« ソーシャルソフトウェアと企業内検索システム Weak Ties in the Company | トップページ | ひさびさのメール投稿 »

2006年2月17日 (金)

我々の未来としての「ワンゼロ」 Our Future at Nirvana

4091911145ワン・ゼロ (1)
佐藤 史生
小学館 1996-10

by G-Tools

本書を読み終わってからずっとひっかかっている台詞がある。

「アイツーは、おだやかな社会が到来し、安定した市場に安定的に供給できることを歓迎します。」(私の不正確な記憶による引用

アイツーという巨大企業のプリンス、目弱光氏のせりふだと記憶している。メディックといわれる瞑想装置により全人類がニルヴァーナに入ってしまう可能性が示された場面だったはずだ。

なんというか、企業というものは、そんな形には決してならないだろうという確信が、当初私の中にあった。企業とは、競い合い、奪い合い、生かし合い、生成し、消滅するものなのだと思っていた。

しかし、多様な方とブログ界隈で交流させていただくに従って、その確信が弱まってきている。世界の進展、チープ革命というのは、生産性が高まれば高まるほど働く人がごく少なくて済む社会を作り出しているのだな、ということを教えていたいただいた。働く人が少なくて済むとは、多くの人は働かない、働けない社会があと一歩のところまできているかもしれないということだ。そして、資金は余剰になり、供給と消費のバランスが崩れている。Danさんの記事がありがたくもこの「感じ」に拍車をかけてくださっている。

終わりなき肉欲との戦い @ 404 Blog Not Fou

あるいは、そのアンバランスな現象を先取りする形で日本の経済社会が現在進展しているのかもしれないと、ある方が教えてくださった。例えば、すでに10年ほど前から生産労働人口は減り始めているにもかかわらず、GDPは微増している。つまり、就業人口一人あたりのGDPは実は上昇している。片一方で、パートタイマーや、そもそも職についていないNEETといわれる人たちが増加傾向にあるというのにだ。

この現象は、貧富の差が広がるといったレベルを超えて、どんどん少ない人数でより多くの人々の消費を満たすことが可能になってきているということを説明しうる。「少ない人数」が作っている商品が、自動車なのか、PCなのか、ソフトなのかは関係ない。国際関係がこれだけ安定している今、生産している商品価値がどのようなものであれ、商品として国の外との貿易により必要な財にアービトラージすることが可能だ。それが、たとえ石油であれ、資本であれ、食料であれ、同じことだ。

では、生産労働人口のうちの実質働いている人の生産性がどのレベルであれば、人口は増えざるを得ず、どのレベルであれば、減らざるを得ないのだろうか?これは多分計算可能である。

日本の就業人口の推移 @ 総務省統計局

実質年度 Real Gross Domestic Expenditure
 @ 内閣府 SNA(国民経済計算)

上記の資料に基づいて、いくつかの表を作ってみた。

<<表1 就業者一人当たりGDP (名目)>>

  就業者一人当たり 一人当GDP 失業率
  総人口 変化 就業者 就業者 変化
10(1998) 1.94 100 \7,485,465 100 4.1% 100
11(1999) 1.96 101 \7,588,508 101 4.7% 115
12(2000) 1.97 102 \7,823,961 105 4.7% 115
13(2001) 1.99 103 \7,803,927 104 5.0% 122
14(2002) 2.01 104 \7,994,444 107 5.4% 132
15(2003) 2.02 104 \8,192,448 109 5.3% 129
16(2004) 2.02 104 \8,316,922 111 4.7% 115

<<表2 インフレ率>>

 
インフレーション企業物価指数
1998.04 101.6 100
1999.04 99.7 98.13
2000.04 100.3 98.72
2001.04 98.3 96.75
2002.04 95.9 94.39
2003.04 95.1 93.6
2004.04 95.7 94.19

労働人口とGDPの関係 (エクセルの表)

98年から04年の6年間で、就業人口一人あたりの一人当たりGDPは11%も増え、就業人口で総人口を割った数値は1.94人から.2.04人に増えた。これは、凄い上昇なのではないだろうか?しかも、冷静に見れば、98年から04年までで企業物価指数は約6%近く「デフレ」している。ということは、同じ生産性をあげても、6%も名目の価値は目減りしていることだ。ということは、11%を物価指数の0.94で割りもどした約18%も実質ベースでは生産性自体は高くなっているということなのだろうか?

また、どうしても統計のグラフが見つからないのだが、この本に掲載されていた家計別の金融資産の残高のグラフを見ると、見事ながべき分布を描いていた。

4478374953会社成長の原理
髙畑 省一郎
ダイヤモンド社 2005-07-01

by G-Tools


決してここから格差がどうのということを言うつもりはないのだが、なにかすごいことがおこりそうな予感がある図表だ。

では、一人あたり生きていく上でどれくらいの「消費」が必要なのだろうか?仮に04年の就業人口一人当たりGDPの831万を2.04人で割ってみると、407万あまりになる。この金額と実際一人あたりにかかる金額との差が「余剰」であって、多分貯蓄に回るとか、「余剰」な消費に向かっているということなのかもしれない。「実質」消費ベースと比べてみれば、すでにかなり消費を上回る「生産」が行われているという結論につながるような気がするが、確信はない。この辺、あまりに私には経済の常識にかけるので、本当に消費を超えた価値がこの6年あまりで貯蓄につみあがっているのかどうか自信がない。

家計の金融資産・借入金の状況 by 金融広報中央委員会

ただ、完全失業率と就業者一人あたりのGDPって関連が深そうという感じはする。かくして、経営者にあるまじき結論に達してしまった。完全労働状態を作り上げることが経済学の目的であれば、一人当たりの生産性を高めることは、この目的に反するという結論を引き出しかねない。あとは価値感と生産と消費のバランスの問題であり、未来が額に汗して働くことが人には不可欠だという倫理感を選ぶのか、働きたいやつだけ働けばいいという価値観を選ぶのか、強制的にそうなるのかというシナリオの差ではないだろうか?

