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2004年8月 1日 (日)

「雨ニモマケズ」を4つに分ける

不謹慎な話から始める。自宅のおトイレの壁に、「雨ニモマケズ」が長いことはってあった。しらばく、それを見ているうちにこれは全体が4つにわかれ、それぞれがまた4つにわかれるような感じがあった。

先日、極東ブログのfinlaventさんが「菩薩行」との関連を指摘されていた。そして、宮沢賢治の手帳に書いてあったこの詩の通常の表示では「サウイフモノニワタシハナリタイ」で終わりになっているのだが、この手帳の次のページに法華経とおぼしき経典の抜書きがあったことを詩碑へのリンクを通して教えてくださった。

・手帳の写真:

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詩碑 

 

  南無無邊行菩薩
  南無上行菩薩
 南無多寶如來
南無妙法蓮華経
 南無釋迦牟尼佛
  南無浄行菩薩
   南無安立行菩薩

この「南無妙法蓮華経」とある前後の名前を調べたところ、法華経の中の「従地涌出品第十五」に出てくる四大菩薩の名前だとわかった。

従地涌出品第十五 by kuukiさん

また、無量百千萬億の地涌の菩薩が國土虚空に満しているのが見えた。この中には四人の導師(四大菩薩)がおり、名を上行無邊行淨行安立行と言い、上首唱導の師であった。が釈尊に挨拶をする。

「雨ニモマケズ」とその次のページがもし対応するとすると、以下のようになるように感じる。ただし、四大菩薩が示す菩薩行と詩の内容は必ずしも一致しないし、「第十五品」の順番とも違うように思われる。

・南無無邊行菩薩
     雨ニモマケズ
     風ニモマケズ
     雪ニモ
     夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ

・南無上行菩薩
     慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラツテヰル
     一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
     アラユルコトヲジブンヲカンジヨウニ入レズニ
     ヨクミキキシワカリソシテワスレズ

・南無多寶如來 南無妙法蓮華経 南無釋迦牟尼佛
     野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

・南無浄行菩薩
     東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ
     西ニツカレタ母アレバ行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
     南ニ死ニサウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
     北ニケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ

・南無安立行菩薩
     ヒデリノトキハナミダヲナガシ
     サムサノナツハオロオロアルキ
     ミンナニデクノボウトヨバレ
     ホメラレモセズクニモサレズ

・帰命
     サウイフモノニワタシハナリタイ

四大菩薩の名前と対応しないように思われる部分が二つ有る。「野原ノ...」という部分と「サウイフモノニワタシハナリタイ」という部分だ。「野原ノ...」の部分は、位置的に「妙法蓮華経」とともにかかれている、多寶如來と釋迦牟尼佛に対応するように思われる。これは、法華経の中の「見宝塔品第十一」で多寶如來と釋迦牟尼佛が塔の中で座るいう「二佛同坐」を意味するように感じられる。そう、まさにここに詩の作者は「ヰ」たいのだということを意味するようだ。

見宝塔品第十一 by kuukiさん

では、もう一行は何を意味するのか?finalventさんは、もうひとつ「帰命」という言葉を教えてくださった。「南無」という言葉は、「身も心も挙げて仏に帰依する」という意味のサンスクリット語の音訳で、意味を訳したのが「帰命」ということなのだという一文をネットで見つけた。

正信偈・断片 by 釈尼慶喜さん

「南無」が「帰命」であるなら、まさに「サウイフモノニワタシハナリタイ」という行は、ただ「雨ニモマケズ」といった人間になりたいということではなく、仏に成るという誓いである「帰命」なのだ。この行の重要さを見つめたい。

この他、「従地涌出品第十五」の持つ法華経の中での位置の意味やら、宮沢賢治が好きだったという「譬諭品第三」と手帳にあった「11.3」の関連など、論じべき点はいくらでもあるようだが、学者でもない、宮沢賢治も大して知らない私がこれ以上書くことはやめておく。ただ、ちなみにこうした言葉を死の予感を持ちながら書いた宮沢賢治の死は、決して「惨めな失敗」などではなかったと強く感じた。

この記事をブログで書くかどうかかなり悩んだが、宮沢賢治が37才で亡くなったと知って、37才をなんとか生き延びた私が、いま書いておくべきだと感じて書いた。

余談だが、私はよくブログの記事を書く前に内容を人に口で話してみて自分の頭の整理をしながら話のポイントを探るということをする。今回は、車の中で以上の話を妻にしてみた。10分間ほどかけて大汗を書きながら大意を説明すると妻はこういった。

「そんなこと読んだらわかるじゃない?なにをごちゃごちゃ話ているのかと思った。大体、ひできさんはこの詩を暗誦するほど読んだの?」
「あ、いや、まだ完全には覚えてないけど...」
「暗誦してみれば、この詩が仏さまになるくらいの誓いを死の床でしたってわかるわよ。ほら、子どもだっていえるわ。」

と言って、後ろの席に座っていた上の子ども二人に暗誦させてみせた。「参りました」という感じだった。

■追記 平成16年8月4日

本文でリンクさせていただいた「宮澤賢治の詩の世界」というサイトを作っていらっしゃる浜垣さんにリンクのご承認をいただくメールをうったところ、非常に重要なお話しをいただいた。ご許可をいただいてので、一部抜粋して掲載させていただく。
(以下、線内は引用)


