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2005年2月23日 (水)

ループ、そして、死滅の本質へ  G.o.a.P

指定BGM:AMATEUR ACADEMY by moon riders

先日、意外な方向から欝の原因が明確になった。

あるネット上での無名の善意に関する話が仕掛けられたものであったという話を知って、やっぱり決定的にブログ界隈にいる何人かの方は他のブロガーと違うのだなと実感した。なんというか漠然と「意図」をもって流れを起こしているのだな、とは感じていた。それが今回の件で明確な形になったように思う。「プロ」がブログ界隈にいらっしゃるということだ。

創発」なんて言ったって、起るものでなく、起こすものなのだ...orz

この件以来記事もかかずにただただブログ界隈をうろうろしてきた。はてなのブックマークの発表とも重なり、何を作るでもなくうろうろうろうろしていた。

その「うろうろ」の中で多くの古参のブロガーの方々がここのところのブログ界隈で生じた一連のことがらをみて、感慨深く「これはいつか来た道だ」という感想をもっていらっしゃることを知った。既に多層の世代がネット上に存在するのだと実感した。

なんというか、私のようなネットにほとんど触らずに来てネット界隈の主流の流れをまったく理解していないぽっと出と、長くネット界隈、ブログ界隈に生息してきた方々とは「世代」が違うのだと初めて実感した。

ちなみに、ネットワーク思考を標榜する私(笑)としてはここで世代とは広く下記のように定義しておきたい。

世代の定義
ひとつの集団の中で、例えば「個体の誕生、成長、成熟、死」といった一連の過程を経験した回数で群をわけること。

この世代の定義にこの前の記事で書きたかった「螺旋」的なイメージをもたせたい。

そう、よくわかってきたのは「世代」の上の方たちから見れば今のブログ界隈で私が「すごい!創発だ!サイバーカスケードだ!」と思ってきたことも「既に起ったこと」に過ぎないということだ。

いろいろご教授をいただいた方々、ほんとうにありがとうございます。うれしかったです。

ますます無知をさらけ出してしまうのだが、衝撃を受けた同じ日に「ゴミ拾いオフ」について教えていただいた。多分、これはかなりかなり有名な「事件」であったのだろう。この2chな方々の活動に、こころあたたまるものを感じている。これこそは、自発的に生じた「創発」なのだと信じたい。これもなにか深い深謀があるのなら、ほんとうに私はブログ界隈では生きていけない。

このサイトの記録の中で、本来の活動とは関係が薄いのだが、多分もともとは2chのスレにあったであろう秋吉@UVAさんの一文が特に印象に残った。

生物がどうしてずっと生き続ける巨大で数の少ない存在ではないのでしょうか?
それは生まれては死んでいく,多数の小さな固体の方が様々な変化に対応出来,色々な方向に進化発展出来るからだというか結果としてそうなっています。
その個体だってさらに小さい生まれては死んでいく細胞の集合体ですし。生まれては死にを繰り返して全体としては進化を続けていくわけです。

読んだ時はそうだよなぁとか思っただけだったのだが、今朝目を覚ましてふと「そっかそうなんだ!」と大きな声で叫びだしたいくらいに気づいたことがあった。

以下、あえて妄想モードに突入する。また、機会と時間があればまとめなおしたい。

結局、生物は死滅することが本質なのだ。その中でいかに多様性を増やせるか、つながる道をふやせるかが命そのものなのだ。

たとえば、企業の「事業部制」の真の意義は、「個体」として分けてやることによってうまくいく事業、うまくいかない事業、死滅するものが出てもよいということなんだ。そうとらえるとリクルート社の定年がえらく早いのもなぜだか理解できるような気がする。

ネットワークには必ず冗長性があって、複数のルートが必ず存在してループを描くように自分にもどってくるリンクが形成されるのは、ノードは本質的にいつか死滅するからなのだ。必ずネットワークの中には代替ルートがなければならない。

突然変異と淘汰が生命の本質なんだ。そして、そこに必ずノード毎に生きるべき場所があるから、フラクタルという「陣取り合戦の跡」のような図形が描かれる。

政府が限りなく大きなスーパースーパーハブになってしまうことがその教義の宿命だから、社会主義はべき乗のカスケード危機からいえば必ず死滅する。べき乗分布の特徴は長い長いすそ野なのだ。ネットワークの本質にべき乗があるなら、ネットワークでとらえうる現実においては、どんなに平均から外れた事象が起っても不思議はないのだ。どんなに不完全な人間には完全と思われる政府でも打ち倒すような事件は不可避なのだ。

もしかすると、資本主義社会は資本主義を標榜したから成功したのではないかもしれない。実は自由主義の方が今の社会の本質なのだ。大小に分かれた企業、団体とそのネットワークという形においてはじめて失敗が許される。代替物、代替のルート、ループが必ず存在する社会というプラットフォームがとても大事なのだ。そこで初めてカスケード危機が乗り越えられる。

しかし、死滅を拒むノードが存在すれば必ずゆがみが生じる。それは「巨大で数の少ない存在」になってしまい、最終的には変化や危機に対応できず全体が死ぬ。もしかすると、日本の失われた10年というのは、ネットワークが本質である社会においていくつかのノードを「死滅させない」努力により生じたのかもしれない。

とすれば、たとえば国の借金に関する議論がさまざま行われているが、国の借金は「巨大すぎてつぶせない」ということが一番問題。政府を、1000もの、2000もの独立した小さな組織体にわける。もちろん借金もこまかくわえてそれぞれの組織に負わせる。そして、その小さな政府機関の中で死滅するもの、突然変異するもの、代替されるものが出てくるのがとても大事。

おお、なにかとてもなまなましいところに出てしまったような気がする。いや、これはあまりに私の妄想なのだろう...

