SNSと「弱い紐帯」 the power of links
■ソーシャルネットワークのオフ会からの発想
なぜ、こんなにもソーシャルネットワークサービス(SNS)にはまる人がいるのだろうか?なぜこんなにSNSのオフ会が盛んなのだろうか?なぜこんなにさまざまな情報交換がSNS上で日夜おこなわれているのだろうか?なんでこんなにSNSは楽しいのだろう?
先日も、P2P TodayさんのOFF会に参加させていただいて、人間関係の輪がぶちぶちつながっていくのを見た。OFF会のその場で、ここのところ自分が強く求めていた答えが与えられた。自分のまわりに信じられないくらいSNSにはまっている人がいる(私ではないと書いておく)。SNSに入ると、あたかも誰もがここの場で生み出される魅力のとりこになってしまうようだ。こうした現象は、SNSになんらかの力の場があるからだとしか説明できないのではないだろうか?
私が到達した結論から書こう。SNSの力は本来「弱い紐帯」にしかなりえなかった人間関係を可視化し、そのつながりを常に確認し、活用できるということだと今朝気がついた。
・「弱い紐帯」=はてなキーワード「弱い絆」
「身近でなく,やや疎遠,もしくは日頃はそれほどの交流のない人々との絆のことを指す.そのような人々は日頃の付き合いの弱さという点で弱い絆と呼ばれる.しかし,自分にとって身近にない存在であるが故に,身近な絆の範囲にはない,より異質な情報を持った存在である.」
ここのところネットワーク関連に大変興味をもっている。こうした中で、バラバシの著作でも1章を裂いて解説しているように、社会学、ネットワーク論関係で「弱い紐帯」は大きなテーマとして扱われてきたことを理解した。
「弱い紐帯」のもつ「強い力」の背景としては、キーワード解説にあるように、情報の落差がひとつのポイントであると考えられる。情報の落差というのは、あたかも恋のように人の好悪にも関係するものだ。恋愛のような感情も情報の落差がひとつの原点であり、快刺激と密接に結びついているように感じる。(だからといって、情報の落差がないから恋愛感情がなくなるわけではない...と、信じたい。)
言葉を変えれば、まだいまの加入状態では、SNSに参加しているひとりひとりが、その人の所属するコミュニティーのネットや他のコミュニティーへの入り口、「ブリッジ」になっているということかもしれない。私の言葉でいえば次の「麗しい谷」への入り口になっているということだ。
いま気がついたが、miyakodaさんがとうの昔に情報のやりとりとSNSについて書いていらっしゃる!!!いまさらながら、納得!多謝!
■日本におけるSNSのもつパワー
これまで日本では、「弱い紐帯」のパワーは発揮されずらいと言われてきた。私は、これまで日本人の習慣の中に、「弱い紐帯」を活用する習慣がなかったことがひとつの原因ではないかと考える。たとえば、誰でもいうのが日本人同士の異業種交流会があまりに役にたたないということだ。出会って、名刺交換をした程度の人間と友達になったり、定期的にお互いにやりとりをする関係になったことがある人は少ないのではないだろうか?(私個人としては若干ある...でも例外かもしれない)多分、日本人にとって異業種交流会であった人と親しい友人になって仕事を融通しあうようになるまでにはかなり大きな心理的な障壁があるのではないだろうか?