        南無無邊行菩薩
       南無上行菩薩
      南無多寶如來
     南無妙法蓮華経
      南無釋迦牟尼佛
       南無浄行菩薩
        南無安立行菩薩

の部分は、日蓮が佐渡で書き、その後すべての日蓮系教団が「御本尊」と位置づけている「十界曼荼羅」の、最上段の部分を抜粋したもので、略式の十界曼荼羅とも言われます。十界曼荼羅の全体のテキストは、たとえば下記のサイトにあります。http://www.hct.zaq.ne.jp/renjouji/honzon.html

  「雨ニモマケズ」は、現在は「サウイフモノニワタシハナリタイ」で終わるものとして一般に理解されていますが、手帳に記されていた様子からわかるように、上記の略式十界曼荼羅までが一まとまりのテキストなのだとする説も、昔からあります。


少し驚いたことに、浜垣さんが教えてくださったサイトの中で「にちかめ」さんが宮沢賢治とその作品と法華経信仰の関連について述べられ、「野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ」をそのまとめの言葉して使っておられた。

http://www.hct.zaq.ne.jp/renjouji/yasuragi.html

もし、私がこの記事において宮沢賢治の信仰の一旦に触れられたのだとしたら、ほんとうにうれしい。

 

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コメント

 「にほんごであそぼ」(NHK)というすばらしい番組でこれの暗唱を子役のちっちゃい子が平気でやっていて、「お父さんも!」と子供に言われました。
 だめ父の私は
「アメニモマケズカゼニモマケズ、サウイウモノニワタシハナリタイ」
で笑いを取るしかできませんでした(涙)

 でも良い詩ですよね・・。
 私が目指すのもこういう「人間」です。

投稿: ハーデス | 2004年8月 2日 (月) 01時28分

>私が目指すのもこういう「人間」です。

ああ、ハーデスさんってほんとにいい人だなあ、としみじみしてしまいました。

投稿: Hiroette | 2004年8月 2日 (月) 13時17分

ハーデスさん、Hiroetteさん、こんばんわ、

私ももしかしてこの詩をきりきざんでしまったかなと、少々心配はしています。このきり方とか、法華経との対応は正直検証された話しではありません。ただ、宮沢賢治の精神の土台には確実に法華経があったと今回確信しました。

いんやぁ、ぜんぜん、コメントいただいたことのお返しになっていないですね。困ったな。

あ、そうそう大事なことを忘れていました。「にほんごであそうぼう」ですが、この原案(?)って斎藤孝さんですよね?ゲーテとか、呼吸法とか、興味の対象がなんかすごく近い感じがしています。たしか、「声に出して読みたい日本語」では「風の又三郎」を編みいれていたような。ですが、いまのところどうしても踏み込んでいく気がしません。なんというか、いつかは対決しなければいけない相手だと思っています(笑)。

投稿: ひでき | 2004年8月 2日 (月) 21時46分

奥さん、すごい方なんですねぇ。
読んだだけで私も「参りました」という感じです。

ぜんぜん関係ない話ですが、「にほんごであそぼ」では、たしか以前「寿限無」をやってましたね。子供たちが暗唱していましたが、リズムが落語のものとちがっていました。なんか、楽しそうにやってるじゃないですか。あれって、いかにも「長いぞ」といった感じでめんどくさそうにやるから面白いのに。子供のころ「寿限無」の噺全体を丸暗記していた私としては、ちょっとがっかりした覚えがあります。

投稿: 山口 浩 | 2004年8月 5日 (木) 18時59分

山口さん、こんばんわ、

妻に関する発言は、夫婦の関係を保つためにこれ以上ふれないでおきます。でも、うちの妻はすごいと思います、はい。

私も、子ども達がジュゲムを暗記したのをみて、私も最初から最後まで落語調に語って見せました。「するってぇとなにかい、うちのじゅげむじゅげむ~...」これはこれで演じる側として楽しい体験でした。

あらためてジュゲムをやってみて、やはり演じる・パフォーマンスすることと、たんに暗記すること(recitation)は確実に違う事だと実感しました。

投稿: ひでき | 2004年8月 6日 (金) 00時13分

 「にほんごであそぼ」はフレーズの紹介もあってなかなか良いですよね。
 「よごれっちまった悲しみに」ってだれだったっけなぁ、と思っていたのがわかったり。

 そういえば、「祇園精舎の鐘の声・・」も暗唱してましたね。
 学生の頃、古典の授業で、「とにかく名文をかいつまんででも良いから覚えておくといずれわかってくる」ということで、いろいろなものを読まされたのを思い出し、そういえば味のある文章が多いなぁ、とこの年になってわかり始めてきたりします。

>Hiroetteさん
 今煩悩や欲の固まりのような俗人だから、ピュアな人にあこがれるのです(笑

投稿: ハーデス | 2004年8月 6日 (金) 00時43分

ハーデスさん、こんばんわ、

超遅レスお許しください。

言葉というのはとても大事ですよね。言葉を暗唱するというのは、とても大事なことだと思います。

いま実は「宮沢賢治殺人事件」という本を読んでいます。内容は...なんというか、賢治も結構俗人だった、聖人などではなかったという感じです。どちらかというと大正前後のオタッキーだったという...ちと自分にひきよせてみてしまいそうで恐いです。

投稿: ひでき | 2004年8月 7日 (土) 22時43分

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