「なにがあってもロシアだけは信じられない」のか? Don't trust anyone over...?
昔々祖母が私に語ったことが忘れられない。それは、子守唄のように私にしみこみいまも私のどこかを動かしている。
「敗北を抱きしめて」を読みながら、以下の箇所にたどり着いたとき、私の中で腑に落ちるものがあった。
皇道派は、東南アジアにおけるアメリカやヨーロッパの植民地を攻撃してこれら列強にいどむことにはとりわけ慎重で、むしろソビエト連邦に対抗して日本を「北に向けての進撃」に備えさせるべきだとする意見に傾いていた。その皇道派が、そして近衛(文麿)が、どうしても太刀打ちできなかった敵が東条率いる統制派だった。
私は以前から、なぜ日本がリスクを犯して日独伊の軍事同盟までも結びながら北進しなかったのかが不思議でならなかった。
明治からこのかた日本の仮想敵国はほぼつねにロシア、そしてソ連だった。北への恐怖が、日清・日露戦争を生み、日本の陸海軍を肥大化させた。「八甲田山死の彷徨」も対ロシア戦にそなえた演習ではなかったか?ソ連の脅威を減らすことが日本の国益であるということは、戦前に一般的に認識されていた情勢判断だと私は理解している。1930年代のドイツと軍事同盟を組むという意味は、ドイツと日本に共通の仮想敵が存在し、その仮想敵を挟撃することを意図していたからだととらえるほか理解できない。他国へ侵略するということを今から評価すると「悪」となってしまうが、日本が朝鮮半島、そして満州を自国へ組み入れようとしたのもソ連への恐怖からではなかったのか?非常に皮肉なことに朝鮮半島がソ連との対抗上どうしても必要だとマッカーサーが朝鮮戦争後に述懐していたと聞く。
「大国の興亡」の下巻を最近再読し、この疑問はますます大きくなった。「大国の興亡」の歴史を通じて(そう、20世紀に入ってからは特に...)、敵国とみなされた国の戦力は常に過大評価されて来た過程をポール・ケネディーが詳細に追いかけている。第二次世界大戦前後のソ連の5ヵ年計画などの計画経済も、軍事力の育成も、決して順調にいっていなかったことが戦後の研究によって明らかにされているという。ソ連についても、ドイツと開戦した時期の戦闘力について日本においてもかなり過大評価されたきらいがあるように感じた。ノモンハンという羹に懲りて膾を吹かせようとしたのは誰なのか?
そして、私の最大の疑問は、なぜ昭和15年前後の日本が北へ向かうべくドイツと連盟を組み、地歩を固めていたにもかかわらず南進し、南印を攻め、米国を大戦に巻き込むようなこれまでの大戦略と矛盾する行動をとってしまったのかということだった。
「敗戦を抱きしめて」の上記の一節は、私の問いにひとつの回答をもたらしたように感じる。それは、一番北進して欲しくないと望んでいる集団が日本国内に存在し、その集団が日本の政策に影響を及ぼしたからだと感じた。では、その集団はどのような目的のために日本の大戦略を潰えさせたのか?
偶然というものは、重なるものでつい先日Yahooニュースでゾルゲの業績の見直しがあったと報じていた。このニュースの中で、いくつかのリンクが示されていた。その中で、私の疑問に応える文書があった。
・ゾルゲ事件 by 摂政関白大アホ大臣さん
明らかに実名をだされていない方の記事だし、必ずしも記事中のひとつひとつの事実が依拠すべき根拠が明らかにされていないが、ここに記されたゾルゲ・尾崎の動きを考えると自分が疑問に思ってきたことが氷解してく。
それにしても、一応一国の宰相が上奏文にまでとりあげ、日本で逮捕され処刑されたゾルゲがソ連で英雄になっているという事実があるにもかかわらず、私が生きてきた戦後の時代において、一般に歴史としてこれらの事実が全くとりあげられないということが私には非常に不思議だ。近隣諸国との全方位外交が優先されるのかもしれないが、ゾルゲ事件が本当に意味することも歴史に埋もれたままになってしまうのか?それとも、私がこれまであまりにも無知なだけで、どこかではきちんと教育されているのだろうか?あるいは、真に知るべき歴史というものは、私の祖母がそうしたように子孫に代々口伝えで伝えていくしかないのだろうか?
