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2004年10月30日 (土)

[書評] 脱走と追跡のサンバ the show must go on

つい先日、半ば冗談で記事のタイトルを本書からとった。その直後にお世話になっている方のお引越しをお手伝いにいったら、「好きな本をもっていってください」と言われたので、手近にあった段ボール箱を覗き込んだら正真正銘の本書を見つけてしまった。しかも、文庫本の初版だ。多分、四半世紀ぶりに読み直し、以前とはまったく違う印象をもった。シグマリオンIIIを使い始めたなんて軽いノリの記事に「脱走と追跡のサンバ」とタイトルをつけたのは、軽率だったかもしれない。

思い込みというのは恐ろしいもので、「筒井康隆はSF作家だ」としてしかとらえていなかった私は、本書をスラップスティック、ドタバタ喜劇だとしか記憶していなかった。いったいどんな読み方をしていたのか、再読してみると自分で不思議なくらいだ。

本書は、小説世界の枠組や約束ごとを次々に飛び越えてしまうという意味で、メタ小説だといえる。押井守が「紅い眼鏡」の中で、いきなり書割を押し倒して映画撮影所を抜け出ていく主人公を撮っていたのが「メタ」な技としては印象的だった。筒井康隆は、押井守以上に鮮やかに小説世界を連続技でどんでん返しさせていく。

メタ小説であるだけでなく、本書は実は哲学書だったのだと「再」発見した。これぐらい冷静に情報の本質、時間の本質、そして自分の内宇宙を見つめた小説を私は知らない。本書には目次がついていないのだが、あえて章立て書けば以下のようになる。筒井康隆の筆にかかえると、情報も、時間も、空間も素っ裸にされてしまうのだ。

カスタネットによるプロローグ
第1章 情報
マリンバによるインテルメッツォ
第2章 時間
ティンパニによるインテルメッツォ
第3章 空間・内宇宙
ボサ・ノバによるエピローグ

主人公の「俺」は、どうしてもぬぐいされない世界への違和感を元にテレビ局、コンピューター、天文台、原子時計研究所、吾妻ひでおの漫画のように多層的に出てくる自分、恋人であり母親であり姉である女の経営する会社、自分を追跡する自分、はてはマッキンレーの山頂までかけぬけていく。この中で、いくども小説世界だと信じていたものが、テレビの書き割りになってしまったり、回転木馬が加速してとびちったり、胎内めぐりよろしく都市の下水道をくぐっていく。もうこの時点で筒井康隆はほとんど現代文学の域に達していたのだと感じる。これをSFと読むとスラップスティックになってしまうが、文学として捉えれば村上春樹を超えてはいまいか?小説や映画の壁をなぎたおしていくメタな連続技でいっても、押井守をはるかに先取りしているように感じる。

メタ小説であり、哲学書である本書を書いたこの筒井康隆の冷徹した視線の確かさはなんなんだろう。最初の書きだしから最後の1行にいたるまで、筒井康隆が例性さを失わなかった文字はひとつもない。ジャズ・ヴォーカルのパブリングのように軽やかに、情報も、時間も、空間、内宇宙も突き抜けていく。

せいぜい、「この登場人物はユングのいうアニマで。。。」、とか書けば、書評の結論めいたものになるのだが、筒井康隆では事情が異なる。一体、筒井康隆はなにをしたかったのか?

「これはなにについてもいえることなんだが、原点を探るために夾雑物を切り捨てていくとする。(中略)さて、残ったものはいったい何か。そいつが原点だって。とんでもない。そいつはもはや、ありふれた、どこにでもある、誰もが持っている、実につまらないちっぽけな、屑みたいなものの切れっぱしに過ぎないんだ。」

そう、それでも残るのは書く主体、表現しつづける主体としての自分だ。地の果てまで走り去っても、筒井康隆は語りつづけなければいけない。

■参照リンク
[読書]きょうの食い合わせ by mikegameさん
無題 @ 圏外からのひとこと
WEBの時間、サイトの寿命 by Jun Hirabayashiさん

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2004年10月25日 (月)

[恋愛試論] かわいそうだったぁ、ほれたってことよ。

この記事は、随分昔に書いた小論だ。すこし手をいれてからブログにアップしようと決心して、編集用の欄に置いたのが今日(10月25日)の午前中だった。いま、finalventさんの「[書評]超恋愛論(吉本隆明)」を読んだ。ネタがネタだし、ノリがのりだけに、単にコピペをするというのも野暮なのだが、finalventさんの記事へトラックバックしたさのあまりにこのまま載せてしまう。


夏目漱石先生が「三四郎」(だったかな)に、「Pity's akin to love.」 という英文を訳すシーンを書いていた。当時高校生だったぼくにはよくわからない感情だった。ずいぶん時間がたってから、ある女の子の背中を見ていてすごく頼りなげに見えて、「ああ、これが"Pity's akin to love."なんだ」、と実感することができた。というわけで、ひさびさに恋愛についていろいろ考えてみましょう。

やっぱり、恋愛ってどっかエッチと表裏一体なんだろうと思う。アメリカの学者だったかが、男女が出会って3ヶ月のあいだくらいは特殊な脳内物質が出ていてえらくエッチが気持ちいい状態になるんだそうな。これは、同じ異性だと3年間くらいで完全に消えてしまうので快感がなくなり「3年目の浮気」とかへつながっていくらしい。

一方で、A10神経の話というのもある。たいがいの神経には交感神経と副交感神経がペアになっててかならずブレーカーがついている状態だけど、快感をつかさどるA10神経だけはブレーカーがないって?だから、エッチの快感とかは脳みそがこわれるまで果てがないんだそうですだ。

これって恐ろしいことですよね。どこまでも快感にのめる込むことが出来る上に、それを止めることもできない。渡辺淳一の小説ではないけれど、最後の最後までいってしまう恋愛というのもこういうところから来るのかもしれない。

