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2004年11月29日 (月)

ナウシカ、ナウシカ、ナウシカ goddess of death?

■ナウシカという透脱

風の谷のナウシカ」を読んだ。もともといま勉強している「社会ネットワーク分析」のネタに使おうというのが読み直し始めた動機だった。肝心のネットワーク分析が遅々として進まない中、物語そのものに魅せられてしまっている。そう、ナウシカがどこまでもどこまでも世界を透脱していく姿にただただ感動する。

・「社会ネットワーク分析の基礎」 by 金光淳さん

ナウシカを改めて読み直すと、無慈悲で正義のかけらもない戦争が残酷なまでに生々しく描かれていることにあらためて驚きを覚える。私はここのところ戦記ものというか、第二次世界大戦前後の文献などをあたっていたので、特にリアルに感じるのかもしれない。クシャナの率いるトルメキア第三軍とドルクの主力があたるシーンは、実はかなり戦争指揮に通じた人が描いた場面なのではないかと感じた。宮崎駿は相当に戦争の研究をした人なのだろう。

人間の欲望のみにくさ。人間の生み出した「大海嘯」による大量の死、死、死。「大海嘯」の後の生への欲望のための恐怖と奪い合いによる、死。そしてまた新たな死を産む戦い。

再読して、ナウシカの絶望の深さを感じる。

■マトリックス的間奏曲、あるいはネットワークのアノマリー

ささいなことだが絶望のほかにも、いくつか改めて気づいたことがある。

例えば、燃料の補給をほとんど必要としない、かつ300年、もしかすると1000年もの間稼動可能な「エンジン」が存在し、少なくとも多少はメンテナンスする技術をもちながら、モールス信号すらももっていないという事実は技術としてあまりに非対称だろう。光信号や旗を使って空中でやりとりをするシーンがあったが、遠距離の通信手段はない世界だ。これがために、いま苦闘しているようなネットワーク分析が可能な物語世界が成立するとはいえるので、あまりめくじらをたてるべき問題とは思わない。宮崎監督の中で空を飛ぶということが大きな意味をもつのだと、「ハウルの動く城」をみて改めて思った。

ちなみに、社会的なネットワークという視点から考えれば、ノードである王蟲や、ナウシカやクシャナのような人間たち、腐海、そしてヒドラを墓所の「過去の人間達」は作ったかもしれないが、そこで生み出されるネットワークの時系列変化・成長、ネットワークのトポロジー=エコロジー、「友愛」という相互作用まで予測し切れなかった。いや、原理的にネットワークのトポロジーは、ノード単体の性質を超え、ありとあらゆる予測を超える。ネットワークのふるまいが複雑系といわれるゆえんでもある。

ここで私には相似的に映るのが、映画の「マトリックス」における「アノマリー」という問題だ。もちろん「マトリックス」という概念自体がまちがいなくネットワークであるわけだが、アーキテクトが嘆いているように完璧なネットワークで「ゆらぎ」や「アノマリー」が生まれないと逆にネットワークは死滅してしまう。これはネットワークの本質なのだろうか?

マトリックスの世界についての解説 by zoroさん

では、「滅び」は不回避なのか?ネオのようにナウシカは自分を犠牲にしなければならなかったのだろうか?マトリックスを屈曲点として、もう少し考えを進めよう。

■ほんたうのしあわせ

ここで私が焦点をあてたいのは、「三皇子」といわれるヴ王の三人の息子達だ。年格好があまりにも同一なので、もしかすると三つ子なのかもしれない。クシャナの目の前で死んだ彼らのうちの一人を見るまでもなく、小心でありながら陰謀にたけ、表裏のある人格として描かれている。また、彼らは見た目も父であるヴ王ににて肥満体質だ(人のことはいえないが...orz)。しかし、このうちの2人が最後に出てくる場面では失われてしまった音楽家の古典音楽に夢中になってとりくんでいた。一歩「農場」の外に出れば世界は破滅のふちにあるというのにだ。

私にはこの「三皇子」の姿が象徴的に思えてならない。最盛期を越えた欧州がそうであるように、現代の日本が多分繁栄の「峠」を越えてしまって下り坂にはいっているように*1、今生きている我々ももしかすると「三皇子」と大して違わない環境の中にいるのかもしれない。

