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2006年3月14日 (火)

誰のための今日なのか? Seize the Day

先日、また別な友人と話をした。

「やっぱりさぁ、今の社会ってお年寄りにばっかりお金を使う傾向強すぎるんじゃないかな?」
「そうそう、言っちゃ悪いけど、お年寄りにお金を使うのは消費だけど、子どもにお金を使うのは投資だよね。んで、今消費ばっかで、投資がない。」
「なんつうか、人口が減っていくのだとすれば、一人一人の生産をあげるしかないわけだし、そのためには次の世代を担う子ども達ががんばれるようにしてあげるしかないよね。」
「そもそも、いまの日本ってお年寄りがお金を独占していることが諸悪の根源だと思うよ、やっぱり。」

今日、この会話を思い出していて、猛烈に怒りがこみ上げてきた。

道義的にお前は間違っているといわれるのだろう。私だって、できれば敬老の精神を発揮して、まわりから礼儀正しいやつだと言われたい。しかし、ことは私達が感じている以上に深刻なのだと感じる身近な事件が最近多々ある。

最も強く怒りを感じるのは組織防衛が前面に立った旧い世代の醜い行動が目に付くことだ。旧い考え、旧い慣習の世代が、倫理も、規範も、場合によっては法律も踏みにじって組織を守ろうとしている。どの分野かはあえて言わない。巨大組織に多いとだけは断言できる。

なぜ彼らは自分の組織防衛に奮闘しても、その組織自体を譲る相手を自分でつぶしていることに気づかないのだろうか?せいぜいあと十年不健康で質の低い、喜びも少ないさびしい「生」を送るためだけに、今の自分の立場を守ることに専念するのか?なぜ、後進を教育し、後進に自分の座を譲り、後進をサポートし、いさぎよさにおいて後進に尊敬される存在たろうとしないのだろうか?

自分たちが倫理性を踏みにじっているくせに、なぜいまの若者に倫理がない、礼儀がない、やる気がないなどと言えるのか?嘘で固めた未来は、自分の子どもををつぶすだけなのだということになぜ気づかないのだろう?

あの世までお金は持っていけない。案外、お金の価値というのは、金融政策によるインフレやデフレ、国の信用力の社会変動、購買の対象物を産む国民の生産力の合計などに影響されて未来を担保する力とはなりえないものだ。お金で買えるものは、自分が消費するその時点で存在するものだけだ。未来を生産しようとしないで、なぜお金にだけこだわるのか?必要なのは、いかに自分の中、組織の中で、生産性を高めるか、競争力を保てるかということだ。お金そのものを食べて生きていけるわけではない。

[書評]貨幣の複雑性 (HPO)

私以下の年齢の日本国民でちょうど半分を占めるはずだ。多くの新しい世代は、そうまでして組織を守らなければいけない組織ならば、いっそつぶしてしまえとか、旧弊を守ろうとする指導的立場にいる連中は即刻辞職しろと思っているにちがいない。

ハラキリというのはあるいは案外合理的であったのかもしれない。

■参照リンク
大絶滅を生き延びた我らの先祖のために (HPO)
人口、世代、そして闘争へ (HPO)

いやぁ、我ながらブログ始めた当初からおんなじこと言っている。老害になっているのは私自身なのか?

■追記 翌日

くだんの友人からメールをいただいた。許可をもらったので、引用してしまう。

一言だけ引用。

>なぜ彼らは自分の組織防衛に奮闘しても、その組織自体を譲る相手を自分でつぶしていることに気づかないのだろうか?

気がつかないのではないのです。
ものすごぉ~く気づいているんです。
意図して「潰して」るんです。
先日の国会のメール事件にしても、一言先輩議員のアドバイスがあれば、本人も少しは考え直してもう少し裏を取るとか、そういう行動を取ってから公表したでしょうし、少なくともあんなアホな騒ぎにはならなかったでしょう。
日本の未来を腑抜けにして潰すあるいはどこかの属国にでもしようかという意図が働いているとしか思えませんよ私は。

例によってここで展開した論の責めは一切私にある。以上!

■参照リンク
ヒト、モノ、カネより大切なもの by Danさん 

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