« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »

2005年3月22日 (火)

ロングテイルの指数 long tail and power low

浅倉さんからトラックバックをいただいたので、調子にのって記事にしてしまおう。

なんか最近ロングテイルということが言われている。すばらしいことだ。

Long Tailとインターネットビジネスの基本則 by 渡辺聡さん

ロングテール論について by 梅田望夫さん

先日のtalking nightでも、中川さんが発表されていたのは個人の側でのロングテイル論というべきものだった。

まず、この辺の記事を読んでいただいてから、以下の議論を追って行ってほしい。

梅田さんの記事から、積分を使った近似を議論されていた浅倉さんのブログにたどりついた。

思うにZipfの法則や、べき乗則を指数関数で近似できるとすれば、指数の大小によって80:20ということがたまたま成立したり、しなかったりするというだけのことにはならないだろうか?一応、エクセルのファイルを作って検証してみた。



エクセルファイル  (HPO)

100のアイテムを扱うと仮定してデータを作ってみた。枠線の指数のところの数字を変えて、20位のところの累計の比率の変化をたしかめてほしい。この条件のシュミレーションでは指数が-1.21を境に、それよりもちいさければ(-1.5とか、-2.0とか)、20:80とか、20:90とかになる。つまり、20位までの全体に占める類型の大きさ(売上げ)が全体の80%以上を占めることになる。これより大きければ、20:70とか、20:60といった具合になる。あ、足して100にしたければ好きな順位までランクを下にたどってみればいい。

このシュミレーションのアイテムは100で切ってしまったのでたまたま指数が-1.21が分水嶺になったが、実際にネットで展開しているアマゾンのようなビジネスにおいては、限りなく在庫のコストや少量の商品を売るコストが小さいので、もっともっとはるかに大きな在庫アイテム数を抱えることができる。従って、べき乗則が成り立つ商品の売り上げ構成であっても、かならずしも20:80といった特定の数字に収束するわけではないと考える。下位のアイテムが十分に大きな売上げと利益をあげるということは、べき乗則に矛盾しない。

やはり、梅田さんが指摘されているように、ネットビジネスの最も有利なポイントは在庫と販売のコスト(多分変動費)の問題であると感じる。

■参照リンク
Long Tail vs. Lessig @ The Long Tail
マスが全てだった時代から、ニッチが普通になる時代へ(前編) by ckさん
マスが全てだった時代から、ニッチが普通になる時代へ(後編) by ckさん
long tail and power-law degree (HPO)
http://www.longtail.co.jp/ そっか!アリスだったんだ!

■追記 平成17年5月6日

南平台で働く社長のblog」で取り上げていただいたので、うれしくなってグラフを追加してしまう。

もちろんスモールワードそれぞれからの来訪者は少ないので、キーワード毎の来訪者数をグラフ化してみるとたぶんこんな感じになるんだと思う。

あ、キーワード毎でしたね。あははは。自分のブログの記事毎のアクセス数を「sidebar.jp」のデータを使って上位20位をグラフにしてしまった。

HPO-access01

トップページが抜き出すぎている。近似式「y = 1622.3x^-0.7229」でR^2が「0.811」にしかならない。このデータは省いた。

HPO-access02

すると、近似式が「y=662.85x^-0.3692」で、R^2が「0.9187」となりまあまあの近似値になる。指数からいうと、かなりゆるやかなべき乗のグラフになるようだ。この先の記事のアクセス数がわからないが、たぶんかなーりゆるやかなロングテール状況なのだろう。finalventさんの分析でないが「マターリ板」に近いのだろうと想像する。

「HPO-access.xls」をダウンロード

■追記 同日 19:35

usamiさんからコメントとトラックバックをいただいて、完璧に木に登ったブタ状態になっている...恥ずかしながら、自分のブログの過去一ヶ月のキーワードのグラフを作ってしまった。

HPO-access-word01

近似式が「y = 187.47x^-0.6629」で、R^2が「0.9873」なのでさっきの記事毎のグラフよりも確信犯的にべき乗則しているといえる。サンプル数が138とさっきの20に比べて大きいので、検定こそしないが十分に近似しているといえよう。この138とは、全部で2,632のアクセス解析の対象とされたキーワードのうち上位5,24%にあたる。定位された値があるわけではないが、ここまででアクセス43.10%に相当するというのはやはりべき乗的である。そうはいっても、指数が-1.2よりははるかに小さいので、ロングテール的かな、と。

他の方の同様な分析を見たいという気がする。

「HPO-Keyword.xls」をダウンロード

| | コメント (9) | トラックバック (13)

2005年3月20日 (日)

GWをやめて、花粉症休暇をくれ! donne-moi des vacances!

