ナウシカの粘菌 Dictyostelium discoideum
![]() | ワイド版 風の谷のナウシカ7巻セット「トルメキア戦役バージョン」 宮崎 駿 徳間書店 2003-10-31 by G-Tools |
なんと深く宮崎駿は世の中のことをみつめていたことか。いや、透脱していたといってもいい。荒唐無稽のようだが、今自分がリアルで直面している問題というのは、あれくるうナウシカの粘菌のようなものなのかもしれない。
ナウシカに出てくる粘菌、そして大海嘯というのは、初期条件のほんの小さな違いで予測不可能な結果が生じるという意味でのカオスなのだ。物語の中ではあまりに決定論的に出てくるが、あのときガラスがやぶれなかったらとか、偶発体が生じなかった可能性だってあるわけで、ほんのちょっと要素が変わっただけで、国を飲み込むほどの大惨事にはならなかっただろう。
同様に、世の人の論争のうねりというものもまたカオスであるに違いない。それも、人々の結びつきが緊密さをませばますほど、予測しにくく、触れ幅が大きくなるカオスなのだ。
腐海の底で極相林となり、ゆっくりと崩壊していく森がナウシカに出てくる。そして、大海嘯により発生した森があまりに激しい瘴気のために急速に崩壊していく。すべてを飲み込む粘菌、そしてあまりに早く生え茂り、崩壊していく腐海の森、こうしたイメージは、ファンタジーという衣をかぶりながら残酷なまでにリアルを描いている。
ナウシカから離れるが、「ファイトクラブ」の最後のシーンを美しく感じてしまう。この映画で破壊されていく高層ビルのように、あまりに激しいカオスのために街が音もなく崩れていくのが幻視されてならない。一部の人はきっと私と同様の風景が見ているのではないだろうか?
![]() | ファイト・クラブ ブラッド・ピット デビッド・フィンチャー エドワード・ノートン 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2005-10-28 by G-Tools |
すべてを飲み込みそうな勢いで発生した社会の世論というカオスは、大海嘯と同じようにこれもいままでもなんども発生しているのだろう。そして、今回もこれまで公的に信じられてきた価値の大幅な減少という結果を産み、これまでそこに自分の立脚点を置いていた旧来種の会社や個人は絶滅の危機にさらされるのであろうか。そして、大海嘯の後に森の人に率いられた蟲使いの種族が繁栄を喜ぶように、これまでの旧来種とは違った会社、個人種族が繁栄の時を迎えるのかもしれない。
私という旧来種は、古き言い伝えの通り、浄化の時を迎えるのであろうか?それとも、ナウシカのような新しい朝を迎えることが出来るのであろうか?
私は、それでもこのナウシカの物語が最終的には全てを受け入れ、全てを許す寛容によって結末を見たのだと思う。今回の世論というカオスがその地点に到達する流れは、いまのところ見えない。
巨大な粘菌は、我々の内なる森でこそあれくるっている。
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