■注

ふと、ここでの議論を援用すると「古い世代のブロガーは出て行け!」みたいなとられかたをしかねないと気づいた。絶対にそんな意図はありませんので、この軽々しい後輩を今後ともよろしくお願いいたします。

■追記 平成17年2月24日

この記事を書いてから、まあ何の根拠もないことをよく書いてしまったなと我ながら考えていた。冷静になれば政府を細い主体(エージェント)に分けろなんて、強大な権力がなければできないし、その権力をもっている人たちは自分たちの権益を分けるなんてことは絶対したくないだろうし、あんまりにも現実とかけはなれたことだな、とうだうだ考えていた。R30さんの記事を読ませていただいて、「そっか、これから初めてワイルド・ワイルド・ウェストが始まるんだ」と妙に納得した。もしかすると、これからこそが既存勢力の方々の手の及ばない「西部無法地帯」が一時形成されるのかもしれない。そこは、きっと本当に無法地帯だから自分の身は自分で守るしかないけど、得るものも大きいのかもしれない。期待しよっと!

それにしてもアルファブロガー飲み会、よっぽど楽しかったんでしょうね。いいなぁ。

■参照リンク
ISED 部分最適と全体最適をめぐる誤解 by 鈴木健さん

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コメント

 どんな「政府」でも、世界のすべてを支配しているわけではありません。日本の大企業は社員の生活のかなりの部分をかつて支配していましたが、今は昔ほどではありません。政府のコントロールの及ばない部分は「家庭」「プライバシー」「地下経済」などさまざまな呼称と性質を持ちます。
 日本の皇室は万世一系であらせられますが、その歴史のほとんどの部分において、揉め事になりやすい公然武装勢力と徴税システムの束ねを他者に委ねていたから、そうできたわけです。政府のコントロールが効く範囲と程度は揺れています。そして、個々の担当者の裁量権の範囲もね。
 あなたが何もしなくても、世界中の政府は分割されています。すでに。
 私は私の個人的な資源と蓄積を使って、私の担当する程度の教育と研究はコントロールできると考えています。まあ場所と電気代だけ頂戴ねと。他の人は、もっと多くを実際に必要としていたり、必要だと勘違いしていたりしています。私は私自身が必要資源を拠出するオプションがある限り、私の裁量下に割り当てられる公の予算が減ってもたいした影響はない、と見切っていますが、他の人はそれをもっと懸念しています。それが例えばクビダイ論争における、私と他の先生方の明確な温度差に現れているわけです。
 それとは別の話ですが、「循環史観」「進歩史観(発展史観)」というキーワードでいろいろ拾ってみると、興味のあるものが見つかるかもしれません。

投稿: 並河 | 2005年2月24日 (木) 17時05分

並河さん、こんにちわ、

お世話になっております。

大変、勉強になるコメントをありがとうございます。

天皇家について今回の言葉で言えばたぶん歴史のごく限られた時代以外はずっと「巨大」でない存在を貫いてこられたので120代を超えて存続し続けていらっしゃるのだと思います。

並河さんに「あなたが何もしなくても、世界中の政府は分割されています。すでに。」といっていただけると希望がわきます。って、それこそ別に私がどうのと、それでどうだ、という話ではないのですけどね(笑)。私もどちらかというと「足るを知る」を信条にしているほうなので、政府が破綻しようと、経済が破綻しようと自分の裁量と責任と信条において生きていこうと思っています。

さて本題ですが、生物学とのアナロジーで歴史を見るという「循環史観」についていくつかのサイトを読んできました。中でも↓のサイトが私のお気に入りです。

「歴史哲学」
http://www.tabiken.com/history/doc/T/T203L100.HTM

そういえば、以前にトインビーの研究者の方にお世話になったのを思い出しました。なんか比較文明みたいのに心惹かれるものがあります。でも、あの大著に挑戦する勇気がありません。

それはともかく多分私のようにSPAMな者が循環史観的な感想を持つというのも、多分今の社会が歴史の屈曲点、もっといえば上り坂から下り坂に、さしかかった状態であるからではないでしょうか?なんというか終末論と循環史観って微妙に関係してそうですよね。

http://hidekih.cocolog-nifty.com/hpo/2005/01/_interaction.html

シュペングラーとも、トインビーとも私のようなものは比較にすらなりませんが、生き物としての直観として危機を覚えるときに循環史観的な素朴な歴史感覚を持つものが増えるのかもしれません。

投稿: ひでき | 2005年2月24日 (木) 19時21分

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