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2005年2月 1日 (火)

少子化の裏側にあるもの where we are going?

米国の子どもに対する考え方に触れたEconBlogに関する記事に対するkohさんのコメントを読んではっとさせられた。

大変興味深く読みました。 ここでいわれているのは、経済的・合理的に考えたとき、子供が多くいるほうが将来、引退したときに面倒をみてくれたり、かまってくれたり、経済的に支援してくれたりする可能性がより高まる、という発想なのかもしれないとも思いました。どうなのでしょうか。

逆にいえば、日本ではいま養老の面倒くささもなくなったかわりに、子どもに対する期待もまったく失ってしまっているのかもしれないと感じた。現在の40才以下の日本人にとって、個人主義の名の下に、年金制度などの社会保障にかまけて年寄りの面倒を見る義務から解放されてしまっているように感じているのではないだろうか?いや、これは自分自身を含めてのことだ。実際はこれからの超高齢社会でどうなるかわからない。もう最終電車は出てしまったという分析もあるようだから、実は恐ろしい結果が待っているのかもしれない。

いすれにせよ、自分が自分を育ててくれた親だのの面倒をみることはないと考えていれば、子ども達も自分たちを養老してくれると期待するわけもない。

この延長線上にある社会はいったいどんな社会になるのだろうか?

■参照リンク
人口減少社会で守るべきもの、とは by katzさん

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コメント

昔語学学校の同じクラスにいた北欧人が言うには(少々嘆きのニュアンスで),
北欧では18になると子供は独立して家を出る。そのあとは会うこともない人も結構いるみたいで、家族とはなんだろうって言う感じでした。社会保障が進んでいてそれでも大丈夫なんでしょうかね。やはり社会保障がなければ家族で団結する(マフィアとか華僑?)という道に向かうのでしょうか。家族も保ちつつ社会保障もあるなんてやっぱり難しいんでしょうかね。

投稿: Hiroette | 2005年3月 3日 (木) 06時06分

Salute Hiroette! Il fait tres beau aujourdhui.

そーなんですよ。それって最大の矛盾だと想っています。社会保障が発達すればするほど、家族の絆や人の縁やら、なんのために自分は生きているのかと実感させるネットワーク関係がどんどん希薄になっていってしまうみたいなんですよね。

日本においてもある側面から見ればいまの経済状況がどうのというよりも社会が全員の面倒を見てくれるんなら、なんでも好きなことをやっていいじゃない、親の面倒なんてみなくていいじゃない、という風潮があることには両面があると感じております。

最近、「ゴッドファーザー」にはまっているのですが、やっぱりイタリアとか本当に経済的には大変だったと想うんですね。だから、英語もしゃべれないのに米国くんだりまで移民してこなくてはいけなかった、と。だから、ものすごく家族の絆が深い。彼らにとっては子どもをどうするかということが本当に本当に大事なことだったりします。

(ちなみにアル・パチーノやデ・ニーロの話すイタリア語の語感としぐさが好きです。)

この2方向をどういう地点に着地させるのかが、日本の今後の姿を決めるといってもよいでしょうね、きっと。これは経済的にどうなったとしても、日本の国の形を決める重要な要素だと思います。同じくだり道をくだりにしても、どういう風にくだるかが本当に大事です。

投稿: ひでき | 2005年3月 3日 (木) 12時53分

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