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2004年12月30日 (木)

「べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ」忘年会 talking night version 3.5

2004年も押し詰まった某日某所、どこからともなくネットワークやSNSに燃えている方々が集まってきてくださり、talking nightを開いてしまった。言いだしっぺは私だったが、まさかこの日にこれだけの方が集まってくださるとは思っていなかった。うれしかったです。ありがとうございます。

しかも、当初「忘年会で難しい話はぬき!」なんていっていたのが、ふたをあけてみればすばらしく先端の内容のプレゼンをしてくださった方々がいらっしゃり仰天してしまった。これは、かなり面白ことが具体的に起こせるかもしれないという確実な手ごたえを感じた。いつもならひとつひとつのプレゼンをここで紹介するのだが、あまりに実用レベルに近づいているので敢えて記さない。では、メンバー紹介!

cedさん : 興味深いお話をありがとうございました。ぜひ次回はプレゼンお願いします!
さかまたさん : ありがとうございます。なんかもう同志!って感じですよね(笑)。某「○○系サイト」のアイデアおもしろそうですよね。
手嶋守さん : 場所とおいしいケーキをご提供いただきありがとうございました。あの、またぜひよろしくお願いいたします。
P2P todayさん : 遠いところ...と、書くと怒られちゃうかな?今年もいろいろご縁がありそうですね。よろしくお願いいいたします。
yujimさん : おいそがしいところありがとうございました。
吉澤さん : いろいろネタをもっていらっしゃいそうですよねw。ぜひぜひ次回は「プレゼント」でなく、「プレゼン」の方もお願いいたします(笑)。
ユキジさん : ご本を紹介してくださってありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

なかなか楽しかったのが、プレゼント交換だった。すっかり、みんな童心にかえって楽しんでいた。あの、び、微妙なプレゼントが!ああ、ここで公開したいよぉ!

あたりさわりのない私のプレゼンは既に、公開済み。

  • ネットワーク、自己組織化、そして理解 The Moment of AHA! (HPO)

  • The Moment of AHA! @ BlogDrive
  • それにしても、こうして毎回集まって議論を重ねていく中で、次第次第に先の見える話になっていくというところがすごいと思う。生意気なことをいうようだが、昨年はなんどかネットから発展したイベントをさせていただいて、ネットだけの関係よりもネットをベースにしてリアルで会うということは、効率がいいし、新しい方と会うきっかけとなるし、人と人との縁というのが深まっていくことを実感した。リアルで会うと、いいところだけなくわるいところも、きれいなところだけでなくみにくいところも、うれしいことだけでなくいやなところも、こころよいところだけなくふかいなところも、一緒にあるいはお互いに感じざるを得ない。この「体験を共有する」ということの持つ意味というのは、非常に大きいようだ。ここから、「弱い絆」ではないがあたらしい仕事の機会や、ビジネスチャンスが生まれていくように感じる。そして、今回ご参加いただけなかったがHiroetteさんから記事のトラックバックをいただいて、こうした人の縁が「ループ」することに意味があるように思っている。

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    2004年12月27日 (月)

    ネットワーク、自己組織化、そして理解 The Moment of AHA!

    先日書いた「対話、ネットワーク、そしてマッハの原理 Mach!」という記事で書きたかったことを、もうすこしわかりやすくしたらどうなるかにチャレンジしてみた。

    今回の記事のベースとなるパワーポイントの内容は、既に「べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ ver.3.5」(近日公開予定!)でプレゼンさせていただいたもので、話すことにより自分で理解が深まったように思う。スライドの文章が英語で書いてあるのは、英文の方が文章の例として説明しやすかったので、ほんのしゃれのつもりで全部私のいいかげんな英語にしてしまった。

    The Moment of AHA! (パワーポイントファイル)

    伝わる・揺さぶる!文章を書く」宣言をしてしまった私としては、まずは言葉の定義から。

    文章:単語が順番につらなり、意味のあるかたまりを形成したもの。
    ノード:ある立場に立ったときに意味をもつととらえうる最小基本単位。たとえば、文章なら単語。
    リンク:ノードとノードの関係、つながり。
    ネットワーク:ノードのリンクにより形成された網の目のような組織構造。
    レイヤー:上下に重なり合うそれぞれのネットワークにおいて、仮定されている一定のレベル。ある立場といってもいい。

    結論からいってしまえば、いろいろあがいている内に自分が主張したいことはこういうことなのだとわかってきた。

    文章の生成、会話の成立、社会的ネットワークにおける情報の伝播は、それぞれネットワークとしてとらえることができる。それぞれのネットワークのレイヤーでノードとリンクの定義は異なるが、自己組織的なネットワーク構造を相似的に持っている可能性がある。

    ざっとおさらいしてしまえば、どうも私は現象学とネットワークをごちゃごちゃにしてしまっているのが悪いのかも知れないと反省しつつも、竹田青嗣的な意味での「現象学的還元」をして意識を遡及していくと(いや、そんなことしなくとも...)「文章の意味構造はネットワークで表現できる」という内なる確信にいたる。そして、もし文章というネットワークが自己組織的に生成されるという観点にたてば、「人の会話(発話)は、意味のネットワークを交換、自分の知識ネットワークに組み込むという理解、変容した内容を再発信することによる理解内容のチェックと発展、で構成される」であろう。さらに、広い意味での思考と会話がベースになっている「人の社会」は「多重ネットワークとして表現できる」という考えに到達してしまう、というところまでが前段の記事だった(かな?)。

    まずは、文章を生成するということはどういうことか?