大体、男と女の関係で危険でない関係ってあるのかな、とも思います。よく「遊びだ」とか「結婚するんだ」とかいろいろ恋愛の深さを表す言葉ってあるけど、男女の関係ってのは、結構常に刃の上をわたりあるいているような、綱渡りの綱を右にゆれ、左にゆれしながらバランスをとるような、そんなあやういものが常にあるやに感じられます。それとも、何人かの人にとってはそれが一番スリリングな「遊び」なのかな?危険があるからこそ遊びだと思ってしまえるのだろうか。安定志向の私には深すぎてわからないことだけれど、そういうリスクがあるというのも「性=生」という生命にとってもっとも深い使命にかかわる部分にからんでいるから、恋愛というのは難しいんだろうね。

そうそう、この前突然発見したんですが、女性の唯一の弱点って安定を志向してしまうことでは?実はスタミナも気の強さも、下手をすると決断力も男性よりすぐれている女性がいっぱいいるのに、それでもみんな男がとなりで寝ていることに安心感と安定感を感じている。男がとなりで寝息をたてていることに慣れてしまう。

過去のことやら未来のことを心配して今の幸せを不安でぬりこめてしまうというのは、女性の悪いくせだと思う。これまた森瑶子を読んでそう思った。それも安定を志向しすぎるからだと思うんだけどな。安定は完璧でなければいけないと思うから、逆にバランスをくずしがちなのでは?

逆に、男ってあんがい安定を志向しないせいか、男女の仲であんまり心配しない。今満足しているのなら不安になったりしない(すくなくともぼくは)。女性からみると無神経だと思われがちなのも、この辺の差であるような気がする。

そんなこんな深い問題、浅い問題、下世話な問題、哲学的な問題を含みながら、それでも恋愛は人間の存在自体にかかわっているはずせないエレメントでしょう。そもそも、恋愛は男と女がいるから成立するわけだけど、これって基本的には「情報交換」が元だったと気付いた。人間からさかのぼること15億年以上前に、まだわれわれの先祖がアメーバみたいな単細胞生物だったころ、単体でもっている情報より他の仲間の持っている遺伝子情報を取り込んだほうが有利だと気付いた連中がいて、それで遺伝子情報を交換しあったのが、オスとメス、そしてセックスの最初だった訳ですよね。だから、男女の恋愛というのも互いに持っている情報の落差が大事。しかも、見た目だの財力だのおっぱいの大きさだの生き残るために魅力的な「情報」をもっている異性との「交換(交歓)」が一番快感をもたらし、ついには有利な子孫を残すのに役立つ。もう情報交換を十分にしてしまい、かつその結果(=子供)が出てしまうともう恋愛感情は必要でなくなってしまうんですね、残念なことに。さびしい限りです。

でもね、中国だと「魂と魄」、仏教とかヨーガとかの「歓喜仏」、ギリシア神話のアンドロギュヌスとか見ていると男女というのは存在のベクトルの差であるような感じもします。「魂」というのは、常に天上を目指す人間のエレメント、そして「魄」というのは地上につなぎとめておこうというエレメント。そして、男性にも女性にもこの「魂と魄」があるんだそうですが、男性の方が「魂」が強く、女性の方が「魄」が強く量が多い。そして、男女の交歓(=交換)を通じて男の魂と女の魂、女の魄と男の魄がそれぞれ呼び合い、互いに調和するときに初めてまつたき存在としての人間になれるんだそうです。歓喜仏というのは見たことがあるかな?象の形をした神様が騎乗位というのかな、座りながらのセックスの形をしているあれです。アンドロギュヌスは両性具有体で、あまりに完全な存在だったので嫉妬した神様に男と女に分離させられたという神話です。天上を目指すベクトルだけでも、地上にあろうとするベクトルだけでも人間はパワーを発揮できない。両方の調和が大事なんだと、しかもそれを本当の意味で調和させるのは歓喜仏が象徴するように男女のセックスしかない。

と、いう考えの延長線上で田口ランディを読んでちょっと(少なくとも頭の中では)男の女の関係からその先へ突き抜けられる方法を示されたような気がしています。ひるこのようになにか自分の中で形にならなかったものが、かたちを採り始めているような気がします。田口ランディのエッセイによると既刊の「コンセント」、「アンテナ」ときて次は「モザイク」というタイトルらしいです。「コンセント」は受容する性の象徴、「アンテナ」は虚無へ向かい突き出たファロスの象徴(ほんとかな?)、そして「モザイク」は二つの要素が混沌と交じり合おうとするさま。だから、次の本でとうとう「魂魄」合わさった境地が描かれると私は期待しているんですけど、どうかな?そして、それこそが僕が期待する恋愛論の結論になると思う。

やっぱり、もっと実際の現実の中で突き抜けたい。どろどろしたまとわりつくような、うんざりするような現実の中で自分をもっともっと解放していきたい。恋愛とかセックスとかも、もっともっと大きなプロセスとエネルギーの流れの一部なのだから。

作成 2001.2.18
改訂 15/12/31


誤解をさけるために書いておくと文中の「頼りなげな女の子の背中」は立派にたくましくなって、いまも私のそばにある。私の方が「支えてくれぇ!」といいたくなるくらいに...orz

もうひとつだけ。恋愛って結構やっぱり回路がショートカットするというか、神経ニューロンにおいて自己リンクが何重にもまきついてそこだけでうだうだ電流がながれつづけるみたいな状態なのだと感じる。ああ、だからどうだということではないのだけれどね...

