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2005年2月26日 (土)

ブログを書くということ ふたたび like a virgin

指定BGM:like a virgin by Madonna

某お勉強会へ向かっている。行く道々、レジュメを読んでいた。かなりわかるような気がする。私のような門外漢もいいところの商売をやっているspamな者が、この1年でかなり専門的な内容を含むこのレジュメを理解できるようになったということは、実はブログをやっていた最大の成果なのではないだろうか?

悪貨が良貨を駆逐する」とか、サイバーカスケードとか、”POO”コメント(ああ、日本語にしてください!)とかいろいろあるけれども、いまのこのブログ界隈につながる人々の状態そのものが、ここ1から2年の日本語のブログ界隈そのものの最大の成果なのかもしれない。実は私はほとんど新聞も読まない、テレビも映画しか見ない、雑誌も一誌しか読まない。仕事に関すること以外の私の情報源はブログであり、ネットニュースしかない。ああ、ネットニュースもMy Yahoo!に出てくるタイトルくらいしか見ないな。そうそう、電車の吊広告という有力な情報源もあった。

あたりまえのことだが、いろいろネガティブな側面、ワイルドワイルドウェストな側面というのは、リアルでも十分あることだ。いや、リアルの経験の中にはもっともっとはるかに悲惨なものも多い。だから、いま自分が享受させていただいているブログ界隈の末席につながっているというメリットと比べたとき、我慢しなければならないことだと受け入れるしかないのかもしれない。まあ、先日から主張しているようにある程度のブログ運営に関する自分なりのポリシーの表明、もっとすすんで同一人格の証明というのがこれから大事になりそうな気配はあるけどね、これはまた別な話。

もうひとつ1年あまりブログを書いていて気づいたのはブログと自分の相互差用、あるいは正のフィードバックの強さだ。ブログを書くことによって、アクセスが増える、コメントをいただける、つながりを形成できる、といった信頼通貨ともいえる自分への「ご褒美」は十分にすでにある。このご褒美というオペラント条件漬けにされた私のネット人格は、ますます書くことへのドライブがかかっている。どなたかがおっしゃっていたが、実はこれは中毒性といってもいいのいかもしれない。私個人とむきあうべき課題があるにもかかわらず、ブログで議論されている問題が前面に出てしまって、リアルの課題が解決できないという状態を時々経験している。

ま、なにごとも程度、中庸の徳といったことが大事だということかな。

さてさて、もうすぐ勉強会の開かれる駅につく。楽しみだな。

■参照リンク
「ニュースをネットで読む人」激増、テレビなど既存メディアを引き離す  @ Internet Watch
シンプル イズ ザ ベスト by 瀬戸智子さん
ブログとは -はあちゅう騒動から考える by 近江商人さん

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2005年2月23日 (水)

ループ、そして、死滅の本質へ  G.o.a.P

指定BGM:AMATEUR ACADEMY by moon riders

先日、意外な方向から欝の原因が明確になった。

あるネット上での無名の善意に関する話が仕掛けられたものであったという話を知って、やっぱり決定的にブログ界隈にいる何人かの方は他のブロガーと違うのだなと実感した。なんというか漠然と「意図」をもって流れを起こしているのだな、とは感じていた。それが今回の件で明確な形になったように思う。「プロ」がブログ界隈にいらっしゃるということだ。

創発」なんて言ったって、起るものでなく、起こすものなのだ...orz

この件以来記事もかかずにただただブログ界隈をうろうろしてきた。はてなのブックマークの発表とも重なり、何を作るでもなくうろうろうろうろしていた。

その「うろうろ」の中で多くの古参のブロガーの方々がここのところのブログ界隈で生じた一連のことがらをみて、感慨深く「これはいつか来た道だ」という感想をもっていらっしゃることを知った。既に多層の世代がネット上に存在するのだと実感した。

なんというか、私のようなネットにほとんど触らずに来てネット界隈の主流の流れをまったく理解していないぽっと出と、長くネット界隈、ブログ界隈に生息してきた方々とは「世代」が違うのだと初めて実感した。

ちなみに、ネットワーク思考を標榜する私(笑)としてはここで世代とは広く下記のように定義しておきたい。

世代の定義
ひとつの集団の中で、例えば「個体の誕生、成長、成熟、死」といった一連の過程を経験した回数で群をわけること。

この世代の定義にこの前の記事で書きたかった「螺旋」的なイメージをもたせたい。

そう、よくわかってきたのは「世代」の上の方たちから見れば今のブログ界隈で私が「すごい!創発だ!サイバーカスケードだ!」と思ってきたことも「既に起ったこと」に過ぎないということだ。

いろいろご教授をいただいた方々、ほんとうにありがとうございます。うれしかったです。

ますます無知をさらけ出してしまうのだが、衝撃を受けた同じ日に「ゴミ拾いオフ」について教えていただいた。多分、これはかなりかなり有名な「事件」であったのだろう。この2chな方々の活動に、こころあたたまるものを感じている。これこそは、自発的に生じた「創発」なのだと信じたい。これもなにか深い深謀があるのなら、ほんとうに私はブログ界隈では生きていけない。

このサイトの記録の中で、本来の活動とは関係が薄いのだが、多分もともとは2chのスレにあったであろう秋吉@UVAさんの一文が特に印象に残った。

生物がどうしてずっと生き続ける巨大で数の少ない存在ではないのでしょうか?
それは生まれては死んでいく,多数の小さな固体の方が様々な変化に対応出来,色々な方向に進化発展出来るからだというか結果としてそうなっています。
その個体だってさらに小さい生まれては死んでいく細胞の集合体ですし。生まれては死にを繰り返して全体としては進化を続けていくわけです。

