« 2004年7月 | トップページ | 2004年9月 »

2004年8月31日 (火)

共通一次世代とBlogShares

Listed on BlogShares

madai01さんから、blogshareというサイトを教えていただいた。これは、ブログのサイトを企業に見立てて株式売買をしようというサイトらしい。ここで自分のHPOが「上場」されていると、maida01さんが教えてくれた。なんと「B$6,264.72」もの評価(valuation)の金額がついていた。ちなみに、自分が見た中日本のサイトの中でやはり価値(valuation)が高かったのが、木村剛さんの「週刊!木村剛」で、「B$61,467.69」もの評価(valuation)がついている。私のブログの評価(valuation)の10倍だ。

こうやって数字で比べられると止まらなくなるのが我々共通一次世代だ。がぜん火がついてしまった。どうもこの仕組みを見ると、「価値のあるサイトからリンクされているのが、価値のあるサイトだ」という例によってPageRankに近い考え方で価値づけされているらしい。自分のブログの「Top 100 Incoming Links」をみると、自分がもうひとつやっているサイトからのリンクがどうも評価の大きな源泉になっている。

ということは、いくつかの戦略が考えられる。

例えば、自分で別なサイトをたちあげ、相互にリンクさせる。これは、誰にも迷惑をかけずに実行できるが、自分自身が大きなポイントを持っているのでなければ大きなイントアップにはつながらないように感じる。もしかすると、複数サイトをもっていればひとつのサイトから別の自分のサイトへのリンクを張ることによりポイントの高い別サイトを作り、そこからまたリンクを張ることで自分の元のサイトのポイントをあげるというマッチポンプ戦略が考えられる。だが、たぶんPageRankのような行列を使って価値評価をしているのだとすれば、これはあまり効果がないはずだ。

やはり、王道をいくのはいくつもリンクをもっている人に頼んでリンクしてもらうという方法だろう。多分、自分のサイトがBlogShareに載せてもらったきっかけと思われる以前トラックバックを送ったjill/txtの論文にも書いてあったように、企業などのサイトでPageRankをあげるために、人気サイトのリンクが売り買いされているのだという。あるいはグーグルで任意に作った単語の検索で一位をとった方の戦略がそうであったように、これが一番手っ取り早いのかもしれない。自分で非常にPageRankのポイントの高いサイトなどもっていたら最高だろう。

[書評] リンクと力:ウェブ上でリンクすることの政治経済学 (HPO)

もうひとつすこしcheatな方法も考えたが、これは人に迷惑をかけかねないので、あえて書かない。

そうそう、それにこの記事を書いたら評価が高く、かつblogshareについて書いてあるサイトにトラックバックするというのも一つの方法かもしれない。ふふ、さっそくやってみよう!

それにしても、これは当分楽しめそう...Amazonの書評書きにはまって以来の「共通一次世代」的興奮を覚える。

■参照リンク

BlogShares by きゃーさん
BlogShares by dhさん すごい、2003年4月の記事!
BlogShares で自サイトの株価を調べる by purpleさん
Blogshares - Virtual Stock Market in Blogs by Nobuさん

■余談 平成16年9月1日

実は昨日のうちに作っておいたのだが、BlogSharesで高位にランキングされているBlogDriveで自分のブログを創ってみた。

HPO BlogDrive

当然、ここから自分のサイトへリンクをはってポイントを稼ぐのが目的。Purpleさんのコメントだと、どうもリンクをつけただけでは株価はあがらないかもしれないし、評価(valuation)にどこまで効果があるかわからない。それでも、「やってみる価値はある」("it's worth to try!") といった感じだろうか?

しかし、我ながらよくこんな下手な英文を書いておいて公開する気になると、自分の厚顔無恥ぶりにあきれる。「目的のためには手段はえらばない」というのも共通一次世代の特徴なのだろうか?(笑)

■報告1 平成16年9月5日

お陰様で評価(valuation)があがった。
   General
   URL http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/
   Valuation B$7,120.97

しかし、もうひとつのサイトの方が大幅に評価ダウン。ついでに、評価対策で開いたつもりの英語のブログの評価も値下がり中。なかなか難しい。もう少しトライをつづけたい。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2004年8月30日 (月)

「べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ」を超えて


いま、私の手元に28日の「べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ」にご参加いただいた方々のレジュメがある。正直レジュメを見ているだけで、あの楽しい知的刺激にみちた語らいを思い出してしまう。観点、論じ方によっては、かなりあやしげなテーマ設定であったのに多くの知性の方々が集まってくださり、意見を交換しあえたということ自体が非常にうれしい。ご参加いただいた方々とお話しをさせていただき、なぜこれだけキーワードを共有しているのかと、不思議な気持ちさえした。

以下、ご発表いただいた順に名前と簡単な感想を並べる。それぞれの方がブログ等で関連記事を聞いて下さったら、リンクを張らせていただくつもりだ。

  • べき乗則とネット信頼通貨」 by ひでき

    この企画いいだしっぺとして、自分がいまもっている疑問点を簡単に提示させていただいた。新しいことはなにもしゃべっていない。ただ、ごく直観的な危機意識なのだが、べき乗則を声高にいっているとイデオロギーとの接近の可能性があるように感じた。

     

  • 情報の分化/消費の分化」 by 渡辺聡さん

    C-NETに掲載されたご自身の記事を元にお話しいただいた。私がここで百万言を費やすよりも、実際の記事をお読みいただくほうがはるかにわかりやすいだろう。「プチ・マーサ・スチュワート」という言葉が印象的だった。渡辺さんのパワーを感じたのは、「夕べ」の後私が家に帰り着くよりも早く次に話された山口さんの内容をベースに記事にされていたのを発見したときだ(参照)。すばらしすぎる!

     

  • ゲーム社会における通貨」 by やまぐちひろしさん

    オンラインゲームの通貨とリアルの通貨、あるいはオンラインゲーム上の活動とリアルの活動の間のトレードオフの話など、とても勉強になった。eBayなどでオンラインゲームのアイテムがリアルの貨幣で取引されるというのも興味深い。また、「楽しみベースの経済」という言葉をいただいた。ディスカッションの中で、miyakodaさんがお話しされたパチスロのマニア性ではないが、経済的な合理性を超えた経済活動といったものが存在しうるという。

     

  • 「Blog下克上」 by しばたさん

    miyakodaさんもとりあげていたRoss Mayfieldのソーシャルネットワーク、ポリティカルネットワークという考え方とべき乗則を重ね合わせて考えていらっしゃった。ディスカッションで面白かったのが、「経済学の立場:格差がどうあるか?なぜ格差がついてしまうのか?」(記述的)vs「経営学の立場:格差をどう作るか?」(動作的)という対立軸がちょっと見えたところだ。しばたさんはこれを論文にするとおっしゃっていただいたので、乞うご期待!


  • 貨幣の価値と相対性理論?」 by さかまたさん

    ネットの上での新しい通貨の可能性についてお話しされた。いろいろと話しているうちにDigital Rights Managementともつながって、本格的に新しい決済方法、新しいネット上の通貨のあり方へと議論がすすんでいった。でも、これはもしかするとさかまたさんとやまぐちさんがビジネス特許をとるかもしれないので、詳細は秘密(笑)。
  • ...と、記事をアップするまもなく、さかまたさんご自身による要約を発見

  • 「Japan In 2050」 by miyakodaさん

    当日、miyakodaさんがアロハ姿に手ぶらで演台に向かいポケットからいきなりUSBメモリーを取り出してノートPCにつっこんで、パワーポイントとプロジェクターを駆使してプレゼンを始めた姿がかっこよかった。だんだんこういうことがあたりまえになっていくんだろうな。

    それは、ともかく「日本が2050年になったとき、いまの子どもたちがどんな世界にいるか?そして、そこから逆算していまどういう教育を彼らにしたらよいのか?」という問題意識から出発して、具体的な街おこしの分析を行われた。ここでも、Ross Mayfieldの数の問題のからみが出てきた。

残念なことに、miyakodaさんの発表でタイムアップ。ようやくかけつけてくださったyujimさんの発表をいただく間もなく、OFF会の本番(?)へなだれ込んでいきました。飲み会の場でも、途中からHiroetteさんのなぐりこみもあり、大変楽しい会話があったがyujimさんがレジュメまで準備された内容を聞けなかったのが残念...

