田口に相当する人物はいるのだと思います。今回の記事を書くにあたって調べているうちに、バブル崩壊からこっちを「16年戦争」だといっている論者がいるのを発見しました。この現代の「16年戦争」において、牟田口や辻は逆に増殖しているのかもしれません。こうした事態に接して、快適な生活のために誇りもなにもなくして、なにもものをいわないという形で肯定してしまっている我々に1930年代の若者をあざわらえるでしょうか?

「洗脳された隷属民」とは、実は組織が重くなりすぎてしまった時代の人々だと私は感じております。組織の重さは、個人の命の重さをこえていたので、戦時中の自決があったのだと感じます。現代において憲法から刑法までひもといても経済事件、行政事件では死刑は制度上ないにもかかわらず、自殺者が増えているのは戦時中の自決とよく似た精神作用だと感じます。

この事態を解決するためには、さまざまな方法が考えられると思いますが、私は選挙制度と選挙に対する真剣さが大事だと感じております。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/06/change_the_worl.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/06/change_the_worl.html

選挙を通じて、これからますます世代間の対立や、人と人、組織と組織との対立が鮮明になっていくように感じます。

投稿: ひでき | 2004年7月 4日 (日) 23時21分

 私は負け組はプライドを捨てた人間だと思います。武士はくわねど高楊枝、ではないですが。
 つまり「自分が負け」と思った瞬間負け組ですよね。それはプライドを捨てた瞬間だと思います。

 勝ち負けで言えば、一家が無事にご飯食べて小市民的に暮らせれば十分勝ち組だと思います。
 金持ってたって、偉い役職だって苦しんでる人いっぱいいますから。

 それはさておき、官僚批判については、「官僚の定義」をきちっとしていただければと思います。
 キャリアでしょうか?国家公務員全般でしょうか?
 私も含め多くのノンキャリアは特権階級でもないですし。

 個人的には、役所は敵ではないというところから入っていただけないかなぁ、といつも思っています。そうすればよっぽど建設的だと思います。
 官僚制度=悪と片づければ議論はしやすいんでしょうが、そんな単純なものではないと思います。
 一部はお金持ちの子息もいますが、多くの職員は本当に普通の家庭の子ばかりですよ。

 ちなみにmiyakodaさんは省庁連携はあげにくいとおっしゃってましたが、それは10年前ではないでしょうか。ケースバイケースです。必要なものはきちんと連携しているし、担当者同士、結構仲良くやっているものもあります。
 「現場では異論があるでしょうが」というお言葉に甘えて言わせていただきますと、政治が無責任にも放り投げているものを一生懸命拾っているというのが現場の実態です。それを官僚支配というのであれば、事実と違うと思います。

投稿: ハーデス | 2004年7月 5日 (月) 03時17分

 トラバックありがとうございます。
 日本全体の負け犬・負け組、論戦中戦後からの物として切っているのは興味深い切り口だと思います。
 しかし日本は必ず変化します。今からがその過渡期と感じます。今の政治によって一番影響を受ける若い年齢層もいつまでも黙ってはいないでしょう。
 私達一般人もこれからの日本をどの様な国家にしたいのか目標を定めて行動を起こす事が大切な気がします。

投稿: eight | 2004年7月 5日 (月) 13時08分

eightさん、はじめまして、こんばんわ、

ぶしつけなトラックバックをお許しください。

私も志を同じくするものでありたいと思っております。たまたたま読んでおりました雑誌に「高齢者対応税制」という名の大増税についてなかなか恐ろしげな記事が載っておりました。ほんとうにどこまで次の世代の人間に重荷をかければ気が済むのか?問題をすべて先送りにする体質自体が間違っているように感じます。

ちなみに、同じ雑誌にある企業グループのことが載っていました。考えてみるとこの企業グループは、戦前の日本の国防産業の代名詞であったわけですよね。それが現代においては、情報開示の風潮についていけずに、もしかするとグループ企業の解体かもしれない自体を招いている。非常に危機感を覚えます。

