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2005年1月 6日 (木)

[書評]最後の努力 res gestae populi romani XIII

この物語を読んで、デジャヴュを感じた。ここで語られる物語はとても1700年前のこととは思えない。まさに、いまこの日本において起ころるかもしれない歴史がすでに生起し、国が滅び、そしてその生と滅とが現代の日本語で語られているのだ。

ほかでもない。塩野七生さんが物語る「ローマ人の物語」第13巻、「最後の努力」だ。

本書において語られるのは、3世紀から4世紀はじめの末期直前のローマ帝国だ。前半では、ディオクレティアヌス帝が「3世紀の危機」といわれた状況を、これまでローマ皇帝が一手に握っていた権力を分散し、ある意味で官僚制を発生させる改革を行うことにより乗り切った顛末が語られる。そして、後半の多くのページがキリスト教徒から「大帝」と呼ばれるようになるコンスタンティヌス帝が乱立した東西・正副皇帝との権力争いに勝利し、ローマ帝国を再度統一し、キリスト教を公認するまでに割かれている。

前回の記事で既に日本において国の財政も、個々人の家計も破綻しているかもしれないと書いた。そして今私がこの物語を読んで、現在の日本の姿と4世紀初前後のローマ帝国にいくつかの共通点があるように感じる。

  • 徴税対象の拡大と税率の上昇:数百年の間安定していた税制が「改革」され、税率が乱高下するようになった。

  • 貨幣価値の低下:長い間守られてきた貨幣の単位が実質切り下げられた。

  • 官僚と軍組織の増大:30万人の軍団が60万人に倍増した。

  • 官僚出身者のみが出世する:塩野さんの仮説と思われるが、ディオクレティアヌス帝は軍人というよりも軍官僚だったが、帝位にまでのぼりつめた。
  • ローマの税制については、私には忘れられない映像がある。それは、「選択の自由」の内容をテレビで放送したとき、著者のミルトン・フリードマン自身がローマ帝国の遺跡に立って皇帝の押印のあるレンガを片手に「ローマ帝国はこのようなものまで課税しなければやっていけなくなっていたのです。」と語るシーンだ。日本で放映されたのは確か昭和50年代半ばだと記憶しているが、当時行革が強く叫ばれていた時期だった。それは、「小さな政府」をめざさなければならないということが、強く私の中に焼き付けられた瞬間だった。決して「帝国」になってはならない、と。

    フリードマンの言葉と塩野さんの物語る「ローマ人の物語」ではこれまで大きな隔たりがあった。レンガに課税するみみっちいイメージとは裏腹に、いくたの存亡の危機を乗り越え、内乱の世紀をも克服し、パクス・ロマーナ(pax romana)を築く過程では、ローマ人が実に柔軟に現実的に物事に対処する姿が描かれていた。それが、11巻目で物語られる五賢帝の末期から次第にトーンが異なってくる。そして、本書において決定的に滅びへの道を歩み始めるローマ帝国の姿が語られる。

    たとえば、この時代まで税制としては5%で固定されていた相続税と奴隷解放税、10%の属州税、1%の売上税くらい存在しかなかった。それぞれ「vicesima ヴィチェージマ(二十分の一税)」、「decima デーチマ(十分の一税)」、「centesima チェンテージマ(百分の一税)」と呼ばれて通っていたくらいだから、制定から数百年間税率は不変であったということだ。これは現在のどの先進国よりも低率の税であったろう。

    しかし、この時代の後は何度も税率が乱高下するようになったという。塩野さんの表現をまねすれば、「集まったものをいかに使うかでなく、必要な額を税としていかに集めるか」へと変化した。そして、フリードマンのレンガにつながっていくわけだ。