と、思ったら早くもyujimさんが、「Blogでの「べき乗則」ファッドに対するチャチャ入れその他」なる記事をご自身のブログにアップされていた。うーん、やっぱりyujimさんが最初からいたらまた違うのりがあったなぁ、と実感。

それにしても、こうやってまとめを作らせていただくだけでも改めて発見があった。実際、渡辺さんが随分前にMyafieldを俎上に載せて記事を書いていらしたこともわかったし、ついでにPicsyの方が書いた「進化経済学」の記事との連想もなんとなくあった。こうして文字に載せてみると、渡辺さんややまぐちさんがどれくらい深い視点でお話されていたかの一端が実感できた。とても自分の頭が整理されていくのを感じる。

実は「べき乗則」と「ネット信頼通貨」をいっしょに論じようとしたのは、私の直観だったのだが、これら2つの話しは究極根っこはいっしょかもしれなないと今感じている。つまりは、「ノードとノードのリンクは均質ではない。多くの別のノードからリンクされていればいるほど、そのノードからのリンクの重みがある。」というPageRankの評価の仕方は自然であるだけでなく、貨幣や社会の本来のあり方までも取り込んでいるのかもしれないという気がしてきた。いや、これはまた別の記事に書くべきことだ。

いずれにせよ、つたない「いいだしっぺ」の企画にこのように優れた方がお集まりくださって、議論してくださったということに本当に心から感謝したい。私のような一介の田舎者にこういう機会を与えてくれるブログというコミュニケーションツールのすばらしさをあらためて噛み締めている。

yujimさんがせっかく準備された非常に議論を呼びそうなプレゼンもまだだし、ご参加いただいたmaida01さんもひそかに「オタク市場を80/20の法則で考えると・・・(修正)」という記事をアップされている。これは、ぜひ次の機会を用意しなければならないと密かに決意した。

ご参加いただいたみなさん、ほんとうにありがとうございます。これにこりずにまた次もやりましょうね。

■「Power Lawオフ会」へのトラックバックにあたって 平成16年8月31日

さっそくしばたさんから記事にトラックバックをいただいた。しばたさんは、大分ネットエコシステムなどの有効性について心配しておられるようだが、それがあてはまるかどうかこそが論文を書くテーマとなりうるのだと思うのは不遜だろうか?とにかく首都圏の都市の人口から、単語の出現率まで、かなりの範囲でべき乗則がなりたつのは、どうもただしいことがかなり立証されている。それがいかにネット社会にあてはまり、将来の可能性として「political network」などへ発展しうる可能性を示せたとすれば素晴らしいことではないだろうか?
ちなみに、SW渡辺さんのブログを読むと、Mayfieldなどへの言及がある、としばたさんのために書いておこう。

■「 あーーーアウトプットしたい病」へのトラックバックにあたって 平成16年9月3日

Hiroetteさんからトラックバックをいただいたので、一言だけ。
いま、なぜブログを書くかといえばそこに手ごたえがあるからだと感じる。作用反作用というか、自分の行動にアクセスや、コメントや、トラックバックという形で、反応が返ってくるというのはとてもうれしい。純粋にうれしい。まして、「自分はマイナーな存在だ。周囲にはきっと理解されない。」と常々感じてきた私のような人間が、共通のキーワードを持っていて「わかる、わかる」とうなづいてくれる人がそこにいると思うだけで大感激してしまう。それが、リサイクル、リサイクルしながら「アウトプット」する自分の内なる原動力につながっているように感じる。
そうそう、それに私は文章を書くことに集中している時の自分が一番純粋な自分であるような気がする。どこかで書いたが、文章のうまいへたではなく自分の中の不定形な思いに形をあたえてやることは、ほんとうに楽しい作業なのだ。

■参照リンク
[書評] べき乗則、ウェブログ、そして、不公平さ (HPO)
[書評] 都市経済、 テクノロジー、 クラスタ、 そして、 べき乗則 (HPO)
エージェントスミス的なもの、草薙素子的なもの、あるいは、ネットは世界をつなげるのか? (HPO)
curated consumptionから連想するもの (HPO)

| | コメント (5) | トラックバック (2)

2004年8月25日 (水)

[書評]素晴らしい世界 what a wonderful world!

うう、泣きそうだ...

m_um_uさんが以前記事を書いていらした本書を手に入れてから席の後ろのロッカーに積んだままにして何週間たったのだろうか?

クソ忙しく(もないか...)残業していて、ふと手にとって読み始めた。

ここには、本当に世界があった。人の生き様があった。

  「お前ら二人とも、それぞれそれでいいのさ。」

  「キミって子供だね。大人は大人で必死なのよ。」

  「逃げてねーよ・・・、これでも前に進んでんだよ・・・。」

  「・・・サービスです。」

  「誰ひとり自分が世界から消えるなんて考えてもいないのよ。」

  「『ああなんて素晴らしい世界だ』嘘でもいいからそう思ってみれば、昨日よりちょっと楽しい気分。かも、ですわよ。」

人は寂しく生まれて、寂しく死んでいく。これは事実だ。みなただ生まれ来て、いまここに生き、そしてどこかで死ぬ。これを意味がないと見れば、意味がないまま生まれ、意味がないまま生き、そして意味がないまま死ぬ。

本当の自分なんていない。自分なんて人から与えられるものじゃない、きっと自分でつくりあげるものなのだ。青い鳥だって、探しにいったからいまここで見つかった。探しに行かなければ、自分で行動しなければ、青い鳥を自分の家で見つけることはできなかった。

苦しみながら、つまづきながら人はあるがままで生きていく。いまあるがままの自分をひきづりながら、自分をなだめすかしながら、ときには立ち止まり、おびえて一歩も歩けなくなり、それでも死ぬまで生きていく。ここにこそ、素晴らしい世界がある。

m_um_uさん、ありがとうございます。美しく、そして素晴らしい世界を見せていただきました。

・「素晴らしい世界 1」、「素晴らしい世界 2」 by 浅野いにお

| | コメント (2) | トラックバック (0)

[書評]信頼と安心の年金改革 ~ Mostly What I Need From You ~

信頼と安心の年金改革 by 高山憲之さん

■第一印象

私のように年金問題のプロでもない人間がいうことではないが、著者は相当この業界に長くいらっしゃる方なのだと感じた。どの辺に日本人が関心をもっているか、どう言えば読者に受けるかを相当考えぬいていらっしゃるように感じた。ただ、ちょっと問題をオーバーにもりあげすぎではないだろうか?