ここで米国人を例にあげるのが適切かわからないが、彼らは初対面の人間でもあきれかえるほどあけっぴろげであったりする。西海岸か、東海岸かでも違うのだが、パーティーで知り合ったばかりの家族に自分の子どものベビーシッターを頼んだりすることは日常茶飯事だ。これは自分自身の体験として実感する。
ちょっとジャンプのしすぎかもしれないが、以上の仮説が正しいとすれば、日本でこそSNSは大きなパワーを発揮しうるという結論が導けるのかもしれない。
■「弱い紐帯」のイメージ
SNSの力と弱い紐帯のイメージはいくつかの小説などに私が納得できるイメージがある。例えば、先日読んだ村上春樹の「アフターダーク」もこうしたSNSの力、あるいはスモールワールド・ネットワーク的なつながりをモチーフにしているように思う。
荒唐無稽とおもわれるかもしれないが、栗本薫のグイン・サーガの初期の外伝である「七人の魔道師」に魔道士たちが住居や店をつらねる「まじない横丁」という部分の記述が私のもつSNSのイメージに近い。
「まじない小路ってのはね、王さま、一種の大通りなんです。誰でもが通れるけれど、誰のものでもない。さいしょにあそこへ集まってきた何人かの魔道士が、互いに封土をおかすことなく行き来できるよう、この通りを共通の結界に決め、その上で、そこへ自分の結界をかさねあわせたんですよう」(中略)
「では、この小路はいわばあらゆる次元への扉のようなものだというのか」
「と、いうよりゃね---魔道士の数だけまじない小路があるんでさあね」
■なぜフォーラムでないのか?
本当にこれまでの伝統的なNiftyなどのフォーラムよりも、最近一応の認知を集めつつあるブログのつながりよりも、SNSは強力なのだろうか?
ひとつの理由は、SNSでのつながりが顔写真などで視覚的に人と人とのリンクを見ることができ、文字ベースでないからであろう。そんなのは機能的に同等なら関係がないという方がいるかもしれないが、DOSがWindowsのようなGUIベースにとってかわられたように、目で見える、可視化できるということのもつインパクトは案外大きい。
もうすこしネットワーク論的にいえば位相的にも、グラフ理論的にも、SNSのリンクは双方向であることが、ブログやHTMLベースの情報交換と違うところかもしれない。リンクが、無方向か有方向かということだ。
もうひとつ、SNSは人物ベースの「特名」であるということだ。案外そこにひとつの人格を見出せるかどうかということの持つインパクトは大きい。ってさっき同じ表現をつかったな。
・ネット世界における相転移 Phase transition (HPO)
「匿名でも特名で、それに基づいて想像される人格が信頼となって一定のトポスが構築されていく」
というm_um_uさんの要約は、SNSパワーを表現する上でも実に的をついていると改めて思う。
ちょっと解脱した気分... w
■参照リンク
・ソーシャルネットワーキングと距離感 by rootさん
・SNSはパソコン通信時代への回帰現象? by 切込隊長さん
・私が望むソーシャルネットワーク by Esther Dysonさん
・投資はこれからどうなっていくのだろうか? by take-yotsuyaさん
・ソーシャルネットワークはビジネスに使えるか? chikaさん
■追記 平成16年11月12日
昨晩、某会でビジネス向けのSNSを立ち上げようとされている会社の社長さんとお会いした。思わずこの記事の内容をお話した。「弱い絆...そうそう、そうなんですよね。」と軽く納得されてしまった。世の中では、SNSは弱い絆の活用だということはごく当たり前のことらしい...
■追記 平成16年12月7日
「人との出会い、不連続な成長が作るキャリアパス」(by伊藤 直也さん)へトラックバックさせていただいた。この記事に非常に感動させられた。実は自分のリアルな商売では、かなり「strong tie」というか、地縁、職縁などでがちがちにかたまって活動している。「小人の交わり」な部分もきっとある(笑)。それでも、いまのままではその中でしか自分の仕事が成立しえない。
他方、SNSやらブログやらによって別なネットワークにつながるようになって、すごい勢いですごいことが身の回りに生じている。この大きな流れもまた自分の商売に影響を及ぼすであろう予感が最近強くしている。伊藤さんの実感されていることを私も強く自分の身の回りで感じる一人だ。
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コメント
トラックバックありがとうございます。
あの切込隊長さんと並んでいて、恐縮してしまいます。
“SNSにはなんらかの力の場がある”と書かれていますが、
私は<場>のチカラがあるんじゃないかと思います。
SNSという場に特有の雰囲気、連帯感、圧力?みたいなものを
ひっくるめて、<場>のチカラではないか、と。
…大学んときに、そんな名のゼミに入っていたので、
そんなコトを思いました。
あと、もうひとつ。
トラックバックして頂いたエントリで書いている
「距離感」あたりについては、どう感じていらっしゃいます?