■参照リンク
24番勝負 「ワン・ゼロ」佐藤史生 by 谷口さん
生産性の向上は現代文明にとって、もはやどうでもよい  by 鈴木健さん

|

« ソーシャルソフトウェアと企業内検索システム Weak Ties in the Company | トップページ | ひさびさのメール投稿 »

コメント

ひできさん こんばんは
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2005-10,GGLD:ja&q=%E3%81%BB%E3%81%97%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%8C%E3%80%81%E3%81%BB%E3%81%97%E3%81%84%E3%82%8F%E3%80%80%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E7%99%BE%E8%B2%A8%E5%BA%97
「ほしいものが、ほしいわ」(西武百貨店のポスターのコピー)といったのが1988年。2006年の現在、欲しいものは、仕事(笑)。

欲望は永遠に不滅だったはず、なのに、、、人間は、物質欲だけじゃないはず、恋人が欲しい、美しい肉体が欲しい、文章が上手くなりたい、わかるということがわかりたい、、、まだまだ欲望は尽きない私です。

投稿: it1127 | 2006年2月18日 (土) 00時09分

it1127さん、こんばんは、

そーなんですよね、人間って絶対欲望はなくならないんですよね。でも、きっといまの経済において不足しているのは、消費の方で供給の方ではないのだ、というあまりに当たり前のことに気づきました。

Danさんおすすめの「終わりなき戦い」(ISBN:4150106347)の中に以下のような記述があります。

「地球の経済は戦争を必要としており、これは願ってもない戦争だった。金をどんどん捨てることの出来る素敵な穴があいているのだ。戦争は人類をバラバラにするのではなく、ひとつにまとめた。」

なんかずしーんと来ています。

投稿: ひでき | 2006年2月18日 (土) 18時25分

ひできさん こんにちは

>戦争は人類をバラバラにするのではなく、ひとつにまとめた。

そうなんですよね~。嫌だけど、そうなんですよねー。http://mypeace.exblog.jp/2794296/
お金が集中する地域では、戦争がほとんど起こらない。誰でも戦争で資産が焼かれると困るからだ。タックスヘイヴンは戦火を消す濁り水といえる。

なるどなぁー、と思いました。

投稿: it1127 | 2006年2月20日 (月) 14時35分

it1127さん、こんばんは、

いんやぁ、それって真実ですねぇ。デイビッド・ブリンという人の小説にまさにそこを残りの全人類が打ち倒した後という設定がありました。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4150111316/250-4823017-9189009

うーん、なんかやばい方向に思考が進んでおります。

投稿: ひでき | 2006年2月20日 (月) 19時51分

ひできさん こんばんは
書評読みました、「金融帝国との戦い 」との視点が新鮮でした。アマゾンに限らず、そこに目をつけてる人のレビューはなかったような希ガス!さまざまな要素が絡み合っていて面白そう。ちょっと今の私の興味に関係大有りみたいなので読んでみようかな、と。(笑)

投稿: it1127 | 2006年2月20日 (月) 22時19分

it1127さん、こんばんは、

いんやぁ、恥ずかしいです。って、元々ブログよりもアマゾンの書評書きの方に熱心だったんですけどね、私は。昔々の私の夢は小さな本屋の気難しそうな主人でした。

ま、それはともかく過剰な資金がこの世界をゆがめているような気が私もしています。

「ワンゼロ」もおすすめですよ。

投稿: ひでき | 2006年2月20日 (月) 23時10分

ひできさん こんにちは

「ワンゼロ」って、一発目の書評なんですね。それにしても、多様な読書。読書は、小さい頃からの習慣だったのですね。
>昔々の私の夢は小さな本屋の気難しそうな主人
分るような気がします。「O嬢の物語」なのですね。私は「好奇心の強い女」で目覚めました(爆)。

投稿: it1127 | 2006年2月22日 (水) 17時50分

うんわぁ、はずかし杉!

きゃぁ。そこまで読んじゃったんですね。

ま、そういう意味でもブログ書いていることは私にとって幸せなことなんですよね、きっと。

投稿: ひでき | 2006年2月22日 (水) 17時57分

ひできさん、ごぶさたしています。

「ワンゼロ」って、面白そうですね。

思うんですが、チープ革命が進んで、それでなお人間が求めるものは、少しでも美しいもの・心地よいライフスタイルなのではないか、と。そしてそれには切りがない。

美しくなければ財としての価値も評価されない時代に、製品開発論などはどうあるべきなんでしょう。そんなことを考えさせられます。

投稿: fuku33 | 2006年2月23日 (木) 16時53分

fuku33さん、こんばんは、

ものすごくそう思います。いま、ドラッカーの「テクノロジストの条件」(ISBN:4478300720)というのを読んでいるのですが、まさにそれが人の歴史であり、人の歴史の究極至るところなのだと信じます。

それを経済的な概念だけで計ろうとすると格差が広がるとか、ロウアーミドルとかいうことになっていくのだと思います。経済の余剰が生じるのはある意味必然であり、この余剰が地球全部に広がったときにどうなるのか...、考えてはいるのですがまだわかりません(笑)。

投稿: ひでき | 2006年2月24日 (金) 18時26分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/14173/8700603

この記事へのトラックバック一覧です: 我々の未来としての「ワンゼロ」 Our Future at Nirvana:

« ソーシャルソフトウェアと企業内検索システム Weak Ties in the Company | トップページ | ひさびさのメール投稿 »