読んだ時はそうだよなぁとか思っただけだったのだが、今朝目を覚ましてふと「そっかそうなんだ!」と大きな声で叫びだしたいくらいに気づいたことがあった。

以下、あえて妄想モードに突入する。また、機会と時間があればまとめなおしたい。

結局、生物は死滅することが本質なのだ。その中でいかに多様性を増やせるか、つながる道をふやせるかが命そのものなのだ。

たとえば、企業の「事業部制」の真の意義は、「個体」として分けてやることによってうまくいく事業、うまくいかない事業、死滅するものが出てもよいということなんだ。そうとらえるとリクルート社の定年がえらく早いのもなぜだか理解できるような気がする。

ネットワークには必ず冗長性があって、複数のルートが必ず存在してループを描くように自分にもどってくるリンクが形成されるのは、ノードは本質的にいつか死滅するからなのだ。必ずネットワークの中には代替ルートがなければならない。

突然変異と淘汰が生命の本質なんだ。そして、そこに必ずノード毎に生きるべき場所があるから、フラクタルという「陣取り合戦の跡」のような図形が描かれる。

政府が限りなく大きなスーパースーパーハブになってしまうことがその教義の宿命だから、社会主義はべき乗のカスケード危機からいえば必ず死滅する。べき乗分布の特徴は長い長いすそ野なのだ。ネットワークの本質にべき乗があるなら、ネットワークでとらえうる現実においては、どんなに平均から外れた事象が起っても不思議はないのだ。どんなに不完全な人間には完全と思われる政府でも打ち倒すような事件は不可避なのだ。

もしかすると、資本主義社会は資本主義を標榜したから成功したのではないかもしれない。実は自由主義の方が今の社会の本質なのだ。大小に分かれた企業、団体とそのネットワークという形においてはじめて失敗が許される。代替物、代替のルート、ループが必ず存在する社会というプラットフォームがとても大事なのだ。そこで初めてカスケード危機が乗り越えられる。

しかし、死滅を拒むノードが存在すれば必ずゆがみが生じる。それは「巨大で数の少ない存在」になってしまい、最終的には変化や危機に対応できず全体が死ぬ。もしかすると、日本の失われた10年というのは、ネットワークが本質である社会においていくつかのノードを「死滅させない」努力により生じたのかもしれない。

とすれば、たとえば国の借金に関する議論がさまざま行われているが、国の借金は「巨大すぎてつぶせない」ということが一番問題。政府を、1000もの、2000もの独立した小さな組織体にわける。もちろん借金もこまかくわえてそれぞれの組織に負わせる。そして、その小さな政府機関の中で死滅するもの、突然変異するもの、代替されるものが出てくるのがとても大事。

おお、なにかとてもなまなましいところに出てしまったような気がする。いや、これはあまりに私の妄想なのだろう...

■注

ふと、ここでの議論を援用すると「古い世代のブロガーは出て行け!」みたいなとられかたをしかねないと気づいた。絶対にそんな意図はありませんので、この軽々しい後輩を今後ともよろしくお願いいたします。

■追記 平成17年2月24日

この記事を書いてから、まあ何の根拠もないことをよく書いてしまったなと我ながら考えていた。冷静になれば政府を細い主体(エージェント)に分けろなんて、強大な権力がなければできないし、その権力をもっている人たちは自分たちの権益を分けるなんてことは絶対したくないだろうし、あんまりにも現実とかけはなれたことだな、とうだうだ考えていた。R30さんの記事を読ませていただいて、「そっか、これから初めてワイルド・ワイルド・ウェストが始まるんだ」と妙に納得した。もしかすると、これからこそが既存勢力の方々の手の及ばない「西部無法地帯」が一時形成されるのかもしれない。そこは、きっと本当に無法地帯だから自分の身は自分で守るしかないけど、得るものも大きいのかもしれない。期待しよっと!

それにしてもアルファブロガー飲み会、よっぽど楽しかったんでしょうね。いいなぁ。

■参照リンク
ISED 部分最適と全体最適をめぐる誤解 by 鈴木健さん

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2005年2月15日 (火)

歩いて、車で、スプートニクで spiral

指定BGM:ANIMAL INDEX by moon riders

なんかちょっと欝らしい。まあ、それも大体原因はわかっている。先へ、先へ進もう、ともかく自分の行けるかぎりのところまで。

そう、人と人の作り出す世の中はは相互作用でできているのだと感じた。どうしようもなく人は因と縁でできている。ここからぬけだすことはできない。そんな軽い失望感にとらわれている。

このところ、ブログ界隈で生じている「記者ブログ炎上」ということはどういうことなのだろうかと考えていた。

また記者ブログが炎上したわけだが by Giraudさん

多少、切込隊長さんが着火したという話はあるものの、誰かがリーダーシップを発揮するということなくブログを閉鎖に追い込むほどのコメントや、アクセスや、身元の特定があっというまに生じるという現象が起こったという事実がここにある。*1

これは、いったいどういうことなのだろうか?

