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2006年3月23日 (木)

お金で買えないもの bundle of options

うまくいえないけど、クルーグマンを読んで安心したってのは、自分一人がこけようと世界が滅びるわけじゃないんだなと感じたからだ。そう、それまで私は世界を自分一人で背負っているくらいの気持ちでいた。

ま、そうはいってもクルーグマンのいう「大した問題じゃない」ことは、普通の人にとっては大した問題なのだろうと類推する。米国のような大きな経済を単位とした思考においては、数千、数万の会社や、数百万の人々が困窮しても「1%の半分」くらいのことになってしまう。それでも、経済が全体としてバランスをとるためには必要な新陳代謝なのだろうと、頭では理解する。

それはそうと、今回のタイトルの「お金で買えないもの」の話をしよう。愛とか、かけがえのない親族とかの話ではなく、安冨歩先生の「オプションの束としての貨幣」という概念と、クルーグマンの貿易論とでどこかでつながらないだろうかという話だ。

安冨歩先生は「貨幣の複雑性」で為替の水準をそれぞれの国での貨幣で買えるもののはばの違いで説明されようとしていたと理解している。偏見にみちた例えをするならアフリカの奥地のサバンナで暮らす人々と日本で暮らす人々の間では、お金で買える商品の種類が千倍とか、一万倍とか違うかもしれない。

時間の概念を入れると私の手に負えなくなってしまうのだが(お金をいっぱい出せば空輸する手があるからね。ま、でもそれも貨幣価値のうちなのだろうけどね。)、たとえば1時間の間で買える物の種類の数でくらべれば、サバンナの真ん中ではミルクなどに限定されてしまうかもしれない。そして、いくらお金をもっていても大して品目は増えないだろう。仮にせいぜい10品目だったとしよう。しかし、日本で1時間あればどこかのデパートか、ショッピングセンターなどにいけば数千、数万のアイテムを買うことができる。ま、もしお金があればね。

難しい記号論理を再現することは私にはできないが、この選択のはばがこのアフリカのどこかの国の1単位の貨幣と日本の1円を交換するときの為替レートの基本になるのではないかというのが、私の理解している安冨先生の為替理論の一端。

今は出先のスタバなので(と言い訳しておく)、議論を制度よく発展させることができないが、お金を選択のはばのひろさと考えると、クルーグマンは比較優位を固定したものととらえなかった。地理的資源がベースで貿易における比較優位が決まるのではなく、「たまたま」他の国より先にちょっとだけすぐれた競争力を持つ分野を持つ国が、非線形開放系的効果、あるいはランチェスター第二法則的効果により次第に最強の国に特化していくのだという(私の理解が正しければね)。

このとき貿易で為替が交換されるたびに、輸出入が行われるたびに、当初たまたま比較優位をもった分野その国での特定の分野の「選択の幅」を広げていくので、その国の比較優位が成長的に拡大していくのではないか、というのが今日の素人のあてずっぽ。つまり、その国でなにがお金で買えて、何が買えないかが、為替の価値の基本を決め、比較優位を決めているのではないだろうか。

んで、ちょっとまえの日本の最大の比較優位は商取引上の信頼性の高さだったと私は信じてんだけど、いまはなんなんだろうね?

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