つらい。つらすぎる。

なんでも、自分の住んでいる地域のすぐそばで日本で一番花粉が飛んでいるそうな。なんともありがたくない日本一なのだが、もう目は痛いは、鼻はつまるは、集中力はなくなるはでほんとうにひどい状態だ。ちょっと車を運転するだけで、花粉がはいってくるのがわかる。というか、痛い。

数年前にも発症してどうしようもない状況になったのだが、シーズン真っ最中にたまたま海外出張にいくことになった。飛行機の中まで、ぐすんぐすんやっていたのが、花粉が飛んでいないと思われる出張先でタラップを降りたとたんに症状がとまってしまった。シーズンの最悪の時期を花粉のとばない国ですごせたことは本当に幸運だった。花粉のシーズンがすぎたこともあって、1週間後に帰国してから今年になるまでほぼ症状が出なくなった。

そのまま大して花粉症に苦しむことなく数年間をすごしていたのだが、今年は違う。ひどい。あまりにひどすぎる。この花粉による生産性の低下は目にあまるものがある。私個人でいえば、7割稼動くらいな気がする。全国的にみればかなりの「損害額」に達するのではないだろうか?私はいまでも花粉症は公害であり、中央集権体制の日本が衰退していくことの象徴のような現象だと信じている。あまりに、あまりに日本的な悲惨な状況だ。とにかく「なんとかしろ!責任者でてこい!」と叫びたくなる。

質問:花粉症公害に対する賠償請求の可否について @  教えて!goo

これはいっそ花粉症の時期にまとまった休みをとれるようにしてはどうだろうか?田植えの時期にあわせて休暇をまとめたGWはもういらないという人が多いのではないか?私の出張のようなケースがどれだけあるのか知らないが、少なくとも日本を離れている期間だけでもこの苦しみをあじあわなくてもいい。

とにかく隗よりはじめろというわけでvacanceを計画中...

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2005年3月16日 (水)

べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ@ソーシャルネットワーキング.bar talking night @ Social-Networking.bar

いんやぁ、楽しかったです。なんつうか、楽しかったです、ハイ。

この楽しさは神田さんとの別れ際の話に集約されるように思います。

神田さん「いやぁ、年々刺激を感じることが少なくなってきているんだけど、今日はひさびさにかなり知的刺激を感じました。」
ひでき「そういうのって、戦慄系っていうんですよぉ!」
神田さん「ほぉ、戦慄系ですか。」

今回は、かなりオープンな議論だったので、プレゼン資料の元を含めて安心してレポートできそうです(かな?)。


・「SNSとblogとの距離論について」 by KNN神田さん
 なんというか、神田さんって本当に「粋」な方なのだと思いました。実に楽しげにご自身のネットライフにからめて加速する時間、加速するテクノロジーの方向性について語ってくださいました。まさに今回の基調講演でしたね。ありがとうございました。

・「Derivative Only Licenseの提案」 by kiraさん
 正式リリースはまだなのだそうですが、とても興味深い内容をプレゼンしてくださいました。iSessionとの絡みも含めて、とてもとても興味深いです。なんというかこういうことから、ネットを介したコラボレーションというのががんがんうまれてくると世界はすこし住み易くなるんでしょうね。とりあえず「フェアユース!」と叫んでみる(笑)。

・「新SNSについて報告」 by Hiroetteさん
 今度始まる新しいSNSというか、アーティスト向けのサービスについてお話いただきました。ちょっと別のところでも似たコンセプトのデモを見せていただいたのですが、段々こういうものが増えていくのでしょうね。kiraさんのお話といいい、なんというかブログに代表されるような新しいつながりかたの世界においても、文章だけの時代が終わって、音楽、イラスト、アニメーションなど、あたらしいコンテンツの時代が到来したのだなと感じます。あれ、この資料極秘でしたか?