私は、奇形化した創発性民主主義の発現がここにみられるのではないかと考えている。

まず、創発かどうかという点だが、今回の炎上事件のように、多数のノードが一定の方向を一気に向くということは、たとえば座屈点近くまでの力が加わった石にほんのちょっとだけ力を加えれば破壊してしまうように、潜在的に大きな力が内包されていたブログ界隈に崩壊点に導くひずみがはしったということではないだろうか?*2

また、切込隊長さんという人格とそのサイトは、とてつもないアクセスとリンクを集めるスーパーハブであることは明確であろう。そして、炎上したブログなどにコメントをよせた方々は、(ほんとうに気分を悪くしないでいただきたいのだが)べき分布の長い長いすその先の方に存在するのではないだろうか?(私もすその先の先に存在していると自覚しています。切腹!

ただ、「炎上」が創発的な現象であったとしても残念ながら「創発性民主主義」を書かれたJOIさんが想定されていたのは「民主主義」というタイトル通りこうした力が例えば政治やグローバルな問題といったブログ界隈の外の問題に向かうことであっただろう。*3

しかし、オストラシズムに代表されるように、あるいは現在の民族間、国家間の世界的な闘争にみられるように、実は民主主義の裏側にあるのは自分と価値観をともにしないノード、構成員を排除することによって実現する社会、コミュニティーの安定だとはいえないだろうか?

ここで、創発という現象と排除という力を考えるとき、どうしても生物の発生との類型を見てしまう。分子発生学では、制御プログラム的な遺伝子の発現と、発現がもたらすカルシウム濃度のような発生の場が生じることにより、また次の発現へと導かれるような相互作用、非線形な関係でなりたっているという。社会が成立するのも同様の過程をもっているのではないか?政治とか思想という未来を制御しようとする力と、社会の構成員が予想あるいは期待することにより生じる場との相互作用で、現実がすすんでいくのではないだろうか?ブログ界隈ではとくに濃密にこの相互作用が働いているような気がしてならない。あるいは、この力を自己組織化といってもよいのだろう。

分子発生学はネットワークの夢を見るか? (HPO)

もし分子生物学とのアナロジーが許されるとすれば、多細胞生物において細胞の自己死というアポトーシスが存在するように一定の秩序、一定のコミュニティーが存在するためには、一部の構成要素の死滅、排除というプロセスがその裏面に必ず存在するということを指摘したい。生命が一定の秩序を意味するのなら、生命の本質にはある単位の死滅、排除が必ず含まれるということだ。

死もまた生に必要 -計画細胞死- by 猪原直弘さん

では、なにを結論とすればいいのか?私がここで主張したいのは、一般的な言葉で言ってしまえば、いくつかの力の相互作用により生まれる動的で非線形な過程というのは、螺旋形に進んでいくのではないだろうかということだ。それは、生と死、右と左、全体と個、強さと弱さ、大と小という両極を往復しながら、現実が進んでいくということだ。非常に大雑把な言い方しかできないことを深く恥じいるが、ただそう感じる。

最後にもっと具体的な結論も引き出しておきたい。それは、生命やネットワークにとって不可欠のことだから、今回のような「排除」という事態においてなにもしなくていいのか?ということだ。近代民主主義社会の出発点であるフランス革命において「自由、平等、博愛」が謳われていたにもかかわらず、いつしかこの三番目の要素が欠落して法治主義が徹底していったように、ブログ界隈における共感性、コミュニティー性が失われていった先にあるのは、法による支配だと考える。

我田引水のそしりをうけるのは承知で、自分がもし自分を守ることにだけ執着するとしたら、こういうポリシーをかかげるであろうと思いwikiにしたものを掲げる。ただし、私は現実に私のブログにこうしたポリシーをはらなければならない事態がもたらされるのであれば、それは本当に悲しいことだと思う。

Uniform Network Code for Blog Policy

しかし、これも一過性のことでまた必ず次の螺旋は生まれる、次の共感性をもったコミュニティーは生まれる、そして、排除される要素もきっと生まれる。

まあ、若干ストレンジアトラクターが生じそうな予感がしてはいるがこれはまた別な話。

あはは、いまANIMAL INDEXのジャケットの裏がアンモナイトだって気がついた。なんでこのタイトルにしたかやっと自覚!

■注
*1
一方、米国ではブログの力がCNNの一部門の責任者を辞任に追い込むということまで生じているという。こういう名実ともにそなわった創発現象を目にすると日本語のブログで起こっていることはまだまだコップの中の嵐だという感じがする。残念!
CNNニュース責任者、「ブログ」の追及受け辞任 @ Yahooニュース

*2
岩石の破壊というのは、実は創発的な現象であり、その結果として生まれる大小の石の破片の多きさとその数の分布もベキ分布する。
岩石破壊試験からの発想 (HPO)

*3
ここで、JOIさんのもともとの含意はなんであったかを考えるのに慎重にならなければならない。私自身は「民主主義」あるいは「democracy」とは、お互いを生かしあう思想だとは感じている。
[blog] Life and the Democracy (HPO:Blogdrive)
JOIさんは、「創発性民主主義」で以下のように述べられている。

ネットワークがより開かれて複雑になるにつれて、その成員を処罰する能力と未知の参加者を排除する能力に依拠している閉じたネットワークは、成長がはなはだ窮屈になっていく。
ここから、推察するかぎりJOIさんは私が展開したようなオストラシズムを創発性民主主義とは決して認めないであろう。

■追記 平成17年2月17日

考えてみると「歩いて、車で、スプートニクで」では、「螺旋」にいたる前のステップがひとつぬけていることにきがついた。

指摘したかったのは、穏やかに成長し発現して外に向かうはずだった日本語のブログ界隈における「創発性民主主義」が内部化、過激化してまった動きが今回の「炎上」ではないかということだった。繰り返しになるが、この仮説が正しければ確実にblogでなく日本語のブログ界隈は奇形化しているといわざるをえない。

