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2004年8月25日 (水)

[書評]信頼と安心の年金改革 ~ Mostly What I Need From You ~

信頼と安心の年金改革 by 高山憲之さん

■第一印象

私のように年金問題のプロでもない人間がいうことではないが、著者は相当この業界に長くいらっしゃる方なのだと感じた。どの辺に日本人が関心をもっているか、どう言えば読者に受けるかを相当考えぬいていらっしゃるように感じた。ただ、ちょっと問題をオーバーにもりあげすぎではないだろうか?

そんなこんなで、どうも枝葉末節ばかりが気になり全然全体がまとまらないのだが、読後いくつか気になったことを書いてみる。

■年金の受給権

・p.6 「年金の世界では保険料を拠出すると年金の受給権が発生する。」

ごく簡単に書いていらっしゃるが、前回の記事における「とおりすがり」さんとの議論を経て、今私が結構疑問に思っているのが日本にいる我々には「年金の受給権」なるものが存在するのかどうかだ。「受給権」があるということは、普通に考えれば保険料を払っている人たちに対して政府は将来年金を払うという約束をしたことになり、固い言葉でいえば、国民への債務をもっているということだ。

ほんとうに債務があるかとか考えていたら、たまたま古川元久議員のホームページに、内閣との質疑が掲載されているのを発見した。この中で特に明確に述べられているわけではないが、国民に対する「債務」を政府なり、担当官庁なりが負っているという感触はこの答弁からは感じられなかった。

【すぐわかる古川元久-政策】公的年金制度等に関する質問主意書&内閣からの答弁書(ワードファイル)

私達のように保険料を負担している被保険者たちが、国に対して受給権という債権(受給権)を持っているかどうかというのは、債務に対する法律の規定一つでどうとでもなりうる。なにせ法律を作るのも、運用するのも担当官庁によってなされている。受給権の定義すらわかっていないが、これはいかようにもなってしまう種類のものなのだろう。今回の改正案の強行採決の様子などをみていると、本当に何千万円と保険料をはらっていても、法律を変えられたら保険料が紙切れ同然になる。いや、いくら払ったかの記録すら普通の人はもっていないし、いくらもらえるかの予測もない、紙切れ以下だ。

なんとなくこの辺が、↑の答弁書で「賦課方式を基本とした方式」で「収支を均衡させる」年金なんて矛盾した表現につながっているような気がする。この答弁書の文書に自己陶酔を感じてしまうのは、私だけだろうか?被害妄想なのだろうか?いったいこの答弁を読んで、狐につままれた気がしない人がいるのだろうか?一体、これでどうやって厚生年金に加入することによって「老齢、障害の不安を解消し、安心して働くことが可能」になるのだろうか?

■年金債務は実在するか?

そういえば、法律的に年金財政が破綻した時、政府がその債務を負うと関連する法律に書いてあるのだろうか?根拠法を読んだことがないことに今更ながら気がついた。

厚生年金保険法 @ 法庫

第2条 厚生年金保険は、政府が、管掌する。」とあるから、さすがに年金財政は最終的には政府の責任だということになるだろうと類推する。Yahooの辞書によると「管掌自分の管轄の職務として責任をもって取り扱うこと。」とある。だが、もし年金が破綻したら日本政府に対する各金融機関の各付けは地に落ち、国債がまったく消化できないという状態に陥るのは目に見えている。まあ、そうなったとしてももっと言ってしまえば政府は国民の税金でまかなわれているわけだし、日本の国債も国内で消化されているようなので、政府がなにをやろうと最終的な責任を取る実体は私たち一人一人だということにはなるのだろう。

あまりに当たり前であるが、一応、受給権の規定も条文にちゃんとかいてある。

(受給権者)第42条 老齢厚生年金は、被保険者期間を有する者が、次の各号のいずれにも該当するに至つたときに、その者に支給する。

どうも、この条文の主語が政府なのか、厚生労働省なのか、社会保険庁であるか明確ではないが、年金というものは「支給」していただくものであって、どうもむりやりにでも請求できる債務といったものではなさそう。ただ、この法律に基づいて行動して支払いが滞ったら大変なことになるだろうが、積立金がこれだけある限り絶対にそんなことにはならい。ちなみに、多くの諸外国で年金支給の何年分にもあたる積立金をもっているところはない。異常値だ。

こう考えてみると、「受給権」という約束にもどづく年金支払いの約束というものは果たして著者がいっているように本当に「債務」といえるものなのだろうか?

