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2005年1月22日 (土)

彼我の差は大きい to have or not to have

先日、「二人目の出産」という話題があったがポジティブな米国人は3人目、4人目を持つか持たないかで悩むらしい。

SWさんに教えていただいたEconLogを最近愛読している。Arnold KlingとBryan Caplanのお二人が書いている。"Econ"は"economics"の省略した言葉だ。よく学生なんかが使っている。「イーコン全然わかんねぇ。」とか「次は、イーコンだ。」とかいう具合で使う。

閑話休題。今回取り上げたいのは、Bryanさんが書いた記事だ。子どもを持つことに対するミクロ経済学的な分析だという。

Basic microeconomics recommends a simple strategy. Have the number of children that maximizes average utility over your whole lifespan. When you are 30, you might feel like two children is plenty. But once you are 60, you are more likely to prefer ten sons and daughters to keep you company and keep the grandkids coming. A perfectly selfish and perfectly foresighted economic agent would strike a balance between these two states. For example, he might have four kids total - two too many at 30, six too few at 60.

ええい、めんどくさいが訳す。ただし、正確さは保証のほどでない。
ごく基本的なミクロ経済学からいえば、単純な戦略をすすめる。あなたの全人生に渡る平均効用性を最大にするだかの子供を持ちなさいということだ。あなたが30才なら、2人の子供で十分だと思うだろう。でもあなたが60才になった時、あなたと付き合ってくれる10人の息子や娘がいて、いつもあなたにつきあってくれ、孫たちをよこしてくれる方がよいかもしれない。完全に利己的で、完全に将来を予測できる経済的主体は、これら2つの間でバランスをとるだろう。例えば、そういう経済的主体は合計4人の子供をもつかもしれない。30歳の時には2人でも多すぎるが、60歳では6人でも少なすぎる。

この記事に対するコメントを読んでいても、「子どもはまさに社会の宝」というか、「できることなら子どもはいればいるほどいい」という根本的な認識が米国では主流なのだと感じる。子どもなんかほしくないというコメントはほとんどない。コメントのやりとりで印象的なのは、「子どもなんかペットだ。」と書いた投稿者にほんとうに倫理的な観点から攻撃されていた。

当然、子育ての難しさだの、子どもが増えて得をするのは個人でなく政府だとか、現在日本のブログで議論されているような話題も出てくる。果ては、「宗教的な信念しか子どもを産むインセンティブは与えられない」といったコメントまであった。それでも、「子どもを持つ=善」という認識が根本にあるように私には思えた。子どもを持つということに対する基本的認識が米国とわが国で大分違うのだなと感じざるを得ない。

■英語版
to have or not to have (HPO:blogdrive)

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コメント

日本とアメリカの子供を持つ、持たないの認識は根本的な部分ではあまり変わらないと思いますが、大きな違いは僕は教育費の負担を誰がするのか、にあると思います。

日本では親が全額負担が当たり前ですから、子供が成長するまでの負担が大きく、今の社会情勢からは老後に見返りが小さいと予想する人が多いのではないでしょうか。

アメリカでは通常高校までは塾へも通わず、無料の公立学校へ通うのがほとんどでしょう。しかも大学の学費は子供がアルバイトしたお金を足したり、奨学金制度が充実しているので親の負担はそれほどでもないと推察されます。老後については、アメリカも経済的な負担を子供がしてくれることは期待できないのは同じだと思いますが。

経済的な問題だけではないと思いますが、結構な部分を説明できるのではないかと僕は思います。

投稿: night_in_tunisia | 2005年1月23日 (日) 10時55分

night_in_tunisiaさん、こんにちわ、

いつも「徒然なる数学的日常」の印象的な記事を読ませていただいております。ありがとうございます。

私も制度的な違いは大きいかなと思っていました。しかし、どうもこの記事やコメントから伺える印象や、あるいは米国の親たちの私個人的な観察経験からいうと、子どもに対する価値観がちとちがうのではないかなという感じがします。

妻にこのことを話したら、「日本人はA型ばっかだから、先のこと気にしすぎるのよね。アメリカ人O型ばっかだから、先のこと考えずにノリでいっちゃうんじゃないの?」と申しておりました。

はなはだ非数学的、非経済学的ですが一面の真理を感じます。

投稿: ひでき | 2005年1月23日 (日) 16時04分

米国人の場合、自分の子どもは宝だけど、他の子どもはどうでもいい部分が多分にあります。児童福祉や公衆衛生は、いわゆる先進国中ずば抜けて貧弱です。
http://www.tokyo.med.or.jp/tomin/medsystem/01.html
下記サイトの「アメリカ保育事情」なども参考になるかと思います。
http://pweb.sophia.ac.jp/~ke-hirao/contents/essays.html
子どもの数は、自分の育った環境に影響されるところが大きいのですが、米国のベビーブーム(子どもはデフォルト四人)はけっこう長く続いたので、四人目を考える人が多いのはそのせいもあるとおもいます。

投稿: NIL | 2005年1月23日 (日) 21時31分

NILさん、おはようございます、

米国の生活関連のインフラの貧弱さは感じます。
一応、2年ですが生活しておりました。これだけ貧弱なのに、「総医療費と国内総生産との比較」が1位というのは、ほんとうに貧富の差というか、かけている水準のところにはかけているということなのでしょうね。なんというか、米国の一般庶民の生活レベルは低く、お金を持っている人には上限がないくらい高いサービスが存在するような感じがあります。

保育についても私もこのリンク先の方とほぼ同じ時期にほぼおなじようなことをしていました。たまたまもっと都会だったので、質の良い保育施設はわりと楽にみつかったように思います。ただ、費用は高かったです。

ちなみに、この方がいってらっしゃったノートルダム大学って「新ネットワーク思考」のバラバシがいる大学ですね。

うーん、なんというかいい悪いをいうつもりはぜんぜんないのですが、本当に米国のデフォルトはまだ3人、4人という水準で、日本はもう1人か、せいぜい2人になっているということに改めて驚きを覚えたということです。

投稿: ひでき | 2005年1月24日 (月) 06時41分

大変興味深く読みました。
ここでいわれているのは、経済的・合理的に考えたとき、子供が多くいるほうが将来、引退したときに面倒をみてくれたり、かまってくれたり、経済的に支援してくれたりする可能性がより高まる、という発想なのかもしれないとも思いました。どうなのでしょうか。

投稿: koh | 2005年1月30日 (日) 00時08分

kohさん、こんにちわ、

コメントありがとうございます。衝撃のあまり記事にしてしまいました。引用させていただいたことをお許しください。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2005/02/where_we_are_go.html

投稿: ひでき | 2005年2月 1日 (火) 12時05分

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中学に進んだ春に 菅野から神田に引っ越した記憶が曖昧(あいまい) 神田の店には小 [続きを読む]

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