そんなこんなで、どうも枝葉末節ばかりが気になり全然全体がまとまらないのだが、読後いくつか気になったことを書いてみる。

■年金の受給権

・p.6 「年金の世界では保険料を拠出すると年金の受給権が発生する。」

ごく簡単に書いていらっしゃるが、前回の記事における「とおりすがり」さんとの議論を経て、今私が結構疑問に思っているのが日本にいる我々には「年金の受給権」なるものが存在するのかどうかだ。「受給権」があるということは、普通に考えれば保険料を払っている人たちに対して政府は将来年金を払うという約束をしたことになり、固い言葉でいえば、国民への債務をもっているということだ。

ほんとうに債務があるかとか考えていたら、たまたま古川元久議員のホームページに、内閣との質疑が掲載されているのを発見した。この中で特に明確に述べられているわけではないが、国民に対する「債務」を政府なり、担当官庁なりが負っているという感触はこの答弁からは感じられなかった。

【すぐわかる古川元久-政策】公的年金制度等に関する質問主意書&内閣からの答弁書(ワードファイル)

私達のように保険料を負担している被保険者たちが、国に対して受給権という債権(受給権)を持っているかどうかというのは、債務に対する法律の規定一つでどうとでもなりうる。なにせ法律を作るのも、運用するのも担当官庁によってなされている。受給権の定義すらわかっていないが、これはいかようにもなってしまう種類のものなのだろう。今回の改正案の強行採決の様子などをみていると、本当に何千万円と保険料をはらっていても、法律を変えられたら保険料が紙切れ同然になる。いや、いくら払ったかの記録すら普通の人はもっていないし、いくらもらえるかの予測もない、紙切れ以下だ。

なんとなくこの辺が、↑の答弁書で「賦課方式を基本とした方式」で「収支を均衡させる」年金なんて矛盾した表現につながっているような気がする。この答弁書の文書に自己陶酔を感じてしまうのは、私だけだろうか?被害妄想なのだろうか?いったいこの答弁を読んで、狐につままれた気がしない人がいるのだろうか?一体、これでどうやって厚生年金に加入することによって「老齢、障害の不安を解消し、安心して働くことが可能」になるのだろうか?

■年金債務は実在するか?

そういえば、法律的に年金財政が破綻した時、政府がその債務を負うと関連する法律に書いてあるのだろうか?根拠法を読んだことがないことに今更ながら気がついた。

厚生年金保険法 @ 法庫

第2条 厚生年金保険は、政府が、管掌する。」とあるから、さすがに年金財政は最終的には政府の責任だということになるだろうと類推する。Yahooの辞書によると「管掌自分の管轄の職務として責任をもって取り扱うこと。」とある。だが、もし年金が破綻したら日本政府に対する各金融機関の各付けは地に落ち、国債がまったく消化できないという状態に陥るのは目に見えている。まあ、そうなったとしてももっと言ってしまえば政府は国民の税金でまかなわれているわけだし、日本の国債も国内で消化されているようなので、政府がなにをやろうと最終的な責任を取る実体は私たち一人一人だということにはなるのだろう。

あまりに当たり前であるが、一応、受給権の規定も条文にちゃんとかいてある。

(受給権者)第42条 老齢厚生年金は、被保険者期間を有する者が、次の各号のいずれにも該当するに至つたときに、その者に支給する。

どうも、この条文の主語が政府なのか、厚生労働省なのか、社会保険庁であるか明確ではないが、年金というものは「支給」していただくものであって、どうもむりやりにでも請求できる債務といったものではなさそう。ただ、この法律に基づいて行動して支払いが滞ったら大変なことになるだろうが、積立金がこれだけある限り絶対にそんなことにはならい。ちなみに、多くの諸外国で年金支給の何年分にもあたる積立金をもっているところはない。異常値だ。

こう考えてみると、「受給権」という約束にもどづく年金支払いの約束というものは果たして著者がいっているように本当に「債務」といえるものなのだろうか?

■本当に600兆円なの?

百歩譲って政府が我々に「受給権」を認めていたとしても、年金財政が破綻してしまえばもうどうしようもない。著者は、現行の厚生年金だけで過去拠出分と将来拠出分の支払いを約束した債務としてあげている金額の600兆円が納得いかなかった。そこで、以前自分が作った人口&年金収支シュミレーションにDCF(現在価値)の考え方を取り込んで計算してみた。ああ、人から指摘される前に言い訳しておかべ人口のシュミレーションも、年金の収支もかなり仮定の多いあやういものである。どのような仮定を置いているかについてくわしくは「ひともすなる年金といふもの」という記事をご覧いただきたい。

エクセルファイル

高山教授の試算は「100年分、割引率4%、物価上昇率1.5%」だったが、私の試算は手抜きをして「60年分、割引率2.5%」とした。これは、「割引率4%-物価上昇率1.5%=2.5%」だろうという考え方からだ。これでも、現在価値で厚生年金だけで281兆円余りの給付の赤字が生じることになる。60年間で名目値の合計だと660兆円になる。私の試算には税金からの負担分が入っていないので、ちょっとずれが大きすぎる。

いずれによせよ、一応は今回の「改正」でこの赤字額は圧縮されたのは事実であろう。

■まだまだ続く...

本書の本当の価値は、海外の事例などをかなり公平に論じているところであろう。世界銀行のレポートがこの10数年あまりの世界の年金議論の発端となったことは知らなかった。著者は、「公的年金」についてのレポートだといっているが、このレポートのタイトルを正確にいえば、「Averting the Old Age Crisis」(老齢の危機を回避するためには」)だという。例によって答弁書にもあったが、生活保護や高齢者福祉などと本来年金は一体不可分のものとして議論すべきである。

ちょっと寄り道だが、「開発」を主要任務とする世界銀行が「老齢の危機」の問題を扱うのか違和感があったが、kohさんのブログを読んで少し腑に落ちた。

「開発」とは何か by kohさん

世界銀行のレポートは、もうちょっと恣意的に年金を経済開発に使おうという意思が見え隠れしているようだ。それにしても、kohさんの記事を読んで「開発とは社会変革なのだ」と私には納得できるものが得られた。そうなのだ、社会を開発するとは、社会を変えるということなのだ。世界銀行的な「開発」観からいえば、その国に住む人がなんとか安全に生活できるようになるのがまず社会改革の第一歩なのだろう。その後にいく開発の段階があるのか分からないが、そういう意味では上述の「答弁書」ではないが「働けなくなった老後の安心を自分で作り出す、相互に支えあう」という年金は実は究極の開発であり、究極の社会改革なのかもしれない。

本書において理論的な背景も、かなりマクロ経済に近いところまで説明されている。年金関連の本としてはただしい理解をされているように感じた。だが、どうもこの辺を日本の現状に適用しないところ著者の考え方との落差を感じる。実は、海外の事例を見ても、やはりそれぞれの国の事情があり、引きずるものがあり、なかなか究極の解決はないようにも思われる。ドイツの最近の不景気のひとつの原因は公的年金をめぐる混乱があるともいう。スウェーデンの年金改革がかなり評価が高かったようだが、本書にはあまり取り上げられていない米国式の年金が、日本にわりとあてはまりやすいように感じた。これはあくまで私見、直観にすぎない。

私がこの記事で触れきれなかったことについて、Hiroetteさんや珠丸さんの記事が大変本書についてよくまとめていただいていた。

【公的年金TF】信頼と安心の年金改革 by高山憲之 メモ書き by Hiroetteさん

国の高齢者就労促進対策(高山憲之教授「信頼と安心の年金改革」より その2  by 珠丸さん


ちなみに、この本を読んでいてなんとはなしに思いついたのは、臨時国会の間に民主党は年金改革の廃案を求めるのでなく運用、収支、徴税率などの情報を第三者機関の監査こみで公開させる法案を提出すべきだったのではなかったかと感じた。もし、この法案を与党が否決すれば与党は「よらしむべし、しらしむべからず」体質が色濃いことが明らかになり、かなりのダメージだし、通れば一得、かつ国民の年金信頼が増すと思うが、いかがか?

■参照リンク
[書評]信頼と安心の年金改革 (HPO)

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2004年8月22日 (日)

国会の裏の話 back street

赤坂見付から国会の裏をとおってふじすえさんの事務所にいった。

040821_1607001.jpg

新しい官邸って巨大!まだ工事中だった。

040821_1613001.jpg

確か衆議院の別館かな?