ああ、そう、残念ならが数年前に予測した「恋愛の結論」は「モザイク」において得られなかった。田口ランディさんが「モザイク」で言いたかったことの片鱗は伝わってきたが、それは私が期待したものとは大きく異なるものだった。

■参照リンク
[書評]迷いと自己 「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」 (HPO)
男と女 (HPO)
日本政府は少子化対策のために早期の停電を実現するべきである by 切込隊長さん
熱く語る恋愛論 by ハルコさん
恋愛脳 (HPO)

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2004年10月24日 (日)

スケールフリーネットワーク・シュミレーター作成中 SF-net programming

ネットワークへの興味がつきない。最近、なにを聞いても考えても「ネットワーク思考」してしまう。特にマーケティングに関することで、会社から消費者につながる社会的な構造がスケールフリーネットワーク的な性質を持つと仮定すると、いろいろなことが説明できそうな気がしてならない。

この気が高じてとうとうスケールフリーネットワークのシュミレーションに手をだしてしまった。まだまだ、この場で報告するのも恥ずかしい状態なのだが、すこしでもヒントが欲しい時期なので、中間報告というか、第一四半期報告にも満たない状態だが、いまのありのままを書いてしまう。

以下、シュミレーション作成時に用いたメモ。

  • 目的: 一定のルールに基づいて、ノードとノードのリンクをシュミレーションする。
  • 定義:
    ノード:とりあえず20個。20×20の配列であらわす。初期値0(リンクなし)。dim nord{20,20}
    リンク:ノードnとノードmのリンクを、{n,m}の配列に「1」が入ると有方向のリンクがはられたとあらわす。i.e. n→m nord{n,m}:=1  
    ノード数:nord_nにあらわす。  
    ノード毎リンク数:link_n、link_colum_n[20]、link_law_n[20]であらわす。
    リンク総数、配列nordを横、縦に足しあげた数。
  • 操作:
      SFネット方式
    ノード生成:nord_nをひとつ大きくする。
    ノードをひとつ生成するたびにリンクを生成する。
    リンク生成:配列link_nの合計以下の整数の乱数r_tempを発生させる。順番に配列link_colum_n[j]をr_tempから引く。答えがマイナスになったときのnord[new_link,j]に新しいリンクを発生させる。(1をいれる)
    状態表示:nord[20,20]を順に画面表示する。
  • ヴァリエーション:リンクできるノードの数を制限する。link_n合計の変わりに制限数nord_limitを使う。(未実装)

  • ソースファイル

  • EXEファイル
  • 使った言葉は、ActiveBasicというN88-BasicのWindowsにおける拡張版であった。私のようなオールド・タイプには、とてもとっつきのいい言葉だった。このような素晴らしい言語をフリーソフトとして提供されている製作者に深く感謝したい。

  • Discoversoft -Active Basic Development Project
  • ActiveBasic自体に比べれば、プログラムと呼ぶのもおこがましいくらいの試みだが、十数年ぶりにBasicでなにかの目的をもったかたまりを作った。割と楽しかったというのが実感。

    ちなみに、使い方だがノードあたりのリンクの数を入れてエンターを押していくだけ。いまのことろ、ノードの数を20に制限してあるので、ご注意。もう一度最初からやりたい場合は、「初期化」のSを入力する。終わるときは「END」のEだ。なんどか繰り返すと以下のような画面がコンソールで出てくる(要は昔懐かしいDOSのプログラムなのだ)。

    本当にわかりにくいはと思うのだが、縦系列にリンクを貼る元のノード、横系列リンクを張られたノードと考えて欲しい。例えば上から4番目、左から2番目のセルに数字の「1」が入っているのは、4番のノードから2番のノードに張られたリンクを意味する。一番右の列と、一番下の行がそれぞれのリンク、被リンクの数を示す。ここにべき乗則があてはまるかは、検証中。これから、これを可視する試みにトライするつもり。乞うご期待!

    ■追記 0:04

    調子にのってノード間のリンクを可視化するサブルーティンを追加した。ますます、↓のユキジさんの論文にお世話になっていることになる。いくつもリンクをはっても仕方がないので、改訂版で↑のソースファイルとEXEファイルへのURLを置き換えた。

    ただ、どうも一番肝心かなめのリンク生成の部分のアルゴリズムがうまくないようだ。乱数を発生させてリンクの多いノードほど生成しやすいという考え方でやっているのだが、どうもうまくない。素直に反省して、また考え直す。

    ■参考リンク
    「ネットワークの違いがダイナミクスに与える影響」 by ユキジさん
    blogの持つスモールワールド性 by 和田昌樹さん
    Blogを考察する上で参考となる論文 by 和田昌樹さん
    べき乗則とランチェスターの法則 (HPO)

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    2004年10月17日 (日)

    宮澤賢治はどこへいったのか? Where has Kenji gone?

    kenji.jpeg

    ■鉄道と賢治とネットワーク

    宮澤賢治について、何冊かの本を読んだ。賢治にとって、当時ピカピカであった鉄道が持つインパクトについて感じた。賢治にとって鉄道は東京というハブにつながるリンクだったのだろう。エスペラントも、チェロも、国柱会も、みな鉄道というリンクがもたらしたものなのだ。

  • 雨ニモマケズ 新版 宮沢賢治童話全集 12」 edited by 宮澤清六さん、堀尾青史さん

  • 宮沢賢治殺人事件」 by 吉田司さん

  • 「雨ニモマケズの根本思想 by 龍門寺 文蔵さん
  • それぞれ、本との出会いがあった。

    雨ニモマケズ 新版 宮沢賢治童話全集

    宮沢賢治の「雨ニモマケズ」について「雨ニモマケズを4つにわける」という記事を書いたはいいが、自分が宮沢賢治について何もわかっていないなと思い、古本屋に本を探しにいってみつけたのが本書であった。「雨ニモマケズ」のタイトルだけにひかれた買ったのだが、宮沢賢治のかなりしっかり者の弟である宮澤清六と、賢治を紹介したことで有名だという堀尾青史の編集の全集であった。つまりは、後で述べるように賢治の死後に、賢治が有名になっていく過程に一役買った全集の末裔なのだ。