# “弱すぎる紐帯”を集めてる人からリンク依頼が来たりとか。
投稿: root | 2004年11月 8日 (月) 23時22分
ひできさん こんばんわ!
おひさしぶりです。
SNSにちょっとふれてますのでトラバしました。
http://www.geocities.jp/ssndh742/
に旗艦urlを作成していますので、経営陣の観点で直球勝負でコメントいただければと思います。
ちょっと、マーケット志向・顧客志向のないHPである可能性が高いので、ご指導ご鞭撻をいただければうれしいです。
投稿: キルゴア中佐 | 2004年11月10日 (水) 03時53分
rootさん、おはようございます、
と、いうか"Who Am I"の著者の方だと勝手に思っておりますが、よろしいのですよね?勝手にリンクはってしまいました。あらかじめお詫びしておきます。
http://root.jugem.cc/?eid=24">http://root.jugem.cc/?eid=24
"Who Am I"の「雰囲気の「場」」というキャッチは、とてもブログをよくあらわしていると思います。なんというか、ブログで書く文章ってここでしかない「命」というか、「つながり」というか、いま生きている実況中継的な力をもっているように感じます。
そうそう、それとか一応認知心理学の徒としては(笑)「場」というと「ゲシュタルト」とか思い出してしまいます。古いっすけど、シオドア・スタージョンの「人間以上(ISBN:4150103178)」とか読んで感動した口です。日本のだと栗本薫の「Run with the Wolf」とか...
「弱すぎる紐帯」という問題は、私も判断に迷います。なぜなら、全ての人とつながるということはSNSの本意でないし、すべてとつながることはすべてとつながっていないほぼ同じになってしまうのでしょう。やはり、ネットワークの限界というよりもこれは人間の側の問題でハンドルできる「紐帯」の数の限界に規定されるというのが現実的な見解です。これは渡辺慧さんの「みにくいあひるの子定理」とのからみでいつかは書きたいと思っている問題です。ただ、渡辺慧さんも数学が難しいのです、ハイ。
「距離感」については、バラバシが「適応度」という言葉を使って説明しております。「ボーズ・アインシュタイ凝縮」といわれる超流体などを説明する理論と同様な形で定式化できるらしいです。これはまたなかなか興味深い問題なのです。「適応度」をいれると一気に問題が複雑になるので、数学が必ずしも得意でない私としては、まずノード、リンク、レイヤーといった部分からネットワークを理解していきたいと考えています。
書評「新ネットワーク思考」 by 小松 弘さん
http://icrouton.as.wakwak.ne.jp/pub/barabasi/">http://icrouton.as.wakwak.ne.jp/pub/barabasi/
投稿: ひでき | 2004年11月10日 (水) 09時35分
キルゴア中佐さん、おはようございます、
シェークスピアは私も結構好きですよ。「ヘンリー5世」もいつぞよ東京グローブ座で見たような気がします。歴史劇ですよね。
geocitiesのサイトの方は、あまり公開でお話することではなさそうなので、また改めさせてください。
投稿: ひでき | 2004年11月10日 (水) 09時42分
ひできさん、rootです。
# 前回の書き込みでは名前が入っていなかったようで
失礼いたしました。
バラバシの本は、前々から読まなくちゃ…と思ってるんですが、人気なんでしょうね、なかなか図書館で借りられません。
(買えばいいんですけどねぇ(^^;)
「紐帯」の数の限界と、「みにくいあひるの子定理」とが関係するとどのような結論が導かれるのか、おもしろそうですね。非常に興味があります。
あ、わたしも数学はからっきしダメなので、その際は、ま、ひとつ、お手柔らかにお願いしますね。
投稿: root | 2004年11月13日 (土) 10時55分