投稿: ひでき | 2004年7月 5日 (月) 19時43分

オリヴァークロムウェル
「兵士のための問答」を現代風に

国王=国民

カトリック=「政・官・業・ヤクザ」連合という泥棒たちthievesと入れ替えてください。

1.私は闘う。国王をカトリックの手から救い出すために

2.私は闘う。この国に恣意的で専制的な政府を実現しようと長い間努めてきた人たちによって、今や崩壊の危機に瀕している、わが国の法律と自由のために。

3.私は闘う。われわれの議会を守り抜くために

4.私は闘う。いまやこの国において激しく反対されまったく抑圧されようとしている、真実のプロテスタントの信仰を守るために

投稿: キルゴア中佐 | 2004年7月 5日 (月) 22時19分

ハーデスさん、こんばんわ、

お返事遅くなり失礼致しました。友人とヤケ酒飲んでました。

改めて稿を起こしますが(きっと、まだ私が失望しつくしていなければ...)、今日は「ブロガー補完計画」ではいないですが、アエラでブログが取り上げられました。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/06/pulic_relations.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/06/pulic_relations.html

http://www3.asahi.com/opendoors/zasshi/aera/current.html">http://www3.asahi.com/opendoors/zasshi/aera/current.html

このアエラで、ふじすえさんが取材にあったにもかかわらず「新顔(40)」という扱いしかされなかったことが私のヤケ酒の原因のひとつです。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/06/post_1.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/06/post_1.html

一応「公職選挙法」に触れる可能性があるため、雑誌に名前が載せられないということでしたが、公職選挙法のどこにもネットを使って選挙活動をしてはいけないとは書いてありません。ただ、総務省の解釈だと伺っております。

友人と非常に意見が今回一致したのは、一旦動き出した組織の風土を変えるのは本当に至難の技だということです。これは本当にDNAのようにいかんともし難いものがあります。

私も多少は官僚と言われる方々を存じ上げております。真に個人としては尊敬すべき方がいらっしゃいます。しかし、例えば公職選挙法のネットに関する解釈のように、あるいは、本当に私が申し上げるべき段ではないですが木村剛さんに対する厚生労働省の5000枚あまりの回答のように、いかんともし難いDNAのように組織に根付いた風土があるように感じております。それは、あえて申し上げれば「組織防衛」という真にDNAと呼ぶに似つかわしい体質かと、私なりに解釈しております。

もし、この風土を変えられるとすればそれは政治の力であると感じております。官僚組織のDNAをもし転換できるのは、あるいは転換できないのは、ご指摘のように政治の力だと感じております。これがいかにいかんともしがたいものであるか、変換をこばむものであるか、いまかなりアルコールが入っているように、ヤケ酒をするしかないように、私ごときがここで歯軋りしてもどうしようもない物なのかもしれません。

しかし、それでも、お互いに共通の理解の基盤を求めていけば、決して相互に理解不可能なものではないと考えております。すでに40歳以下の日本の人口は50%を占めます。いま、確実に権力を握っている方たちでも、あと10数年でその座をあけわたさざるを得ないでしょう。その後継者たち、あるいは私達は、その後をどう襲えばよいのでしょうか?どう継承すればよいのでしょうか?もし、現在力をもっている、国のデザインのできる方たちがいるのだとすれば、その方たちは、自分たちの子供達、あるいは後継者達にどのようにこの遺産を、あるいはこの負債を、継承させようと言うのでしょうか?

あ、酔ったついでに書いてしまいますが、年金の積立金が100兆円をこえる残高がありますが、例えばいっそこれで米国のFF債を買ってしまうというのはいかがでしょうか?例え将来年金の原資が不足することがあったとしても、年金の積立金が持つ隠然たる影響力を明確な形で次世代に残せるのではないでしょうか?あくまで余談でした(笑)。

失礼なことを数々もうしあげておりますが、まがりなりにも国を憂うる発言だとご容赦いただければ幸いです。

投稿: ひでき | 2004年7月 6日 (火) 03時15分

真に問われるべきは「どういうゲームに勝ちたいのか」ということなのだと想います。それが人生の意義に則しているかどうか。
今村均さんは、大切にすべきものをきちんと大切にしたから、多くの価値を創造された。
もし、今村さんご当人に、流行の言葉で「あなたは勝ち組ですか?」と問うたなら、「いや、負けた。あの彼も、この彼も救えなかった。」とおっしゃりそうな気がします。