    この本の序章である宮澤清六の「兄、賢治の一生」はかなり率直な文章であったと思う。

    この文章を読むまで、私は宮澤賢治が好きではなかった。唯一以前に宮澤賢治について読んだ「宮沢賢治 修羅に生きる」の書き方がよくなかった。妙にもってまわった書き方で、地元で賢治の家族が差別されていたような、いなかったようなことを書いていた。まだ素直に「結核患者が多くでるといわれ、一族がマキと呼ばれていた」とあからさまに書いてくれたほうが印象がよかっただろう。お蔭様で、私の賢治の印象といったら、シスターコンプレックスで、なにをやらせてもまともにできない無能者、どこか薄暗いもののある、嫌いなタイプのデクノボーといったものにこり固まっていた。

    本書で、はじめて「春と修羅」以外の詩作や短歌などを読み賢治の文才が豊かであったことを知った。なにしろ美術の時間に読まされて、絵を描かされた「ヨダカの星」とか、国語の教科書に載っていた「おっぺると象」くらいしか印象がなかったのだ。ともあれ、手紙や著作により賢治と法華経の接近の過程について知ることが出来た。賢治が家族に依存しながらも、法華経の信仰に生きようとした姿や、死の床にあっても物語を書き続けた姿に共感を覚えた。

    宮沢賢治殺人事件

    「雨ニモマケズを4つにわける」のヒントは、そもそも極東ブログのfainalventさんにいただいた。その上、finalventさんの日記のエントリーでご紹介いただいたのがこの「宮澤賢治殺人事件」だった(ありがとうございました!)。あわてて取り寄せてすぐ読了したのだが、そのインパクトを自分で整理できずなかなか本書について書けなかった。あれから、3ヶ月たちようやく本書について書くことができた。なにが障害になって本書について書くことができなかったかは、後で考えることにしよう。

    「宮澤賢治殺人事件」は、ある意味では宮澤清六の伝を覆す試みであったと感じる。生前に名前が出なかった賢治の著作をまとめ、売り出した一群の人々をかなり克明に追っていた。なにせ著者の吉田司の母親がその一人であったというのだから、その著述は的確だ。著者の筆にかかると、賢治は結局「東京モダン」というスタイルを、花巻へ運ぶいわば文化の行商人ということになってしまう。また、賢治にとって鉄道の持つ意味が、作品の上からも経済的、家系的な問題からもかなり丹念に追われていた。私は、本書で初めて鉄道がモダンなものであったのだという感覚を得ることができた。賢治は、田舎に閉じ込められ、好きでもない家業につくことを強制され、自分は不遇だと思っていたに違いない。だが、質屋があこぎな商売だなんて後付の理屈にすぎない。賢治はただ商売に向いていなかった、それだけだ。そんな賢治が自分の力を発揮できたのは、幻想の中と鉄道で逃げ出した東京だけだったのだと、作者は主張している。

    それでも、病弱な身体を引きずって信仰に生きようとした姿を私は評価したいし、ヴァーチャルランドの中でしか、自分の思いを遂げることが出来なかったにせよ、執念ともいえるエネルギーで賢治の書いた作品が、さまざまな過程を経て現代にいたるまで読みつがれていることは否定できない。行間に宮澤賢治の作品への愛が感じられるにもかかわらず、なぜ吉田司が偶像破壊を目指さなければならなかったのが、私には読み取れずにいる。それこそが、私の限界なのかもしれないが。

    「雨ニモマケズ」の根本思想

    本書は、「雨ニモマケズを4つにわける」でリンクのお願いをさせていただいた蓮城寺のご住職から教えていただいた(ありがとうございます)。まあ、「4つにわける」はテーマの設定は悪くなかったかもしれないが、細部についてはまったくの素人考えだったなと感じた。法華経への理解がすすまないと「雨ニモマケズ」が目指したところは見えてこないのかもしれない、というのが本書を読んだ素直な感想だ。

    本書は、そもそも「中外日報」という宗教界の新聞に連載された記事が元になっている。したがって、宗教的なことに理解のある読者を想定してかかれているため、賢治を宗教界から見た視点にたって書かれた論評集だととらえられる。

  • 宗教新聞「中外日報」
  • 賢治自身の深い信仰と法華経の理解、そしてそれがいかに賢治の作品の中に結実しているかが本書の「雨ニモマケズ」や「銀河鉄道の夜」の分析を通じて伝わってきた。私には法華経を語る知識も、法華経に対する信仰もいまのところないのだが、それ以上に宮澤賢治の時代における法華経のもつインパクトが伝わってきた。本書にあげられているだけでも、賢治が一時勤めた国柱会と高山樗牛や石原莞爾との関係の一端が理解できた。また、法華経信仰がいかに現代の世の中で大きな影響と力をもっているか、そして、その原型が国柱会にあったかを感じる。鉄道すらも巨大な仏教のメタファーだったのだと感じた。そして、そのメタファーは今に生きるわれわれにとって歌や詩や物語を通じてごくごく近しいところに存在しているというのだ。驚嘆してしまう。

    そう、ここでもまた鉄道が問題なのだ。

    ■銀河鉄道はどこにつながっているのか?

    賢治に興味を持つ方なら、これらの本はかなりおすすめの本かもしれない。いままでとは違った賢治像が浮かんでくることは確かだろう。今現在もグーグルなどの検索エンジンで「宮澤賢治」と入力するとおびただしい数の記事が出てくる。現代のわれわれの世代の宮澤賢治に対する深い関心を感じる。いま率直に、賢治にとって鉄道が持つ意味というのは、我々にとってインターネットが持つ意味にかなり近いのではないかと感じている。

    賢治が発明した銀河鉄道は長い長い軌道を経て、いまこのネットワークにつながっているのだ。

    ここに至り、なぜ賢治について数ヶ月間かけなかったのが、自己了解できるように感じる。それは、銀河鉄道からネットワークという現代の鉄道でつながり、私と同じにおいがかすかにする賢治の偶像の破壊を試みた吉田司があまりにも正鵠をいていたので、しばらくかけなかったのかもしれない。

    ■参照リンク
    雨ニモマケズを4つにわける (HPO)
    よだかの星と しあわせ切符 by 瀬戸智子さん 瀬戸さんの菩薩さまのようなやさしさが伝わってきます。やっぱり、賢治って不軽菩薩なんですかね?