■本当に600兆円なの?

百歩譲って政府が我々に「受給権」を認めていたとしても、年金財政が破綻してしまえばもうどうしようもない。著者は、現行の厚生年金だけで過去拠出分と将来拠出分の支払いを約束した債務としてあげている金額の600兆円が納得いかなかった。そこで、以前自分が作った人口&年金収支シュミレーションにDCF(現在価値)の考え方を取り込んで計算してみた。ああ、人から指摘される前に言い訳しておかべ人口のシュミレーションも、年金の収支もかなり仮定の多いあやういものである。どのような仮定を置いているかについてくわしくは「ひともすなる年金といふもの」という記事をご覧いただきたい。

エクセルファイル

高山教授の試算は「100年分、割引率4%、物価上昇率1.5%」だったが、私の試算は手抜きをして「60年分、割引率2.5%」とした。これは、「割引率4%-物価上昇率1.5%=2.5%」だろうという考え方からだ。これでも、現在価値で厚生年金だけで281兆円余りの給付の赤字が生じることになる。60年間で名目値の合計だと660兆円になる。私の試算には税金からの負担分が入っていないので、ちょっとずれが大きすぎる。

いずれによせよ、一応は今回の「改正」でこの赤字額は圧縮されたのは事実であろう。

■まだまだ続く...

本書の本当の価値は、海外の事例などをかなり公平に論じているところであろう。世界銀行のレポートがこの10数年あまりの世界の年金議論の発端となったことは知らなかった。著者は、「公的年金」についてのレポートだといっているが、このレポートのタイトルを正確にいえば、「Averting the Old Age Crisis」(老齢の危機を回避するためには」)だという。例によって答弁書にもあったが、生活保護や高齢者福祉などと本来年金は一体不可分のものとして議論すべきである。

ちょっと寄り道だが、「開発」を主要任務とする世界銀行が「老齢の危機」の問題を扱うのか違和感があったが、kohさんのブログを読んで少し腑に落ちた。

「開発」とは何か by kohさん

世界銀行のレポートは、もうちょっと恣意的に年金を経済開発に使おうという意思が見え隠れしているようだ。それにしても、kohさんの記事を読んで「開発とは社会変革なのだ」と私には納得できるものが得られた。そうなのだ、社会を開発するとは、社会を変えるということなのだ。世界銀行的な「開発」観からいえば、その国に住む人がなんとか安全に生活できるようになるのがまず社会改革の第一歩なのだろう。その後にいく開発の段階があるのか分からないが、そういう意味では上述の「答弁書」ではないが「働けなくなった老後の安心を自分で作り出す、相互に支えあう」という年金は実は究極の開発であり、究極の社会改革なのかもしれない。

本書において理論的な背景も、かなりマクロ経済に近いところまで説明されている。年金関連の本としてはただしい理解をされているように感じた。だが、どうもこの辺を日本の現状に適用しないところ著者の考え方との落差を感じる。実は、海外の事例を見ても、やはりそれぞれの国の事情があり、引きずるものがあり、なかなか究極の解決はないようにも思われる。ドイツの最近の不景気のひとつの原因は公的年金をめぐる混乱があるともいう。スウェーデンの年金改革がかなり評価が高かったようだが、本書にはあまり取り上げられていない米国式の年金が、日本にわりとあてはまりやすいように感じた。これはあくまで私見、直観にすぎない。