>共通の理解の基盤を求めていけば、決して相互に理解不可能なものではない
そのとおりだと想うのです。現実、そこに踏み込まれていることに、敬意を表します。そこから「どのような勝ち・・・価値の実現を目指すべきか」という絵が見えてくるはず。

投稿: BigLove | 2004年7月 6日 (火) 10時10分

逆に、辻正信さん、牟田口廉也さんは「”負け犬”と呼ばれたくない」という恐怖が、我欲に結びつき、判断の目を曇らせていていたように感じるのです。まぎれもない「世間様教」信者。世間様が自分をどう評価するか・が人生の第一優先事項。だから、世間様の価値観が変わると、自分も変身してしまえる。

山本五十六さんが、上海で「ファンタジア」や「風とともに去りぬ」を観て、「こんな映画を創れる国には勝てっこない」と悟った・・・という逸話を読んだ記憶があります。ソースが見つかりませんが(^^;;;
人生の機微を、大衆娯楽として、大きなビジネスシステムを組んで表現してしまう、その力。彼我の大きな差は、ここに表れていたような気はします。

投稿: BigLove | 2004年7月 6日 (火) 23時29分

BigLoveさん、こんばんわ、

いつもいつも、ありがとうございます。ほんとうに救われている気持ちがします。

>真に問われるべきは「どういうゲームに勝ちたいのか」ということなのだと想います。それが人生の意義に則しているかどうか。

激しく、同意させていただきます。

お返事というわけでも、官僚の方を批判しすぎたバランスをとるというわけでもないのですが、これからフランシス・フクヤマの新刊、"State Building"について書きます。日付変更線を超えそうですが、トライしてみます。

投稿: ひでき | 2004年7月 6日 (火) 23時34分

 ひできさん、変なことを提起しまして恐縮です。

 ただ、厚生労働省のデータの件は、私はちょっと違うのでは?と思います。
 年金のデータというものは本当にスパコンを使った数字の羅列なんですよ・・。
 私は公的年金でない小さな保険について知識がありますが、やはり数字の羅列でしたから。ただ、縦と横を見ると知識があればある程度推測できると思います。

 一方情報公開は、「説明する」ものではありません。「生データを見せろ」と言うしろものです。つまり、例えば担当者が「注釈」をわかりやすくつけたりすると「文書改竄」になるのです。

 この点、役所への情報公開請求で、担当者の善意を信じられない場合、この「注釈」のように変更が加わっていると「何か隠している」と言うことになるのも実態です。

 率直に言えば、情報公開は追加の仕事で、そのための職員を各課は抱えているわけではありません。資料の精査を始め、追加の仕事になったと思います。5000枚というのはコピーするだけでも大変だったと思います。
 ですから100枚や200枚でなく、5000枚を公開したというのは、紙爆弾でないと思います。よく頑張ったなぁ、と思います。
 そういう現場の実態はどうしたら伝わるのか、と私は思います。

 また、公職選挙法にふれるから、とありますが、そもそもアエラはなぜ選挙期間前に特集をしなかったのか。
 だって、名前書いていけないとわかっていたら1週間特集を繰り上げればいいじゃないですか。確信犯でしょう。

 結局、何でもかんでも政府が悪いとすれば、政府は意見を言えない立場ですから、批判者誰もが自分が正しく思えるのです。

 例示された公選法。議員立法で変えられると思います。法律に書けばいいのですから。
 率直にいえば、ふじすえさん並にネットを使いこなせない他の国会議員から「不公平」として改正されないのではないかと。で、役所のせいにすれば自分は傷つきませんからね。

 いろいろ書いてきましたが、要は「役所は反論できない」だから自分達の落ち度や不作為も含めすべて役所のせいにする、という現実の部分もあることをご理解いただければと思います。

 最後に、官僚組織のDNAといいますが、これは「キャリア制度」の問題だと思います。
 国家公務員改革でこれを改める気のない自民、民主ともにやはり、ポーズで、引き続き政府を悪者にして自分達がええかっこする気だな、というのが率直な感想です。

