無尽、講、手形、そして株 Credit Creation
ある方から「開放系の経営学というべき分野がありうる」と聞いてから、非常に興奮している。会計でも、法律でも、ITの技術を前提に考えると全く別な形がありうるという気がしてならない。
しかし、こと現代の信用創造の分野においては、存分にITが活用されているようには思う。逆にこの分野に関しては、過去の信用創造との比較をしてみたい。
・信用創造 @ wikipedia
歴史をひもとけば、江戸、室町時代の無尽講や、昔の意味での株などは、非常に日本流な商人のネットワークから資金を作り出す仕組みであったわけだ。山梨県の方が書いていらっしゃるらしい「ひとりよがりの俺」というサイトから引用させていただく。
無尽講とは、頼母子講ともいい、歴史の教科書に出てきます。庶民金融の一種で、親(発起人)が仲間をつくって、一定の掛け金を出し、入札・抽選で落札者を決めます。室町時代に起こって、江戸時代に盛んに行われますそれが、各地の相互銀行になり、いまの第二地銀となったのです。因みに、先日つぶれた第二地銀のトップだった東京相和銀行の頭取も山梨県出身者でした。
ずいぶん長い間、「講」という仕組みでなぜ商人が集まって金を出し合って一人に渡すということをするのか分からなかった。一度資金を出して自分だけ資金を手に入れた商人が、また次回講に参加するとは限らないではないか?フリーライダーがいれば、講の仕組みは簡単に破綻する。暗黙の前提で、長い目で見れば平準化する資金の流れであっても、一時的一定期間に一人に資金を集中されることをお互いの約束の中で実現しているのだ。ま、「期限の利益」という言葉が象徴するように、お金と流れいうのはどのタイミングで、どれだけのお金を手に出来るのかということであって、時間の概念と切り離しては考えられない。
なんかお金の流れの波動方程式とか、流体力学とか言ってみたくなるが、やめておく。
考えてみれば、資金というのはある一定期間内で集中したほうが力を産むという自明なことを自明なこととして既に彼ら商人はとらえていたに違いない。お金は集中すればするほど、積みあがれば積みあがるほど競争力を産み、より高い利回りを求めて動き出す。「ピーターの法則」と同様に、蓄積にも限界があることもまた自明なのだが、ここでは触れない。
日本におけるこうした信用創造の仕組みにユニークさがあるとすれば、講や株などのある種の「金融商品」のはしりが商人のネットワークに存在する信用を用いたものであったことだと思う。商人の間で取引の基盤となる信頼性や、ネットワークなどが、既に安定して存在していたという社会的、経済的な背景がそこにはあったのではないか?どこでも経済社会の創成期は同じなのかもしれないが、「三世一身の法」や「楽座楽市」に見られるようなで税の免除といったことはあっても、積極的な政治の関与により信用創造の仕組みが出来たとは思えない。
信用創造において、専門家、分業化してきたことの罠が現代にはないだろうか?法文化されてしまえば、倫理は失われるという逆説がここにある。現在のコンプライアンスの活動を見るに、法律に従えばよいという風潮が蔓延しつつあるように感じるのは私だけだろうか?企業家という信用をこれから創造しようとする人間は、人々の期待という信用創造活動を大いに行うのはその本性であるし、その期待が過剰なものでないか、適正なものであるか、を監視し、規制するのは国とお役人の役目である。しかし、それを条文という固定化されてしまったものにしたとたんに、法文さえまもれば倫理的に適正でない商取引でも、もう少しだけまじめに検査しておけばわかる偽装も、見破れなくなる体制が現出してしまう。手形というのも、形式化、成文化されたことが数々のスキャンダラスな事件を引き起こしてきたとはいえまいか?
白昼の死角 高木 彬光 角川書店 1976-10 by G-Tools |
無尽講を運用していた商人間の信用創造において既に前提とされている商人間の約束を守る原則、血族でない個人でも信頼するという倫理、そして裏切りを排除するというタブー、こうした世間知というべき諸要素が現代においてどのように一般に流布しているのか、教育されているのか、習慣化されているのか、再度専門家でないごく普通の市井の私たちが考えなければならないではないかと切に感じる。多分、あまり実態と離れず、虚業にならないようなコントロールがそこには働いていた。法律になったとたんに虚になる。信用、信頼といったものが入らなくなってしまう。
懐古趣味におちいる危険性はあるが、ごく普通の商人の間で、なぜそれが可能であったかを考える事は、人口、経済規模などが100年前に戻る下り坂の中の日本で今後どのように経済活動を行うかを考える上で大切だと思う。
あれ、いつのまにか、ITがどっかへ言ってしまった。最後の2つ、3つのの段落の前に「IT時代においてさえ」とつけてお読みください。
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