ただリベラルな方は眉をひそめる話であるが、今回の一連の動きが非常に生物的、創発的であるといえるのは、現在の日本のブログ界隈およびその背景の持つおおきなひずみの力が「異物」を排除する方向ですすんでいるといことだ。私は私の価値観を投影しているつもりはないのだが、「炎上」を通して、ブログ界隈の方達の主張がある程度明確になったのではないか?と感じている。それは、決して肯定的な主張でなく、「NO!」をつきつけることによる否定的な主張ではあったが。ただ、これがmiyalodaさんのおっしゃるようなごく小人数の企図した人格によるマイクロテロリズムである可能性を私は否定出来る根拠を持たない。

ここで働いている分裂したいくつかの力の合成力としてブログ界隈が同じようなことを繰り返しながら、両極にふれながら、さきへさきへ動いているような気がしてならない。

こうして[螺旋」のイメージへと続く。

■参照リンク
「言説のフォーマット」という権力とそれにともなう責任 by essaさん via miyakodaさん
ネット右翼だって現実社会に戻ればリベラルでしょうが by R30さん ほんとうにうまい文章です。こういう文章をネットであげてくださっていることにありがとうともうしあげたいです!
論壇系ブログの方法分析:「カルト形成型」か「リンク・ハブ型」か by むなぐるまさん
ジョン・メーナード・スミスの延長 (HPO)
「記者ブログ炎上」に対する2つの視点 by m_um_uさん
身勝手なマニフェスト by charlieさん
サイバーカスケード @ ised
The eyes of truth are always watching you. by :://naoki/.さん

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2005年2月13日 (日)

そうだ、英語でブログを書こう! writing in English

ひできです...この前「アルファ・ブロガー」の英文記事を書いて、[N]ネタフルで思いっきり失笑を買ってしまいました...

自分としては、よい意味で使ったつもりだった"Dope"という言葉が私が思ったよりも広い意味で使われていたために、コグレさんを傷つける結果になってしまいました。本当にごめんなさい、コグレさん。それにしても、ネタって英語でなんというのでしょうね?

[Website] alpha blogger 11 in Japan (HPO)

なんというか、むなぐるまさんが書いていらっしゃったように、日本語と英語のブログの間の情報量と情報の流れの非対象性というのはものすごいものがあるように思います。日本ではブログ界隈でかなりもりあがったように思える「alpha blogger」あるいは、「japan alpha blogger」を英語のグーグルで検索してみても、今回のイベントをとりあげた記事がほとんど見当たりません。恥ずかしながら、私の記事だけでした。

切込隊長がアルファブロガーの使命について語っている by むなぐるまさん

この記事に触発されて、じゃあやってみるかという感じで、文字どおりダルフール問題について日本人で取り組まれている方がいてwikiやってますよ、という記事を英文で書きました。これはとても重要な内容なので、H-Yamaguchi.netのやまぐちひろしさんに添削をいただきました。ありがとうございました。ただし、間違い、内容等についての責任は私にあります。

[blog] Japanese bloggers and Crisis in Darfur (HPO)

こんな具合に本当に思いっきりお粗末な英語でブログを書いています。正直、日にアクセスも数十といったレベルなので、本当にノイズ以下の活動にすぎません。それでも、この情報の圧倒的な非対称性に対してなにかできることはしたいなと感じています。また、英語で書き始めて非常に拙い私のレベルの英語でも十分自分の考えていることを表現できるのだなと実感しています。最近トラックバックの機能もつけたので、お気に入りの"EconLog"というブログに初トラックバックして一人悦に入っております。来るべき日本社会の崩壊にそなえて、やはり語学をみがき、一人でも多くの海外での知人を作っておくのは大事なのではないでしょうか。

そうそう、私の身の回りでひとつとても成功している日本の文化を英語で紹介するホームページを思い出しました。

Japanese Smileys(Emoticons) by Hiroetteさん

なんとなんと日に数千もの海外からのアクセスがあると聞いています。なんというか、こういう側面の日本の紹介が大事だし、興味ももたれているようです。ちなみに「kirikomi taichou」でぐぐったら、犬夜叉の紹介サイトがぞろぞろ出てきました。

そうそう、それにネットで英文を書き始めてずいぶん便利な道具があることを知りました。一部を紹介させていただきます。

  • 英辞郎 on the web on アルク :驚嘆するほかないほどの言葉の数です。
  • WordReference.com Online French, Italian and Spanish Dictionary :英語、フランス語、スペイン語、イタリア語などの相互検索可能な辞書です。
  • Yahoo!翻訳 :ちょっとこれを使っているというのは恥ずかしいのですが、単語をまとめて翻訳してもらっているくらいの感覚で使うと便利です。
  • このほか、手元にワープロやエディタがないときには、Yahooメールのスペルチェック機能が案外便利です。検索との結合でいけるので、グーグルの「翻訳」も辞書引き変わりくらいには...いや、まだまだですかね。でも、中国語まで翻訳してくれたりするのには多謝です。

    [この記事は、コグレさんに敬意を表するため、FPNへ投稿させていただくため、通常と文体を変えています。]

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    2005年2月12日 (土)

    [ゲストブログ] 物理界隈から見たべき分布と相転移 A Physician's View on Power-Law and Phase Transition

    なんかとてもうれしいコメントをいただいたので、最近流行の(?)のゲストブログに無理やりしてしまう。kinoさんは、物理の院生の方で複雑系関係の研究をされている方らしい。経済物理学に対するコメントを記事にされていたりして、こういう方とやりとりさせていただけることが本当にうれしい。