040821_1613002.jpg

衆議院議員会館と台に衆議院議員会館。

040821_1614001.jpg

いわずとしれた国会議事堂の裏。

040821_1732001.jpg

詳細は後ほど。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004年8月17日 (火)

Kさん

040817_2256001.jpg
もりあがってます。カラオケっす。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004年8月16日 (月)

curated consumptionから連想するもの

この前から、山口さんの"Curated ConsumptionまたはParotting"という記事を読ませていただいてコメントさせていただいた。(自分のコメントを引用するのもまぬけだが、これがないと始まらないので書く。

あとでゆぅっくりコメントさせていただきたいのですが、私は連歌師の復活かなとか思っています。案外これから元禄時代ではないですが、賢い消費者(smart consumer)というかセンスのよい消費みたいなものがもてはやされるのではないか、と。

ところが、なかなか続きをかけずに時間だけがたってしまった。一応、ここのところ自分の仕事がかなりいそがしく、ネットでやりとりする時間がとれなかったというのは大きい。また、相手が山口さんのような知性だと身構えてしまうからかもしれない?と、いうことでいいたいことへの思いばかりがつのってしまたので、記事にしてトラックバックさせていただくことにした。

Curated consumptionという言葉を山口さんからいただいた。この言葉を聞いて、コメントにもあるように私の妄想はかぎりなく江戸時代へ飛んでいった。「明るい!?国家公務員のページ」で展開されている経済史からわかるように非常に微妙な線で江戸期の経済は成立していた。初期から貿易の途を閉じてしまう政策をとり、虎の子の銀山は江戸中期までには枯渇してしまうはで、通常なら政府と市場経済を維持するだけの付加価値の生まれる源泉がない。こんな政府が250年余りも存続できたのは、私はひとつは人民からの信頼であったと思う。これには、諸々の反論もあろうが、政治経済的な分析はまたあらためる。(私の中でもまだ固まっていません、ハイ。)

経済からみた江戸時代 @ 明るい!?国家公務員のページ

私がいま焦点としたいのは、経済的にみて外形的というか、相対としての経済の流通量、いわばGDPが決まっている中での、爛熟した消費生活の形はどのようなものであったかである。右肩上がりにおける、消費というのは「消費は美徳」などの言葉であらわされるように、質としては画一的で、価値は量や大きさではかられるような類型的な消費が行われると思われる。

他方、たとえばイギリスがそうであったように右肩下がりにおける消費というものは、かなり保守的でつつましいものになる。しかし、一端頂点を極めた人々がおいそれと生活の楽しみを捨てる事は出来ない。私は、「生活の楽しみ」という場にひとつの文化のあり方の可能性が有ると思う。

江戸時代でいえば、連歌という非常に高度な遊びがあったことを松岡正剛さんが紹介している。連歌師といわれるコーディネーターまで存在したという。連歌というのは非常に高度な約束ごとがあって、その約束事の世界の中で何巻もの歌を読んでいくお遊びだ。でも、それが「かっこいい」と思えるのがひとつの文化的な背景なのだと思う。

・『連歌の世界』 @ 千夜千冊

物質的な消費が経済的な限界により限られているとすれば、別の次元での生活の楽しみ、人生の深みというものを人は求めるのではないだろうか?米国でも、80年代後半から90年代前半にかけて盛んにsmart consumerということがいわれていた。以前から存在していた雑誌だが"Comsumer Reports”などに代表されるような徹底的な比較を米国人は好んでいた。Lexusが売れたのもこの背景からだと理解している。つまりは、「ベンツに準ずる性能とサービスを、日本車の価格で」ということが経済の第一線で活躍するビジネスパーソンたちには、"smart"な消費であると映った。そして、それはそのビジネスパーソンの人となりを非常に鮮烈に表現する消費でもあった。

Consumer Reports Online

お金はかければいい、という高度成長時代的な消費から、その人の能力やセンスを表現する消費への転換であった。もはや、消費はひとつの自己表現なのだ。

しかるに日本においては、不況の時代が10年以上もつづいているのに、こうした文化の到来の影すらみえない。しかし、これから一種の諦念が日本人の間で定着し、あらたな形の生活の楽しみが再発見されるに違いない、いや、それしか楽しみがなくなると私は感じている。これから多分経済的には日本は決して成長しなくなるだろう。世界的なGDPのランキングでも坂をころげおちるようにさがっていくのだろう。政治的な状況も非常に迷走を重ねざるを得ないのだろう。高度成長時代的、量的、大きさ的、物質的、娑婆世界的な生活の楽しみはもはやのぞむらくもないのだ。

そして、そうした非物質的な生活の楽しみが高度化すると新たな文化を生むのだと思う。ブログや2chを含むネット上のさまざまな言説もひとつの文化となりうる種があると感じる。Japanimationに代表されるオタク文化も、世界的に広がる文化となりつつあるようだ。

そんな中で、いま、私がなんとかその足跡をたどりたいと思っているのが、茶の湯も、俳句も、当時なりに非常にオタッキーな人物がそのスタートにいたのだという仮説だ。この仮説を、松岡正剛氏のNHK講座を軸に分析していきたいと感じている。と、思いながらはてなグループまで作って、何人か参加してくださる方までつのってはや数ヶ月、まだ私個人としてキーワードを抽出したくらいでほとんどすすんでいない。反省!

・はてなグループ おもかげの国 うつろいの国

と、いうことで"curated consumer"というのは、もしかすると新たな文化の仕掛け人、あらたな文化の発起人が生じつつあると言うひとつの査証かもしれないという気がする。

また、ちょっと波を起こしたら、津波が襲ってきたとか、山口さんに言われてしまうかもしれないが、仮説だらけで勉強中の話題であるが、とにもかくにも現在私が一番関心を寄せている将来像に近い話を山口さんがしていらしたので、つい勢いにのって失礼かもしれない記事を書いてしまった。

と、ここまで書いて、渡辺聡さんの元記事を読んだら、ちゃんと「千夜千冊」に触れている!しかも、どうも松岡正剛さんと親しくて記念パーティーにまで参加されていたという。なぁんか、今度のtalking nightが楽しみになってきた♪

平成16年8月18日 「Curated Consumptionまたは、べき乗則」へのトラックバックにあたって...

いつのまにか気がつくと渡辺聡さんに私の昔の記事をとりあげていただいていた。こんな風になるのは、まだ当分先かなとか思っていたので、いやどっちにしろ名誉なことでうれしい。

段々、問題がしぼられてきているようにも思う。渡辺聡さんが記事の中で以下のように書いていらっしゃった。

 ・平準化はまず進行する
 ・が、適度なところで一旦止まる

この辺が、本記事のコメントで同じくC-NETの書き手でいらっしゃるyujimさんと意見交換をさせていただいている部分が関連してくるような予感がある。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2004年8月15日 (日)

[書評] 年金大改革 ~ a wild pension chase ~

[書評] 「年金大改革―「先送り」はもう許されない」 by 西沢和彦さん

■年金をめぐる冒険

くりおねさんの記事に刺激され、本書を読んだ。

たとえば、米国人にとって公的年金とはなにか?感覚的に一番身近なのは、ソーシャル・セキュリティー・ナンバー(social security number)が公的年金の登録番号であるということだろう。ああ、もっとも本書によると米国では「年金」でなく「社会保障税(social security taxes)」という税金なのだそうだ。ソーシャル・セキュリティー・ナンバーは、公に自分を表す基本番号になっている。米国に住むようになると、なにはともあれ誰でもとらなければならないのが、ソーシャル・セキュリティー・ナンバーだ。免許証から学生証、銀行口座、医療保険まで、個人を示すありとあらゆるところに使われる。米国に住む人にとって、とてもなじみの深いものだ。そう、ちなみに詳細は知らないが米国民であるなしにかかわらず、米国に住んでいればとらなければならないものらしい。社会保険事務所にいったときに、賃貸契約書の提出を求められて記憶がある。

Social Security Tax by IRS Frequently Asked Questions

翻って日本人に公的年金はなにかを問えば、「毎月給料から引かれたお金があとで返ってくるはずであろうお金」という程度の認識で、自分にどんなかかわりがあるのか、なんのためにあるのか、どんな役に立つのか、日常で関係があるのか、皆目感覚的に自分から離れてしまっているものだろう。年金手帳に番号なんかあったっけ?という感覚だ。

本当に公的年金はなんのために払うのか?公的年金制度はそもそもなんのためにあるのか?