    自分なりに自分の思考を遡及して感じていこうとすると、自分が自分だと感じられる「内側」においては自分の知識や言語は、「文章」というリニア(線形)な形になる直前に、別な形で表現されているように感じられる。なんというか、強い力をもった言語化する直前の形態が自分の中にあるように感じる。

    高校生のころこの力を「火」にたとえたことがあった。言語化される前だからそれこそ言葉にならない力をもった状態があるという確信が自分の中にある。

    この文章になる直前の形式においても、「単語」というノードを一定の傾向をもつリンクのしかたによって作られた意味表現のネットワークとして表現することは可能であろう。私には一般的な述語を使って書くことしかできないのだが、主語や述語、目的語といった機能をもった「単語」ノードのリンクの仕方が存在し、ネットワーク構造として「内側」に存在するのだと思う(*1)。

    このリンクの特性をもったネットワーク構造体が、既に存在する文章から相似的に別な文章を生み出す様子を、こんな感じかな?という程度の確信でしかないが図で示す。

    そして、文章の生成あるいは「発話」の直前において力をもつ単語のネットワーク構造体が存在するならば、それは下図で示したようにパズルの最後のかけらがはまる直前の状態のようなものだと感じられる。ここでは形成されつつあるネットワークとしての意味表現構造体(ネットワーク)に知覚を通して得られた感覚のかけらのようなものが集まって意味構造ネットワークにはまりこんで文章を形成し、「発話」という音声の振動に変換することにより外部化するというプロセスと考えられる。

    いずれにせよ、こうして発話され外部化された文章もなんらかの形でネットワーク構造をもっているまま、なんらかの外側の物理的な存在そして変換(code化)されたと解釈できる。そして、文章のネットワークの塊りが、「外側」で独立した存在として漂流しはじめる。「I like the apple!」(ああ、英語がなんかおかしい!)と書いてある下の赤い小さなネットワークのアイコンを覚えておいて、次の図を見てほしい。

    上図の「0.Initial」という段階では、脳内の表現として発話される直前の状態を示している。次の「1.Utter」において、一つ前の図で見たような「発話」の過程により、空気の振動であれ、書かれた文章であれ、メールであれ、変換された物理的な存在として「文章」という意味ネットワークのかけらが漂っていき、相手にたどりつく。ここでの発話者と受話者の関係は、別のレイヤーでとらえれば社会的なリンクであるといっていいだろう。

    そして、「2.Understanding」という段階において物理的な存在(media)から脳内のネットワーク表現へと逆変換(decode化)されれば、相手側の脳内表現ネットワークにこの漂ってきた意味ネットワークのかけらがとりこまれる。これをもって理解ととらえたい。

    そして、「3.Response」において逆に自分の表現としてとりこまれた意味ネットワークを発話しなおす、あるいは、自分のもつ付加的な情報やネットワーク構造体の変換を経て違う物理的な形態をもって発話される。このこうした発話、受話、そして確認という過程をくりかえして会話がなりたっていき、2人の間で意味をもったネットワークの相似構造が伝わっていく。

    ここで注意を喚起しておきたいのは、この2人の会話で同じ「a red apple」という表現を行っていたとしても、必ずしもそれぞれの「内側」における表現が同じであるという保証はどこにもない。確認のプロセスを経ても、内側の構造体における表現は必ず同じということを保証しない。あるのは会話において操作的に確認可能であるという確信だけだ。内側にはそのときの会話で確認しうる程度のネットワーク的な相似性があるにすぎない。

    次のレイヤーに進むと見えてくるのが、こうした会話のプロセスの集合体としての社会的なネットワークだ。上図の色のついた丸は、一人の人間、ノードを示す。下の各二等辺三角形は、各人の知識・信念の状態を示していて、言葉でやりとりしてる部分はごくごく限られた部分に過ぎないということを現すために三角形で書いた。また、黒い点線は明確に共有されている知識・信念構造と共有されていない知識・信念構造の区別を示す。この点線より上の部分がこの6つのノードにより構成される社会ネットワークにおいて共有されている知識・信念だとする。

    直感的に理解可能であると思うが、この点線から上の部分が大きくなればなるほど、文章が伝わりやすくなる。冗長性の低い文章でも「会話」可能になる。いま現在のインターネットをツールとして捉えれば、一般的にはこの点線をかなり下に下げる作用をもっているように思う。このプレゼンをしたときにも、まるでお天気の話をするように切込隊長さんの受難の話をしていた(うわ、その後しゃれにならない展開をしていたんだ!びっくり!)。ネットワークの形態がもたらす影響とともに、ごく具体的にネットワークにおいて知識が伝播してく過程と知識・信念の共有というのは密接な関係にある。あるいは、ラジオのノイズと音声のえりわけのようにより効率的で冗長性の少ない情報伝播が可能になるといってもいいかもしれない。

  • 信号検出理論 by 杉森絵里子さん

  • 量子信号検出理論 by 大崎正雄さん
  • さて、ここまで来て私は、ずいぶん以前の「麗しい澤」という問題がぜんぜん進展していないということに気がついた。つまり、どのレベルにおいてもなぜ強い紐帯が強いのか、なぜべき乗則のような集中化が生じるのかという疑問は、半年もたつというのにまったく触れていない。バラバシは、これを常にノードとリンクが生成されていくところに見出したように思う。生成するときに働く力がひとつのポイントだと感じる。

    あー、ぜんぜんわかりやすくねーでやんの。反省してしまふ。

    ■注

    *1

    なんて書いていて、ゴールドマインさんの記事を確認しにいったら、MNOさんがすごい記事が紹介してくださっていた。

    Small World 構造に基づく文書からのキーワード抽出 by 松尾豊さん、大澤幸生さん、石塚満さん

    まあ、これは論文のキーワードをネットワークとしてとらえるとsmall world的な手法で効率よく検索できるよ、という問題を扱っておられるようだから、脳内の言語表現がネットワーク化されているかどうかという話題では全くないが、共時性を味あわせていただく。