    初めまして。いきなりいきます。

    ベキ分布は物理の世界では「相転移」と呼ばれる現象に特徴的に現れるものです。例えば鉄だと1043℃でいきなり磁石にくっつかなくなります。この現象を相転移といって物理では「イジングモデル」と呼ばれるおもちゃモデルで詳しく調べられました。また、相転移する温度を臨界点(臨界温度、あるいは転移点)といいます。

    そういう相転移の研究を通して、臨界点付近において比熱や帯磁率がベキ分布する事がわかりました。さらに、「そのベキ指数がモデルの詳細に依らない」事が分かったのです。

    この最後の部分は特に重要です。もし、ある現象に現れる性質が単純なモデルの詳細に依らず決まるのであれば、その現象の本質はその単純なモデルにあることになります。

    通常、物理ではこのベキ指数を「Universalな量」と呼びます。かっこいいですね。

    さて、この臨界点付近を調べる方法にくり込み群の方法があります。これは、要するに大事な事を見落とさずに、現象を引いて眺める事に対応します。実はこの手法を数学者が用いカオスに現れる特徴的な量である、ファイゲンバウム定数を導く事に成功しました(ちなみにくり込みの手法を理解するためにファイゲンバウム定数を導く事はいい例題になります)。ここまでは既に教科書になってます。

    次に、時系列上のベキ分布の例としては株価が有名です。これについてはご存知の高安さんが「拡張されたランジュバン方程式」と言うものを提案してます。これは非常に単純な方程式なんですが、ベキ分布を作る事が知られてます(多分、時系列のベキを生み出す最も単純な方程式だと思います)。ただし、どうしてベキになるのかなどはちゃんと分かってません。

  • 高安さんのランジュバン方程式論文 *1
  • そして最後の例がいわゆるスケールフリーネットワークです。これは釈迦に説法ですね。

  • バラバシさんのスケールフリーネットワークのレビュー論文 *1
  • 物理学者がベキ分布に注目する場合、頭の中には必ず「臨界現象→Universalな量」という流れがあります。だから、ベキなら何でもいいんじゃなくて「ベキ指数が系の詳細に依らないのか」という視点は凄く大事になります。

    一応、物理界隈ではこのような背景があります。

    ちなみに、物理内では経済物理やネットワークの研究は複雑系として知られており、有力な物理学者の中には眉唾物だと思ってる人もいます。

    僕はどんどん挑戦すべきだと思ってますが。

    長文失礼しました。


    高安さんのご本を読ませていただいて、すでに物理学では前提になっている部分がわからずにいた。kinoさんのコメントにより大分明確になったように思う。ちなみにいくつか初出の言葉があるので、調べてみた。

  • イジングモデル
  • ファイゲンバウム定数(カオス理論)
  • ユニバーサルな量、くりこみ群(「くりこみ理論の地平」) *2
  • ランジュバン方程式、ブラウン運動
  • 最近、アカデミックな方をHPOの「界隈」でもお見かけするようになった。これもブログの深まりのひとつの形なのだろう。こうした方々の参加でブログがより深まりを見せ、あらたな知の在り方のベースとなることを願ってやまない。

    ちなみに、転載のご許可をいただいた上で記事にしたことを明らかにしておく。

    ■注

    *1
    ちなみに、これらの論文は"Physical Review"の購読者のみしか読めない。残念!

    *2
    この論文の最後の方で「くりこみ」というものの見方と現象論について書かれている。実に興味深い。
    対話、ネットワーク、そしてマッハの原理 (HPO)

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    ジョン・メーナード・スミスの延長 wholism vs reductionism

    ジョン・メーナード=スミスによる「還元論者」と「全体論者」の類型的な言葉の分類が面白かった。「分子発生学はネットワークの夢を見るか?」で触れた「生物は体のかたちを自分で決める」の最後の章の話題だ。この政治的な「ラベル」についてのスミス自身の政治的信条がいまいちわからないが、なかなか笑えた。

    うーん。自分自身の政治・生態学的地位を考えてしまう。

    「ほんとかな?」という感じもあるがとりあえず表にまとめてみた。ユニークだと思うのは、「還元論 vs 全体論」の考えの延長で、政治的な主張と経済学的な主張においてねじれ現象を起こしているというスミスの見解だ。保守陣営はどちらかというと自由主義経済を信奉していると考えられるが、自由主義経済がその基石を置く「見えざる手」という個々のふるまいが社会全体としてはバランスがとれるという考えは実は全体論ではないか?、ということだ。

    <主張> 還元論者 全体論者
    政治
    主義 保守 革新
    生物発生 制御的過程 動的過程
    発生過程       HOX遺伝子      チュリングパターン
    <ねじれ>  →   ← 
    経済学 マルキシズム アダム・スミス
    経済体制 計画経済 自由主義経済

    極小の単位のふるまいから全体的な現象をシュミレーションし、導き出すことを研究手法としてもっている「経済物理学」が、このねじれを解消するのかもしれない。いや、コンピュータの発達や研究手法の革新が両方の主張を止揚(Aufheben)するところまでぜひ行ってほしい。

    さてさて、もっと余談に走ってしまうのだが、ほぼ同時期に読んだ「万物理論」にスミスとよく似た台詞が出てくる。案外欧米では、こういう政治的なラベリングというのが日常行われているのだろうか?思わずこらも表にしてしまった。