私がこの記事で触れきれなかったことについて、Hiroetteさんや珠丸さんの記事が大変本書についてよくまとめていただいていた。

【公的年金TF】信頼と安心の年金改革 by高山憲之 メモ書き by Hiroetteさん

国の高齢者就労促進対策(高山憲之教授「信頼と安心の年金改革」より その2  by 珠丸さん


ちなみに、この本を読んでいてなんとはなしに思いついたのは、臨時国会の間に民主党は年金改革の廃案を求めるのでなく運用、収支、徴税率などの情報を第三者機関の監査こみで公開させる法案を提出すべきだったのではなかったかと感じた。もし、この法案を与党が否決すれば与党は「よらしむべし、しらしむべからず」体質が色濃いことが明らかになり、かなりのダメージだし、通れば一得、かつ国民の年金信頼が増すと思うが、いかがか?

■参照リンク
[書評]信頼と安心の年金改革 (HPO)

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コメント

 簡単にコメントを・・。
 42条の主語は政府でしょう。会社が給料を払うと言ったときにそれは本社かもしれないし、支社かもしれないわけです。そういう意味であまり議論の必要はないと思います。
 「支給する。 」は「していただく」ではなく、淡々とした事実表記だと思います。

 さて、私はそれでも年金問題が議論し尽くされていないと思います。
 わかりやすいのが、最初は「国民に負担増はけしからん」といっていたのに、その後「出生率予測を隠していたのではないか。けしからん。」となった点です。
 出生率は低ければ低いほど、将来収入が減るわけで、負担増がけしからんのなら「年金受給額を減らせ」と負債サイドに切り込む必要があります。
 しかしあたりまえですがそういうことを書いたマスコミは皆無です。

 何より、負債サイドの最大のポイント死亡率に切り込んだ論調はありませんでした。
 死亡率が低ければ低いほど負債は増えます。

 そういった意味でも私は年金の議論はこれからだと思っています。

 ところで、ここで挙げられている古川議員が「数字はいくらでも作れるというのを大蔵省職員時代経験した」と書いてあったのを見て??です。
 そこを冷や飯覚悟で「おかしい」というのが役人のプライドではないかと。
 押しつぶされて作らされたとしてもあり、だめなとき涙を流す、例えばふじすえさんのような人物こそが硬骨の役人ではないかと思います。
 平然と「役人時代数字を作った」といい、役人不信に利用する神経が全く理解できません。

 所詮ごまめの歯ぎしりですけど・・。

投稿: ハーデス | 2004年8月26日 (木) 00時35分

ハーデスさん、こんばんわ、

夜も更けてきたので私も短く...

42条について私はいらないことを書いてしまったかもしれませんが、一体この条文により政府に債務が発生するのかどうかというのが、私が疑問に思ったポイントです。この条の後、えんえんと老齢年金を支給する条件に関する条文が続くのですが、法律で「支払う」と書いてあるからには支払う義務(債務)が政府に発生すると解釈してよろしいのでしょうか?(ドイツなどのようにまじめに賦課方式を運用していて1ヶ月前後分くらいしか積立金をもっていない国なら、ともなく日本のように140兆円を超える巨額の積立金をもっていれば、まあ、支払いが滞ることはありえないかもしれませんね。)逆にいえばこの法律にあてはなる限り政府に対してその支払いを必ず個人は求めることができるのでしょうか?(戦時中の年金かなにかを中国人かだれかから請求をうけた訴訟があったような気もしますが...)まあ、それでも受給権であって将来支給分に対して「これは私のだ!」と権利を主張できるといったしろものではないといことはなんとなくわかりました。

ふむ...、よぉく調べて、考えて見ます。

投稿: ひでき | 2004年8月26日 (木) 01時42分

○受給権、債務は実在するか
少なくともバランスシートを示していることから、債務であるかどうかはともかく、支給義務を負っているものと認識しているのではないでしょうか。
ただ、その義務を負っている金額(つまり債務ですね。)がいくらなのかは、年金額が物価などで変わるので確定していないと言うことなのでしょう。(いきなり額を下げないところを見ると、すでに決定した年金額は債務として認識しているのでしょう。財産権の侵害と言われたら勝ち目なさそうですし。)

