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2005年1月20日 (木)

ラグビー、憲法、そしてネット・コード rugby, constitutions and net-code

先日、たまたまラグビーの花園で四連覇を果たした高校のニュースをやっていた。ぼんやりみていただけだったが、ああ腰から下しかタックルしてはいけないんだな、とか、後ろにむかってしかパスできないんだな、ということくらいは思い出した。

年末、憲法学者の方とお話した。たわいもない世間話とこれから親になる友人へのおせっかない話ばかりだったが。

そんな状態で鈴木健さんの白井教授のプレゼンへのコメントを読んだ。

ISED白田さんのパワポについて

ふと思った。

ネットワークに自己組織的な力があったとしても、それは生物がある環境に適応するようなもので、一定の外形の内においてのみ可能だといえる。いや、あるいは外形が決まっているからこそ自己組織化、べき法則による記述が可能になるのかもしれない。であれば、ネットにおける外形が技術の発展だけで決定されればよいというものでもないだろうという気になった。

リアルの社会に憲法なり法体系が存在するように、ネットワークの世界においても憲法のようなルールを確定し、ラグビーが単なる身体のぶつかりあいでなくゲームとして成立しうるようなルールを確立しなければならないのではないだろうか?知的所有権しかり、サイバーテロしかり、プライバシーの問題、情報操作的な介入しかりで、ネットワークにおける世界の住人、各国の政府などがある程度共通の枠組みをもって解決にあたらなければ手をつけることすらできな問題が山積みされている。

「憲法」といっても固定的なものである必要はないと思う。米国内の州政府間で商法を最低限共通化する試みとしてユニフォーム・コマーシャル・コードというものがあると聞く。

米国のUNIFORM COMMERCIAL CODE(米国統一商法典)について @ JETRO

実際には各州の事情に応じて修正されて可決されているケースが多いそうだ。ネットの上でも、それぞれのケースに応じて適用されればよいと思う。必ずしも政府や公的機関だけでなくネット世界の住人を自認する人達の自主的な運用あるいは、個人個人の表明を含めて、ラグビーの試合をラグビーたらしめる、ネットの世界をネットの世界たらしめるルールはあってもよいのではないだろうか?

規制という意味でコードという言葉をつかえば、かならず強制力の問題となる。ここに自己組織的な力をみつけたい。この辺はまだわからない。

....てなことをメモってほうっておいたら、白田教授ご自身のご講演の要約がでていた。

ISED @ GLOCOM

いんやぁ、これはもうアップルシードの世界ですな。

アップルシード 2巻 apple seed 2nd volume (HPO)

■追記 平成17年1月23日 当ブログでのお願い 【またはいってみりゃローカルルール】 @ 徒然なる数学な日々へのトラックバックにあたって

では、ローカルルールに従って賛否の表明から...(笑)。

やはり、こういうのが必要な時期にもう来ていますよね、ブログも。

私のHPOのように「村」ブログくずれで閑古鳥がないているところはともかく、昨晩の某所での議論(というより祭りというのかな?)のように一定の倫理的なレベルにおいてコメントなりトラックバックなりを削除する権利を行使しなければならないであろうと納得できる状況を多く見かけるようになりました。この意味で、night_in_tunisiaさんが掲げられたローカルルールは、これからの標準フォーマットを志向しるるものだと感じました。敬意を込めて、Uniform Net-Code第1号を認定します(笑)。

■追記 平成17年1月24日

調子に乗ってなんもわかってないのに、ブログ用のポリシーをwikiで書いてみた。ご協力いただける方がいるとありがたい。

Uniform Network Code for Blog Pplicy

ついでにCreativeCommonsのタグを貼り付けてみたりする。
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

このblogは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。

■記者ブログ炎上関連 平成17年2月13日
「しがない記者日記」で起きたこと @ ガ島通信
またしても記者ブログが1つ撃沈 @ ネットは新聞を殺すのかblog
くだらない話の余波 by 切込隊長さん

少々思うところはある。また別途書こうと思っているが、なぜだれもこれこそが創発現象であり、ネット上のスーパーハブの振る舞いの特性であると書かないんだろうか?それとも、私はとんでもない勘違いをしているのだろうか?

ユニブロゴスフィアの終焉 by NETIZENさん 平成17年2月14日

くりおねさんに教えていただいて、読ませていただきました。ありがとうございます。なんというか、とても大事なことを教えていただいたように思います。↑の「ブログ・ポリシー」も未完のままほっておりますが、こういうことが自衛の手段として、あるいは分散しつつある(お言葉を借りれば)「ブロゴスフィア」における最低限の共通認識を持つためには必要なのではないかと感じてはじめたものです。随分以前にかかれていた↓の記事にようやく追いついたという感じでしょうか?