・「ザ・二割になれる、mixiでなれる。・・・カモ」 by 中川一郎さん
 いやぁ、熱く語ってくださいました。最近、べき乗則のネットやリアルにおける展開で、ハブよりもロングテールといわれる、世紀分布などよりも長いすそに注目が集まっている気がします。ほんとにmixiそれ自体もロングテールかもしれませんね。中川一郎さんは、別のブログでkiraさんのプレゼンやHiroetteさんのプレゼンとかぶる世界をくりひろげいらっしゃいますよね。結構感動しております。

・「情報の価値観変化と新しい情報売買システムの提案」 by さかまたさん
 
http://blog.so-net.ne.jp/sakamata/2005-02-03#favorite 他
 なんか、私の時間管理が悪くてせかせてしまって申し訳なかったです。あらためていろいろ発見がありました。「価値は聞く人、見る人側で発生します」という台詞に感動しました。

・「ベキ乗分布の統計的検定」のソフトウェア by タダシさん
 まもなくご本人から発表される予定。なるほどぉ!とうなってしまいました。目からうろこの検定方法でした。たしかに、世に言われるべき乗分布であやしげなもの(とくに私自身)がありますよね。これからとても大事になるソフトですね。

・「DHT(分散ハッシュテーブル)+スモールワールド」 by tomoさん
  P2Pのルーティングにスモールワールドが出てくるとはまったく思いませんでした。これで、真剣に検索スピードの問題などが解決されるのだとしたらすごいことです。

この他にも某常連さんからここにはかけない重大プロジェクトの存在について発表があったり、某世界に3つしかない研究所の方から「いやぁ、べき乗則って今回はじめて聞いたけど面白かった。研究につかえそー!」という発言をいただいたり、何人かの初参加の方が参加してくださったり、今回も盛況のうちに開催されました。

ほんとうにみなさんありがとうございました!感謝、感謝、感謝です!

■参照リンク
「評価」の「評価」で人はHappyになれるか? by さかまたさん
お金の単位をhappyにしてみたら by Hiroetteさん

| | コメント (12) | トラックバック (3)

2005年3月11日 (金)

[書評]アメリカの保守とリベラル conservative and liberal

・「アメリカの保守とリベラル」 by 佐々木毅さん

本書は文句なしの名著だ。そもそも、R30さんがなぜご自身をあるいはブログ界隈の方たちを「ほんとはリベラルだ」と喝破されていたことに疑問をもったことがきっかけだった。

ネット右翼だって現実社会に戻ればリベラルでしょうが by R30さん

そして、鈴木謙介さんが「本書を嫁!」と書いていらっしゃるのに刺激をうけて、素直に読んでみた。非常に勉強になった。改めて、フクヤマ、ライシュ、(ポール)ケネディなどの米国の政治思潮における位置づけが理解できたような気になっている。

身勝手なマニフェスト @ SOUL for SALE

この本から感じたことを固有名詞と通史的な序列(つまりはこの本の最大の特徴)を排除してまとめてみた。

iEditファイル

この図を念頭に置きながら、自分なりに感じたことを書いてみたい。

本書で時系列的に語られる1960年代後半から1990年代前半までの米国の保守とリベラルの政治思想の流れを読むといろいろと現代の日本に生きるものとして示唆されるところがあるように感じる。

まず、よくもわるくも不器用な米国人は、不器用なゆえに小手先で政治的な信条をいじることをせずに、ひとつの社会思想として民主主義を深めているという一面があることを感じる。逆に日本人は器用であるがゆえに、過大な応用をしてばかりいるので政治的な混乱を深めているのかもしれない。

