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2004年7月 7日 (水)

[書評]フランシス・フクヤマ的国生み ~ State Building ~

■きっかけはぁ?

State Building by Francis Fukuyama

ハーデスさんからも、貴重なコメントをいただき、「擬藤岡屋日記」のflamandさんからも「Japanese bureaucracy」という記事のトラックバックをいただき、これはアップするしかないと少々まとまらないまま以下の書評をアップする。

フランシス・フクヤマは「歴史の終わりと最後の人間」の作者だ。まだ発刊されたばかりの本書において、このフクヤマは現代の国対国の問題の多くが国家の弱さから生まれているという問題意識から、いかにすればよい「国づくり」ができるかという考察を行っている。フクヤマの意識の中では、9.11は文化的な背景の対立以上に、きちんと統治されていない、「国づくり」が十分でない地域と米国との対立という象徴的な事件であった。ドイツ、日本の戦後の占領から復興、あるいはソビエト連邦解体、そしてアフガニスタン、イラクへと、国づくりの意味は広い。イラクの暫定統治機構から、暫定政府への統治委譲に象徴されるように、現代において実は一般的な枠組みとして議論されるべき話題である。

私は、これまでグローバリズムや、自由化の信奉者だった。市場の力に統制をとるために必要なすべては、内在されているように感じていた。ところが、べき乗則について、いくつかの記事を書いていて、どうもレッセ・フェールというか、自由化だけでは、ものごとはうまく流れていかないことに気づかされた。集中化を意味するべき乗則で記述される現象があまりにも多いというは、道路であれ、インターネットであれ、商流であれ、多分人間関係ですら、ネットワークに組み込まれれば組み込まれるほどべき乗の山が高くなっていく(つまりは集中化が進む)ということを意味する。やはり社会がきちんと運営されていくためには、政府、政治の力というものはどうしても必要なのだ。これは、flamandさんのご指摘のとおりだと感じる。

[書評] べき乗則、ウェブログ、そして、不公平さ (HPO)

こうした現象を見ていると、それこそ藩幕体制ではないが、強制的に藩と藩との間の人口流動をとどめたくなる気持ちが理解できるようになってきた。現代流にいえば、道州制を実現して州と州との間の垣根を高くするということだろうか?そうでもしないと中央への集中化という側面ひとつとっても解決できないだろう。


■社会制度、政府、そして国家性の必要性

本書の中で、フクヤマはフリードマンを引用している。私は経済学はほんとうに暗いが、フリードマンはシカゴ学派といわれる一派の中核で、ノーベル経済学賞受賞者であると理解している。かなり過激な自由化論者として有名だ。フクヤマによると、このフリードマンが「自由化、自由化、自由化」と自由化一辺倒であったのは間違っていたと発言したという。「法の秩序というものは、恐らく(国有企業の)民営化よりも(先に立つべき)基本的な問題であることがわかった。」(本書から引用、ひでき訳)つまりは、民営化が可能なのも先進国のような法の秩序が確立されているからうまくいのだ、ということだ。イラクの例を映像として見て見ても、案外我々が常識だと思っていることが、通じない地域というのは多い。

シカゴ学派 by 山形浩生さん訳

そういえば、イラク暫定統治機構が主権を持っていた頃、CPAのホームページにイラクへのビジネス進出を呼びかけるページがあったが、悪い冗談にしかとれなかった。

本書の指摘の中で興味深いのは、一人当りGDPとGDPに占める税収額の国別の割合に正の相関があるということだ。くやしいけれども、これは一人当りのGDPを国民の豊かさと捉えるなら、豊かな国になればなるほど大きな政府になっていくということだ。本書においてフクヤマはあまり詳しくこの現象について触れていないが、きっとかなり知られた現象なのだろうとは想像する。ちなみに、本題からははずれるが年金問題も日本独自のものではないことがわかった。先進国にはかなり共通する悩みが存在するようだ。

A Primer on the Social Security Crisis by Dr. Alexander Tabarrok

フクヤマは、社会制度、政府組織のマネジメントの重要さを強く本書の中でうたっている。戦後行われた米国の統治政策において、日本とドイツで戦後の占領と復興がうまくいったのは、それぞれの国に力をもった統治機構、社会制度のベースがあったからだと分析している。事実、米国の占領政策はこの2国以外で成功している例はない。

手間の掛からなかった日本占領 by miyakodaさん

フクヤマは、本書の随所で「国家性」(stateness)という言葉を、政府組織、社会制度の強さを表す言葉として使っている。この「国家性」と第二次世界大戦後の国別の経済成長には相関がある。フクヤマの指摘によれば、日本やドイツの戦後の復興、南アメリカ、アフリカ諸国、東南アジアなどの国における「国づくり」には、しっかりした政府組織があるかどうかが、運命のわかれみちであったということだ。