誤解を恐れずにここに書いてしまえば、自分がめいっぱい「良く」生きようとすれば、死に物狂いで努力することを意味する。「物狂い」であるから、そこにははたから見た目や、道徳的に正しいか、法律的に正しいかはあまり問題にならない。陰謀でもなんでも総動員して生き抜く、勝ち抜くことがのみが意味を持つ。これまで何度かこういうタイプの方々とお会いすることがあった。お会いするだけで、見るからに力がみなぎっていて、この人なら不可能も可能にしてしまうのだろうな、という感じがする。これに対して、これは私の偏見かもしれないが「清く正しく」生きようとする人からは、あまりパワーが感じられない。以前自分の記事でも触れたように、フクヤマ=ヘーゲルはもっと手きびしく「最後の人間」像を記述している。それは、あるいは「タイム・マシーン」に出てくるような文化も生きるエネルギーもないエロイのような人間なのだろうと、物質文明の中の野蛮人であるのだろうと、私は受け取っている。

問題は、この破滅するかもしれない世界の中で誰もが「三皇子」のように自分にできる最高に知的で芸術的な活動をして、誰とも争わずに生きていくことが可能なのか、それがほんとうの幸せなのかどうかということだ。もっといえば、私達は私達の生きている世界で「三皇子」のような生活をすることが果たして幸せなのかどうか、ということだ。知的で芸術的な活動、もしかすると農場を管理するヒドラがいうように「人類が後世に残すだけの価値あるもの」ということに関わることだけが幸せなのだろうか?「蟲使い」のように薄汚く、ずるく、「粘菌」のように貪欲でほんとうの幸せを知ず、喰らい合うことでしか生きていくことができいのが我々なのではないだろうか?

ナウシカが選んだ選択は、あきらかに「三皇子」とも、「ぬるい」世界に生きる我々とも違うのだろう。ナウシカは、自覚的に現実の世界という「穢れ」の中で生きることを選んだように思えてならない。それは、絶望でもなく、理想主義でもなく、知的でも芸術的でもなく、自分達の住む世界を破壊してしまうほどおろかな王族でもないが、それをおしとどめるほどのエリートでもない、現実の世界に生きるすべての人のための選択だったと感じる。

以前、記事を書いた「アップルシード」の中に出てくる人類を生き延びさせるための「人類適正化計画」の名前は「エルビス=パンドラの箱に残った空しい希望」という。一方で、ナウシカに代表されるような「青き衣の人」が人類には必要なのだという気がしてならない。限りなく「穢れ」を引き受ける人こそが人類には必要なのだと思う。全人類が「三皇子」のように知的な活動だけを行い、欲望とも陰謀ともかけはなれてしまえば、それはまた人類の滅亡、熱的な死を意味する。やはり、ナウシカのおしつぶした卵は決して孵ることのない卵だったのだ。

穢れをも、死をも、絶望をも透脱していくナウシカ=宮崎駿のすさまじさを感じる。

...と、ここまで大風呂敷を広げながら多分次回は多くの人には退屈なだけの図やグラフがいっぱいでてくるナウシカのネットワーク的分析結果について書く

■参照リンク
[書評] 運命、死、そして滅び 「風の谷のナウシカ」 (HPO)
「ナウシカ解読 - ユートピアの臨界」のまとめ。 by cedさん
書評にかえて by オータムさん
『ナウシカ解読』もう一つの終章  by 稲葉振一郎さん
「風の帰る場所—ナウシカから千尋までの軌跡」--宮崎駿 by fuRuさん
「泥まみれの虎—宮崎駿の妄想ノート」--宮崎駿 by fuRuさん
ナウシカをネットワーク分析する social network analysis (HPO)
私的所有の生物学的起源 by 鈴木健さん
売春という汚れ by noon75さん

■註

*1 この日本という国、日本人という国民がはいってしまった坂が急な坂なのか、穏やかな坂なのかがとても重要だ。この見極め、結果はまもなく出るのであろう...きっと。

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コメント

こんばんはー!ひできさん♪
ナウシカ好きです♪・・・・生きよう・・いいですね

最近は、仕事や心に余裕が無いせいか、
何かと凹んだりするんですけど、そういう時に
何気ない一言に励まされますね(^o^)丿

投稿: ハルコ | 2004年11月30日 (火) 09時15分

TBありがとうございました。
宮崎駿の言葉は真摯なメッセージにあふれていますね。
戦争の悲惨さ、冷酷さということについては
「泥まみれの虎」という本もあります。
http://af-site.sub.jp/blog/archives/000278.html
こちらは、ドイツのオットー・カリウスの自伝にもとづいたマンガ。
本人は失敗作だといっていますが
戦争とは何か、と言うことを深く考えさせられます。

