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2005年12月26日 (月)

アフォーダンスってエコロジーだったんだ! Affordance, Quolia and Ecology

4781903932生態学的視覚論―ヒトの知覚世界を探る
J.J.ギブソン
サイエンス社 1986-03

by G-Tools

yujimさんとの会話の中で、「ギブソンって、エコロジーじゃん。」ということを教えられた。思わず20年来の謎が自分の中で腑に落ちる言葉だった。

いまさら、あの大冊を入手して、読み解くだけの根気も時間もないので、以下の論は私の限りなくあやふやな記憶に基づく妄想モードであることを宣言して論を進めたい。

よく言われるギブソンの「生態学的視覚論」の中心は、「対象物があなたにアフォードする」ことが知覚であるという「直接知覚」といわれる考え方だ。この対象物の「アフォーダンス」という性質により、静的な物体の認識=「はさみは切ることをアフォードする」、から動的な背景の流れ=「周辺視の対象物の流れがあなたの移動をアフォードする」と展開し、ほとんど全ての知覚を説明しようとしている。

これを純粋に対象物と観察者としてわけて考えているとはなからギブソンの理論を受け入れることはかなり難しくなる。対象物があなたに対して投影する刺激を、あなたの身体は情報処理して、脳内で一定の状態を作り出し、知覚が生じると考えていては、きっとギブソンの論理はわからないということだ。

私は、yujimさんの言葉で、アフォードするとは、対象物とあなたとの間で、リンク=エッジが生じ、新たなネットワークが構成されるという意味なのだと悟った。ギブソンの世界観では、全てがつながっていることを前提にしていると考えると理解が進む。マッハの原理ではないが、ネットワークこそが全てであり、そこにはダイナミズムがあり、新たに生じるエッジというのは、そでにネットワークに内包されている、あるいは新たなエッジを生じる力はすでにネットワークの側にあるのだと考えれば、「はさみがあなたに切ることをアフォードする」という意味が理解できるのではないだろうか?意味は、あなたに降臨するのだ。

対話、ネットワーク、そしてマッハの原理 (HPO)

「そんなことはあるか、はさみははさみという物体にすぎない。」と、あなたはいうだろう。しかし、そここそが生態学的視覚論の「生態学」たるゆえんなのだ。あなたもわたくしも人工物も含めてひとつの生態学=エコロジーの内にいということがギブソンの大前提なのではないだろうか?この生態系の中では、私も、あなたも、はさみもエコロジーの中で生かしあっている、あるいは殺しあっているのだ。いわば生命の輪の中にいるといってよいだろう。

適切なたとえではないが、これをブログ界隈と新しく加わるブログの記事と考えてもいいかもしれない。アフォーダンスの観点で現在のブログ界隈を眺めたときに、ブログ界隈にあらたなエントリーが生じる、あらたなブログが隆盛あるいは祭りを迎えるというときには、ブログ界隈全体がその記事なり、ブロガーなりをアフォードしていると考えてよいのではないだろうか?いや、特定のブログなりエントリーなりがブログ界隈に祭りなり深刻な問題、意味などをアフォードすると、ギブソン流に言うべきであろうか。もちろん、「生態系」であるので、生態系になじまず、無視される、あるいは淘汰される記事あるいはブロガーというのはあって当然だ。

また、以前、茂木健一郎さんがブログ界隈で「クオリアは生じているのでは?」という記事をどこかの週刊誌に投稿されたと電車の吊広告で見た。「見た」程度にすぎないのだが、はさみがあなたに切ることをアフォードするのと同様に、すでにブログ界隈にクオリアは生じているのだと私は思う。そして、クオリアが生じているのかという問いと、アフォーダンスが生じるということははかなり近しい関係にあるのだといま思う。

クオリア @ wikipedia


もっと言ってしまえば、クオリアが製品系列の名前で使われていることからも直観されるように、アフォーダンス、クオリア、そして商品デザインというのは、かなり近しい関係であるように感じる。いや、it1127さんとfuku33さんに教えていただいたと正直に書くべきだ。