ただし、大前提として強い国家性を生むためには「内的需要」が必要だと書いている。つまりは、国家性は、外からの改革だけでは決して形成されない。その国に住む人々、その国のエリート層まで巻き込んだ広く熱い改革、国生みへの要求がなければうまくいかないのだという。なにか、耳が痛いものがあるのは、私だけではないだろう。

■公的組織づくり

フクヤマは、「国づくり」のための重要な要素として、以下の4つをあげている。

・組織デザインと組織マネジメント
・政治制度デザイン
・政治的正統性の基礎
・文化的、構造的な要因

この4つの要素それぞれに分析を加えているのだが、こうした要素の知識の移転をいかにすればよいのか、というのが後半の議論のメインテーマとなる。一見して分かるように、特に「組織デザインと組織マネジメント」と「政治制度デザイン」とが、どの国にも転移可能なので、詳細に分析が行われている。

このまま書いていると、本書を訳してしまうことになるので、多少脱線を加えながら「組織デザイン」の核をなす公的組織(public sector)について的をしぼって考えてみたい。

フクヤマを引くまでもなく、すでに「国家性」の確立した国家においては私的組織(private sector)の方が、構成員に動機付けの報奨がたかく、組織の目的にあいまいさが少ない。現代資本主義社会における私的組織の代表格である株式会社において、給与を通じ、株式を通じ、あるいは広く社会に認められた組織内での地位の獲得を通じ、構成員については上は社長、CEOから、管理職層、そして新入社員にいたるまで、自分が組織の構成員であるプライドを持ち、組織全体の利益を高めることにより受け取ることに対する報奨は大きい。

しかるに、公的組織においては、ハーデスさんがいつもなげかれるようにその構成員のご苦労が報われることは極めて少ない。組織全体の目的の設定がきわめてあいまいにならざるを得ない。こうした環境を思うと、(いつも故人を例にだしてもうしわけないが)年金積立金を厚生労働省の構成員の職場確保と同列にしてしまう精神的な構えが生まれることが理解できる。

4991枚との格闘・序章  by くりおねさん

フクヤマによると、こうした公的組織の成員が仲間を一番にするという考えはこれまた世界的にみられるものなのだという。こうした風潮の中で、公的組織を活性化させるためには、道州制などを導入し公的組織間で「競わせる」こともひとつの方策だ。あるいは、NGOのように政府機関などを看視する仕組みを作ることも一方だ。しかし、いずれも究極の解決策というは、見つかっていないのが現状だ、とフクヤマも語っている。

こうした中で、官僚組織でありながら構成員が命をなげうっても任務を完遂することがあたりまえの組織がある。そこでは、構成員は明確な任務遂行にむけて恒常的に訓練されている。その組織とは、軍隊のことだ。「一隊ありて一人なし」というのだろうか、小隊組織のように顔のみえる、仲間意識のつよい組織が軍隊においてとても重要だ。これは半ば非公式な人間的なつながりを含み、お互いがお互いのために犠牲になる、そこに命を懸けるという精神を組織的に訓練し、植え付けてしまう。今の日本だと、こう書くだけで拒絶反応が出そうだが、世界各国の軍隊で日常的に行われていることだ。

ここで、私が連想してしまうのは、江戸時代の幕藩体制だ。江戸時代の官僚である武士階級は、平和な時代にあっても戦士であることを忘れなかった。軍事的な訓練を行い、朱子学などにより「公」という精神を常に涵養していた。戦闘が全くなくなり、藩に関する官僚の仕事のみになっていても、つねに常住坐臥が戦場という生活を文化にまだ高めた。

いかに戦士でありつづけたかを示すエピソードに、薩摩藩に対する幕府の嫌がらせの中で、薩摩藩とはなんのかかわりもない川の堤を建設する仕事を請け負わされ、大赤字をつくり故郷に向かって切腹した武士達の例をあげよう。

「宝暦治水(ほうれきちすい)」ってなーに? @ 長島町

いまさら、「では現代の官僚は...」とかもういうつもりもうない。また、「だから昔の人はえらかった。昔へ戻ろう。」というつもりもない。それでも、現在の先進諸国(まだ、日本が先進諸国の一翼をになっているとすればだが...)における公的組織の問題を論じるときに、文化的な背景、人々の官僚への認知の問題、あるいは、官僚自身がなにに価値を見出すか、という問題をさけてとおれないのだと本書を読んで気がついた。

私は、社会が発展し、極端な貧困の状況を抜け出してしまったあとでは、つまり日々の生存が保証されれば、社会の中で一般的な損、一般的な得というものはないと信じている。誰にとってもあてはまる勝ち、だれにとってもあてはまる負けというのはない。あるのは、個々人が個々人の信条に応じた、立場に応じた損か得かだけだ。ここを勘違いしてしまって、とにかく成功する、とにかく失敗しない生活のみを送っているということは、生身の自分から目を離していることになるのではないだろうか。

中途半端ではあるが、本書の内容から大分離れてしまったので、この辺で一旦筆を置く。

■追記

あ、やっぱり、時期が時期だけに、選挙からみへのリンクをひとつくらいはおいておかねば...