    <主張> 還元論者 全体論者
    政治的主張 自由主義 社会主義
    政治的情緒 搾取的 共感的
    統治型 中央集権的 地方分権的
    ジェンダー 男性中心主義 フェミニズム
    東西 西洋的 東洋的
    左脳 右脳

    いうまでもないかもしれないが、いずれも過激な主張を持つ登場人物から保守的な主張を持つ人々への悪意をもったセリフで出てきた言葉の群れだ。

    そして、これをもしネットの世界へ応用するとどうなるか、ちょっと考えてみた。いまいちプログラミング関係の用語に明るくないので、言葉が稚拙になってしまった。もっとよい言葉をご存知の方がいらっしゃればぜひ教えてほしい。とくに「?」付きの部分は自信がない。

    <主張> 還元論者 全体論者
    プロセス 制御型 自己組織化
    プログラム 構文志向 動的システム
    LANトポロジー スター型 リング型?
    ネット 階層型 ニューラルネット
    インターネット クライアントサーバ P2P型、分散処理型
    ダイナミズム 要素の働き 相互作用
    分布 画一的(正規分布) 多様性(べき分布)

    このほかにも同様に「独占的 vs 共生的」とか、「産業志向 vs エコロジー」とかいろいろな対になる政治的な含意のある言葉の対立が見つかりそうな気がする。まあ、常に言葉は先走ってしまうので、あまりこうした分類に意味があるか、摩擦のある状況に油をそそぐだけなのか、少々判断を迷うところではある。

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    2005年2月 8日 (火)

    [書評]万物理論 Distress

    橋本大也さんの昨年のベストSFだというので「万物理論」を読み始めた。かなり感動した。確かに、これは近年まれに見るベストSFかもしれない。

    いきなり余談だが、つい1年前まで私はもはや読むべき本はないと信じていた。一昨年は、多分年に1、2冊しか読んでいないだろう。ブログに出会ってから、やたらと読書量が増えた。ブログの関連で読むことになった本の1冊1冊にはずれがない。すばらしい読書体験を私に与えてくれた名著がいくつもある。読書のためのフィルタリング機能としてだけでも、ブログをするということはすばらしい。しかも、なぜだかわからないが実にもってこいのタイミングで、その都度その都度読むべき本の情報がもたらされる。本書を読んだタイミングなどもう奇跡的といえるかもしれない。

    これから読むであろう人が多いことと、橋本大也さんが一切ストーリーの紹介をしておられないことに敬意をはらって、ストーリー、メインのネタ(dope?笑)には触れない。

    例えば、この本を読んだタイミングがよいという意味では先日読んだジョン・メーナード=スミスの「生物は体のかたちを自分で決める」に出てくる還元論者と全体論者をめぐるキーワードのリストがほぼそのまま出ていた。

    傲慢で自信過剰、抑圧的、還元主義的、搾取的で、精神的に貧しく、人間性を奪うーーーそんなものを「男性的」以外になんと呼べばいいのでしょう?
    左脳的、直線的、階層主義的


    あるいは、本書では東ティモールの問題にほんのすこしだけ触れられている。翻訳に時間がかかっているうちにこれなどはリアルがフィクションを追い越してしまった事例かもしれない。あるいは、こんな主張は私にダルフール問題に手をこまねいている西欧的なアプローチの限界を見る。

    レオポルド2世が墓からよみがえって
    「良心に苛まれるから、返そう
    このベルギーのものでない象牙や天然ゴムや金を!」といったなら。
    そのときわたしは、不正入手したアフリカのものでない利益を捨て
    殊勝にも計算法とそこから生じたすべてを引き渡すだろう
    が・・・・相手がわからない、なぜならニュートンもライプニッツも
    子どものないまま死んだから

    そして、おどろくべきことに本書で展開されている主張されていることと、HPOで追っかけてきたネットワーク思考と驚くほどの類似を見せる個所がいくつかある。

    「リンク、橋。そのとおりよ」

    あるいは、ちょっと過剰な解釈かもしれないがバラバシを読んだ人は知っているだろうが、こんなせりふも社会ネットワーク分析の先駆的な事例を思いださせる。

    「業界大手の少なくともひとつの役員会に名をつらねている」

    ここのところ「匿名」さんからコメントをいただいいき、"pathways"という人間の生化学的な反応から大脳の情報処理まで、ネットワーク的な観点から分析する分野がここ数年でもりあがってきていることを教えていただいた。これだけの引用だけではわからないかもしれないが、まさにこの研究を思わせる台詞がある。

    「ニューロン、心臓、腸、たんぱく質とイオンと水が脂質の膜につつまれている細胞、発生の過程で分化する組織、マーカーホルモンの勾配の項さにスイッチをいれられる遺伝子、たがいに噛みあう百万の分子の形状、四価炭素、一価水素、電子の共有を介して結合する原子核、それを構成する用紙、静電気の反発力を相殺する中性子、・・・」

    ちなみに、本書の発表は1995年だった。"pathways"はまだ産まれていないか、せいぜい揺籃期であったはずだ。

    うまくいえないのだが、またここで示される世界観というものに非常に親近感を持つ。それは、私がこのブログを書くことと、座ることによって世界の見え方が変容してきたことに近いものだと感じる。そして、著者であるイーガンの世界観の前提として以下のような記述に深い諦念を感じる。これは、ゲーテにつながるのではないだろうか?

    脱出を思い描くのは意味がなく、誤った計画で、おろか者の夢であると。 この病んだ体が、ぼくというものすべてなのだ。

    ■本書のアマゾンの書評を書いているみなさんへ

    おまいらぜんぜんわかってないよ!この作品は最初から最後までひとつのテーマと愛でつらぬかれているんだぜ。前半がおもしろくて後半がおもしろくないだと?ちがう、ぜんぜんちがう!!!

