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2006年3月10日 (金)

試練としての痛み Dear Prof. Eliade

以前、こんな話を書いた。it1127さんが、「痛みの文化人類学」というサイトを教えてくださってふと思い出した。恥さらしの上塗りで、ブログで公開したい。私にとって、試練としての痛みというとこんな感じになる。

小さな小石の童話

 むかしむかし、といってもそれほど大昔でないくらいの昔に、インディアンの少年がいました。名前は「小さな石」といいました。大きな草原にお父さんの「大いなる鷲」と二人で暮らしていました。少年が13歳になったとき、少年は酋長の娘の「野原のタンポポ」が好きになりました。「小さな石」はお父さんに「『野原のタンポポ』と結婚したい。どうしたらよいか。」と話しました。お父さんは「まだ早い。自分で家を作り、狩ができるまで待て。少なくともあと2回は冬を越さなければならない。」

 2年があっというまにたち、少年はたくましい青年になりました。「大いなる鷲よ。ぼくはもう自分で家をつくれる。狩の腕前は村で一番だ。今こそ『野原のタンポポ』を娶りたい。」と、またお父さんに訴えました。「それでは、お前は大人になり、戦士であり、狩人であることの証に足につるの縄をつけて『死の谷』へ飛び降りて見せなければならない。そして、ナイフひとつで底から上がってくるのだ。」とお父さんは応えました。「死の谷」の底では、夜魔物が出てくるという噂でした。何人もが自分の勇気を示すために飛び降りていきましたが、戻ってきた男は指で数えられるほどでした。

 いよいよ、『死の谷』へ飛び降りる前の晩に「小さな石」は「野原のタンポポ」に会っていいました。「恋人よ、ぼくは勇気を示すために谷へ飛び降りる。そして君を必ずぼくのものにしてみせる。」タンポポは応えました。「あなたの勇気を見せてちょうだい。きっと父の酋長もあなたの勇気を認めてくれるはずだわ。」

 『死の谷』への跳躍の日が来ました。村人達はドラムをたたき、「小さな石」をはげましてくれました。「小さな石」は体中に先祖から伝わる魔よけの模様を赤い土で描きました。夜が来て、金星がまたたき、流星が落ちてくるのがいくつも数えられました。「小さな石」は谷の上に立ちました。谷底は暗く何も見えません。ただ、頭の上の星だけが輝いていました。

 「小さな石」は大きな声で一声叫ぶと、頭から谷へ飛び込んでいきました。

■追記 平成18年3月11日

以下の小文を書いていたつもりだったのに、追加されてなかった。一応、ココログのメンテナンス不良のせいだと書いておこう。

私の中で、痛みと愛は結びついているように感じる。愛ゆえの痛み、痛みゆえの愛。愛も痛みもどちらも身体感覚だ。相手が私に与えるぬくもりとにおいという感覚と、相手が私に与える苦痛と苦しみという感覚は、実は近しいものだ。そして、痛みも愛も、時間とともに風化し、神話と化していく。



Mircea Eliade (1907-1986)
マイトレイ by Mircea Eliade

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コメント

ひできさん おはようございます
うーん、味わい深いお話し、ありがとうございます。勇気ということば、最近あんまり聞かなかったので、新鮮でした。

そんな後に、なんですが、ひできさんと痛みと子供ということから、これを思い出してしまいました(笑)

・ゲーテ君とのばらの話。
http://www.toshima.ne.jp/~sea_moon/queen/nobara.htm

投稿: it1127 | 2006年3月11日 (土) 09時32分

it1127さん、おはようございます、

いやぁ、なつかしいですね。うーん、今の私だったら2番の解釈を選んでしまいそうです(笑)。あ、どうようにして「小さな石」と「野原のタンポポ」の関係も危険な解釈が可能かもしれません。

しかし、最近さまざまなものごとに対する認識が変わってきているのですが、いまゲーテを考えると「気概」という言葉に非常にセクシャルなエネルギーが入っていたのだろうなとか感じております。性と記号、そして気概と貨幣、なにか通じるものを感じております。まだ、言葉になりません。単に昔読んだ栗本慎一郎を思い出しているだけという説もあります。

投稿: ひでき | 2006年3月11日 (土) 10時56分

ひできさん こんにちは
>栗本慎一郎
懐かしい。経済人類学ですね!私も何冊か読んだことが在ります。いちばん記憶に残ってるのが、それとはほとんど関係ない「鉄の処女」つーのが情けないですけど(笑)。もう十数年前ですが、友人の結婚式で、隣のテーブルに栗本慎一郎氏がおられて、そのまんまの人なんだなぁー、と思ったことを思い出しましたよ。

で、セクシャリティですが、やはり究極、そこ逝きますかぁー、そうですよね、食、性は人間の、というより生命の二大要素ですからね。そういうことで、一応これ貼って置きます。栗本慎一郎ではないですが、近いと思われます(笑)。->笑っちゃいけませんよね、大真面目です(笑)
http://www.nagaitosiya.com/a/phallic_money.html

投稿: it1127 | 2006年3月11日 (土) 17時27分

it1127さん、こんばんは、

永井さんですね。実は既に読んでます(ニヤリ)。

どう自分の言葉でこの辺のセクシュアリティーと経済と社会とリンクを語れる中年親父になるかが当面の目標です。

投稿: ひでき | 2006年3月11日 (土) 17時38分

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