ネットリテラシは「前提の否定」から始まる

私は、それこそNNのfj.あたりにときどきおじゃましていたくらい昔にネットに触っていました。その後、仕事がもうれつに忙しくなりこの10年くらいのブランクを経て最近ブログをはじめ、ネットに再突入していった者です。なんというか、すでにネット上の幾世代の変遷を経験して来られた重さを実感させていただきました。このネットという世界においてはリアルの年月とは違う月日が流れているのかもしれませんね。ご指摘の通り、なんというかすでにこの問題は世代間の問題なのかもしれません。

だらだら書いてしまいましたが、今後ともよろしくお願いいたします。またお邪魔させてください。

■参照リンク
投稿の詳細: 「ユビキタスネット社会憲章(案)」に対する意見(ドラフト) by 崎山伸夫さん
Blogのポリシーについて by 伊藤 芳浩さん

■追記 平成17年2月19日

m_um_uさんから「The cost of ethics: Influence peddling in the blogosphere」という記事を教えていただいた。完全には読み込めていないが、英語圏のブログでスポンサーから資金提供を受けて、そのスポンサー自体やその製品について書くということが行われたらしい。ここに対して、ジャーナリストの倫理規定から大幅にはずれるのではないかという注意が促されている。一昔前にブログで食えるか?という議論があった。多分いまの日本の読者層の集まり方では不可能ではあろうが、スポンサーが存在して資金の提供を受けることがあるいは一番「食える」ことの実現に近づくことかもしれない。しかし、スポンサーがついたというとたんに日本語のブログ界隈でも一気にそのブログへの信頼が失われるであろう。

ネットにおける信頼の問題、倫理の問題、そしてジャーナリズムとブログとの関係において大変示唆されるところがあると感じた。

ちなみに、「Uniform Network Code for Blog Pplicy 」に明示的な広告についての項目を加えたのはいうまでもない。

■追記 平成17年3月14日

昨日、とんでもないことに気づいてしまった。まあ、とてつもなく自分の記事が恥ずかしい出来であることはともかく、白田教授の「グリゴリの捕縛」にすべては書いてある。もう4年も前の内容。しかも、ほぼ1年前に既に読んでいる!!!
あまりに恥ずかしい事態だ。でも、ほんとうに書いた時には記憶になかった。いや、そんなことは言い訳にならない。意識する記憶の下にもぐっていて、それがこういう形で出てしまったのだろうか。しかも、こともあろうに、著作権の超専門家に...orz
ま、でも自分でここに書いたことにはなんらかの意味があるんだろうし、全然レベルが違う話ではあるので、記念にここに残しておこっと♪

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コメント

ひできさんこんばんは。このエントリへのトラックバックを何度か試みたのですが、なぜか失敗するのでコメント欄で失礼します。

 [Web][雑記] ブログのポリシー表明に便利な枠組み
http://d.hatena.ne.jp/summercontrail/20050124#bp">http://d.hatena.ne.jp/summercontrail/20050124#bp
 という記事で「Uniform Network Code for Blog Pplicy」を紹介させていただきました。エントリの本題についても少し雑感のようなものを書いています。もしまだご存じでなければと思いお知らせいたします。

投稿: 左近 | 2005年1月27日 (木) 23時06分

 すみません、「確認→送信」の途中でアドレスの記載を修正しきれていなかったようです。失礼しました……。

投稿: 左近 | 2005年1月27日 (木) 23時08分

左近さん、おはようございます、

なんかはてなとココログの間って、トラックバックやりとりしにくいですよね。はてな?(さぶ~)

そーなんですよね、強制力のないルールってあるのかな、という感じが私もするのですが法律も半分くらいは習慣でなりたっているわけですし、多くの人がそれを受け入れているから成り立っているわけですから、ネットにおいて少なくともブログをやる方は「だいたいこの辺が共通のルールかな」と思っているラインがあれば、もう少し世界が滑らかになっていくのじゃないかなと感じます。

まあ、それにしてもネットの上とはいえ一応各国の法律がまったく及ばないというものでもないんだな、というのがちょっと自分で書いてみた感想です。いまのところごくまれな例外はあってもブログやらネットで活動している主体である人もみなどこかの国には所属しているわけですからね。

また、感想をコメントさせていただきにうかがいます。ご紹介いただきありがとうございます。

投稿: ひでき | 2005年1月28日 (金) 06時49分

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