 多くの職員はサービス残業をしながら公共の利益のために、と働いているんですけどね・・。 

投稿: ハーデス | 2004年7月 7日 (水) 01時07分

ここでのみなさんの会話を興味深く拝見させていただいています。

いろいろな方が官僚批判や官僚制度についての問題点などを書かれている中で、一人当事者として率直なご意見を述べられているハーデスさんはすごいと思います。

たぶん、官僚に対する誤解というようなものを少しでも減らしたいという思いで書き込まれているのかな、と推察いたします。

私も単なる官僚批判のような論調には余り共感できません。それは余り真実を知るための最善の方法ではないのではないかな、と感じます。しかし、私がいつももどかしく思うのが情報が片方からしか入ってこないことです。政治家や一般の人たちの考えや気持ちはいくらでも目にすることができますが、官僚の方々の考えなどが外に出ない状態になっています。それは制度上仕方がないとして、そのために建設的な対話や解決が阻まれているとすると非常に残念です。

年金生データの4991枚については、私はあれは不親切なものだとは思いません。木村氏が生データの開示の請求をしたのですから、あのような文書が出てくるのは当然です。今は、第二弾の開示請求をしていますが、そちらの方を注目した方がいいと思います。私は現物を見ましたけれど、さまざまなデータを全てA4に出力することの苦労の跡というのは感じました。本当に、ご苦労様という感じでした。ただ、電子データで出せば、その苦労から解放されるのではないか、というところは官僚の方々はどうお考えになっているのかなと思いました。合理的に考えればそれでいいような気がするのですが。その辺を阻んでいる制度か何かがあるのでしょうか。

公職選挙法にしても何にしても問題の根っこが「役所は反論できない」というところに帰結してしまうとすると、一体私たちはどうすればいいのでしょうね。
確かに、批判の矛先を意図的に操作して国民の目を他に向けさせ、その間に自らの利益を図ろうという人たちがたくさんいるのかもしれない、ということもなんとなくわかります。

というわけで「役所は反論できない」というのはどのように解決すればよいのでしょうね。じゃあ、いくら官僚が条文を書いても政治家に取り上げてもらって審議されなければ、何も変わらないということですよね。政治家にその案件を審議しようっていう気にさせるのは誰の役目なんでしょう?やはり国民一人一人なんでしょうか?政治家は政策で動く人もいるけど、既得権益で動く人もたくさんいますよね。やっぱり最後は国民なんでしょうか。長くなってすみません。何かここの所ずーっとそれが頭のすみっこにもやもやとあったものですから。

投稿: Hiroette | 2004年7月 8日 (木) 13時37分

Hiroetteさん
 エールをありがとうございます。
 多少なりとも誤解は解かないと自分の精神衛生上も悪いので(笑)。個人的にHPを設置したのもそういう理由です。

 さて、私の記憶が確かなら、情報開示はCDによる情報提供もできたと思います(役所風に言えば「電磁的記録による交付」)。
 とはいえ、年金データがスパコンのデータだとしたら、それを(普通の人が読める)tifファイル等に一枚一枚落とした上でCDやMOに焼き付けるよりは、コピーした方が速いということではないかと推察されます。

 ところで、
>官僚が条文を書いても政治家に取り上げてもらって審議されなければ、何も変わらないということですよね。

 これはその通りです。

 だから役所は政治家に頭を下げなければなりません。ふんぞり返った「族議員」が存在する理由はこれです。
 ちなみに「族議員」は実は野党にもいっぱいいます。マスコミが書かないだけなのです(><)

 役所が反論できないのは、考え方として100人を100人幸福にするのは大きな政策であるほど不可能で、最大多数の最大幸福でやるしかないという部分です。
 つまり、必ず批判の切り口があるわけです。