    また、この時代まで巨大な帝国を持ちながらも官僚組織が存在していなかった。あれだけ巨大な建造物を作りながら、この時代までローマ市内はもとよりローマ帝国内のどこにも官庁街が存在しなかったという。ただし、フォルム(forum)といわれる人が集まり、裁判や討論が行われる建物や、スポーツ施設や図書館などを複合した市民の憩いの場所としての大浴場ならどこにでも存在した。軍人皇帝の時代では常時皇帝が軍団を率いるようになったため、軍官僚が生まれた。職業選択の自由もディオクレティアヌス帝の世襲制制定により否定された。

    コンスタンティヌス帝以降、これまで流通してきた銀貨以外に金貨が発行されるようになり、官僚や軍人の給与は価値が一定だった金貨で支給されたが、一般庶民の間では価値が乱高下した銀貨が使われたため「勝ち組」と「負け組」の差がますます開いていったという。

    こうしたローマ帝国の状況を現代の日本のそのままあてはめることはできないが、ローマ帝国を滅ぼした亡国の足音が聞こえてきているような気がしてならない。現代の日本において既に政府の支出もあきらかに「集まる」税額では足りず節操のない増税の時代にはいりつつある一方、個々の家計においても現在享受している生活レベルを支えるには生み出している付加価値、その結果としての収入が足りないようだ。つまりは、生み出す付加価値が消費に追いつかない状況になってきている。

    そうそう、余談だが日本において「税」というときには、社会保険をも含めていいと思う。世代間であまりにもアンバランスで、負担した額すらもどってこないことが公的に認められた制度はもはや保険とは呼びたくない。

    公的年金に財産権は実在するか? (HPO)

    一方、ローマ帝国でもこうした道をころげおちていく背景には、個人の気概の消滅があったと思われる。先ほどはあげなかったが帝国のリーダーとエリートを輩出した元老院が完全に力を失ったのもこの時代らしい。元老院メンバーが権益集団と化してしまったように、日本でも少子現象をはじめとして個々人が自分の利益にのみ走り、国を守り、次の世代へつなげていくという発想が乏しくなってきている。いや、もうすでに全くなくなってしまったのかもしれない。

    「負け犬の遠吠え」 (HPO)

    これまでの「ローマ人の物語」では、いくらこのあと西ローマ帝国が紀元476年に滅亡するとわかっていてもまだまだ反転可能だと、策はあると考えながら読み進められた。「if」がありえたのではないかと思えた(*1)。しかし、この巻を読んでこれは確実に滅びるな、という確信めいたものを感じる。まだ、西ローマ帝国の滅亡まで150年あまりあるにせよだ。

    ドッグイヤーが叫ばれる今日、150年の7分の1、暦年の20年あまりで消費人口は激減し、経済も疲弊し、もはやだれも新しい試みを行うことがなくなり、他民族・他国に滅ぼされる日本の姿を目撃せざるを得なくなるのだろうか?それとも、まだ別な道を選ぶことができるのだろうか?

    ■追記 皇帝独裁 平成17年1月8日

    この記事を書いてから気がついたのだが、本書で扱われる時期から元老院が力を失っただけでなく、民衆レベルでも皇帝への影響力もなくなってしまったのではないか。いや、民主に抗議運動すらもさせなかったのかもしれない。

    カエサルの初期の後継者たちにはコロッセオなど民衆があつまる場でブーイングをくらって政策をかえたというエピソードが多々あった。元々、「皇帝」という概念のなかったローマにおいて、カエサルが最高神祇官から独裁官、軍の司令官(インペラトール)までを一人で終身で兼ねることで帝位を「発明」した*3。当然民を守る役職である護民官もかねていた。カエサルは、長く続いた民衆派と門閥派との内乱を収めるために、支持基盤を民衆におきながらも、元老院をうわまわる力として帝位をおいた。皇帝は、民衆に食と安全を保障する存在でなければならなかったのだ。

    コンスタンティヌス帝に至って、帝位の元々の目的を忘れ民衆を独裁する方向へ走り、その手段としてキリスト教を選んだように思える。そう、カソリックのキリスト教はもともと統治者が被統治者の内面からのコントロールを行うために成立したのではないだろうか?*4