    ■参照リンク
    意味ネットワークについて by 新山佑介さん
    今日の物事の働きが気に入らなければ、システムを変えろ。 by さかまたさん
    創発民主制 by 伊藤穰一さん (翻訳:公文俊平さん)
    「インターネット利用者は5年で挙動が似てくる」って本当? by riroさん
    The Moment of AHA! (HPO:Blogdrive)

    あすへの話題 ニュートンの「アハ!」体験 by 茂木健一郎さん

    ■追記 平成17年1月24日

    まだ考察はあいかわらず進んでいないが、どうも全体的な状況が変化しようとする接点に発話やコミュニケーションがあるということをいいたいらしいと気がついた。特に脳内のプロセスというよりも、人と人とのネットワークにおいて「つながる」瞬間はどういう瞬間なのか、どういう力が働いているのか、また「つながり」がどのような力を持つのかに興味がある。

    昨晩、某所でソーシャル・キャピタルについて書くと宣言してしまったこともあり、この辺をからめながら先へ進めたい。そうそう、Hiroetteさんからいただいたloopというキーワードもまだ未消化でいるのもなんとかしたい。

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    2004年12月18日 (土)

    [書評]伝わる・揺さぶる!文章を書く finding the alpha blogger

  • 伝わる・揺さぶる!文章を書く by 山田ズーニーさん
  • なんというか、ここのところ文章恐怖症に陥っていた。つくづく自分は「文章下手の文章好き」かなと思い知らされたことがあった。よく人から「あんたの書いていることはわからん!難しげに見えすぎる!」といわれる。

    本書には、いくつか「伝わる・揺さぶる!文章を書く」ためのキーワードがある。そのひとつは、「問うこと」だろう。正直、私にとって一番のキーワードは「読む人の立場になる」ということであったが、これは後述したい。いずれにせよ、機能から見たときのブログにおいてますます文章力が重要になってくるのだ思うし、そのためには本書は重要なヒントをもたらしてくれるであろう。

    どのような経緯であれこのブログにたどり着いていただいたあなたありがとうございます!)の中で、冒頭の節を読んでさまざまな「問い」が生まれたと思う。「どっかで聞いたような言葉だな?なんだっけ」、「こいつはなんのうけをねらっているのだろう?」、「こいつはなにか偏向しているのか?」...あなたに起こったこうした「問い」を文章を書く自分の中で予想して、文章の先を組み立てていけるかどうかが、ひとつのポイントであろうと思う。

    さて、ブログの読者として、あるいは下手な文章をブログにつづる者として、私にはいつかはこういう文章を書きたいと思ってお手本にさせていただいている方が何人かいらっしゃる。たとえば、橋本大也さんだ。橋本さんが書いていらっしゃる「Passion For The Future」はすばらしい。橋本さんは奔放にさまざまなトピックを扱いながらも実に「伝わる・揺さぶる!文章」を書いておられる。本書を読んだいま、改めてこれまで読んできた橋本さんの文章を思い出すと実にこの本のポイントを満たしていることがわかる。「機能する文章」、「集め方・絞り方・決め方」、「自分の根っこの想い」、そしてなによりも橋本さんの文書には「相手の側から見る・他者の感覚を知る」という視点がある。橋本さんには、「自分にしかわからない言葉を使わない」(思考停止しない)など文章を読む人への配慮を感じる。

    しかるに、自分の書く文書はなにか?多分悪文の見本のようなものだろう。横文字でも、漢字でもやたら日常の会話にでてこないような言葉を使っている。普通の言葉のような言葉でも「リアル」だの、「ネットワーク思考」だの、自分にしかわからないような定義で使ったいたりしている。つまりは、私が文章を書くときには他者への思いやりがないのだ。他人の視点という感覚なく書いているのだ、今回気がついた。

    これは、本書を読み、橋本さんの文書を思い起こしたとき、一番自分にとって反省させられた点だ。今後、自分は自分のブログにといて「伝わる・揺さぶる!文章を書く」ように努力することを宣言して、この文章をしめくくりたい。

    ああ、一言だけ付言すればこの本書の著者の山田ズーニーさんがかかわられた進研ゼミの「小論文講座」は私が文章を書き始めるきっかけであった。この意味で、本書と自分の縁の歴史は古いのかもしれない。

    ■参照リンク

  • ないものねだり by yujimさん

  • 伝わる・揺さぶる!文章を書く by 橋本大也さん
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    2004年12月14日 (火)

    対話、ネットワーク、そしてマッハの原理 Mach!

    やはり、対話のもつ力はすばらしい。どうにも形にならない自分の問題意識が次第次第にいろいろな方とのリアルでの、ネットでの、対話によって形になってくる。自分の書いたことを再引用するのは自己中毒的はなはだ抵抗があるのだが、書きちらしたメモなどを引用してしまおう。まず、時間は前後するがネットワーク思考と既存の学問分野のかかわりのひろさについての問題意識で某所に書いたメモだ。

    ネットワーク思考と関係する学問の大々分類を思いつくだけでも、社会学、心理学、認知科学、物理学、数学、統計学、コンピューター学、それから経済学、もしかすると哲学などがあります。それぞれであるべきと想定される研究方法のスタイルはまったく違います。そして、それぞれの分野で「べき乗則」というものの適用、あるいはもう少しひろい範囲でのネットワーク思考の適用ということが、可能は可能なのだと感じます。問題は、学問としての厳密さと対象の定義でしょう。