この答えを本書、「年金大改革」を読みながら探していきたい。

■雇用コストからみた公的年金

本書を読んでいてなるほどと思ったのは、年金負担を雇用コストとしてとらえていることだ。

P.38 (正社員として雇用できないのは)高まる雇用コストや 新規正規雇用を抑制している側面も否定できない。

P.48(厚生年金制度は)むしろ常用雇用に抑制的なメカニズムとなっている。

あなたが給与所得者であるなら、一度や二度は自分の給与明細を詳細にみたことがあると思う。健康保険、雇用保険とならんで厚生年金、厚生年金基金などの支出項目があるのをご存知だろう。だが、案外盲点らしいのが社会保険の労使折半という制度だ。つまり、雇用主と労働者の間で社会保険関係については半分ずつ負担する。しかも、雇用主側の負担は給与明細には出てこない。つまり、あなたが給与明細を見て「ああ、こんなに厚生年金をとられているんだ。」と思う額と同じ額が会社で負担されている。いわゆる「福利厚生費」として、会社の財務報告書に記載される項目である。本来あなたの給与の一部を構成する金額なのだ。

そういやあ、本書における各国の年金制度で労使折半なんてどこにも出てこなかったけど、あるのかな?

私の住む県内で数十ものチェーン店を展開しているある会社では、正規雇用の社員は数人しかいないという。雇用コストの問題でけではないのだろうが、レジから店長にいたるまで、あるいは会社の事務のかなりのところまですべてパートなのだという。これは経営の面からみたら雇用コストを抑える意味で合理的だし、たぶん女性が多いと思われるパート社員にとってもいらない労使折半分などの費用を賃金としてもらえるとか、勤続しつづけなければいけないという会社の昇進の仕組みからのがれられるということで、それなりに快適なのかもしれない。だが、これでいいのか?国全体でこういう雇用形態が一般化したら公的年金制度は厚生年金も国民年金も崩壊するだろう。

あるいは、私の個人的な体験だが、従業員に自分が社会保険を負担しているという意識をもってもらうため、社会保険の会社負担分を給与明細に記載できないかを以前調査してみたが、社会保険労務士に強く反対された。「給与支給金額を労使折半分も含めて明示すると、それは給与に含まれますます社会保険費用が増えてしまいますよ。それに、そんなことをすると陰に陽にいじわるされるってうわさですよ。」といわれた。「いじわる」ってなに?

ちなみに、国民年金と厚生年金の一体化をよく政治家が口にするが、この会社分担分の「雇用コスト」は、どう手続きさせようというのか?被用者であった人が独立した場合は、いきなり公的年金負担額が倍になるのか?非常に疑問だ。

■厚生年金に年末調整はない

もっといってしまえば、本書の範囲よりはるかに微視的な問題だが、社会保険の手続きは非常に煩雑であり、非関税障壁ではないが「非金銭負担」というべき雇用の費用がかかっている。正直、私は私の所属する会社で毎月給与計算をしているが保険事務所への申告手続き、社会保険の変動の反映、社会保険労務士への報酬など、結構な手間と時間を費やしている。

給与計算をやっていて、一番腹が立ったのが、パソコンで計算している給与データを年に一度の賃金の報告書の提出でプリンターで出力したものをもっていったら、たった一項目出力の順番が違うというだけで拒否され、手書きで全部書き直させられた。私の使っているパソコンソフトメーカーによると、全国的にはこのパソコンソフトで出力した書式の方が一般的だというのに、この業別組合の書式とは違うのだという。ちなみに、繰り返すが出力した内容自体に過不足はない。順番が違っただけ。この精神的苦痛と時間は、"priceless"と叫びたくなるくらいひどいものだった。

ちなみに、厚生年金の負担は12ヶ月のうちの3ヶ月分の給与を各年金事務所に報告することによって決定される。最近、賞与も同率でかかるようになったので賞与のたびに報告しなければならない。これらの手間はまだしも、所得税などでは年末調整というものがあって年末に必ず実際に払うべき税金と控除額との差を計算して還付するなり、払い込むなりの手続きを行うのだが、厚生年金、厚生年金基金で年末調整が行われたとは聞いたことがない。つまり、かならずしも保険料率と払い込む額が一致しないままでも還付も、追加負担もない仕組みになっている。

社会保険の保険料の年末調整? by [Y&K]無料相談センター

■マクロ経済的観点の必要性

本書の第3章では公的年金の「積立金」について詳述されている。

年金の自主運用が始まっている事は知っていたのだが、本書を読んで始めて知ったのは、これが2007年まで財政融資資金特別会計から段階的に返還が行われていて、厚生年金の積立金の140兆円あまりのまだ3分の一程度の自主運用がはじまった段階なのだという。

これは、ぜひ経済学に詳しい方の意見を聞いてみたいという意味でここに書くのだが、公的年金積立金の自主運用に国債や財政投融資から資金が戻されると市中金融機関に国債の消化が促されるのではないだろうか?というか、年金積立金を返還するための100兆円を超える金額を国債で調達しようとするとその市場における国債の消化に問題が出るだろう。つまりは、国債価格が下落して金利高につながると想像する。民間金融機関にも収益の圧迫圧力になるだろ。非常にマクロ経済的な分析を行うべきポイントであるが、年金の自主運用とのからみでのマクロ経済的な分析というのはお目にかかったことはない。本書にも現代投資理論との関係で、これだけの規模の資金のポートフォリオを組むことは不可能だという指摘があった。

2007年の返還完了まであといくらもない。

ちなみに、この章を読んでいて年金積立金の想定の利回りを4.5%もの高率で設定しているという話を読んで思い出したのが、以前デリバティブ取引で合衆国のカルフォルニア州オレンジ・カウンティの財政が破綻して、前代未聞地方政府の破産宣言につながった。投資の破綻の理由は、投資ポートフォリオ構築における条件設定の範囲を越えた額の投資行動だったと聞く。つまり、破綻するはずのないポートフォリオを組んだが、それはあくまでも限られた分量しか取引されていないデリバティブ商品の市場範囲内で有効だったところへ、その市場額をはるかに越える資金を「負け」をとりもどすためにつぎ込んだために生じたという。まあ、公的な資金をデリヴァティブにつぎこむというのはやりすぎであったのだろうけど。

流動性で躓いた人たち by 矢口 新さん

ちなみに、2002年現在の公的年金の自主運用ではすでに5兆円を超える運用損をだしているそうだ。


■公的年金問題の前の一個人は、ゾウの前のアリか?

まだまだ、本書のテーマははばがひろい。これだけで、書評としたらきっと作者の西沢さんに怒られてしまうのだろうが、私の印象に残った部分だけをひろわせてもらった。それでも、本書が示す最大の成果は、ある程度の情報開示があれば、複雑だといわれる公的年金制度において検証、提言が一個人で十分に行いうるということを実証したことであろう。もちろん基礎的な統計データをまとめるのにこそ莫大なエネルギーが必要とされるのだろうが、予算的にも人材的にも莫大な資源を使いながらも5年に一度しか公的年金の再計算を行わない官僚たちは日々なにをしているのだろうか?あるいは、米国では国債でした公的年金の積立金を運用しないとしながらも四半期ごとに詳細なレポートをインターネットで開示しているというが、公的年金の自主運用のレポートは開示されているのか?

