■そもそものそもそも
貨幣の複雑性―生成と崩壊の理論
安冨 歩
おかげさまで出張中に読了した。香港と深圳をめぐりながら、本書を読むことができたというのは、得がたい体験だったかもしれない。なぜなら、香港くらい通貨がこんがらかった地域は少ないように思えるからだ。そもそも、香港ダラーの発行主体からして3つもある。ちょっと船で行けば、素で中国している「元」しか使えない深圳が広がっている。通貨よりもスロットルマシーンのコイン流通の方が多いんじゃないかと思われるマカオも目と鼻の先だ。今は、この3つの地域は同じ「中華人民共和国」のはずなのに、「国境」のパスポートコントロールもあるし、貨幣も違う。経済体制というものがなんであるかよくわからないが、同じ国でも違うものらしい。一体、通貨、貨幣とはなんなんだろうか?と、疑問を持たずにいられない。そうそう、そもそも著者の安冨歩さんのご専門は、満洲経済史だったりするらしい。
おいおいその理由を明らかにしていくが、本書は「べき乗則とネット信頼通貨を語る夕べ」のために書かれたような本だと断言できる。そもそも本書を私が読むことになったことの起こりは、「夕べ」でのタダシさんのプレゼンだった。タダシさんのプレゼンから先にあるものを追っていて気づいたのは、バラバシらがブログ界隈とかウェブの構造を分析して得た「べき乗則」というのは、かなり「複雑系」と言われる分野では普遍的に見られる現象だということだ。いや、実は私はいまだに「複雑系」がなんなのか分からないのだが、一般にそういわれてる分野の研究をしている方達には、多分あまりにあたりまえなのでブログ界隈あたりじゃ書いてくれないだけらしい。どうも彼らの間では、「生成と消滅」という現象はとべき乗則はかなり関係が深いことは常識らしい。そんな文脈を追っているとき、西部忠さんの「感想文」に出会った。
・安冨歩『貨幣の複雑性』 by 西部忠さん
これはどうも、本書は「生成と消滅」とべき分布の関係の正鵠を射ているように思われたので少し前にアマゾンで取り寄せて積読していた。が、今回の旅行にもっていってどんぴしゃだった。
■貨幣の生成と崩壊
本書はいくつかのテーマ、論文から成る。
まず最初は、私の言葉で語ってしまえば、経済における相互作用の排除の問題から始まる。経済学においてはどれだけ主体を特定しようと、どれだけ合理性を積み重ねようと「ただ一度だけ」意思を決定することだけを扱っている。というか、著者の主張に従えば、「ただの一度も意思決定をしない」状態のみを扱っている。なぜなら、ひとたび主体が意思決定を行えば、その主体は自分のなした意思決定の結果を作用として受けざるを得ない。これは、連続する時間の中に生きる私たちの日常生活を想像してみれば当たり前のことだ。しかし、この日常を経済学の論理に組み入れようとしたとたんに非線形な代数を扱わざるをえなくなり、合理的に経済活動を分析する学問としての経済学がなりたたなくなる、らしい。では、時間を、主体の行った意思決定の相互作用を、どう扱ったらよいのかというのが、筆者の問題意識の原点だと受け取った。
この問題意識に基づき考察され、シミュレーションが作られて得られた結果が、貨幣の生成と崩壊だ。筆者は、自分で生産した財と財との交換を行う主体(エージェント)のごく簡単で納得性のあるルールに基づくシミュレーションを行い、主体の「財」の中から「貨幣」の位置を占める特定の「財」が生じ、一定期間の後その位置を失うことを示した。シミュレーションの結果を示すグラフを私なりに読み解けば、「麗しい澤の形成」というか、次第次第にべき分布的に、相転移的に、特定の財のみが公開の媒体となる「リンク」が形成されていくように思われる。
これはかなり「信頼通貨」していると思った。ブログ界隈とは、あるブロガーが生成する「記事」という「財」が、他のユーザーによるアクセスあるいはコメント、トラックバック、たまに恒久的なリンクといった別の「財」、「対価」で取引されている市場だと見なせないだろうか?そして、ハブになったブログとは擬似的な「貨幣」のような存在ではないだろうか?もし、そうであるなら「交換」という市場の力が、ブログあるいはブロガーを「貨幣」としての価値を持ちうるまで相転移的なリンク構造の中心に立たせることになり、この同じ力がそのブログないしブロガーを崩壊に導くと言うことはできないだろうか?