私は、自国の歴史の課題に関する現代人の怠慢がいまの日本の敗北主義の風潮を生んでいる気がしてならない。当初は意味のあった歴史的事実の回避が半世紀以上すぎ、意味を失ってからもただ禁忌として残っているように思えてならない。歴史を戦後、占領期、大戦、戦前、日露戦争、明治維新へとさかのぼり、自国の歴史を直視するほか、敗北主義の風潮から私達がぬけでる方法はないのではないか?良くも悪くも過去の歴史は、過ぎ去ってしまったものだ。自国の歴史が残した課題を解くことは、今生きている私達しかできない。今の現状を過去に必死に生き抜いてきた人々のせいにしてすまされはしない。歴史を宿命論にしてしまってはならない。
■参照リンク
・炸裂する大量ペテン兵器 by 園田さん
・財閥解体(1946)……GHQの命令でといわれる、でも本当にそうか? by 余丁町散人さん
・恒久平和 (HPO)
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コメント
ひできさんこんばんは。
いわゆる「仮想敵国」は常に変わりうるものであり、また一つでもないと思います。
具体的に言えば、日清戦争は朝鮮半島における日本権益確保のためであり、日露戦争もその延長線にあります。
一方で、第二次世界大戦前の対ソ敵国論はファシズム対共産主義というものであり、帝政ロシアと同じにとらえるのは難しいと思います。
日独防共協定→独ソ不可侵条約→「欧州情勢は複雑怪奇」→ノモンハン事件→日ソ中立条約、という過程はある意味わかりやすいと言えばわかりやすいです。
我々は自己中心的な行動の結果を忘れてはならないと思います。
(とはいえ、最近の中国の反日教育や韓国による干渉については、その歴史的事実をゆがめているがゆえに絶対反対なのですが)
投稿: ハーデス | 2004年10月 1日 (金) 00時58分
ハーデスさん、こんにちわ、
私の拙いまたもしかすると誤解をうけかねない記事に真摯なコメントをいただきありがとうございます。
そうですね、もしかすると当時言われていたことの国内向けのプロパガンダとして、ロシアへの恐怖が使われていただけかもしれません。ただ、ロシア=ソ連の南下政策というのはかなり永続性をもった運動であったと、またゾルゲ・尾崎の事件は実在したのだと理解しております。
実は、このようなことを書き始めたきっかけは「選択」という雑誌の一連の記事でした。「選択」という雑誌は、いまいろいろとりざたされているので、もしかするとすでにハーデスさんもお読みかもしれません。
http://www.sentaku.co.jp/index.htm">http://www.sentaku.co.jp/index.htm
8月号「韓国中枢への寝食に成功した「北」」
9月号「韓国消滅狙いか「ウリ党」の本性」
10月号「弾圧される韓国「三大全国紙」」
トンデモ記事なのか、実際で北からの工作が行われた結果が「ウリ党」なのか私には判断できませんが、半島全体の今後にもかかわる政治的な地殻変動がいま現在韓国で起こっているように感じます。そして、これは案外我々も対岸の火事ではないのではないか、という疑問があります。
私のようなものがここでなにをいっても朝鮮半島の政情にも、日本の今後のゆくすえにも関われるとは思っておりませんが、自分が祖母から、父祖から教えられたこと、そして、自分が自分の子どもたちになにを語り継いでゆくのかを真剣に考えるべき時期がきているのだと今回感じております。
投稿: ひでき | 2004年10月 1日 (金) 12時10分
ハーデスさん、こんばんわ、
ココログの不調のせいか、ハーデスさんのコメントがメールで通知されず気が付くのに時間がかかってしまいました。失礼いたしました。
ほんとうに貴重なご意見をありがとうございます。深く深く同意させていただきたいです。「他国のスパイのごとき言動」というのは、ほんとうにそう思います。日教組や身近で行われている「進歩的」といわれる方々などの発言とソ連の国益を重ねて比較したくなるのは私だけでしょうか?しかも、それらがごく当たり前の常識として我々の世代に浸透していることを考えると背筋が寒くなります。お隣韓国でも「368世代」(30代、60年代生まれ、80年代に大学)が特に左傾し北寄りになっていると聞きますが、まさに私の所属する「共通一次世代」といった感じでしょうか。
少々心配になり子どもの教科書などを今日読んでみました。「道徳」の教科書をざっと読んでみましたが、国の伝統への言及や、自分の所属する地域や組織への連帯感などをテーマにした単元はひとつもないように思いました。子どもの話では文部科学省が全中学生に無料で配っているのだそうです。釈迦に説法ですが、いまの日本の現状がどうあれ世界的にみてこれぐらいユニークな歴史をもっているということは、誇りにすべきだと感じます。昭和初期に大きな間違いがあったことは確かですが、だからといってなぜそれを全否定しなければならないのか、教育の中で無視してしまっていいのか、非常に疑問に思います。(あ、私の記憶の中では、自分が中学生のころ国への誇り、集団への連帯感といった単元が道徳の授業の中にあったように記憶しております。違いましたっけ?)また、検証はしていませんが、小学校の歴史もかなり簡略化されているようです。これも子どもの言葉をかりれば「ほんのすこしだけやった」そうです。中学校でも、2年生からはじめて歴史を学習するそうです。
ついでにウワサの「新しい歴史教科書」の近現代の部分を読んでみましたが、非常に内容が薄いですね。まして他の教科書だと一体どうなっているんだろうと真剣に不安になりました。漫画の「日本の歴史」(樋口清之さん監修)の方がはるかに的確に書いてあるように感じました。(東条英機と松岡洋右って一体なに!とかおもってしまいました。また、それは別の機会に...)