グーグル検索:クオリア アフォーダンス

■参照リンク
アフォーダンスという概念の意義がいまだに見出せない by 蒼龍さん
【気儘に】あふぉざんす(笑) by it1127さん

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コメント

三宅一生さんのところのA-POCというブランドを取材させていただいたことがありまして。
http://www.japandesign.ne.jp/episode/040218/

ここの商品は、なんていうか、なにを使い手にアフォードするか、わざと作り手があまり決め込まないというか、わざと可塑性を多く保たせているところが、初期には特に多くありました。いまはだんだん固まってきたようですが。

「この商品は自分という使い手になにをすることを許すか」という消費者の脳裏の仮説の体系が豊かになること、消費ソフトを開発することは消費ハードを開発することと同じくらい、あるいはそれ以上にクリエイティヴなことだと思うんですね。そして消費者の中で認知されているアフォーダンスのシステムが、いわば消費財の認知上の生態系を構成している、という考え方の製品開発論を展開しようとしているのですが。なんかややこしくってすみません。未だ整理できていないのです。

投稿: fuku33 | 2005年12月26日 (月) 20時00分

fuku33さん、こんばんは、

コメントありがとうございます。

「一枚の布」から始まる消費の可能性のひろがりみたいな感じなのでしょうか?なんといか、「はさみをいれたくなる布」というところにアフォーダンスなのかしら、とか想いました。ライフハックとか、プログラムのハッキングではないですが、自分がより使いやすいように商品を改変できる可塑性って今後の商品つくりの上で大事かもしれませんね。

あなたごのみのぉ~♪とかうなりたくなります(笑)。あ、年がばればれですか?

私個人としては、もっともっと日常生活に近いところで、アフォーダンスを明確に生成できる製品開発とかしてみたいと思っております。ごくごく日常のものにこそ、真のデザインとか、真摯な記号とかが埋め込まれているべきだと信じます。

というか、私が日常取り扱っている商品ってなかなか使い手さんたちが説明書とか読んでくださらない、あるいはそんなものなきゃつかえんのか!とおしかりをうけるので(笑)。本当に我々の業界こそアフォーダンスとか、人間工学とか再度学びなおさなければいけないのかもしれません(反省)。

投稿: ひでき | 2005年12月26日 (月) 21時40分

作り手が非常に作りこんでいるにも関わらず、作り手の側の「こういう着方をされるだろう」というような意図が良い意味で裏切られやすい、そういう服を狙っているんだと思います。手が込んだ未完成性といいますか。デザイナーは一生さんと補佐する藤原大さんという方ですが、この藤原さんという方は古今東西の服飾成型技術を見て回って、最低限こう作りこめばそれはそれでおしゃれないい服になるが、これ以上は別にデザイナーの側が決めなくてもいいじゃないか、という塩梅の付け方を会得されたんですね。すごい人です。

ひできさんが携わっていらっしゃるのは住宅関係をお見受けしますが、いまあるライフスタイルでこれ以上いい椅子や机が出てくるもんでしょうか。非常に成熟した市場だと思うんですが、ここで創造的着想でより商品を洗練させるよりは、新しい住環境、生活様式を提案して、それにはこういう部屋の間取りやオプション(例えば出窓やベランダや)、そしてそこにはこういう家具、というライフスタイルの提案がいいような気がいたします。
http://www.minerva-jpn.co.jp/miyamoto/miyamoto01.html
品川でお世話になっている日本一の家具のモデラーの宮本さんですが、この方と喋っていると、つまり人の暮し向きの中に自ずとある便利さがかたちになったものが良い家具なんだ、と思わされました。

投稿: fuku33 | 2005年12月26日 (月) 22時57分

ひできさん こんにちは
TBしました。突っ込みというより、独り言ですね。私の場合は、恋愛論ということで片付けてみました(笑)。ま、この辺は奥が深くて、今の段階の私の理解度では、偉そうに議論は出来ないな、ということが判明した次第です(爆)。

