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2006年3月 2日 (木)

力と力の作る構造 balance is all

昨日、「ちなみに世代の交代とは、新しい世代が古い世代を駆逐するか、同化させてしまうことを意味する。」と書いたが、ちょっと筆が走った表現だったかもしれない。

力はつりあいなのだ。新しい世代も、旧い世代も、それぞれが力なのだ。物理的な力だけが力ではない。暴力だけが力ではない。社会は力のつりあいでできている。

比喩として、鉄筋コンクリート建物の柱と梁の接点を考えてみよう。通常見ている限り柱も梁もぴくりとも動かないが、建物全体の何千トンもの重量によって建物全体をが複雑にながれる。一箇所の柱と梁だけをぬきとって考えても、何十トンもの力が上下左右から働いている。目には見えないが、押す力、押し返す力、ねじれる力、ねじれに反発する力、---専門的に言えばモーメントとかせん断力などと言われる力---は、複雑に対抗しあって建物を支えている。

社会構造というのも力と力のつりあいなのだと最近つくづく感じる。柱や梁の代わりにさまざまな組織体、個人、政治的な団体などが存在し、お互いに力を掛け合っているわけだ。ちなみに、鉄筋コンクリートの場合は、柱や梁自体は、鉄筋という引っ張りの力に対抗する材料と、コンクリートという押される力に対抗する部材が見事に協力しあうことにより、一体として構造強度を持つ。社会的な組織の中でも、人と人が引っ張り合い、押し合いへし合いしながら一つの組織としての均衡が取れ、一体として実存する。そして、それぞれが内部の構造をもった組織と組織、集団と集団の間で競争的に、あるいは強調的に働く力がダイナミックに社会的な均衡を達成している。端から見れば、全く一体と見える社会構造も現実は力と力のぶつかりあいの一時的な均衡に過ぎないのだ。

冒頭に戻って、旧い世代と新しい世代がお互いに駆逐しあってしまってはいけない。力と力のぶつかり合いが必要なのだ。どちらかがどちらかを消滅させてしまえば、それまで働いていた莫大な力が開放されることを意味する。これは、社会で言えば革命のように、敗戦のように、一気に旧いつりあいに基く均衡がやぶれ、どこかの階層の層崩壊を経て、新たにダイナミックな均衡を持つ社会構造に落ち着くまで、不安定で流動的な状態が続く。

消滅させるといっても、幸いなことに現代の日本においては「暴力」という明示的な力を行使する機会はあまりない。ほとんどが政治的な力と政治的な力のぶつかりあいに終始している。政治的な活動には関係も関心もないとあなたはいうかもしれない。しかし、ニュースは例えば見るだろう。ある企業の広報に関わった方から「ほとんどすべての報道でどのタイミングで、どのような内容のニュースが流されるかということの裏には、政治的な意図がある」と聞かされた。また、個人的にニュースの裏にある政治的な意図ということを感じる機会に最近恵まれている。

ま、だからどうだといわれても困るのだが、やはり社会は非線形、開放系な思考でみるべきだという結論で、今日は閉じておきたい。

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