 ですから反論しても「では○人の不幸な人をどうするつもりだ!」と総攻撃に合うわけです。で、沈黙せざるを得ない。

 マスコミの悪影響は大きいと思います。

 わかりやすい例がエネルギーです。
 「原発ハンターイ」とよくマスコミに取り上げられます。
 では火力かというと「CO2排出するのは地球温暖化の関係上けしからん」となります。
 では水力?「ダムハンターイ」です。
 では太陽光などの新エネかというとコストが高くなりますから「電力料金引き上げなど消費者負担を強くするとは市民生活を知らない役所」となります。
 ならいったい何なら言い訳、ということになります。マスコミは選ばなくていいのです、しかし行政としては選ばざるを得ません。

 こういう構図です。

 このあたり、是々非々で本音で話せる方々が増えれば、上記のような「結局役所はすべて悪い」にならないのではないかと思っています。
 
 長くなって、また趣旨とずれて申し訳ございませんでした。

投稿: ハーデス | 2004年7月 9日 (金) 02時55分

ハーデスさん、

色々ご返答ありがとうございました。
私の中の疑問もだいぶ解けました。

教えていただいたことで記事を一つ書きましたので、ここにトラックバックしておきます(というか、このブログの持ち主はひできさんなのですが(笑))。

それから、「情報開示はCDによる情報提供もできたと思います(役所風に言えば「電磁的記録による交付」)」の部分についてですが、グーグルで探してみたのですが、それらしいのが見つけられませんでした。独立行政法人関係の文書は見つけられたのですが・・・。興味があるので何かもしご存知であれば教えていただけるとありがたいです。

投稿: Hiroette | 2004年7月 9日 (金) 14時45分

ハーデスさん、こんばんわ、

いや、失礼致しました。「経済からみた江戸時代」を発見しました。むちゃくちゃ興味深いです。いや、きっとこれから江戸時代は注目されますよ。日本がまた江戸時代みたになっていきそうな、感じがあります。いっそまた鎖国しちゃったり...は、ないでしょうけどね(笑)。

当ブログからリンクはらせていただいてもよろしいですか?いっそ、ちょっと感想を自分でまとめたいと感じております。

あと、選挙の読みにも、激しく同意させていただきます、哀しいですけど現実なんですよね、ほんとに...

投稿: ひでき | 2004年7月11日 (日) 00時07分

 ひできさんこんばんわ。

 安土桃山時代、江戸時代は「近世」と区分されますが、実は世界史(欧州)にはそういうカテゴリーは存在しません。
 中世的な王様の時代から一気に市民の時代へ移ります。
 しかし日本はその間に特殊な時代が入ります。
 その中で経済成長を遂げた日本というのは、地味ですが、非常に興味深い時代だと思っています。

 リンクにつきましては、あのようなへぼいものでよろしければ・・(汗

 選挙については・・民主党のターゲットに問題があると思います。前回も今回も結局左にウィングを広げただけなんですよね・・。
 小沢氏的には、今回ちょい負けで岡田氏の代わりに満を持して登板し、次の選挙で右にウィングを広げて政権交代を考えていたと思うのですが・・。

投稿: ハーデス | 2004年7月12日 (月) 01時31分

ハーデスさん、こんばんわ、

世界史に「近世」がないというのは、始めて自覚しました。世界史における、絶対王政というものの位置付けを再度考える必要があるとは、「大国の興亡」を読みながら感じています。精神の自由が謳われたルネサンス以降に、なぜ王権が強化したのかという事実です。

江戸時代がかなりユニークな時代であることは、最近ますます感じております。ユニークな部分をつきつめたいと感じます。

ハーデスさんの江戸時代に関する分析の中で、江戸幕府の「不如意」(財政赤字ということですよね?)と「鉱山の枯渇」を関連させていらっしゃるくだりがありました。経営的な立場から行くと、鉱業というのは、付加価値率が非常に高いといわれています。掘り出すのには、コストがかかりますが、鉱物の価値は掘り出した手間で測られるのではなくて、その希少性、有用性で測られるためだと理解しております。この付加価値の源泉が枯渇してしまうと、政府の力がうしなわれてしまうというのは、これはやはり日本は貿易をしなければ統治機構を維持する価値を生み出せないということなのか、「閉じた系」ではやはり安定しないのか、とか考えております。しばらく前にあるSFを読みながら、「閉じた系」では悲劇的な結末しかないのかと思考実験しておりました。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/02/post_5.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/02/post_5.html