そろそろ最初の問いに戻りたい。公的年金は、我々にとってなんなのか?著者は、次のように書いていた。

P.72 公的年金制度は、保険料を拠出する国民と年金の給付を行う政府との間に交わされた契約と見ることができる。

日本にはおいては、果たして契約関係というべきものが成立しているのかはなはだ疑わしい。国庫からいくらとか、消費税を財源として国民年金の帳尻をあわすとか、さまざまな議論があるようだがいっそ米国なみに社会保障税として全てを税金化してしまった方が逆にわかりやすさが増すと感じた。厚生労働省の「世代と世代の助け合い論」には全面的に賛成しかねるにしても、これから人口構成の内の高齢者の割合が非常に増えて、個々の家族で親世代の面倒を見ることができないのなら、誰かが面倒をみなければならない。なんらかの費用負担は不可欠なのだろう。だから、その財源が税金であれ、公的年金であれ自分たちが納得の行く制度が必要であるし、自分たちが負担しなければならないということは間違いのない事実だ。この意味で、また介護保険との関わり、医療保険とのかかわりで、公的年金の税制化が議論されてしかるべきであろう。

しかも、多分史上もっとも裕福な65才以上人口を支えるために、史上最も親世代よりも貧乏になるであろう我々40才以下の世代が支えなければいけないというパラドックスを社会的にも、個人的、心情的にもどう解決したらよいのか?

いまのままでは、公的年金とはなんなのか誰もなにも納得のいく答えをだせない。

そして、ごくごく小さなわがままを最後に言わせてもらえば、せめて厚生年金も年末調整をしてほしいし、労使折半などとわかりにくいことをせずに一本で給与明細に記載することができるようにしてほしい。公的年金が税金になれば窓口が一本化するので、すこしは事務手続きも減るだろう。もっといえば、年金が税になれば公的年金を払わないと今度は脱税になる。年金の空洞化の防止にも役立つだろう。それは、財務省と厚生労働省の管轄の問題があるから難しいとかいう話は聞きたくない。ことは、かなり切羽詰っている。

余談だが、本書ではかなり詳細に年金関係のシュミレーションを行う実務的な方法が述べられていた。それは、以前私が厚生年金の雑駁なシュミレーションをしたときの手法とかなり近かった。また、年金討論会で見せていただいた4991枚のデータ部分から類推できる手法とも近いように感じた。精度においてまったく比較にならないのだろうが、ちょっとうれしかった。

ひともすなる年金といふもの (HPO)

■この本は国民の必読書かもしれない

まずは、真剣に本書を読んでいただきたい。私のブログにおいて、「読め」などとかくつもりはさらさらなかったが、これは本当に日本国民の必読書かもしれない。最初の1章を読んだだけでも、世代別でこんなに年金の払込額と受け取れる額が違うのかと愕然とすること請け合いだ。公的年金の問題ひとつとっても、きちんと思考すれば国家とあなた自身とのかかわりについて、認識が新たになると感じた。

■追記 平成16年8月15日 「週刊!尾花広報部長」へのトラックバックにあたり...

年金討論会の時は、大変お世話になりました。「後だしじゃんけん」的な出席のお願いだったにもかかわらず、参加させていただき、するつもりのなかった質問までさせていただき、年金問題を考えるきっかけとなりました。ありがとうございました。

みなさまのご努力によりCD-ROMデータまで厚生労働省の方々から出していただけるようになってよかったですね。いま、お盆のお休みを利用して年金問題を一生懸命勉強中です。

■追記 平成16年8月16日 「小子化問題とか年金のこととか、それが何か?」@月ナル者へのトラックバックにあたって

別件でトラックバックをいただいたのだが、ふと興味深い記事をかいていらっしゃったのを発見したので、すかさずトラックバックさせていただいた。以下のような問題を指摘されているように感じた。

・労働力の現象への対策としての移民の問題
・現在あるいは将来のいわゆる外国人労働者への課税の問題
・もうちょっと拡大して年金の問題

ちなみに、まだ調査不足でこれから調べところなのだが、この記事の冒頭にかいた米国のSS#(ソーシャル・セキュリティー・ナンバー)は、外国人として入国して移民となるとか、市民権を得るとかしたときまで統一された番号で学歴、職歴、賃金、保険加入歴などを追跡していける仕組みだと思う。

月ナル者のGiraudさんご指摘の問題も、今後年金、税制、諸保険制度の改革において議論されなければならない問題であると感じた。

ああ、でも「そんなのは現在のところ無視されるほどの誤差くらいの問題でしかない。」とか言われて終わりなんだろうな...

■「 【公的年金TF】年金の積立金と財政投融資について」へのトラックバックにあたって 平成16年8月18日

相変わらず時勢に疎い私は、Hiroetteさんが、こんなに分かりやすく、すばらしい記事を書かれていると今日まで気がついていなかった。更新をストップされてから、きずくとはうかつだった。Hiroetteさんは、多分一番の焦点である積立金の問題にぐいぐいと筆をすすめていらっしゃる。リンクされている財務省理財局のページも分かりやすかった。更新を再開されてから改めていろいろと意見交換をさせていただきたい。

| | コメント (15) | トラックバック (2)

2004年8月10日 (火)

[書評] アップルシード 2巻 apple seed 2nd volume

アップルシード=りんごの種」の物語。「攻殻機動隊」で有名な士郎正宗の代表作のひとつ。

りんごとは地球のことを指すのだろうか?たぶん宇宙に浮かぶ青いりんごだ。また、エデン=理想郷からの人類の追放をも意味するのだろう。「りんごの種」とは、あまい果肉にうまった硬い種であり、新しい種=新たな理想郷、新たな人類を生むものという意味だろう。

「だろう」が続くのは、まだ古本屋で見つけてきた1巻と2巻しか読了していないからだ。最近公開されたアニメーションも見ず、最終巻が何巻なのかすら知らず、物語を最後まで読まずに書評を書こうという無謀なトライをしてみる。

士郎正宗は、この作品で人類は理想郷を作り出せるのか?、作り出せたとしても理想郷を維持する人間を継続的に生み出せるのか?、真の理想郷とは何か?、という思考実験をしたかったのだと感じる。理想郷を作り出そうとしているのは、この物語の舞台となる人工都市オリュンポスの、理性と感情のバランスのとれた作られた人類=バイオロイド達と総合管理局を構成するコンピューターだ。オリュンポスの「総合管理局」は、コードウェイナー・スミスの人類補完機構のように、来るべき次の世界大戦の後の世界を管理している。

ちなみに、人類補完機構シリーズの作者である「コードウェイナー・スミス」は、ポール・ラインバーガー博士のペンネームで、博士はリアルの世界で戦中戦後の米国のアジア外交において陰に陽に活躍されたと聞く。

・はてなキーワード:コードウェイナー・スミス

人類補完機構のモットーは、ちょっとながったらしいが「監視せよ、しかし統治するな。戦争を止めよ、しかし戦争をするな。保護せよ、しかし管理するな。そしてなによりも、生き残れ!」」だそうだ。これは、ほとんどこのままアップル・シードの総合管理局のモットーに使えるのではないだろうか?疲弊しながらも大国のいくつかは大戦を生き残り、自治を行っている。総合管理局のコントロールのもと、すこしずつ復興していく過程にある。もしかすると、この後の世界が攻殻機動隊へと続くのだろうか?