○賦課方式で収支を均衡させる
浅慮なのかもしれませんが、十分可能であると思われます。
ここで言ってる収支の均衡はおそらくキャッシュフローとしての均衡であって、間違ってもバランスシートの貸借の均衡ではないでしょう。(賦課方式である以上、バランスシートを作成すれば債務超過になるのは当然ですので。)
もし、バランスシートで債務超過を出さないとすると、積立方式で、その運用が良好であり続けるという状態でしかあり得ないことだと思います。

○今の年金制度の積立金の額は異常か。
何を持って判断するかによるのではないでしょうか。
積立方式で年金制度が運営されていたとすると、債務と言われている450兆を余分に持っていないといけなくなります。(数字は次のPDFの2ページによっています。)
http://www.ier.hit-u.ac.jp/~takayama/pdf/pension/balance-sheet0310.pdf
今の年金制度の積立金は170兆、国庫負担が100兆ですから、積立方式で運営していたとすると720兆円の積立金を持っていないといけなくなります。
(しかも、その全額を年金の改定率以上の利回りで運用しないといけない。)
給付費の約20年分の積立金を持っているのは、この制度のもとでは異常ではなく、必要なことになります。(数字はつぎのページ掲載の数字より単純計算でもとめています。)
http://www.nli-research.co.jp/stra/stra61-2.html
賦課方式であれば積立金を持つ必要がないのは確かなのでしょうが、それでいいのかよく考えないといけない気がします。
聞くところでは、厚生年金は元々積立方式で運営することを考えていたと聞きます。今の「修正積立方式」も現在の考えはともかく、当初は完全な積立方式に積立金を回復させることを標榜して、この名前をつけたのかもしれません。
考えてみれば、悪名高きグリーンピアも元々は「馬鹿高い積立金を持つのはけしからん。積立金を加入者に還元すべきだ。」という国会の要求があったと聞きます。最近の社会保険庁の保険料流用も、「財政構造改革の推進に関する特別措置法」に基づき、行われているもののようです。(該当部分は第11条。法律の内容からすると、法律の所管は財務省でしょうか。)
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=1&H_NAME=%8d%e0%90%ad%8d%5c%91%a2&H_NAME_YOMI=%82%a0&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=H09HO109&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1
そう考えると、一概に社会保険庁を叩くのは問題の本質を外している気がします。(もっとも、第11条が厚生労働省の作ったものであれば話は別ですが。)
野球観戦などにも流用していたとの報道がありますが、もし社会保険庁の福利厚生費がこの法律の対象になっていたとしたら、流用しなければ他の官庁の職員ならば受けられる福利厚生すら認められないことになり、それはそれで異常な感じがします。もっとも、このようなことが他の官庁でも行われているのか、行われているとしても、それが問題ないことなのかは別の話ですが。
しかし、この法律が成立してしまうことからも、積立金に対する認識が若干おかしいのではないかと感じます。

○運用、収支、徴税率の監査つき公開
これも、「第三者」を除けば、ある意味すでにやられている気もします。運用結果については運用分科会というところで行われていますし(この項目の一番下に挙げたページ掲載の法定付議事項)、特別会計の監査も会計検査院がやっているようです。逆に言えば、第三者の監査をさらに行うと言うことはこれらの期間の存在意義を否定することになるので、(厚生労働省のみならず)政府の抵抗が予想されます。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/0102/s0207-3c.html

○その他
古川議員が役人出身とは初めて知りましたが、「役人時代数字を作った」という発言は、むしろ問題視されるべきことの気がします。
また、この発言自体は「厚生労働省も数字操作をして、この法案をつくっている」と思っているということなのでしょうが、「自分がしたから、お前も」という考え方には事実はともかく、その発想も、その発想を生む土壌も相当腐っている気がします。