    いずれにせよ、民の力が弱まることは政治的には政策を実現するうえで楽に思われるが、長い目で見たときに確実に国の力を弱める結果を生む。国民の数を数える調査が「国勢調査*2」と呼ばれるのは伊達ではない。民の力が国の力なのだ。

    ■註

    *1 
    余談だが、「永遠のローマ」というローマが滅びなかったというifに基づくSFが存在する。

    *2
    ちなみに、国勢調査を意味する「センサス census」という英語はほぼそのままラテン語だ。「censeo」という動詞の過去分詞から、英語化したらしい。意味はほぼそのまま「評価する、戸口調査する」ということだ。

    *3
    ますます余談だが、執政官だけは別にして兼務しなかったことにカエサルの政治センスを深く感じる。帝政をとってからも元老院からちゃんと執政官を輩出させつづけたのだ。おっと、それでもディオクレティアヌス帝、コンスタンティヌス帝の時代になってもさすがに執政官の制度も続き、自身も執政官についているようだ。

    ディオクレティアヌス家 @ 世界帝王事典

    *4
    そう考えてみると、アイザック・アイモフの「銀河帝国の興亡」シリーズ、「第二ファウンデーション」の位置づけに、どれだけローマ帝国からローマ教会へという流れが反映されていたのだろうかと妄想が広がる。

    ■参照リンク
    ローマ人の物語 最後の努力 @ やまの日々是平穏
    Book:塩野七生 『ローマ人の物語XIII 最後の努力』 by とみくらさん
    分担 - ローマ人の物語 @ Ecotechnology
    『ローマ人の物語ⅩⅢ-最後の努力-』  by よりりんさん

    ■追記 平成17年1月24日

    最近、本書の冒頭に引用されたカエサルの言葉がこころにしみる。

    いかに悪い結果につながったとされる事例でもそれがはじめられた当時にまで遡れば、よき意志から発していたのであった。

    ■追記 平成17年1月27日 [週刊!岡本編集長] 『ローマ人の物語』 へのトラックバックにあたって

    岡本編集長さんをよく存じ上げないが、あまり「ローマ人の物語」の以前の巻きをよんでいらっしゃらないのではないだろうか?

    実力主義であるために流さざるを得ない権力闘争という構造について塩野さんはたびたび言及されていたように記憶しているのだが、私の理解がまちがっているのだろうか?ローマ人が嫌った世襲制をカエサル、オクタヴィアヌスが導入せざるを得なかったのはまさに「血の流れる革命」があまりに長くつづいたからではないだろうか?ちなみに、オクタヴィアヌスもカエサルの養子であった。どちらかというと皇帝が次期皇帝を指名する制度であったと考えるほうが自然な理解だと思う。その運用にあたってまさに↑に引用したカエサルの言葉の実例となっている面が本書が扱っている時期に噴出していることは、私も感じる。

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    コメント

    TBありがとうございます。ローマ人の物語シリーズ、日本のことなんてほぼまったくといっていいほど出てこないのですが(水道の話ぐらいしか憶えがありません)現代の日本とついついダブらせてしまいます。反映した民族を見ると概ね民族の気質を失ってゆく段階で衰退してゆくように感じますが、さてさて日本はどうなるんでしょうね?

    投稿: やま | 2005年1月10日 (月) 15時53分

    やまさん、こんばんわ、

    コメントありがとうございます。

    そーなんですよね、塩野さんは「凡人宰相」に助言して「それは、ぼくに死ねということですね」とまで言わしめた方なのに、「ローマ人の物語」ではひところも日本のことを書かないというのに美学を感じてしまいます。そーすると、どうしても私のようなものまで「じゃあ、日本と比較するとどうなるんだ!」と刺激されてしまうわけですね(笑)。

