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2005年11月 6日 (日)

[書評]相対幻論 context on the network world

4041501059相対幻論
吉本 隆明 栗本 慎一郎
角川書店 1985-06

by G-Tools

前々からひどいものだと想っていたが、私の記憶の危うさにあきれた。今の自分の形成に影響を与えた本書をまるきり間違えて記憶していたのだ。一体、私の記憶がこれだけ不確かならば、私が記憶している私という人格は一体どんな幻想に基づくものなのだろうか。あきれはてる。

しばらく前に「日記」にこう書いた。

あれは、浅田彰、吉本隆明、山口昌男の鼎談ではなかっただろうか?アマゾンでどうしても見つからない。無印良品の包み紙のような茶色い表紙だったと思う。自分がニューアカにはまるひとつのきっかけであった。また、やたら注が多い本の原型であったやに思う。

で、さっそくはてなで質問させていただいたらあっというまに答えをいただいた。本当にネット界隈というのは便利だ。

http://www.hatena.ne.jp/1130805454

そもそも、本書はニューアカデミズムの本などではないし、鼎談でもない。浅田彰と山口昌男の話は出てきても、対談に参加しているわけでもない。注釈も記憶しているほど多くはない。今回再読するまで、吉本隆明はばりばりのマルクス主義者だと私が信じていたことに至っては恥ずかしさのあまり声も出ない。散々探して見つからなかったのにはてなで教えてもらってから再度検索したら、ちゃんとアマゾンに登録されていて古本屋さんから数日で私の手元に届いた。お蔭様で、なつかしい表紙に再会できた。

やっぱり、糸井重里さんというのはやはり一種の天才なんだろうな。四半世紀近くも前に「世界がどーにかなりはじめて」しまっていると喝破されていたわけだ。いまブログ界隈で、あるいはブログ界隈の外で、ブログがおわってしまいそうだとか、会社がどうにかなってしまいそうだとか、国が終わってしまいそうだとか、議論されていることを当時すでに一言で表現されていたわけだ。四半世紀前というのは、いわゆるバブル景気がはじまるきっかけのプラザ合意の前だし、バブル崩壊後の「失われた10年」など予想もされていない時代であった。当時はまだ、「オジサンたちも怒ってい」たのだし、思想をファッションとして「カッコつけたい方々」もいっぱいいたのだ。なにか背骨がなくなってしまったような現代とは、違うものがそこにあったのかもしれないと想う。

私がブログで語りたい、学びたいと想っていたことのほとんどは、すでに本書で言い尽くされていたのだと再発見した。

今考えてみれば、この時代に話題になっていた「文法」とか、「コンテクスト」といった「思想」は、複雑ネットワークの考え方か読み直してみることが可能だ。「分節化」というのはノードの生成であろうし、「コンテクスト」とは、ネットワークの言語的表現であるといえはしまいか?どこかから拳骨がとんで来そうだが、ドゥルーズ=ガタリのリゾームなんて複雑ネットワークそのものではないか?べき乗則のはしりともいえるzipfの法則が、文中の単語の出現頻度から発見されたということもある意味納得できる気がする。

本書の中で、吉本隆明と栗源慎一郎が「必然力」、「自然力」という言葉を使っていたが、社会、貨幣、コンテクストを横断的に考えたときにあらわれてくる力という意味だと想う。妄想の上に妄想を重ねてしまうが、これは複雑ネットワークの中に内在するカスケードや、べき乗則などの法則性との関連で理解できないだろうか。

本書の前半の対談は、マルクスの労働と貨幣の理論から、文化人類学で扱われるような貨幣の原初形態、あるいはヨーロッパにおけるハイパーインフレの話など、貨幣の生成と消滅がテーマであったと想う。これらの議論は、そのまま安冨先生の貨幣論に具体的にシミュレーションされている現象だと私には思えた。現代日本では貨幣があまりに安定しているため忘れがちな事実だが、実際の貨幣も生成と消滅を繰り返しているのだ。

[書評]貨幣の複雑性 ecology of blogs (HPO)

安冨さんの貨幣の生成と消滅を示すシミュレーションは、吉本が理解したマルクスの貨幣論と栗本の考えを具現化するものと位置づけられるのかもしれない。栗本が外部、内部の交換から市場の形成までを語っているが、安冨さんが示したのは、「人は人がほしがるものをほしがる」という仮定と「交換には商人か貨幣かあるいは両方が必要」という仮定で情報と商品が交換され、市場が形成される、という事実だ。

もっと言ってしまえば、安冨先生の業績は、ポラニー兄弟それぞれの研究をつなぐものであるかもしれない。経済人類学で貨幣を論じたカール・ポランニーと、ネットワーク、科学理論に潜む創発の力を論じたマイケル・ポランニーが兄弟だという事実がすさまじい。ま、この辺はあらためてポランニーを勉強してから書きたい。

カール・ポランニー by 山形浩生さん
マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』 @ 千夜千冊

それにしても私にとっての現代思想の入り口とも言える20年以上前に出版された本書の問題意識から、未だに出られていないということがいささかショッキングだ。私はよほど不器用にできているのだろう。ま、不思議なのはあれ以上吉本への興味が深まらなかったことか。栗本も、RCサクセションも、橋本治も、ポラニーも、山口昌男も、挫折はしても読もうとする努力くらいはしたのに。

本書を再読して、正直一番感動したのは、栗本慎一郎さんのあとがきのこのくだりだ。

学者にせよ思想家にせよ、彼は徹底的に私的になることによってはじめて時代の公傷をにないうる。私的であることを拒否し感性を解放せざる者は、傲慢な教養主義の枠内にとどまることしか出来ない。

私がブログを書き始めて感じているのは、私にとって必要なのは「教養主義」などではなく、自分が生きるために、よりよく生きていくための知の在り方だったということだ。

うまくいえないのだが、それもまたやはり肌の感覚のような気がする。ただ、体温だけがいとおしい。

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