    ■おわび

    文中で、一番核になった「宮澤賢治殺人事件」をご紹介いただいたことをきちんと明記しておりませんでした。finalventさん、大変失礼いたしました。

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    2004年10月14日 (木)

    ネット世界における相転移 Phase transition

    朝、目覚めて、最近ネットで個人がノードになっているというあまりに当たり前のことに気づいた。

    2chなどに代表されるように、トピックが先にありきでそこに匿名でずらずらと意見がついていくというのが、少し前までのネットの「あたりまえ」ではなかっただろうか?2チャンネラーでなくともポータルを一箇所決めて、自分の調べたいことだけを検索エンジンで探して単発で読むというのが、ネットの使い方の標準だった。少なくとも私は、今年の初めまでMy Yahoo!のポータルページで、ニュースと株価情報たけを定期的に読むだけしかネットをつかってなかった。いわゆるホームページといっていたときには、価値があるのはそのホームページがもたらす情報だった。情報がドライブしていた。テーマや話題、情報が先行していた。それが、ここ数ヶ月自分でブログを書くようになり、触れるようになり、全ては変った。現時点ではそれが匿名であれ、ハンドル名であれ、実名であれ、一個の人格がそこに通底して存在する事が記事の前提になっているように感じる。それは、あまりに当たり前のことをなにをいまさら言うのかといったレベルかもしれない。

    今年の初めてに私個人としてブログの時代に突入し、検索エンジンの断片的な記事を読むよりも、特定の人格のサイトを定期的に読むことの方が多くなった。初めてネット上の同一人格を確かに感じるようになった。お会いしたことのない方でも、信頼できる記事を続けて書いていらっしゃることを発見し、毎日その人格のブログを読むようになった。明らかに、ネットの向こうに人格がいることを感じた毎日だった。

    だから、切込隊長さんが「SNSはパソコン通信時代への回帰現象?」(via finalventさん)と定量的なデータから言っていたことは、人格が先行すると考えれば了解可能ではないだろうか?だから、木村剛さんが「匿名から特名」とおっしゃったことは、情報やテーマがネットを動かす時代から、ネット上の人格がネットを動かす時代になったのだと理解すると腑に落ちるのではないだろうか?ましてや、特定の人格を基本としたソーシャルネットワークシステム(SNS)+ブログノリを見るとき、あきらかに人格と人格がネットの上で実体的なつながりを持つことを実感する(eg. mixigree)。

    「匿名+検索」の世界では、話題やテーマがノードであったのかもしれない。しかし、一個の人格がネットに表出し、SNSによって非常に視覚的に人格と人格のつながりまで裏づけをもつようなったとき立ち現れるのは、ごくあたりまえの一個の人格だ。この意味で、今初めてネットワーク・モデルにおいて真に人格がノードになったといえるのではないだろうか?これは、「新ネットワーク思考」の言葉を使えば、細胞をノードととらえるのか、たんぱく質の種類をノードにするのかぐらいかの変換式が適用されたように感じる。

    少々、話題が飛ぶようだがネットの世界がテーマ、トピックから個々の人格に転換するにいまここにおいて、ネット信頼通貨成立の基礎の一部が初めてこの世に来たったと感じる?いまここにおいて、はじめてネット信頼通貨の流通価値を見出すことができるのだ。yujimさんが以前指摘されていたように、ネット信頼通貨や地域通貨では10投資しても7くらいしかもどってこないということは真実であろう。必ず「ズル」をする人、悪用をする人があらわれてしまうのが人間というものだ。ネット信頼通貨を使うくらいなら、どう考えても政府の流通する通貨に頼ったほうが分がいい。この意味で、ネット信頼通貨が世の中を覆うことは決してないだろう。

    しかし、経済的価値以外に価値を見出す人にとっては事情は違うのかもしれない。特定の人格として認められたいと思っているアーティストとか、とにかく自分の意見を表明したくてがまんのできないブロガーなどに、ネット信頼通貨は役立つのかもしれない。つまりは、経済的な価値を多少犠牲にしてもあなた信頼と認知という付加価値をで払ってほしい!、という決済方法だ。政府発行の通貨を使って決済し、決して損をしたくないという行動をとればあと30%余計に利益があげられるのかもしれない。しかし、私自身を含む何人かの人間は、30%経済的損失を蒙って余分な付加価値を放棄せざるをえなくなっても、一人でも多くの人に自分を認めて欲しいという欲求をもっている。

    「認知されたいという欲求がネット信頼通貨の存在の基底現実である。」という結論をもって、一旦本記事の結論としたい。

    ■参考リンク
    ブログを書いて商売になるかどうかは成功者待ち by 切込隊長さん
    あーーーアウトプットしたい病 by Hiroetteさん
    論壇系ブログは日本の言論空間を変える力になれるか? by むなぐるまさん
    「匿名」から「特名」へという流れなんだけど  by TAOさん
    ぼくの声が聞こえますか? by m_um_uさん 「匿名でも特名で、それに基づいて想像される人格が信頼となって一定のトポスが構築されていく」という素敵な要約の言葉をいただきました。ありがとうございます。

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    2004年10月11日 (月)

    べき法則とネット信頼通貨を語る夕べ! Second Impact

    先日、前回に続き「べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ!」の第二回が行われた。メモをつくりながらも、うかうかしているうちにさかまたさんに先に記事を書かれてしまった。少々あせりながら、以下自分の感じたところを書きたい。ちなみに、全面的にさかまたさんの記事の内容を参考にさせていただいております。

    コーディネータとして、順番が完全に逆ですね。orz。さかまたさん、ありがとうございます。

    なによりも、今回はyujimさんに場所等のサジェスチョンをいただいたこと、しばたさんにも大変いろいろと段取りをとっていただいたことを感謝もうしあげたい。ラクーア最高でした。台風が近づく中、多くの方にご出席いただき、有意義な討論にご参加いただいたことに深く感謝させていただきたい。本当にありがとうございました。