ハーデスさんの選挙の分析に、かなり賛成いたします。今回、民主等において、かなり無党派層を取り込んで、結果からいえば個々の投票をたしあげると過半数を超えるほどの得票数をえながら、議席数ではまとまらなかったのはやはり区割りの問題なのか、やはり党内でいろいろな勢力がひしめいているのかしら、とかつらつらと考えてしまいます。いっそ、全国の得票数データと議席の割り当てを分析しなおして、最適解でもだしてやろうかとも思いましたが、自分の能力を超えそうなのでやめました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040712-00000025-san-pol">http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040712-00000025-san-pol

しかし、民主党は今回のような選挙をやってしまうと、右に翼を広げられるのか、疑問に思っております。

投稿: ひでき | 2004年7月12日 (月) 18時56分

 こんばんわ。
 話がそれてしまって申し訳ありませんが・・。

 江戸時代では、鉱山が枯渇してから実に150年も徳川幕府は維持されています。
 それも計量貨幣という世界で最初の方法を使って・・。
 そういった意味で、江戸時代というのは経済を理解する人々が社会を支配した希有な時代であると考えております。
 
 ですから閉じた系でも安定はすると思います。

 ちょっとわかりにくくてすみません。

投稿: ハーデス | 2004年7月15日 (木) 01時32分

ハーデスさん、こんにちわ、

ありがとうございます。「<経済からみた江戸時代>」を読了させていただきましたので、よぉくおっしゃることがわかります(笑)。

http://www.ops.dti.ne.jp/~makinoh2/edo/menu.html

とても江戸の経済史がよくわかりました。「国生み」的視点から考えるといくつかのポイントを感じました。

・藩体制により分散し、統治する方針をとった。
・農業経済(米本主義?)と貨幣経済(資本主義)のせめぎあいが統治に影響した。
・江戸期の徴税機構の変遷と、幕府の収入、民の安寧は深い関係があった。
・鎖国という閉じた系をとることは、経済的に幕府統治を支えた。
・幕府の信用力(フクヤマ的には統治の正統性か?)が、経済にも統治にも大きな影響を及ぼした。

いやいや、これはちゃんと記事として起すべきですね。ほんとうにかめばかむほどおいしい時代かもしれません。

本当に、一歩間違えば日本がまた「閉じた系」として生きていかざるを得ない状況がまっているような予感もちょっとあります。

余談ですが、この前「キリンヤガ」の記事へのリンクをはりましたが、翌日に自宅のキッチンに「キリンヤガ」が置いてありました。もしかして、うちの家族のだれかがこのブログを読んでいるのではないか、と...やばいなぁ。

投稿: ひでき | 2004年7月16日 (金) 12時17分

キルゴアさんのところから飛んできました。
このエントリにある本のリストを見ていた時に、おすすめしたい本が急に思い浮かんだので、お知らせします。
「敗北を抱きしめて」上下 ジョン・ダワー著 岩波書店
岩波が出しているからといって左翼な本ではゼンゼンありません。
戦争直後の日本人の姿が生き生きと浮かび上がって来ます。膨大な資料を調べ上げた末に書かれた優れたノンフィクションです。こういうものをアメリカ人に書かれてしまう、というのが、残念です。いかに戦後の日本の姿がアメリカの都合によって形作られたかが分かりますが、日本人の活力もひしひしと伝わってきます。私の大好きな本の一つです。

投稿: ゆびとま | 2004年9月 1日 (水) 01時03分

ゆびとまさん、こんばんわ、

ありがとうございます。さっそく、アマゾンで注文しました。届くのが楽しみです。

>岩波が出しているからといって左翼な本ではゼンゼンありません。

思わず笑ってしまいました。

なんというか、なぜ日本がこのように気概のない国になってしまったのか、不思議でなりません。少々不謹慎ですが、こんな記事も書いています。これももしかすると語っているのは未来の話しでなく、今の日本のことなのかもしれないと感じております。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/08/apple_seed_2nd_.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/08/apple_seed_2nd_.html

投稿: ひでき | 2004年9月 1日 (水) 21時56分

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