このプロセスにおいて決定的な力を持つのが「信頼」であると私は思う。著者がシミュレーションで行ったいくつかの「実験」もこのことを裏付けるように思われる。少々長いが、著者の言葉を引用する。
もし具体的なモノを貨幣としないとしても、「信用のある人の信用」が貨幣として流通するであろう。後者の(=この)場合、「信用のある人の信用の厚いのは、信用があるから」ということになる。かくしてネットワーク的で対等な関係は崩壊し、中心を持った貨幣構造が生じて不平等が生まれる。この場合、貨幣と信用の境界はあいまいになる。こうして両者が漠然と混同されるようになるのである。
[括弧内はひでき]
■「情報と交換」=「シグナルと贈与」
次に著者は、財の「情報」と「交換」のモデルを解析し、信頼性を前提とする「貨幣」または「商人」が必要であることを示した。この思考実験は実に面白い。集合理論と記号論理学の導くところが、こんなに意外な結論に結びつくとは!私の力では、この記号の展開を追うことはできないので、ぜひ本書の該当箇所もしくは著者の論文にあたってほしい。あえて一言だけいえば、最近の「六次のつながり」といったネットワーク研究が示すように、自分の欲しいもの(財)に到達するまで各主体をめぐって物々交換の交渉を行うという前提を示した「ハルモニアの首飾り」の半径は著者が想定しているよりも短いのだとは思う。
この論文の示すとことは、馬車馬さんからヒントをいただいた「シグナル」と「贈与」の差が確かに存在し、「シグナル」という情報が経済的な「交換」に結びつくためには、「貨幣」としての「財」または、「商人」という媒介者が必要だということだ。この辺は、日本の歴史において微妙に貨幣が存在したかしないかの頃の歴史を記した「続・日本の歴史をよみなおす」とあわせて読むと面白い。「日本の歴史」によれば、かなり古い時代から海を道とした「商人」たちが日本にはいたらしい。ちなみに、海の道は商の道であることを、香港滞在中にも感じた。
この次の「貨幣の国際的価値と商品の多様性」というテーマは、香港と合わせて論じるととても面白いと思うのだが、ブログ界隈に関する議論とは離れてしまうので、いまは触れない。
■そして、生成、消滅、べき乗則
なによりも圧巻は、まさにタダシさんのシミュレーションの先にある生物種のLotka-Volterra方程式、あるいはレプリケーターモデルによるシミュレーションだ。N個の生物種の間の相互作用の行列を置いて、生物種間で相互作用をさせながら世代を経過させたときにどのような種の「投入」(あるいは、変異)の方式をとれば「平衡状態」あるいは「多様性」がひろがっていくかという研究だ。いくつかの方法で種の「投入」を筆者は行っているが、「中立」説的な「進化」の方法が一番安定して種の数が増加したという。本論文の中ですでにいくつかのべき乗則が発見されている。筆者は触れていないが、多分シグモイド的なカーブを描いていると思われるグラフもあった。
ここでN×Nの相互作用のテーブル(要素Aijによって構成される行列A)が、「進化」によって得られたはずなのだが、このテーブルは、ソシオメトリックスに違いない。つまり、それぞれの種のリンクの仕方により生成と消滅が決定されるということを本実験は示しているのだと私は思う。しかも、i→j、j→iの関係があるから、有向グラフというか、リンクの方向のあるネットワークだ。
これは私の予想にすぎないのだが、この相互作用から得られたネットワークを分析すればきっとハブがみつかり、そのリンクの数(強さの集積)と「種」の分布はべき分布になるのだろう。筆者は、さまざな攻撃や環境の変化による「耐性」テストを行っているが平衡状態に達したとされる「中立モデル」が強い「耐性」を示したというのも、この状態でハブが形成されたからだと私には思われる。
あー、去年のうちにすでに「安冨歩」さんの名前に接していたんだぁ!納得!おいらは、10年、いや11年遅れているらしい。あはは。
・超貨幣論 by 鈴木健さん
と、ここまで書いてタダシさんの衝撃的な記事に触れる。なんということだ!サルの惑星の主人公のような気分になった。一日も早いタダシさんの論文発表が待たれる。
■参照リンク
・企業と市場のシミュレーション by 井庭崇さん :やはり伊庭さんのところには最初から答えがあったらしい。あはは。
・安冨 歩:ワイアードのインタビュー記事
・絶滅 : 悪い遺伝子か弱いカオスか Santa Fe Institute Working Papers (翻訳:鈴木康生さん)
・人民元切上げのお話 by マーケットの馬車馬さん
・ハッカーが「Everquest II」で大量の通貨偽造--20%のインフレ状態に @ C-NET
・市場が貨幣を作る by Hicksonianさん
■追記
・[保全]黄土高原生態文化回復プロジェクト by yaharaさん
yaharaさんの記事で、安冨先生の最近の活動の一旦を知った。環境問題、エコロジー(生態系)というのは、本記事のサブタイトルともさせていただいたが、とても大事な思想であり、実践なのだと想う。その最先端の部分に突っ込んで行かれるお姿がすばらしい。
yaharaさん、ありがとうございます。
■追記 その2
池田信夫さんもほぼ同様のシミュレーションをしたのだと知る。
著者はこのように、従来の経済学がナイーブに想定する選択の自由という概念が、論理的な矛盾をはらんでいることを指摘し、これに対してポラニーの創発の概念を対置する。これは10年ぐらい前の「複雑系」ブームのとき流行した言葉だが、そのとき行なわれた研究は、単なるコンピュータ・シミュレーションだった。著者の『貨幣の複雑性』もそうだし、私も昔、そのまねごとをやったことがある。
(参照)
(参照)
安冨さんの実験そのものじゃないですか!ちなみに、このフリーライダーのジレンマを解消するためにバベルの塔は倒れ、言語は分化を続けている。(参照)
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