ただし、前提として米国は建国の理念から民主主義、「~からの自由」を標榜していた歴史を見るに、日本での右、左という感覚で保守とリベラルをとらえてると大きな間違いを犯してしまうようだ。たまたま読んだ雑誌に「アメリカは(個人主義の方向に傾く)左翼国家である。」と西部邁さんが書いていらっしゃったが、米国の保守とリベラルを日本の政治的な言語であらわすとこうなるのだろうか?また、少なくとも本書執筆時点では欧州の中道左派が主流だった政治的状況とか、欧州のキリスト教民主主義などともやはり米国の政治思想潮流とは違和感がある。なんたって、極端な資本家と低所得層がいっしょに共和党支持だったりするという状況はなかなか理解しずらい。

今回理解できたのは、保守主義とリベラルの最大の争点のひとつは「見えざる手」を信じるか、社会工学ともいえる人間の人工的な力を信じるかの差であるということだ。いわゆるリベラルの福祉政策を見直す大きな契機は、リベラルの「社会は人間の手によって改善しうる」という強い確信が「予期せざる結果の法則」というアンチテーゼによってくつがえされた歴史があるという。ちなみに、私の立場だとこの辺にどうしても「ベキ分布」(すそのの長い分布)を連想してしまう。なんというか、人の手によって作られたもので滅びないものはない。人が必ず死ぬということは言わずもがなだ。

ループ、そして、死滅の本質へ  (HPO)

「人間が社会を改善しうる」という信念は、逆にいえば「神の見えざる手」を信じないということになる。このためにリベラル側はどちらかというと「大きな政府」志向であったといえる。ただし、これはカーター政権以後に感情的、ヒューマニズムにすぎなかったと反省される。この実に謙虚な反省に、じつにプラグマティックというか、日本の教条主義的かつクリシェをかかげた思考停止状況と実に対照的なものを感じる。この辺の自分の主張すらも80年代、90年代とネオ・リベラルといわれた人達が克服していくさまが実に見事に本書に描かれている。ちなみに、社会的改善が可能だという認識においてリベラルが公民権運動へより接近するという状況も理解できる。

逆をいえば、経済的に「神の見えざる手」を信じる米国の保守においてはより社会的な絆を大切にする思想になる。つまり、伝統的な信仰や米国流の家族中心主義的な価値観だ。このため、キリスト教への接近もはかられるし、資本家と低所得者層の両方が共和党に共存しているという事態が理解できる。

保守とリベラルの政治的相克の中で深まっていく政治思想としての「公共の哲学」に真剣に感動すらおぼえてしまう。たとえば、リベラル側の福祉政策への反省の深まりの中で、市場経済をとらえなおすというくだりだ。なんといか、自由市場において生活するということは、基本的な社会の信頼があるということなのだというと「発見する」ということは、どういうことだろうか。

市場というのは、さまざまな商品の交換が行われる場所だ。そこにはさまざまな代替物もとりひきしうる。商品の対価を払うということ、投資をするということは、経済的な自由の根本に市場に対する、あるいはそこに参加する人たちに対する信頼感がなければならない。どうも、この辺に現在の複雑ネットワークの議論との接点があるように感じるのだが、まだ明確になっていない。ループというか、常に代替手段が存在する場を市場としてとらえる、ネットワークの塊として市場をとらえるという視点が大切な気がするのだが、思いつきの域を出ない。

いずれにせよ、保守側は政治的側面については穏健な自由の制限を主張するのとは逆に、経済的な側面については広い自由を求めることになる。この辺の経済的「自由」に関する保守とリベラルの逆転状況については、(イギリス人であるが)生物学者のジョン・メーナード=スミスも述べているところだ。

ジョン・メーナード・スミスの延長 (HPO)

政治思想の深まりの中で、自己への愛、権利主張をどうとらえるかという議論が米国において行われたという。「~からの自由」が強調されるあまり米国としての利益、競争力が著しく失われたという反省にたって、いかに「~への自由」が強調された。経済的な自由があって、はじめて政治的な自由が担保されるということと、誰しもが自分自身が一番かわいいということになると、いかにここの利害の合成物としての社会全体を見るかということに必然的に到達する。この辺が、日本において個々の権利のみに重きがおかれ、全体の利益という視点が失われているように感じるのは、私だけだろうか?