    しかし、私が連絡先を書き間違いなどして、だいぶ出席されるはずだった方にご迷惑をおかけしてしまった。本当にもうしわけございませんでした。

    テーマ:べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ!  第二回(プレゼン編)
    日時: 平成16年10月8日
    場所:文京区シビックセンター 会議室 文京区の方にはどこの新興宗教かとかんぐられたらしい...
    出席者:yujimさん、shibataismさん、さかまたさん、ゆきじさん、ryo1さん、Hiroetteさん、Pinaさん、ひでき

    1.マジックカーブ -なぜ僕たちは「べき乗則」に魅力を感じるのか:blogしろうと「理論」批判 by yujimさん

    yujimさんによるネット、諸書籍、記事等に蔓延するあやふやな「べき乗則」などに対する批判。「何がネットワークを構成するのか?」「そのネットワークは、定義からいって、あるいは操作的に得られる諸性質からいって、ランダムネットなのか、スモールワールドネットなのか、スケールフリー(SF)ネットなのか?」といった疑問に完全に答えられないまま、ここにも、あそこにもべき乗則が適用できる、近似式がたてられる、といった態度に対する批判であった(と感じた)。

    「信じたい心」を増幅するネットワーク
    ネットワークというどこにでもある不思議

    質疑の中で、Mayfieldの議論に触れて「これが社会心理学の研究なら納得性があるが、ネットそのものの特性にのみ基づく議論としてはトンデモだ。」というやりとりのなかで、私はyujimさんの主張されたいことが腑に落ちた。適用されるべき理論を適用されるべき分野に適応するというのは、しごくまっとうであると感じる。もっといえば、近代科学というものは、ものを見るのにどこの平面で切ってみるのかという議論が一番根底にあるように感じる。

    ちなみに、ラクーアでyujimさんとかなりの時間をかけて統計的な研究手法、とくにどのような分布がそこに期待できるのかを議論すべきだという共通認識を確認した。とかく世に平均の平均をとったり、RのRをとったりと、トンデモな研究方法をとる論文があることに深く同意した。

    また、yujimさんとは、少々楽しみな企画が進行中。。。これはまたご報告できる日がくればご報告する。

    2.べき上の法則とランチェスターの法則 by ひでき

    私が思考実験として、オリジナルのランチェスターの法則に基づきランチェスター当時の戦闘機の戦闘により、べき乗則で近似しうるネットワーク図、リンク数の分布が得られることをプレゼンテーションした。

    べき乗則とランチェスターの法則 PDFファイル
    べき乗則とランチェスターの法則 (HPO)

    3.Power Lowだけが全てじゃない! by Shibataismさん

    ネットワークのリンク分布と、現実のブログ、Googleなどのネットワークのあり方について研究構想を発表された。研究の最終的な目的としては、「将来的にはポスト民主主義、理想的な合意形成」を考えていらっしゃる。前回の発表からより具体的に、「winner takes all」な世界からどうしたら脱却できるのか、ブログのトラックバックにその可能性があるのか、についての考察を行われた。yujimさんとのネット上での対話を通し、Milgramの実験でも70%がとどかなかったという事実や、現実のネットワークと理論上でのスケール・フリー・ネットワークが適合しない部分を指摘されていた。wikiでも展開されている。

    wiki.shibataism.com

    詳細は、ご本人のブログの記事をまちたい。

    やっぱりネットワークは面白いと認識した件に関して
    それでも信じたい「社会的ネットワークの魅力 」

    4.ネット信頼通貨 by さかまたさん

    さかまたさんは、かなり具体的にネット信頼通貨が成立すべきプラットフォームが満たすべき仕様について発表されていた。

    人の欲望は、放置すれば限りはないかもしれない。しかし、効用曲線といわれる経済学の理論がある。これは、自分が一文無しのときの100円と、1億円もっている時の100円の価値を論じたものだ。0から100円を得たときは、非常に満足度がたかい。しかし、100円を100万回得て、1億円になったときにあらたに100円をもらってもあまり満足度はあがらない。

    さかまたさんが問題とされたように、著作権などは人の効用曲線という欲望の限界を超えて価格が決定されている。「ビートルズのアルバムの値段は、30年前も今もあまり変わらない。」とおっしゃっていた。実は、価格の下方硬直性というのは、買う人がピンポイントできなかった昔の流通機構をそのままネット時代の今にまで引きずっているに過ぎないということだ。この問題点から、「mixi+楽天+アマゾンの書評」な感じのプラットフォームを考えられた。あ、あれ式が違いましたか?

    5.ネットワークの違いがダイナミクスに与える影響 by ゆきじさん

    ゆきじさんから、ご自身の修士論文についてのコメントをいただいた。「新ネットワーク思考」が出版される以前に、ネットワーク関係の研究成果についてまとめられ、再現する数値実証までやられていた価値は高いと感じる。物理学の枠組みのなかでは、きっとなかなか評価が難しいというのもわかる気がする。しかし、この論文発表時期にこれだけの内容をまとめるには相当のご苦労があられたと感じた。門外漢の私いうのも無責任だが、読ませていただいた日本語の論文、ネット上の記事の中で、3種類のネットワークについて数学的な検証も含めて最もまとまっていると感じた。

    ネットワークの違いがダイナミクスに与える影響 PDF版PS版

    6.それから、それから...