    さすがにあまりに恥ずかしい語句の間違いなどは修正しました。ああ、自分でも露悪趣味だと思います。

    新たに立ち上がりつつあるネットワーク思考という、まだ学として確立されてない分野をどう扱うべきかという避けてとおれないいくつかの問題があるということは明白だ。その中でも、私はもともと心理学主専攻だったせいか、意識との関連でその立脚点を問わずにいられない。

    前回書いたように、学としてでなく自分の問いとしても、「ネットワーク」という考え方が人間の意識の中でどこまでさかのぼれるのかという問題の根っこは深い。自分自身の生き方としてこれを追求すればnimさんから教えていただいた「遮断」という方法にたどり着く。学として追求すれば....いくつかの到達点がありうるが、ひとつの彼岸は現象学であろう。議論のあるところからもしれないが、竹田青嗣さんのいう「現象学」によれば、「現象学的還元」を行ったあとでも道具立ての単位として「図」と「地」という二者の間の関係が存在しうるという。あるいは、「あかい」とか「まるい」とかいうそれぞれの一定の境界をもった単位といえる意識現象が自分に立ち表われるというときに、それらはひとまとまりのつながりを形成し現象としての対象が認識されるといってもよい。このように意識現象をノードとノードのリンクだとしてと記述できるのではないだろうか、という予想が生まれる。

    この地点にたって、言語をネットワークとしてとらえたとき、どのような思考になるかをゴールドマインさんが適切に記述されている。

    言語をネットワーク的に捉えると、単語はノード、リンクは意味、リンクすることとは定義することで、クラスターとは親和度の高い単語同士を意味すると考える。(「戦う」と「相手」みたいな)
    ノードは他のノードによって定義されている。よってノードの孤立はノードの死を意味する。ノードの死を防ぐにはリンクを増やす必要があるが、リンク先のノードが死に体ではダメだ。リンクをたくさん持つ安定したノードにリンクすることが先決である。よってノードはハブにリンクすることが要求される…

    この立脚点において具体的に言語ネットワークを想定した思考実験を行っておられる。ネットワーク思考の根源をとらえる上で私にはかなり興味深い。

    しかし、それでも「言語ゲーム」という境界を越えることはできない。私のここまでの思考では、現象学といっても意識を言葉で捉えているためにネットワーク的な表現が可能であるに過ぎないという批判をかわすことはできないだろう。

    昨日ある方に一生懸命自分がなにを悩んでいるかを話した。必死に話している内にだしぬけに「マッハの原理とかぁ!」と語っている自分を発見した。会話のあとに、ふともしかしてと思って、ぐぐった。

    あった!

    認識におけるマッハの原理
    Mach's Principle in Perception
    (a)  ある物体の質量は、その物体のまわりの全ての物体との関係で決る。他に何もない空間の中では、ある物体の質量には、何の意味もない。(マッハの原理)
    (b) 認識において、あるニューロンの発火が果たす役割は、そのニューロンと同じ瞬間に発火している他の全てのニューロンとの関係によって、またそれによってのみ決定される。ニューロンは、他のニューロンとの関係においてのみある役割を持つのであって、単独で存在するニューロンには意味がない。(認識におけるマッハの原理)

    引用元:http://www.qualia-manifesto.com/mach-p.html @ 「クオリア・マニフェスト」 by 茂木健一郎さん

    これをこう読みかえることはできないだろうか?

    ネットワークにおいて、あるノードが果たす役割は、そのノードと同じ瞬間にリンクしている他の全てのノードとの関係によって、またそれによってのみ決定される。ノードは、他のノードとの関係においてのみある役割を持つのであって、単独で存在するノードには意味がない。

    かくして私には、覚醒したときのネオのように世の中のことが見えるようになった。つまりは、人間が認識しうる世界だと感じる現象は、すべて多重的にネットワークに組み込まれているのだ。


    (via さかまたさん)

    ■参照リンク
    私・今・そして神―開闢の哲学 by 橋本大也さん
    脳のなかのワンダーランド by 橋本大也さん
    どれだけ勉強すればいいのか? by CANさん

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    2004年12月13日 (月)

    nimさんの一撃 seven at a stroke

    先日から、ネットワーク思考の根源はどの辺にあるのか、うんうんいいながら悩んでた。何人かのかたが指摘されているように、ネットワークに関する研究という学問領域はまだ確立されていない。別に私自身は確立されていようといるまいと、さしさわりはないのだが、ネットワーク思考に必要な思考のノードやリンクといった道具立ては、どこまでさかのぼれるのかという問題は、自分の立つ位置を決定する上でもとても大事だと感じてきた。そして、それはきっとかなり人間の実存の根源の側に近い気がしてならなかった。どこまでさかのぼることが可能なのか、竹田青嗣さんの現象学をテキストに考えていた。

  • 現象学は〈思考の原理〉である by 竹田青嗣さん
  • しかし、読めば読むほど、考えれば考えるほど、悩みはつきない。現象学の用語や、竹田さんの主義主張で混乱するばかりだった。それでなくとも物事を「必要以上に複雑」にしてしまう自分は、深い深い森のような概念の迷路にはいっていた。

    それでも、自分にとって必要な答えは、あっけないほど簡単にnimさんからいただいてしまった。

    「遮断する」

    この一言で、私の悩みはぶっとんでしまった。nimさんが企図されたのは、客観的なこと、自分の外のこと、自分があれこれなやむようなことなどは一旦遮断してしまえ、ということだと受け取らせていただいた。自分がいろいろな情報に翻弄されて生きることに齟齬が生じるのなら、一旦すべての情報を遮断してしまえばいい。自分自身が生きるのに必要なことは、どう遮断してもきっと自分に飛び込んでくる。私のようにいらないことばかり考え、悩むかことんど一切必要ないのだ、と。