また、この自己愛の問題は、完成された福祉社会が「現代文明の中の野蛮人」を産むという矛盾にもつながる。「I, Robot」、「攻殻機動隊」、「アップルシード2巻」あたりの問題意識と自分の中で重なる。

また、この自己愛の議論につてい読み進み、約20年前にかなり米国衰亡論がはやっていたくだりにに達した。個人主義、自由放任主義のひとつの帰結としての過大な社会保障や社会的競争力の喪失など、当時の日本と比べて米国内における危機感があおられていたわけだが、いつのまにかそうしたキーワードは現在の日本によくあてはまるようになってしまった。直感的に想ってしまうのでは、米国の20年くらい前の政治的状況といまの日本の政治状況を引き比べることはかなり可能のような気がする。カーターが外構弱腰、ワシントンの無能さをさらけだしているころの米国に近いのではないだろうか?

環境が政治的な遺伝子の発現を産み、政治的遺伝子の発現が環境を産むという相互差用において、当時の米国と現代の日本において同様な環境が存在していると主張するのはあまりに根拠がないのかもしれない。せいぜひが同じ様な頭がひとつ、うでが二本、足が二本という程度の相似かもしれない。まあ、顔に個性があるようにそれ以上ではない。ただし、当時の深刻さを思うに、逆をいえば現在どれだけ日本が混迷の度合いを深め、衰亡論がはやっていたとしても、それを逆転するチャンスはかならずあると、信じたくなる。

ああ、そうそう四半世紀前のミルトン・フリードマンのマネタリズムにリフレ政策の根っこを見てはいけないのだろうか?

そして、ブログ界隈の住人として、まさに複雑ネットワークの力を検証可能な手段をもったいまこそ科学的な保守主義が確立しうる時だと私は考える。べき乗則はその一側面にすぎない。社会のGA的な発想というのも、硬直した組織を流動化させていく中でとても大事だと感じる。

また、米国の保守が信じる「神の見えざる手」、伝統的な絆の価値などを、現代の複雑ネットワーク論や、エージェントモデルを使ったシュミレーションで止揚可能な議論に私には思える。

それでも、ネットワークが緊密化していき、とてつもなく加速化された口コミベースで伝聞が広がるようになるのなら、どうしても紋切り型のクリシェが先行しがちだ。finalventさんのおっしゃるとおり、こういう状況では実はメタな議論はめちゃくちゃ危険なのかもしれない。政治的なクリシェを闘わせるのではなく、具体的な政策なり、今後の見方なりをこそ示すことが重要なのではないか?なにが検証可能で、なにか想像にすぎないのか?なにに自分は価値の根源を置いてリアルを生きていくべきなのだろうか?いまのところ、左だろうと右だろうとこれを読んでくださっているあなたは同じ日本の中にいるしかないという点では運命共同体なのだから。

そう、もっといってしまえば本当に主義主張で闘うべき相手はブログ界隈にはいない。ブログ界隈の住人が共同して闘うべきは他にいる。

■参照リンク
ブッシュのサポーターはどこに?  by やじゅんさん うわっ、赤面の至り...
日本における「保守」と「リベラル」とは何か  by やじゅんさん
アメリカの保守とリベラル by だいさん うわっ、なんといシンクロでしょう!

| | コメント (4) | トラックバック (3)

2005年3月 6日 (日)

リアルに生かすブログの知恵 DON'T TRUST OVER THIRTY

指定BGM:マニアの受難 by Moonriders

最近、ブログでまなんだことをできるだけ日常の自分の生活の中で生かそうとしている。

たとえば、べき乗則だがいろいろなパフォーマンスに関するグラフ化した資料についてできるだけ1位から順番にならべて表示させるようにしている。本来ひとつひとつ分布を検証すべきなのだがそこまで仕事上での余裕がない。多分すくなくとも仕事で使ういろいろなパフォーマンスを示すグラフで少なくともかなり平均とモードが大きくずれていてskew*1しているように見える。

同様にしてリアルでの商売の方針についても、べき乗則を生かして強いものをより強くすることが大事だという認識で考えるようになったきた。やはり、商売をやっていると強い部分、弱い部分がどうしても出てきてしまう。その中で、弱い部分を伸ばすよりも強い部分を伸ばすほうが、べき分布がよく「ロングテイル(ながいすそ)」といわれるようにすそのが広がって全体があがっていくということを実感する。なんというか強く実感するのは、やはり商売というものは非常に強い部分がなければ市場の競争の中で負けてしまうということだ。いわゆる「地域一番店」の発想は実はべき乗則的なのだと思う。

