手塚治虫と心中物 ~when a man loves a woman~
■歌舞伎の心中物
先日、たまたま「火の鳥・未来編」に出てくるマサトという少年とルーピーという異星の生物のタマミの逃避行を読んで、これは手塚治虫の作品の中で出てくるひとつの類型なのだはないかと感じた。少年と少女との逃避行という歌舞伎でいう心中もののようなパターンを持つ作品を、手塚治虫はいくつか書いているように感じた。
ライオンブックスに収められた「安達が原」に代表されるように、手塚治虫のいくつかの作品には歌舞伎の影響が認められる。男と女の死出の旅を「道行き」というと思ったのだが、歌舞伎に詳しい友人に聞いたら親子の旅でも、義経一行の旅でも、旅をすることを「道行き」というらしい。「心中もの」とは、最初から愛が実ることのないことがわかっている男女が駆け落ちしてどちらかあるいは両方が死んでしまうという類型をもつ一連の歌舞伎をさすと理解している。
やはり、実際にリストアップしてみないと具体的でない。ちょっと思い出したままにリストアップする。
■「アポロの歌」:1970年
これは、近石昭吾のくりかえされる成就しない少女との愛の物語だ。愛を拒絶するあまり残酷な行為を繰り返し、精神病院に収容された近石少年へ加えられる治療という現実と、無意識で垣間見られるナチスドイツ支配下でのドイツ人の少年とユダヤ人の少女の生死をかけた一瞬の恋や、セスナで不時着した動物が仲良く暮らす現代の無人島におけるパイロットと女カメラマンの反発しながらも惹かれあう恋、そして未来の合成人間の女王と迫害される人間の少年との結ばれる想いの物語などが、交差しあいながら物語は進んでいく。
舞台劇にたとえれば幕間にあたる、ギリシアの神殿のような場所でのシーンで、近石少年は、さまざまな時代で、さまざまな状況で、惹かれあい、恋に落ちるが、決して結ばれることがないと女神に宣託される。現実でも、ほかのどの時代でも、世間は二人の愛を迫害し、追い詰め、死に追いやろうとする。恋の成就することのないこの冷酷な世界から逃げようとしても、どの恋でも、どの物語でも、恋が成就する前に二人のうちのいずれかが死を迎えてしまう。最初から結ばれることがないことを宣言されてしまっている男女の愛の「心中物」だと私には読める。
・同作品の「Tezuka Osamu @World 解説」
ちなみに、この手塚治虫ワールドのページを読んで知ったのだが、「火の鳥 ギリシア・ローマ編」でも、似たモチーフが出てくるらしい。
■「百物語」(ライオンブックス5~8話):1971年
この作品は、手塚治虫お得意のファウストを下克上の時代の日本に換骨奪胎した物語だ。女悪魔のスダマとの契約により若返った不破臼人は、メフィスト=スダマをお供に世界を漂白する。次第に自分の力に目覚めていく不破に悪魔のスダマは恋をしてしまう(!)。そして、不破臼人は若さも得、一国の主ともなり、最後の願いである美女として、目の前のスダマを選び取る。満足してしまえば、契約によりファウストよろしく魂を悪魔にあけわたすほかない。これも死を運命付けられた旅の果の「心中物」のひとつではないだろうか?
ちなみに私は、ちょっといろっぽいポーズのスダマが好きだぁ!
・同作品の「Tezuka Osamu @World 解説」
■「火の鳥・復活編」:1970年
昔いとこのコレクションの中で見つけたこの作品は、私にとって最初の手塚作品との出会いであったかもしれない。それ以来、「火の鳥」は何度読んだかわからないくらい読んだように思う。事故により身体の大部分を機械に変えられてしまった主人公のレオナは、人間も花も生き物がみな無機物にしか見えない。しかし、レオナには人間に見えるロボットのチヒロと恋に落ち(!)、未来都市から二人で逃げていく。しかし、文明の産物である二人は高度に保護された未来都市から逃げ出しても生きてはいけない。結局、レオナは生物的には死んでしまうが、チヒロとひとつに溶け込みあたらしいロボット、ロビタに生まれ変わる。死んでいっしょになるというのは、心中の殺し文句ではないか?