スミスの人類補完機構のどちらかというと静的な管理された世界にくらべ、思考実験としての興奮度は本作の方がはるかに動的であるように感じる。人類補完機構にせよ、オリュンポスの総合管理局にせよ、完全にはたらけばはたらくほど、現代の我々がかかえる「豊かさの矛盾」、「最後の人間」問題を引き起こしていく。

しかし物質の豊かさは、共同体を不必要にし、集団を解体し孤立をまねく!...このままでは遠からず社会は機能を失い、地球は人間にとって不便なものとなるだろう。

以前の記事で、「私は、衣食住と安全が満たされてしまった社会というのは、決して理想の社会ではないと感じてきた。」と私は書いた。自己言及など老害のあらわれかもしれないが、こう書いたベースにはヘーゲル=フクヤマがあったように感じる。

この辺の矛盾を、本作の作者が1992年のフランシス・フクヤマの「歴史の終わり」の出版に先立つ1985年以前に発表しているということは特筆すべきことではないか?たしか、作者は私とあまり年齢がかわらない。1961年生まれだから、当時まだ24才のはずだ。引き比べると、自分の非才を嘆きたくなる。

『歴史の終わり』メモ by ???さん ちなみにいまだに更新がない。このメモの作者はどこへいってしまったのだろうか?

2巻の結論は、総合管理局をつかさどる巨大コンピューター、ガイアの暴走という形できちんと示されている。この点でもフクヤマよりも作者は上かもしれない。

釣り合っていない巨大な天秤。理想化自身が目的の理想郷。よくできた道具。

「巨大な天秤」とは、世界をその上に載せた人類の生存をその使命とするガイアのことだろう。一応、ネタバレを回避しながら書けば、作者が2巻の結末で示したかったのは、去勢されたような人間の静的な理想郷など存在しないといこと。そして、苦しみながら、ゆらぎながら、危険に身をされしながら、生き抜いていくことこそ人間の本質であり、人間の生き方なのだと私は感じた。ことここにいたり「ファウスト」との相関性を感じる。

■参照リンク
竹田青嗣インタビュー「哲学は進歩したか」 @ ゑれきてる
APPLESEED / アップルシード by THUNDER さん(?)

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2004年8月 9日 (月)

べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ power law talking night

平成16年8月30日

「夕べ」のまとめをつくりました。ぜひご覧いただき、トラックバックください。

「べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ」を超えて


平成16年8月29日

盛会のうちに昨晩「夕べ」が開催されたこと報告します。ご参加のみなさん、お疲れ様でした。大変有意義なディスカッションができたように思います。ぜひ、ご発表いただいた内容を記事にしていただき、お互いにリンクしましょう。私も書きます。本当にありがとうございました。

ひでき


既にグリーのコミュニティーまで作って発表しているが、OFF会を計画している。ここのところ、ネットワーク上のシンクロニシティーというわけではないが、「おれしかわからんだろうこんな文章」とか、「こんなこと考えているのはおれくらいだろう」とか、思っていることにコメントがついたり、ネットワーク平行進化という言葉をある方からいただいたが、本当に平行して考えが進んでいっていたりする方たちの存在を知った。

特にここのところべき乗則がかなり話題になってきている気配を感じる。また、ネットワークの上の信頼性の問題がブログなどによりより重要になってきているのも確かではないだろうか?この2つに関係はありそうな気もするし、ほかにもいろいろ関連分野がひろがっていることなど、様々な話題をさかなに飲み会をし企画した。題して「べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ 」。ご了解をいただいてから、名前をださせていただくが、結構いろいろな方から既に参加の表明をいただいている。

基本的に、16時から2時間程度お互いに関連する自分の記事、ネタのプレゼン&ディスカッション、18時から飲み会へなだれこむというパターンを考えている。まあ、それでもどこまでも気楽に、肩肘張らないお楽しみな夕べをもりあげるようにやっていきたい。どこかでやった自己紹介コンテストではないが、なにかもうひとひねり企画も考えたい。

日時 : 平成16年8月28日(土) 16時~
場所 : 例によって多分新橋周辺。プレゼン等によいところがみつかれば変更の可能性あり。
グリーコミュニティー : べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ! (グリー参加者のみ)
参加希望:この記事にコメント、トラックバックいただくか、グリーのコミュニティーにご参加ください。

■「オンラインゲームの経済モデル」 by 渡辺聡さん @ C-NET へのトラックバックにあたり

昨晩のイベントでのトピックスをさっそく、渡辺さんが記事にしてくださった。昨夕のディスカッションでも、オンラインゲームの通貨の分析は、ほかのトピックスともつながりをもち、ネット上での信頼性や、コミュニティーの形成、「楽しみの経済」(やまぐちひろしさん)と結びつき新しい形の経済の形が生まれる可能性を示していたように感じた。この辺をおいおいご報告していきたい。それにしても、私がOFF会の後家に帰ってくる前にこの記事がアップされていたようだ。本当にネット社会のスピードを実感する。

渡辺さん、ご参加いただき、また記事にしていただきありがとうございます。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004年8月 6日 (金)

「ふじすえさんを飲む!」オフ会 リローデッド

平成16年8月23日 → 平成16年8月24日

りょうさんが、さっそく会の様子をレポートしてくださっています。「語録」力強いですね。

ふじすえさんを飲む リローデッド  by りょうさん

続いてPinaさんからもトラックバックをいただく。あー、書いちゃってますね。うふふ。

ネットふるちん主義 @ 笑門来福

本当にありがとうございました。

ふじすえさんも写真などをあげてくださっていますね。紹介するのを忘れていました。うう、私の写真まで...

オフ会、継続すべし by ふじすえさん

をっと、高橋 修さんからもトラックバックをいただきました。ありがとうございます。

ふじすえさんと飲む

記憶違いをして、間違えたことを書いていました。お詫びいたします。 > キルゴアさん


平成16年8月22日

お陰様で昨晩は無事開催にこぎつけ、合計16名もの方々がご出席してくださいました。本当にありがとうございました。おいおい写真等も出てくると思いますが、まずは御礼をもうしあげます。

<hr>

平成16年8月12日 → 平成16年8月18日 修正

ふじすえさんからのトラックバックもいただきましたし、早急に詳細をつめてここで発表します。とにかく確定していることは以下の通りです。

→ 遅くなりましたが、ようやく場所等確定できました。議員会館のふじすえさんのオフィス見学に伴い、時間を変更しております。誠にもうしわけございません。

日時 : 8月21日(土) 19:00~21:00 → 18:00~20:00頃
場所:
  お店の名前:四川料理 重慶府
  住所 : 港区赤坂4-2-5
  電話 : 03-5563-9243
  アクセス : 営団赤坂見附駅徒歩5分・一ツ木通り沿い。薮田ビル2F。
          Yahoo!地図
会費 : コース料理+飲み放題=5,000円

*参議院議員会館見学については、参加予定者の方には要領をメールでご通知いたしました。今後参加される方にも順じお送りします。

参加予定の方 : ふじすえさん、miyakodaさん、くりおねさん、nimさん、キルゴア中佐Pinaさん、りょうさん、maida01さん、しょうがいげんきさん、ミヤタヘゲさん、もうお二方、ひでき

例によって、御申し込みはコメントメールトラックバック等でお願いいたします。



平成16年8月6日

ふじすえさん、こんにちわ、

ごぶさたしております。暑い日がつづいておりますが、国会ですでにご活躍のことと思います。

さて、延期になっておりました「ふじすえさんを飲む!」OFF会ですが、そろそろ日付を決めたいと思っております。いかがでしょうか?もれ聞くところによりますと8月21日土曜日は、殺人的スケジュールの中でなんとか時間がとっていただけそうだとも伺っております。ブログつながりで気楽なOFF会としたいと考えております。興がのれば政治とネットとのかかわりや、今後ふじすえさんが目指される政策などのお話しなども伺えればと感じております。

まだ、あの暑い選挙活動の藤末さんの最終演説の熱さが耳に残っております。

ほんとうに暑い日々が続く中、お身体ご自愛くださいませ。

ひでき

追記 誠に勝手ですが、議員会館を見学するコースも企画中です。

| | コメント (23) | トラックバック (4)

2004年8月 5日 (木)

この歌をあなたに聴かせたい

040805_2201001.jpg
マスターのブルース最高っす!すごい!
パフォーマンスの愉楽。



ちなみに、ここは某私鉄駅下車1分の「六調子」という焼酎のお店。このマスターのブルースがいい。カウンターひとつのお店で、PAもほんとに最小限のものしかないお店。でも、確実にそこにいた人たちは感動を共有して帰っていく。パフォーマンスの持つ不思議さ、柔軟さ。よいものを聞かせてもらった。

| | コメント (7) | トラックバック (1)

040805_1157001.jpg
この写真だけで車種ってわかるものかは?