社内で議論をするときに、ついついエージェントモデルを連想してしまう。「経済物理学」のモデルによれば、3人以上のエージェントが為替などの市場の先行きについて期待をもって取引をするだけで、ストレンジアトラクタともいえる線形な考え方では予測不能な結果を産むのだという。これは、コンピューターのシュミレーションでなくとも、日々の3人以上、3つ以上の利害のからんだ話し合いの中で実感できる。それぞれの思惑があって議論しているとなかなかかみ合わない。ストレンジアトラクタが発生しているといってもいい。いわゆるカオスだ。これを避けるにはせいぜい2つの利害しかないような話し合いの場にするか、逆に多くの立場の人を一変にあつめて議長、司会の役割を自分で取る。こうすると、逆に自分対多くの利害の合成物という形になって収束する。いつのまにか姑息な知恵を使うようになってしまった...orz

エージェントモデルの統計物理学的考察 (PDF) by 佐藤彰洋さん

複雑ネットワークについての知見も自分の日々の行動を決定するうえでとても大事だ。ブログをはじめる前までは、現代の世俗化し匿名化した社会の中ではなにをやっても大丈夫だと思っていた。人との関係もワンタイムというか、その場でよければいいし、だめならまた別の相手ととりくめばいいと思っていた。しかし、6次のつながりが存在するとか、前提条件によっては99%以上の確率で日本の中で友達の友達は友達だと証明しうるというなことを知った後ではほんとうにお一人お一人とのご縁を大事にしなければならないと実感している。実は自分が電車で隣に座っていた人ですら、自分の重要な取引先や大事な人の知りあいである確率はかなり高い*2。また、最近の技術により可視化されたネットワークを見ることのできたインパクトは「6次の隔たり」を実感する上で大きい。

あと、このブログ界隈の進展自体が人間の社会の進展の何千倍にも圧縮された形の歴史をたどっているような気がしてならない。R30さんが見事に2004年を総括されていたが、昨年あたりのブログの展開は実は人が1000年くらいかけて経験してきた歴史に例えられるほどの進展であったのではなかろうか?また、R30さんが記録にすべて残ってしまうということについて心配していらっしゃったが、これは文字が普及していく過程と比べられるほどの事態ではないか?人がごちゃごちゃとなんでもやる状態から次第に職能などで分化していく過程と、ブログの分化を並行関係としてみることはできないか?現在読んでいる網野善彦を曲解してるだけかもしれない。ある社会的な関係の栄枯盛衰を目の当たりにできたことは大きい。なぜなら、人は組織と関係せざるをえないし、あらゆる組織体、ネットワーク構造が同様の進展を見せる可能性が高いからだ。組織とかかわっていく中でこの進展を頭において活動方針をたてるとき、いくつかの変化を産みだせるように思う。

なんというか分子発生学ではないのだが歴史の展開というのは、人が環境を作り、環境が人を作るという側面があるように思う。このブログの展開というものは、たとえどれだけSPAMでノイズに過ぎない私のような者でも、全体がなにかの場を生み、その場がまた自分に作用をしてくるという、生成化育の場というものを可視化されたネットワークの中で感じることができたように思う。これは、私がリアルな、あまりにリアルなリアルの中で生きていくためにはとても大きな体験であったと感じる。

ああ、なんか最近ブログ擁護にはしっているのは、自分で自分を納得させたいからだろうか?

■注

*1

「skew」って日本語の統計用語でなんというのでしたっけ?あ、「歪度」でしたっけ?

「モード」は「最頻値」?

*2

ああ、そういえば真剣昨年電車で隣に座った人が、自分がよく知っている方の名刺を広げていたっけ...つい先日は、午前中会った方と4、50km離れた場所で午後偶然すれちがったりもした...ああ、もっとすごい人の縁もあったけどそれはまたこんど...

| | コメント (4) | トラックバック (2)

« 2005年2月 | トップページ | 2005年4月 »