・同作品の「Tezuka Osamu @World 解説」
■「どろろ」:1967~69年
あまりここでネタばれしてしまうと、どこかから槍が飛んできそうなのだが、百鬼丸とどろろの漂白は、実は道行きというのにふさわしいように思う。生まれる前から48の魔物に身体の部分をとられてしまった百鬼丸は、自分の身体をとりもどすために旅をしながら妖怪を退治していく。この妖怪というのが実に人間くさい。金への欲望、復讐への妄執、食への貪欲さなど、あるいは高度成長時代のむきだしになった人間くささが反映されている。ここで語られる思慕の念も、常に満たされることはない。
・同作品の「Tezuka Osamu @World 解説」
■「きりひと讃歌」:1972年
いわずと知れた「白い巨塔」をベースにしたといわれる作品。ある難病とそれをめぐる人間模様がじつに生々しい作品だ。東京、東北を思わせる寒村、そして中国と主人公のきりひとが好むと好まざるとにかかわらず旅をしていく。難病の調査のために訪れた閉ざされた村のたづ、あるいは極限の芸を演じるために精神的に病んでしまった芸人の蓮花など、この旅の途中で、きりひと関わる女性が次々に死んでいってしまう。また、別に語られるきりひとのライバルである占部と女性の関係など、決して満たされることのない男女の関係と死に満ちている作品だ。
・同作品の「手塚治虫のすべて 解説」
■「やけっぱちのマリア」:1970年
よく性教育漫画だといわれる作品。実は、かなり荒唐無稽なストーリー展開を見せる。しかし、最初から結ばれることのないことがわかっている人間でない少女のマリアと、やけっぱち少年の恋の物語でもある。
・同作品の「Tezuka Osamu @World 解説」
■「安達が原」(ライオンブックス第1話):1971年
短編なのだが、私にはかなり印象的な作品だった。革命に生きた男女の時間を越えた物語なのだが、あまりにも悲しかった。完全なSF作品なのだが、前後の歌舞伎の謡をモチーフにしたページが非常に美しいと感じた。
・同作品の「Tezuka Osamu @World 解説」
・「「安達が原」のユーケイ」 by 佐藤和美さん
■「アトムの最後」:1970年
内容的にはアトムの最後というよりも、男女の駆け落ちとその顛末がメインの作品だ。あえてここで書かないが、私にはかなり意外な結末だった。これも死と成就しない恋の物語の類型だといえよう。これ以上書くとどうしてもネタばれは避けられないのでやめる。
・同作品の「手塚治虫のすべて 解説」
■「品川心中」:1966年
ネットで探していたら出てきた。落語がオリジナらしい。私は未読だが、この落語がベースだとすると偽装的な男女の心中といったことらしい。
■男が生きる、生き延びるということ
以上、「心中物」という関連で思いついたリストをネットで調べながら以上を書いた。当初思いつきで作ったリストで、上に含まれていないのは「ネオ・ファウスト」くらいだが、良く思い起こしてみるとこの作品には最初から報われることのない男女の愛は描かれてはいない。逆に、「品川心中」はネットで初めて知ったし、「アトムの最後」も調べているうちに思い出してリストに加えた。
驚くべきことにほとんどの作品が1970年前後に集中して書かれている。私はかなり熱烈な手塚治虫ファンで、すべてとは言わないが手塚作品のかなりを読んでいると思う。しかし、上記のリスト以外に最初から実ることがない、あるいは恋人が死んでしまうことが決定されている恋愛をテーマにした作品が思い浮かばない。まあ、もともと手塚作品で男女の恋愛をおとぎ話にならないシリアスに書いた作品というのは少ないということはある。
あえてこのほかに男女の道行きあるいは心中ものとして想い浮かぶのは、「未来人カオス」、「シュマリ」くらいだ。いずれも上記のリストの作品とはあまりにもテーマの設定が異なるように感じる。
そこで、仮説なのだがこれらの手塚治虫の「心中物」は、手塚が自分で生き延びるためにどうしても書かねばならない作品だったのではないだろうか?この問題の1970年に手塚治虫は42歳になっている。つまりは、男の厄年だったのだ。手塚治虫にとって、この年齢というのは実は人生の転換点だったのではないだろうか?私のごく身近な男性でも厄年に生きるか死ぬかの思いをなんらかの形でしている方が多くいるように感じる。そして、この転換点を乗り越えるためには、性愛にも近い男女の恋愛関係が必要だったのではないだろうか?いや、決して手塚治虫のスキャンダラスなことを書こうというのではない。実生活の上ではなくとも、自分の作品の中で男女の愛を描くことが男の人生を生き延びるためには必要だったのはないかと感じる。