相変わらず長くてすみません。

投稿: とおりすがり | 2004年8月26日 (木) 02時59分

とおりすがりさん、おはようございます、

いつもほんとうに要点をついたコメントをいただき、ありがとうございます。

朝で時間がないので、1ポイントだけぜひ教えてください。

>財産権の侵害と言われたら勝ち目なさそうですし。

ここがわからないです。条文読んだのですが、私のような素人の一個人の立場から読めばあくまで法律ありきで年金が成立しているので「支給していただける」という感覚なのかなと感じております。やはり、前の議論ではありませんが、年金のバランスシートが破綻してようが、将来給付が下がることがわかっていようが、税金と同程度の義務をもって国民ならはらわにゃいかん、と。法律のどこにも賦課方式とも、修正積立方式ともうたってない(え、ですよね?)わけですから。あるいは、公的年金の財政均衡法のようなものが存在するのでしょうか?あるいは、そういう法律を提案するというのはいかがなものなのでしょうか?

あ、もうひとつだけ。第三者機関の監査は屋上屋を重ねることでも十分に意味があるとおもいます。まあ、金額が金額ですからなかなか請け負う監査事務所があるか疑問ですが。

投稿: ひでき | 2004年8月26日 (木) 07時31分

 ひできさんこんばんわ。

 債務については私も通りすがりさんと同意見です。
 どこまで書いて良いのかわかりませんが、「法律で○円支払うとした法律をいきなりゼロ円にしても良いのか」という類の話は法制局でも頭の体操として出ているはずです。
 結論は「少なくとも法律を改正する日までに約束した金額を過去にさかのぼってゼロにするのは無理だろう」だったはずです。
(詳細はここでは書きにくいでです)
 要は、国家が破産しない限りは元本保証はせざるを得ない、ということです。

 役所的には「法の趣旨」というものが重要視されます。いわゆる「解釈」ですね。
 それを考えると、保険料を聴取して事実上の支払い義務が生じていると考えるべきだと思います。
 政府への信用に対する政府の国民に対する義務という言い方をすればよいでしょうか?

 通りすがりさんのご指摘のグリーンピア関係の話をちょっと書きますと、おおむねご指摘通りです。
 この点は昭和40年代から50年代にかけての年金あるいは共済関係の附帯決議や国会での議論を見るとよくわかります。
 金を寝かしておくのではなく福利厚生施設として還元しろ、と。企業でいう海の家のようなものです。もちろん政治家や自治体の誘致があるのは当然です。

 ま、そんなものです。
 経験上「福利施設建設」という条項は役人の力でははずせません。国会の附帯決議だからです。
 グリーンピアの建設をやめさせるのは実は簡単で、「業務範囲」から削ればいいだけの話です。
 それをどの政治家もやってこなかったというだけの話です。

 なんかうまくまとまりませんが、最後に一つ。
 監査は不正か不正でないかが問題であり、積み上げの根拠等が予見可能な範囲で合理的であれば問題ありません。
 厚生省の数字に根拠に理由があればそれは問題にはならないと言うことです。
 例えば、法案提出後に出生率が予想より低かろうが、法案作成時入手できるデータを十分勘案していれば全く問題はないということなのです。

投稿: ハーデス | 2004年8月27日 (金) 02時18分

○受給権は財産権か
ハーデスさんがすでにコメントしているので、補足データと言うことで。
何かいい資料はないか、少しばかり検索をしていたら、第151回国会(平成12年度〜平成13年度の通常国会)で民主党が出した質問主意書で、次のようなものがありました。

「農業者年金制度改正における受給者の負担等に関する質問主意書」
(質問の抜粋)
一 公的年金制度における既裁定の年金は、憲法が保障する財産権との関係でどのように位置づけられるか。
二 受給者の年金を削減するということは、憲法上の財産権の侵害に当たらないのか。また、契約違反とはならないのか。
三 財産権たる既裁定の年金を減額することが認められるのは、どのような場合か。特に、今回の改正案を提出しようとする背景と言われている年金財政上の問題をもって減額することは妥当か。また、妥当とする場合、その理由は何か。
四 財産権たる既裁定の年金を減額することが認められるとした場合、その水準については、どのように考えるか(財産権の侵害には当たらないとする年金減額の水準の考え方)。