    ■参照リンク
    万物理論 by 深上鴻一さん
    「万物理論」 by chokoさん
    万物の理論 (A Theory of Everything) by Tedさん
    『万物理論』読了 by シノスケさん
    [本]万物理論 by kimtetsuさん
    孤独ではない宇宙 by シュンペータさん
    [SF][J] 万物理論 by itaさん ネタバレあり。思いっきり注意。
    「シュレディンガーの猫の核心」が核心をついていない理由 @ 分裂勘違い君劇場

    ■追記 平成17年4月9日

    Hiroetteさんの「精神の成長過程の説明レポート」は、インパクトがあった。私が本書を読んで感じた「穏やかな愛」という具体的な形は、Hiroetteさんの先生がおっしゃっていることに近いのかもしれないと想う。なんというか、私は全然俗にそまっている人間だが、みなが自分を肯定できれば、あまり世の中で大きなトラブルというおはなくなるような気がする。

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    2005年2月 6日 (日)

    分子発生学はネットワークの夢を見るか? Molecular Developmental Biology and Power Law Distribution

    前の記事のネタであった「エコノフィジックス」といっしょにamazonからとどいたジョン・メーナード・スミスの「生物は体のかたちを自分で決める」を読んで、生物学においてもネットワーク的な思考が大事になってきていることを知った。いや、正確に言えば複雑系という言葉を著者のジョン・メーナード=スミスは使っていたが。

    本書は、最新の発生学と進化論の成果を縦横に論じた好著だ。まあ、ただ訳者の竹内久美子女史も嘆いておられるように、少々論理に飛躍があるような気がする。専門家ならこのギャップについていけるのかもしれないが、生物学など高校生以来触れていない私には少々ついていけないところがあった。

    それでも、素人なりにこの本を整理すると以下のポイントになるのではないだろうか?

    1.遺伝子の情報のいくつかは、一定の条件の下でスイッチが入り発現する。

    2.生物をまたがったスモールアイ遺伝子(参照)、HOX遺伝子(参照)の共通性が示すように、遺伝子の中にはプログラムの制御文のように、一定の順番で発現していくことを促す力を持つものが存在する(たとえばネズミとショウジョウバエで共通らしい)。

    3.発現した遺伝子が一定の条件を作り(たとえば、発生していくときのカルシウム濃度)、その条件がまた別の遺伝子のスイッチを入れるという非線形の過程が存在する。

    分子生物学の考え方でいくと、この3つの条件の相互作用により発生のかなりの部分を説明できるという主張になると私は理解した。たとえば、本書で議論されているように魚の体表の模様はHOX遺伝子の順番でスイッチが入り分化をはじめ、発生の過程で生じるなんらかの物質の濃度のようなもので縞模様を作る遺伝子のスイッチが入り、またそのスイッチが入った遺伝子が別の「条件」をつくり、その先の構造、体表の模様などのを決めていくという過程が想像できる。そのほか、遺伝子や分子の発言にかかわるクラスター性についても言及があった(参照)。

    バラバシは「新ネットワーク思考」において、体内のアミノ酸分子などの相互作用をネットワークとしてとらえ、結合する分子同士をリンクと考えたとき、その結合の組み合わせがベキ分布になるということとを書いていた。発生の過程での発現する遺伝子の分布などもベキ分布と関連づけて考えられることが予想される気がする。最近、私のブログのまわりに生物学、医学にお詳しい方をお見かけするので、ぜひご意見を伺いたい。

    ■参照
    それゆけBioinformatics - genome informatics category  by Soreyukeさん
    ランダムウォークとか、ブラウン運動とか、分布のグラフとかみていると。ほとんどメタフィジックスで扱っている技法と一緒なんですね。ネットワーク分析でもほぼ同様の手法が使えそうな気がします。
    喪失と獲得―進化心理学から見た心と体 by 橋本大也さん
    XMLの文体と新しい社会契約論:(5)チューリングとXMLの関係について by 鈴木健さん
    チューリングの斑点 by tnomuraさん

    ■追記

    池田先生のシュレディンガーの話につられてトラバさせていただく。シュレディンガーと同様チューリングも数理的に生物の一側面を予言しているという話。そして、例によって安冨先生によればチューリングとポラニーはよい友人であったというのも示唆される。

    生命とは何か @ 池信夫 blog

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    2005年2月 2日 (水)

    岩石破壊試験からの発想 scale-free-network is fractale

    ユキジさんに勧めていただいた「エコノフィジックス」を読んだ。

    私のようなずぶの素人でSPAMなものには理解しがたい数式がいっぱい並んでいて歯ごたえたっぷりだった。同じ「ひでき」でもちがうものだな、とためいきついた。それでも、本書に載っていた岩石の破壊試験の写真(*1)がきっかけで著者の高安秀樹・美佐子両氏が持っている壮大なイメージをちと悟るところがあった。私の言葉で言えば、こんな感じだ。

    大きな破片はひとつで大きな場所を占めて、小さな破片はたくさんで小さな場所を占める。

    この事実が雪の結晶を生み、フラクタル図形の性質を説明し、ネットがなぜスケールフリーネットワークなのかの答えを与えてくれるのではないだろうか?中沢新一、マンデルブロのフラクタル、スケールフリーネットワーク、大小の会社の存在、生態系、「7つの習慣」に出てくる「大きな石」のたとえ、そして以前に書いた「距離、時間、そして統治と戦争」という記事まで1本につながった。