投稿: fuRu | 2004年11月30日 (火) 13時16分

ハルコさん、こんばんわ、

私もナウシカ大好きです。「わしらはみんな姫さまに恋をしとるんじゃ」というミトの気持ちがわかります。

やっぱり、仕事はいろいろつらいことが多いですよね。でも、自分にちょっと別の角度というか、観方ができると余裕ができたりしますよね。そういうのってとても続けていく上でとても大事だと思います。

そうそう、あのお詫びしなければいけないのが、多分ナウシカに関するコメントが私のブログの設定ではタイトル文字が非常に小さいために前の記事のコメントについていたようでしたので、こちらに「移動」させていただきました。ですから、タイムスタンプが違ってしまっています。

改善策として、タイトルのフォントを大きくして下線をつけるというデザインの変更をしてみました。どうでしょうか?

fuRuさん、こんばんわ、

すでにもう他人でないような感じがしているのですが(笑)。

「泥まみれの虎」は立ち読みでしたが、ざっと触れています。実は宮崎駿さんが「戦争指揮に明るいのでは」と書いたとき、この本の印象がありました。戦史の本を読んだからというより、自分も自分の商売をさせてていただいてるがゆえに、戦闘の指揮というのはとても大事だと感じます。

ほんとうにこれからも宮崎駿さんを応援していきましょうね!

投稿: ひでき | 2004年11月30日 (火) 20時07分

こんばんは。ひできさん。
私が、ひできさんのブログに遊びに来る時は
だいたい疲れてます(^^;;いや、変な意味では無く
脳を、すーっとさせたい時です。

私のブログは、
先にエディタにメモって記事を貼り付けるような忙しい性格の
私ですが、今後ともよろしくお願いします♪

PS..変更後OKです。お心使いありがとうございます♪

投稿: ハルコ | 2004年12月 1日 (水) 00時15分

ナウシカって、生存と欲望の物語だと想うんです。
ひとそれぞれ、組織それぞれ、いろんな欲望の持ち方をする。いろんな生き残り戦略を持つ。

さてでは、ひとりひとりがどう在ることが、人類全体を、有意義に長く、生きさせることにつながるんでしょう。

自分がめいっぱい「良く」生きようとすれば、死に物狂いで努力することを意味する。・・・というのは、たぶん幻想だと想うんです。少なくとも僕自身は、死に物狂いの努力が幸福につながったことは無いなぁ・・・。
死に物狂いの努力を積み重ねた結果、人類の生存が危うくなっている。それが現代なんではないでしょうか。

投稿: BigLove | 2004年12月 1日 (水) 11時28分

BigLoveさん、こんにちわ、

お昼休み中なので、コメント書きます!(笑)

>死に物狂いの努力を積み重ねた結果、人類の生存が危うくなっている。それが現代なんではないでしょうか。

これはものすごくそう思います。「墓所」の人々はまさにこの代表選手でしょう。生き抜こうとしたあまり生態系という世界そのものを変えてしまったわけですから。そして、人類の文明をもほろぼしたのであろう兵器や運命をも他者にゆだねようとして裁定者を自覚的に作り上げたというのはある意味異常に過剰で独断的な生き方であったのでしょう。

個人の生き方として力を抜いて楽に生きられれば一番よいのでしょう。それこそ、食と職の心配をしないで「三皇子」のように音楽にでも生きられたら個人としてはとても幸せだと思います。

ナウシカのように世界を背負わなければならない義務も必要も我々にはないと思うのですが、ただ、多くの人間がなんとか生きていくというレベルをクリアするためだけでも、誰かが意思的に行動しなければならないのだと感じます。その誰かに誰がなるのかというのがひとつの問題だと思います。そんな苦しみぬいて、虚無にくわれてしまいそうになるような役割を誰も望んで選ばないのが現代なのでしょうね。

すみません、文中で「死に物狂い」で誰もが生きなければならない、と読み取れるように書いていますが、決してそうならなければならないとか主張するつもりではありません。ただ生命力のない人間になってはいけない、「三皇子」のような生き方を自分は選んではならないと戒めようという「力み」が自分に働いているのだと思います。どちらかというとBigLoveさんのおっしゃるように、死に物狂い型の人間もいて、理想に生きる人間もいて、普通の人もいて、世界があって、それらに何らかの相克があって、「お互いに食べあ」って生きているのが自分自身が生きているこの世界なのかなと感じます。そして、それこそがナウシカの言う「穢れ」であり、生の現実なのかな、と。

