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2005年4月17日 (日)

[書評]日本教について Religion of Japan

日本教について by イザヤ・ベンダサン

もうしばらく前に書いた文章だが、ここのところの社会情勢を見るにやはり転載しておきたくなってしまった。大半の部分は前のネットワーク分析もどきよりも実は先に書いたものだ。まとまらないままだが、このままにしてしまうのも自分で許せないように感じる。

■おそるべき書物

抜書きをしようとしたら、すでに詳細にしてくださっている方がいる。著作権関係のお勉強会に参加したばかりなので、どこまで引用していいものか迷うところであるが、本書は既に絶版のようだしフェアユースの範囲内であろうと自分に言い聞かせてまたびき(?)させていただく。

『日本教について---あるユダヤ人への手紙---』 by 日暮 景さん

宣伝的に、本書のすごさを書いておけば、実に恐るべき予言の書であるといえる。このすさまじさの前には、イザヤ・ベンダサンが実在するかどうかなど問う必要もない。ただただ、この時点にこれだけの言説が成立したことがあまりに驚異的だ。ちなみに、雑誌連載の昭和46年(1971年)時点では、日本と中国はまだ国交を回復していない。

日本政治年表(70年代) by 田村 譲さん

この時点で、本多勝一にはじまる南京虐殺事件の報道の問題点から、将来の日中関係のトラブルを予見している。もしかすると、今回の反日運動すらその射程内だといってもいいのかもしれない。

「日中国交正常化」は日本のあらゆる言論機関に共通したスローガンですが、私の知る限りでは、明治初年以来、日本と中国の関係が正常であった時期は、皆無といって過言ではありません。これは何も両国がしばしば戦争をしたという意味でなく、戦時は戦時として正常な戦時でなく異常な戦時であり、平和時は平和時として正常な平和時でなく異常な平和時だった、という意味です。


話は少し横道に入りますが、私は、日本人はまた中国問題で大きな失敗をするのではないかと思っております。日本は現在「日本は戦争責任を認め、中国に謝罪せよ」という強い意見があります。一見、まことに当然かつ正しい意見に見えますが、それらの意見を仔細に調べてみますと、この意見の背後にはまさにこの「狸の論理」(後述)が見えてくるのです。

ちなみに、「狸の論理」とは夏目漱石の「坊ちゃん」に出てくる狸校長の論理で、「ゴメンナサイといえば、一切の行為は不問に付する」といった非常に日本的、というか多分日本にしかない論理の構成の仕方を指す。ベンダサンは、中国やその他の外国政府に日本的な「話せばわかる」あるいは「正直にあやまったら許す」的発想を期待してはならないと強く警告している。

あるいは、ベンダサンは本書の中で若者の暴発を予言する言葉を残しているが、連載直後に「ロッド空港事件」が起こった。

日本赤軍の動向 by 紫の鏡さん

私は事件自体を体験したわけではないが、この事件には多少思い出がある。イスラエルのテルアビブのロッド空港から出発しようとしたとき、他の国籍の人間がチェックらしいチェックもなく通っていく横で、日本人である私は文字道理パンツ一枚までチェックされた。すべてのカメラや電子装置は電池を抜かれた上で一旦取り上げられた。赤軍派の暴発というものは20年以上たった時点でも大きな負の遺産を残していた。

そうそう、なによりも「実体語」と「空体語」(後述する)の分析を通して、社会党が政党政権になったとたんに自衛隊を追認し、そしてそれが社会党の致命傷になるであろうことを「予言」している。

(攘夷論者が明治維新を果たした途端に開国をさけんだように)将来も同じことが起こるでしょう。軍備撤廃を主張している政党もありますが、もしこの政党が政権をとったらどうなるか。議論の余地はありません。攘夷論者が政権をとったときと同じことが起こります。

[社説]社会党 「自衛隊」での転換は本物か @ 1994/07/17 毎日新聞朝刊

繰り返していうが、本書は昭和46年から多分1年半にわたって連載された内容をまとめたにすぎない。実に村山内閣が成立する四半世紀も前だ。

■実体語と空体語

さて、本書の根幹を成す「天秤」のモデルにとりかかろう。日本においては、すべての人間が一定の根拠というべき考え方をもっていて、これに反する人間はすべて排除されるか、無視されてしまうというのだという社会モデルを非常にかつ的確に著者は明示している。具体例でいこう。