政府の回答(「答弁」と言うそうです。;国会での答弁と同じ効力を持つそうです。)については、衆議院のサイトに掲載されていますので、そちらをご覧ください。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/151017.htm

結論としては、
・年金の受給権は財産権である。
・公共の福祉に適合する範囲であれば、減額は可能である。
と言うことです。

○保険料は払わなければいけないのか
国民年金法第88条にはこうあります。
第八十八条  被保険者は、保険料を納付しなければならない。
2  世帯主は、その世帯に属する被保険者の保険料を連帯して納付する義務を負う。
3  配偶者の一方は、被保険者たる他方の保険料を連帯して納付する義務を負う。

厚生年金保険法第82条にも次のようにあります。
第八十二条  被保険者及び被保険者を使用する事業主は、それぞれ保険料の半額を負担する。
2  事業主は、その使用する被保険者及び自己の負担する保険料を納付する義務を負う。
3  被保険者が同時に二以上の事業所又は船舶に使用される場合における各事業主の負担すべき保険料の額及び保険料の納付義務については、政令の定めるところによる。

これより、義務であると読めます。

○財政の均衡について法律はどうなっているか
財政を均衡させることについては、国民年金法第87条に
第八十七条  政府は、国民年金事業に要する費用に充てるため、保険料を徴収する。
2  保険料は、被保険者期間の計算の基礎となる各月につき、徴収するものとする。
3  保険料の額は、この法律による給付に要する費用の予想額並びに予定運用収入及び国庫負担の額に照らし、将来にわたつて、財政の均衡を保つことができるものでなければならず、かつ、少なくとも五年ごとに、この基準に従つて再計算され、その結果に基づいて所要の調整が加えられるべきものとする。
4  保険料の額は、当分の間、一月につき一万三千三百円とする。
5  前項の保険料の額は、その額が第三項の基準に適合するに至るまでの間、段階的に引き上げられるべきものとする。

および、厚生年金保険法第81条にも
第八十一条  政府は、厚生年金保険事業に要する費用(基礎年金拠出金を含む。)に充てるため、保険料を徴収する。
2  保険料は、被保険者期間の計算の基礎となる各月につき、徴収するものとする。
3  保険料額は、標準報酬月額及び標準賞与額にそれぞれ保険料率を乗じて得た額とする。
4  保険料率は、保険給付に要する費用(基礎年金拠出金を含む。)の予想額並びに予定運用収入及び国庫負担の額に照らし、将来にわたつて、財政の均衡を保つことができるものでなければならず、かつ、少なくとも五年ごとに、この基準に従つて再計算されるべきものとする。
5  保険料率は、当分の間、千分の百三十五・八(厚生年金基金の加入員である被保険者にあつては、千分の百三十五・八から第八十一条の三第一項に規定する免除保険料率を控除して得た率)とする。
6  前項の保険料率は、その率が第四項の基準に適合するに至るまでの間、段階的に引き上げられるべきものとする。

となっていて、財政を均衡させること、および保険料を段階的に引き上げることが明記されています。
(さらに、財政が均衡するために必要な保険料を計算しなおすために再計算を行う、ということも読めます。)

修正積立方式というのは、この条文と過去の収支によってできあがった現在の財政が、積立方式でも賦課方式でもないため、何らかの基準によって名付けたのだと思われます。また、今の財政が「賦課方式である」と言われるのは、積み立てられていない部分か、その影響の少なくともどちらかが色濃く出ているからであると思われます。