まあ、私自身のこういうことも書いてどんどん自分自身の「力み」だの、「死に物狂い」だの、「抽象論」だのを捨てることができれば、それだけでも書いている価値があるかのなという感じでしょうか(笑)。

投稿: ひでき | 2004年12月 1日 (水) 12時56分

例によってはっきり見えないままに書いてるんですが・・・
たぶん、情報の流通範囲と密度が、ひとつの肝なんだろうな・と想うんです。

細胞・臓器・ひと。この範囲で、一つの生態系が形成されている。ホルモンや神経系を使った情報伝達。ホメオスタシスの維持。
ひととひとが集まって、国を作る。意思決定の仕組み、役割分担、情報の意味付け。

体内と体外とに大きな情報落差があるように、国内と国外との間に、情報の落差ができる。人の世界と腐海との間にも。
でも実は、全体で一つの運命共同体でもある。
ナウシカはそれらを行き来し、全体を知ってしまう。

地球全体の状況を、あまねく広く、リアルタイムに知ることができるように、どんどん技術は進んでいますね。我々は知るという意味では「ナウシカ」化している。
例えば地球温暖化。マイルドな処方箋が書けるうちは、状況を知ることが、問題解決に繋がると想うのです。でももし、多大な犠牲が避けられないような処方箋しか書けない状況に至ってしまったら。沈黙を押し通すのか、真実を伝えるのか。
・・・そうなってしまう前に、地球全体を一つの生態系として捉える見方が進展し、なにが「良い」のかが書き換わっていくだろうと、僕は想っているのですが・・・・・。

ナウシカの物語世界は、生産力が縮小している。そして、ひできさんの指摘のように、情報伝達手段を限っている。この2点が、生存と欲望に関する諸問題を浮き彫りにしています。
生産力の縮小均衡は、今後実世界が直面せねばならないのかもしれません。ただ、情報伝達は、環境へのインパクトなしに高度化出来得ることでしょう。そのことが、世界の破滅を救うんではないかなぁと。
ナウシカが5000万人居たなら、必要最小限の生産力で幸せを享受するすべも、真実を受け止め現実を生きる強さも、人類全体が発揮できる・・・かな?

物は有限。体験は無限。たぶん、物の生産は極限まで効率化されざるを得ない。大多数の人は素晴らしい体験を生み出すことを、なりわいとするようになる。それならば「持続可能な成長」って実現できるように想います。それってちょっと墓所っぽいですかね。

投稿: BigLove | 2004年12月 1日 (水) 16時16分

ハルコさん、こんばんわ、

私の下手でわかりにくい文章をそういっていただけるととてもうれしいです。私も「頭がすーとなる瞬間」をもとめて、あるいはその結果として記事を書いているような気がします。時々すごくものごとがつながる瞬間というのがあります。その瞬間をなんとか文章にしたいともがいているようなところがあります。

今は...ブログの記事の最終稿の一歩手前まで来て力尽きているところです(笑)。

投稿: ひでき | 2004年12月 1日 (水) 23時52分

BigLoveさん、こんばんわ、

「情報の落差」ってものすごくキーワードだと私も思います。いま、このキーワードまでたどりつけそうだと思いながら、ナウシカのかなり形式に走った分析をやってみたところです。でも、どうもそこまでたどり着けませんでした。

明日の朝、もう一度読み直した上で記事をあげます。本質に近づけていない記事なのが公開前から恥ずかしいのですが...orz

投稿: ひでき | 2004年12月 1日 (水) 23時55分

はじめまして。
Google 経由でやってきました。
映画版『ナウシカ』に関しての記事なのですが、トラックバックを送らせていただきます。

『ナウシカ』漫画版も先の週末に読み返してみました。
漫画版の戦争描写はたしかに凄まじいものがありますね・・・。

投稿: 喜八 | 2005年3月28日 (月) 19時26分

喜八さん、こんにちわ、はじめまして、

実は随分昔に書いた記事なので、なにを書いたか一瞬思い出せず自分で読み直してしまいました。そーですよね、ある意味ナウシカの世界の戦闘って第二次大戦を思い出させるものがありますよね。レーダーと通信網、コンピューターが幅を利かす現代戦とは違うものがあるのかもしれません。

貴重な情報をトラックバックしていただいてありがとうございます。

投稿: ひでき | 2005年3月28日 (月) 20時55分

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