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2005年12月 8日 (木)

[書評] 「俺様国家」読了後雑感 China risk and Japan

4166604694”俺様国家”中国の大経済
切込隊長・山本一郎
文藝春秋 2005-10-20

by G-Tools

面白かった。本書のあとがきだけでも、これから10年以上は娑婆で生きていこうと想っている日本人なら、十分に読む価値がある。

私にも、昔から、米国と日本と中国のトライアングルで考えるべきなんだろうな、という感覚があった。本書を読んであらためて、日本の命運が他国に握られているのかという現実を直視させられた。今の目の前の幸福を考えれば、目を背けたくなる現実なのだが、それを見ないといまの日常を維持することはできない。著者のいうように「維持するために改革せよ」という精神がどうしても必要なのだ。

私たちの生活を不安定化させているのは、巨大な経済であるという根本的な認識を著者は私たちに見せてくれる。いつぞや著者との個人的な会話でも話題になったように、「期待」によってお金が集合と離散を繰りえして見た目の景気をつくっているのだ。お金が集まるところは、一見派手だし見た目もよい。しかし、それは表層でしかない。高安先生の「経済物理学」のシミュレーション技法があきらかにしたように、3人以上のプレーヤーが集まればかならずカオス状態を引き起こす。かつ、プレーヤーが多ければ多いほど市場は不安定さ(volatility)を増すのだ。

エコノフィジックス @ はてなキーワード

この前提において、現代のような発行主体の国の岸を離れた「ワールドダラー」が世界を駆け巡る時代にあっては、かぎりなくこれはゆらぎ経済というか、カスケード危機をはらんだ経済なのだと思い知る。情報とお金とは、電気と磁気が電波を形成するように、世界を伝わっていくのだと想った。完全市場は、需要と供給の曲線の交わる静的な価格の調和を生むのではなく、ゆらぎをそもそも内包しているカスケード危機経済なのだと思い知るべきだ。これは多分、お金で計られる経済的な価値だけでなく、情報の流通、人の行き来などの局面でも次第次第にその真の姿を現してくるのだろう。

情報が行き渡れば、行き渡るほど、べき乗則的、1/f波的なボラティリティーが増えるのだ。そして、それに覇権を握るという国家意思が加わったときにはるかに複雑な問題を形成するのだろう。政治は政治的な人間にしか理解できないものだ。

こうした認識に立って本書を読むとき、改めて痛感せざるを得ないのは、国家とはなにかという根本問題だ。私にとって、国とは究極のところ民族のことだと感じる。民族とはなんとか表面的には言葉が通じて、常識、慣習といったごく通常の生活に根ざした部分で分かり合える人間の集団なのだ。民族=国家とは、お互いに地理的、歴史的、民族的に分かり合える連中で固まろうじゃないか、お互い親戚みたいなもんだから、利害だって根本のところでは一致するだろう、はなしゃわかるじゃねえぇ、といったごく肌居合いがあうかあわないかという程度のものだったはずだ。逆を言えば、きっと民族国家の外には、分かり合える連中というのはかなり少ない。いや、民族国家のボーダーを超えた先には分かり合えない連中しかいないといっても過言ではないだろう。

だからこそ国家間はパワーゲームになるのだ。

私は、グローバルもインターナショナルも信じられないという気持ちがしている。多分せいぜい二者間で第三国の言葉で話すくらいが、インターナショナルという言葉で想起できイメージである、宇宙に浮かぶ青い地球というぐらいがグローバルという感じでしかない。

いや、いつのまにか、本書の内容から随分遠くへ来てしまった。どうも、最近思考が脱線しがちだ。本来、勝手に日本のバブル崩壊時点における不良債権を超える不良債権を持った中国という国が抱えているカントリーリスクと日本がいかにバインドされてしまっているかという著者の危機意識をメインに語るべきであった。

反省!

■参照リンク
資本主義の中のポスト全共闘世代 by 切込隊長さん
経済物理学と経済学(一つの例) by kinoさん すみません。需要供給曲線が成り立っていないと断言した私は浅はかでした。

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コメント

需要供給曲線自体が揺らいでる面もあるので、ひできさんの考え方自体は良いのでは?と思います。
ただ、需要供給曲線は時間を止めた時の断面なので取り引きが行われているならば、必ず定義できるはず。もちろん、時間を考慮にいれる場合には単純な需要供給曲線は役立ちません。

投稿: kino | 2005年12月 9日 (金) 14時28分

kinoさん、こんばんは、

ありがとうございます。

そうですね。時間を要素に入れるかどうかが結構大きな問題であるように思います。経済物理学の分析、シミュレーションでも時間を入れたエージェントモデルでの検証であったかに思います。

投稿: ひでき | 2005年12月14日 (水) 18時37分

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