    当日は、SWさんも参加され、「インターネットは80対20の法則を越える」というC-Netの記事について発表される予定であったが、お仕事のためご欠席となってしまった。また、P2P Todayさんは、当日会場の下まで来てくださったにもかかわらず、私の連絡先の番号を間違えてご通知してあったために、参加不能になってしまった。本当にもうしわけございません。恐縮ですが、ぜひ次回お願いいたします。などなど、さまざまハプニングがあった。Hiroetteさんからも、実際にクリエーターとしてのお立場からお話があった。飲み会編では、くりおねさんの参加までいただけた。また、ryo1さんの会社とある参加者の会社の間でかなり密な関係があることが発覚したり、こういうリアルで会うという企画ではかならず予想外のことが起こる。これだけご迷惑をおかけしていていうことではないが、醍醐味を感じる。

    7.余談 ラクーア編

    三次会として、yujimさん、shibataismさん、さかまたさんとおふろをあびならいいろいろお話をした。古代ギリシアにならって、シュンポシオンといってもいいかもしれない。ネットワークという新しい現実に対して既存の学問分野はすでに対応できなくなっているのではないだろうか、という話になった。学問というのは、常に変わっていかなければならないと私は思うのだが、既存の大学などの組織の枠組みそのままで「これは物理学、これは心理学、これは数学、これは経営学」という分け方では、いま現在生じている複雑であいまいな事象に立ち向かっていけないのではないだろうか?

    一方で、「科学的な研究方法」の基礎というのは確実に存在する。統計学の基本的な考え方や、yujimさんが主張されている理論の適用範囲、あるいは統計的な手法の適用範囲の確認というのは、この基本に属するのだろう。初歩の初歩でいえば、レポート、論文の書式、書き方などというのも研究方法に入る分野だろう。一方、経営管理学修士や、法科大学院といった学問的な知見を生かした専門職業人の教育、育成というのももっともっと存在してしかるべきだ。この辺の研究機関と教育機関としての大学の切り分けと、それぞれの分野での研究者というより教育者の育成というのが大きな問題であるように思う。以上、余談であった。

    ■参照リンク
    「べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ」を超えて (HPO)
    第三回 べき法則とネット信頼通貨を語る夕べ! talking night cubed (HPO)

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    2004年10月 5日 (火)

    べき乗則とランチェスターの法則 Lanchester's law and Power-law

    新ネットワーク思考」を読了した(と、書くのは何度目だろうか?)。まるで自分のために書かれた本のような気がした。以前からの愛読書で親しく感じていたエルデシュティッピングポイント、そしてブログで書いた記事自分の日常での体験、なによりも本書の内容と私の禅の師のお話しとの対照性...信じられないくらいのおおくの「LINK」が本書と自分の間に存在しているように感じる。自分自身がそれこそクオンタム・リープ(量子的飛躍)しそうな加速感のある感覚があった。まだ、これらの感覚を完全に展開することができないでいる。もうすこし、自分の中で整理がつくのをじっとまとう。

    ああ、なによりも本書をこのようによろこびをもって読むことが出来たのは、本当にネットでも、リアルでも、お世話になっている方々のお陰だと深く感じる。ただただ感謝したい。

    さて、とりあえず局所的なところから本書について書きたい。以前6月6日のブログでコメントしたように、日本のビジネスの世界でよく言及され、応用されてきたランチェスターの法則とべき乗則の関係がどうもあるようだ。本書を読んでますます確信した。ランチェスターの法則は、べき乗則から予測されるひとつの特殊解ではないかと感じている。

    ちなみに、ランチェスターの法則とは、20世紀の初めに戦闘機と潜水艦の戦闘結果をイギリス人の技術者、ランチェスターが分析した結果得られた戦力と戦闘結果との関係をしめる2つの法則だ。

    第一法則(一騎打ちの法則)
    M0-M=E(N0-N)
    戦闘力=E×兵力数
    第二法則(確率戦の法則)
    M0^2-M^2=E(N0^2-N^2)
    戦闘力=(E×兵力数)^2
    ここで、
    M0…M軍の初期兵力数
    M…M軍の残存数
    N0…N軍の初期兵力数
    N…N軍の残存数
    E…武器効率(武器の性能,腕前

    ランチェスター戦略入門 @ NPOランチェスター関西

    これだけだとなにがなんだかわからないだろう。第一法則を私の言葉でいえば、「ある戦闘部隊(M)と戦闘部隊(N)が一騎打ちをすれば、それぞれの持つ武器効率の比に比例した残存数が残る。」ということだ。これは一対一のそれも1回1回の戦闘の結果を言っている。第二法則はこれに対して数次の会戦をしていく場合の残存数の法則をしめす。これは、どちらかが殲滅するまで戦う時の初期兵力を比であらわしてやるとわかりやすい。ここで、E=1(兵器レベル同等)、N=0(N軍が全滅するまで戦う)と置いて、計算してやれば兵力比が4:1以上になれば、ほとんど兵力の多い方が被害を受けずに相手を殲滅できることになる。一般的に言えば、総力戦においては兵力が多い「強者」の方が圧倒的な戦果を得ることになる。

    「殲滅線」エクセルファイル

    詳しくは、参照元のサイトを読んでいただきたいのだが、かなりややこしく直感的には分りにくいこの法則を田岡信夫さんが日本においてビジネスに展開したのが、一般に理解されているランチェスターの法則である。

    ランチェスター戦略とは @ 戦国マーケティング株式会社

    ビジネスにおけるランチェスターの法則の直裁な応用としては、戦力的に弱者の場合は、戦場を限定して戦力を一点集中すべき(セグメンテーション、差別化)だということになる。逆に、戦力的に強者の場合はどこから攻められても対応可能な「戦力」を確保するために十分に確定的なシェアを目指すべきだと言う事になる。

    一方、べき乗則(Power Laws)だが「新ネットワーク思考」において著者のバラバシは、ネットワークにおけるリンクの数がべき乗を用いた式(*1)に従うことを書いている。このべき乗則が適用されうるスケールフリーネットワークのアルゴリズムとして以下の2つをあげている。