いんやあ、びっくりしました。今日行ったところでこの写真をとったんですが、夜に自慢半分で仲間に見せたら見事あてられちゃいました。この曲線でわかるといっていたけど、そういうのってわかるもの???

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2004年8月 1日 (日)

「雨ニモマケズ」を4つに分ける

不謹慎な話から始める。自宅のおトイレの壁に、「雨ニモマケズ」が長いことはってあった。しらばく、それを見ているうちにこれは全体が4つにわかれ、それぞれがまた4つにわかれるような感じがあった。

先日、極東ブログのfinlaventさんが「菩薩行」との関連を指摘されていた。そして、宮沢賢治の手帳に書いてあったこの詩の通常の表示では「サウイフモノニワタシハナリタイ」で終わりになっているのだが、この手帳の次のページに法華経とおぼしき経典の抜書きがあったことを詩碑へのリンクを通して教えてくださった。

・手帳の写真:

20111107163735dcd

詩碑 

 

  南無無邊行菩薩
  南無上行菩薩
 南無多寶如來
南無妙法蓮華経
 南無釋迦牟尼佛
  南無浄行菩薩
   南無安立行菩薩

この「南無妙法蓮華経」とある前後の名前を調べたところ、法華経の中の「従地涌出品第十五」に出てくる四大菩薩の名前だとわかった。

従地涌出品第十五 by kuukiさん

また、無量百千萬億の地涌の菩薩が國土虚空に満しているのが見えた。この中には四人の導師(四大菩薩)がおり、名を上行無邊行淨行安立行と言い、上首唱導の師であった。が釈尊に挨拶をする。

「雨ニモマケズ」とその次のページがもし対応するとすると、以下のようになるように感じる。ただし、四大菩薩が示す菩薩行と詩の内容は必ずしも一致しないし、「第十五品」の順番とも違うように思われる。

・南無無邊行菩薩
     雨ニモマケズ
     風ニモマケズ
     雪ニモ
     夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ

・南無上行菩薩
     慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラツテヰル
     一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ
     アラユルコトヲジブンヲカンジヨウニ入レズニ
     ヨクミキキシワカリソシテワスレズ

・南無多寶如來 南無妙法蓮華経 南無釋迦牟尼佛
     野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ

・南無浄行菩薩
     東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ
     西ニツカレタ母アレバ行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
     南ニ死ニサウナ人アレバ行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
     北ニケンクワヤソシヨウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ

・南無安立行菩薩
     ヒデリノトキハナミダヲナガシ
     サムサノナツハオロオロアルキ
     ミンナニデクノボウトヨバレ
     ホメラレモセズクニモサレズ

・帰命
     サウイフモノニワタシハナリタイ

四大菩薩の名前と対応しないように思われる部分が二つ有る。「野原ノ...」という部分と「サウイフモノニワタシハナリタイ」という部分だ。「野原ノ...」の部分は、位置的に「妙法蓮華経」とともにかかれている、多寶如來と釋迦牟尼佛に対応するように思われる。これは、法華経の中の「見宝塔品第十一」で多寶如來と釋迦牟尼佛が塔の中で座るいう「二佛同坐」を意味するように感じられる。そう、まさにここに詩の作者は「ヰ」たいのだということを意味するようだ。

見宝塔品第十一 by kuukiさん

では、もう一行は何を意味するのか?finalventさんは、もうひとつ「帰命」という言葉を教えてくださった。「南無」という言葉は、「身も心も挙げて仏に帰依する」という意味のサンスクリット語の音訳で、意味を訳したのが「帰命」ということなのだという一文をネットで見つけた。

正信偈・断片 by 釈尼慶喜さん

「南無」が「帰命」であるなら、まさに「サウイフモノニワタシハナリタイ」という行は、ただ「雨ニモマケズ」といった人間になりたいということではなく、仏に成るという誓いである「帰命」なのだ。この行の重要さを見つめたい。

この他、「従地涌出品第十五」の持つ法華経の中での位置の意味やら、宮沢賢治が好きだったという「譬諭品第三」と手帳にあった「11.3」の関連など、論じべき点はいくらでもあるようだが、学者でもない、宮沢賢治も大して知らない私がこれ以上書くことはやめておく。ただ、ちなみにこうした言葉を死の予感を持ちながら書いた宮沢賢治の死は、決して「惨めな失敗」などではなかったと強く感じた。

この記事をブログで書くかどうかかなり悩んだが、宮沢賢治が37才で亡くなったと知って、37才をなんとか生き延びた私が、いま書いておくべきだと感じて書いた。

余談だが、私はよくブログの記事を書く前に内容を人に口で話してみて自分の頭の整理をしながら話のポイントを探るということをする。今回は、車の中で以上の話を妻にしてみた。10分間ほどかけて大汗を書きながら大意を説明すると妻はこういった。

「そんなこと読んだらわかるじゃない?なにをごちゃごちゃ話ているのかと思った。大体、ひできさんはこの詩を暗誦するほど読んだの?」
「あ、いや、まだ完全には覚えてないけど...」
「暗誦してみれば、この詩が仏さまになるくらいの誓いを死の床でしたってわかるわよ。ほら、子どもだっていえるわ。」

と言って、後ろの席に座っていた上の子ども二人に暗誦させてみせた。「参りました」という感じだった。

■追記 平成16年8月4日

本文でリンクさせていただいた「宮澤賢治の詩の世界」というサイトを作っていらっしゃる浜垣さんにリンクのご承認をいただくメールをうったところ、非常に重要なお話しをいただいた。ご許可をいただいてので、一部抜粋して掲載させていただく。
(以下、線内は引用)


        南無無邊行菩薩
       南無上行菩薩
      南無多寶如來
     南無妙法蓮華経
      南無釋迦牟尼佛
       南無浄行菩薩
        南無安立行菩薩

の部分は、日蓮が佐渡で書き、その後すべての日蓮系教団が「御本尊」と位置づけている「十界曼荼羅」の、最上段の部分を抜粋したもので、略式の十界曼荼羅とも言われます。十界曼荼羅の全体のテキストは、たとえば下記のサイトにあります。http://www.hct.zaq.ne.jp/renjouji/honzon.html

  「雨ニモマケズ」は、現在は「サウイフモノニワタシハナリタイ」で終わるものとして一般に理解されていますが、手帳に記されていた様子からわかるように、上記の略式十界曼荼羅までが一まとまりのテキストなのだとする説も、昔からあります。


少し驚いたことに、浜垣さんが教えてくださったサイトの中で「にちかめ」さんが宮沢賢治とその作品と法華経信仰の関連について述べられ、「野原ノ松ノ林ノ陰ノ小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ」をそのまとめの言葉して使っておられた。

http://www.hct.zaq.ne.jp/renjouji/yasuragi.html

もし、私がこの記事において宮沢賢治の信仰の一旦に触れられたのだとしたら、ほんとうにうれしい。

 

| | コメント (7) | トラックバック (0)

« 2004年7月 | トップページ | 2004年9月 »