    「究極なんでも極めると言うことは、自分を極めるってことなんだよね」

    もうnimさんのおっしゃるとおり!という感じだった。このnimさんの言葉をもって「以上、終わり」としてしまえば、私も少しは成長したことになのだろう。しかし、邪念でいっぱいの私はそれでもここにいたるプロセスを書きたくてうずうずしている。どんなふうに問題を考えていたかをこえからこのブログで書いていきたい。

    ■お詫びと補足

    nimさんご自身からここで取り上げさせていただいた会話についてメールをいただいた。私はものすごくnimさんのおっしゃることを自分の都合のよいようにとっていたことが分かった。やはり、良寛戒語ではないが「酒に酔いてことわりを言う」ことは厳に戒めなければならない。

    nimさん、ほんとうにごめんなさい。

    ん~、ちょっと前後関係違うかなぁ。
    遮断の話は、これだけネットワークが発達した人間関係の中で、これから一番必要な能力 は何か?
    ということだったと思うんだけど。
    んで、その答えが遮断。
    入ってくる情報に惑わされる事無く、真偽を見極めて取捨選択できる能力。
    その為に、情報を遮断できる、立ち止まれる能力が必要だという話だったと思います。

    まぁ、ひできさんの質問の意図の背景は、文中の様なことだったのかなとは思いますが。

    「究極なんでも極めると言うことは、自分を極めるってことなんだよね」

    って、こんなエラそうなこと言ったっけ^_^;
    話の発端は、自分って何?という話で、ありのままの自分全てが自分だと言う話と、
    そういう意味で自分を知るというか良いとこ悪いとこ含めて自分を受入ればいいんじゃな
    いの?
    みたいな話はしたと思うけど。
    究極なんでも極めるってのは、ちと文字だと嫌みだよぉ。
    おらは、そんなエラい人じゃないです。(泣)

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    新ビジネス創出セミナー

    講演中のふじすえさんです。詳細はのちほど。もりあがってます。041213_2036001.jpg

    同日25時過ぎ

    今日は、ふじすえさんのセミナーに参加させていただいた。会場に入る前のクロークのところで、いきなりお世話になっているP社のT社長にお会いした(名前だしてもよいですかね?Mさん?)。会場にはいったあとも、pinaさん、shibataismさん、キルゴアさん、「しょうがいげんき」さん、maida01さんなど、オフ会でのおなじみさんとごいっしょさせていただいた。果ては、確か私がふじすえさんにお引き合わせさせていただいたような気がする某有能若手コンサルタントさんが(名前だしていい?H君?)いきなり2次会の司会をしていた。あいかわらず世の中狭い。ネットワークというのは、一対多でつながるだけでなく、リンク先とリンク先が互いにどんどつながっていくから楽しい。

    セミナーでは、某大学の学長さん、某大手コンサル会社の社長さん、そして、某有名ヴェンチャーキャピタルの社長さんのご講演を拝聴させていただいた(お名前を出すのは控えました)。「リスク」という言葉は、昔のイタリア語で「勇気をもって臨む」という言葉だという話が印象に残った。会社を興す、事業を起こすということは、「リスクをとる」ことだというが、それは「勇気を出す」ということなのだ。自分も商売を営む者として心に刻みたい。

    キルゴアさんの中国についての質問に触発された熱い議論なども、非常に勉強になったと思う。

    ふじすえさん、ありがとうございました。

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    2004年12月 7日 (火)

    [書評]人は変われる I can change!

  • 人は変われる―大人のこころのターニングポイント by 高橋 和巳さん
  • なんというかまさに私の生きているのは「小さな世界」なのだと感じる。本書との出会いもいくつもの偶然としか思えないような出来事が重なって現象した。なにかここのところ出会うキーワードが限りなく重なっている。一時期知人とのどうしようもなく偶然な出会いが頻発したことがあったが、今度はどうもキーワードが重なりすぎる現象が起こっているようだ。

  • 世の中狭い (HPO)
  • しかし、まだ今回のキーワードの重なりを自分の言葉で語りなおせるところまできていない。それでも、できるかぎり語ってみよう。そもそも私がこのブログで書いていることは、常に自分に手が届かないかもしれない課題に挑戦し続けてきたことの記録なのだと思う。

    たとえば、私が縁を感じてしまうのは、高橋さんの次のような言葉だ。

    私は、この相転移という概念が気に入っている。こういった物理学でいう相転移と同じような現象が中枢神経にも起こって、短い期間で神経細胞のネットワークが組み変わるということが起こるに違いない。

    高橋さんはこの文章を少なくとも1995年以前には書かれていたようだ。よく知られているように、もともと相転移前後の粒子の記述するために「べき乗則」*1が使われていたという。バラバシなどは、1999年以降にこの「べき乗則」がWebのトポロジーとして近似値であるらしいスケールフリーネットワークにおいて観察されることを証明した。

  • 複雑ネットワークの調査および問題定義 by 佐藤 史隆さん、 廣安 知之さん、 三木 光範さん
  • 決して高橋和巳さんはスケールフリーネットワークや創発やべき乗則をこの時点で予想されていたとは思わない。しかし、ネットワーク思考についてなんらかのイメージをもっていらしたのではないだろうか?そういえば、著者は脳機能のマッピングを研究された方だという。私もまがりなりにも感覚知覚心理学で卒業論文を書いたのだが、実は大学のころにホフスタッター中埜肇先生の影響を受けて「創発」やある種の相転移前後のネットワークの状態に非常に近いイメージを持っていた。これについてはまた機会をあらためて語りたい。

    先日から私はひとつ予想をたてている。それは、心理学=認知科学的な思考と現代のネットワークから得られる知見が近づいてきているのではないだろうか?ということだ。私のまわりでネットワーク的な思考を展開していらっしゃる方に、もともと認知科学、心理学系統の専攻の方が多いような気がしてならない。これは、インターネットというネットワークと大脳の機能という神経ネットワークとの間で相関性があり、類似の発想がお互いの分野で有効だからではないだろうか?