世界は変えられる (HPO)

■追記 平成16年7月8日

タイトルを国生みとしたことの理由を書いておきたい。

本書、"State Building"は本来「国家構築」あるいはせいぜい「国づくり」と訳されるであろう。他でも使われている"nation building"としなかったのは、「人」という要素よりも「国家性」のようなシステムまチックなものに注目したフクヤマの思いなのだろうか?

しかし、私にとってどうしても「国」というものは「ある」ものである、あるいは「産む」、「生まれる」ものだ、という感覚がぬぐえない。先日書いたように、古事記のイザナギ、イザナミのくだりを「国生み」と名づけたニコルさんのセンスには脱帽するのだが、ひながかえるときに卵を親鳥がそっとわってやるような、十月十日の後に子どもが生まれるというような、感覚が「国」が成るときには必要だと感じてしまうのは、やはり自分が日本人だからだろうか?我々は、国がすでにそこにあるといことすら捨てて考えなければならないのだろうか?

自問する。

■参照リンク
官僚についてふと思ったこと  by Hiroetteさん (今日はおつかれさまでした。ありがとうございました。
ふじすえブログ by ふじすえ健三さん
グローバリズムは“帝国”か?(その1) by standpoint1989さん
金で買える平和 by やまぐちひろしさん

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コメント

TBありがとうございます。

学生生活を終えてから、現地法人にはoperationは任せても、governanceは絶対に手放さない米国資本の企業だけで職を得てきたワタシの場合も、グローバリズム・自由化の信奉者でした。(というか、そうならざるを得ない環境で職業人生を過ごしてきました)

一見合理的でフェアな米国流の企業統治のネガティヴで厭らしい”裏面”もかなり見たり体験したりしました。とはいうものの、個人的にはAmerican STD.に逆らったプレイを出来なかったのも厳然とした事実ですが・・・。

このグローバリズム・自由化の指向にガッツンと一撃を食らったのが、数年前にTV東京で放映された「日高レポート」での元ドイツ首相ヘルムート・シュミットのインタヴュでした。曰く「世界中から借金をしまくり、ごく普通の人間(恐らく二極化後の”貧困層”?)がまともに働いた収入で家族を養いきれない米国社会は異常だ」「米国人の上昇志向は、一旗揚げようというDNAをもった移民の子孫達なので、仕方がないことである」「ドイツ、あるいはヨーロッパが米国流のやり方をフォローする必然性は全くない」といった彼の発言は個人的にはかなり衝撃でした。(気づくのが遅いと言われれば、それまでですが)

シュミットは第2次大戦後の近隣外交においても、同じ敗戦国のドイツと日本は対称的な道を歩んだことにも触れていました。その評価は別にしても、現在のドイツとフランスはどちらかがとんでもない方向にでもブレない限り、政権がどう変わろうと不即不離の関係は崩れないところまで行っています。(最近のEUの会議で、議会出席で忙しいシュレダーの代わりにシラクが彼のメッセージを伝えたことがあります)

それに引き替え、普通の商取引で日本の企業が取引先の中国の企業に納期のクレームを出すと、終いには「南京虐殺」の問題を持ち出してくるといった、ビジネス上では全く関係のないナンセンスなやり取りが行われたということを聞いています。ここいらへんが現在の日本人の“嫌中国”の原因の一つでしょうね。この場に遭遇した人間とってはいい災難ですが、相手方の非常識を非難する前に、自ら胸に手を当てて我々の過去の振る舞いを顧みる必要もあるとは思います。

話は跳びますが、

>フクヤマは、「国づくり」のための重要な要素として、以下の4つをあげ
>ている。
>
>・組織デザインと組織マネジメント
>・政治制度デザイン
>・政治的正統性の基礎
>・文化的、構造的な要因

創成期の徳川幕府はこれを全て備えていましたね。(正統性に関してはちょっとズルしてますが)
流石に制度疲労で崩壊しましたが、この基本的な体制が二百数十年以上続いたことは世界史でも驚異的なことです。色々問題を抱えているサウジ王家の最大の問題点はイスラム社会ではこの「正統性」だと見ています。