    >民族の気質を失ってゆく

    まさしくそこが問題で、政治的にうまくいけばいくほど民衆は気概をうしなっていくというヘーゲル的な矛盾を強く感じております。そしてまた、いまの日本はまさに楽園のなかで終焉を迎えつつあるのだと感じます。

    http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/05/post_3.html

    今日たまたま大きなお風呂屋さんに行ってきたのですが、多分この時代に至ってもローマの方たちもディオクレティアヌスのお風呂につかりながら、のんきな会話をしているうちに滅びを迎えたのではないかなという気がしました。

    「最近、辺境があれているらしいじゃねぇか。」
    「そうそう、だから皇帝はなかなかローマにこねぇんだとさ。」
    「戦いは軍人に任せておけばいいのさ。ところで、お前のところは銀貨で給与をもらっているのか?また改鋳されるらしいじゃないか?」

    投稿: ひでき | 2005年1月10日 (月) 21時42分

    おはようでございます。

    頑張って最後まで読んだわよ!

    何をコメントするつもりだったか

    すっかり忘れちゃったわよ。

    投稿: | 2005年1月11日 (火) 05時51分

    麗さん、おはようございます、

    こちらまでご出張ありがとうございます。

    でも、最初の動機を忘れるくらいこの本面白かったでしょう?恋愛のストラテジーを組むのに参考になるかもしれませんよ(笑)。あるいは、年上の男の魅力を感じるにはこのシリーズの中でカエサルについて書いた「ルビコン以前」がお勧めです。

    ちなみに、「BlogRanking」逝ってしまいました。orz

    投稿: ひでき | 2005年1月11日 (火) 06時48分

    TB有り難うございます。
    こちらもTBさせて頂きました。

    この巻のテーマから、読者に凄く憂鬱な気分を与える様な内容となっていますが、古代から現在に立ち返った時、考えさせられる内容が、各所にあると思います。

    組織の運営の難しさ、特に公共財を預かる公共団体としての特異性には、税金や社会保障も含めて、正解が無いのはわかりますが、どれほどまでに、人間を苦しめるのでしょう。

    投稿: ka2ya | 2005年1月11日 (火) 12時48分

    挙げている共通点と称するものが
    まったく現在の日本と共通していないのですが。

    なかなか思い込みが激しいですね。

    投稿: ななしさん | 2005年1月13日 (木) 01時42分

    ななしさん、こんばんわ、

    私の思い込みが激しいのはご指摘のとおりです。ただ、私なりの「思い込み」を語らせていただければ...

    ・徴税対象の拡大と税率の上昇:
    消費税の導入によりほぼすべての物品に対して課税されるようになりました。また、所得税等は「恒久減税」されたはずだったのに、再び税率があがりながらも消費税率もあがることが予定されているということを感じられますか?また、公的年金、健康保険、介護保険も税の一部であると考えます。

    http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2004/09/the_heart_of_th.html

    ・貨幣価値の低下:
    現在は、円とドルが同時に価値をさげているなかで「目くそ鼻くそ」で円がドルに対して上昇しているので説得力がありません。一方、ROAのように資産と比較して考えるのが適切かわかりませんが、流通している通貨量、国土に存在する財の価値から比べて、GDPがあまりにも低すぎるように感じます。日銀による通貨供給の大幅増加にもかかわらずGDPが上昇せずに、政府の債務が増加していくという現象自体に貨幣価値の低下を私は見てしまいます。

    ・官僚と軍組織の増大:
    戦後唯一現職の衆議院議員で暗殺された石井こうきさんのご著書によれば、労働人口約6,000万人の内、実に2,000万人が国あるいは地方自治体とその関連事業に勤務していることになるそうです。自衛隊についてはコメントを避けます。

    ・官僚出身者のみが出世する:
    これは、検証してみる必要がありますが、与野党ともに官僚出身の代議士は多いのではないでしょうか?各県の知事さんでも官僚出身者の方が多いように感じます。逆をいえば、まったくの民間出身で二世でもない人間で県知事、代議士になっている人はいまいらっしゃるのでしょうか?

    投稿: ひでき | 2005年1月13日 (木) 23時15分

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