    では、ネットワーク思考やこうした心理学的なアプローチが前提とする主体はどこにあるのかという問題が頭から離れない。たとえば高橋さんは本書の中で「主観の再建」ということを言っている。たとえば、こういう言葉に私は強く動かされる。

    私の意思がどこから来ようが、神経細胞は私の意思を実現させるために動いていることは間違いないからだ。このとき、神経細胞はもう私の主観から独立な「客観的な物」はない(原文ママ)。すでに、主観性に利用され、主観性のために働いている「物」であり、私の主観性と対立することはない。主観性から独立した「客観的な物」はきえる。
    運命の自覚のとき---、それは主観性と客観性の交差点である。この交差点で、主観性は運命に浸透しはじめ、運命を動かしはじめる。

    ちょうど、竹田青嗣さんの本を読み終わったところだったのだが、竹田さんのいう「現象学的還元」と高橋さんの主観、客観の議論は私にはとても相関的に映る。

  • 現象学は〈思考の原理〉である by 竹田青嗣さん
  • あるいは、竹田さんのホームページで紹介されている「愚か者の哲学」という本の章立てと本書の章立てを比べるだけでも楽しくなってくる。どっちが哲学書でどっちがカウンセリングの本かわからない(笑)。あまりに、キーワードが重なっているように私には見える。それも、私の人の縁によっていずれの本とも出会うことができた。ここにかかわる方たちに本当に深く感謝したい。まったく、不思議でならない。

    私にいま必要なのは知性でなく、身体自体が生きようとする力の根源までさかのぼる純粋さを見出すことだと感じる。そして、本書や竹田さんの著作は私が生きようとする世界において、まさにこの世界自体が私に生きよ!と語ってくれる基本構造を解き明かしてくれているように感じる。強い、強い力を感じる。

    竹田青嗣さんの現象学的還元については、更にネットワーク思考における「信憑構造」への考察で触れたい*2

    あ、なにか一番大事なことを書き忘れているが、本書はカウンセリングの本であり、非常に心動かされるケースについて高橋さんが真摯に書いていらっしゃる。心理学用語としての「転移」の可能性を感じるが、なんとなく程度に悩みをもっている方には非常に参考になる本だと感じた。

    ■註
    *1 :もともと「power law」という言葉は、「べき乗則」と翻訳するのが定訳らしい。「法則」というと将来に対する拘束を含むようだが、「べき乗則」には拘束的な意味は薄い。

    *2 :いや、あるいは逆に言う方が正しいのかもしれない。現象学的還元で見出されるであろう信憑構造において、ネットワーク思考が実存するか、成立しうるか、と。

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    2004年12月 6日 (月)

    [書評]よくわかる!ソーシャル・ネットワーキング SNS book published!

  • よくわかる!ソーシャル・ネットワーキング」 by 山崎 秀夫さん、山田 政弘さん
  • 本書は、多分日本で出版されるソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)についてのはじめてのまとまった書籍であろう。単にmixiやGreeといったさまざまなSNSの紹介にとどまらずに、最近のネットワーク思考との関連や社会学的・心理学的知見にまで背景の解説を行っている。正直、本書で知った企業サイドからのSNS的なサービスも多い。

    誰かが「今このタイミングで出したことに意味がある」と言っていたが同感だ。多分、調査から執筆までかなり短い時間でなされたのではないだろうか?正直、どうせ触れるのならもう少し踏み込むべきだと感じる箇所があった。

    ああ、でもなによりも自分がかかわった「ふじすえ健三さんを飲む!」OFF会についてページを割いてくれていることには深く深く評価してしまう。

  • ふじすえ健三さん (HPO)

  • 「ふじすえさんを飲む!」オフ会 リローデッド (HPO)
  • まだ、二回目は今年の8月に行われたOFF会であるが、すでに自分の中ではなつかしい感じがする。さすがに参議院議員になられ、実務ににあたられているふじすえさんを、これまでのようなノリでお迎えするわけには行かないだろう。もしかするとブログやSNSの興隆期であったがために実現した会であったといえるのかもしれない。いや、あるいは恒常的にこういう会やイベントが開かれるようになったら、その時こそSNSが日本に定着したのだといえる。

    これまた正直な実感として、くやしくもあり、うれしくもあるのは、私がこれまでこのHPOブログで書いてきたことと重なるトピックがかなり本書と重なる。無理やり自分の方にもってくるようで恐縮だが、本書オビにあったキーワードのいくつかと自分の記事を照会したい。

    本書のキーワードHPO記事
    友達の友達は友達だ世の中狭い
    信頼感ネット上の貨幣としての認知にインフレーションは来るのか?
    イベント、オフ会本文中のOFF会参照
    六次の隔たり言葉の神、ウェブの神、ネットの神、そして、約束の知
    ブログブログで書くということ 
    弱い絆の強さSNSと「弱い紐帯」the power of links
    ナレッジマネジメント KJ法とブログ
    個の自律 「Blogを書くということ」

    うーん、本書に載っていることを自分が網羅しているから自分をほめてやるべきなのか、自分の書いたことが本書に網羅されているから本書をほめるべきなのかはよくわからない(笑)。いずれにせよ「SNSフリーク」(by nobuさん)と呼ばれる私としては(汗!)、本書によってますますSNSの参加者が増え、ネットワーク的な考え方が広がり、真に能動的な活用が増えていって、自覚的にネットを活用されるユーザーが広がればよいなという思いではある。

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    2004年12月 1日 (水)