投稿: it1127 | 2005年12月27日 (火) 16時42分

fuku33さん はじめまして
>A-POC、わざと作り手があまり決め込まないというか
 「余情(よせい)とか有心(うしん)」を連想しました。日本的情緒といいましょうか、そういった心情に訴えかける商品なのかなと思った次第です(笑)。手前味噌ですが、ご参考まで。http://it1127.cocolog-nifty.com/it1127/2004/07/post.html

投稿: it1127 | 2005年12月27日 (火) 18時37分

it1127さん、はじめまして。
リンク先拝見しました。

そうですね、A-POCの場合を余情、有心と言ってもいいと思います。もともと三宅一生さんその人も、「一枚の布」から始まって、「偶有性」(いま流行ってる言葉ですね)を多く含んだ服作りを近代ファッションの世界で一番最初からやっていらして、それは日本古来のものを受け継がれたからこそのことと思います。

そのコンセプトを藤原さんが受け継がれて、もちろん服としてちゃんと成立していても、なお加工可能性がある、というところがすごいのです。設計・生産手法はITを駆使して極めてデジタル的なのですが、それを企画構想する段階では服の構造が未だ決まっていないところから始められるので、アナログ的自由さもあるという、調査者泣かせのよくわからないブランドですね。青山のお店に行くと、イマジネーションをすごく刺激されます。

投稿: fuku33 | 2005年12月28日 (水) 09時56分

fuku33さん どもです。ついでに、岡倉覚三『茶の本』を抜粋しときますね。P46
虚はすべてのものを含有するから万能である。虚においてのみ運動が可能になる。おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての立場を自由に行動することができるようになるであろう。全体は常に部分を支配できるのである。道教徒のこういう考え方は、剣道相撲の理論にたるまで、動作のあらゆる理論に影響を及ぼした。(中略)芸術においても同一原理の重要なことが暗示の価値によってわかる。何物かを表わさずにおくところに、見るものはその考えを完成する機会を与えられる。かようにして大傑作は人の心を強くひきつけてついには人が実際にその作品の一部分となるように思われる。虚は美的感情の極致までも入って満たせとばかりに人を待っている。

「人が実際にその作品の一部となる」。これも一種のアフォーダンスといっても良いかも知れぬ(笑)。

投稿: it1127 | 2005年12月28日 (水) 16時21分

it1127さん、素敵なコメントありがとうございました!
そして、教えていただいたA-POC。おもしろいですねー、洋服のデザイン云々よりも、その可能性、消費者に「へー、それっておもしろい」といわせようという根性が好きです。
余情、有心。記事もじっくり拝見しました。
世阿弥の風姿花伝にもそのような内容が書かれていたように思います。
日本人としてのものの見方、やはり現代人のDNAにも刷り込まれているのでしょうか。

投稿: double face-d | 2006年2月23日 (木) 13時20分

ひできさん おはようございます。

カジュアルなブログの試みちゃなんですが、ちょっとコメント欄、拝借しますね(笑)

>double face-dさん

「秘すれば花なり」ですかね。
http://plaza.harmonix.ne.jp/~k-miwa/bonnou/zeami.html
その前に、「花」という言葉ですが、これは世阿弥自身、広範囲に、様々な意味で使っています。そのひとつとして、「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」と言っています。
人が舞台で発見する「珍しさ」、この感動が花であり「面白さ」である。つまり、「花」と「珍しさ」と「面白さ」、この三つは全く同じものであると言っているのです。

これってもしかして、AHA体験のこと?(笑)


投稿: it1127 | 2006年2月24日 (金) 13時46分

it1127さん、こんばんは、

もー、がんがん伝言板代わりに使ってください。

最近、コメント少なくてさびしい想いをしておりました。

「カジュアル」たって、ようは書くのは分散させるのをやめて某所で思いつきで書いていたのをここにまとめようという程度のものでございます、はい。

投稿: ひでき | 2006年2月24日 (金) 18時24分

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