○屋上屋を重ねること
元々、審議会も会計検査院も第三者に意見を求めるために作られたものだと理解しています。
(会計検査院は、憲法に定められた、内閣に属さない機関だそうです。)
なので、さらに別の第三者に監査を依頼することは、良く言えばダブルチェックが働くことですが、悪く言えば無駄に税金を使っていることになります。
(例えば、企業の会計監査をするときに、A監査法人に監査を依頼したのち、さらにB監査法人に依頼する企業は普通は考えられません。)


条文を引用したため、非常に長くなってしまいました。

投稿: とおりすがり | 2004年8月27日 (金) 03時31分

ハーデスさん、
とおりすがりさん、

おはようございます。非常にすばらしいコメントをいただきありがとうございます。かなり感動しております。

あの、コメントにしておくのはもったいないので、これまでこんなことしたことなかったですけど、この内容を記事にしてもよろしいですか?

投稿: ひでき | 2004年8月27日 (金) 07時33分

○エントリへの掲載について
こちらで投稿したものについては、引用されてもかまいません。
ただ、ハーデスさんの投稿があってこそ生きるコメントだと思いますので、ハーデスさんにもご確認して頂ければと思います。

○前回コメントについて追記
そういえば、前回のコメントで引用した条文ですが、国民年金法、厚生年金保険法、ともに電子政府の総合窓口において、総務省が提供している法令データ提供システムを元にしています。
http://www.e-gov.go.jp/
(編集時に削除したままでしたので、ここで追記しておきます。)

投稿: とおりすがり | 2004年8月29日 (日) 16時15分

ひできさんこんばんわ。
 今日は体の具合が悪かったので、午後出勤で早めに帰ってきました。本当は休みたいのですが・・。

 私のコメントはお任せします(とはいえ、国語能力の問題があるので適当にしてください(笑))

 追加するとすれば、マスコミや国会議員がいうほど国家公務員は「国民に対する責任」を軽く見ていないということです。

 役人は、影響の大きいものであればあるほど法律の説明会というものが必ず存在し、不利益改正の場合袋叩きに合います。
 こちらが真剣に考えたものでないと話は聞いてもらえません。

 そういった真剣味が、テレビに出てくる政治家たちには私は足りないように思えるのです。
 今の状況では明らかに給付削減、負担増にせざるを得ないと思います。
 そのなかで政治家たちは、どういう行動や言動をとってきたか。
 
 だから政府批判一辺倒の政治家は信用できないのです。

 すみません、ちょっとよけいなことを書きました。

投稿: ハーデス | 2004年8月30日 (月) 22時31分

とおりすがりさん、
ハーデスさん、

こんばんわ、

なんというか、ほんとうに頭がさがります。本来なら私のようなものが、こうしたことを書くのでなく、しかるべき方がお二人のご意見をまとめてそれこそ論文にしたり、本にしたり、新聞記事にすべきなのだと真剣に感じます。あるいは、それこそ先生といわれる方々がほんとうに自分自身をかけて解決すべき問題を、ここで解明してくださったように感じております。

みのほど知らずはもとより覚悟の上、まずはお二人のご指摘事項を理解するところから始めさせていただきます。

ありがとうございます。

ハーデスさん、

お身体、ほんとうにお大事にしてくださいね。最近、健康の大事さ、生活習慣病の恐ろしさを実感しております。

投稿: ひでき | 2004年8月30日 (月) 23時11分

「公的年金に財産権は実在するか」のエントリは読ませて頂きました。
コメントしようかと思っていたことはすべて投稿されていましたので、お休みさせて頂きました。

○書評に関する参考文献
最近発見したページに次のようなものがありました。
(ひできさんが先に挙げたエントリで参照していた「権丈ゼミ」のサイトがありますが、その権丈教授ご本人のページです。)
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/korunakare15.htm

内容を要約すべきなのでしょうが、高山教授がどのような論陣を張っていらっしゃるのか、著書を読んだわけではありませんので、いたしておりません。
権丈教授が書かれた結論と思われる部分は、「賦課方式を支持する高山教授がバランスシートを用いて議論するのは、高山教授のスタンスと矛盾する。」ということのようです。