「安保条約は必要だ。だがしかし、安保反対を叫びうる状態も必要だ」という一種の「考え方の型」といったものです。(中略)「自衛隊は必要だ。だがしかし、自衛隊は憲法違反だといいうる状態も必要だ」となります。」

これと対照されるのが、

言うまでもなく西欧では、原則として「現実」という言葉で規定されているものを自分が現在立っているスタートラインとすれば、「理想」は、そのゴールを規定した言葉であります。

そう、西欧では明確なことが本書の発行から30年以上たついまでも、日本では不分明なままになっている。私のごく狭い経験の中でも、特にアングロ・サクソンは、今自分がどこに立っていて、どこを目指そうとしているかを明確に言語化する。足を切断さざるを得ない事故に遭ったアングロ・サクソンの知人がいるが、ベッドの中でもこの態度は変わらなかった。しかして、日本人はどうだろうか?そういえば、以前会社がどこまで本気で「戦略」を立てて実行しようとしているかに腹を立てて「戦略立案の必要性」について図式化して上司につきつけた記憶がある。まあ、あまり役には立たなかった。最近のエントリーにおいて、藤末さんもおなじようなことでいらだってらっしゃるのではないだろうか?

経済産業委員会その4 戦略の立案体制 @ ふじすえブログ

現代の我々には、「現実」と「理想」といったほうが言葉としては、とおりがよいように思うが、日本人は「現実=実体語」、「理想=空体語」ととらえてしまう大きな間違いを犯しているのだという。だからといって、「ホンネ」と「タテマエ」の言葉のペアでも、「空体語」と「実体語」に近づけない。

なかなかこの辺が理解が難しいところだが、社会ネットワーク的に理解するのも一方だと私はまだ信じている。私には禅の曲解だとしか思えないのだが、元々日本においては「神」や「真理」は言葉で表せないと信じられている。したがって、真理を、見えないまま、言葉に表しえないまま、日常の行動において従わなければならない。つまり、essaさんが非常にするどく切り込んでおられるように、人々は「空気」に支配されなければならないという傾向がある。「空気」に従わなければ、「踏み絵」を踏まされ仲間はずれにされてしまう。ここのところのバランスを取るために、他方に誤っているかあるいは真理でないと分かっている言動が必要になる。私の言葉を使って、実体語と空体語を説明しようとするとこんな風になる。

ちなみに、この辺の「空気」を浦沢直樹の「20世紀少年」は非常にうまく漫画化してうると私は信じている。

■ブログ的な、あまりにブログ的な

余談になるが、本書の構成自体が実に「ブログ的」だと感じた。雑誌連載時に本多勝一と「公開書簡」のやりとりをしているようすが、トラックバック的というか、現在ブログ界隈で行われている相手のブログの書き方や論理に対する批判と実によくひびきが似ている。あまりここについて書く勇気がないのだが、あまり先入観を持たずに読んだつもりであるが、私には本多勝一の言説よりもイザヤ・ベンダサンの議論の方が大人な気がした。これは、ユダヤ教に関する知識内容に誤りがあるとか、著者が最終的に誰なのかといった問題ではない。本多勝一やその後継者がどういうつもりで中国へ行って来て、どういうつもりでおもねる発言をし、そういうつもりでそれらを日本でバイアスを意識的にかけて報道したかは知らないが、確実にいま現在の状況を作ってしまったのだと私は思う。仮に正式の軍隊を持たなくとも中国との間でましな日本の外交戦略を発動できたはずだと思う。少なくとも、現在のように他国民に国旗を燃やされ、暴動の原因が日本の歴史観にあるなどと政府高官に言われるほど軽く見られることはなかったのではないだろうか?

本書の内容は長く、広く言われ続けたことであるが、いまだに日本の政策に生かされているような気がしないのは私だけだろうか。

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