    ナウシカをネットワーク分析する social network analysis

    ■問題

    先日おいしいところだけを書いてしまったので、今回は地味で退屈な話になる。

    ・「風の谷のナウシカ」 by 宮崎駿さん

    ナウシカの世界には遠距離の即時通信手段が存在しない。これは不滅の飛行エンジンが残っていることと技術的には非対称といえるのだが、一度書いたことはこれ以上触れない。このために物語として成立し、以下のようなネットワーク分析も可能となったといええる。以前、ヨーロッパの中世の戦争からEU成立までの歴史を「距離」という観点から夢想したことがあったが、国の指導者同士が現代のようにいつでも話しができるということは、ナウシカの世界と比較したとき不必要な紛争を回避する意味で非常に意義深いといえる。まあ、ナウシカとクシャナがSNSしてたり、ヴ王と皇弟が携帯電話で会話する仲だったらなんて仮定はしゃれにならない。

    距離、時間、そして統治と戦争 (HPO)

    さて、どうも脱線しがちだが本題へ移ろう。とにかく通信手段が限られているため、ナウシカの世界では、実際に対面して始めて「リンク」が生まれるということだ。この物語世界に社会ネットワーク分析というある種の構造主義的な分析をあてはめてみたいと思う。これは、実際のケースにあてはめてみて、私自身が分析手法を学ぶ機会としたいという動機が根底にある。また、非常に複雑であるこの物語を構造的に解析することによりなにか新しい知見が見出せるのではないかという期待が他方にある。

    ■仮説と前提

    あらかじめ、仮説として以下のテーゼを掲げる。

    「漫画版『風の谷のナウシカ』という物語はナウシカが時系列を通じてハブとして成長していく物語である。」

    もうすこし前提から考えれば、宮崎駿という稀有な才能の持ち主が生み出し、いまだにアマゾンの売り上げ上位にあるこの作品であったとしても、果たしてリアルの社会の分析手法である技法が適用可能かどうかという問題を本来論じなければならない。これは結構難しい問題だ。一応、構造主義的な技法が過去に童話や昔話などの物語に適用されて有効であったことをあげて、先へ進みたい(e.g.「昔話の深層」by河合隼雄さん)。

    ■方法と結果

    (1)ノード=登場人物

    まずは、ノードである登場人物の整理からはじめる。この物語には数多くの人々が登場する。ほとんどは名も知られない者たちだ。ここではノードとして、特に自分の意思で行動し、他のノードに影響を及ぼすことのできることを選択の条件として、登場人物を19人(組)選んだ。残念ながら、実際には私の恣意性がかなり入っている。名前の前の番号は後出のソシオメトリー分析のノード番号を示す。

    <図1 登場人物一覧>

    (クリックするとSVG viewer用のデータが開ける。ALT+マウスで移動、ctrl+左クリックでズームイン、ctrl+shift+左クリックでズームアウトする。)

    (2)有向グラフ分析

    次に、これらの登場人物を場面ごとにリンクとして分析する。下の図の矢印は影響力の行使の向きを含んだ有向グラフのリンクの分析である。時系列とともによりひろい幅でお互いに影響力の行使が進んでいくのがわかる。

    <図2 場面別リンク有向グラフ>

    同エクセル・ファイル

    (3)ソシオメトリーの最短パス分析

    以前作成したアクティブベーシックのスケールフリーネットワーク生成のプログラムを改良してナウシカの分析に使えるように改良した。図2に示されたリンクを元に19×19のソシオメトリーを作成し、ファイルとしてプログラムに取り込み、相互のリンク(無向)として分析する。

    まず、最短パスの算出を行った。

    ナウシカ分析用 ActiveBasicファイル
    ActiveBasic

    <図3-1 第1巻以前における最短パス>

    <図3-2 第7巻における最短パス>

    (上から下、あるいは左から右へ登場人物の1~19となる。対角線から右上は今回は蟲、いや無視してください。

    図3-1と図3-2を比べると、小島のように孤立していた最短パスのかたまりがナウシカとクシャナを中心に全面的に広がっていく様子がわかる。最後には、ほとんどすべてのノード=登場人物が1リンクか、2リンクでつながってしまうことが観察される。

    (4)ソシオメトリーの可視化

    本節では、ソシオメトリーで分析されたリンクを可視化する。まず、登場人物を円環状に配置してやり、相互のリンクを直線として表す。非常に見ずらいが、下図中の円環上の番号は登場人物のノード番号(図1参照)を示す。


    <図4 物語開始前、第1巻~第7巻 の リンクの変遷>

    4-1.第1巻以前 4-2.第1巻展開 4-3.第2巻展開
    4-4.第3巻展開 4-5.第4巻展開 4-6.第5巻展開
    4-7.第6巻展開 4-8.第7巻展開  
     

    (クリックすると拡大する)

    <図4-9. 図4-1~8のGifアニメ化画像>

    当初いくつかのグループ内でのリンクだけで世界は成り立っていたのだが、「巨神兵」の発見とこれを契機とするトルメキア戦役の開始を契機に新たなリンクが発生し(図4-1参照)、加速度的にリンクが急速に形成されて前節で見たように最後はほぼ全登場人物がつながってしまう様子が可視化できた。

    図4-9のアニメーションを見ると、8番のノードであるナウシカと4番ノードのクシャナに当初リンクがあつまっていくのが観察される。そして、次の段階として図4-8を拡大して見ると、図4-1~6までの可視化グラフと異なり、子午線のように縦横にリンクが走り、登場人物相互の緊密なつながりが生じていることがわかる。