実際手塚治虫は1968年に虫プロを設立したが、1971年にはいろいろな争議の末に社長を退陣している。また、1973年にはとうとう虫プロを倒産させてしまった。1970年前後の年というのは、かなり手塚治虫にとって危機的であったに違いない。そして、その危機がこの天才をして火の鳥シリーズや、上記のような非常に迫力に満ちた作品を生み出させることになったのだと感じる。
■無謀なトラックバックにあたり... 「手紙に書いたkiss」 by リリカさん
ええと、私のようなものがトラックバックをさせていただくのは気が引けてしまうのですが、同時期に公開された天才といわれる人と恋愛についての関心ということでトラックバックさせていただきます。
> ふたりが抱きあったのは、しかし、彼の想像にすぎない。からだが触れあうことさえなしに、愛を経験させてくれる別世界。
リリカさんのように適切で美しい表現ができませんが、この辺の感覚が自分が手塚治虫について書いていて彼が作品に託した思いなのではないかと感じました。
■「プロジェクト2501」by たりぼんさん へのトラックバックにあたり 平成16年9月23日
「リンク元記事」をみていてたたりぼんさんの記事からのアクセスがあったので、ひさしぶりに読み返えさせていただきました。
> 彼がロボットと意識を融合し「ロビタ」となりましたが、たくさんのロビタは世界をどのように認識していたのでしょうか。手塚治虫はそれを描いては居ませんが。
勝手な憶測をすれば、融合した後は描く必要のない世界なのかもしれません。↑にかいたように男と女の関係に代表されるように、人が葛藤しながら、苦しみながら、戦いながら生き抜いていくというのが「火の鳥」の物語なのでしょう。もしそこに解決があるとすればコスモス=火の鳥と融合するということなのかもしれません。
そして、それはそのまま手塚治虫自身の生き方と重なるのかもしれません。
■参照リンク
・Manga3 by イノガミさん
■追記
なにかここで感じた手塚治虫の聞きと通底するものを感じた。
影とアニマの関係についての語り口調にはなにか不思議な思いがこもっていた。真面目に見つめる女子学生に、いやこれは男性の中年期、40歳ころの危機の問題になる、というようなことをくぐもりながら言っていた。[極東ブログ:河合隼雄先生のこと]
気がつくと私も数え年で42だ。このエントリーをあげたときには想像もつかない不思議な感じがする。
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コメント
手塚先生の作品、私はあまり数を読んでいないので、あまり深い考察はできませんが、手塚先生にとって漫画が女房なら、アニメは愛人だと言う例えをご存知でしょうか?完全に自分の趣味で作品を作り、金ばかりかかって収益にならず、でも憧れや情熱を注ぎまくって挙句痛い目を見て…。噂では漫画で稼いだ分を全てアニメに注ぎ込んだとか。
また国産初のテレビアニメ、鉄腕アトムの制作費も赤字覚悟の予算組みをして以来、それがテレビ業界では常識の予算となってしまい、現在に至るまで業界全体に大きな悪影響を与えているそうです。だいぶ話が逸れてしまいますが、その辺の恨み節を宮崎駿氏に語らせると、そりゃもう恐ろしい事に…!
それと「宇宙人いるのか? の、別の見解」へのトラックバックありがとうございました。この場を借りてお礼です。実は今机の上に2001夜物語があったりするんですが。
投稿: さかまた | 2004年9月 8日 (水) 02時22分
さかまたさん、こんばんわ、
実は手塚治虫さんの生前、一度だけ講演とアニメのデモンストレーションに行かせていただいたことがあります。「東京アニメフェスティヴァル」とかなんとかいったように記憶しております。デモンストレーションフィルの中で、男女が踊りながら過去へいったり、未来へいったりして、時を前後していく表現がありました。その昔風の白黒で線の入った効果を出すためだけに、私財数千万円を使ったと手塚治虫さんが講演していました。「な、なんという無駄を!」としか私には思えませんでした。確か、大学生のころですから亡くなる本の少し前のことだと思います。ほんとうに「女(愛人)遊び」につぎ込んでいらっしゃったんですね。
投稿: ひでき | 2004年9月 9日 (木) 01時19分