    その生態系な繁茂の仕方はますます加速していくように感じた。そして、それは自分の中で「スケールフリーってフラクタルだったんだ!」(*2)という確信につながっていく。

    ちょっと余談といえば余談だが、本書を読んで初めて物理学的な思考でいろいろな現象をながめるときに「べき乗則・ベキ分布」や「信頼通貨」という概念が普通に出てくることが一般にはあたりまえのことなのだと知った。私の中では、「ネットワークが存在する → べき分布」というやじるしがすべてだと信じ込んでいたのだが、どうも世の中もっと広いらしい。考えてみれば、「べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ!」をはじめたときなぜこの2つを結び合わせるという発想になったんだろうか?なぜ自分がこの2つの要素にたどり着いたのかもう思い出せない。

    それにつけても、正規分布がどんどんあやしくみえてきている。

    どうもやっぱり問題は自然が見せる分布の仕方の妙だ。もしかすると、ゴールドマインさんがおっしゃるようにベキ分布がナチュラルで、カオスや正規分布の方が自然の中では不自然なのかもしれない。この辺はまだ思考中だ。

    さて、最初に戻って「岩石破壊試験の破片分布」との関連で考えるべきなのは、生態学的といってもいいような地位(*3)をベースに考えるべきだとジョン・メーナード=スミスを読んで思った。この視点から考えると、まったく検証をしていないが、以下のような複数の仮説を立てたくなる。

  • Webのページなら、アクセスされることが基本的に存在目的なのだから、アクセスを増やすリンクが大事ということになる。よって、アクセス数、リンクの数がベキ分布する。
  • 太陽がそそいでくれたエネルギーを基本的には循環しながら生物は生きているのだから、その生物種の摂取するカロリー量と生体数の分布を調べてみるとベキ分布するのかもしれない。
  • 企業であればやはり所得が存在目的になるであろう。企業の所得はベキ分布することが本書で示されている。(そうそう、あのまるまったところは中小企業が意図的に所得を調整しているからかもしれな...)。
  • 破壊試験で生ずる破片なら、重量に引かれて安定的な位置をどう占めるかということになりはすまいか?2つの過程にわけて考えるべきかもしれない。破壊されるときにどういう大きさの分布になるのが、もっとも衝撃を吸収しやすいか、物質として安定しやすいか。そして、その破片が重力にひかれて地面に落ちるときに、もっとも安定した、ポテンシャルの少ない状態になる。「安定」あるいは「面積」とその数がベキ分布するようだ。
  • 雪片の結晶は、まさに分子が空間において場所を占めようとしあうことが結晶の形を決める。空間内での占める空間が最大の生態学的地位と考えられまいか?
  • スケジュール管理における「大きな石」の存在は、その課題ひとつひとつが要求しあう「時間」の配分という問題だと考えられる。
  • フラクタル図形はこうした「空間を占める」、「エネルギーを分配し(奪い)合う」、ということの幾何学的な表現だと解釈することは可能であろう。
  • ほんとうにまだまだ仮説の域をでない。GDP、SNAの宿題も残したままで気になっているのだが、またひとつ宿題を増やしてしまった。

    ■注

    *1
    冒頭の↑の写真は著作権にふれないために本書にのっているのとは別の写真を使っている。

    *2
    なぜ急速に同じようなことを書く人が増えているんだろ?不思議すぎる。やはり、ブログ、ネットワークで書くということ自体が自己組織化なのではないだろうか?

  • Complex network解明の鍵となる!? by soreyukeさん

  • (元論文:""self-similarity of complex networks"(Nature, 433: 392, 2005)"

    *3
    ここで「生態学的な地位」とは、「存続しつづけるあるネットワークが存在するとき、全体を構成する個々のノードがネットワークの中で占める独自のトポロジー関係」と仮に作業仮説をたてておく。

    ■参照リンク
    経済物理学について by kinoさん
    衝撃破壊の統計則 (WEB版) by 早川美徳さん
    だいぶこなれてきた経済物理学の啓蒙書 by 俊(とし) さん
    経済物理学の発見[読書] by Nautilusさん

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    2005年2月 1日 (火)

    少子化の裏側にあるもの where we are going?

    米国の子どもに対する考え方に触れたEconBlogに関する記事に対するkohさんのコメントを読んではっとさせられた。

    大変興味深く読みました。 ここでいわれているのは、経済的・合理的に考えたとき、子供が多くいるほうが将来、引退したときに面倒をみてくれたり、かまってくれたり、経済的に支援してくれたりする可能性がより高まる、という発想なのかもしれないとも思いました。どうなのでしょうか。

    逆にいえば、日本ではいま養老の面倒くささもなくなったかわりに、子どもに対する期待もまったく失ってしまっているのかもしれないと感じた。現在の40才以下の日本人にとって、個人主義の名の下に、年金制度などの社会保障にかまけて年寄りの面倒を見る義務から解放されてしまっているように感じているのではないだろうか?いや、これは自分自身を含めてのことだ。実際はこれからの超高齢社会でどうなるかわからない。もう最終電車は出てしまったという分析もあるようだから、実は恐ろしい結果が待っているのかもしれない。

    いすれにせよ、自分が自分を育ててくれた親だのの面倒をみることはないと考えていれば、子ども達も自分たちを養老してくれると期待するわけもない。

    この延長線上にある社会はいったいどんな社会になるのだろうか?

    ■参照リンク
    人口減少社会で守るべきもの、とは by katzさん

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