更に話は我田引水になりますが、ドラッカーは「明日を支配するもの」で日本の現状に対する具体的な処方箋は示してはいませんが、日本の解決が他国のモデルになると述べており、そのキーとなるものが「社会の絆」だと断言しています。

取りあえず、この「明日を支配するもの」をじっくりと再読してみたいと思います。

投稿: Flamand | 2004年7月 7日 (水) 22時55分

Flamandさん、おはようございます、

ヨーロッパの感覚、なんとなくわかる気がします。私も多少米国で生活させていただいたことがあります。あの米国人の足を切ろうと、根本的な思い違いをしていようと、自己をポジティブに動かしつづける力はたいした物です。

いま、「大国の興亡」を読み直しているのですが、ドイツとフランスが恒久的に同盟関係を築けるというのは、近代500年始まって以来あるいは、カエサルがローマ帝国の境を決めて以来の快挙かもしれませんね。

>創成期の徳川幕府はこれを全て備えていましたね。(正統性に関してはちょっとズルしてますが)

ここがとても私にとって重要になってきているように感じます。一方で、現代から太平洋戦争、そして明治へさかのぼっていく時間感覚があり、「歴史のはじまり」から古代、戦国へとつながっていく、言葉やテクノロジーといった原理原則を求めるこころの動きがあります。この2つの時間感覚がちょうど出会い、これからの日本のあり方を考えるベースをあたえてくれそうな気がするのが、実は江戸時代だと、コメントをいただきはじめて気づきました。

成長のない時代の政治制度や、官吏の職業感覚だけでなく、文化としてまで高められた茶の湯や、俳句までふくめて江戸時代をとらえてみたいです。

投稿: ひでき | 2004年7月 8日 (木) 07時05分

総務省によって、ベキ乗法則とは逆をいく政策がネットワーク分野で検討されている様子です。おもしろいです。

投稿: miyakoda | 2004年7月 8日 (木) 09時27分

miyakodaさん、こんにちわ、

あっかんべぇさんの記事と読売の記事を読みました。インターネット本来の機能であるはずの「核攻撃があっても通信を止めない」状態を作り出すためには、有効だと思われます。また、東京一極集中を是正するためには、強制的に分散させてしまうというのは有効かと感じます。

しかし、どうでしょうか?交通網、人口の密集、生活インフラの限界など、東京の一極集中が物理的な面からある程度前に限界を向かえているのかもしれないとは思いますが、通信ではまだ限界に達してはいないのでは?どなたか通信関係にお詳しいかたがいればぜひ教えていただきたいですが...

ハブ&スポークスというのは物流の業界でも効率があがることが証明されているようですから、なかなか分散されないのでは?まして、IPに地方タグをつけるって逆に効率がおちませんか?

投稿: ひでき | 2004年7月 8日 (木) 12時36分

総務省は、IPv6と同時に、上記のような計画を検討していることは間違いないと思われます。IPv6への移行時点でアドレスの付けなおしをするわけで。

総務省が背景で進めている政策をいろいろ調べていますが、これ、かなり本気だと思います。非常に熱く、ほとばしる意志を感じないではいられません。

eJapanプロジェクトは、ADSLの料金を安くして日本中にファイバーやADSLを張りめぐらし、安くネットを使えるようにするなどの政策目標を確実に達成してきており、成功体験をしっかり持っている人たちが政策立案に動いているように、私には見えます。

ちっと困難すぎ、という気持ちと、ひょっとすると、やり遂げるんじゃないか、という気が交錯。

投稿: miyakoda | 2004年7月 8日 (木) 16時17分

ひできさん

 実は私は専攻が江戸時代なのでちょっとだけ。

 江戸時代の政治がうまくいったものとして、やはり有能なものが支配者層にいたというのが大きいと思います。

 そして「官僚制」でいえば、江戸時代は有能であれば例外がいくつもありました。例えば荻原重秀、例えば田沼意次。

 ともあれ、とても楽しい時代なので、是非是非。「かめばかむほど」の時代です、

※江戸時代は実は経済的には非常に成長した時代です。 

投稿: ハーデス | 2004年7月 9日 (金) 03時06分

ハーデスさん、おはようございます、

ほんとうですか? > 専攻が江戸時代

実は私は日本史を勉強したことがほとんどないので、ぜひいろいろおしえてやってください!これ嫁とか、あれ読めとか、実は...

ちなみに、昨日「その時歴史は...」という番組の松平さんのご講演を途中まででしたが、聞かせていただきました。非常に興味深かったです。

投稿: ひでき | 2004年7月 9日 (金) 07時31分

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