本当に子どもにどう歴史を教えていくか、真剣に考えています。
投稿: ひでき | 2004年10月 3日 (日) 23時12分
ひできさん
とんでも史観と紙一重の論考があります。
■「南進論」と「北進論」に垣間見えた日本人の深層無意識
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/roots.html
投稿: MAO | 2004年10月 4日 (月) 21時54分
MAOさん、こんばんわ、
わざわざお出ましいただきありがとうございます。いんやぁ、これすごいですね。夜中のオフィスで一人で笑ってしまいました。でも、案外これが正解なのでしょうか?
まったく話題がちがいますが、いつぞやコメントいただいたべき乗の法則関連で以下のようなイベントしてます。また、ご報告させてください。
http://c.gree.jp/?mode=community&act=view&community_id=426">http://c.gree.jp/?mode=community&act=view&community_id=426
前回の報告:
http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/08/wo.html">http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/08/wo.html
投稿: ひでき | 2004年10月 5日 (火) 00時42分
いろいろとすみません。
かえってお手数を・・。
ところで、教科書と言えば、以前日本史ですばらしい教科書があったのをご存じでしょうか。
「新日本史」という教科書で、10年以上前に、やはり朝日新聞的な「進歩人(><)」にぼろくそに叩かれたものです。
特に、おそらくはほとんどの人が知らない歴史の逸話などものっていて、私は非常に感動しました。
そのうちの一つを取り上げますと、
鎌倉時代、北条貞時の時代。
元の国書を持って来日した一山一寧。当初は疑われてとらえられますが、執権貞時はその博識に感じ入り、建長寺に迎えます。
これに対し、知識に自信のあった僧虎関師錬。彼を訪問し、中国仏教史をはじめとする知識を披露します。
そこで一言。「歴史をよくご存じなのは感心しました。では貴国の歴史は。」
師錬は十分に答えられませんでした。
一寧曰く「自分のことを知らずに他人のことを語って何になるのですか。」
これに恥じた師錬は一念発起し、日本仏教史をまとめた元亨釈書を完成させたのでした。
このように日本史の重要性を昔の逸話で語っていたりしたものです。
自分を知らずして他者の知識をひけらかすのは「軽薄」であると。
これは、今の時代にも通じるものがあるのは明らかです。
そういった「おもしろい歴史」が今の教科書にはないように思えます。
日本史=暗黒とする勢力のせいだと思いますが・・・。
歴史は暗記物でなくおもしろいものなのですが、残念です。
投稿: ハーデス | 2004年10月 6日 (水) 01時18分
ハーデスさん、おはようございます、
いろいろとお気遣いありがとうございます。痛み入ります。お返事が遅くなり、もうしわけございませんでした。
建長寺には、以前家族でハイキングに出かけたことがあります。もともと中国とは縁の深いお寺だと聞きました。そこで、このようなエピソードがあったとは知りませんでした。本来、歴史とはこうした人と人とのやりとりの集積なのだと思います。大きな戦争も、経済構造の変化も、そこにあるのはいかに人が動いたか、人とつながったかではないでしょうか?この延長として、漫画の日本の歴史などに案外みるべきものがあるような気がしています。
ちなみに、今「なぜ太平洋戦争になったのか―西洋のエゴイズムに翻弄された日本の悲劇」(ISBN:4484012227)という本を読んでみようと思っております。
投稿: ひでき | 2004年10月11日 (月) 12時21分