もしかしたら既にご存じなのかもしれませんが、参考までに挙げさせて頂きました。

○雑感
これを読んでいて、高山教授が挙げられたバランスシートによる年金財政の議論は、世代間の損得の議論においては、火に油を注ぐようなものだったのではないかと思わされました。
それが良かったかどうかは・・・今の段階では評価のしようのないことですが。
もっとも、過去期間に対応する部分のバランスシートを修復することは、積立方式へ転換することになります。高山教授がこのページで述べられているとおりの賦課方式支持者であるならば、「一体何を言っているのだろう、この人は?」と訝しがられても致し方ないのかもしれません。
今日における年金における議論で一番重要なことは、どのような給付設計をし、最低限必要な給付(基礎年金なり、最低保証年金なり)はいくらで、その結果発生する給付を行うための負担を、誰が(ここでは「国が」は答にならない)、どのような形(税か、保険料か)で負担するか、が一番重要なのではないでしょうか。

○その他
よく「日本の年金は諸外国と比べて、給付額が高い」と言われますが、「物価はどうなの?」と思っています。
給付額の比較の際にはおそらく為替レートでいずれかの国の通貨に換算していると思われますが、その為替レートで換算することの是非も考えられます。(円-米ドルレートでは円が強すぎるという意見もありますし。)
単純に額面(それも、為替レートで換算したもの)で比較することにどれほどの意味があるか疑問ですし、あるべき論点から大幅に道を外す要因にもなりかねません。所得代替率ないしは生活水準で考えるべきことだと思うのですが・・・。
(もっとも、所得代替率50%について、「払った保険料の50%しかもらえないのはおかしい」といっていた知人にはびっくりしましたが。)

○おまけ
所得代替率といえば、基礎年金が導入される前の年金制度では、今で言うモデル世帯の年金額が現役世代の109%となるということだったので、それから比べればずいぶん削減されたことになりますね。
http://wp.cao.go.jp/zenbun/keizai/wp-je85/wp-je85-00302.html
なぜ、こんなことになったかは、歴史を漁ってみる必要があるのでしょうけれど。

投稿: とおりがかり | 2004年9月12日 (日) 18時57分

とおりすがりさん、こんばんわ、

超々おそレスで、恐縮です。

「サンチョパンサ」の議論を楽しませてもらいました。「段階保険料方式」という言葉ははじめて知りましたが、特に今回の改革の後では債務超過は高山先生の議論的にも存在しないと思っていました。とおりすがりさんとハーデスさんに教えていただいた行政=法律論的にも債務超過など存在しないと感じておりました。それ以前に、ドン・キホーテ=高山先生の議論のあやうさは一読させていただいたときから、感じておりました。

年金の給付水準はどれだけの額が適正かという議論は、それだけで記事をかかなければいけない問題だと思いますが、どこまでが福祉で、どこまでが恩給的な意味での給付なのかというのは、やはり介護保険、健康保険、生活保護等とあわせて考えるべき問題であるように感じます。そして、それらの総合的な内容で、老齢世代の福祉的な補助、恩給的な給付の水準を実際の生活にあった形で考えるべきだと思います。いずれも、保険料、税金という形で現役世代がかなりの部分(ほとんど)を支払って老齢世代をさせえているわけです。年金制度は債務超過にならないかもしれませんが、今後の現役世代の個人の家計は十分に債務超過になる可能性があるので、省庁の違いうんぬんということでなく、真剣にどれだけの制度、どれだけの保険、どれだけの金額が必要なのか議論する必要があるように思います。

この辺の問題を真剣に考えるなら、今後の人口構成についてもかなりメスをいれなければならないのでしょうか?私には、リアルの仕事の関係などから見ていても、どうしても今現在の「豊かな老齢世代、貧しい現役世代」という構図から離れられません。

投稿: ひでき | 2004年9月15日 (水) 02時34分

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