  • 成長:あたえられた期間ごとに新しいノードを1つずつネットワークに付け加えていく。

  • 優先的選択:あるノードが新しいノードとリンクする確率は、既存のノードが既に獲得
  • しているリンク数に比例する。

    ここで、

  • ノード:ネットワークを形成するひとつひとつの単位

  • リンク:ノードとノードが接続された状態、または接続された状態になること
  • と、私は理解している。

    とすれば、ランチェスターの法則の用語とべき乗則の言葉を対照すれば、以下のようになると思う。

  • シェア = ハブのもつリンクの数

  • 強者 = ハブとよばれる多くのリンクを持つノード

  • 弱者 = すくないリンクしかもたないノード

  • 確率戦 = ネットワークの成長

  • 第二法則の武器効率 = ノードの適応度(ボーズ・アインシュタイン凝縮)
  • どうだろうか?結構キーワードは重なる。いや、そもそもこれらのキーワードをもっと解説しなければならないのだろうが、一応リンクをはるだけで許して欲しい。まだ直観の域を出ないが、ランチェスターの法則から導かれる、独占、寡占の状態もべき乗則で記述しうると思われる。

    この対比を見ていて思いついたのだが、べき乗則が成長という加算を前提にしているのに対し、オリジナルのランチェスターの法則は減算を前提としているようだ。つまり、バラバシの定義だとひとつひとつリンクが追加され、適応度に応じたリンクが張られネットが成長することでハブができるということだが、戦闘機または潜水艦の戦闘結果を分析したオリジナルのランチェスター第二法則では逆に一機一機減っていく事により「エース」(多数の戦闘を勝利した戦闘機パイロット)というハブができ、結果として(数×戦力)の自乗の比に一方が全滅したときの残存数が比例すると言う結果になるのではないだろうか?

    言い換えれば、オリジナルのランチェスターの法則は、初期の兵力(ノードの数)×兵器の質(適応度)という初期条件を与えることにより、「戦闘」という「リンク」を通して、結果としての「残存兵力」という「ハブ」を求めるということではないだろうか?つまりは、戦闘機と戦闘機が戦い、負ければそこで文字道理終わりだが、勝った戦闘機は次の敵と戦闘を行う。次の戦闘機と戦うことにより、2つ目のリンクが生まれる。強い戦闘機(高い適応度のノード)であればあるほど、より多くの戦闘(リンクの獲得)ができる。数学的な分析は私の手に負えないが、戦場では数次にわたる戦闘というが繰り返され(ネットワークの成長)「エース」(ハブ)が生じるということになるのだと思う。

    ここを再度転換して加算が原則であるビジネスに応用した田岡信夫氏の着想の非凡さにいまさらがら気がつかされる。ビジネスの場面ではなかなか相手を撃墜することもできないし、全滅においこむこともできない。しかし、シェアという結果が残る。田岡信夫さんがオリジナルのランチェスター法則をビジネスに応用したときには、「兵力」を「シェア」として置き換えていた。シェアが多ければ多いほど、より多くのリンクを顧客と結ぶことが出来るということだ。ここにおいて、べき乗則と同じ方向への思考の転換があったように思う。つまり、もう何十年も前にビジネスの世界でのべき乗則を田岡さんは発見していたといっても過言ではないのではなかろうか?

    ちなみに、バラバシは本書の序章でスケール・フリー・ネットワークにおけるべき条の法則の具体例としてパウロをあげていた。バラバシが意識的にそうしたのか分からないが、ビジネスの世界でとてもとても有名な本にもパウロが出てくる。この本では、太古から伝わるビジネスの秘伝である10巻の巻物の最後の継承者がイエスのお告げを聞いたパウロであったというおちだった。また驚くべきことに、この10巻の巻物の内容がネットワーク思考をいかにビジネスに具体的に応用するかという内容なのだ。あまりの符合に身の毛がよだつ。

    地上最強の商人 by オグ・マンディーノ

    この本の著者のオグ・マンディーノは、日本では「十二番目の天使」の著者として有名だ。

    ■思考実験 平成16年10月11日

    べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ! Second Impact」でも触れたが、オリジナルのランチェスターの法則にべき乗則が適用可能か、思考実験を行った。

    べき乗則とランチェスターの法則 PDFファイル

    結果から、いえば十分に近似することは確かめられた。「新ネットワーク思考」でも、「老化するノード」という議論があった。戦闘とは、過激に急速に老化するノードを含むネットワークとして記述可能なのかもしれない。

    ■註

    *1

    What is usually called a power law distribution tells us not how many people had an income greater than x, but the number of people whose income is exactly x. It is simply the probability distribution function (PDF) associated with the CDF given by Pareto's Law. This means that

    P[X = x] ~ x^-(k+1) = x^-a.

    That is the exponent of the power law distribution a = 1+k (where k is the Pareto distribution shape parameter

    from "Zipf, Power-laws, and Pareto - a ranking tutorial " by Lada A. Adamicさん

    「週刊!木村剛」はフジサンケイ ビジネスアイとコラボします! by 木村剛さん へのトラックバックにあたって

    大変、興味深い「事件」だと感じます。やはりランチェスターの法則ではないですが、ネットのように固定費が安くてすむ「構造体(会社、組織)」であれば、純粋にリンクのシェアを増やすことが、「スーパーエース」への道なのでしょう。期待したいです。逆に、miyakodaさんのコメントではありませんが、ハブが消失してしまったときの現在のブログのリンクにおけるショックを想像するにあまりあります。バラバシではないですが、911インパクトかもしれません。

    ■ゴールドマインさんへのトラックバックにあたって 平成16年11月30日

    なんか今日はやたらとトラックバックするための記事を書いている気がする。ゴールドマインさんから、別の記事に興味深いトラックバックをいただいた。

    べき乗則とバトルロワイヤル by ゴールドマインさん

    この記事はここで扱って「ランチェスター」のモデルに非常に近い気がする。またPFDファイルに入れたシュミレーションの結果でも、ノードは1万でなくたかだか10程度にすぎないが壊滅戦におけるべき乗則の成立の可能性を示せたように思う。いかがでしょうか?ゴールドマインさん?

    ■参照リンク
    書評「新ネットワーク思考」  by 小松 弘さん
    [書評] べき乗則、ウェブログ、そして、不公平さ (HPO)
    禅的生活 by 橋本大也さん
    インターネットは80対20の法則を越える by 渡辺聡

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