    (5)度数分析

    仮説をたてた「ナウシカがハブだ」ということが前節までの可視化分析でわかってきたが、クシャナも同時にハブとしての機能を果てしているように見える。更に仮説を検証するためには、物語で生成されたネットワークのトポロジーの分布特性を検証してみる必要がある。統計的な手法がいくつかあるが、私の手に負えそうなのはべき乗則の検証でつかうリンク数順位とリンク数で両対数軸でとった分布の分析くらいだ。

    <図5-1 第1巻以前 度数分析>

    <図5-1 第7巻 度数分析>

    ごく単純で少ない(密度の薄い)リンクから、次第に複雑な分布をしめす密度の高い(成熟した)リンクへと人間関係が成長していく様子がうかがえる。ただし、第7巻の状態であっても近似曲線と比べても変異がはげしい。べき乗則の分布の特徴である両対数グラフでの直線性が観察されない。近似曲線との相関係数も低いようだ。先日「べき乗(中略)夕べ」でご報告いただいたshibataさんの研究によるとどうも、上側に膨らむ曲線のようになるのは、ランダムネットワークアタッチメント(*2)がいくらか入っているか、生成のつなぎ変えにランダムアタッチメントを含むスモールワールドネットワーク的な特徴になるらしい。

    ■考察

    やはりみようみまねでやってみたものの、なかなか付け刃では難しいものがある。もうすこし「実践ネットワーク分析」をマスターする必要があるようだ。で、仕方がないので反則技だが私が感じた物語と今回の分析結果を対照していくつかの結論をひっぱりだす(汗)。

    まず懸案の仮説の検証であるが、可視化分析などで明らかになったように、ハブとしての存在はナウシカ一人でなくクシャナとの二極構造であったことが検証できたように思う。この物語は少なくとも途中までは二極のヒロインが近づきつつ、離れつつしながら進むのだと思う。これは宮崎駿さんのドラマツルギーでよく見かけられる構造だ。例えば、「となりのトトロ」においてメイとサツキは構想段階では一人の少女だったという(傍証として、二人の名前が英語と日本語で五月を意味することをあげる。)。もともと一人だった主人公を姉妹として構想しなおして、はじめて物語にダイナミズムが生れた。かくして、行方不明になったもうひとりの自分を見つけることで少女の成長の物語が完結に向かう。これと同様にナウシカとクシャナの出会いと相克というのが前半の軸であるということが、ネットワーク分析から視覚的に検証できたと感じる。しかし、この物語のネットワーク的なトポロジーはどうもスケールフリーネットワークではないようだ。

    この二極構造も、今回「登場人物」には加えなかった「虚無」の後半での登場から次第にナウシカとクシャナのリンクの仕方が変わってくる。これは、図4-7、4-8で明らかにこれまでと異なるリンクの密度と方向があらわれることで検証できる。あるいは、この虚無の存在は単に粘菌が発生した以上にナウシカとクシャナの危機であったのかもしれない。こうして、結果的に全体のリンクの密度が非常に高まり、質的な変化を経て、ラストシーンのクシャナの「私は真の王を見出した」というせりふにつながる。これは、物語の構造として「トトロ」と同じように、「失われた自分の半身の発見」という結末として分析できないだろうか?

    リンクが急速につながっていったきっかけを考えるときに、どうしても「戦役」の勃発と深化をさけることはできない。微妙なバランスを保っていたたそがれの世界が、人と人がらそうことにより急速に動きだし、登場人物がつながっていく。そして、前回論じたように世界の究極へと透脱することになる。

    この物語が始まる前までは、多分小規模の戦いはあったとしても多分ある程度の平和であったが、巨神兵をめぐるあらそいから始まったこの戦役は、トルメキアの戦力に対抗したドルク側の投入した巨大な粘菌により国土の消耗戦につながり、この争いの中ですべての登場人---王蟲からヒドラやオーマ、墓所の人々にいたるまで---の出会いが必然のものとなった。「戦争はすべてを宿命的につなげる。」ということはひとつのテーゼだといえるのだろうか?そして、最初にたて仮説の後半の「成長」であるが、ここにいたり私はナウシカ一人だけでなく相対としてのネットワーク、登場人物の総体が成長したと感じている。

    ■考察を超えて

    そして、人の世には....人には本当に救いはないのだろうか?

    Darfur attacks fuel genocide fear
    スーダン・ダルフール危機情報

    ■参照リンク
    ナウシカの登場人物紹介 @ ナウシカ研究室
    ナウシカ、ナウシカ、ナウシカ goddess of death? (HPO)
    私的所有の生物学的起源 by 鈴木健さん

    ■修正 平成16年12月4日

    shibataさんからコメントをいただいた。文中で「ランダムネットワーク」といってしまったのは、ノードが新たに加わったときにincomingのリンクや適応度を考慮しないでランダムにつなぐという意味であろうと類推する「ランダムアタッチメント」の間違いであった。明示的に修正した。

    また、文中でスモールワールドネットワークについて記述しているが、操作的にスモールワールドネットワークは、ノードに順番があると仮定して「一定の数は近隣のノードとリンクし、次のこの中のリンクの一部をランダムにつなぎ変える」という操作で「ランダムネットワークとパス長は同じだが、クラスター係数で異なる」分布をもつネットワークが得られるという。つまりは正方格子のリンクに次第にランダムなリンクが増えていくというイメージとして理解した。

    ・ネットワークの違いがダイナミクスに与える影響> PDF版 by ユキジさん
    スモールワールドネットワーク @ はてなキーワード

    shibataさん、ありがとうございます。

    ■追記

    FIFTH EDITIONのpalさんが、物語のネットワーク分析について書いてらっしゃるのを発見した。

    ネットワーク外部性と漫画などのストーリー構成についての考察

    人の意識、ネットワーク外部性から、主人公がハブとなる事態が普遍的である理由を考察していらっしゃる。大変興味深い。

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